前述のように発達障害の診断には「脳の働きのマイノリティーの判定」という特有の意味があり、本人はそれを求めている。しかし医学的診断はあくまでも現実生活上の障害の有無から診断する仕組みとなっており、このニーズには応えきれない。
他方で発達障害の診断はある意味で非常に分かりやすく、多くのケースでは明らかないくつかの特徴で判定可能である。こういう事情から、私は「自己診断」という方法を今考えている。
これからこのブログの場で自己診断の手順について私の現時点での知識をもとに叩き台としての第一案を少しずつ提起して行こうと思う。当事者の方、専門家の方、出来ればどなたからでもこの自己診断法についての忌憚無い御意見をお願いします。
Ⅰ自己診断第一章 -- 発達障害を疑う根拠
発達障害(ADHD、アスペルガー症候群(以下ASと略記)、LD(学習障害)など)を疑う場合、大人の場合でも子供の場合でも、まず以下のポイントに注目する。
1.「過集中」がみられる。何かに夢中になり、話しかけても耳に入らない、または一晩でも続いてしまう。子供でも専門家顔負けの知識を集めたり、マニア振りが常軌を逸しているという印象を与えるくらいの集中状態。
2.「正直で純粋、悪気は無い」という印象を与える。人に迷惑をかけていても、「意図的に人を痛めつけようとしてしているのではない」とすぐに周囲に理解してもらい、根本的に憎まれない。かえって本人が自分を責めていることが多い。ウソはつくことがあるが、「その場の誤魔化し」という程度のものが多く、巧妙で意図的な計算に基づく自分を有利にするためのウソはつかない。(結果として本人が意図しないでウソということになる場合を除く)
3.「場の雰囲気、”空気”」等の状況理解が多数派(発達障害に対して比較的一般的な大多数の人)とズレたり食い違ったりしてトラブルとなる。
4.人に対してはほとんど執着しなかったり、かえって執着しすぎたりして、結果として独特の極端なバランスを欠いた対人関係の行動パターンとなることが多い。
5.物を捨て切れなかったり、置き場所が決まっていたり、特定の銘柄や身に着けたときの感触に極端にこだわったり、極端な偏食や服装のこだわりなどの、物に対する常軌を逸した執着がある。
6.結論を性急に求める。待てない。「意味が分からない」ことにストレスを感じる。
7.言葉にこだわる。理屈っぽく、言葉の意味だけを状況と関わりなく(多数派から見れば)理解する。屁理屈と見られることも多い。
8.極端に近視眼的、場当たり的であったり、極端に計画的で予定の変更に対応できなかったり、時間意識に常軌を逸した特徴がある。
9・多弁、強弁したり、誌的象徴的な表現を日常生活全般でワンパターんでし続ける。
注:上記の「常軌」は、あくまでも自己診断で本人がそう感じている多数派像と考えることとする。
(第一章ここまで)
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
診断は大事だと考えますが
さらに大事なのは、診断をもとに必要なアドバイスや
フォローが受けられる、ということだと思います。
そしてそのために診断が必要なら、たとえ自己診断であっても
なんらかの意味があるのかも、と思いました。
私個人的には、今の現状を考えると
『自称発達障害』というのもアリだと思っています。
自称ADHD 、自称AS・・・など。確かに行きすぎは問題ですが、
自称発達障害同士で仲間になるのも、それなりにお互い助け合いになるし、結果的に『フォロー』になり得るのではないかと思います。
ただ、自己診断であれそれ以外であれ、
都合良く『発達障害』を持ち出して言い訳にするのは
良くないと思います。
なんにせよ、
診断はあくまで、自分を正しく知るための手段。
どうしたらこの世を生きやすくできるかを考える為の
羅針盤であると思うから。
ただ、自己診断で当事者を名乗れるかどうかは
個人的に迷うところではあります。
今しばらくは心の中だけで、そう思うことにしています。
次男のことで、診断を見ていたはずが、自分にも当てはまることばかりで…….。
過集中はマジョリティーからみると、マイナスなのかもしれませんが、マイノリティー同士では尊敬材料になったりしますね。
わが家は、感性のマイノリティー(世間的に)が主流なので、私も子供も家ではのんびりと暮らせます。
自己診断は、職業選択などに、有利に働くと思いますした。
また、対社会的に自分の不得意分野がわかり、対応しやすいのかもしれませんね。
はじめまして、みミと申します。
1年ほど前からHPを拝見しています。
ADHDに関して、本人が実際どのように自覚・認知しどのように行動すればよいかたくさんのアドバイスを書かれていてとても参考になります。
外見上の特徴など、思わず笑ってしまうほど「わかるわかる」というものがたくさんあります。
ここまで見事に言語化・考察・体系化しかつ随時公開して下さることにとても感謝しています。
なるべく素に戻して社会で上手くやっていけるようになろうと思います。
最新の記事拝見致しました。
現在診断で使われているDSMの基準は、
客観的な、外部からの観測に近いと思うので、
今回書かれているような主観的な特徴による基準があると
外側・内側から判断できて当事者は助かりそうだな、と思います。
ADHDなどは、発達障害の情報に触れでもしない限り、自覚がなかなか難しいと思います。
(私は、自分の何がおかしいのかわからずに心理学などの本を読み漁って、結局しばらくたったあと、ADHDの本を読んで「ああああああ!」と思い直後病院に行きました。)
私は診断ではADHDとなっていますが、自分では非言語性LDか受動型のアスペかもと思うことがあります。
父や友人など、まわりにいるカラリと晴れた典型的なADHD(おそらく)と何か少し違うのかなと思うので。
WAIS-Rでは下位検査の差が13(言語性と動作性の差は30近く)あったので
生活状況や行動、視覚認知などとあわせて発達障害ではあると思うのですが(覚醒レベルが低いとも言われました)、
ADHDにしては積極性もそこまでなく、愛着を起こすことはあっても傍観的で、
自閉症のような弟ほど症状が重くもなく、どれをとっても微妙です。
ADHDだとは思うのですが、別の症状がかぶっていないか、
特徴の判別が少しでもはっきりすればいいなと思います。
YANBARU様の考察はいつも参考にさせていただいています。
長々として申し訳ないのですが、伝えたかったことは、有益な情報を公開してくださり本当にどうもありがとうございます、ということです。
こんにちは。
自省の手段の一つとして、自己診断法があるといいと思います。周囲に言い訳するためではなく、自分を知り、自分自身で問題点に対処するため、です。
叩き台とのことですので、意見を述べさせていただきますね。
『2.「正直で純粋、悪気は無い」という印象を与え』ているかどうかを、自分で判定するのは困難と思います。
>『2.「正直で純粋、悪気は無い」という印象を与え』ているかどうかを、自分で判定するのは困難と思います。
いわゆる「天然」な人、と言われるようなタイプではないでしょうか?
自分ではごく常識的に振舞っているつもりなのに、周囲から笑いとともに「こいつ天然だからー」などと言われることが多いとか…。
失言(自分では事実を言ってるだけのつもりなのですが)の際、周囲が「しゃーないやっちゃなー」とフォローしてくれるか、教育的指導をしてくれるか否かも『周囲に理解してもらい、根本的に憎まれない』かどうかの目安になると思います。
ただ、精神的に余裕のある集団ならば受け入れられますが、余裕のないギスギスした空気が流れているような集団だと『周囲は理解してくれず、根本から憎まれる』ことになるので、自己判断するにはある程度の人生経験が必要になってくるような気がします。(余裕のない集団はとかく異質なもの、なんらかのフォーローが必要なものは排除したがる傾向にあると思います)。
皆さんコメントありがとうございました。皆さんの力で、少しずつ自己診断のマニュアルをここでご一緒に作っていきましょう。第一章はあたらめて改良案を作りました。