ADHD関連

医療から外すしかない

 本日ノーブルの先生方、幹部の方々と4月以降の勤務について相談する場があり、「時間外は困る」という回答を頂いた。
 
 また比較的交通便利な名護市の「ノーブルクリニックやんばる」での外来も4月からは無理で、「いずれは」という話はあるが、当分は本部町の本院での外来診察しか出来ないということになった。
 
 実際私自身も、「行き掛かり上」で今のやり方を押し通すと時間外に例えば「18時から21時まで自主残業して」ということにならざるを得ず、今度は病院の週一回の当直と月1、2回の日曜日直もあるので、もしかすると体力的にも無理かもしれないと感じていたところもあった。
 
 今回の問題は、繰り返しになるが、「成人発達障害のケアは医療経済にはなじまない」という非常に大きな問題にぶつかったという意味だと私は考えている。
 
 そこでやっと決断できた。「成人発達障害ケアを、医療から外すしかない」。
 
 私は沖縄県のさらに辺境に移る。地理的にも時間的にも体力的にもこれまでの外来の皆さんの相談を継続することは非常に困難となった。
 
 これがひとつの転機であると考え、「成人発達障害は原則ネット相談へ全面的に移行する」しかないと決断した。

詳細は以下のとおり。

1.当面4月、5月の外来は、通常の一般外来と同様に5分から10分程度の面接で主に薬剤調整の相談のみ、しかも本部町まで通院できる人のみということになる。(処方継続や診断書作成は短時間の一般外来で行うことは可能)。

2.(成人例は)重要な相談は前記の「ネット相談」の枠組みに全面的に移行して継続する。

3.4月、5月は本部町の本院(ノーブルメディカルセンター)で外来診療を行う。そこまで来られない人は6月以降に延期する(それでも名護のノーブルクリニックやんばるで10分間までの一般外来に変わるだけ)。

4.大変申し訳ないけれども、上記に対応できない成人例の方々は、今回を期に一般のクリニックや他院に卒業していただくしかない。

尚、「20歳未満」、または「子育て中である自身発達障害の母親」のケースだけは例外として金曜に「いずれ」開設予定の「児童思春期、発達障害外来」で診療を継続することを考えている。当面本部町のノーブルメディカルセンター本院まで来られる方は、4月、5月の金曜から外来は可能なので、原則一人一時間枠で予約を取って頂くことを開始する。

 これまで相談を継続してきた上記以外の成人の当事者やご家族の皆さん、大変申し訳ありませんが、ネット相談への移行の準備を各自お願いします。
 パソコンが分からない、使えない人は子供でも孫でも友達でも業者でも何でも使ってネット相談の体制を作ってください。
 無料ブログをパソコンで誰かに作ってもらえば、携帯電話からでも書き込みや閲覧は出来ます。アドレスとパスワードをあおぞらクリニックか私のメールアドレスまで通知してください。
 
 当面は本部の病院の外来、「いずれ」は名護市のノーブルクリニックやんばるでの一般外来でお会いすることや処方、診断書は作成できますが、10分程度の世間での「普通の」外来しか出来ません。

 どうぞご理解をよろしくお願いいたします。


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コメント

    • うずまき
    • 2010年 3月 26日

    先生のここしばらくの大きな混乱が、過集中によってひとつの画期的な結論に達したようにお見受けしました。「成人発達障害ケアは医療という枠にはあてはまらない」。ならば、新しい枠組みを構築されてはいかがでしょうか。
    先生のBlogをずっと拝見していて思ったのですが、先生の発達障害への探求は、単なる医学の問題にとどまらず、社会学・社会教育学的な問題とも深くかかわっており、また何よりも深く哲学的な問題(愛とは何か、時間性とは何かなど)に切り込んでおられます。発達障害は多面的で現実的な問題をはらんでおり、部外者にとっても興味を持ちやすく非常におもしろいのではないかと思います。
    私は、先生が「成人発達障害を人類学的観点から複合的に分析し(ここには精神医学も含まれる)、これらを一般社会と共存できるように導く教育システムの構築」という研究チームを、オーガナイズしたらすごくおもしろいことになるんじゃないかなと思います。ネット上のシステム構築もその中のひとつとして。
    研究の為の臨床例としてならば、経済原理は原則関係がないはずです(自然科学系にはうといのですが)。問題のタイムリー性、学際性から、うまくやれば(組む相手などや綿密な計画書作成)COEなどの大きな予算が下りる可能性は高いと思います。発達障害は世界中で関心が高い問題ですし。
    どうぞ、これを機に、「治療者」としてだけではなく、先生の「研究者」「改革者」としての才能を開花させてください。色々発達障害関係の文章を読みましたが、先生ほどご自身と厳しく対決しながら、だからこそ明確で揺るぎのない一貫性のある文章を書く人はなかなかいません。
    僭越ではありますが、私の意見を申し上げました。

    • やまねこ
    • 2010年 3月 26日

    こちらのブログにいつも助けていただいています。私は、人々の苦しみを取り除こうとする試みほど尊いものはこの世にないと思います。遠くから願うことしかできませんが、先生と先生の周りに集う方々の苦しみが癒されますように。

    • あまがえる
    • 2010年 3月 26日

    YANBARU先生こそ、本物のお医者様だと思います。
    公的に支援が得られてADHD、AS専門の体制を健康的に継続できなくてはおかしいと思います。

    • 匿名
    • 2010年 3月 26日

    小生はSNSで常に借金まみれの日本国家破綻が間近に迫っていることを訴えております。
    そこで数多くのコメントを拝見して思ったことがあります。
    外国語特に英語に翻訳したものをブログでも書籍でも活用されては如何でしょうか。YANBARU先生の精神的経済的時間的ご負担にならないよう、理解ある方の協力を得て(ちなみに小生は英語翻訳からして駄目ですが、申し訳ありません)。
    実現できれば、各国からの多大な経済的支援が集まるのではないか、と思うのです。そしてそれが最終的にはYANBARU先生だけでなく、多くの医師の診療に好影響を与えることに繋がるのではないかと。
    ポイントは我々同様自身が発達障害に常に直面して苦しみ、このブログに共感され、さらに翻訳してくださる経済的時間的体力的余裕のある方がみつかるかどうか、それだけに掛かっていると。
    それこそインターナショナル、グローバルな大きなうねりを起こすことになり、YANBARU先生のお立場も大変お仕事がしやすいものになるのではないか、と愚考いたしますが……

    • 匿名
    • 2010年 3月 27日

    先生、お久しぶりです。
    来年度から、大変ですね。お体を壊さないようにしてください。
    私も特殊な難病を診る医師のため、トータル約500例をfollowしています。1日50名を診るため、前日に予習し、朝から晩まで外来をやっています。ジャイアン医師な私は少しでもたくさんの患者さんと触れ合いたいという欲求から逃れられません。
    ただ、自分の限界までしか、患者さんは増えない(限界以上は診れない。)こともわかってきました。
    ネット相談も有効と思いますが、なによりも先生のブログそのものが一つの癒しですよね。診察室に入るような気分で見ています。今の構想だと先生自身が個々のブログへ往診に行くわけですから、先生の負担が余りに大きすぎるようで心配です。
    発育障害に専門性を持つ医師が増加し、先生の負担が軽くなりますよう願います。

    • 林檎姫
    • 2010年 3月 27日

    わたしは、専門家でないので難しいことはわかりませんが、先生が「治療者」でいたいのか、「研究者」でいたいのか、それによって変わってくるような気がしました。
    成人発達障害は医療から外すという考えは、わたしは反対です。
    ネットには限界があるように感じます。
    人間対人間が本当に向き合えるのは、やはり診察室の中ではないでしょうか?
    先生の考えは、斬新だと思います。
    ですが、今の時代ではまだ全員に受け入れられる考えではないと思います。
    「治療者」兼「研究者」は、いろんなことを犠牲にすることになる気がします。
    先生自身が、どうしたいかが一番ですけどね。

    • 黒すりごま(AS)
    • 2010年 3月 29日

    今は大きな転換の時期のようですね。難しいことはわかりませんが、現在の試みが成功なさるといいですね。

    • N.H
    • 2010年 4月 02日

    出会いは、がじゅまーる、
    あおぞらクリニックでお世話になっています。
    私は先生の患者で本当に幸せを感じています。
    先日の「最後」の対面診察で、まだまだ聞きたい事もありました。
    これから、母親になる不安が、赤ちゃんが育つのと比例するように
    日々大きくなっていますが、
    これからも自分と向き合えるように 焦らず信じて
    がんばりたいと思っています。
    ブログ開設したらご連絡します。
    先生、いつもありがとうございます。
    お体 大切に。

    • 匿名
    • 2010年 4月 16日

    <<自助グループを作ってはいかがでしょうか?>>
    やんばる先生に提案です。
     医師やカウンセラーばかりが身を削って頑張るのではなくて、アルコール依存症のAAや断酒会のような、当事者の自助グループを立ちあげられてはいかがでしょうか?
    もしかして、ネット版自助グループのようなものを構想されてのブログ相談なのでしょうか?
     ボランテイアで相談対応をされることについては、「頭が下がる」としか言いようがないのですが、仕事に対しては必ず報酬を請求すべきと私は考えています。保険診療枠でできないなら、自由診療という手もあります。 

    • ぴよよ
    • 2010年 5月 03日

    >「成人発達障害のケアは医療経済にはなじまない」
    これは、ヤンバル先生の長年の実践治療があったからこそ判明した実態です。
    多くの医師は、現場で何かを判明させる前に手がかかる種の患者は切り捨てたり距離を置くものです。
    世には学会もあり、そこでは私のような庶民には分からないストイックな闘いもあるのでしょうが、全国的な現場の治療力(普通は治療レベルなのでしょうが、何と比べたレベルなのかもまだ未整備ですよね。)が無いということは、時代の求めに追いつけないということで遅れを取っているのだと思います。
    遅れは、ヤンバル先生が必死で埋めていこうとしていかれてます。医療から外してでも。
    確かに、先の記事で話題にしているように、私達当事者は例え患者でなくても、一つまみの疑問は自主的に持ったほうが良いのかもしれません。ただただ、感謝するだけではなく、ただただ、そうしてくれる医師が身近にいないことに不満を募らせるだけでなく。
    そうでないと、この過剰な支援の実情の問題と葛藤はヤンバル先生お一人で背負わなくてはならなくなります。
    ヤンバル先生は折角私達に“一当事者”と、仲間であることをカミングアウトしてくれています。仲間だと言われながら、時代が作り出した問題については悩みも疑問も持たずにヤンバル先生に丸投げし続けるのは、本当の意味で仲間なのでしょうか。しかし一方、このブログのコメンターのかたたちの中には能動的にこの問題に心を砕くかたが多いので、ヤンバル先生のお志は、インターネットでは着々と伝わっていることも感じます。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2010年 5月 03日

    続けます。
    遅れた物を取り戻すとは、実際大変なのです。手間もかかり、消耗も余分にする。計画的に進まない。体裁もなかなか整わない。
    私は何かに貢献している訳ではなく、落ちこぼれたサラリーマンをしているだけですが、それでも右手と左手で毎日別人のような作業をしている気分です。
    ここで荒くれたことを書いている私。
    職場で心にもない(頭にはあっても)ことを子どもに言っている私。
    同僚の中で“外面”の仮面を不器用に被り続ける私。
    その一つ一つが時々距離を離して、頭の中で勝手に遊離していっている気がすることがあります。
    三人分の私を用意していると言ってもいいかもしれない。本当は三人分でもう限界以上ですよ。多すぎる。
    これで更に誰の前でも自然体でもいて欲しいし低姿勢も取るべきであり、普通に就労したいなら、周りも普通に気を使いたくないから、ちょっと遅いとかちょっと解りづらいとか無しで、どこかで適当に解決済みにしてしまって、目の前では普通にこなして欲しいのだと、話をゼロに戻して全部の要望を示されたら目まぐるし過ぎますね!
    そして一歩家を出たら人間全てが裁判官で、過去にやむなく義理を欠いて卑屈に接することが相応しい相手と、自分に無関係無関心ゆえににこやかに接することが相応しい相手を常時判別し続け、裁かれ、罰されて、一人反省会してでも心身に差し障りないようにして一日終了!?
    しかし現状は、当事者に求められていることの総括はこんな感じなのです。
    発達障害の全容を識者がまだ捉えられていないから、枝分かれした複数タイプの当事者に求められることをあれもこれも盛り込んで、混沌としてしまったのに現実的解決は当事者の忍耐にそれこそ丸投げされている。その理不尽さも当事者が問題の全体を捉える力が弱いため、私を始め気付くのがこんなに遅れてしまっているか、または投げ出しているのかもしれません。
    続きます。

    • ぴよよ
    • 2010年 5月 03日

    いつもすみません、続けます。
    発達障害の扱いがこのままで時代が進むと、未来の当事者コミュニケーションでは「私の態度の使い分け、合ってますか? 会う人会う人の顔色読み、一般就労のためにも全員正解目指して頑張ります!」と決意表明し合う訳でしょうか。一般就労の条件として、学生達は透視訓練でもするようになるのでしょうか。
    仕事はどこでしょう? 本業はどこでしょう!?
    注意力は本業に使いたい。
    これが私の選択なのです。選択した戦場です。
    少ない人数の大きな山の中(過去コメント参照)で叩き合いが始まった結果、全国の人間が“戦争”をしていると私は勝手に思っています。
    健康的な自己都合を叶えようとすると誰もが誰かを傷つけ攻撃したことになってゆく、丸で境界線様のカラクリが経済戦争の陰に出来あがっています。
    実行出来なくても受けますが、我が道を進み時勢を冷静に把握し、分析と行動を責任もって善意で実行した者もヤンバル先生のように“戦力外通告”は迫っていきます。
    また勝手に造語を作ってしまいましたが、『就労戦争』? いや『労働戦争』とでも言いたいと思っています。
    昔の労働は何かを産み出し何かを発展させるものでしたが、今の労働は“戦争”になりました。
    昔の本物の軍事力と軍事力の戦争も、いけないと分かっちゃいるけど誰もの自己都合が許さなくてやめられないものだった、のではないでしょうか?
    精神的には今も同じ共通項があるような気がしています。
    昔と違う所は、戦場は自分で選ぶこと。
    どこを選んでも選ばなかった場所から破綻する。誰もが破綻する。
    そして私は本業を選択しました。
    私はやはり目覚めてから一番に本業が気になります。成果が上げられなくてもとりあえず気になって仕方無いです。だからです。
    すみません。まだです。

    • ぴよよ
    • 2010年 5月 03日

    いつもすみません。ここはこれで最後です。
    私のような自覚済みの当事者も、自覚する所まで追いつめられない理由があって無自覚の当事者も、多数派に組み込まれている性格が偏った人も、純粋な多数派も、皆これから順に選択を迫られるのかもしれません。
    自分の自意識が一番気になって仕方無い当事者は、収入等二の次にして、人の評判や承認を得る手段をあらゆる手を使って厳重に確保し続ける戦場で戦うのかもしれません。
    依存が一番欠かせなくて何をさて置いても何が犠牲になっても孤独が受け入れられない当事者は、結婚等をしたくてそしてそれを維持したくてその戦場で戦うでしょう。
    選択は全ての個人の責任、しかし選択しなかった戦場では破綻が待っています。破綻はいつか身を滅ぼす。全てがめでたく納まる方法は私達にはもう存在しないと思っています。
    こう解釈することが、今、一番ちょうど良く私の頭に完結して納まっています。嫌ですねー。完結なんて。KYですねー。
    最後に昔の本物の戦争でも、何も時代に逆らえなくても良識を持った人は存在していました。
    今の『労働戦争』でも、何の利益にならなくても良識を持って生きられている人はいると思うのです。ヤンバル先生はその最たる存在で、出会えたことは幸運なのです。
    私達、自覚した当事者はせめてそれを見抜く目、幸運を感じる感覚を持って、そういう志を拝見したら記憶し、自分なりに黙って報いようと努力はしてもいいのではと思っています。
    この記憶が役に立つ日が来るかは分かりませんが・・・。

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