自己コーチングガイド各論② ASの自己理解そのD (物への愛着)
D.AS特有の物への愛着について理解する。
多数派は物を「特定の機能を果たす限りにおいて存在するもの」と認識し、人間を主体として、主に実用性や見かけの美観などで物の使用について判断するが、 所詮「物は物」であり、当初の機能をほぼ終えた物を捨てることに抵抗が生じることは少ない。(ただお年寄りなどに「もったいない」と物を再利用する習慣がある人は居られるが、再利用は多数派の中で一般的とは言えない)
これに対しASは、「物は物」であるのは多数派と基本的には同じであるが、「自分の身体と直接つながっている」というような体験上の「近さ」がある。幼児期から同じ毛布に愛着を持ち、洗うこともなくずっと身につけて安心するというような身体感覚の延長上に位置する物との関係がASの特徴だ。
衣服の好みにしても、食べ物の「感触」にしても、身体感覚の延長上に「こだわり」が見られる。「自分の身体につながったこだわりとしての物への愛着」というのがASの物への愛着だ。
例えば現実生活では、一方で非常にケチで節約するわりに、自分のこだわりグッズには惜しげもなく大金を投入するという行動パターンとして現れる。「ASにはカネがかかる」だ。
その結果、ASは、「思い入れがあるから捨てられない」ということになる。逆に思い入れがなくなると、近くに置く自体が許せなくて徹底的に処分する。そういうわけで物にこだわる(捨てられない)ASの心理は多数派からは非常に理解されにくい。
あなたの生活で上記の説明に当てはまることがありますか? 具体的に書き出してみましょう。
この物への愛着は、ASの自閉症としてのこだわりなので、本人自身にもコントロール出来ないところもあり、周囲の関係者も、「仕方のないこだわり」として尊重する以外にない。
本人の側から出来る努力は、同居者が居る場合には、「こだわりの(自室だけ等と)範囲を限定する」、「趣味の領域だけに限定する」等、こだわりとして譲れない部分と、妥協できる部分を、物理的空間的に分離するくらいだろう。
上に書き入れたあなたの困難さに対して、上記の工夫を具体的に考えてみて書き入れてみましょう。
自閉的な『モノへのこだわり』への疑問:
私が自閉の息子を育ててやっかいなのが、この点かもしれません。とにかく『モノ』に限らずですが、TPO構わずなので、どうしても『・・・多少の妥協があっても』と思ってしまうからです。
私が一番不思議なのは『特定のモノへのこだわり』が出来あがるルールです。その人なりにきっとあるのだろうと思うのですが
基準が一般的でないことも多いので『なんでコレなの?』と理解に苦しみます。
たとえば子どもの場合、成長に合わせて身につけるものは新しく買わないといけなくなっても、『こだわり』があるせいで、こちらの判断で選んで買うことができない不便さがあります。
また特定のキャラクターにこだわり始めると『何もかも、こだわり同一キャラクター』で揃えるように言います。ところがどれだけ探してもモノによっては『こだわりキャラグッズ』が手に入らないこともあります。『売っていなかった』と言っても納得しないことが多く、実際店に息子を連れていき、ないことを本人に確認させるというところまでしないといけません。
それでも納得してくれればいいほうで、どうしても納得しないときは売ってる店をあらゆる手段で探すしかなくなります。今は通販、ネット販売など情報が簡単に手に入る時代ではあるけど、全て聞き入れていたら『お金だけでなく手間もかかる』ので、近くの店にないときは『諦めさせる』あるいは『誕生日やクリスマスなどの特別な日まで待たせる』などで妥協してもらっています。
こうして『とことん同一キャラにこだわりぬいた』時期をすぎると、あっけなく冷めるのも面白いものです。次のこだわりが来るころには、前のこだわりグッズは『それはもうレベルゼロになったから』(つまり”もういらない”という意味)と言って、見向きもしません。この差が極端なのも驚きです。
つぎこんだお金と手間をいちいち惜しんでは、自閉っ子は育てられないという感じです。私は『過去は過去、今は今』と言い聞かせて自分を納得させています。
(息子が使わなくなっても私は『捨てられない』ので、ホントに使えないもの以外残していますが・・・。)
こんにちは。
自閉的な『モノへのこだわりルール変更』一例として・・・
25Mプールがあります。最初にプールに飛び込んで、25M地点まで泳ぎます。
25M地点ではクイックターンで反転をします。その時点で、意識(視点)は最初の
25M地点から、次の地点に移ります。
方向転換したので、もう最初の25M地点はありません。
現実的にも物理的にも意識(視界)からは消え去っています。
あるのは次の地点だけです。
自分でも理由はわかりません。知っているのは、クイックターンのような瞬時の
方向転換がおこり、あっという間に「今」が「過去」になるという事です。
あるいは表現を変えると、一度決定された「こだわり」の変更・修正は難しいので
ある日突然、一気に今の「こだわり」を捨てて、新しい「こだわり」を生み出す
のかなと、自身を見ていて感じます。
これはもう、外から見ると容易に理解できないのは確実です。
なにしろ、自分でもどうしようもないのですから。
対応策としては、この事実を言語化して説明して、許容できる資質を持った人に
許容してもらうだけで精一杯です。
コメントありがとうございます。
yurin様
「こだわり」は合理的に理解が難しいので、家族としては大変ですね。私もASの人と付き合ってきて、「ASは金がかかる」というしかないと考えています。
こだわりのコントロールは、ASの場合には思春期以降にコーチングの中で自分でコントロールさせるということになりますが、親がずっと面倒を見なければならない場合には難しいですね。
ALIVE様
こういう情報は非常にありがたいです。「こだわり」のスイッチのうまい方法があれば、多くの自閉の人のケアに役に立つと思いますので、どのようなヒントでも教えてください。
コメントありがとうございました。
今年の初めに亡くなった主人の母はおっとりしていて、やさしいASの人でした。
自分の子どもたちは宝物だと言っていたし、私が主人と結婚した時も「この人は何だか自分に似ている」と思ってくれたらしく、自分の娘と同様に私のことも可愛がってくれました。
そんな義母に一つはっきりとした特徴がありました。モノを全く捨てたがらないのです。生ごみのようなものはとっておかないので助かりましたが、包装紙・ひも・スーパーの袋・紙袋・衣類・クリーニングについてくるハンガー・ビン類・チラシ・期限の過ぎた事務的な手紙・タオル類など雑貨を山ほどためこみ、歩く場所がすごく狭い状態でした。
>「自分の身体につながったこだわりとしての物への愛着」というのがASの物への愛着だ。
こんな印象が確かにありました。私から見ると、動物的な「巣」のイメージでした。自分の体に触れるくらい近いところにモノをためこみ、その中で安心して暮らすという感じ。
主人が「少し片付けようよ」と何かを捨てようとすると「巣を壊される恐怖」という強迫的な感情に襲われるらしく、ムキになって、「絶対にダメ!お母さんが生きている間は捨てないで!」と叫んでいました。
その巣の中に自分のへそくりを隠す習慣がありましたが、自分で隠して、どこに隠したか忘れてしまうので、主人が「リスみたいだな」と笑っていました。
こだわりについて質問ですが、、ADHDの場合同じ物を買ったり、色違いしたりはないのですか
自分はシーズン毎に色違いで買うカットソーが有るのですが、やはりASDにしか見られない特徴なのでしょうか?