自己コーチングガイドは、発達障害別の各論で作る予定で、総論と各論に分かれます。ここでは次の総論に行く前に各論を夫々考えてみます。
自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのA(注意集中の特徴)
A.注意集中が自分でコントロールできないことを理解する。
どんな対象に対しても、適当なときにある物事への注意集中を開始し、適当なときに切り上げ、また適当なときに再開することについて、多数派はまんべんなくコントロールが容易である。
これに対して、ADHDは、興味を持てる事柄への注意集中は非常に強い反面、興味を持てない事柄への注意集中は非常に困難である。興味を持てる事柄への注意集中も、適当なときに始めて適当なときに終了することは難しく、コントロールが非常に難しい。
(ここに「自分の生活の中で上記の説明に当てはまることがありますか?」という書き込み書き込み欄が入る)
この困難さを克服する方法は、「周囲の環境をうまくコントロールして、その結果として注意集中を間接的にコントロールする」 という方法である。
例えば「興味を持てる物事と関連付けて考える」とか、「周囲の物を動かして気分を変える」とか、「関連する道具を新しく買ってくる」といった環境の変化で注意集中を間接的にコントロールすることが可能となる。
(この後に「上に書き入れたあなたの困難さに対して、上記の工夫を考えてみて書き入れてみましょう」という書き込み欄がある)
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
>例えば「興味を持てる物事と関連付けて考える」とか、「周囲の物を動かして気分を変える(以下引用略)
>上に書き入れたあなたの困難さに対して、上記の工夫を考えてみて書き入れてみましょう
家事を『仕事』としてではなく、たとえば
・掃除=気分転換
・洗濯が終了するまでの時間=自分の好きなこと(パソコン、読書など)をする時間、
・大掃除、衣替えなどたまにやる大掛かりな家事=年間イベントとして考え、自分で楽しめる要素を盛り込む。
・・・と考えると、作業自体は得意とは言えないまでも、そんなに苦手なことではないので、それなりに楽しめるのではないか、と思いました。
こうして考えていくと、私は
『注意集中に困難はあるので工夫は必要であるけど、一般的にADHDの人が苦手とする分野(片付けなど)が比較的できるほうなので、ADHDには見えないタイプ』のではないかと思います。
だから自分で確信できないのかな?と思いました。
『片付けができない』はADHDの代名詞みたいなものでしょう?
だけどその反面状況理解になると、ADHDといわれる人の中でもわかってないほうではないかと思うし、
部屋は(比較的)片付いていても、頭の中は全然整理できていない。
頭の中がいつもぼんやりで、スッキリ片付いていないぶん、せめて目に付くところ(部屋など)は、そこそこきれいにしておきたいのかも、と思いました。
こうして考えていくと、『コーチング』というのは
自己理解から始まるものなのかな、と思いました。
・・・何度も失礼しました。
もう一度、自分を良く見つめてみます。
注意集中もそうですが、私の場合
『刺激に対して過敏に反応しやすい』というところがあると思いました。
それと同じようなことが、頭の中(思考)でも起きています。
自分はこうと決めながら、ほかの情報を聞くとすぐ新しい情報を聞いてしまう。それだけならまだしも、自分の決心まで簡単に揺らいでしまう。
これの対策としては
・一度決心したら、他の情報はなるべく入れない
・決心を話す相手(場所)を選ぶ。
自分の決心に賛同して黙って聞いてくれる人もいれば
他人の生き方に意見したくなる人もいる。
他人の生き方に意見したくなる人が悪い、というわけではない。ただ自分は聞き流すことができないのだから、人から別の意見を言われて、一度決めた決心が揺らいでしまうくらいなら、最初からそういう人の前では話さない。
『相手を選ぶ』ということを、私はいままでしたことがありません。これは状況理解ができないこととも無関係ではないですが、
相手を良く観察すればある程度可能ではないかと思いました。
・・・・今日はこれで終わりです。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
yurin様
あなたは自分なりの工夫で表面上は普通であろうと努力してきた結果であると思います。このあたりがADHDのACの損なところで、「出来るじゃないか」と言われて辛いところ自体が理解されないくいという皮肉な結果になります。
だからこそ、どこがどんな風に苦手なのか、どんな風にすれば出来るのかを客観的に理解しましょう。
コメントありがとうございました。
>自分なりの工夫で表面上は普通であろうと努力してきた
周囲がそう望んでいたから、というのは言い訳かなと思いますが、『頑張って、普通じゃないのに普通になろうとして、どっちでも無くなってしまった』状態は、自分でも悲しいし辛いものです。
おかげで自分が『本当は出来ないこと』すら『できる』と勘違いしてしまってる部分も多く、それで苦労しています。
自分としては、もう既に『普通』にそれほど未練はないけれど、
無意識のうちに刷り込まれた『普通』が若干残っていて、やっぱり中途半端、といった感じでしょうか。
元に戻るのがこんなに難しいというのも、考えたら変な話ですね。
コメントありがとうございます。
yurin様
元に戻るときの秘訣は、「好きなことを大事にする」ことです。最初は少々やりすぎても、好きなことを徹底してやってみるところから少しずつセーブする形でバランスを取るのが良いと思います。一度は「徹底して偏屈になる」という形を取ったほうが後は楽だと思います。
コメントありがとうございました。
YANBARU先生へ質問です。
>好きなことを大事にする」ことです
好きなことというのは趣味等のことでしょうか?
それとも、そういうものでなくても、自分の好きなことでいいのでしょうか?
『趣味を楽しむのは生活をきちんとしてから』として今までやってきたので、特に趣味ってないんです。
YANBARU先生へ
>>好きなことを大事にする」ことです
>好きなことというのは趣味等のことでしょうか?
うーん。ココを読み返してまた私は勘違いしてるような気がしてきた。・・・いつものことですが。
『好きなこと=趣味』と安直に結びつけてしまったのだけど
『好きなこと』というのは、そんな難しく考えなくていいんですよね?
YANBARU先生
>だからこそ、どこがどんな風に苦手なのか、どんな風にすれば出来るのかを客観的に理解しましょう。
自分にとって苦手度が高い作業や仕事は思いきって『人(または業者)に頼んでしまう』方法もアリではないかと思いました。
私の苦手(困難)の一つはは『掃除』であることがわかりました。
それは『どこまでやったら終わり』という判断ができないからです。特にお風呂場やキッチン周りは、汚れの種類も場所も広範囲で『区切り』がつきにくい、掃除中でも他の場所の目に付いた汚れに気を取られてしまってなかなか終わらない。かつては窓ガラス2枚2時間かけて、サッシの溝の汚れまで完全にきれいになるまでやっていたくらいです。
さすがに今はそこまでしませんが、この傾向はまだあるので、苦手な場所は思いきって業者に頼み、工夫次第で楽しんでできる作業だけを自分でやる、という方法にシフトしようと思ってます。
コメントありがとうございました。
yurin様
ここは大事なところで、趣味でも何でも、「熱中できること」を見つけて、「楽しい」と感じられる時間を作ることが大事です。「家事が十分に出来なくてもいつも元気で自分の好きなことをして生き生きとしている」だけでも周囲の人に受け入れられることが可能です。まず楽しめることを探しましょう。それでずいぶん回復のあり方が変わります。
楽しいと思える事というのをどう解釈していいのかなかなか解らずかなり考えました。
結論を言えば自分がいいと思える事、納得できる事を選べばいいだけのことでした。
最近の記事の中にもヒントが幾つかありました。