AC、人格障害関連

子供に厳しくするということ

 「子供に厳しくする」ことは親だったら当たり前で、祖父母が孫に対してするようなべたべたに甘やかす態度は親の責任を自覚した場合はとれないのが当たり前だ。

 それは親には「子ども自身のこの先の長い人生への親としての責任」があるからで、それを明確に意識するためには、親として自分の子にどう生きてほしいか?を考えるとか、「親として子供にどんな大人になってほしいか?」、もっと単純に「子供がこのまま育って行って社会的に困ることにならないか?について真剣に心配する」といった合理的な思考が必須となる。

 逆にこうならないケースは、おそらく私の想像では「その場その場だけ表面上無難に治まれば良い」という依存型ジャイアン特有の思考か、「子供のことを責任を持って考えるのは自分で無くてパートナーや親がする」という形に丸投げが当たり前になっている場合であろう。
 
 「厳しくする」ことは「押し付け」であり、逆にそうされるほうからすれば好ましいことではない。しかしそれは「思春期以降の自分で自分をある程度コントロールできて自己責任で行動できる場合のみ」であり、少なくとも学童期(小学校4年生くらい)までは子供本人の責任にはならず、親が責任を負うべき時期がある。

 学童期までの親には、(当たり前だが)「子供本人が嫌がるから」という逃げ口上は使えない。これははっきり親としての責任放棄であり、仮に「子共自身の好むようにさせる」という選択をする場合でも、そういう選択をした親としての責任ははっきり存在し、その結果については当然親としての責任を負う必要がある。

 もっとも逆に「親は全面的に押し付けて良い」という発想も単純に推奨は出来ない。思春期以降は大人と同様に自己責任で扱うとして、それまでは親として「どこまで押し付けるか、どこまで子供本人の意向を通すか」について具体的な場面で悩み続けながら、「徐々に子供本人の意向を尊重して本人に責任を取らせる部分を拡大して行く」ことを考え続けるのが(これも当たり前であるが)親の責任であろう。

 親が依存型ジャイアンであったり、またパートナーや祖父母への依存があったりすると、子供が幼児期から子供の異常行動として問題が表面化する。問題は子供のほうにあるのではなくて、(ジャイアン型ADHDの子供が多いのだがそれとは別に)厳しく出来ず責任を負いきれない親(ジャイアン)の依存性にあるのだ。


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コメント

    • いずみん
    • 2010年 1月 07日

    あけましておめでとうございます。
    娘が3歳になり、まさにこの問題に直面し始めました。
    「その場限り」と「先延ばし」をやらないようにと心がけるのですが、やはりなかなか難しいです。
    さて、近頃twitterをはじめたのですが、これ、非常にADHD的なコミュニケーションツールです。そのときそのときの思い付きを140文字で投稿し、また他人の投稿に適当に突っ込みを入れたりするという。しかもmixiのようなじっくりしたつきあいではなくて、一期一会的なつきあいです。
    YANBARU先生、あるいは他のADHDの方も、ぜひお試しを。ただし、かなりハマります…

    • パパイヤ
    • 2010年 1月 08日

    「子供が幼児期から子供の異常行動として問題が表面化する。」
    とはどんなことでしょうか。
    ぜひ具体的に知りたいです。
    私としては、色々考えがあってしつけをしていていて(というか一方的な押し付けのしつけをしすぎないようにしていて)、とはいえ子供の様子を見てフィードバックして調整して試行錯誤していますが、本当にこれでいいのか?パートナーがいないので迷うこともあります。
    ちなみに私が子供のときは幼稚園のときにすでに「みんなは私のことを子ども扱いするけど、体が小さくて知識や経験が少ないだけで、(頭のよさ?判断力や理解力?が)大人と変わらない。」というようなことを内心考えていました。今振り返っても、幼稚園のときから大して変わってないです。(というより、大人になるにつれ、アホになってるかも。)
    そんな賢い子供だったのにアホな大人から変な押し付けをされて、大変迷惑しました。
    自分の子供も、お腹の中にいるときから意思や個性をはっきり感じました。
    という自分の経験と、ルソーの教育哲学を学んだ上で、子供に変な押し付けはやめようと考えて実践していて、特に問題も今のところ感じていないのですが。。。ほんとに大丈夫かどうかはわからないと思うので。。。

    • 182
    • 2014年 5月 09日

    暴君型ジャイアン親の私が、どの様にジャイアン娘に厳しくするかは、本当にとても難しいです。
    中心思考、衝動性、攻撃性の問題から、どうしても単に「態度が厳しい」だけの接し方になりがちで、「あ、しまった。この態度は違う。」と自己ツッコミに思い悩み、苦しんでます。
    私自身が親からの押し付けが一切なく、自己決定権が完全に担保されながら、面倒なことは全部のびた母が尻拭いしてくれると言う環境で育ったせいで(暴君型ジャイアンの理想的な培地ですね。)「厳しくする」とはどういうことか、結局、肝心のところ、そこが分からないのです。
    なので、どうしても「厳しく」というと非言語的な厳しさの方に流れてしまうんです。
    こんな風に非言語的に厳しく接していたら、ジャイアン娘は小学校入学を待たずに情緒障害に直行という感じで、ヤバイヤバイ、まじでどうしよう。という毎日です。
    どうも私は「厳しくして良い。」と思うとマズい方向に行ってしまうので、「妥協してはいけない。」と読み変えようと思ってます。
    とは言っても、難しいんですよね、これが。
    何を妥協しないと決めるか、また首尾一貫してそれを実行するのも難しいし…(´・_・`)

    • 182
    • 2014年 5月 13日

    幼稚園の先生から「長男くんはお片付けには興味が無い様ですね。」と連絡帳に書かれるまで、私は子供達に「お片づけしなさい」などと躾たことがなかったのでした。(¬_¬)
    だって、この家全体が救い様もなく片付いてないのに、どの口が裂けたら子供に「お片づけしなさい」って言えるんでしょうね。
    子供に言う前に先ず自分が片付けろよの世界で、せっせ、せっせと鞭打ってキッチンとリビングを片付けていたら、あっという間に夜が来て、もうお風呂の時間だ、寝る時間だ、ってなる訳です。
    それでも最近は色々と理解が進んだ事と、多分、薬も効いている様で、自分への自己ツッコミと、それを理由に子供を躾られないことを別の事と考えられる様になってきました。
    以前にもコメントした事があるのですが、いざ躾け始めると意外に楽だったのがASD長男の方で、彼は「おもちゃはもう寝んねよ。」と言うだけで、とてもとても大切そうにおもちゃを片付けて「おもちゃ、おやすみ〜( ´ ▽ ` )ノ」と言うのです。かわゆい。
    この言い方だと私自身に自己ツッコミが入らないんです。だって愛着玩具におやすみなんて、、、私の物が片付いていない事とは話が別なんです。明らかに。それで今では弟の方が片付け上手です。
    それがジャイアン長女だとこうはいかない。
    「お片付けして。」と言うと、真っ先に脱衣所に脱ぎ捨てられた私の靴下を持って来て「ママ、これはどこに片付けるの?」って、オメーは自分のおもちゃを片付けろよ!ボケ!カス!ってなるのです。
    ハイハイ。分かってますよ。私がちゃんとしてないのがいけないんですよね。分かってますってば!
    一時は自分のことを差し置いて人の事をとやかく言う性格は矯正せねば、と考えてたんですけど、いやまて、それを私が言う資格あるか?って思えば思う程、私の方が逆上する結果になり、結局、単に非言語的に厳しいだけの躾になるのです。アホですね。
    う〜む、やっぱり自分と相手との境界が曖昧って事なんですよね、これって。

    • 182
    • 2014年 5月 20日

    もしかすると、私は大きな勘違いをしていたかもしれません。
    「厳しい躾がツライのは子供ではなく親の方である」
    とは、多数派さんにとっては言うまでもない当たり前の常識なんじゃないか?と、ふと思い至ったのです。
    何処の何方も私に子供を厳しく躾ける事がツラく苦しい事だと教えてくれなかったのは、多数派さんにとっては「そんな、言うまでもない、当たり前のこと。」だったからでは?
    私はずっと「厳しい躾」がツライのは子供の方だと思ってました。
    親や教師なんて、思い通りに好き勝手に、感情の趣くままに厳しく当たってれば良いわけで、大人の方がツライなんて、、、思い返してみれば「殴る俺の手の方が痛い」なんてこと言う教師がそう言えばいたけど、そんなのただの欺瞞だと思ってました。
    だからずっと、ストレスで心身を壊すほど育児がツライ私は救い様の無い母親失格と。
    でも、何冊も育児本を読み、ADHDのペアレントトレーニング系も読み、それで気がついたのは、どうやら「誰だって聞き分けなく泣き叫び狂う子供なんて張り倒したいほど憎らしいですよね。」という大前提があると読んだ方が良さそうなのです。そんな事、どこにも書いてないけど。
    「本当に子育てって大変よねぇぇ〜。」「ホント、そうよねぇ。」って耳にタコができるほどよく聞いたこの会話は、「張り倒したい衝動」を「空気」によって当然に統制されることが「大変」なんだ。つまり。
    若干言い訳だけど、空気で統制されるのが大変なら、意思で統制する以外に無いのはもっと大変かも。

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