年頭に当たり、やり残しつつ先延ばしにしていたことを掘り返してテーブルの上に並べなおす作業をしながら、昨年を振り返り今年の過ごし方を考えている。
一昨年の暮れ頃から私の「ジャイアン」についての考察は一年に及び、私が臨床的にイメージするある類型についてはある程度の輪郭ははっきりしてきた。
本年は昨年先延ばしにして手をつけ切れないで来た「ある程度学問的にコンセンサスを得られる形に整理する」という作業を行うとここで明記して、先延ばしできないように自分を追い込んでおこう。
一番抵抗があるのは実は文献検索とその勉強だ。「特に海外の文献は無限にあるように思えてきて、英語にも自信はないし、***」というのが私のこれまでの言い訳だった。
これから少しずつ考えて行こうと思っている「ADHDもスペクトラム」という論点と、「中心志向」や「関連付け」、「自己突っ込み」、「非言語的なやり取りの重要性」などの観点から多軸的に成人発達障害を分類する作業は、もはや私だけの「自説」を唱えるだけでは世間を混乱させる結果にしかならない可能性がある。
私がこれまで考え続けてきた「ASとADHDの違い」は、形式的な単なる「物差しの違い」、または「次元の違い」だけではなく、脳の働きのひとかたまりとなった「本質の違い」があるように感じている。その内容を出来るだけ明解に表現することがこのブログにおける私の本年の目標だ。
私は特にお返事はしませんけれど、コメントはいつも非常に参考にさせて頂いています。出来れば具体的な実体験の書き込みを期待します。私自身はこの具体的な体験を思い浮かべる中から新しい発想が浮かんでくることが多いので。
本年もよろしく。2009年 元旦 YANBARUこと後藤健治
明けまして、おめでとうございます。
昨年はこのサイトから学ばせていただけたことが多くありました。
先生ありがとうございました。
コメントをくださった皆様、ありがとうございます。
今までの私は何をしても、トラブル続きでした。
トラブルのメカニズムが解っていなかった(勘違いばかり・・)と気がつくことができました。
今までの私はトラブルを回避することも、予想することも出来ず、増長させて生きてきたと思います。
このサイトを知って【何が原因だったのか・想像の手掛かり】を得て、不安がほんの少し減ったと思っています。
今もリアル世界ではトラブルを抱えて完全回避する事が出来ずにいますが、それでもAS夫と供に、半歩ずつ進めるようになっています。
今年もこちらのサイトに参加させて頂きたいと思っています
よろしくお願いします。
先生、皆様に今年もより良い年でありますよに・・・
先生の日記で私の所信表明を書くのもなんですが。
推定ADHDと思われる現パートナーと、前のパートナーとの間に生まれた(これも推定ADHDと思われる)娘とが、両方とも聞き間違えが激しく、聞き間違う傾向がどうも似てるので、そのへんのパターンを割り出して、こちらから高度に推定できるようになりたいと思っています。
(そうすることで、会話の中断のイライラを緩和するのが目的です)
今年もよろしくお願いいたします。
私の今年の目標は、自分の一番嫌な所を受け入れ、認め、それと付き合っていく・・・と言う事です。
私自身、嫌いな所ばかりで、
でも一番嫌なところは、自分の性格でもなく、又、発達障害の事でもなく(この部分ももちろん嫌なところですが)
そのほかに自分ではどうしても直す事が出来ない、体のある一部分に以上に汗をかくという、
変わった体質なのではないか・・・と、今日の朝、ふと思いました。
それを自分で受け入れていく事は、人にカミングアウトしていく事・・・かなとも思います。
汗・・・ですので・・・
人から見えてるわけで、たぶんわかってる人は、たぶんわざわざカミングアウトなどしなくても、わかってる事だと思います。
でも、それをあえて自分で言うことにより、自分を受け入れていく事になるのかな・・・と思います。
人に言う事によって、別にそんな事関係ないよと思う人もいれば、気持ち悪いから近寄るなと思う人もいると思います。
今まで、私は、きっと、後者の考えで、自分のことを見ていたのかもしれません。それは、汗の事に限らず、自分の性格やら自分の発達障害の事まで・・・
どうして、自分のことをこんなにも受け入れることができないのだろう・・・と今まで、ずっと自分のことを責める自分がいました。
きっとこれは、母親の育て方のせいだと、思ってきました。
もちろんこんな体に又こんな脳みその私を産んだのは、両親せいです。
又、このような私でも、もしも肯定的に私を受け止めてくれるような両親の元で育っていれば、今のような自分大嫌いな私にはきっとなっていなかったかもしれません。
でも両親から言わせれば、私がこのような体、脳みそを持ちこの世に生まれてきたのは、紛れもなく私自身のせいでもあると思うのです。母は小さい頃から、私に「勝手に生まれてきたくせに、偉そうな事いうな」と言ってましたので・・・
あぁ・・・年頭から、又、愚痴になってきてしまいました。
自分が何を言いたいのか又わからなくなってきてしまいました。
そんな自分を、自分で丸ごと受け入れる・・・ってのも、私なんかにとっては、しょせん無理な事だと、思えてきました。。。
すいません。新年早々お騒がせしました・・・
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
正月早々こどもが塾帰りにいじめにあい、いじめの張本人を聞き出して相手方にどなりこもうとしていた小生と多数派の嫁こどもの間で喧嘩になり、結局小生が引き下がりました。
「納得はできない。でも君たちが困るのなら我慢する」これが最後に嫁こどもに伝えた言葉です。
YANBARU先生の「多数派を観察すること」が参考になり、冷静になることができました。ありがとうございました。
今年もお元気でご活躍くださいませ。
去年は、先生のページに出会えて、数十年の井戸の中から抜け出せそうです。外を見れるようになったのも先生のおかげです。本当にありがとうございました。今年も楽しみにしています。どうぞ健康に気をつけてご活躍されてください。影ながら応援しています。
さきほどのこどものいじめに関しての多数派の嫁こどもと小生の喧嘩の顛末ですが、あとで「あれはやっぱり丸投げやったんかなあ」と思いました…..
こちらで意見を書かれている、自分を省みられている方々とはタイプが異なるような気がするのですが、自分の不安を日々依存で吹き飛ばして全く疑問を感じないで生きていく私のまわりのジャイアンを見て思うのは、ジャイアンは本当は集団で生きるのがすきなのかなあと。
私のそばには、仕切るのが好きなジャイアンとその仕切りで楽に生きるのがすきな依存型?ADHDタイプが固まってます。この両方が、本当は相手にたいした執着はないのですが、依存したりいばったりを文句言われることなく堂々とできるので、家族親族という名の塊になっています。
でもほめたり、お金を稼いだり貯めたりは苦手なので、その要員としてASを連れてくる(全く彼は自分の状態に気づかないので最適なのです。時々あまりの搾取に体を壊したりするのですが)。
まるで釘を使わずうまく組み合わせるだけで倒れず立っている組み木細工のような集団です。
そこにいるのは文句も言われず依存に逃げられるのでパラダイスみたいです。少しでも疑問を持つ人間は大変な状態に陥りますし、そんな人がでるとすぐ崩れ始める塊なのですが。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
実家以外、メールは来ますが誰にも必要とされないいつものような年末年始でした。こういう書き方をしますと、私から何もしなかったのか、自分からメールも年賀状も出さず人が必要としてくれなければ家の片付けもしなかったのかと見えそうですが、ギリギリしました。
本当に自由なこういうときに、誰に従うかというと、恐い人や、“帰ってこい”と具体的に要求する人なのです。受動ASのさがですね。
もちろん親は恐い人ではありませんが。・・・嫌な書き方ですね。
以前の記事で相談させて頂いた件は、私も含めた皆で蒸し返さずに無視したため、私は暴れずに帰ってきました。
問題は今後、次ぎに誰かが倒れたとき、非常事態になったときに私に適切な指示が下るかどうかなので、私の大嫌いな環境“誰がリーダーか分からない煩雑な状況”にならないように、いかに私から先回りして質問を発信できるかどうかだと考えることに、今のところはしています。
「誰が次のことを決めるの?」
「その連絡は誰からもらえばいいの?」
「連絡が来なかったら私からどんな方法でしたらいいの?」
「私が自分で決めていいことは何と何の中ではどれ?」etc・・・。
後々、後付けで何かを私のせいにされるとまた暴れなくてはならないので、答えが来るまで聞き続ける。人の邪魔にならないように身を引いて黙っていることは返って家族達の迷惑だと認識し、闘う覚悟で聞くことだという結論でいます。
続けます。
続きます。
私にはたぶん非常事態には感情に浸る暇は無いでしょう。
家族にカミングアウトをして情報公開した強みでもあり、頭の悪い人間の宿命だと自分で解釈しています。(親から「自分のバカ呼ばわり」禁止令が出ました。たぶん姉弟喧嘩以外では、親の前では使わないでしょう。)
第三者から見たら、近しい人間にパニくることを許さないように見える、自己中心で支配的でひどいやり方です。
聞かれた人間が
「それは誰々と相談して決めるから待ってて。」
「今考えてるから待ってて。」
「自分で聞きに行っていいよ。」
などと答えられれば良いものの、誰もが必ず冷静な受け答えができると限らないから非常事態なのです。
私は、人に聞いても聞かなくても迷惑をかける人間です。
精神的に過敏な上、不注意で動作性能力欠如のため仕切ることもできず、頭も体の動きも遅くて考えると膨大な時間を潰し、人に聞かないと状況理解が正しくできない、その場その場で正しく動けない人間であるがゆえです。
誰かに何かあるたびに、後で迷惑をかけるか、聞いて迷惑をかけるかを選ばされ、罪を重ねる人間なのです。
続けてコメントする形になってしまい、すみません。
探し出さなくてすみませんが、夏頃の記事で、人との関わりが上手くいかない欲求不満による症状をコメントしました。
肩こり、首こり、歯磨き不十分による歯茎からの出血等の他、聴力にも影響が出てきてるみたいなことを書き、ご心配をかけましたが、これは間違いでした。昨今できた症状ではありませんでした。
気にしすぎかもしれませんが、いくら自覚症状のイメージで頭が一杯になっていたとしても、見苦しくどちらかというと依存的な文章でご迷惑を掛けたのではないかと少し気になり、つい覚えていてしまいました。
こういうことをもんもんと再燃させ、気になって仕方なくなってしまうのも、年末年始休暇の贅沢な副作用かもしれません。
ところで、副作用ついでですが、外国のコーチングサービス業についても考えていました。文献で目にしただけで詳しくは知りませんし、今優先課題を山のように抱えている日本でもいつか実現するともまだ思えません。
しかしリタリンも無く、支援体制もまだ未整備な中、私のようにインターネットを持てる環境に無い当事者は、不健康な共依存とも知らず、AS傾向がジャイアン傾向を、ジャイアン傾向がAS傾向を、今も多くが追いかけていると思われます。結婚や同棲で、家事に行き詰まる当事者はこれからも発生するでしょう。
「まやかしはおやめなさい。」の先生の言葉は、まだ当事者や予備軍(まだ不適応が表面化していない人や学生等)には届きません。
続きます。
続けます。
依存になる要素を慎重に取り除けば、発達障害用のコーチングはビジネスとして成立するのではと思いました。
前にコメントさせてもらった、“専門学校”の空想と似たようなものですが・・・。
その際は、AS用コースとジャイアン用コースを作って、ASには合理的ジャイアン傾向の、ジャイアンには軽度のAS傾向の、頼りやすい素因を持ったコーチを担当に付ければコミュニケーションが成立するはずです。
私自身、場数は踏んでいないほうかもしれませんが、きちんとした場所で話を聞いてもらっても受動のさがか、支援者のかたの戸惑いを察知してしまい、密かに萎えてしまった経験があります。
仕事で、支えが欲しいことがひしひしと伝わってくる保護者の方と話しても、落胆されたことが態度で分かりやすく伝わってきた経験も(特例ですが)あります。
結婚や恋愛ではなく支援だからこそ計算づくで、相性の合う人間を訓練して用意しておけば、離婚しても、施設のような所から出ても、自立の可能性が高まるのではと思いました。
統合失調症で家族が対応不可能な患者を精神病院に搬送する民間企業があるそうですが、コミュニケーションスキルに限界が来た人間同士の共存を助ける支援ビジネスは、他にも成り立つ余地はあるのではと思いました。
ただそれで、未来の日本人達がさらに無責任に依存的になり、創造性や自主性を無くしていったら悲しいですが。
つまらない想像をまた長々書いてしまい、すみませんでした。
YANBARU先生、みなさま、明けましておめでとうございます。
先生の「ある程度学問的にコンセンサスを得られる形に整理する」作業、大変楽しみにしております。
自閉症関連のサイトやブログもよく見ていますが、先生の観点はユニークかつ当事者にとって非常に有益で、賛同しともに発展させていく方が現れればよいなと思います。
一般向けに本を出されたりしてもいいかも…お忙しいのでムリかもですが。
自分は、いよいよ娘が2歳になり、コミュニケーションが活発、複雑になってきました。ジャイアンADHDなわたしが(そして軽度ASと思われる夫が)、こちらの思いで振り回すことなく、また置いてきぼりにすることもなく、彼女をのびのびと育てるのはどうしたらよいか…先生の発信や、みなさまのコメントを読みながら考えていきたいです。