受動型AS(アスペルガー症候群)の人は、ASでありながら受動的で状況に合わせ続ける。認知も行動も「相手がこうだから」という形となり、文字通り受動的だ。
受動的であるということは、利己的、自己中心的なあり方とはおよそ反対の生き方であるのだが、実は相手から見ると、「自己愛性人格障害」に見えるのは不思議だ。
相手側から見た受動型AS像は、「相手の機嫌ばかり取り、自分の意志をはっきりさせないで、責任転嫁ばかりしている」という風に見える。本人のほうは合わせているというのに、この認識のズレは(必然的なのだが)極端となる。
また生き方自体が受動的で、病気には見えないこと。態度が学校と家で全く態度が違うことも多く、さらにASの特徴として愛着の対象には支配的になることまであるので、発達障害でありながらそのままで見かけは「自己愛性人格障害」そのものになる。
一時期の横断的な 診断としては自己愛性人格障害となっても、発達の観点から生活歴を詳しく聞いてみればASは区別しやすい。受動型ASは見かけ上ASらしくないところがさらに見立てを難しくしている。
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>受動型ASは見かけ上ASらしくないところがさらに見立てを難しくしている。
受動型ASを見立てられる先生はどのぐらい居られるのですか?自分では生き辛さを感じていても先生方にはそうは見えないそうです。
私の夫は、もしかしたら「受動型AS」かもしれない、と思い始めています。
『「相手の機嫌ばかり取り、自分の意志をはっきりさせないで、責任転嫁ばかりしている」という風に見え』ます。
現在小5の娘も、学校の「集団生活」に馴染めず、ほとんど行けていないのです(少人数クラスの塾は楽しそうに通っています)。数年前よりは、ずいぶんと改善されたように思いますが・・・。
そうしたこと(単なる怠惰ではないこと)を、学校の先生や祖父母には、なかなか理解してもらえないことが、悩みですね。母子そろって責められますから。
>受動的であるということは、利己的、自己中心的なあり方とはおよそ反対の生き方であるのだが、実は相手から見ると、「自己愛性人格障害」に見えるのは不思議だ。
私も不思議に思ってました。
おそらく知り合いの攻撃的な部分は愛着への嫉妬心や支配的な性格からだろうと思うのですが、明らかに「自分が無い」部分はASで、自己愛が強いようには見えません。(褒められても「それが当然」といった感じで、ジャイアンのように調子に乗らないです)
私に合わせてはくれるのですが、やはり最終的には「私が彼を全面的に受け入れる日を待ち望んでいる」らしく、「私には(非言語や愛着等のAS同士特有の安心感を与えることは)無理だから、他に受け入れてくれそうな人見つけなよ」と言いましたが、「嫌だ」の一点張りです。
私自身、(KYの分際で)ムダに非言語表現を感じ取っているせいか、「相手に合わせることができず、逆に相手に一方的に合わせて貰っていることを申し訳ない」と思ってしまいますね。(ACやAS非影響症候群とは違うと思います。「尽くしたくても尽くせない」中心志向型ジャイアンが常に上を目指すも辿り着けない感じに似てるような…違うかな)