ADHD関連

ADHDに似たAS①ASの注意欠陥

 ASの人にも片づけが出来ない人が居る。結果として表面的にはいかにもADHDに似た外観となる。

 例えばASの場合、自分に関心がないことに対しては「聞いていない」、「覚えていない」ことも多く、ASらしく(自分のこだわりに関連して)克明に覚えている部分との違いが非常に対照的だ。

 特定のものに関心が集中するあまり、結果的に他のものへの関心が散漫になる。「関心自体が根本的に散漫」なADHDとは起こっていることのプロセスは違うのだが、表面的な結果は似ている。

 また片付けに関しては、「完璧に片付けられないから手をつけない」という心理で手がつかないままになる。これもADHDの先延ばしに似てはいるが、ADHDはもともと完璧にしようとは考えないところが少し違う。

 もうひとつ、幼児期から10歳頃までは明らかに多動と注意欠陥があるASの人も多く、子供のときには最初ADHDと診断されていたが後でASという診断になるケースが意外に多い。

 こういうケースも良く見ると、例えば診察室の椅子で回っていても、愛着の対象 である母親の話はちゃんと耳には入っていたりすることでよく見ると区別できる。

 以上のように、外見上注意欠陥があることでADHDと診断すると、基本的にASと区別は難しいことが多く、結局他のポイントでASと診断しなおさねばならないので、私は最初から「愛着」を区別の基準とすることにしている。 


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コメント

    • yurin
    • 2007年 3月 04日

    ADHDの特徴は注意欠陥だと思っているのだけど、それで診断が出来ないというのはなんだか面白い現実ですね。
    片付けにしても『完璧にやろう』という以前に、完璧に片付いた状態がどういうものなのだろうという想像だに難しい。だからとりあえず『すぐにモノが見つかる状態ならいい』。でもそれすら届かないのが現実です。
    『愛着』・・・愛着っていうのも難しいですね。でもADHDは、依存的なACの状態であっても、あまり特定の相手に固執しないで、その代わり交際相手を頻繁に変えるなどという形で依存的であるような気がします。私も結果的にはそうなっていました。ダメな女コンプレックスから『自分なんてどうでもいい』と思ってヤケになっていた部分も、ありましたけどね。

    • tohsan
    • 2007年 3月 04日

    これ、今後、私と妹の関係に、上手く応用できそうです。
    私は今まで、妹も同類(AS)だと思い込んでいた為に
    「理解不能~!?なんでそうなん?」といちいち腹を立ててきました。
    表面上は似ていても、妹がADHDならば、納得がいく。
    妹の言動などなど・・・は、まだまだこれから理解していかねばならないと思いますが、これで私が妹の行動に過反応を起こしてた理由に納得がいきます。
    うちは母も典型的なADHDなので、自身のAS(&AC)に対する理解を進めながら、ADHDの事も色々知りたい。
    片付けに悩めるADHD妻さまへ
    やっぱ、「捨てるんが嫌!」ってのが一番強烈な感情なんでしょうか???
    うちの母は自分では絶対片付けられないけど、他人に頼んで片付けられるのも、実は大嫌いなんですよ。
    勝手に色々捨てられちゃうからなのかな???
    随分前に、引越しの手伝いに来てって言われた事があるけど、行ってみたら、何も手付かず状態。「お手伝い」どころじゃなかった~。笑 
    結局母は何も出来ずに、そのへんをウロウロ徘徊してはりました。
    今は明るくて、天然で、とっても可愛い母ですが(昔は暴力的で超怖かったんよ!)私にとっては、やっぱり謎多き人物です。
    母からは「おまえもな!」って、つっこまれるやろけどね。

    • あひる
    • 2007年 3月 04日

    なぜか今日はここのブログによく書きこんでいます。
    tohsanさん
    >片付けに悩めるADHD妻さまへ
    やっぱ、「捨てるんが嫌!」ってのが一番強烈な感情なんでしょうか???
    私はちょっと違います(かなりかな?)
    まだ使えるのは捨てないだけです。
    すぐになくしてしまうので同じものを買ってしまうこともよくあります。
    (その結果同じ物が家の中にたくさん...)
    それに掃除や片付けは終わりがないので不毛な感じですね。
    片付けてもすぐ散らかるので前向きじゃない作業ということになるようです。
    うちはダンナも娘も片付けられない...
    みんなよくモノをなくす...
    家の中が大変なことになることもしばしばです。

    • まーちんAS
    • 2007年 3月 05日

    完璧な片づけについて
    私の中で、こだわりは2種類あります。
    完璧な片づけ手順(無駄のない手順、煩わしさを感じない)
    完璧な整理整頓(使い勝手が良く、見栄えがよいこと)
    この全てがイメージできないと、手を付けられません。
    手を付ける気がしません。
    手を付けても中途半端になってしまいます(^_^;
    非効率的・無駄なことが大キライ、
    そして横着な人間なので
    とにかく、煩わしいことはしたくありません。
    とにかく効率の良いことばかり考えてしまいます(“–)

    • tohsan
    • 2007年 3月 05日

    あひるさん
    そうなんやね。
    当たり前やけど、ADHDの人の片付けに対する感覚ってやっぱそれぞれなんやね。
    あひるさんが「使えるものを捨てないだけ」ってのは美徳やね。
    それとはちょっと違うんやろけど、うちの母が、欠けまくった急須をボンドで修繕しまくって使い続けてるのは、えらいなあ~と関心してます。
    母の片付けを困難にしている一因に、「溜め込んでいくもの」と「消費していくもの」のスピードがあまりにもアンバランスやからやないか?と思うことがある。
    ものが増殖していく一方って感じがして。
    うちはその収支がほぼ合ってて、ものが増えていかないから、片づけが凄く楽ちんなんで・・・。
    まーちんASさん
    うわ~!全然違うわ。
    手順を含めて「完璧」なイメージって自分の中には無いです。
    コロコロ(粘着テープでごみを取る道具)が好きで、やりだしたらとまらなくなるとか・・・物を並べるのが好きとか・・・そんな感じはあるんですけど。 笑

    • HIKARI
    • 2007年 3月 05日

    「ASに似たADHD」シリーズで、ACを自覚できたことは大きな収穫でした。
    違った角度から見たADHDに、私はすっかりその気になっていました。あんなに熱く語っておきながら、今度は「ADHDに似たAS」・・。
    しかも、また当てはまります・・。
    >自分に関心がないことに対しては「聞いていない」「覚えていない」
    そうなんです。1対1でお話している時も、関心の無い話はただ合槌を打っているだけで聞いてないこと結構あります。
    そんな時の私の返答は「ま~いろいろあるよね・・」と言って聞いていた振りをして誤魔化すしかないです。
    >「完全に片付けられないから手をちけない」という心理で手がつかないままになっている。
    これもその傾向があります。
    「家」の本が好きでよく買いますが、そこに載っている素敵な空間、部屋のインテリアに魅せられます。
    そして我が家・・捨てたい物が結構あります。
    物が無くなればスッキリするだろうと想像つきます。
    片付けも楽になるだろうと想像つきます。
    物があるから片付けを後回しにしている感じです。
    本に載っているような少ない物の生活が理想で、現実は「まず、捨ててから」という思考回路です。

    • thosan
    • 2007年 3月 06日

    HIKARIさんへ
    自分がASかADHDか、毎日凄く揺れておられる心境が、良く伝わってきます。
    私自身には、思い起こしてみれば、分かりやすい(ASとLDの)幼児期の特徴がいくつも在る為、現在、自身がASであるという認識がブレることはありません。
    とは言うものの、自分の子供が自閉症だと分かってからも、「・・・私は違うんだけどもね」って長いこと思ってました。自身の発達障害に気付いたのは数年前です。
    私は自分の脳がコントロールできない事がいくつかあるんですが、現在一番苦しんでいるのは、妹との関係なんです。
    妹の言動が気になってしょうがないのです。
    妹の言動で四六時中過集中をおこしてしまい、その苦しみから逃れたい一心でYanbaru先生にメール相談しました。
    これがまさに「愛着の対象に支配的」という典型的な症例だと思います。
    自分では、妹が気になるとか、振り回されるとか、理解できないとか、そういう言い方ばかりしてきましたが、実は私の方の「支配欲」なのだと、やっと気が付きました。(苦しみの正体が分かって、ちょっと楽になりました。)
    妹がASなのかADHDなのか・・・私の中でも毎日揺れています。昨日は「なんだ、ADHDだったんだ!」と思ったとたんに「いや、これは間違いなくASの特徴だ」と思い直したり。
    HIKARIさんのジレンマが良く分かります。
    ここのテーマとずれましたが、HIKARIさんに私の心境を伝えたくて、こちらに書きました。

    • 月の草
    • 2007年 3月 06日

    「聞いていない」:
    集中して対話している場合は、自分に関係ないことや聞きたく無い話でも、ぜんぶ耳に入ってきてしまってしんどい時があります。でも、それもまちまち。急に意識が遠くなって、話が聞けない時も多いです。人と話していて、何か聞き逃して話がわからなくなり、聞き返すなんてことは昔は全くなかったけど、この頃とても多くなっている。集団の中にいる時には、自分は蚊帳の外的な感覚になり、遠くでざわざわしてる感じ。自分の興味の無い話は覚えてないし、誰かに親しげに話しかけられても、私の方はそれほど記憶に残ってなかったり。
    片づけの動機付け:
    「完璧に片づけられないから、止めよう」と思うことは結構あります。昔はテキトーでも自分なりに困らない程度に片づけてましたが….今は、自分が完璧だ!と思ってやったことも“抜けてる”ことが認識できたので、「完璧に片づけられない」=無駄=止めよう、といういやなスタンスです。
    また、私はなんにつけ道具が沢山必要な人なので、家中道具で溢れ返ってます。“只今整理中”の札をかけた状態が長く続くことも多いかなぁ。
    片づけの完璧度合:
    私は洗い物、掃除が雑(仕事が関わる時は別ですが)。日常は四角い所を丸く掃く、汚れがまだ残っているといって、夫から何度ご指導いただいたか。私は完璧なつもりでも、夫が洗い物をこなした場合の仕上がり具合を見ると、それは歴然としているので夫のいうのが正しいです。夫のする食器の洗浄は特に完璧で、グラスなどは削ってんじゃないかと思うくらい表面がザラザラして、触ると手の油が吸い込まれるような感じ。
    ただ、夫の場合、洗い物を完璧にこなすというのはストレスに感じるのか、衝動性のためなんか、苛々っとしてグラスや茶碗をよく割ります。そのせいか洗い物をやるのはとても嫌みたいで、これだけはやろうとしない。洗い物は完璧にこなそうとしても、頻度が高いし、妥協せざるを得ない点が多い。ところが妥協はできないからやらない、という感じなのかな。
    私は洗い物も洗濯も掃除も、蛆がわかない程度、食品は死なない程度の衛生さ加減が最低ライン(趣味性を発揮している時は別)で、夫の最低ラインのはるか下かなぁ。

    • 月の草
    • 2007年 3月 06日

    tohsanさん:
    > ものが増殖していく一方って感じがして。
    をぉ!言い得て妙なくらいです。お母様の行動パターンと同じ感じです。夫はここまで明確に言葉にしませんでしたが、ずっとそれに苛立っていたようで、買い控えをするようにと、何度も私を殴らんばかりの勢いで苛立ってました。家を整頓しようとすると増殖する日用雑貨もそうですが、冷蔵庫の中身については物凄く怒られていて。私は田舎に住んでるんだから、毎日買い出しに行けないし、ストックが無いと不安、ロスも当然と思ってたんですが、ある時冷静に進言した夫の様子を見て、もしかしたら本当に買いすぎてるかも、、と思って、一度試しに買い控えをするようにしたら、それでも生活が廻りはじめてしまって(苦笑)。
    私はここ五、六年収集癖が増幅しているので、もしかしたら食品も収集してたかも、、とこの頃焦っているところです。農家産直のピカピカ光る野菜ちゃんたちがとりどりに並んでいるのを見るとほんとにワクワクして、食べ切れるかどうか検討する気持ちは吹き飛んで、一揃え買い込まなくてはいられないし、物珍しくて美しい輸入食品なんかも(これは怒られない)。
    > 勝手に色々捨てられちゃうからなのかな???
    それはほんとに混乱します。父は私の物をそのへんに置きっぱなし=不用品、という理由付けをして勝手に捨てる人でした。実家を出たすぐ後に知り合った夫。まだそういうことに深く傷ついていたので、私の物を大切にして、勝手に捨てたりなんて絶対にしない夫が好きになりました。それから「ここにあったはずのものが無い」というのは、自分が“また”無くしたのか?!と、焦ります。

    • thosan
    • 2007年 3月 06日

    「かたづけ」について、息子のことを書いてみたい。
    重度自閉の彼は、ひとつの事が終わると、片付けないと絶対に次の事ができない。出しっぱなし、後で片付けるという事は絶無だ。
    自閉症のひとがシングルフォーカスとかモノトラックといわれるのがその理由で、一時にひとつのことしか出来ないことの極端な一例であると思うし、切り替えが難しいために、前のことを「終わらせる」ことで、やっと次の行動に移れるのだと思う。
    風呂に入っても、最後には栓を抜いて中の湯が全く無くなるまで風呂桶から出られない。
    観ていたDVDが、もしDVDプレーヤーに入ったままだと外出出来ない。
    ADDやADHDの人が、ちらかしたままで、どんどん次のことに興味が移っていくようなかんじとは「対極」だと思う。
    ADDやADHDの人は脳の切り替えも速く、同時に色々な事に注意が向くのだから・・・。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 07日

    thosanへ
    この私の揺れる心情を理解してくださって、ありがとうございます。
    今日は、自分が何者なのか?ずっと考えていました。
    私も結局は「愛着の対象に支配的」であったことで、現在のこの状況が説明がつくことに気がつきました。
    夫からは「A子だけには異常なほど猫可愛がりだった、危険だと思った」と言われてました。
    A子が発する何かを私がキャッチしたような、とにかく「この子は私が守らずに誰が守るの?」という使命感にしがみついたとでも言うのでしょうか・・。
    私が子供の時に親からして貰いたかったことの全てを子供に与えることで、「親」になったつもりだったのかもしれません。
    しっかり育てなければ私のようになる、と強迫的な子育てをしてしまったようです。
    「愛」が結果的に「支配」になり、元々発達障害を持って生まれてきたA子が思春期に破綻したのだと思います。
    thosanさん、そっと私の背中を押してくださってありがとうございました。
    私の進むべき道が、定まった感じがします。

    • 月の草
    • 2007年 3月 07日

    私は妹に物凄く執着か愛着していた時期があります。私と妹は5歳離れています。母は、子どもたちの面倒をあまり熱心に見たがらなかったというか、父が大病を患ったので家計を支えるのに必死で、私は母親の子育ての手伝いを常にし、私が中学生の時になった頃には、妹を叱るのは私の役目でした。母は、妹が何か問題を起こすと「あの子はお姉ちゃんを尊敬している。お姉ちゃんの言うことならあの子は良く聞くから、お姉ちゃんが叱って」といって頼みに来るのです。私は妹との関係を壊したくなかったけど、持ち前の正義感とか、頼まれると断れなくて「そんなことどーでもいいじゃん、」みたいな内容のことでも真剣なフリをして叱っていました。私は子供らしい楽しみは何一つ許可されず、一家の中で中心的な役割を求められていました。
    そのうちに嘘が本気になるみたいな感じで、私は妹に対して支配的に振る舞うことを止めようと思っても、止められなくなっていました。妹は見た目も美しくて愛らしく、未だ損なわれていない自分の分身のようで、私は執着していたと思います。私はこの子を、私が染まってしまった悪から守らなければ、と強く思っていました。それなのに、妹もやはり汚れた世界へ惹かれて行ってしまうのです。
    一方、厳しく育てられた私とは対照的に、母や父から甘やかされる妹が憎かったです。そして、見た目も好みも似ている仲の良い姉妹としてたわいない生活を楽しみたかったのに、結局嫌われる立場に追い込んだ母を恨みました。私に支配的且つ依存的な父、依存的で無責任な母。20才を少し過ぎた頃、そういう家族の変質した関係の中で私は混乱を極めて破綻。分析医の判断で病院に保護されました。これは、愛着から思うように愛されなかったと感じた結果かもしれないですね。
    以降、家族に連絡を取るのを禁じられ、私は実家に一度も帰らないまま、強制的な一人暮らしが始まりました。あの頃、どうしてあんなに妹に支配的になっていたのかわからないし、今ではもう滅多に会うこともありません。でも、妹に支配的だったことは確かです。私は、生活歴ではADHDのようですし、お話下さったthosanさんの息子さんの様子を考えると、手を広げすぎて中途半端になりがちな私とは反対のようですが、ずっと忘れていた妹のことを思い出したら、わからなくなってきました。私はASなのでしょうか?

    • HIKARI
    • 2007年 3月 13日

    娘のことを書いてみます。
    確かに幼少期は注意欠陥や多動もありました。今は、注意欠陥と衝動性が目につきます。
    見かけはADHDの様ですが、実は私は、娘から「愛着」を持たれていることを強く感じています。
    現在入院中ですが、私に面会に来て欲しいと頻繁に電話がきます。一時期、私は娘の要望の全てに応えて完全に「支配」されていました。
    娘と話をしていると、「お金と愛情」が密接に関係しているようで、お金の掛かる要求が多く、かなり散財しました。
    ドブに捨てるようなお金の遣い方もたくさんしました。
    高校を中退した自分にどれだけお金をかけてくれるか?見捨てないか?が娘の関心事で、それに耐え忍んだ私に「安心」しているように見えます。
    「これではいけない」と気がつき始めたような言動もあり、変わろうとしている姿に、喜んでしまう私です。(変わるときにはまたお金が掛かるのですが・・。)
    しかし、夫から見ると、「あなた方の距離感が変」だと言います。
    物理的に距離を置いて、遠くから仕送りしながら見守っていましたが、いろいろな理由をつけて結局、地元に戻って来る選択をしました。これが正しい選択なのか、分かりません。
    本人の希望なので、尊重しようと思います。
    因みに、幼少期の行動はASです。
    この子も小学校にあがるまで、ベビー布団をどこに行くにも持って行く子供で、大きさが問題で結構苦慮しました。痛みに鈍感もあります。驚くようなエピソードはたくさんあります。野生児の様に遊んでいました。(怪我が多く、部分麻酔の外科手術で一度も泣いたことがない)
    現在の私の心境は、「うまく自立して自然に離れていってほしい、私も自分の人生を生きるから」というところです。

    • tohsan
    • 2007年 3月 14日

    HIKARIさん
    ADD,ADHDと診断されている方の幼年時代に、AS児的な現象が微妙に混じっている(ように見える・・・。)
    これは、このブログに初めて来てから、頻繁に感じることのひとつで、非常に興味を持っています。
    私にもお気に入りの、ボロボロになった「枕カバー」あって、それは絶対洗濯して欲しくないものだった。
    母には「洗濯せんとって!」と何度も懇願していました。
    洗濯されるとゴワゴワしてしまって、またクタクタにするまで時間が掛かり、悲しくてしかたなかったです。
    あの枕カバーは私にとっては本当に本当に大切なもので、自分の分身のような存在だったです。
    いつ、どうやって「卒業」したんだろう??
    記憶がありません。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 14日

    thosanさん
    エッ?そうなんですか?
    難しいですね~~。
    ADHDと診断されても、よく見ればASだったりということしか頭にありませんでした。
    thosanさんも大好きな枕カバーがあったのですか~。
    なんだか嬉しいですね。
    月の草さんの「ドブ板の数」が私とピッタリだったので、ASではないかなと思ったのですが、あれだけで判断はできないのですね。
    因みに私は目標地点を決めて、「あそこまで何歩で行こう」と大きくジャンプしながら帰ったりしてました。
    ドブ板のリズムが狂うと残念だった思い出があります。

    • あひる
    • 2007年 3月 14日

    >私にもお気に入りの、ボロボロになった「枕カバー」あって、それは絶対洗濯して欲しくないものだった。
    母には「洗濯せんとって!」と何度も懇願していました。
    洗濯されるとゴワゴワしてしまって、またクタクタにするまで時間が掛かり、悲しくてしかたなかったです
    これものすごくわかります。
    私も手放せないタオルケットがあって洗濯したらゴワゴワしてイヤでした。
    クタクタで柔らかい感じがいいのにというのも一緒です。
    (実家は柔軟材使わなかったからなぁ...)
    確か名前まで付いていたと思います。
    >いつ、どうやって「卒業」したんだろう??
    記憶がありません。
    そうなんですよ~私も。
    でもどこかにいってしまうと、どうでもよくなるのは
    ADHD的だなぁ~と思います。

    • あひる
    • 2007年 3月 14日

    HIKARIさん
    >私が子供の時に親からして貰いたかったことの全てを子供に与えることで、「親」になったつもりだったのかもしれません。
    しっかり育てなければ私のようになる、と強迫的な子育てをしてしまったようです
    なんとなくわかります。
    娘は私にそっくりで気持ちがわかりすぎて注意できないこともあります。
    娘が自分みたいになったらいけないという強い気持ちもあります。
    具体的に今実行しているのは必ず言語で伝える
    自分が親(大人)にされて理不尽だったことはやらないことです。
    ここのブログの12月のエントリーに親と子の相性があるので私と娘を当てはめて考えたりしています。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 14日

    あひるさんへ
    私も大人にされて理不尽だったこと、あります。
    どうしても、私は小学校の担任の先生からの理不尽な対応が忘れられませんでした。
    よく立たされていました。(私が愚図だったからでしょうけど・・)
    ちょっと複雑ですが、この先生の娘さんと私の姉が親友でした。仲の良いライバル同士でした。
    そのせいもあって、母に助けを求めても、母は私をなだめるだけでした。本当は、先生に抗議して欲しかったです。
    こういう下地もあってか、子供に惨めな思いはさせたくないと思っていました。
    それとどうしても、この子は小さい頃から不思議な何かがありました。守りたくなる何か・・。
    反省しますが、上の子には冷たかったかもしれません。
    淡々と育てていたと思います。自分のことは自分でできたこともあったからでしょうけど。
    その分、この手の掛かる子供に執着してしまったと思います。つい、守りきれなくなって、言語で否定してしまったこともあります。
    あと思いつくことは、ただでさえ大変なこの子が、私の知らないところで、大変な目に遭っていたということです。
    このことは伏せていましたが、この子が崩壊し始める引きがねになりました。
    親として、これからできることは何だろう?
    それが知りたくて、ここにいます。
    あひるさんにも、大好きなタオルケットがあったのですか?しかも、名前付き?私の「枕ちゃん」みたいですね。

    • tohsan
    • 2007年 3月 14日

    あひるさん
    >私も手放せないタオルケットがあって洗濯したらゴワゴワしてイヤでした。
    クタクタで柔らかい感じがいいのにというのも一緒です。
    (実家は柔軟材使わなかったからなぁ...)
    確か名前まで付いていたと思います。
    おお!そうですか?!
    そうなると、これはAS児特有の特徴ではなくて、発達障害児には広く見られる現象なのか?私がADHDか?もしくはあひるさんがASか・・・??
    ますます、興味は尽きないですね。
    情報が増えて嬉しいです。
    >>いつ、どうやって「卒業」したんだろう??
    記憶がありません。
    ここですが、
    あくまでもこれは、私の息子(自閉児)の例ですが、ある日突然、本人にしか分からない、何かの理由で、愛着の対象を卒業します。
    何年間も四六時中エルモの人形を持ち歩いていて、勿論寝るときも一緒、園に行くときも、実は小学校に上がったときも肌身離さずに登校していたのですが・・・もう、突然だったですけどね。ある日を境に。
    一切、触らなくなりました。
    もう、見向きもしないってかんじ。
    親としては、ホッとしましたが、おいおい、じゃあ、あれは一体なんだったの?と非常にびっくりしました。
    >そうなんですよ~私も。
    でもどこかにいってしまうと、どうでもよくなるのは
    ADHD的だなぁ~と思います。
    だから、私の場合はADHD的にどこかにいってしまって、どうでもよくなったのか、何らかの理由で卒業したのかは、ちょっとまだ思い出せないですね。
    ただ、母が「きたない!」といって、しきりに怒っていたのを憶えているので、捨てられたのかも知れない・・・。
    だから、どうでもよくなったのでもなく、自分で卒業したのでもなく、なのかもです。

    • あひる
    • 2007年 3月 15日

    HIKARIさん
    >それとどうしても、この子は小さい頃から不思議な何かがありました。守りたくなる何か・・。
    ちょっと違うかもしれませんが私もそうなんです。
    うちのチビ娘も不思議ちゃん。
    守りたくなる何かというのは私の場合は私に激似だからなんですが...。
    >大好きなタオルケットがあったのですか?しかも、名前付き?私の「枕ちゃん」みたいですね。
    確か名前付いてました...(なんだっけ?すっかり忘れてる)
    肌触りが気に入っていてよく触ってましたよ。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 15日

    あひるさんへ
    >守りたくなる何かというのは私の場合は私に激似だからなんですが・・・。
    激似ですか~~。
    私の場合は、顔が激似ではなくて、内面の激似みたいな・・。
    何て表現したらいいんだろう・・。
    とにかく、他の子供とは違っていたのです。
    私の目から見ただけでなく、他の方からも心配される・感動される・誉め言葉として「一風変わっている」と、言われました。また、嫌われもしました。
    「独特な個性」というか・・。口数は少ないけど、やることがデカイ。
    小さい頃のエピソードを幾つか揚げると
    ◎雨の日に、大きな水溜りができました。
    他の子は、水溜りを避けて通りますが、我が子はゴロゴロと水溜りに入って行って、頭から泥だらけです。
    その楽しさを覚えた我が子は雨が降ると、またその水溜りに一人で行って、存分遊ぶ。
    それを見た方から「またやってるよ」と電話をいただく。
    長靴の中も、泥水でチャプチャプ・・。
    「〇〇ちゃん、きたな~い!」と同年代の子供から避けられた。でも、本人は、どこ吹く風・・。
    やりたいことは、やるタイプ。
    ◎大型店で迷子になった。
    2歳~2歳半位のことだったと思う。保護された時のは食品売り場。大きな買い物カートに好物の物が山ほど入っていた。幸せそうだった・・。
    サービスカウンターの方に平謝りで私は、責任を持って私は全ての商品を元の場所に戻した。
    あと怖ろしい程の絶対音感があった。音楽教室の先生から不真面目だと嫌われていたが、絶対音感で高得点を取り、特別コースに入った。先生はどうしても、特別コースに入れたくなかったようだが、本人が行きたがり、泣きじゃくり、結局試験を受けたのだが、意地悪なほど難しい和音が出題された。♯・♭がたくさん入っている和音、しかも4つの音を下から正確に答えられた。
    これは、私もビックリしました。一体どこで??と。
    先生も、目が血走ってました。
    このコースに入ってから、かなり優しい先生に巡り会えたが、やはり、「他の子のやる気を失くす発言をして困る」と呼び出されることしばしば。
    不思議振りのエピソードはまだまだありますよ~。
    あひるさん・・名前付きのタオルケット・・あやしいな~~。
       

    • あひる
    • 2007年 3月 16日

    tohsanさん
    >私がADHDか?もしくはあひるさんがASか・・・??
    面白いですね。
    来週久しぶりに診療日が来るので主治医にきいてみます
    ADHDにもAS的なところって普通にあると思いますよ。
    でも生活する上でなにに1番困っているかでADHDということになるような...
    普通の人たちにも自閉ではないのに「こだわり」があるようにね。
    >あくまでもこれは、私の息子(自閉児)の例ですが、ある日突然、本人にしか分からない、何かの理由で、愛着の対象を卒業します。
    うちの息子もこだわりがうつり変わります。
    (うちの息子も知的障害を伴う自閉症で療育手帳の判定はA1です)
    小さい頃は紙を細かく千切ったり、必ず左足で駐車場の数字を踏んだり
    数えるときりがなく、またすごく目立ちました。
    長袖が半袖に変わるだけで大パニックだったし。
    大きくなるとそういう強いこだわりからのパニックより
    キレやすいほうが気になりますね(思春期?)
    キレるのは今までのパニックとは質が違います。
    エラーばかり...なかなか反映されないですね

    • あひる
    • 2007年 3月 16日

    HIKARIさん
    私も娘とは性格が激似なんですよ。
    顔も小さい頃の私と似てますが。
    だから尚更なんとかせねばという気持ちになるようです。
    うちの娘は絶対音感があるかどうかわからないけど
    耳はいいですね。
    鼻歌が「威風堂々」だったり「ボレロ」だったり
    どこで覚えてくるのかびっくりします。
    (保育園でかけるような曲ではないような...)
    この前の胴体着陸の飛行機をみて
    千秋先輩(のだめカンタービレ)の音楽だぁー
    といってレクイエム(怒りの日だっけ?)を口づさんでいました。
    クラッシク好きみたいなのでピアノを習わせたいのですが
    先立つ物と娘がおとなしく座って習うかが問題です。
    >あひるさん・・名前付きのタオルケット・・あやしいな~~。
    あやしい!!見た目も十分あやしいです。
    怪しいでなくて妖しいだったら嬉しいですね。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 17日

    あひるさんへ
    何故か発達障害の方はクラシックが好きなような気がします。
    私も何故か、小さい頃からクラシックが好きでした。
    チャイコフスキーの「くるみ割り人形」が好きでした。
    それにしても、保育園児が「ボレロ」ですか~~?
    凄いですね!
    なんか、才能発揮するかも・・。
    来週の診察時のドクターの見解、興味深いですね・・。

    • tohsan
    • 2007年 3月 17日

    あひるさん
    なんか、息子さんとうちの子、似てますね~!
    うちもA1だから発達度合いは同程度ですしね。
    半そで長袖・・・。分かる分かる!
    ドライブもそうだし、その他の交通機関も好きですが、・・・うちも交通費は半端じゃないですね。(泣)
    空港マニアだもんで、近場の空港のみならず、あっちこっちの空港にお供させられてます。
    その辺の空港ではちょっとした「有名人」です。
    実は私の中でもADD?AS?ってかんじる特徴は両方あって、どっちで困ってるかっていうと・・・断然AS系ですね。
    何に一番困ってるか
    ・・・なるほど、こういう考え方は常に必要ですよね。
    パニックとキレるってやっぱり違いますか?
    もっと「怒」がはいるんやろか?
    キレるっていうと、何かが引き金になって「カチ~ン」とくるっていうかんじやから、いつもの「パニック」と違ってもっと「なんで?!なんでキレてるん?!」っていう突然感があるのかな・・・?
    私も思春期は色々やってたから・・・当然、うちの息子も、・・・色々やるでしょうね。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 17日

    なんだか私の父親、80近いですが今更「AS確定」みたいです。(笑)
    この父親は、車が好きで子供の頃から夜のドライブに誘われました。(だから私、勉強する暇も無かったのか?)
    私も、どこにでも付いて行って、父親のことが好きだったことを思い出しました。父をヒーローだと思っていた気もします。(そういえば、姉は同行しなかったな)
    そしてこの父は、未だに「飛行機」が好きで、車で30分かかる空港まで今も頻繁に見に行っているそうです。母がそれに付き合ってます。
    子供みたいだな、と思っていましたが、何か理由があるような気がします。
    父は「飛行機」を見るのは大好きですが、乗るのは何故か大の苦手です。
    数年前、一緒に搭乗したとき、とても緊張していたのを覚えています。
    あ、もう一つ、私の子供が小さい頃、「孫」にあたる我が子をドライブに連れて行ってくれましたが、行き先はいつも「電車の見えるところ」でした。
    子供は電車が好きだと思っていたのでしょう。
    というか、自分が見たかったのか?

    • yurin
    • 2007年 3月 18日

    HIKARIさんのお父様、ほほえましいですね~。
    こういうエピソードを聞くと、ASって悪くないかも~と思ってしまいます。勝手ですね。しかしお母様はそれなりに大変だったんでしょうか?ちょっと、聞いてみたいような気がします。
    多分、・・・『自分が電車を見たかったから』連れていってたのだと、私は想像します(^^)

    • HIKARI
    • 2007年 3月 18日

    yurinさんへ
    おそらく私の父はASであると思われます。
    タイプもあるのでしょうが、私の父の場合はゴルフと共の人生なので、殆ど家にいなかったと言っても過言では無いのです。「ゴルフウィドウ」という言葉がありますが、正に母はそれのようでした。
    その距離感に、寧ろ母は救われたのかも知れませんね。
    母は母で、買い物が好きな人で、「散歩」と称してデパート巡りをしてました。
    そう言えば父はデパートが嫌いなので、母と一緒に買い物をするなんてことはありませんでしたね。
    お互い、「自由」だったような気がします。
    ただ私も感じることは、父はセカセカした感じがあります。
    例えば、食事をしている最中に、空いた食器を下げ始める。
    それが自分の食器でなくても、下げたがるんです。
    食べてる方は、ゆっくりできない感じがあって、そういう行動を母が嫌がってました。
    これが問題となるのは、「盆と正月」です。
    滅多に実家に行かない私ですが、盆と正月くらいは家族連れでご馳走になりに行きます。
    が~、酒を飲めない父は、宴会の席でもい空いた皿を片付け始めます。
    「ちょっと、まだ下げないで」と毎回、言ってしまいます。
    宴会が盛り上がりません・・。
    本人は気を遣っているつもりなのですが、酒飲みの我夫は、不満を残すようです。
    「お前の家に行っても、飲んだ気がしない」と言われます。

    • F
    • 2013年 8月 17日

    実家にいた頃は、「部屋が汚い」と両親によく怒られました。
    私の言い分としては
    どこに何があるかわかっている(=整理整頓する必要がない)
    自分の部屋が汚くても誰も困らない(=掃除する必要がない)
    なのです。
    ずっと机の上に置いてある空き缶が「金物ゴミ入れ」だったりします。
    両親が勝手に私の部屋を掃除し始めることもありました。
    勝手に掃除した挙句怒るので「勝手にやっておいて怒るなんて意味がわからない」と感じていました。
    他にやること・やりたいことがあると、掃除は後回しです。(掃除しなくても死なない)
    たまに自分で掃除をすると、夜中まで(10時間以上)掃除していました。
    自分で買ったものは、使い道も、置き場所も、捨て方も、決まっているので問題ありません。
    一番困るのが「もらいもの」です。(ストレスですらある)
    明らかに好みじゃない(いらない)ものでも、捨てるわけにもいかず、中途半端にそこら辺において、そのまま何年も埃をかぶっている(食べ物の場合は賞味期限が過ぎる)はめになります。
    子供のころはお年玉のポチ袋の処分に困りました。もう中身がなくても何だか捨てられなかったです。年賀状の処分にも困りました。
    最近気づいたのですが、私は掃除ができないわけじゃないみたいです。
    家族から「掃除ができない」と言われていたので、自分で「掃除ができない」と思い込み、「もったいない」と言われてきたので「まだ使えるものを捨てるのは悪いこと」と刷り込まれていただけでした。
    今、一日に一ヶ所ずつ掃除する方法で、それとなく生活できる状態を保っています。
    (夫の部屋は放置。物が廊下にはみ出してきたときだけ、注意しています)
    実家と違い、私が家の状態を「仕切れる」(自分がいらないものを買わない、置く物や場所を選べる)というのも大きいですし、「家事=仕事」と捉えているのもあるかもしれません。
    もらいものに関しては、
    「私は、誰かにあげたものをいつまでも持っていてほしいと思っていない(あげただけで満足している)」「きっと相手もそうだ(どう処分しようが私の自由)」
    と気づいてから、誰かに譲ったり、捨てられるようになりました。
    年賀状の類は、スキャンしてHDDに保存し、ハガキを処分しています。

    • さーこ
    • 2013年 8月 18日

    体調が悪くて実家に引きこもっていた頃は、家族に対するいろいろな申し訳なさからか(働いていない、お金がない、体調が悪くて家事の戦力にならない、拒食に近い少食すぎて料理を作ろうと考えるだけで気持ちが悪くなり(吐く感じ)、家族のための料理も作れない等による落ち込み)、年末の大掃除でも自分の部屋より家族が共有するリビングなどを、真っ先に優先して掃除したり片づけたりしていました。
    一人暮らしを始めて2か月近く経ちましたが、私の場合、「家は私の相棒」という、個人的な抽象的概念を持つに至りました。
    鍵さえかければ、雨や風、強い陽射しなどから私を守ってくれる、私が定期的に目を配り(近視眼的な把握も時に大事だけれど、なるべく大きな視点を持つように家の状態を把握することに努め)、手をかけ(なるべく大きな視点をもって片づけをし)、手入れ(ポイントを押さえた掃除)をすれば、その行為に応えてくれる、言葉を喋らず動かない私の相棒、です。
    人から聞くところによると、「(一人暮らしの)家は、(自分の思うままにできる)自分のお城」という風に言う人もいるようですが、私はなぜかそうは思いませんでした。
    それどころか、私が家の状態を「仕切れる」、とも思いません。
    最近は自分のお給料で、念願だった電子ピアノ(練習用のキーボードタイプ)を購入しましたが、家が私の相棒その1なら、ピアノは私の相棒その2です。考えながら定期的に触れると、新たな発見があります。
    一人暮らしを始めて、「暮らす」、ということを、最近はよく考えています。

    • F
    • 2013年 8月 23日

    昨日の出来事。
    夫が、自分の物がないと探し始めました。
    私「○○にあるでしょ。放ったらしにしてたやん」
    夫「見たけど、なかった」
    私「あったってば」
    夫「ないよ~!Fがどこかに仕舞ったんじゃないの」
    私「知らないよ。だいたい、どこでも置くなって言ってるでしょ」
    私が最後に見た場所を探したら、ちゃんとありました。
    私「あるやんか!」
    夫「すごい!探偵みたい!」
    私「持ち上げてごまかさずに、ちゃんと探せ!」
    ***
    私にも「自分が家を仕切っている」という感覚はありません。
    自分の家の片付けについて、わざわざ「仕切る」なんて言葉を使うのは適切ではないと思います。
    ただ、外(他人)から見ればそう見えるでしょう。
    (「家具のイメージを自分の好みに統一したい」「部屋を離れるときはエアコンを消して」「ここに物を出しっぱなしにしないで」etc.→言われた方は「仕切られている」と感じても不思議ではない)
    (続きます)

    • F
    • 2013年 8月 23日

    (続き)
    今、私は簿記を勉強していますが、簿記を選んだのは何となくではなく、以前していた仕事の中に、それに近いものがあったからです。国へ交付金を請求する仕事がありました。
    役所全体の電気代を課で割ったり、人件費(退職給付金積立など)を人数で割ったり、仕事を兼任している人がいればその給料を業務の割合で割ったりして、数字を積み上げていきます。
    「1年でこの仕事にこれだけお金がかかりました。基準額を超えたので、交付金を満額下さい」と国に請求します。
    この作業は数字ばかりで正直面倒なのですが、結構好きな作業でした。
    数学大嫌いな私が、何故この作業が好きだったのか考えてみると、自分がすべてを知っている(明らかにしている・把握している・説明できる)のが心地よかったのではないかと思います。
    ASは細分化だとよく書かれていますが、昔のコメントを読むと「全体を把握したい」と言う人も結構いて、私にもその気持ちはよくわかります。
    「(それが狭い分野であっても)全てを知り尽くしたい」「美しく閉じている(完結している・整って収まっている・理解し尽くしている)世界が好き」なのかな、と。
    その対象が、物であれば「知り尽くした人」に(他者からは)見え、人であれば「支配的」「管理体質」に(他者からは)見えるのではないかと思います。
    昨日の出来事で言うなら、夫から見て私は「物の在りかを把握している人間」であり、「定位置に片付けろとうるさい人間」になります。

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