小学校5年以上、または本人が多数派と違うことで自己評価が低下しているケースは本人への発達障害の告知と説明が必要だ。
もともと小児科系のサポートシステムでは、基本的に「児童」を扱うので周囲が理解して合わせるだけでも問題ないのかもしれないが、思春期になると本人への告知と説明が必要になる。
たしかに単純な多動は高学年になると収まって来るが、今度は状況理解が出来ない障害のために同年代と付き合うことが困難となり、表面的には適応しているように見えるケースも二次障害が深刻になっていることが多い。
私は大人になってからの発達障害のケースから入ったので、告知と説明は「当たり前」だ。小学校5年以上は大人のモデルで考えるほうが有効だと私は考える。
診断した医師が責任を持って説明するのが一番であるが、もしも医師が説明を渋るようであれば、本人に「おともだちシリーズ」(後藤のHPの「本の紹介」参照)などを見せて、当てはまることを情報提供するという方法もある。本人が希望すれば決まった通院先があっても、「セカンドオピニオン」で発達障害支援センターなどを受診すれば良い。
もうひとつ、本人が認めない場合には、「親などの発達障害を先に説明する」という非常に有効な手がある。お母さんのことだと言って先に内容を説明しておき、「あなたも同じだと思う?」という方法だ。
私のHPの「自己診断ガイド」を使う方法もある。
いずれにしても、説明する中身は、「脳が不器用に出来ている」「脳の働きの少数派」という説明で、多数派との違いを冷静に観察し、自分と多数派の二つのスタイルの使い分け、調節、適宜妥協が出来るようになることが目標だ。
診断がついていて本人に告知されていないケースは、出来るだけ早く告知することを主治医に相談したほうが良いと私は思う。本当に自分が周囲と違うことを自覚しているケースは、説明されたほうが安心するからだ。
今の子どもの環境が、私の時代のそれとは違うことを願うのですが・・・。
元・子どもとして、義務(強迫?)に感じていたこととして、(いかなる事態になっても周りの期待を忘れない自分でありたい)という願望がありました。
だから、私一人が告知を受けたとしても、周り(家族、親戚一同、先生、習い事の先生など)の反応がかんばしくなかったら素直に医師の指示に従うことも途中でやめたくなるかもしれません。
その点では、ACといえる環境でないとしてもいわゆる『ええかっこしい』の子の場合は、大人一同への根回しは是非、親のほうでやっておいて欲しいと望みます。
思春期であれまだまだ親の顔色も見たいし喜ぶ顔も見たい。
日々の言葉の端々から「偉いねえ」というメッセージをもらう形を当時も目標にしていました。周りの評価も何故気にするかというと、親の面子を持ち上げたかったからです。生身の子どもとしての、あさましい思い出です。
大人の感覚で「自分のことをいくら頑張っても半人前なことを早く受け入れなさい。誉められることを期待していたら社会でやっていけないよ」と、自尊心や自己顕示欲の満足の自給自足を望まれたら、やはり当時は受け入れなかったと思います。
誰と比べてと突っ込むと難しいのかもしれませんが(世の中の他の問題児と比べて)という意味ででもいいから「反発しなくて偉いねえ」「受け入れて偉いねえ」「支援がやりやすくて助かるわ」と、随所で誉めておかないと、誉め言葉は子どものうちしか頭に残せません。大手を振って支援を受けられる立場のうちに、暗黙の了解を暗黙にしないで内情をどんどん教えてもらいたいものです。
大人になってから発達障害が分かった立場でも、受け入れのステップの中で一時は舞い上がるものです。しかし、大人はそれを大声で知らせて回る相手も、欲しくてもいません。誉める者も欲しくてもいません。
続きます。
続けます。
支援とは大変なものです。
誉められたい欲求も満たさなければならないし、自分を等身大の目で自己評価することが出来ない子どもに代わって本人を見なければならないし、自分で体面などを作れないから作り方を教えなければならない、そのためにはある面、滑稽で効率を妨げる存在であるという、空気を読めない人間の宿命を言葉に出して宣告しなければならないし、褒め役も悪者も引き受けなければならない負担の多い役割であると思います。
支援者は何で報われるんだろう?とさえ思います。
たくさん支援したからと言って、まさか親の老後の面倒を余計に見れるわけでは全然ありませんし・・・。
話を戻して、ともすれば自分を誇大評価したい、そんな空想に浸りたいのが思春期の子です。テレビの中の人と本気で結婚したいと思う子もいる時期です。今はインターネットの友達もあるのでしょうか。その子に向かって「それは全部叶わない。何故ならあなたは平凡かつ発達障害だから」と宣告する役目があるようなものです。
私の親にこなせたかどうかも、分かりません。家族の利益を優先に考える訓練として、宣告はガンガンしてきそうな気がしますが、いちいち誉める役割までやり遂げられるかというと、何とも言えません。
では、その誉められた幻想からどんなステップで卒業させていくか。
それは、自分で自分を冷静に分析出来、自信が無いことについては問題行動に出す前に、言葉に出して支援者に相談できるようになってから始まるのではないでしょうか。
そして、前の記事に書かれていたとおり「進路は限られるけど支援を受けて生きるか」「可能性をかけて難しい進路に進む代わりに支援を減らして普通の生活をするか」の二択をさせていくのでしょう。
しかし、この先に思いをめぐせらせても、どちらも切ない道のりばかりが待っている現状しか見えてきませんね・・・。
自分も息子たちも直系親族も兄弟も、ADHDという視点から考えると完全にあてはまります。
YANBARU先生のテーマを勉強することで、納得しながら前向きに歩くことができます。
長男は自己診断をしたとき、笑ってしまうほどあてはまり、認めざるを得ない、そんな受け止め方でした。落ち込んだりはしませんでした。
次男に私から説明したとき、納得するよりもまず「障害?身体障害者なの?」と、その部分に強くこだわりました。次男のほうが二次障害が深刻なのだと思います。自分が発達障害だと「知る」だけではかえって不安になるようでした。発達障害だと自覚したうえで、自分をより良い方向に、自分で納得しながらもっていくこと。それが私と息子たちの課題だと思っています。
でも自分でADHDを認めることは全く抵抗はありませんが、周囲から(本人も認めているから)ADHDとして扱われたりすると抵抗があります。
次男がこだっわた「障害」について。それは私は「多数派から見た多数派の文化に適応しにくい障害」という意味だと思います。私から多数派を見ると「あらゆることに疑問を感じにくい、自分の納得を感じにくい障害」のように思えてしまいます。(偏屈ですみません)
娘は、成人後に発達障害であることを診断、同時に説明をうけました。
YANBARU先生、その節は大変お世話になりました。
自分はADHDのACであるという自覚をして、何故自分がそうだったのか、そして今こうなのか、を障害の特徴から納得できたようです。
同時に私の診断も、娘には有効だったようです。
家族の中に、自らの障害を認め、障害について関心を持っている人間がいるだけで子供は不安が軽減しているようです。
ふと振り返ると、それまでなんとか持ち堪えてきた娘が、思春期を境に、いろんな問題が一気に表面化しました。あの頃は、いろいろなことがあり過ぎて、大変な毎日でした。
すべてを壊して、娘がリセットしたようでもあります。
小学校時代に分かっていたとして、告知されていればまた違った経過を辿ったのだろうなと、ぼんやり想像してます。
我が子の場合は成人後の告知でしたが、すんなり受け入れ、その後の経過も安定しています。
バイト先でちょっとしたトラブルを起こしたということも聞き、ハラハラしましたが(いかにもジャイアン的なトラブルでした)新しいバイト先で元気にやっているようです。
YANBARU先生、ありがとうございました。
この場を借りて、お礼かたがた、近況報告です。
やんばる様。
沖縄大好きカウンセラーの高間と申します。
はじめてブログに投稿させていただきました。
先生の発達障害者への思いやりと、
豊富な臨床およびご自身の経験から導き出されたクセのパターン化には、いつもハッとさせられながら
大いに参考にさせてもらっています。
各言う私も、先生と同じ根っこのADHDの、吃音者です。
自分で言うのもなんですが、この「ADHDの吃音」というのはカウンセラーにすごく向いていると思います。
それについてはまた機会があれば投稿させていただきます。
さて、今日は、先生にご意見をうかがいたいことがあり投稿しました。
DSMには「特定不能のPDD」および「特定不能のADHD」があります。私自身、クライエントさんを見ていると、これに入りそうな大人の人が大勢いるように感じます。先生のパターン化からみるとどうでしょうか。
解離性障害でも、健忘、遁走、同一性などのショッキングな症状は少なくなり、代わりに「特定不能の解離性障害」に該当する人が増えているように思います。
これは統合失調症の軽症化と同じようなニュアンスとして感じています。
ならば、発達障害も、同じような空気を吸っているのではないか、そんなふうに最近思っています。先生の感触をお聞かせいただけると、とても参考になります。よろしくお願いいたします。