ACは母親が作る

 たびたび目にする非常に厳しい現実のひとつは、「例え母親は父親からのDVなどの被害者であっても、その母親の行動によって子供はACになる」ということである。父親のDVや無関心は子供がACになることの必要条件ではあっても十分条件ではない。兎にも角にも、母親とはつらい、厳しい立場であると言わざるを得ない。

 

 ある男性のケースでは、暴君である父親が、成長した本人が父親を言い負かすと、逆に母親に八つ当たりすることが続き、ついに母親は本人に出て行くように言ったことでACになったことが分かった。この男性は非常に母親思いで、自分が母親から出るように言われたことがショックであったが、「母親も大変だから」と無理やりに自分を納得させてその後生きてきた。

 

「自分が(当然自分のために)父親を言い負かすことが、母親を苦しめる」ということを当の母親から告げられたことで、「自分の存在そのものが母親を思う気持ちと両立しない」ということになり、自己評価は地に落ちた。また「母親に見捨てられたのか?」という問いから逃げ続けたために、その後ずっとこの問題から目をそらし、自分を誤魔化して生き続けなければならなくなった。

 

この男性はカウンセリングの中で「あなたは母親から見捨てられたのではないか?」との直面化を乗り切り、完全にACから回復した。男性の結論は、「改姓、母方親族への養子縁組」だった。

 

この一連の問題の本質はどこにあるか?

「母親が自分の問題から逃げた」ことの結果が息子のACを作った。もともと母親は父親に対し、「息子に勝てなくて自分に八つ当たりするのはおかしい」とはっきり父親と話し合う必要があった。息子に出て行けという前に、その話し合いをしたうえで自分が離婚するかどうかを自分の問題として考えるべきだった。その問題から目をそらすために、息子に出て行くように言ったことで、息子は事実上見捨てられた。息子の側から見れば、「離婚しないのだから父親を選び、自分を見切った」と考えざるを得ない。母親想いの息子であればあるほど、この苦しみは大きい。

 

 実際、父からの虐待のケースで母親の上記のような中途半端な態度の結果としてACの認知のゆがみが帰結されたケースは大きく、他のケースでは母親に本当に言いたいことを手紙に書けと言ってみたところ、「なぜ子供を連れて離婚しなかったか?」という問いになった。

 

 DVの被害者でもあることが多い母親には非常に酷な事実であるが、母親には、「子供を連れて離婚する」責任がある。どんな事情があっても、その責任から逃げることは出来ない。子供のACの多くが、その母親の究極の問題を表面化させないために、母親がじぶんの問題への直面化から逃げたために、母親の問題を代わって背負わされたと表現するしかない側面が確かにある。

  上記の男性の結論は、「母親が離婚しないなら自分が出る」「自分を見捨てた母親には伯母さんになってもらう」という結論だった。「これは自分の問題ではない。あなたの問題だと母親に問題を投げ返すためにここまでする必要があった


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