私は最近まで自分がジャイアンであることに気付かないでいた。実際合理的なADHDの発想がほぼ出来て、「状態」としては似たところにいた。
今から振り返れば、幼少期弟をいじめる中で、母親のジャイアンから「無視」という最終手段をとられて、自分の感情を引っ込めて「離人症」様の病的状態を付け加えたために、結果としてジャイアン的な「自尊」感情が表面化することが少なかったのだろう。
つい最近もジャイアン的な強気が裏目に出てトラブルとなり、仕事にまで大きな影響が出てしまった。つくづくジャイアンの自己中心的な「自尊」感情は生き辛さの元凶であると感じる。
以前は離人症の形で感情を抑えてきたが、ひとつその代わりに自分で合理的なADHDをインストールし直すということが出来ないものか、自分で試してみようと思う。
認知と行動のパターンはもうあるので、問題は「自分に不利な状況を過剰に感じてしまう」というジャイアン独特の直感の部分だ。
ACから回復すると同時に自己評価が極端に下がった状態から突然高すぎる状態へ移ってしまうところがジャイアンの難しいところだが、ここで合理的なADHDと共通の認知と行動の特徴を意識することで、多少客観的な見方が出来る。
まずADHDと自分を理解した後ではジャイアンであることの自覚が意外に簡単であるのもこのあたりの事情によるのだろう。
「自分はADHDなのだから」ということを意識して、ジャイアン的な自尊感情は抑えつつ、合理的なADHDをイメージしながら実際の行動をとれば、結果として「合理的なADHD」をインストールしたのに近い状況となると思う。
僕はADHDと診断を受けていません。
高機能広汎性発達障害と言われています。
幼少期の妹いじめを僕はよくやりました。
母親から酷く叱られたことから、家族からも距離をおく様になりました。
自分の感情を強く抑えて合理的な判断に基づいて行動するのは結構苦痛で、長い時間続ける事が困難でした。その状態は興奮状態であったように思います。頑張り続けなければ維持できなかったです。
僕には”合理的ADHD”のインストールは難しそうに思います。
そうですね。
頭の中ではもう一人の自分が「オイおまえ、言いすぎだぞ。ちょっとやりすぎだぞ。」と言い聞かせているにもかかわらずその内なる声に反発するように、さらに他人に当たりまくり暴言をとばしまくることがよくあります。
内なる声のボリュームをもっと上げるように努力すべきでしょうか?
自尊感情を抑えるというのは、反対です。
自尊感情を抑えられないので、リーダー気質をインストールするのが正しいジャイアンの道ではないでしょうか。
自分が不利な状況であっても、実力でなんとかすると考えるのが、ガキ大将と思います。
そこまでは難しいのであれば、せめてこの分野では誰にも負けないものを身に付けて、その分野については、自尊感情を丸出しにしても誰にも文句を言われないようにするのが良いのではないでしょうか。
人間には 適度な『自尊感情』は必要だと思う。
でも、その適度を通り越して人並み外れたムキ出しの『自尊感情』を携えているのが自己正当化(ジャイアン)型ADHDだとするならば、自尊感情を抑えずにリーダー気質をインストールしても『パワハラ』『モラハラ』炸裂のリーダーにしか成り得ないと思う。
また、得意分野で どれだけの実力があっても、自尊感情をムキ出しにし、周りに有無を言わせないやり方をした場合は それこそ世間で言う『天狗』や『高飛車』な態度で組織や対人関係においてトラブルの元になるのではないかと思う。
自分がADHDである事や、ジャイアン的要素を持っているという自覚が有る場合には「自尊感情を抑え、合理的にならねば」と考える事ができるかもしれないが、自覚の無い場合は永遠に『パワハラ』『モラハラ』『天狗』『高飛車』的な人生を歩む事になるのだろう。…と 私は思う。
そういう落ちだったですか!
暖かい目で見守ります。分からないことがあったら何でも聞いてくださいね。なーんて。冗談です。
私はおかげさまで毎日楽しくやってますよー。
なんだか、実は自分もジャイアンなのではないかと心配になってきました。今まで周りのジャイアンとうまくいかないのは自分がADHDで、ジャイアンの理不尽さを正直に指摘してしまうからだと思っていたのですが、自分もジャイアンの気があったと考えてもつじつまが合います。私の場合体が弱くて最終的な腕力勝負で確実に負けるからジャイアン的に振る舞えてこなかっただけで、根はそうだったのかもしれません。
周囲の人には尻に敷かれていると思われているのに、家では完全に亭主関白してる辺りも怪しいです。
先生の自己診断チャートをもう一度良く読み返そうと思います。