ADHDのAC

 

 ADHD(注意欠陥多動障害)は、前頭前野の統合機能が少し低下している状態と言われ、「状況が分からない」「過集中と虚脱のパターン」などが見られる発達障害の一つである。状況が分からない結果、自分に不利になることを言わないことや嘘をつくことは不得手で、また周囲の雰囲気や態度、表情を読み取ることも不得手で、結果として見当外れな「思い込み」「決め付け」になってしまうことも多い。一般には「片付けられない」という結果的な適応障害ばかりクローズアップされているが、本質は「脳の働きの質的な違い」であり、管理能力の高いADHDは片付けは出来る。状況が分からない部分が最も重要である。

 他方でADHDは本来非常に正直で合理的であり、先入観にとらわれず、思っていることを何でも口に出してしまうため、自分を偽ることに非常に違和感を感じ、時にはACの認知のゆがみ自体を合理化する独特の理論体系を考え出したりもする。

 一方ACは、他の項で説明してきたように、幼少期に親との関係から「本当のことを言ったら見捨てられる」「自分が悪いからしょうがない」という認知と行動のゆがみを来たす状態で、結果として言葉で確認しないで周囲の雰囲気や態度、表情などから相手が自分を見捨てるか否かを知ろうと死にもの狂いの努力をする。多くの場合「状況が分かりすぎる」形になるが、言葉で確認せず自分の不安が激しいために、「決め付けてしまう」ことも多い。(状況が分かりすぎて、それを逆用して周囲を操作するところまで行くと、境界例と呼ばれるようになる。そういう意味では、境界例とADHDは両立不可能だと私は考える)。

 この意味で、ADHDACの状態は境界例に近い「状況の分かる」ACの人とはある意味で正反対、かなり違うものとなり、治療方法も独特の方法が可能となる。

 まずADHDは、人間関係の中で状況が分からない特徴を持つ発達障害であり、その障害の結果として人間関係でうまく行かない体験(人と変わっていて同じように出来ない。時には虐待やいじめなど)を積み重ねるうちに、自己評価が下がって、周囲の評価に過剰反応するようになる。この点ではACと全く同じだ。しかし、もともと状況が分からないために、表情を読んだりすることは不得手であり、言葉で確認しないACとなるとなおさら人間関係全般でしばしば見当外れの思い込みに陥る。

 この状態の実際の姿は、ただでさえ不確かな雰囲気や表情などの状況理解を根拠に決め付けてしまうため、客観的にはADHD自体による勘違いや思い込みが増幅された状態である。にもかかわらず「本人は限界まで気を使っている」と感じている。その結果、ADHDACの人の困っていること、訴え自体が第三者から見ると非常に理解しにくいという結果となる。実際第三者から見ると、「本人は人間関係がうまく出来ない、治さないといけないとしきりに言うのだが、実際客観的にはどこが問題なのかよく分からない」という見掛けになる。見捨てられ不安や過剰反応の部分は、本人の感じている世界としては、境界例に酷似しており、上記の枠組みからは不思議な状態であるが、「ADHDなのに自分は境界例かと心配して相談する」ということもたびたび見られる。(大人のADHDを診断しきれない専門家もよく人格障害と誤診するが)

 この意味では、ADHDACは「本人はまぎれもなくACを体験しているのだが、客観的にはACや境界例と見立てにくい状態」と言える。ADHDとしても、ACを表にかぶっているために典型的でなく、またACとしても中途半端で、表面上は、「正直で時々言いすぎたりする善人」という見掛けとなる。私が診断に時間がかかるのはこの部分だ。またこの特徴のために、家族や周囲の人にもACと言ってもなかなか理解されず、「わがまま」と言われてしまうことが多いようだ。

 

 例えばあるADHDACの女性は、毎回面接時間が長くなると時計を見て「大丈夫ですか」と言いだしたりする。ここまではACで説明できるが、話の中で「私はいい患者であらなければなりません」と言い自らネタをばらしてしまう。境界例に近いACにはありえない状況となる。またこの人はACの認知のゆがみは、全く別の正当化する理論を考え出して、自ら思い込んでいる(自分を偽っていることにはなっていない)状態となっている。この意味ではこの人のACは「主として思い込みの中の現象」である。しかし本人は困っており、明らかにこのACは治療の対象である。カウンセリングが必要である。

 もう一つ、ACの「自分を誤魔化す」部分でもかなり様相が異なる。ADHDは本来先入観にとらわれず合理的で、正直に思い込むことはあっても自分にウソはつけない。その結果として、「本当のことから目をそらしている」ことが分かる(バレてしまう)と、通常のACのように、「お母さんも大変だから」等と抵抗することよりも、「そうですね」という感じで、あっさり認知が修正される。「バラされたら終わり」という結果になる。だからADHDACは良くなるときは直ちに劇的に良くなる。

 ADHDの認知の修正は、通常は「あなたはADHDAC」ということを本人に説明する形になる。ADHDであることは、本などで情報を得ると、あっさり「私に当てはまります」と納得される。まずそのことにより、ADHDの人間関係の不適応による自己評価が低くなっていたことは自動的に修正され、「これは発達障害のせいであったのだからしょうがない」とリセットされる。別項で述べたように、ACは親の対応で生じるのだが、一部のケースは、母親自体もADHDであったと判明して、「発達障害のせいであり、本人と同じく悪気ではなかった」ということになり、ACの根本にあった「自分になぜ辛く当たるか」までも説明されてしまう。

 親がADHDでない場合でも、親に自分が見捨てられたことであろうと、「本当のことなのだからしょうがない」とあっさり認めてしまう。他のACの場合は、「親も大変だったから」などと親を悪者にすることに強い抵抗を示すのに対し、認めてもそれほどのダメージは受けない。

 実際の治療の方向性としては、「治るものではないので、もともとのADHDに戻るしかない」と分かることで、選択の余地がなくなり、「ACの部分を治して、丸出しのADHDに戻ろう」という形になる。これはもともとに戻ることなので、比較的容易である。特に、何か過集中するような面白いことに巡り合えば、おもしろいことに、「ACの認知のゆがみが吹き飛ぶ」ということが可能となる。

 以上のような特殊な病態で、「一見本人の訴えでは境界例のようで、また自分で境界例を疑い、その割には状況が分からない見当外れな思い込みもあり、なぜか急に治ってしまった」というような臨床経過を辿るケースは、よくよく見るとADHDACであるということが分かる。診断は難しいが、いざ分かってしまえば治療は容易である。ACとしては、悲劇のヒロイン風の悲壮感がないADHDにしては、本人は気を使っているという。いずれとしても典型的でなく、かえって特徴が相殺されて表面上は普通に見えるので、見立てが難しいことが最も重要だ。                  

 思い込みが激しく、訴えが熱心である割には何を言っているか分からない了解の難しいクライアントの中に、発達障害のADHDを持ちながら、家庭環境などの二次障害としてACとなっている人が少なからず居る可能性がある。ケアする立場の人が「ADHDのAC」を頭に置いて対応すると解決できる問題が想像以上に多いと思われるため、「ADHDのAC」とはどんなものかの説明を試みる。

「典型的なADHDにも見えない。典型的なACにも見えない」というところが診断の難しいところである。

 

【ADHDのACの臨床特徴】

①        多弁で長時間、断定的な表現で熱心にしゃべる。初対面から早口でまくし立てるような口調が多い。話が飛んだり、相手が理解しているかどうかに関わらずどんどんしゃべり続ける。メールの場合は非常に長い。

 

②        自分のことを非常に客観的に「他人事のように」表現することが多い。不利なことでも、聞いても居ないのに平気でぺらぺら言ってしまう。

 

③        自己評価が異常に低い割には対人緊張がほとんど見られない。

 

④        「困っている」「変わらなければいけない」と強く訴える割に、困っている問題がはっきりしない。何が辛いのか情緒的に了解しにくいことが多い。

 

⑤        答えを強く要求する。一般的なカウンセリングで「傾聴」しても、「話を聞くだけで何も答えてくれなかった」と満足しない。

 

⑥        「人に気を使っている」と訴える割には訴え自体、その訴えをしている態度自体は無神経で思い込みが激しい印象を受ける。「気を使うという割にはマイペース」という印象。

 

⑦        面接の最中にも、泣き出したり、急に冷静になったり、気分や態度が急に変動する。

 

⑧        ADHDとしては注意欠陥が目立たず、多動性も目立たない。状況が分からない部分と一方的で思い込みが激しいところだけが表面に出ている。

 

⑨        ACとしては、ACらしい悲劇のヒロイン風の「深刻さ」を感じさせず、かえって見当外れの思い込み、漫画的な印象すら受ける。

 

⑩        時々自分で「境界例である」と言って受診したり、またうつで受診して境界例と誤診されたりする。

 

⑪        ストレスの多い状況下では統合失調症のような幻覚妄想や、思考混乱を来たすこともある。激しい精神病症状の割には、薬なしでも急激に治ったりする。

 

⑫        思い込みがあまりに激しいために、時として妄想的にも見える。妄想的な体臭恐怖など。

 

⑬        時として強迫観念や強迫行動もある。

 

【ADHDのACの成り立ち】

 ADHDのACは、多くは多動の目立たないADHDの子供が、親や学校などから言語的に否定されるような環境の中で、「自分はダメだ」と思い込むところから生ずる。

状況が分からないのに無闇に周囲に合わせようとしてかえって見当外れで了解困難な態度となり、そのせいでまた二次的に自己評価が下がるという形で、疎外感だけを感じて成長し、自覚的にはACや境界例の「見捨てられ不安」と酷似した自己評価の低下をきたす。

 本人は「周囲に全面的に合わせている」と自覚するが、実際は思い込みが激しく見当外れであるので、周囲からは「了解不能」、かえってADHD的な部分に対して「天然ボケ」と言われたりする。

 自分の本来の「自分が納得する」ことを置き去りにしてひたすら周囲に合わせようとしているため、その一生懸命さに周囲が応えないと感じると激しい怒りが生じ、「私はこんなにやっているのに」とぶち切れ、暴れたりする。

 一度に処理できる問題が限られており、ストレスが多すぎると、うつになるよりも精神病的に混乱することが多い。

 

【ADHDのACの診断および治療】

①        まず「一生懸命な割には何を言っているのか分からない」というクライアントはADHDのACを一度は疑ってみる。

②        精神病状態があれば一旦は抗精神病薬で一時安定させる。

③        幼少期、特に5歳以下の生育歴や、家族歴で発達障害を疑わせる家族がいるか詳細に生活歴を聴取する。出来れば家族からの客観的な情報を取り寄せる。

④        「片付けが出来ない」や「忘れ物が多い」などの特徴ではなく、「状況理解の不足」や「思い込みが激しい」などの対人関係の特徴からADHDを疑ってみる。

⑤        本人にはまずACについて説明し、ACをカウンセリングで治すという形で治療に導入する。

⑥        家族歴の聴取から、家族にADHDがいれば、その家族のADHDの行動について詳細に説明し、本人がどうかについてはしばらくは保留にする。

⑦        生活歴、特に幼少期の生活歴をできれば家族から客観的に聴取し、発達障害を疑う特徴があるか情報を集める。

⑧        ACが軽い、ADHD的な特徴が強いケース、思春期などの場合は、本人に「ADHDである」ことを説明し、「これまでの不適応はそのせいであり、あなたが悪いのではない」と説明する。

⑨        ACが比較的重症なケースでは、AC的な認知を丹念に修正し、通常のACのカウンセリングと同様にすすめる。認知が修正されて「自分が悪くない」ことが分かると、とたんに元気になり、表情や服装なども一変して明るくなることが多い。その変化があまりに急速であるというのがADHDのACの特徴。

⑩        ACが回復した後は、ACであった時と回復後についてきちんと対比して本人に自覚できるように話を進める。

⑪        ADHDに抵抗を示すようなケースは、「ADHDをどう受け止めて、どうADHDとして生きていくか」に治療の力点を移す。

⑫        最終的にはADHDのコーチングに移行する。「ADHDでよかった点」まで自覚できるようになると、治療終結の可能性も大きい。

 

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