ADHD関連

ASの努力④感情と理屈

 ASの人について少し理解してきて良く感じるのは、「実際に言いたいことは感情で、自分の気持ちであるのに、理屈で表現するから分かりにくい」ということだ。

 確かにADHD以外の世界では理屈(理論的な内容)と感情(気持ち)は言葉の中で一体となって表現され、両方を発して両方を受け取るのが当たり前となっている。

 しかし、ADHDからみて思うのは、「現実の実際の人間関係のトラブルは感情のぶつけ合いの部分で起こっている」「ASの人は感情的なことを理屈でしか表現しないので理解されにくい」ということだ。

 例えば、「自分が疲れていて辛いことを理解して欲しい」という場合に、そのままそう言えばいいのに、(普通分かるだろうと何も言わないのは論外として)「今日は何時までどうこう」と仕事の話をしてみたり、また「あなたと離れたくない」というだけのことを、「離れるのはこれこれこういう理由で正しくない」と言ったりすると、相手(特にADHDには)に誤解されると私は思う。

 ASの人は、「感情はそのまま感情的な表現で伝える」ことを意識すると誤解が減ると思う。特にADHDは文字通りにしか受け取らないので、理屈で言えば理屈のことが言いたいのだとしか理解しない。

 もしも「話が通じてない」と感じたら、自分の言いたいことは何か? と立ち止まって考える。もしもそれが感情であれば、「感情的にそのまま表現してみる」ということを工夫する。面と向かってやりにくければ手紙でも良い。

 間違っても、「察するべき」というのは少なくともADHDに対しては止めてほしい。多数派に対しては「察する」内容が異なるのでもっとまずい結果になるだろう。これは相手に正確に理解してもらうために必要な伝える努力だ。

 逆にASの人と接する周囲の人は、「もしかすると単純な感情のことを言いたいのかもしれない」と想像してみると、いろいろ説明がつくことが多いので、ぜひ試みて欲しい。 


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コメント

    • mario
    • 2007年 2月 08日

    この問題が一番難しいかも知れません。
    正直な話、私には感情でのコミュニケーションが分かりません。自分がそれを表明する事だけでなく、相手から感情を示されても対処できません。
    プラスの感情なら未だ何とか分かります。マイナスの感情に接した場合、どうすれば良いんだろう?喧嘩するしかないのか?喧嘩すると理屈で言いくるめてしまう気がします。なだめるのか?なだめる時にも理屈を使ってしまいます。こちらも感情だけで反発するか?そうしたらどうなるのか良く分かりません。
    感情をそのままに表現する“方法”、あるいは“意味”が分かりません。ADHDの方は、あるいは多数派は、どうやって感情のコミュニケーションを取っているのですか?
    例えば疲れているときに“疲れた~”と言って、それでどうなるのでしょうか?自分が疲れているのだから、自分でその場で休憩するとか、やるべき作業をサッサと終わらせて完全な休息に持ってゆくとか。逆に、相手が“疲れた~”と言ったら、何をして欲しいんだろうと考えてしまいます。(あ、これが言葉の裏を読んでいるって事なのか…)
    私には“感情を言葉にする”事自体が難しい気がします。

    • yurin
    • 2007年 2月 08日

    >もしかすると単純な感情のことを言いたいのかもしれない」と想像してみると、いろいろ説明がつくことが多い
    ・・というのは、ここ最近のやりとりで感じました。実生活でも、夫との会話を思い出すと、これに相当することがたくさんあります。
    ASの人に参考までに、『私の実体験を書きます。よくあるんですが私は携帯の着信に気がつきにくく、この件で夫と口論になりました。一番すごかった夫の言葉は『お前の分は(携帯の契約を)解約するけどいいな?』というのです。私はうろたえながらも『ちょっと、それはどういうことなの?』と取りつくろうとしましたが夫は『使わないならお前の携帯は必要ない、お金がもったいない』。私がそれならと『家族で話し合って決めよう』といったのですが、夫『話を反らすんじゃない!』と激怒。・・・ここまで来ると、もうわけがわからなくなりました。
    結局、『駅まで迎えに来てほしくて電話したのに、出ないことに腹が立っていた』というだけでした。・・・だったら『せっかく電話したのにどうして出なかったんだ?』と聞いてくれたらいいのに、と思いました。

    • yurin
    • 2007年 2月 08日

    marioさんの
    >感情をそのままに表現する“方法”、あるいは“意味”が分かりません。ADHDの方は、あるいは多数派は、どうやって感情のコミュニケーションを取っているのですか
    ・・・という質問ですが、即答するなら『怒ったり悲しかったりする気持ちや、その原因を素直に表現すればいい』って事なんですね。たとえば先の私と夫のやりとりなら、腹が立った原因は私が携帯の着信に気がつかない(夫側からみると、’私が電話に出ない’)ことに腹が立った、ということですが、これを夫は『携帯を解約する』という言葉で『怒り』を表現しています。これを私が言葉通りに受け取り、反応することで夫の怒りを増幅させる結果になりました。
    しかし、怒りの本当の原因は『迎えにきてほしくて電話してるのに出ない』ということです。だからそのまま、これを言葉で表現すればいい。例えば『あんなに何回も電話したのに、どうして出なかったんだ』と言えば私も『出られなくてごめんね、こういう事情で気がつかなかった』と素直に謝って、そんな口論にならずに済んだと私的には思うんです。
    感情を言葉にするのはASの人には難しいのかもしれません。でも『怒りの原因は?』とか『悲しい原因は』と、その感情の原因を考えてから言葉にするか、感情的な話はメールや手紙にして、自分の気持ちを客観的に見て伝えるといいのかな?という気がします。
    ・・・・ASの人に文章を書くとき『果してこれでわかってもらえるか?』と考えながらいつも書いています。私はADHDですから、ASの人の認知は外から見て想像することしかできません。『こうすればいいのではないか?』という提案は、あくまで私の『予測』や『想像』であって『こうしなければいけない』という意味ではないことをお断りしておきます。また、もしも表現で分からないところや私の無理解なところがあったら、遠慮なく聞くなり、言葉で確認して下さい。

    • HIKARI
    • 2007年 2月 08日

    私事で恐縮ですが、タイムリーな記事なので書かせて下さい。
    昨日、久しぶりにAさんとBさんと3人で食事をしました。
    Aさんは見るからにADHDで、非常に分かりやすい人です。一方Bさんは単なるASと言うよりも「強烈なAS」を感じさせる人で、とても強い信念を持っているのが伝わってきます。(もしかすれば、自己正当化型ADHDなのかもしれませんが)
    Bさんの話題は、ご主人に対する不満でしたが、彼女の話を聞いていると『寸分の狂いも無い理屈』で雁字搦めにされた彼女の内面が見えてきて、息が詰まりそうでした。
    聞き手である私たちがご主人の立場でものを言うことすら許されない空気があり、ただただ頷くだけしかできませんでした。
    私もこんな『空気』を発しているのだろうかと思うと変わらざるを得ません。
    彼女は結局、「言いたいことは感情で、自分の気持ち」だったと思います。
    私たちに解ってもらう為には『理屈』で説明するしかないと思っているのだろうなと今日の記事を読んで心の整理がついた自分がいます。
    余談ですが、私はAさんとは気軽に話ができるのですが、Bさんにはどこか構えてしまいます。Bさんの持つ『厳しさ』に反応してしまうのかわかりませんが…。いつかASとASの相性をテーマに取り上げていただければ幸いです。
    ここにコメントをし始めた頃はすぐに反応してしまっていましたが、今は少しだけ「立ち止まって考える」ことかできるようになってきたように思います。「立ち止まって考える」ことは実生活でも実践中ですが、プラスに働いているようです。

    • パパイヤ
    • 2007年 2月 08日

    >逆にASの人と接する周囲の人は、「もしかすると単純な感情のことを言いたいのかもしれない」と想像してみると、いろいろ説明がつくことが多いので、ぜひ試みて欲しい。
    あ~そうですね。分かります。
    思い返せば、元夫(AS)との会話で、
    元夫「生協(宅配)は高い。××スーパー(徒歩15分)は安い。」
    私 「え、赤ちゃんいるのに××スーパー行くの無理だよ。重いし。」
    元夫「高いところで買い物するのはお金の無駄遣いだ。ベビーカーに買い物袋入れて、赤ちゃんを抱っこ紐で抱っこしてる人がいた。」
    私 「お金より、時間と労力のほうが無駄だよ。出産直後でそこまでしないといけないの?やらないよ。すて奥(節約妻)じゃないし。(→私も収入あるので)」
    というようなせこい会話で平行線になることが多かったですが、
    夫の真意としては、
    「子供産んでお金かかるし、自分の収入も少なくて不安だからなるべく節約して欲しい。」ということだったのかなーと思います。それが推測できれば、
    「汗水たらして働いてくれた大切なお金、余分に使っちゃってごめんね。でも、なんとかやりくりできるし。」とか答えられたんじゃないのかなーと思います。
    はっきり「お金が減るのが不安だから浪費されると困る。」と言ってくれれば、
    「え?大丈夫だよ。家計簿つけて、収入の何%貯金してるよ。収入が減ったら家賃安いところ引っ越せばいいし。」とか言えるんですけど。
    まあ、いまさら夫の真意が分かって、自分も優しい言い方をすればよかったのかもしれないけど、「頼りがいがない人はやっぱり嫌だなー」と改めて実感したので復縁しません。
    相手がASと限った話ではないと思うので、ADHDである私が人と接するとき気を付けようと思います。

    • yurin
    • 2007年 2月 09日

    HIKARIさんへ
    >ASとASの相性をテーマに取り上げていただければ
    ・・・ですが、昨年12月後半に、親子や夫婦の相性について書かれた記事があります。それが若干参考になりそうな気がしたのでお伝えしておきます。

    • ののの
    • 2007年 2月 09日

    みんな。お互い遠慮してるから、素直に伝わらないんですよね。(ってかなりADHD的ですね)のののは指示とかはっきり言われないとほんと何いってんのかわかんなくて。聞き返すのがめんどくさい(興味ない)時は無視して自分勝手に自分の好き勝手やってしまうんです。
    だから、のののは「ある程度仲良くなると」発言や言動については遠慮はしないようにしています。そのかわりフォローはします。「ののの、こういうことがしたいんだ。でも嫌だったら言ってねって。」
    言い方も大切。あなたのことを大切にしてるんだよ。だけどのののはこう思ってるんだよって。いう気持ちをこめて優しく言ってみる。
    (言いたいことははっきり!でも気持ちの面では自分が下手にならないと伝わらないんです。だいだいは、そして特に目上の人には)
    それか、そのひとが遠慮(遠まわしに言ってる)してるんだなって思ったら、その言葉を代弁してあげるようにしています。
    つまり、「う~ん。いまのじゃはっきり分かんなかったんだけど。こういうことが言いたいんだよね?」って優しく聞いてみます。
    はっきり言うのも大切だけど、人を思いやる気持ちもないと嫌われちゃうんですよね。のののは、いくらかっこよくても、いくら頭良くても、いくら年上でも思いやりのない人は嫌いだっ。
    悲しいかな、のののは、これも頭で分かってても意識してないとすぐ忘れちゃって、自分の世界に入っちゃう。
    「はっきり言うけど思いやりを持つ」っていうメモを見ながら会話しないと!忘れてしまう・・

    • mario
    • 2007年 2月 11日

    皆さんの意見をずっと読んでいて思うに、私には自分の感情をそのまま感情として捉える事自体が余り上手ではないような気がします。自分の単純な感情を捉える努力をしてみます。

    • 匿名
    • 2007年 2月 12日

    コメントありがとうございます。
    mario様
     (孤立型の)ASの人は本当に情緒的な交流が難しいようですね。ADHDも少し似たところがあり、私もそうですが、それが出来ないと多数派やその他のASの人との人間関係が難しくなります。
     「喜怒哀楽」を想像して、例えば味覚や嗅覚などの五感の感じ方をそのまま口にしてみるとか、工夫してみましょう。
     私はカミさんからよく「僕はこうしたいと言い直しなさい」と言われて言い直したことがあります。
    yurin様
     積極奇異型と受動型のASの人はかなり情緒的だと私は思います。むしろ文字通りの理屈よりも、先に情緒的な意味を考えたほうが当たるように思います。
    HIKARI様
     「non verbal」(非言語的)と呼ばれたりしますが、口ぶりや表情、文体などの言葉の意味自体とは違うところで伝わるものが多数派とASの人には当たり前にあって、「それが自分の意図と違うような伝わり方をしていることがある」と想像してみるとイメージできるかもしれません。
    パパイヤ様
     推測や仮説は可能ですが、外れた場合のマイナスが大きいので、私は「私は分からない人なのでごめんなさい」という方針で生きています。
     気が効かなくても冗談が分からなくても、「私には言わないで」というくらいに徹底して、あとは不安なときは「こういう意味で良いですか?」と確認までします。
    ののの様
     私も同じです。私も必ず「ごめんなさい」を言うようにしています。失敗するに決まっているので、謝っておくしかないですね。
    コメントありがとうございました。

    • 匿名
    • 2007年 2月 13日

    >「喜怒哀楽」を想像して、例えば味覚や嗅覚などの
    >五感の感じ方をそのまま口にしてみるとか、
    >工夫してみましょう。
    思春期の頃、友達が何か考え事をしているように見えたので「何を考えてるの?」と尋ねました。
    友達の返事は当時の私の想像を超えた新鮮なもので、感動すらおぼえました。
    たったこれだけの返答なんですけどね。
    「おなかがすいたな、って考えてるの」
    自分の感覚をそのまま、自分の考えとして口にするなんて。空腹をただ感じるだけではなく「お腹がすいた」と言葉にして考えつつ、他人にそれを言ってもいいんだ、というのが私には本当に新鮮でした。
    しばらくマネばかりしていた(笑)ことを記憶しています。
    ですが自分の感情をきちんと捉え、表現し、適切に対処するのは今でも難しいです。
    理屈や理想(現実とはかけ離れているけれど、こうあって欲しいと私が望んでいる
    もの)を間違って掴んでしまったり「私の感情なんか、どうでもいいことだ」と
    いう考えで思考停止してしまったり。
    私に人間らしい感情があるのかどうか、ひそかに心配だった時もありました。今思うとこの「心配」というのも人間の一つの感情なんですが。
    感情を把握するのもコントロールするのも難しいけれど、せめてもの努力として、自分が今どういう感情を抱いているのかを意図的に自分の胸に(頭ではなく胸に、というイメージで)尋ね続けるよう心がけています。

    • mario
    • 2007年 2月 13日

    slummyさんの「私の感情なんか、どうでもいいことだ」と言うのと、私も同じ感じ方をしてます。
    そして、感情を表明しても何も変わらない(と思う)ので、どうしたらその状況(感情)を改善できるかを考え、発言してしまいます。それが対人関係に妙な結果をもたらすようですが…
    お腹が空いた → 何かを食べる、いつ?どうやって?(これは余り問題ではない)
    腹が立った → 原因を考えてその排除を試みる(yurinさんの例、パパイヤさんの例になりそう)

    • yurin
    • 2007年 2月 13日

    皆さんのコメントを読みながら『私もあんまり情緒的な人とは言えないかも?』と思いました。
    中学2年の頃、私だけ卒業式で泣けなかった。自分が卒業するわけでもないのにどうしてみんな泣くのかがわからなかった。泣けないのがいけないことのように感じて、翌年自分が卒業するときは無理して泣いてる真似をしたことを思い出しました。
    感情的=情緒的ということなんでしょうか?改めて自分を振り返ると、私には言葉にする以前に、そういう部分が欠けているような気がしました。
    自分は理屈っぽい人間ではないと思っていたけどホントは理屈っぽく生きているのかな?感情を言葉にする以前に滅多に感情的(情緒的?)にならないから自覚すらないだけ??
    いや、本当はあるような気がする。でも、自覚できるときとそうでない時があるんだろうか?
    ・・・・うーん。自分の事なのにわからない(^_^;)

    • mario
    • 2007年 2月 14日

    気持ちの表現を自分で客観的にコントロールしているような気がするのですが、それが情緒的な交流を難しくするのかな?感じた事を口にすると喧嘩になりそうな時には言わないし、それが理不尽な時にも言わない。喜びの表現は普通にしてると思います。愛の表現は…余り頻繁に言うと嘘臭くなりそうな気がするので苦手です。これはAS的認知(愛は言わずとも充分に伝わっている)から来そうですし、私のトラブル(別居中)にとっては一番の問題だったかも知れません(^^;
    自分が情緒的かどうかは…
    卒業式などでは泣きません。未来は喜ばしいし、会おうと思えば会えるしで、当時は泣く気持ちが良く分かりませんでした。映画やドラマは何か嘘っぽくて、製作者の意図などが見えて、泣けません。が最近は、親子の話になると違います。妻と別居して3ヶ月、子に余り会えないし今後会えるかどうかにも不安があるので、物凄く心が刺激されます。目や耳にする親子に関する何かをキッカケに、毎日涙腺が緩んでいるような状態です(^^;

    • パパイヤ
    • 2007年 2月 14日

    YANBARU先生レスありがとうございます。
    人との会話の際、瞬間的にも時間を置いた場合も、自分の解釈を加えて対応しない方がいいですね。
    ところでYANBARU先生のHIKARIさんへのレス「non-verbal」を読んで、私が苦手な人と人間関係が悪い原因のひとつに「non-verbal」の問題があると考え(あくまで仮説として)、対応も思いつき、非常に参考になりました。いろいろ試してみようと思います。(とりあえずニコニコするとか)

    • アメジスト
    • 2013年 6月 30日

    記事の内容とずれてしまって申し訳ありませんが、若い頃の私は「感情をその感情のまま、正直に表現すること」ができませんでした。
    代わりに理屈を言うこともなかったので、その部分はこの記事に合っていませんが。
    20才頃にお世話になっていた人が本を出版することになったので、若い人たちがお手伝いをしたことがあります。
    昼食時間帯になった時に、リーダーの人が「仕事の勢いがいい感じだから、昼食は後にして、もう少し続けてもいいかな?」とみんなに聞きました。
    反対する人はいませんでした。
    でも!私はその時、お腹がペコペコで、フラフラしていたので、内心「ああ、やっとお昼だ~」と思っていたところだったのです。
    今だったら、絶対に「すみませ~ん、私、お腹がペコペコで無理で~す!」と言うに決まっているのに、その時はどうしても言えなかったのです。
    その結果、私がどうなったか。ぐすんぐすんと泣き出したのでした。(これで、20才ですよ。我ながら情けない・・・)
    リーダーの人はわけがわからず、私が何か重大な問題で悩んで泣いているのかと思い、「大丈夫?もう帰ってもいいよ」と急にやさしくしてくれました。結果的に私は理由も何も言わず、帰宅しました。
    後で、自分がバカに思えました。でもあの時は本当に自己表現ができなかったのです。完全にAC的だったということですね。

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