ADHD関連

コーチング②ADHDの外面特徴

自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのH (その他の外面上の諸特徴)

H.ADHDのその他の(外面上の)諸特徴について理解する。

 

<服装や髪型、化粧など>

 多数派の人は多くは服装を決める際に「どう見られるか?」「これから向かう場の状況にふさわしいか」についてかなり注意を払って考える。

 これに対してADHDは(見た目にこだわる場合を除き)「見られることを意識しないで自分が着たいものを着る」という風に服装を決めることが多い。

 多数派から見た反応としては、「薄着が多い」、「若い人は大人っぽく見え、年をとると異常に若く見える(格好をする)」、「若い人は露出が多い」、「刺青などがあっても隠さない」等が多数派から見て「意外」と思われることが多い。

 

<しゃべり方、声、文章表現など>

 ADHDは多くは声が大きく、早口で途切れなくしゃべり続けることが多い。全体に多弁で、抑揚は少なく同じことをいろいろに言い換えながら何度も説明する。派手なジェスチャーをまじえる人も多い。相手から「相槌」を入れる「間」はとりづらいと見られる。

 メールなどの文章も長くなりがちで、相手の反応よりも自分の訴えを最後まで書ききろうとする。敬語はあまり使わず、「ぶっちゃけた」表現が得意で、「本音トーク」というような設定では好評を博することもある。はっきり言うために「毒舌」「はらはらする」等といわれたりする。

 

<荷物が多い>

 ADHD「は忘れることが多い」からという他にも、「使うことがあるかも」という考えから勢い荷物が多くなる。用途が終わってもかばんから出さないからでもある。

 

<歩き方>

  多くは早足で、せかせか前傾して歩く(と私は言われる)。前だけを見て、横や後ろから話し掛けられても気付かない。

 行き先と行き先に到着した後のことばかり考えて歩いているからであると思う。

 

 あなたの生活で上記の説明に当てはまることがありますか? 具体的に書き出してみましょう。

 

 こういった点は、多数派は「状況を弁えない」と感じることも多いが、表現の自由に属することであり、例えば葬儀や結婚式など明らかにある種の服装が顰蹙を買うことを除けば「自分のやりたいようにしていれば良い」と考えている。

 ただ「自分がこう見られている」ということを理解しておくことは必要だ。またこれらの表面上の諸特徴には、認知と行動の本質的な特徴が現れていることが多いので、時々客観的に見直す作業は自分自身に関する気付きにつながる。信頼できるサポート者に時々印象を聞いてみるのは役に立つことである。

 


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コメント

    • shiori
    • 2006年 11月 24日

    こんにちは。なんどかメール相談でもお世話になりました。
    ADHDは早口、声が大きい、話が途切れない…
    ということで質問なのですが
    私は早口ではなく、ゆっくりしゃべるね、と言われるほうで
    論理立てて話すのが苦手で、話しているうちにわけが
    わからなくなり(口をついたとたん、何を話すのか模索
    しながら話しているような)ます。
    ADHDとは別に考えたほうがよい障害でしょうか。
    なにか克服する策はありますか?

    • ミリ
    • 2006年 11月 24日

    >表面上の諸特徴には、認知と行動の本質的な特徴が現れていることが多い
    ここは、興味深いなと思いました。
    自分の服装ですが、高校、短大当時、基本的に地味だけど、今思えば、時々、派手な服を着て、回りの人に「えっ?」という反応をされたことが、しばしばありました。
    時々、突飛な服装。これは、「大人しそうなのに、きついことを言う」ということにも、通じるのかも?
    今は、やはり、基本的に地味というか、中性的な服装で(シャツにジーンズ。いつもは、あまり着る物に頓着せず、着替えはするけど、同じような服装。洋服のことをあれこれ、考えるのは、面倒)
    自分なりに、今日は、お洒落をしようという時は、コンサバティブな服装をしています。
    昔よりは、そういう意味では、普通に近づいているのかな?と思いました
    カバンの中身が、いつも、ぐちゃぐちゃ気味というか、人には、あまり見せられない感じです。
    財布の中も、小銭や、レシートがすぐに一杯になったりしています。

    • いずみん
    • 2006年 11月 25日

    こんにちは。
    事例のひとつとして、自分の場合について書きます。
    <服装、髪型、化粧など>
    学生のころはまさに「見られることを意識しないで自分が着たいものを着る」状態でした。
    特に帽子が大好きで、露天で見つけたアジア系のつばなし帽子を何種類も、どこへでもかぶってました。
    現在はかなり「普通」のかっこうをしている…と自分では思っています。雑誌などを参考にしていますが、途中で自分の解釈が入ってるので、なんかちぐはぐな気もします。夫には「化粧、ヘタだからしないほうがいいんじゃ…」などと言われますorz
    <しゃべり方、声、文章表現など>
    早口ではありませんが、かなり特徴のある話し方といわれることが多いです。ジェスチャーも多いようで、よくマネされます。身体表現がマンガ的と言われたことがあります。
    また、営業上必要な場合以外はたいてい「ぶっちゃけトーク」になります。相手がどう思うか、よりも自分が思っていることを正しく表現できているかが気になります。
    <荷物が多い>
    学生のころは何でも持ち歩いていましたが、社会人になって出張の多い仕事に就いたため、コンパクトになりました。ただ、かばんに物を入れっぱなしの傾向は非常に強いです。そのため、必要なものがどこにあるかわからなくなることがあります。
    <歩き方>
    わたしの場合は早足というよりは、夢遊病のように歩いているといわれます。リズミカルでなく、下半身だけですーっと歩いているらしいです。美しい歩き方とは無縁です。
    それで思い出しましたが、たとえばスキーのときなども、上半身と下半身をなめらかに連動させる動きが非常に苦手です。
    ADHDの児童には微細運動徴候が見られると聞いたことがありますが、その傾向はけっこうあるかもしれません…。
    以上です。
    今のところ、「人と変わっていることは美徳」と感じているので、困ってはいません。周りは、わかりませんが…。

    • リセット
    • 2006年 11月 25日

    《服装・ヘアスタイル・化粧》
    基本的に服装は色彩では無く、デザイン的に派手目な物や露出の多い服が好きです。網タイツは必需品でした。ヘアスタイルも小学生の頃から茶髪にしたりパーマをかけたりしていましたし、40代間近の今も茶髪です。化粧も派手と言われがちですが、顔立ちがそういう印象を与えるのかもしれません。十代の頃には全身を《黒》・《青》で統一しようと決めた日は口紅からマニキュアまで合わせた事があります。
    …でも、普通になろう!と心に誓った《自己AC宣言》をしてからは、服を自分の好みでは無い地味目というか無難な感じに変え、化粧も控え目(茶髪は健在)にしたのですが、毎日が自分じゃない様な気がして、経済的な理由もありましたが好みじゃない服を買う気がせず、少ない数で着回していました。今思えば自分らしくない自分に対してストレスを感じながら生きていたのかと思います。でも、時々チョロチョロっと自分好みの服装をしていたかも。
    《声・しゃべり方》
    場所によりけりですが…早口で、よく喋ります。今ひとつ自分で判断できない所もあるので今度、担当医師に確認してみたいと思います。
    《文章表現》
    メールに関しては、ごらんの通り長文です。敬語文にすると更に長文になるのでメール文には敬語を使わない事が多いです。
    《荷物》に関しては、
    必要になるかもしれないという理由で、車の中には私にとっての必需品が数多く待機しています。(役立った事が何度も有ります)車を修理に出した時に、箱詰めしたので車内はスッキリしましたが、後部座席に一人分のスペースを(私の必需品である)ダンボール箱が陣取っています。
    《歩き方》
    速い歩行だと思います。(逃げ足も速かったです)職場等で、通路に物が置かれてたりすると他の人は平然と通り過ぎて行くのに、私は必ず引っ掛かったり、最悪な場合は転んだりもします。(物が置かれている事に気が付かない)
    十代の頃に室内をペタペタ歩いてると指摘された事があったので、意識的に爪先歩きを実行した結果、ペタペタ歩きは改善されました。爪先歩きを実行してた頃は一歩ずつが「抜き足、差し足、忍び足」と思えて、泥棒になる訓練をしているみたいだなぁ~と、一人オモシロおかしく考えていました。

    • yurin
    • 2006年 11月 26日

    >服装や髪型、化粧など
    これは私にとってある意味『難しい質問』です。そもそも服装において自分は『一定の好み』のようなものが(今も昔も)ないような気がするので。
    何故かと言うと周囲に『言われるまま』選ぶことが多かったからです。それこそ5歳くらいまでは自分の好みもそれなりに主張してましたが、小学校へ入学後は殆ど母の好み優先でした。幼稚園に入園した頃好きだった色は、赤やピンクなど明るい系が好きだったように記憶しています。
    20才過ぎて、ある程度自分好みで選ぶようになってもやはり母のチェックが入って、派手なデザインや色の服はご法度でした。だから若いわりに地味目な服装ではなかったかと思います。この当時は母のチェックに引っ掛からないように、雑誌を参考にしながら、流行にもあわせるなど一応『見た目』も意識してはいました。
    化粧については、普通程度のメイクではあったと思いますが、私も顔立ちのせいか、念入りにすると厚化粧に見えるようなので、控えめです。(これは今もそうです)
    結婚してから相方から、私の地味系ファッションを『似合わない』と指摘され、それからは少し派手系の色もとり入れるようになっていきました。
    子どもが出来てからは服装に気を配る余裕もなく、人からもらった服を自分なりにコーディネイトして着てたので、流行関係なく『自分がいいだろうと思う格好』をしてました。
    今は、学校で母親同士集まると自分だけ派手目の色合いの服装で少し気恥ずかしい思いをすることも、たまにあります。
    今年の春、娘の中学の入学式に、昔買った少し派手な色の服を出して着たら子どもにまで『恥ずかしい』といわれました。
    私の場合服を選ぶのはだいたいが『その日の気分』です。普段は特に服装に気を使うことはないですが、色的にバランスが悪くならないようにと、毎日決まったパターンで似たりよったりです。
    『問題』の入学式当日は雨降りで寒かったので、せめて服装だけでも明るくしたかった、というだけです。しかし子どもにまで『明るいのも程度問題』と指摘されるとさすがに『考えたほうがいいかも?』と思いますが、それでもどこかに自分の好み(気分)をさりげなく表現してしまうでしょう。

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