前に述べたのと逆のケース(動作性IQ>>言語性IQ)のケースは、実は「学習障害」を除けば「受動型AS」、「依存型ジャイアン」が多い様に思う。
発達障害でありながら「器用」で、スポーツも出来ることが多く、例えば「ちょっと見ていただけですぐに上手な人と同様にプレーできる」と言った特徴を持つ。
受動型ASの本人に聞くと、「考える前に分かる」と言ったりする。直感的に「分かって」居るから考える必要も無いわけだ。
こういう受動型ASの場合では、世間的には表面上非常に穏やかで、周囲にうまく合わせるから適応も良く、企業の幹部まで出世するケースもある。愛着のある家族やパートナーに対しての極端な支配的で依存的な態度を見なかったら全く「表面上は普通の人」という印象になる。
周囲の人の顔色や表情を読み、巧みに立ち回る能力は厳密には分からないが動作性のIQと相関するのだろう。
ジャイアンの場合でさえ、直感的に状況を読み、自分のほうからも非言語的な「操作」によって実際に対人関係をコントロールすることが出来るようになるケースもある。これが「依存型ジャイアン」である。
対して先に述べた「言語性>>動作性」ケースは、ジャイアンの場合だったとして、親から例えばAS父親から「表面上反抗しない条件での愛着」、同時にジャイアンACの母親から「母親としての愛情とAS父親の愛着のライバルとしての憎しみ」などを向けられた場合でも、結局状況は読めないままで、へ理屈を言って反抗するくらいしか出来ない。依存型ジャイアンに「なれない」と考えられる。
動作性IQが高い場合には、上記のような環境では、「可愛げな表情でAS父親の愛着をコントロールして、不安げな表情でジャイアンACの母親の不安をかき立ててけん制しコントロールする」ような非言語的なやり取りの術に長けていく。
依存型ジャイアンにとっては、ちょっと表情を変えるだけで親は自由にコントロール出来て、どんなことでも尻拭いさせて自分は責任を負わなくて良い。
そういうプロセスの中で「(合理的に)頭を使わなくなる」というスタイルが完成する。頭を使わないから恐ろしい「自己突っ込み」からも逃れられるのだ。
頭を使わず非言語的な「操作」だけで対人関係をコントロールしていく結果、「コロコロ変わる」という見掛けになる。その場その場で相手に合わせるので、通常表面上は不適応とならないが、近い家族やパートナーから見ると異常に主体性の無いスタイルとして正体がバレる。
非常に表面上は似ていながら、受動型ASは「そもそも自分が無いから」、依存型ジャイアンは「合理的な思考を止めているから」という異なった理由でいずれも「境界性人格障害」様の行動パターンを身につける結果になる。
>対して先に述べた「言語性>>動作性」ケースは、ジャイアンの場合だったとして、親から例えばAS父親から「表面上反抗しない条件での愛着」、同時にジャイアンACの母親から「母親としての愛情とAS父親の愛着のライバルとしての憎しみ」などを向けられた場合でも、結局状況は読めないままで、へ理屈を言って反抗するくらいしか出来ない。依存型ジャイアンに「なれない」と考えられる。
・・・情けないことに、私はこれの典型です。(KYの塊。)
対する、受動型AS父(世間的には表面上非常に穏やかで、周囲にうまく合わせるから適応も良く、企業の幹部まで出世するケースもある)と、依存型ジャイアン母(直感的に状況を読み、自分のほうからも非言語的な「操作」によって実際に対人関係をコントロールすることが出来るようになるケースもある。)に挟まれて。
・・・あまり愚痴を言いたくないのですが、今日はっきり作業所のチーフの女性に、「ご両親はあなたと向き合うことを避けていた」と言われた。もっと言えば、AS援助職には、「家の、地下室に40年間閉じ込められていたようなものだろう」と。
しかし。
ここへ来て、よく分からなくなって来ました・・・
家の父、本当に受動型ASでしょうか?・・・それにしては、他人に対する態度が苛烈だし、(すぐ部下を窓際に送る、)母に対しても、「俺を必要と言え!」というより、積極奇異型ASの「こんなことも出来ないのかお前は!」ぽかったですけど。
それはともかく。受動型AS援助職が、「もっと上手くやれ!」と最後に癇癪起こしたのには参りました。(それが出来ないんだってば。)
動作性IQの低さにあきれ果てたのか、はたまた「お前は依存型ジャイアンになれないのか!」の意だったのか。(~_~;)
ちょ、ちょっと、羨ましいかも。いいな・・・。
いけませんね。それはいけませんね。“悪のお代官様と越後屋”になってしまいますね。
これだと、私が辛酸を舐めた子ども時代は、友達切らさなそうですね。依存用の友達。
大人になってからすごいことになるかもしれませんね。悪い意味で。
YANBARU先生、前の私のコメントに答えて頂いたような内容で、有難うございます。
私のパートナー、相方は、空間的位置や配列の能力などの高さから動作性IQ>>言語性IQであろう。
片付けが出来ないなどからADHDを疑いながら、
人の顔色や表情などから周囲の状況を読む、空気を読む能力の高さと情動的やり取り・コミニュケーション能力の高さから多数派と思っておりましたが、
>前に述べたのと逆のケース(動作性IQ>>言語性IQ)のケースは、実は「学習障害」を除けば「受動型AS」、「依存型ジャイアン」が多い様に思う。
> 周囲の人の顔色や表情を読み、巧みに立ち回る能力は厳密には分からないが動作性のIQと相関するのだろう。
ジャイアンの場合でさえ、直感的に状況を読み、自分のほうからも非言語的な「操作」によって実際に対人関係をコントロールすることが出来るようになるケースもある。これが「依存型ジャイアン」である。
「依存型ジャイアン」と思えてきました。ジャイアンの方の最大特徴の中心志向というか、私はとにかく相手より心理的に優位に立ちたい衝動と理解してますが、それははっきりと認められますから。
相方は、前に介護職をしており現在でも身障者の方とつながりがあります。身障者と直接接しているときは、脇から見ても惚れ惚れとするくらい母性的な優しさを発揮しています。しかし、眼前にいない時はその方が自分では満足に判断できないと保護者風に自己決定権を否定するような言動をしますし、新聞などで身障者がらみの事件があると「そんな障碍者は居なくなってしまえばよい。死んで当然。」といいます。自分の優位性が”保護する”という形で現認できる時はそれで、現認できない時は”見下す”。
つづく
前半のスポーツに関して
>例えば「ちょっと見ていただけですぐに上手な人と同様にプレーできる」と言った特徴を持つ。
・・・確かにそういう感じでした。
見よう見まねでチョコチョコとやったら出来た・・というかんじ・・。
「直感」が使える場面が好きでしたし、とても多かった気がします。
ただ、以前も書きましたが、これもせいぜい高校生くらいまでで、大人になるに従って通用しなくなりました・・。
「怒りのツボ」にもハマリ難いですし、
>「表面上は普通の人」という印象
・・のように見えていたかはわかりませんが、、。
>非常に表面上は似ていながら、受動型ASは「そもそも自分が無いから」、依存型ジャイアンは「合理的な思考を止めているから」という異なった理由で~
ここの部分がまだ、理解が進んでいない(分かっていない)気がします。
「コロコロ変わる」自分に、かなり困惑も嫌悪感もありました。自分が無いからだ・・と思っていましたが、ここへ参加させてもらっていくうちに、どうやらそうでもなさそう??・・と思い始めてきたところでした。
この記事で動作性IQが高かった・・・という事実は判明!!
となると、こうしてパチパチ言語を操る作業は性質に反している行為なのか??
んじゃ~、「創作」と称してやっていたことも・・??
バランス取りたくなる気も、最近気付きつつはあるのですが・・。
まだまだ、探求はつづく・・・。
つづきます。
「障害者は一生懸命やっているのだから、社会が変わらなければならない」というのが相方のモットーですが、何を一生懸命やるのかといえば、相方が施設で教えていた一般社会への適応であり、”普通人”のように振舞えるようにその真似をする事、健常者に一歩でも近づくこと。誰が一生懸命さを判断するかといえば、相方を含む”健常者”です。一生懸命に芸をするサルを愛でるという感覚。
サルならば頭を撫でてやる位でしょうが、障害者ではケアをする優しさを発揮する。相方は「仏の◎◎」との評判を得て満足しております。そういう自己愛性障害に似た心性を持っています。これが >「境界性人格障害」様の行動パターンを身につける< ということなのでしょうか。 脳性マヒの障害者にお聞きしたら、彼のところに来るボランテアの方の中には、「今日は都合が悪いのでボランテアは休んでください」と連絡を入れると「せっかく時間を作ったのに断るとは何事か」と怒り狂う方がママいるそうです。彼らにとって障害者は、自分の優しさを発揮できる対象、江戸時代には後生の安楽を願い徳を積む、現世利益のために、殺生戒を守る印として生物を放つ、そのための”放ち亀”というものが方々の橋のたもとで売られていたそうですが、彼らにとって障害者は”放ち亀”のようなものなんでしょうね。ですから、相方の心性は「依存型ジャイアン」の特徴と関連付けてよいのやら? つづく
つづきます
相方は「他者は、私に、悲しみとか苦しさといった感情しか見せない、喜びとかは隠してしまう。」といっていました。「依存型」でもジャイアンならば、基本的に悲しみなどを共有する共感能力はないと思います。ただ、悲しみにくれる人、苦しみに呻吟する人には同情という見下しが可能です。喜びとかは、前のエントリーのジャイアンの妄想にもあるように、ジャイアンは見たくない感情ではないでしょうか。自分の優劣には敏感なジャイアンの特性から、こうした感情を抱いている人を人の顔色や表情から見分ける能力が高いのでしょうか??
例えばAさんから話を聞きながら話の中に登場するBさん、Cさんから見れば事態はこう見えるよなと、ASの私はAS脳でつくったバーチャル心理空間で視座を変えて見る事を、理解を深めるために反射的に行います。(AS的歪みから、内容が妥当かは別問題)相方はしません。視点を変えて評価する能力がないというわけではなく、眼前のAさんの視点のみに集中して、Bさん、Cさんの視点から見直す関心、志向性がないように思えます。「依存型ジャイアン」ならば、ADHDのその場、その時の特性に起因すると思えます。
>「コロコロ変わる」という見掛けになる。その場その場で相手に合わせるので、通常表面上は不適応とならない
というのは、相方を見ていると納得できます。
それは、事態を複数の視座で見て立体的に評価しない。
相方は「しょせん人間関係はチカラ関係(上下関係、優劣)」といっています。人間関係を平等という視座から見ません。それは、相方では自分が優位・上であると思うときは相手を利用・支配しようし、劣位であると感じるときは表面上は服従するというスタイルです。
依存も支配もしたくないし、されたくないです。
なぜ、私は「怖い」と言われるのかわかりません。
そして、「何をするかわからないやつ」と陰で言いつつも、身内や友人と称する人たちが困った時に金銭やその他の事で頼ってくる意味がわかりません。
「自分の○○だ」と利用する権利の正当さを私に訴えますが、私には理解できません。
まんべんなく平等に接するようにしていますが、それも不満になるようです。
自分を分類するために診断を受けました。
自分の事で精一杯なのだと気付きました。
そしてまだ、自分の事なのによくわからない事だらけです。
(動作性IQ>>言語性IQ)、「依存型ジャイアン」
今回のこの記事は、うちの母の事です。
娘から何を言っても、結局自分の都合のいいようにしか受け止めません。結局、思考がストップしてしまい(・・・と言うか、自分でストップした方が良いと思いそうやってるのか)知りませんが、
「自己突っ込み」と言うのがまるでないように見えるので、
もうこの人には何を言っても無駄だ・・・との結論に至りました。
そのへん、ウチの夫は私の思う自己突っ込みよりは浅いものの、とりあえず私が言った時だけは、少しは反省しているようなそぶりを見せてくれるようになってきました。・・・ので、少しは改善の余地あり?
こんな事を言ってる私は、たぶん前記事の言語性IQ>>動作性IQタイプだと思います。
自分を多数派だと思い込んでいる親などから、「言語と動作ってつながっていくものだ」と教えられてきたせいで、かえって混乱を招き、
又、発達障害ではそのへんがうまく行かず、悩んできたのだなぁと思いました。
又、発達障害にとって、言語性優位の人と、動作性優位の人とでは、私と母のように内面的には、敵対してしまうものなのでしょうか?
ここ最近はロムってばかりでしたが、久々に書き込みます。
わたしの母も、nさんのお母様と似ています。
動作性IQ>>言語性IQの依存型ジャイアンで、何を言っても都合が
悪いことは認めず、話し合いというのができない人です。
動作性IQ優位の方は、先生が書かれているように、「(合理的に)頭を
使わなくなる」スタイルで長年やってきているため、これを変えるのは
難しいのではないかと、母を見ていて、そしてこのブログにたまに来られる
動作性IQ優位(多数派と思い込んでいるジャイアン)と思われるの方との
コメントのやりとりを経て、思います。
依存型ジャイアンAC(?)であったわたしは、少しの間母とは距離をおいて
会わないようにしていましたが、最近では依存型やACが取れてきたのもあり、
母に対して「こうあってほしい」という気持ちに諦めがついたので、気楽に
考えられるようになりました。
同時に、母から「こうあるべき」と言われても、以前は「わたしのことを何も
わかってない」と怒って反論したりしていましたが、「こんなわたしに
そんなことはムリでしょ」と笑い話にできるようになりました。
それでもしつこく踏み込んでくるようであれば、それにはちょっと耐えられない
ので、また距離をおく・・・の繰り返しです。
敵対してしまう人とは、ちょっと距離をおいて(労力を使うわりには何も得
られなかったりするので)自分の依存やACをちゃんととってジャイアンに戻る
作業をすることが、あらゆることがよい方向に進む一番最短の方法だったの
だなーと、これを書いていてあらためて思いました。
以前は「二刀流を覚えたのに一刀流に戻す理由がわからない」なんてコメントを
したりして、純粋なジャイアンに戻ることを拒否していたわたしですが・・・。
先生、いつもありがとうございます!
ジャイアンの受け皿半生でした。
母親は人格障害かと思っていたのですが、もしかしたら動作性優位のジャイアンADHDかも知れません。
なにしろ話が通じない。共感性がない。自分は弱気なくせに
娘には強気を要求するが、自分には絶対服従してくれないと
気がすまない。
ちょっと痛い所を突かれると泣いて怒って、事実否定。
ある一定以上物事を考えない、表面的な人物です。
でも手先がとても器用で、常に何かを作っているんです。
モノを捨てない割には生理整頓が抜群に上手で、家の中は
整頓された倉庫のよう。キレイ好きです。
そんな私が結婚したのは依存性ジャイアン(ASかも)。
夫はとてもだらしなくあちこちに巣をつくり、不潔で手先が不器用で、モノを捨てると怒り、全的に支配したがります。
身なりのバランス感覚がなく黙っていると、「よくぞ」といういでたちでどこへでも参上(笑 おまけに何でも丸投げした挙句、うまくいかないと人のせいにします。外で見せる顔と家で見せる顔はがらりと違います。
ところが、全身を使う運動には長けており、短距離走が抜群に早く、ラグビーの元国体選手であり、その後も実業団で長い間コンタクトスポーツをしていました。
言語性は、、、低いですねー。意味不明、言語不明瞭。
短い答えしかない。でも自分の興味のコンタクトスポーツの事だけは、饒舌に何時間でも喋っています、、、。「、、、もうこれ以上聞けないから」とこちらがいうまで延々と。
私は、精神分析とめぐり合い、そこの人に「何故、そのようなご主人を引き寄せたか?」を考えるようにいわれたのですが、、、。ずばり「母親とそっくりだから」だと思います。
母親の理不尽な支配が嫌で、優しい人を、と結婚してフタを開けたら、再び理不尽な支配者が出てきました、、、。
かんべんして欲しいですね~。
ASやADHDでない言語性LDの人は一番依存型に近いということでしょうか。