自己正当化型ADHDの子供は子供ながらに「(表面的な)ステータス」にこだわるようで、「大きくなった」とか「お姉ちゃん、お兄ちゃんだから」という「立場」で行動をセーブすることはある程度できるようだ。(逆に言えば、どうしてもダメという毅然とした対応をしていると、本人のほうがそういう意味づけで思い通りにならないことを自分なりに合理化して理解するとも言える)。
まあしかしこれにしても「相手よりも上の対場」を前提として受け入れているので、「平等」とか「相手の人格の尊重」といった対等の対人認識の真の理解とは言えないのであるが。
比較的IQの高いケースは本人が上昇志向で勉強などを頑張り、結果として社会的な地位を得る方向に進む。そういうケースは大人になっても部下としては困った上司となるが、経営者としてや、プロジェクトの推進者としての集中力や押しの強さはプラスに働くこともある。
20代の頃に不思議に共通するのは、「極端に死を恐れる」「加齢による衰えを恐れる」という思考で、「親よりも先に死にたい」など言う。やはり現実の世界で自分が中心であり続けないと極度に不安になるのだろう。
その意味では壮年期、定年退職を期にうつ病やパニック障害、最近流行のSADなどの形で表面化するケースも多い。
「相手の心が見えない」という根本的な問題は、想像力である程度補うことができると私は考えるが、その努力をする必要がある現実の人生の経過になるのかどうかがポイントとなる。
私の場合は同年代と比較の余地もないほどドンくさく精神的に幼い子供であったので、青年期になるまで自分は世界の外に居て、比較は成り立たないのだと思い込んでいた。
ただそのおかげで優位に立つための無意味な努力から開放されていたとも言える。
やはり早くからADHD自体の診断をつけて、正面からADHDの自己理解という形のコーチングを思春期前から開始するのがベストであると思う。
はじめまして。
>「極端に死を恐れる」
正に当てはまります。現在、30代も後半にさしかかりましたが、大学時代から自分にも死がやってくるのかと思うと猛烈に苦しくなります。そして自分が死んだら世界が終わる!と思いつづけています。(だから死んだ後のことはあんまり考えずに、費用対効果を考えながら、その時の快楽を享受続けて生きたいと願っています。)
あと、子供のころから優位にたとうと競争心があまり働きませんでした。学業は興味があればその科目は伸びる子だったため、高等教育も何とか誤魔化しながら修了できました。
私は、自己診断では合理的ADHDと思ってますが、多くの共通例があるのでしょうか。
20代の半ばを過ぎた頃、45歳時満期の養老保険に入りました。45歳の自分が存在することがどうにも想像できず、契約をした後で、45歳の自分なんていないのにどうして入ってしまったんだろう、と本気で後悔したのを覚えています。
その頃は、30代になったら何もできなくなってしまう、40代になったらもう何もかも全部なくなってしまう、おしまいだ、そんな意識が少なからずありました。
実際その年齢を迎えたとき、できなくなったこと、失くしてしまったものは沢山ありましたが、すべてが消えてしまったわけではありませんでした。手元に残ったものもありましたし、何より私は存在していました。そのことに安堵するよりも、ショックを受けました。終わりだと思っていたのにどうしてまだ続いているんだろう、こんなはずじゃなかったのにどうしてだろう、そう感じました。まだ続くのか、とも。(傲慢なことです。)
自分がどうしてそんな風に感じたのか分からなかったのですが、
> 現実の世界で自分が中心であり続けないと極度に不安になるのだろう。
…こういうことだったのだと納得しました。
弟たちが生まれる前の、周りの大人みんなにチヤホヤされていた期間。「おねえちゃん」「テストの成績(だけ)がよい子」の地位に胡坐をかいて満足していた高校入学までの期間。この頃私は自分は中心(もしくは中心に近い位置)にいると感じていただろうと思います。その記憶に今も縋りついて離れられない自分をより強く自覚しました。
> やはり早くからADHD自体の診断をつけて、正面からADHDの自己理解という形のコーチングを思春期前から開始するのがベストであると思う。
40年前にこのようなサポートを受けていたら今頃自分はどうなっていたのだろうかと考えてみましたが…。イメージが浮かびません。
優位に立つための無駄な努力(私の場合はそれが「分かったフリをする」という変な方向へ向いてしまいました)などせず、ちゃんと自分と向き合って、自分の問題を自分で解決できる人間になれていたでしょうか。