AC、人格障害関連

ジャイアンと境界例

 これまで時々言及してきたが、私は他の医療機関で「境界例(境界性人格障害)」と呼ばれたジャイアン(自己正当化型ADHD)の人を治療することが多い。

 ジャイアンは自分の有利不利に関わる状況理解だけは特に鋭敏に直感的に把握できる。他の人の気持ちにはKYの重症であるに、自分の有利不利だけは分かる自己中心性がジャイアンの本質だ。

 幼少期から力を持ったASの親から愛着で支配される環境下で育ち、このASの親の環境をコントロールする術としてノンバーバル(非言語的)なアピールと支配のやりとりを身に着け発展させてきた依存型のジャイアンが、結果的に表面上はボーダー(境界例)となる。

 岩山の頂上にAS親が居り、そのAS親をコントロールしなければ自分が上に行けない状況の中でASをコントロールする技術だけを鍛え、ASを支配することで自分の目的を達成するタイプのジャイアンの一群が居り、実に純情なAS氏はコロリと手玉に取られる。やりたい放題のことをされてもなおジャイアンに服従し続けるの図をよく見かける。

 一般的にはボーダーの本質は「見捨てられ不安」であると言われている。ボーダー型ジャイアンの場合は「自分が女王様で無くなったときの自己突っ込みへの不安」とでも言えるだろうか?

 ボーダーと言われているケースで、「あまりに正直」「自分勝手と思われてしまうことに無頓着」な印象を持たせる場合は、実は見かけと大きく異なり、発達障害のADHDの仲間であることがあるのだ。「とんでもない自己中なことをしているのに、本質的に悪人に見えない」という印象も本質のところにあるADHDを見分ける根拠となりうる。

 受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている。そしてジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。


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コメント

    • ふぇありー
    • 2008年 3月 06日

    何度も読み返す度に、まさに我が家のことであると認識しております。
    「ジャイアンと境界例」「ジャイアンの依存の意味」を合わせますと、娘と次男の行動パターンをものすごく理解できます。
    次男はそのままジャイアンなので、私にも解りやすく「ここぞと言う時」にビシッと突き放すことが行いやすいです(幼児ながらに自己突込みを行うまで、非を責める怖いASママ)。
    しかし、一人娘で私が愛着の強い娘は、ジャイアンなのかASなのか自分で飲み込めず(診断はジャイアンです)にいました。
    言葉では、「ママの一番大切なものは、△△△お兄ちゃんと、○○○(自分)と◇◇◇でしょう!」と毎日確認を行います。まさに、この行為が「ジャイアンの依存の意味」なのだろうと想像しました。
    また、娘は一見(外でも)大変なお利口さんですが、家の中や心許した空間では豹変します。
    先生のおっしゃる、ノンバーバルな表現で私をコントロールしようとします。ヒステリー状態を意図も簡単に引き起こし、私を含めて息子たち(正確にはAS長男)も震え上るほどです。
    結局は、娘の意図する通りに事を運ばないと、そのパニック状態は治まらず、私たちAS(私と長男)は支配されています。長男などは、寝言でも妹に従っています。
    このタイプのジャイアン(娘)には、次男のようにビシッと言い放しても、逆効果でまさに「油に水を注す」状態です。
    この事は、以前から私の中で娘にどう対応するかという課題でもあります。
    先生のおっしゃる図式を理解しながらも、渦に引き込まれてしまうのは辛いです。
    今後も、先生の考察が進み、私なりの子供たちへの対処方法が見つかります事を願ってやみません。

    • a
    • 2008年 3月 07日

    私は自分自身ASとACとADHDもしくはADDを疑ってるものです。テレビで初めてASを知り自分に当てはまる部分がいくつかあったのでそれからかれこれ1年近くネットだけですがASのことを調べてその中ででACを知りADHDを知りやんばるさんのHPやいろいろ調べてくうちにASじゃなくて自分はADHDなのでは?と思うようになりました。それでも素人には分かるわけもなく病院に行く気力が今はないので未だにネットでぐるぐると懲りずに調べてる日々です・・・でも個人的にはASを調べていくうちにASに愛着がわいてしまい今まで自分に対して疑問を抱いたり自分のことが分からなくてモヤモヤしてたのでやっと自分を知れるものを見つけたと思い苦しんでいる方々に失礼ですがASだったら良いのにと悩んできました。それでやんばるさんのHPを見つけてやんばるさんにメール相談しようと思ったんですが何を打てばいいのかどう打てばいいのか分からず数ヶ月が経ちます。生い立ちを何回も打ったんですが結局送れずじまいです・・・一体どうすれば良いんでしょうか?なんて送ればいいでしょうか?いつも打っても頭の中が混乱してやめてしまいます。もし良かったらやんばるさんの返答を待ってます・・・。きたところでメール送れるか分かりませんが堂々巡りで苦しんでます。もしASじゃなかったらどうしよう自分は何者なんだろうと不安に襲われ現実を見たくなくなる時もありますが必死になってるのでお願いします・・。

    • たかこ
    • 2008年 3月 07日

     >受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている
    私(多数派)個人としては、こちらについて詳しく知りたいです。
     主人が被害妄想様の言動、感情の起伏の激しさ、言葉尻や態度をきっかけに、何時間も非難、言葉による攻撃をやめないなど、これは精神病ではないかと感じ、いろんな本を調べたり、インターネットを調べていたところ、境界例の基準が、まんま主人に当てはまり驚き、怖くなりました。
     それからいろんな資料を見た限り、いろんな、成長の過程や、環境による心理的な要因がたくさん書いてありました。ある本には要因として、生まれつきのものがあると書かれているものがありましたが、何の事かはかかれていませんでした。
     ただ、彼のことを境界例の基準として書いてある事にあてはまるにしても、かいてあるような不幸な環境で育ったわけでなく、悪人とも思えずにいました。
     そのとき偶然「アスペルガー」という言葉を知り、主人に半分くらいが当てはまりましたが、彼は社会にも適応していますし、援助を必要としているとも思えませんでした。
     どれもしっくり行かないまま、何年もの間
     「もともとそういう(脳の違い)がベースにあって、人格障害とか、二重人格とかにみたいにみえるんじゃないの?」
     と母などには訴えていましたが、「???」という反応をされます。
     なんとかしようとしていく中で、悪徳モラハラ加害者バスターズ的なカウンセリング機関ににひっかかったり、私自身がパニック障害と診断されたり、散々な目にあってきましたし、以前のように主人が荒れ狂ったり、ギャンブルにのめり込んでしまったのはなぜだったのかは多分永遠にほんとうにはわかりまんが、今は1番のネックだったギャンブル依存問題が解消の方向に向かい、とりあえず今は幸せです。
     先生の何十年にもわたる臨床に基づいて文章にされた事の中に自分が直感的に感じているが文章になっているのを見ると、自分の中の「意味不明」がほんのすこしづつでも「意味のある事」だったとわかることは、大変私にとっても重要な事です。本当の意味での理解はあり得ない事を前提に共に暮らす事を選択しているわたしと主人の関係においては、意味不明のままかかえ続ける不安を主人だけにおしつけて、自分だけが安心するだけための「勝手な意味付け」は慎まなくてはならないと思います。

    • エイト
    • 2008年 3月 07日

    私も子育てのことを書こうと思ったら、ふぇありーさんが先にコメントされていたので、嬉しくなってしまいました!(私のは今回の先生のテーマに沿っていないかもしれません、すみません)
    私が先生のブログに参加させていただいてから4ヶ月ほどです。毎日馬鹿みたいに真剣に、たぶんレム睡眠のときも、命がけにもなって、いろいろ考えていたら、自分でいうのも変ですが、最近かなり子育てにプラスの影響がでてきたと実感します。嬉しいです。
    具体例を挙げたいところですが、いつもこちらで偉そうなことを言っているので、皆さんに「えっ、今までそんなこともできていなかったの?」と驚かれそうなので、恥ずかしくて書けません。
    少しだけいうと、ジャイアン息子たちは、とにかく自己中心的、わがままなので、家の中は衝突だらけでした。以前は、私が元気のいいときは私が思う正しい答えを押し付け、私が疲れてパワー不足のときは、息子たちの要求を結果的に受け入れる、そんな一貫性のないやりかたでした。ところが最近では、まず私のなかに、こども本人にとって最適な正しい答えが自然にでてきて、それを本人に促してみる、という正しい(と思える)やりかたに変わりつつあります。まだまだ完璧ではありませんが、かなり進歩です。
    私の押し付けでも、わがままでもない答えを私から言われると、息子たちも納得するほかなく、あとは自分がどうするかだけです。わがまま脳の息子たちにも、「自業自得の法則」は1番効き目があるようで、自分が今困っているのは、自分が我慢できなかったからだと、そのところは素直に認められるようになってきました。私もはっきりと言葉で言ってあげて、お互いに確認しています。だから反抗も少なくなりました。
    まだまだ子育ての課題はたくさんあり、早くしないと子どもも大きくなってしまうのですが、先生のブログのおかげで、世の中になるべく害の少ないジャイアン2匹を送り出せそうな気がします。ありがとうございます。

    • たかこ
    • 2008年 3月 07日

     私の主人(おそらくAS)は、人の気持ち(自分が傷つく事も、人を傷つけてしまったということも)がわからないのではなくわかりすぎるように私は感じています。
     そして、それを、私(多数派)とは違ったやり方で、できているのではないでしょうか。だから、やさしさなどという点では、わたしには及びもつかないようないつでもとんなときも「やさしい」のです。やり方が違うのだから私から見ればずれている事もあって当たり前のはずで、悪い方にずれれば、「言葉がきつい」「傷つけることに鈍感」ととられますが、悪い方ばかりでなく、いいほうにも向いてる感じます。
     空気読めないととれば身もふたもないですが、それだからできることもたくさんあると思うので、主人は「切れ味鋭いものいい」を売り、持ち味ににできています。当然万人受けではないので敵も多いですが。
     主人の場合は、障害というより、多数派と違ったやり方ではありますが(だからこそかえって優れている)、何事もインプットもアウトプットもバランスよく優れているゆえ、逆にいち早く覚えた自分なりの方法にたより、「ずるができてしまう」事の方が問題で、そのやり方が通用する限り、とことんいっていまうところがあります。
     主人は今は社会に適応はしているし、そのままうまくやれたとしても結局は別の大きなしっぺ返しとなって返ってきて不適応ということになることが想像できますが、その辺の調節がうまくきかないようで、「行き詰まって」、「誰からも助けてもらえない」状況でなければ、自分を止められない事も知っているようです。表面的に適応していても、せっぱつまった生き方に疲れ、変わろうとしているのだと感じています。
    つづきます
     
     
     

    • たかこ
    • 2008年 3月 07日

    つづきです
     私の周りには、次々と自分が不幸な物語の主人公になっているさまざまな「言い訳」を次々見つけ出しては、自分のやるべきことから「逃げている」人がいます。
     「ダメもと」で何かをやってみる事からしか何も得られないのではないでしょうか。「絶対うまくいく事」は世の中にはないと思います。かなりの確率で「ダメ」が 予想できても勇気をもって「ダメもと」でつっこんでいって、反省、修正していかなければ、前に進めないと思います。
     本当の意味で理解はあり得ないという前提の中で、わたしがこちらのブログに「わけのわからないこと」をコメントする事も「ダメもと」です。どんな誤解を生むか考えたらとてもコメントできません。ばかも、非常識も丸出しで、理解のための衝突はどんどんするべきという考えの多数派の中では少数派のわたしです。ちなみにわたしのニックネームは実名です。わたしなりに真剣なのです。

    • まーちんAS
    • 2008年 3月 08日

    子供相手の仕事をしています
    <自分の有利不利に関わる状況理解だけは特に鋭敏に直感的に把握できる。他の人の気持ちにはKYの重症であるに、自分の有利不利だけは分かる>
    7歳の男の子がまさにコレです。
    その姉妹の9歳、4歳もジャイアンと思われます。
    仕事といえども他人の子ですし、
    彼らの人生を左右するほどの指導というか
    お付き合いはできませんし、
    わたしにどれほどの責任があるかもわかりません。
    でも、ほんとは適当にご機嫌とって
    甘やかすのはあまりよくないと思うんですよね・・
    とかなんとか少し迷いつつも、
    結局は、ASの本能でしょうか。
    徹底的に戦ってしまう自分がいます笑

    • mario (AS)
    • 2008年 3月 08日

    以前にも書かれていましたが、ノンバーバルな方法によるジャイアンからの支配、そうだったのかと一つ引っ掛かりが取れた感じです。私もそれを色々なところで受けていたんだなぁと思い返しています。離婚の承諾ですら、支配された結果だと今は思います。(もちろんAS的な方法で私も元妻を強烈に支配していたようです。ジャイアンを悪者にする意図では書いていませんのでご理解下さい。)
    思えば元妻の父は、強権的なASであったようです。故人ですので、実家に残る細かい指示の張り紙や、義母や義妹から聞きた行動からの想像に過ぎませんが。そして、家庭内で唯一父に負けてなかったのが、元妻だそうです。
    私はもうジャイアン的支配にもどうにか対処できそうなのですが(私が支配されないのも気に入らないかも…)、母子の関係をどう上手く調整するかに悩んでいます。面接交渉の度に息子に対して「私を一番と言わないとあなたを見捨てるわよ」的な態度を取るので困ってます。本人は、それを意図していないようなので、2人とも可哀想ですし、だからと言って指摘しても分かってもらえないだろうなぁと。いや、表面的に猛反発しても自己突込みの末に理解できるのかな?
    理解できるのであれば、私は嫌われても構わないから指摘しようと思ったりもします。先生の指摘で「素直に言う」という方法を一時的に引っ込めてますが…

    • mario (AS)
    • 2008年 3月 08日

    このスレッドのジャイアンから話がずれますが、ASの理解の上で重要だとも思ったので…
    たかこさん
    > 私の主人(おそらくAS)は、人の気持ち(自分が傷つく事も、人を傷つけてしまったということも)がわからないのではなくわかりすぎるように私は感じています。
    ここではASには人の気持ちが分からないと何度も言われていますので、それを受けての発言だと思います。実際には、ASは人の気持ちを理解する方法がADHDや多数派と異なるために、気持ちが分からないと言われるのだと私は思います。
    少なくとも私は、人の心の痛みを自分の事のように感じて、とても辛く思います(思う事が出来ます?)。
    今の息子の心情や元妻の心情を考えるととても辛く、何とか全員が幸せでいる方法がないものか、考え続けています。いや、これらは愛着から来るものかも知れませんが、不幸な事故のニュースなども振り払うのに苦労する位に辛い気持ちになります(こちらも自分に重ね合わせる事ができるものだけかも知れません)。
    一方でここで指摘されている、ASの書き込み(コメント)によるADHDのダメージは殆ど理解できていません。決め付けと捉えられかねない発言はADHDを傷付けるらしいと、かろうじて知ったに過ぎません。ADHDの心情を正確に理解するのはきっと困難ですし、現状のように知った上で上手く対応するのが現実的な方法なんでしょう。

    • たかこ
    • 2008年 3月 08日

    mario 様
    たかこと申します、はじめまして。
    コメントいただきましてありがとうございます。
    「ASとどう付き合うか」のほうにコメントしたつもりでしたがまちがってこちらに投稿してしまったようですみません。
    私からみると私の主人は、私などよりずっと繊細に人の気持ちを感じているように思えています。
     私とは見え方、聞こえ方、感じ方、目のつけどころ、それを表現する方法が私とはだいぶ違っていることは間違いないと思います。それがどういう違いか具体的にこと細かにはわからなくても、「違いがある」ことを念頭においておけば、受け取り方次第で「ダメージ」にならなくてすむことがたくさんあります。それは主人も同じようにしてくれていると思います。
     それでも明らかに不当に扱われたと感じ怒りの感情がわいてきた場合は、私が「キレキャラ」に豹変して、自分の意思を表明します。スマートに表現できない私が主人に立ち向かうにはこれしかないのです。いじめっこにたむかう、いじめられっこのロボコンパンチ状態です(古すぎて分かりませんよね)
    私とは感じ方やり方が違ってる部分がすごいなあおもしろいなあと思いますので、そこを今まで通り、今以上に生かしていってほしいです。
    自分にもそういう部分をみつけて、のばしていきたいですが、私は、そつなくとりあえず何でもこなすという点を、「いい加減」「要領ばっかりいい」「器用貧乏」「とりえがない」という見方でなく、
    「オールマイティー」「バランサー」として生かしていけないものかと思っています。
    「人の話を真剣に聞かないで、自分の話ばっかりする」
    私の性格は良くないと思うのでいつもなおさねばと思いますが、
    主人と暮らす上では、あまり支障になりません。
    なんででしょう。おもしろいです。
    あくまで私と主人の関係においてのお話です。
    つたない文章ですが、わたしの感じている事でした。
    またしても結局はよくわからない文章ですすみません。

    • ねね
    • 2008年 3月 08日

     わたしは自分の問題を調べていくうちに何度も境界例のサイトにたどり着きました。それで自分は境界例だったのかと思うところがあります。だった、というのは現代はかなり穏やかだからです。聖書を学んで適応していく中で穏やかになりました。と言っても激しさが取れるまでに10年という歳月が必要でした。境界例を知ったのは、激しさが取れてからのことです。
     それでも、境界例の一大特徴として挙げられる「見捨てられ不安」がどうもしっくりきませんでした。見捨てられそうで噛み付いている感じが自分にはなかったからです。
     激しい言いがかりの動機は、親より優位に立つことでしかなかった気がします。当然、激しさを増したのは優位を狙える可能性が出てきた高校時代がピークだったように思います。大学で親元を離れたので闘う相手がいなくなりしばらく腑抜けになっていました。そのあとの20代前半は自暴自棄な生活を3年ほど送りました。
     次に激しさを増したのは子供が小学校に上がってからです。また、社会と頻繁に関わる必要ができて自分の不適応さを感じて暴れだしたのかもしれません。子供たちは被害者です。そうやって分析してみると先生がここで書かれているようにジャイアンゆえの乱行だったというほうがピッタリきます。
     ちなみに、見捨てられ不安がしっくり受けとめられた境界例のサイトの方は受動型ASということになるのでしょうか?
    でも、YANBARU先生は以前、『ASゆえの不安と、いわゆる「見捨てられ不安」は少し違う』と書かれていますね。
    >ジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。
    そうなると「見捨てられ不安」という言葉が宙に浮くことになってしまうように感じますし、境界例という言葉自体無意味にも思えます。確かに、先生が「境界例と呼ぶ治療上のメリットは少ない」と言われる意味がわかります。

    • nori
    • 2010年 10月 28日

    先生許して。
    先生の掲示板なのに、勝手に喧嘩うって荒らしみたいに
    なってしまって。
    本当に心をえぐられた感じがして。存在を否定された感じがして。

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