ASの典型的な積極奇異型や孤立型の人の表面的な特徴は、「首尾一貫して杓子定規に筋を通す」「禁欲的」というイメージだ。だからそうでないASの人は表面上ASに見えないことがある。
例えば同じ服を着続けたり、同じ道しか通らなかったり、日課の順序が決まっていたり、「後悔するくらいならはじめからするな」という考え方をしたり、(特に積極奇異と孤立型の)ASの人はもともと「こだわり」、「関連付け」、「時間認識」から「首尾一貫した」「禁欲的」という外観を呈する。
これが、例えば「最新性能や新製品にこだわる」とか、「ファッションへのこだわり」などの形で、どんどん変化していくことがこだわりの対象になることも時にはある。
また、受動型のASの人は、基本的に状況に合わせるので、他の相手や状況の場合の本人の行動との首尾一貫性はあまり本人には問題にならない。その結果外見的には「ころころ変わる」「享楽的」という風に見えることも多い。
ただこれは根本的に「あれはあれ、これはこれ」のADHDとよく見れば区別できる。ADHDの場合は(AC等を除き)「相手や状況によって変わらない」、「根本的に一貫性がない」ADHDに普遍的な認知と行動の特徴である。
そういう意味ではASは表面上からは「非常に多様」だと言える。 ただそれは、あくまでも表面上の見かけだけから言っているだけで、ADHDと区別して、全体を一くくりにして症候群と考えるメリットは確かにある。
それは私は「特定の愛着の対象となる人に対する支配的な態度」であると考える。受動型ASでもこれがあり、特に受動型の場合には、「それ以外は多数派と変わらないで普通」であるから逆にASと考えることが重要となるのだ。
「中間または合併③前提と結果」でも述べたが、表面上の現れ方でなく、それらの背後にある認知と行動のパターンの「形式」や「前提」のところに(ある人から教えていただいた「予定調和」があるような)基本的な首尾一貫性が通っているかどうかがポイントだと思う。
すいません、質問です。『予定調和』…て何ですか?
何か作業を始める前の準備が苦手です。
特にマニュアルを読んで理解する作業が、苦手で
場当たり的に作業を始めるので、失敗が多いです。
子供の頃は、図工の時間、
友達を違うモノが
できあがってしまうことが多々ありました。
わからないことを理解するとか、
考える作業に費やす時間がイヤなんだと思います。
今日は、手縫いでタンクトップを作ったのですが・・
いつも通り型紙を作らずに
フリーハンドで始めたので
最終的に、シルエットを整えるために一苦労しました。
場当たり的な衝動を抑える。
忍耐、の一言です。
>特にマニュアルを読んで理解する作業が、苦手で
>場当たり的に作業を始めるので、失敗が多いです。
これも、ADHDと紛らわしい表面上の見かけ、ですね。
ASの人の多くに実は『認知上の偏り』があります。
(ADHDにもありますが、その説明を同時にすると紛らわしいので詳しくは省きます)
これはWISC等の心理テストを受けると、自分の脳のどの分野が得意で、どの分野が弱いかがわかります。
ASを含む自閉症スペクトラム障害全体に言えるのは『視覚的認知が優位』ということです。一般的に言われるのが『耳からの情報より、視覚的な情報のほうが理解しやすい』という傾向です。多くの自閉症の子どもへのアプローチに、絵カードなどで指示する『視覚的支援』が有効なのはこのためです。
ASの子どもが、計算だけの問題は速くて得意なのに、文章題になると解きにくくなる傾向も、『文章を読んで、その内容から式を立てることができにくい』からだと想像します。
『説明書を読んで理解するのが面倒』なのはおそらく、そういう情報処理が不得手なためだと思います。だから注意欠陥障害であるADHDが言うところの『面倒くさい』と結果としては表面上似ていますが、背景になってる『認知と行動の裏付け』は全く別のところにあるということです。
もしも説明書が文章でなく、図や写真などで手順を具体的に表記されたものであれば、ずっと理解しやすくなるような気がします。
このように、一見似て見える『場当たり的』へのアプローチも、ASとADHDでは大きく異なる、ということです。両者がどれだけ表面上似ていても区別する意味合いはここにあると思います。