ACと人格障害

最初に「ACとは」の中で、ACの本質は認知のゆがみであると説明した。もともと「AC」は学問的な定義は無く、診断名とはならないが、状態を表現するのに役に立つので私はこの言葉を治療に使っている。ここで私が言うAC」と「境界性人格障害」の関係はよく質問されるので、ここでまとめてみよう。

 

 学問的な診断基準と言っても、結局は典型的な症状特徴をいくつか列挙して、「いくつ当てはまれば」と決めただけで、本質的にはただの「名前」「呼び方」でしかない。実際には、私が「AC」と呼ぶ人の多くが、医学的には「境界性人格障害」と診断されることになる。

 それは、境界性人格障害の診断基準が、主に(全てではないが)自殺企図や感情の不安定さ、周囲を振り回す対人関係操作などの「行動化」に重点を絞っているからで、私がACと呼ぶ認知のゆがみをもつ人の中でこういう行動に出る人はみんな「境界例」と診断されうることになる。

 

 まとめると、「ACは認知の特徴から見た表現で、境界例は主に行動の特徴から見た表現」ということになる。ただ境界例の診断基準にはACの認知のゆがみに関する項目も含まれているので、結局「見捨てられ不安などの認知のゆがみをもつ人はACだが、その中で激しい行動化を起こす人が部分集合として境界例と呼ばれる」ということになる。

 

 ところで、大事なのはどのような名前で呼ぶかと言うことでなく、どう治すかということである。認知を修正するカウンセリングの中では、行動化には「取り合わない」と言う方針を採るので、実際には「AC」で十分となる。行動化を相手にしない結果、治療関係が振り回され混乱することが最小限となり、また認知の修正という確かな治療目標があることで、治療は確実に前進が可能となる。

 

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 だから、一般的な意味での「境界例」にも、私のACのカウンセリングは有効である。見捨てられ不安が軽減できれば、行動化はおのずと収まってくるだろう。もしそれを好むのなら、私のACとしている全表現を「境界例」と読み替えても大きな問題は無いと考える。


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