私は最近ADHDの非常に大事な本質は「自己突っ込み」であると考えている。自分の中にもう一人非常に厳しく自分に突っ込み容赦なく批判し続けるもう一人の自分がいる。
ジャイアン(自己正当化型ADHD)の場合には、ADHD流に「責任」や「言える立場か?」などの自己突っ込みには自己中心的な自分が実際に反するところが多いために、またジャイアンの部分の突っ込みは一番でなければそれだけで突っ込まれるので、いずれにしても基本的に自分を責め続けることになる。
そういう自己突っ込みをし続けている立場からすると、こだわり以外の部分では自己突っ込みの見られないASは、「あんたはそんな偉そうなことを言える様な人生や行動をしているのか!」と突っ込むしかなくなる。
例えばASの人に多い「一方的な被害者的発言」はADHDなら一瞬後に自己突っ込みで「自分には非は本当に絶対にまったく無いのか?」ということになるので、とても出来ない。
ASが「同じことをADHDである自分が口に出そうものならば、一瞬後に半端じゃなく自分を責め立てることになる」ような発言をして、その後も自己突っ込みをしているように見えないだけでかなり腹が立つのだ。「そういうあんたはそんな偉そうなことを言えた柄か?」というのがADHDから見てどうしても理解が難しいASの一面である。
「偉そうなことを言える様な人生や行動をしている」
そう自分が思えなければやって行けない(生きて行けない)と思います。ADHDが不安定な足場を自分で攻め続けてもその上に立っていられる、あるいはアッサリとジャンプして足場を替えられるのに対して、ASは不安定な足場には立っていられない。ジャンプも出来ないので、普段から自分の足場を固めるのに必死です。普段からちゃんと努力して足場を固めてますが、突然の攻撃で足場を崩されるとそれを維持するのに大慌てです(そんな時には他からは言い訳をしていると映るでしょう)。
一方で足場が維持できないと納得したら、別の足場をしっかりと組み立ててから乗り移ります。その時もジャンプなんかしません。そっと乗り移るか、今の足場に接続させます。
ところで『ASの人に多い「一方的な被害者的発言」』って、良く聞くと「私もここが悪いけど、あなたのここが問題だ」と言っていませんか?少なくとも私はそうです。加害者にはなれるけど、一方的な加害者にはなれません。
それとASからはADHDの自己突っ込みが殆ど見えない気がします。いや、そもそも見えないのですか?
ASは自閉圏の中(こだわり)と外の二重人格ということなのでしょう。
自閉圏の中ではまさにADHDで、激しい自己突っ込みを入れたりします。
ただ、自閉圏の外だと「自分はその社会とは関係ない」形となり、その集団を集団の外から見るような形になります。
それは、自分がその集団の中にいようが、外にいようが同じです。
これがいい方にでると、主観に左右されず、冷静に現実を分析できることになりますし、悪いほうにでると自分のことを棚にあげての発言となるわけです。
ただ、その場合でも、一般的に考えて間違っている発言であることは少ないはずです。
集団の外から見て、何が正しいかを考えて発言しているわけですから。
もちろん、自分が集団の中にいた場合、自分に対しても批判しているのです。(自分以外の当事者には理解できないでしょうが)
でも、自閉圏の外の出来事については、自分とは関係ないという感覚があるので、自分で自分を批判することになっても全然痛くない、そういう感じです。
同じことを、自閉圏の中のできごとに対しては絶対に出来ないと思いますから、ADHDの人の気持ちはわかっているつもりです。
「自己突っ込み」は、辛いものですが、それが自分の反省となり向上にもつながる気がします。
受動型ASの夫と息子は、自分にとって不都合な事(嫌な事?)は、すぐに消去してしまう様です。その様は、私(ADHDのAS)からみるととても不自然で危うい対応に思えて、気づくたび2人に「突っ込み」を入れてきたように思います。最近は夫からの反撃にあうので、私も辛いし虚しいので控えていますが、私の「突っ込み」に支えられて、今の(社会生活をおくれている)夫と息子があると思ったりもします。私が自分の価値も認めて欲しくて、恩を売るような訴えをすると、夫は私を不要とみなします。中学生で受動型ASの息子には、まだ私の支えと「突っ込み」が必要に思うのですが、夫いわく(私がいなければ)寮つきの学校に転校させるので大丈夫だそうです。
そもそも受動型のASは(身近な)人の支えがなくても、生きていけるのでしょうか?ASの人の「生きがい」ってなんなんですか?
これを読んでわからなくなってきました。
なかなか理解できなくて・・・。
私はいくつかの親の会で親御さんに会う機会が多く、親御さんの中には、先生の今までの説明にあったジャイアンADHD的な、上下関係にはめざとく、強い人には飼犬のように従うわりには、自分より弱いと認識した人へのひどくえばった態度など、相手によって態度や行動、思考まで替わる。
そして、けっこう世渡り上手でもある。
そして反省をしない・・・。そんな親御さんを幾人か見てきました。
なので、今までの先生のジャイアンADHDや自己認知が歪んでる自己愛性人格障害を絡んだ話は妙に納得できるものでした。
先生はADHDとASを分けるお考えを持ってると以前の記事で読みましたので、重複してると感じる子供達の成長の過程も見てきている私には、成長の過程で自閉度が軽くなりADHD要素が残る子、その逆の子もいて、先生のご説明が私などにはとても難しく感じることがあります。
ADHDとASを分けて考えるより、
自己愛性人格障害傾向のあるADHD・ASのタイプ。
自己愛性人格障害傾向の無いADHD・ASのタイプ。
で考えた方が、わかりやすいと思うときがあります。
自己愛性人格障害傾向のあるADHD・ASのタイプ。
自己愛性人格障害傾向のあまり無いADHD・ASのタイプ。この考え方なら、子供時代からの行動や思考の状況も理解しやすいのです。
marioさんへ
ASの人のことがよくわからないので教えていただければ嬉しいです。
ADHDは自己突っ込みをやめられないですし、ウツになる手前でとまるなら、自己中が暴走しないためにも自己突っ込みをしたほうが良いと私は思うのです。それに対してASの人は「こだわり」がトラブルの原因になっているパターンが多いように思うのですが、こだわる理由が理論的に納得できているので「こだわり」をやめてはいけないという心理があり結果としてこだわらずにはいられないということなのでしょうか。なんだか回りくどくてすみません。
marioさんの01.31.16:27のコメントに意見しようかどうか迷ったのですが、結婚観についてですが。ジャイアン的には、自分が望んで結婚してもそれぞれが最低限の役割を果たして生活が成り立てば良いと思うし、相手が進む道(私が思うジャイアンのテーマ?)について干渉されたくないのでmarioさんの考えだと息苦しさを感じます。でもmarioさんは本気で奥様のことを愛しているので、自分の思うとおりに生きて欲しいとこだわるのでしょうか?
初めてなのにいろいろ踏み込んだことを言いすみません。気分を害したらごめんなさい。
marioさんの ジャイアンは自己突っ込みをしてるように見えない について
自己突っ込みは自分で自分を責める行為、自分の内面と向き合うことですから周囲の人にわざわざ知らせたりしません。自分で自分のことを内心「ちょっと、わりといいかも」と褒めるとき、わざわざ他人に言うのは大人気ないという感覚と同じです。
笑えるほど納得してしまいました。
ただ、「容赦なく批判し続けるもう一人の自分」というのは
インナーペアレントとは違うのですか?
以前はこの突っ込み魔の自分にずいぶん悩まされましたが、
今ではどこにいったのだろうという感じです。
自己突っ込みは今でもやりますが、今のはむしろお笑い的突っ込みか、
失敗時の気分の切り替えのための突っ込みです。
こんばんは。興味をそそられたので。お邪魔させてください。
自分はまだ多くの純粋なADHDの方とやり取りはしていないのですが、純粋なADHDの方が自己突っ込みするんでしょうか?少し疑問です。
自分に突っ込みを入れるという行動を考えるにあたっては、つまり、罪がなにかを考えると良いと思います。
ASにとっての罪はおそらく「嘘」だと思います。しかも、相手を騙して自らが何かのメリットを得るための嘘は万死に値します。
ADHDの方の罪は、おそらく、「裏切り」ではないでしょうか?しかも、おそらく、自分が裏切るのではなくて、相手が裏切った場合の罪の方に対してはるかに思い罪を着せるのではないでしょうか。
そのほかに、感じるとしたら、仲良くした人を利のために裏切る場合にいくらか両親の呵責を感じると思いますが、その程度では?
あとは、neneさんのおっしゃるとおり、AC由来のものではないかと思います。自分は少し前までACでした。そのときはきつかったです。だから、ADHDの方のACの方もきついだろうとは思います。
でも、純粋なADHDであれば多分自己突っ込みは無いとお思います。
YANBARU先生もまだ、ACが完全に抜けていない可能性があると思います。
一応書いておきますが、これは自分の考えを述べたものです。誰かを攻撃したものではありません。
すばるさん
はじめまして。
>~けっこう世渡り上手でもある。
そうでもはないですよ。
だからウツになったりします。
ただ強弁できるせいでウツにはみえないようです。
>上下関係にはめざとく
これもそんなことないです。
損得で動くこともありますが
サッチータイプの大ジャイアンと大激論になったりします。
誰が一番上なのかわからないし空気が読めない。
だからその場で一番強い人とも喧嘩になるのです。
強い人がモラハラ大ジャイアンなら
確実にかないません。はじかれます。
従ったとしても病気になります。
私だけなんでしょうかね?
>上下関係にはめざとく、強い人には飼犬のように従うわりには、自分より弱いと認識した人へのひどくえばった態度など、相手によって態度や行動、思考まで替わる。
そして、けっこう世渡り上手でもある。
ドラえもんの話の中ではそれはジャイアンというよりスネオですね。
だったらスネオは最強ジャイアンなのかも。
どうも、言葉の問題がありそうです。自己突っ込みという場合、自分に何か非があって(悪い事をして)、それに対して突っ込むといいう意味かと思っていましたが、今改めて読み返して見ると、コンプレックスという意味でしょうか。でしょうか?一番でなければ突っ込まれる。
自己の非を認める(自分悪いと認めなければ)自己突込みが出来ると思えません。
「あんたはそんな偉そうなことを言える様な人生や行動をしているのか!」に至っては完全な誤解です。この言葉からは優位であるかどうかという意味が込められています。ASは相手より優位に立とうなどと思っていません。オンリー1は目指してもナンバー1は目指さないのです。やりたいことを好きなようにやりたいだけのASがそんなことを考える理由がありません。
おそらく、こういうことだと思います。ASは自分が失敗したことを誰かに言います。ADHD的にはこれはあまり考えにくいのではないでしょうか?おそらくADHD的にはそれを聞いたら、自分が失敗したぐらいだからこれは大変なことだったと言っていると受け取るではないでしょうか?ADHD的に言うと、そうでない限り失敗を公言するメリットはないはずです。
AS的に言うと自分が失敗してまた誰かが同じ失敗をしたらそれは無駄です。せっかく自分が失敗した事で得られた教訓が無駄になります。みんなで共有して次に生かしたほうが効率的です。
同じ失敗は繰り返さない方がいいです。
ここまでの自称ASの方々の書き込みをご覧になったADHDの方はおそらく同じことを感じておられだろう。
「ASの人に自己突っ込みについて理解してもらうことは絶望的に難しい」ようですね。
ASの人に努力して頂きたいことは、自己突っ込みについて云々する場合でも、「すべてASの人の容易に理解できるものだけで説明も理解も困難だ」ということです。
文化の違い、脳の違いがあるわけですから、「自分の世界には同じものは存在しないのであるけれど、何か相手の世界に決定的に重要なものがあるようだから、全く未知であるのだが理解しようと努力する」という姿勢です。
これはもちろん逆にADHDからASに対しても必要ですが、ADHDは多くの場合多数派に対してすでにそうしながら生きているので、ASの人にも当たり前に行っています。
「自分に分からないことまで含めたありとあらゆる形で(多数派から)突っ込まれるかも知れない」という厳しい突っ込みを24時間自分に対して続けているというのはASの人には想像すら難しいかもしれませんね。
書いた記事を貼り付けようとしたらまさにYANBARU先生から投稿が。でも投稿します。
このトピックに納得してない方々は、自己突っ込みという観念的な単語で、言葉が一人歩きしてるような感じがしました。
私は、ASの自己突っ込みしてるように見えないところがASって理解できないと思うNo.1くらいになります。
この人には自己を振り返るというモニター機能がないんだろうかと思ってました。
自分のことはさておき、人の批判ばかりして。人の世話焼く暇があったら自分の心配すればぁ、っていつも思ってました。
具体的に言うと、私の行動に口を出す。
私がどんくさいといって怒るけど、自分の方が物を落としたとかで何十万も損失がある。(私は、致命的なことはない)
ファッションセンスや仕事や人間関係に口を出すけど、お前には言われたくないよー、とか。(客観的に見ても私の方がましのはず。)
これの前の前のトピックのコメントを書いてて思ったんですが、
ADHD(ジャイアン?)は、パートナーに対して、例えばダイヤモンドの原石と原
石がぶつかりあって磨かれるような関係を求めてるんじゃないのかなーと思いま
した。
それが、相手がASだと、ガラスと岩石で、ガラスが粉々に砕け散るのが分かって
るのでぶつかれなくて、ぶつかるのを我慢するか別れるしかないってなるような
気がしました。その、ガラスっぽいところ(傷つきやすい)が理由で、あえて自
己突っ込みしない、意識的にか無意識にか都合悪いところは見ないことにしてる
んでしょうか。とも思いました。
ここを読んでると、AS陣はジャイアンのことを、「本当のことを言うとすぐすね
たりふてくされたりするので本当のことをいえない」と思ってるみたいなんで、
まあお互い様なんですかね。(→こういうのが自己突っ込みなんでしょうか。)
あと、知り合いの多分ASの人のブログなんかを見ると、(YANBARU先生関係の人じゃないです。念のため)人や政治や世の中のシステムの批判ばかりしてるんです。私はそんな記事は書けないな~。人の批判できるほどの自分じゃないやと思って。ブログは面白いくて嫌な感じではないし、慕ってる人も多いみたいだけど、私とは違う人種だなーと。
初めて投稿いたします。
YANBARU先生にメール相談をしてからずっとこちらの
HPを拝見させて頂いております。
ASの中にはなぜ自己評価が下がらない方がいるのか・・・
それがこれまでひっかかり続けてきたことです。
後悔するくらいなら最初からやらない・後悔しないなど
の説明はありましたが、いまだに理解できずにいます。
もしよろしければ、今後の掲載に更に詳しいご説明を
のせて頂ければ幸いです。
どうも、なにか、きちんと受け取られていない気がするな。表題からも有るとおり、ADHDからASがどう見えるかという問いかけであり、それに関して本文の内容から、特に自己突っ込みに関してどうみえるかということに関して答えたつもりです。
自己突込みの意味が何かだけど。自分に突っ込むわけだから、自分になにか悪いところがあってそれに関して反省するの意味だと取った。
そういう意味では、純粋なASは自己突っ込みはほぼないけども、周囲との摩擦で自己突込みをする状況が生じると書いた。
そして、それがADHDからみると、ASは「あんたはそんな偉そうなことを言える様な人生や行動をしているのか!」というように見えるということに対して大きな誤解であると書いた。
なるほど、こうやって書いてみると問題点がわかった。やっぱり言葉の定義の問題ですね。
自己突っ込みは=反省ととりました。
AS的には
反省は意味は自分になにか悪いところ(誰かを傷つけた、AS的には嘘をつく事が最大の悪事)があってそれに大して今後どうするか考えることですが、
ADHD的にはYANABARU先生の最初の書込から察するに
反省は、自己中心的な自分が実際に反するところが多いため=相手に何かをさせる事が出来なかった事に対してどうしたらさせる事が出来るか考えること、ジャイアンの部分の突っ込みは一番でなければそれだけで突っ込まれる=一番になるにはどうしたらなれるかをを考えることですね。
続きです。
なるほど。そういう意味ではADHDの方はそれこそ24時間自己突っ込みしているのが理解できました。
それと、そういう意味ならASは自己突っ込みしないですよ。相手に何かを強要したり、ナンバー1になろうと思ってないですから。
そして、責めるの意味ですが、おそらくADHD的には自分に反対するの意味ですね。責めるという言葉は何か悪いところがあって、それを責めるというように使うのが本来の意味だと思いますが、そういう意味ではASは人を責めることはまずないですね。しかし、反対するという意味では反対はしますね。でも、それは別に相手を悪いといっているつもりは毛頭ないですが。
つまり、よく実生活でもある、ASからは批判しただけだのに非難と取られる。と同じですね。誤解してる方がいますが言葉の意味が違いますよ批判と非難は。辞書を引いてください。
そういう風に考えると、どうしてあそこであひるさんがスネオの話を出してきたか理解できるな。直感的に場の流れを指摘したわけだ。
ふう、納得した。
先生の1月の記事「ADHDの自己突っ込み」はわかりやすかったです。
今回の記事は「ジャイアンの部分の突っ込みは一番でなければそれだけで突っ込まれるので、いずれにしても基本的に自分を責め続けることになる」
「自分に分からないことまで含めたありとあらゆる形で(多数派から)突っ込まれるかも知れない」がわかりづらかった。
ADHDはやってると思うんです。この自己突っ込み。
でも自己愛人格傾向に近い自己正当型ジャンアンとなるとどうなんだろう?と思いました。またあまりにも自己評価が下がらない、ADHDの方の場合なども、この厳しい自己突っ込みがあるのだろうか・・?と。
自己愛人格傾向のあまり無い方や、自己評価が下がらない等があまり無い、ジャイアンADHDなら厳しい自己突っ込みする・・と思えば良いのかな??とまた勝手に思ってしまいました。まだまだですね。
あひるさん、初めまして
うまく言語表現出来なくてすみません。
自己正当型ジャイアンADHDのことを決め付けた話でなく、私の知り合った方々の数人の方の共通するところと、先生の書かれたお話の共通点をいくつか見つけて、いつも参考に読ませて頂いています。特に、自己正当型や自己愛などについては、私もずっと感じていたことだったので、これを専門の先生がこうして堂々とブログで書かれてることに、正直びっくりしたのもありました。
私の理解の届かない所もたくさんありますが、先生のブログを読むのは好きです。
私個人の考えでは、人をいくつかのタイプに大雑把に分けて説明するのもわかりやすいとは思っていますが、その人それぞれの特性や個性が当然あるので、大雑把なタイプ分けがあっても、それぞれの個性が更にそこに必ずありますので、こういうタイプの人だからこうであるという決め付けは出来にくいというのが自分の考えの中で根底にあります。あくまでも理解する上で参考なるお話が多いので、先生の記事、コメントなど読ませて頂いています。
よろしくお願い致します。
先生のサイトをずっと見てきて、自分を内省してきて、近頃ASの本質だと思うようになっているのが、ASの感じる世界の均一性と永続性です。
エイトさん
> 「こだわり」がトラブルの原因になっている
自分はこだわりが余り強くないような気がするので正直良く分かりません。でも生活スタイルに関しては、こだわりがあるかな?「こうあるべき」と思う点でのこだわりでしょうか?「こうあるべき」(すなわちこだわり?)は当然のように自分だけじゃなく周囲にも適用されます。身近な人にはそれを求めます(そこがADHDには辛くなると思う)。理論的に論破されれば、「こうあるべき」は引っ込められます(がADHDはきっと、論破などと言う事自体が苦手でしょう)。
> 進む道について干渉されたくないのでmarioさんの考えだと息苦しさを感じます。でもmarioさんは本気で奥様のことを愛しているので、自分の思うとおりに生きて欲しいとこだわるのでしょうか?
「自分の思う通りに生きて欲しい」と思うのではなく「こうあるべきと思うスタイルで共に歩みたい」と思います。「自分の思う」ではなく「誰にでもコンセンサスの得られる客観的真実(と思っているもの)」です。ちゃんと分かり合って、相手と同一の認識を持ちたいのです。これがADHDの方にとって息苦しいであろう事は、今では良く分かります。
> 初めてなのにいろいろ踏み込んだことを言いすみません。気分を害したらごめんなさい。
大丈夫ですよ。私もズケズケと書いてます。ここでは、それをやることでADHDの皆さんの反応(時には反発)が得られて、理解が進みますので。
Whiskyさん
> AS的に言うと自分が失敗してまた誰かが同じ失敗をしたらそれは無駄です。せっかく自分が失敗した事で得られた教訓が無駄になります。みんなで共有して次に生かしたほうが効率的です。
何だか、ここに自分がもう一人居るような錯覚… 先日から、私の考えを書いてらっしゃいます(^^;
ここも、最初に書いたASの感じる世界の均一性と永続性じゃないかと。失敗に関する知識も含めて、知識すら偏在しません。自分の知っている事は、相手も知っているべきなんです。
パパイヤさん
> 人や政治や世の中のシステムの批判ばかりしてるんです。私はそんな記事は書けないな~。人の批判できるほどの自分じゃないやと思って。
これも、ASの世界の均一性と永続性。自分が偉そうに言える立場であるとか、自分には出来るとかじゃないです。世界は、システムはこうあるべきと思えば、そうだと言わずにいられない。
munieさん
> ASの中にはなぜ自己評価が下がらない方がいるのか・・・
ASは均一な世界にいるので、自己評価が下がるって事は自分が存在できない事に繋がるように思います。ここに最初に訪れた際には私は自己評価が下がりかけていましたが、この世に存在できないような思いに囚われていました(今思い返すと自殺しないで良かったと…)。そして、それこそ死に物狂いで、自分のいる世界の網の目を再構築します。
また、後悔するって事は、以前の自分を否定するって事でしょう。ASの永続性からすると、現時点の自分の否定に他なりません。過去、現在、未来に渡って、自分のスタンスを維持しようとします。過去の自分の選択と今の自分の違いには、必然的な理由がある。そう考えることで、自分の歴史を編みなおします。言い換えると取り繕います。もっと悪く言うと、つじつまを合わせます。結果として、後悔しません。
未来に向けてもつじつまを合わせようとするので、それに取り込まれそうなADHDは堪ったもんじゃないかも知れません。
自分で書いてて、ASって大変だなー、ASを関わる人って大変だなーって思います。まぁ、私の考えるASですけど。
すばるさん
こちらこそよろしくお願いします。
>自己正当型ジャイアンADHDのことを決め付けた話でなく、私の知り合った方々の数人の方の共通する~
わかりました。
いろんなタイプがいると私も思います。
私(ジャイアン)の環境は...
父がモラハラ大ジャイアンで私の娘もジャイアン。
自分自身、いいポジションにいるジャイアンかもしれません。
それでもわからないことだらけです。
一緒に勉強していきましょうね。
>そういう風に考えると、どうしてあそこであひるさんがスネオの話を出してきたか理解できるな。直感的に場の流れを指摘したわけだ。
???なんの話ですか?
>>上下関係にはめざとく、強い人には飼犬のように従うわりには、自分より弱いと認識した人へのひどくえばった態度など、相手によって態度や行動、思考まで替わる。
そして、けっこう世渡り上手でもある。
と書いてあったので「スネオだ~」と思っただけです。
ドラえもんの話でそういう役は「スネオ」ではないのですか?
私は書いてある通りにしか読めないし別に意図するところもありません。
私はWhisky さんのコメントは読んでないのですが
文章のなかに「あひる」という自分のニックネームをみつけたので
おどろいています。
(読まずに、だ~っと文章をみていても自分の名前とかには過反応しやすいタイプです)
私は興味がないと文章自体読まない...というか読めない
便利な(?)脳を持っているみたいです。
mario (AS) さんへ
>>>
ここも、最初に書いたASの感じる世界の均一性と永続性じゃないかと。失敗に関する知識も含めて、知識すら偏在しません。自分の知っている事は、相手も知っているべきなんです。
>>>
非常に興味深い指摘です。なるほどですね。
そうなんです。結局お互いの事を究極的に知識を交換しあうコンピューターみたいな感じですね。
もし、仮にASが二人無人島に流れついたら、お互いを語りつくして数年後助けだされたらほぼ同じような考え方になってるかもですね。
それと、ASは自己中心的に見えて、究極の利他的行動を取っていると思いますよ。知識の共有に関してもそうだし、例えば、もし、最愛の人ができたとして何かあったら命の代えても助けに飛び込むでしょうね。
ADHDの人も利他的行動は取るでしょうが、それはおそらく現在までの所、肉親に限られるでしょう。
つまり、ASの利他的行動は肉親をこえて行われるし、ADHDの利他的行動は肉親の範囲ないです。
しかし、ASだと、もし肉親に愛着が無いと見殺しにするかもですね。
このことに関してはとっても面白い事を考えたんですけど、また、いつかの機会にしたいと思います。やっぱり分かり合えたと思えるのはすごく嬉しいです。。
ASは、自分の言動と他人の言動をしっかりみてるつもり。
自己中といわれたらそれまでだけど、自分の中の理不尽な感情が他者にあれば、自己批判などさておき、そこを改めてもらうしかない。自分は悪くない。ASの口癖かもしれないが、本当にそう確信しているのだから、どうしようもない。他人によって態度をコロコロ上手に変えたり、環境によって臨機応変に立ち回れないASにとっては、当たり前のこと。