ジャイアンの中心志向と(積極奇異型)ASの中心志向は非常に良く似ているが、根本的に違う点があり、最近それについて考えている。
ジャイアンにとっての「中心」とは、「自分こそがそこに立つべき」であり激しく切望しておりながら、「決して実際に立つことはできない、到達できない」という性格を持っている。
もっと言えば、「到達できた場所は中心たり得ない」ということになり、さらに高い場所を「中心」として追い求めることになる。このプロセスに終わりは無い。つまりジャイアンにとっては中心とはあくまでも「比較の中でのより上位の場所」であるのだ。
対してASの「中心」は、「自分のこだわり」であり、他者との比較は無関係なことが多い。
それは、ASにとっては、「もともと世界の中心は自分」であり、逆に「自分が世界の中心から外れていることなどありえない」という基本的な暗黙の前提のようなものが終始確固として存在するからだろう。
つまりASのとっての中心志向はあくまでも自足的、自己満足的なものであるのだ。
この違いは重要である。ジャイアンの場合、(表面的であるが)相対的な比較の世界であるので、(前進とは言えなくても、)「常に自分から変化し続ける」ことは可能となる。
対してASの場合は、「自分から変わる」必要は本来は無い。愛着の対象との関係や社会的な状況によって、現実の姿は変わらざるを得ない場合であっても、「変わったのは表層の現象だけで、本質は何も変わっていない」といった思考が登場して、結局「変化はそれほど無かった」ということになる。
だから私は、「ADHDは状況(空気)が分からない」のに対して、「ASは状況(空気)を分かろうという気が無い」と考えている。なぜならば自分なりにすでに自分が世界の中心であるという形での「分かった」像があるからであり、「自分が多数派とズレているかもしれない」というような不安になるようなイメージを持つ必要は第一義的には存在しないからだ。
(これはもちろん受動型の場合にも、はっきり当てはまる。非常に自己中心的な形で多数派の「空気」とは根本的にズレているのだが、その点は本人にだけ見えないことが多いようだ。「自分が中心」という意味では積極奇異型よりもはるかにAS的であるのだが。)
>それは、ASにとっては、「もともと世界の中心は自分」であり、逆に「自分が世界の中心から外れていることなどありえない」という基本的な暗黙の前提のようなものが終始確固として存在するからだろう。
幼稚園から小学校低学年くらいの頃は、これがあからさまに意識にあったかもしれません。
この頃は、私がまだ結婚を諦めていなかった時期(10歳以前で諦めていたらそっちのほうが病気でしょうが)ですが、当時考えていた都合の良い空想には、社会の一般人集団の中でKYでも、結婚したら私という人間に個別対応してもらえて、個人の世界を尊重してもらえるから、相手にはそうする義務が発生するから、みたいな内容を考えていたような気がします。(もちろん、こんな内言語があるはずもありませんから、子供用言葉でです。)
そんな力量のある、さらに社会性を備えて成熟した大人がいるわけありませんでしたね!
母は、今でもこのASの中心思考回路が分かりづらいらしく、(あきらめてるっていうのに)私が丸でお金持ちの容姿端麗な高学歴のセレブ婚を望んでいるのかと言って、結婚する気配がないことに苦情を言います。
違います・・・。
この違いの内訳が、私のハンデでもあるので、誇れませんが。
でも、セレブ(高望み)婚も望めません。いくら、そのほうが普通そうでも、もう引き返せないですね。
とある有名人が書いてました。『理想の恋愛は、相手に「いい女だ」と思われる形』自分がどうしたいかではない目標。これは私の人間関係に対する信条とだぶりました。
しかし、私の努力に関わらず他者の好き嫌いの感情が伴わないと成立しない関係は、成り立たせられませんね。
自分の心身を守るために、いつかは相手を脅さないと持続しなくなりそうで。
受動ASの願望は、究極の完璧な精神的“見返り”や“賞賛”ででもできているのでしょうか?
確かに物質的見返りにはさほどこだわりませんけど。
精神的見返り・・・名誉な響きですが、実在し無さそうですね。でも(どんなものかしら)と空想に浸るなら、うっとりするかもしれない。時間があれば、ですが。
・・・今日、多数派友人(ほとんど母親代わり)に会って、初めてリアルで自分がKYで、相手にかなり気を使わせていることに気がついた・・・(!!)
家族全員がKYで、異様なまでの中心志向の只中で育った私は、2~3年前まで「お風呂入るところだから電話切るわね」の意味まで、真に受けていました。(!)
(今、思うと母だけは空気・・・いやな意味で・・・読めてたけど。)
ところでぴよよさん、私の場合、セレブ婚どころか回復した人の中からまともな人を探すしかないんですけど、
(あと今思いつく異性は美容院のイケ面のヘアメイクさんだけだ・・・しかし、どうモーションかけたらいいのかさっぱり分からん。)
ジャイアンの、「もっと質的にいい出会いがあるはず!」という思い込みで生きてます・・・
PS;最近朝晩「金が・・・金がかかり過ぎ・・・」でうなされる。AS元彼もある意味余計な事をしたもんだ。・・・まさか、自分の”教育”で家庭崩壊するとは思わなかったんでしょうが。(そこまでゆうと多数派ヘルパーさんには、「また人のせいにしてるぅ~」とたしなめられますが。)
やっぱりねぇ
今回ので非常にはっきりしました
私は父の生き方は自己満であると思っていて本人にも言ったのですが、、、。やっぱりASの特徴か、、、。
無駄に飲み歩かず、持ち家があり、世間一般には良い旦那かもしれない
しかし祖父が飲み歩くのが嫌だったから飲みあるかないだけで、あくまで本人の価値観のこだわり。
家も本人が狭い空間が嫌いで廊下がない
そして収納スペースもない
それで良い家だろうと押し付けられても!?
私が小さかった頃、父は麻雀にはまりお金をかけ、負けたので母にかなり怒られたらしいが
俺の金をどう使おうが俺の勝手!
と言ったらしい
結婚や子どもが産まれるにあたって
俺の金で養わなきゃ
とかいう覚悟や責任は感じなかったのだろうか?
本人はその件は反省したといい、麻雀にはまることもなくなったが
子どもとして
やはりどこか自分勝手で無責任なままなのは否定できないです
父曰く
自分が反省する必要があると思えば反省するが他人に反省しなさい言われる筋合いはない
そうです
どこまでも自分は悪くない
と思っているらしい、、、。
そんな訳で父が変わることはないだろう
と思っています
父はサラリーマンでそんなにプロであることが必要な職種でないので
自己満でも生きてこれたのかと思いますが、、、。
くららさん
前から何となく思っていましたが、
何故にお父様家とそこまで似ている!?
(家の父もちなみに会社の「実質的創立者」というだけで、No.1は他にいるのでいわゆるサラリーマンの部類に入ります)
麻雀大好き、
間取りの悪い家を建てる、
自分勝手の固まりですぐ「○○してやった」という、
70過ぎても全く変わりません。
家の場合養ってもらっているので
あまり悪口が言いづらいのだけど、(言ってるじゃん)
「自分が反省する必要があると思えば反省するが他人に反省しなさい言われる筋合いはない」
とゆう科白までそっくりです。
ASはどこも皆同じなのかな。
ちなみに弟は最近(いや気づけば昔から)
父に似ていて
嫁さんに菜食主義を押し付けたりパーマはかけるなと命令したりして、
家では十分亭主関白みたいです。
僕はジャイアン型で無い方の中心思考が強いです。それはこだわりです。自分がする行動への。お金もとてもケチケチして家計簿付けます。
限界まで追いつめてからしか多少の余裕が必要な事を認めません。
外への関心はほとんどないので、引き蘢って好きな事を徹底的に極め続ける感じです。芸術家になれたらいいのにな。
エドはるみではありませんが、ADHDは「いくつになっても変われる」のが最大の強みだと思います。
私は二十ン年前に美大を出ているのですが、美大というのは過集中できないと入試に受かったり課題をこなすこと自体が困難なせいか、学生・教師ともにADHD的な人間が多数派を占める稀有な空間でした。
といっても、明らかなジャイアンは滅多にいなかったです。
ADHD美大生は自分より明らかに上手い人を見ると謙虚になるというかへこむ習性があるためだと思います。
ただ、それは美大にジャイアンがいないのではなく、皆心の中に一人ずつ我侭で厄介なジャイアンを飼っているということのようです。心の中のもう一人の自分に「全然なってねぇ!」「ハッ、本当にそれを人前に出すつもり?」と言われるから先に進むことができるし、伸びることができるのです。
今から考えるとAS的な人も少数おりましたが、不思議なことにAS美大生は「天才」と「絶対使えねぇ奴」のどちらかしかいませんでした。ASの描く絵は最初から完成されていて、入学から卒業までいくら描いても不思議なほどうまくなりません。うまくなるならないではなく、文字通り「変わらない」のです。そしてASは自分の描いた絵に異常に執着します。
(ADHDは過去の絵には執着しませんが、画材や古着や空き箱や壊れかけた機械になぜか執着します。思い出関連?)
ADHDは自分が変わることに躊躇がないのでうまくハマれば「化ける」ことができますが、アスペルガーは化けません。「努力すれば」「頑張れば」なんとかなるのではなく、天才は天才なりに、使えねぇ奴は使えないなりに本来の姿になるだけです。
のだめの「千秋先輩」はAS的ですが、自身が持つポテンシャルがとてつもなく高い上に、本来の「天才」に向かって邁進中なのであんなにカッコいいのだと思います。
むーんさん。
作業所のお仕事でかなり頑張ってらっしゃるようなので、そっちまで無理して探さなくても・・・。たぶん冗談であろうと思いますが。ww
恋愛は、エネルギー消耗しませんか。ww
想像ですけど、もうコーチと生徒のような関係は懲りた・・・のではないでしょうか。
(コーチと生徒の関係、マンガで読んだり空想する分には素敵そうですよ。でも、むーんさんの詳細な実例を見て、これもきつそうだな!と思わされましたよ。)
でも、対等な関係ってのも、なかなか疲れそうですよ。
(冗談ですけど)私の母、貸しましょうか?w
今のむーんさんになら、母の説得は届くかもしれない。w
結婚に対するバラ色の夢と現実とか、あんな突っ込み、こんな突っ込み、もしかするとご自分で自己突っ込みでこなしてしまいそうな注意事項を、母はひととおり言えます。w
準備や覚悟をして、最後はちゃんと結婚したい人に、役に立つ説話のようです。w
だから、間違っていないけれど私が聞いても頭の中ですれ違っていくのです。
私が聞いても、もう平行線なだけです。親不孝なのです。w
母は、本当は言いたいけど言わないでいてくれてるのです。
ーー「自分が多数派とズレているかもしれない」というような不安になるようなイメージを持つ必要は第一義的には存在しないからだ。ーー
息子AS。夫・・多分、いや絶対AS。
少し前、夫は職場の先輩(年下)から本を渡された。
「これ、読んだ?」
「読んでないです」
「面白いから読んでみて」
そう言われて受け取ったのは【バカの壁】
夫は私に「別に読みたいと思わないし、普段から本を薦める人じゃないんだけど・・?帰りの電車で読んでみたけど、興味がないから、眠くて眠くて・・寝ちゃった」
数日後、私も読んでみたけど、4時間で読み終えた。夫だったら、仕事の行きと帰りの時間で、2日で読み終えるはずなんだけど・・・10日経っても、まだ持っている。
職場の先輩は、何を伝えたかったのか・・。
私は夫に言ってみた。(やや省略してます)
「文中から、何か読み取れた?・・文中に、【会話などのコミュニケーションは、相手との感情共通の理解の為】って、何度か出てくるけど、それが言いたかったんじゃない?」と。
夫は
「そうかなー。そういう事は読み取れなかったけど」
先輩は、さり気なく本を渡して、夫に気付いて欲しかったんだと思うけど、無駄に終わりましたとさ。
(全て、私の憶測ですけど・・)
皆さんすいません
ここでの本題からづれますが
私は千秋先輩が嫌いです
ついでに千秋サマを演った玉木宏もキラいです
(家の父の若い頃に顔立ちが似てるのもやです)
CMに出てると「いやっ、来ないで~」になります
私が好きなのは、
真澄ちゃんを好演(怪演?)した小出恵介クンの素の演技です
「きみにしか聞こえない」の聾唖の青年とか
「ROOKIES」のいじめられっ子野球ボーイとか
「僕の彼女はサイボーグ」の孤独系ダメ男とか
でも頑張れば変身しそうなADHD的(!?)な感じが好きです。
思春期に
「もしかして自分って他人とズレすぎてるのでは」と気付いたときの結論が
「本質的にズレてるのは仕方ないから、表向き合わせるスキルを手に入れよう」
でした。
自分そのものを変えようという発想はなく、
自由につけはずしできる化けの皮をこさえようと思ったことを覚えています。
ぴよよさんの文を読んでいて思った
ASって結婚したら○○してもらえる
とは思っても
結婚したら○○しなければならない
とは思わないのだろうか?
私が読んだ恋愛本等には
いい男を望むなら
自分がそれにふさわしいいい女にならなければならない
と書いてあったと思います
ぴよよさんがセレブ婚を望むならそれにふさわしい女になれば可能だとおもいます
障害のせいにせず頑張ってください
ASの見返りや賞賛を求める態度は私は嫌いです
特に私の場合相手が父親なので子どもには無償の愛を注ぐべきで見返りを求めるべきではないと思います
なので小さい時から
親切の押し売りはやめてくれ!
といってきました
ASの場合相手にどうしたいか聞かず自分の価値観の押し付けだったりするのでそれでは感謝できないです
クリスチーネさん
美大もADHDが多いと思いますが音大もそうです
友達の家に伺うとピアノの上に楽譜が散乱、なんてことがよくあります
たまに綺麗だ
と思うと
ピアノの下に隠してあるだけだったりして(笑)
本番に楽譜忘れる人
とか
楽器を自転車かごに忘れる人とかもいます
やはり過集中しないと音楽もできないことだと思います。
ただ音楽の場合0から作るのは作曲家位なので
そういう意味では
いわれた通りにしようとして記憶力が良くて賞賛を求めるASも美大よりは多いかもしれません
ただやっぱりASは練習嫌いだったり、表面的であまり変わらない&変われないイメージがあります
アンサンブルなどメンバー間のやりとりが必要で且つ自分を即座に変えなきゃならない場ではASは少ない気がします
が、先生としてバリバリ活躍している方にはASは多いかも。また、変わる必要のない、というかコロコロ変わると困る指揮者にもASは向いている気がします
千秋ASみたいな指揮者知ってますけど
僕練習嫌いだからピアニストにならなくて良かった
と言ってます
そんな訳で千秋先輩みたいな人はあんまりいないかもしれません
ゆうさん・・・
私はその本を読んでいないのですが、少し前の深夜TVでその本の著者の幼少期のドラマ?をやっていました。
そこでのT少年は、(今の著者からは想像できない)自分の考えや感情を上手く表出できない子で、その他の特徴も含めてうちの息子にそっくりでした(もちろん、優秀さは違うけれど・・)。
かなり受動型ASっぽい感じがしましたよ(無責任な素人判断です)。
それで気になってその著者の作品を読もうと思って忘れていました。 どうですか? そう思って読んでみると、何か気づく事はありませんか? その先輩はスルドイのかもしれません。
話をきくとどうやらわたしの相方は、中学生ぐらいまで積極奇異型で、高校で成績、スポーツも自分より上回る仲間に出会えたことなどで次第に「オレ様」でいられなくなったため、修正してきた人のようです。
人を蹴落として前に前に出ようとしたり、いじめで家庭裁判所に呼び出されたり、というやんちゃ坊主だったらしいのですが、今はそんな幼少期を想像し難いぐらい、のんびりと落ち着いた感じです。
そうやって修正してきた彼ですが、わたしの場合、本来のADHD的な性格を修正すると周りを異常に気にするようになってしまいKY発言にもびくびくして精神的にかなりやられてしまったのに、なぜ彼のようなASの場合は極端に修正してもそんなことにはならなかったのか?と考えていました。
これはASが「自分が多数派とズレているかもしれない」と考える必要もないからだったんですね。
わたしの場合、自分が変化して周りに合わせなければ、と必死になっていましたが、ASの場合はそうではなく、周りが自分のものであり続けるために自分が変化(というか許容範囲を広げる?)する、というかんじですかね?
たまに色々なことが面倒になって逃亡したくなるぐらい疲れているときに、彼と喧嘩をしてしまうと、逃げたいバロメーターが満タンになり、彼をいないとみなした完全無視行動をしてしまうようになりました。
これをやると言葉にはしませんが彼が嫌がるのがなんとなくわかります。おそらくわたしが自分の領域外にいってしまったと感じているのではないかな、と思います。
嫌がっているのはわかるけど、わたしも疲れていて妥協できないので気がすむまでそうしています。
共依存にならないように自分の内側の声にちゃんと耳を傾けていきたいと思います。こうできつつあるのも、ここでの勉強のおかげです。
怒りのツボはハマラナイのですが、中心志向ではハマっていそうでどうも、ADHD的。
以前にも書きましたが、スポーツをやっていた頃が、この「もっと高く、もっと上へ」が自分の中では、スムーズに(正当に)表に出すことができて、一番楽でした。
それがメインの生活だったのが、ズボッと抜けた(体調を崩して)時点で、バランスが取れなくなった感じがします。
芸術(創作)面でも、見聞きするもの、回りの影響、時の流れ・・全てに左右されて、一貫した作品なんて創れないだろうなぁ~と思います。
ただ、自分の思考回路が「相対」「比較」でありすぎて苦しいので、とにかくどこかに「芯」が欲しくてしかたがなくて・・・みたいな気持ちがAS的な部分として身に付いているのかな~と思います。
そういう「揺るぎないもの」があれば、この不安定さから解放されるんじぁないのか・・・と。
で、ストレスがジリジリUPしてくると、他者を遠くに置こうとしてますね(笑)。
まぁ、他者からすれば、「無視」されているように感じさせてしまうのかも、、なので、危険行為ではありますが・・・。
近すぎると「依存」もそうですが、「相対」や「比較」も増すのかもしれなくて、けっこう無意識にそうやってストレスレベルを、下げようとしている気がします。
ただ、最近は多数派さんも含めて接触が多くて、そうもしていられなくて、ちょっと別バージョンが必要になってきています。
「相対」や「比較」の回路も“一話完結”というか、その場その場で打ち止め!!みたいな・・・。
グルグルはイヤだけど、ゴールのないレースを走るのは好きっほい〔笑〕。
kei_さんのコメントは、いつも気づきがあります、ありがとう、
今日、少し空気が読めてきて気づいたのは・・・
中心志向(と過集中)を見抜かれて、
(端的に言えば、この子できるじゃない、馬鹿にしてるわねということで)
2回目にしては、難しいというか重労働を任されすぎている・・・だから、疲れた、
これからは(ジャイアンには難しいですが)「サボり方、気の抜き方」を覚えるつもりで行かないと、また潰れるなと・・・
究極、週1で過集中するより、毎日行ってサボっている方法を覚えないと・・・(と、言っても気質的にすごい無理なんですが。)
ヘルパーさんにも言われましたが、「やればできる」というのも問題です。とりあえず気を抜こう。
研究者的には、このASの“他者との比較は無関係”って特質はとても重要だったりします。周囲の評価に惑わされずに(空気を読まずに)、自分の信念に従ってコツコツと研究を続ける…科学的ブレークスルーには必要です。そう、ちょうど青色発光ダイオードの発明のように…(発明者がASかどうかは知りませんが、周囲のアドバイスは聞かなかった上に、人の論文は読まないっていう現代の研究者的にはありえない暴挙に出たらしいですから)。
ASの積極奇異型の一部は、社会で揉まれて、他者との距離やコミュニケーションの取り方を(知識として)学んで、社会に適応してそうです。表層の現象だけ変わったと言われれば確かにそうで、本質は変わり得ません。私も知識を増やしただけで、本質は何ら変わらないと自分でも感じています。知識を増やす=2ヶ国語の習得、と思えばそれで良いし、AS的にはそれしか方法がないとも思います。
合理的ADHDかもしれないけろけろです。
AS旦那は以前小学生の時になぜだか解らないけど無視された経験があるようで、それ以来よく知らない状況では口を開かない様にしているみたいです。聞いていると、自分が空気読めない事を言ったから無視されたかもしれないとは思っていない様なのです。どういう解釈で理解しているのか不思議です。
私自身は空気が読めないことがわかっているので多数派の人と付き合うのには非常にエネルギーを使います。そこまでやっても何かやらかしてしまう自分にうんざりします。そんな自分の処世術はひたすら悪意が無い事を伝える。もう平謝りです(笑)
心の中に中心思考はあるのですが、実際自分の不手際ならあやまる事に躊躇はないです。その辺が合理的ゆえかもしれません。
職場のAS氏は、説明して納得すれば『そういうことだったのか!』という風にこれまでのオレ様理論は嘘のように引っ込みます。見えてない部分が見えさえすれば問題ないという感じです。
ところが義弟の場合は、『本当は見えてるけど見たくない!』というような、分かってるけど認めたくないという風に見えます(これも中心志向なんでしょうか?)。自己正当化や責任転嫁(に見える)で逃げられて話が成り立たない場合が多いです。おそらくこれが、義弟との対話で私が一番疲れてしまうところです。
ふと気がついたのですが、義弟と同居し始めて今回初めての夏休みでした。子供達のことも含め生活のペースもいつもと違っていたので、知らない内に私も余裕をなくしていたようです。新学期も始まり、家事が減って、ようやく私も病み上がることができました。家庭内の事も大切ですが、自分の心身の健康も考えなくてはとちょっと反省してます。
>職場のAS氏は、説明して納得すれば『そういうことだったのか!』という風にこれまでのオレ様理論は嘘のように引っ込みます。見えてない部分が見えさえすれば問題ないという感じです。
>ところが義弟の場合は、『本当は見えてるけど見たくない!』というような、分かってるけど認めたくないという風に見えます。
まりさんの説明で腑に落ちたのですが・・・
どうも、ASには「真実」は見えにくいが「現実」は見えている、しかしジャイアンには「真実」は見えやすいのだが「現実」が見えにくいように思えます・・・
どう説明していいのかよく分かんないんだけど、中心志向が邪魔して、自己突っ込みはできるのだが、世界に対する自分の位置づけがイマイチ見えてないつか。
(ここで散々論議されている事ですが・・・)
PS;ゆうさん、私はジャイアンACのつもりですが「はっきり言って」はよく使います。(なんでかな?)自己のごり押しが結構強いのかも。
両親がジャイアンとASでその両方から「もっともっとの高い場所」&「指定された特定の場所」を目指すように義務付けられるとかなりきついことになるなーと感じました。
私は子供のとき、家族(恐らくジャイアン&AS)から「生活上のすべての物事に対して、『正しい』『あるべき』基準がある。その基準を満たさないやつは生きている資格がないし、死んだ方がまし。周囲の皆からはさげすまれる(だから常にその基準をすべて満たさねばならない)」みたいなメッセージを受け取っていたと思います。成績、進路、習い事、友達や家族に接するときの言葉や態度一つ一つについて。そして成長してもそういうメッセージを出す人たちのターゲットになっていた気がします。大人になってからは、仕事、家事、身だしなみ、人付き合いに関してなど。それに加えて自分自身の中心志向で高い基準を作り出していた。
だけど、その基準というのは家族や周囲の人や自分自身の思い込みであって実際は存在しない。自分には落第する自由、友達全員と喧嘩しまくる自由、ぐちゃぐちゃの家に住んで毎日コンビニ弁当を食べる自由、浮浪者になる自由もあるということに気付きました。(気付くの遅い??普通の人はみんな知ってること??)好きなように生きていいんだと。もちろん好きなようにした結果、背負わないといけないことはありますが、自己責任だし。人のことをああだこうだ言われる必要も相手に求める必要もないなーと思いました。(→これって「依存型ジャイアン」「ジャイアン」から合理的ADHDに進化してるってことでしょうか。そうならいいけど。)
ところで非行に走ったりニートになったり離婚したりする人は、親や配偶者に対して身を挺して「満たさないといけない基準なんて存在しない。自分には好きなように生きる自由があるんだ」と無意識に表現してるのかなーと思いました。
エムさん、コメントありがとう御座います。
確かに・・平日は家庭で過ごす時間より、職場で過ごす時間の方が長い訳ですから、夫の言動に「??」を感じたのでしょうね。
それ以前には、「上司に対する言葉使いが、友達のようだ」と指摘されています。私も、日頃の生活の会話で、「その受け答えは、変だ」とか「返事も無く、黙ってるのは失礼だ」とか・・ついつい指摘し、説明をするのですが、夫は、何が変で、何処が失礼なのか全く理解しないので、進歩がありません。
marioさんの言う
「知識を増やす=2ヶ国語の習得、と思えばそれで良いし、AS的にはそれしか方法がないとも思います。」
そのレベルまで持っていく事さえ、無理なんです。
パパイヤさん。
全然見当はずれな内容かもしれないけど、一言失礼します。
例えば、「家族の基準」=「家訓」でも同じですが、『脱いだ靴はそろえる。服はたたむ(掛ける)』とか『身だしなみはTPOを考えて』とか、その程度の低い基準であるなら、社会人になる前に教えておきたいと思います。
親から見て、我が子が堕落したり、汚い部屋に住んだり、友達も出来ずに孤独だったり、ホームレスになったりする姿は、想像したくないし、そうさせたくないという思いから、厳しくなる場合もあると思いますが・・・。
成長するにつれ、周りが見えてきて、我が家と友達の家の違いや、基準(価値観)の違いを知り、反発するようになるのが、思春期の反抗期であると、色々なところで書かれています。その時に、親は子供を「どこまで許すべきか」苦悩しますが、絶対許さない姿勢でいるとACになってしまうんですね。たぶん。
私は、自分をACだと思っていませんが・・??
私も中学の頃に「これを着ていかないなら、出掛けちゃダメ」と言われて、無理やりダサい服を着せられたり、二十歳の頃に「そんな人と付き合うなら、お母さんは死ぬ」とか言われたり、とても過干渉でした。
早く結婚して、母から離れたいとも思いましたが・・。
「基準」は、ある程度必要だと思うし、場合によっては崩してもいいと思うし、臨機応変って事かな?
でも「常識」が通用しないと言われるAS兼の場合、「常識」を説明すると、必ず口論になります。「常識の基準って何?」と言われると、「世間」になってしまい、「世間の基準は、どうやって調べたの?」と息子に突っ込みを入れられ、「・・・」情けない私です。
>例えば、「家族の基準」=「家訓」でも同じですが、『脱いだ靴はそろえる。服はたたむ(掛ける)』とか『身だしなみはTPOを考えて』とか、その程度の低い基準であるなら、社会人になる前に教えておきたいと思います。
それは、正しいと思いますゆうさん・・・家の場合、どこがヘンだったかと言うと、「脱いだ靴を揃えておかないと、母が揃えてしまう。母自身がそもそも服をたたまないし、子供にたたみ方を教えない。(実話です)」
あと、中学校時代から「こづかい」で普段着は買え、という方針だったのですが、中学ではバイト禁止だったため、(おまけに確かこづかいは月1000円以下だった・・・)いつもTPOをわきまえないヘンな服装を私はしていました。
(ちなみに、喪服も結局最後まで・・・買ってもらえず、制服に喪章で通していましたが。しかし、母自身は父に20万のネックレスをねだり倒していましたね~。)
>二十歳の頃に「そんな人と付き合うなら、お母さんは死ぬ」とか言われたり、とても過干渉でした。
早く結婚して、母から離れたいとも思いましたが・・。
これも普通です。家は、ヤクザのアル中と付き合えと命令する癖に、援助職と恋愛して家を離れようとすると警察を呼ぶ・・・
ゆうさんはACじゃないと思うなぁ。普通のいいお母さんですよ。
要するにですね・・・
家の場合、おかしいのは、「世間の基準」を親が体を持って教えない癖に、(デイケアでは私を見るなり、「生きるためのスキルが何一つ身についていない」と言われた・・・)
「友達沢山、勉強は1番、運動会は1番」と掛け声ばかり掛ける。
(料理も洗濯も掃除も、勉強がまず大切だからしなくてよろしい、大人になって本を読んで覚えればいいこと、と言われてました・・・)
大体、親自身が出来ていない事(勉強は確かに出来たが、友人は家に全く来ないし、親戚付き合いもないし、家事も下手)なのに、中心志向(思考?)だけ押し付けられてそれをクリアしようとしたら、そりゃ疲れます・・・
PS;家の父、今頃になって「実は受動型では?」という疑いが沸いて来た。なんか私に振り回されてるし。年取ったのかなぁ。
※注:私にも子供がいますが、まだ小さいので実感がわきません。親子関係に関する発言は子供目線です。中高生以上のお子さんを持つ親御さんからすると、分かってないわねーこの小娘的な発言かと思いますが、すいません。
ゆうさん
正直、普通の親はそうでしょうね。私もそうです。
「基準」が親の個人的なこだわりだったり(高学歴、一流企業しかだめとか)、ネゴシエーションにより変化する可能性がなくで硬直的で絶対的なものだったりすると困るなーと。
別に、明治生まれの軍人みたいな父親(俺の言うことが絶対だみたいな)でもいいと思うんですよ。「俺の言うことが聞けないなら出てけ」という、親の言うことが聞きたくなかったら家から離れるという選択肢がある分。親の言うことを聞かないという選択肢もない(親が不安になるから)、親から依存、共依存されて家からも離れられない(自分が家から離れると親が心配するだろうから)。となるともう非行に走るとかニートになるとかしか他に方法がないよね、と、こないだ乗ったタクの運転手さんが高校生のとき勘当されたと言ってるのを聞いて思いました。(→非行やニートは過去の自分のことです。)
>親から依存、共依存されて家からも離れられない(自分が家から離れると親が心配するだろうから)。となるともう非行に走るとかニートになるとかしか他に方法がないよね、と、
今まで、自分以下の人間はここにいないから、私がいると他の方が発言しやすいんじゃないかなぁ、などとここに居る事を正当化していましたが、パパイヤさんの発言ですっきりしました。
まぁ、働いて金を得るのが、一番まっとうに発言権が(ここではなく家で)びくびくしないで獲得できるな、資本主義だな、とは作業所行ってつくづく思いましたけど。
金さえ稼いでいればそれがOKという世の中だから仕方ないっす。金で、(もう止めたけど)大抵の「カウンセラー」の「関心」は買える便利な世の中になってるから。(だからAS父にいまだ頭上がらないんだよな、いくら理不尽に扱われても。)
「普通」から逸脱した、絶対的支配下で暮らさなければならない家庭、或いは、道徳観とか価値観が世間とずれてる保護者の下で育った場合は、大変なのでしょうね。
私は、物心付いた頃から、両親の会話風景を見た事がありません。寝室も別でした。昔の結婚は「好きでもない人と強引に結婚させる」という場合があり、母もその一人で、思いを寄せる人と一緒になる事が出来なかったそうです。
その母の不満が、耐え忍ぶ姿が、父には不愉快と伝わるのでしょう。会話が無い、給料を入れない、子育てを協力しない、気に入らない事があると軽いDVが始まる・・・そんな調子で何年経っても、子供が出来ても、夫婦間が改善する事は無く、むしろ悪化し、私が中学の頃には、夫婦ケンカの腹いせに、母の部屋のドア(2箇所の内の一つ)に釘を打ちつけたり、ポットを投げて室内のガラスを割ってしまったり・・。
両親が同じ空間にいるのは食事の時だけ。
なので、母からは、いつも父親の愚痴ばかり聞かされ、子供の頃の苦労話も加わり、耳にタコが何個出来たのかと思うほど何度も聞かされてきました。
母は手に職を付けていたので、まともに給料を入れない父でも何とか母の稼ぎでしのぎ、「お前は、働きたくないから大学へ行くんだ!!大学なんて行かなくていい!!バシッ!(殴る)」と兄を殴った父でしたが、母の稼ぎで行きました。(でも、中退)
母は、心労がたたり「胃潰瘍」で入院。
いろいろあった末、私が23歳の頃に両親は離婚しました。その後、父親とは音信不通。母は、父親そっくりな兄を抱えて、また苦労続き。
タイトルから、かなりかけ離れてしまいました。ゴメンなさい。
ゆうさん
家も物心ついた時から両親の寝室は別でした!夫婦喧嘩もしょっちゅうやってました・・・が、家の場合、「仲良し確認喧嘩」みたいだったんでほっときました。
(ちなみに、母にも思いを寄せる人が最初別にいたようですが・・・寿司屋の板前さんだったらしい、父が現れた途端、「こいつは出世する!」のジャイアンの中心志向ですばやく乗り換えたらしいです。)
ちなみに、家の母の料理がどのくらい下手かと言うと、弟が「おふくろの味が食べたくなるとベトナム料理屋へ行く」とゆうほど下手でした!
(母は日本人なのですが・・・)
三食おやつまで必死に手作ってはいたものの、体力とスキルが追いつかず、あのご飯やおかずの煮すぎてにちゃっとした感じ(フォー?)とか、ゼラチンの味のもろにするデザートの感触が、確かに似てるなと、こないだ弟に連れて行ってもらって思った。
今、ヘルパーさんのもとでフツーの日本料理(!?ハンバーグやカレー、魚ですが・・・)を特訓中です。
「親」になるには、充分な歳ですが、「子」の位置からの発言です。なにを今さら・・・になりそうですが。
家庭の基準・・・いわゆる靴を揃えるや服をたたむ、といった躾けの面では、一般的な範囲内で、身に付いているほうだと思います。
ただ、他と比べると(比較思考に入ると)、出来ない自分を見たくなくて、「身に付いている」と思いたいだけ・・・かも(笑)。
敬語も使えるほうだったので、若い頃は年長者に可愛がられるタイプで、同年代の同姓と噂話や悪口で盛り上がることがどうも苦手で、輪の中には入る気がしませんでした。
ゆうさんの息子さんのような切り替えしは、成人してからようやくそのような感情が湧きましたね・・遅すぎ!
両親(夫婦)の問題は、お二人で解決してください!!という意思表示もその頃、ようやく・・という感じで。
「選択の自由」はいつでもあるのだけれど、それをないものにしているのは、「依存心」だったと振り返ると感じます。
「個」として生きる・・と吹っ切れるまで、選択の自由はあっても、「選択」はできないもの・・。
今、何となくですが見えてきているのは、そういう家庭の基準の中で自分が身に付けてきた、オプション付きの自分とぶっちゃけの自分のどっちがどのくらい出ているのか、が対人面でわかるようになってきたこと。
加えて、このオプションはこういう基準から身に付けたんだろうなぁ・・ということも。
ここ半月ほど、私的にはかなり頻繁にいろいろなタイプの人達と接して、すごく発見の多い時期でした。
この先、この、「基準からのオプションの部分」を減らしたり、修正したり、場合によっては削除したりで、かなり対人面がラクになりそうな予感が今は(あくまでも今は)しています。
なんか誤解を招いてるみたいなので・・・
私の場合、親が実行動で躾けない代わり、口頭で言われたり本で読んだりしましたので、外出先で靴を揃える、敬語、料理その他もろもろは、(少なくとも20代前半までは)
全部頭脳をフル回転させて「過集中」でこなしてました・・・
(一人暮らしのときは、確か粉からホワイトシチュー作ってたと思う。)
その無理がたたって、ばったり倒れた感じです。
・・・フツーの人は、小さい頃からの「条件反射」で出来るんだなぁと最近分かった。
PS;超亀レスですが、ぴよよさん。最近読んだコミックスで、吉野朔美さんの『恋愛的瞬間』を是非お勧めしたいです・・・頭で行き詰って、恋愛が出来ない方にピッタリです。・・・ここで言われているようなテーマ(自傷、ストーカーetc.)も色々と扱われているので、きっと面白いと思います。
かなり勝手に昨日の自己コメントのつづきを・・・。
「オプション」の部分は、どうやら無意識のうちに自動思考的に表に出ている感じで、例えば話をしている最中になんとな~く、居心地の悪さというか違和感というか(自分自身に対して・・・)何かしらの感覚がやってくる・・・。
対人関係でいうと、自分の持分は「半分」・・
その半分の範囲内で、自分は正直に、というか素直に表現していこう!的なニュアンスにもっていくと、例えオプションが出だしても気にせずにむしろ、「お~~、出てきたか~。」のような感じで(笑)。
親の価値観や基準も、結局はそのまた親からの受け継ぎで、自分のところに見えているものも、その1つにしか過ぎないわけで・・・。
「自動思考」にしてもそういう長~い歴史の産物?!
多数派さんは、全~部ひっくるめた自分を「自分」として認識して、
私の場合は白黒思考なものだから、パキッと分けて認識しているのだろうな・・・と。
自分の半分と相手の半分が合わさって、「関係性」ができて(カタチとして)、今まではそっちにかなり気を取られてたなぁ・・と思いました。
(kei_さん、いつも勝手にレスつけてごめんなさい)
なんかすごく分かります!(って誤解かも知れませんが・・・)
私の場合、なんとな~い居心地の悪さ、というのは「あ、またいい子ぶってる」というような内言語で出て来ます・・・
自分も白黒含めた「シマウマ」なんだな、というのが最近ようやく出て来た感想で・・・(そこで初めて、自分の言動の責任、というものをやっとこさ感じるようになってきました。)
遅いですね・・・
PS;しかし、明日作業所へ行くのがなんとなく楽になってきました。ありがとう。
私の場合、「いい子ちゃんモード」にスイッチONしているなぁ~と思う時は決まって「関係性」に気を取られている(気を遣っている)時のような気がします。
言い方を変えると、その関係において何かしら自分の中で意図するものを持ち込んでいる・・・。
例えば以前も書いたような、直面化を避けたい気持ちがあったり、
相手半分、自分半分で創られるカタチがこうだったらいいなぁ・・という漠然としたものであったとしても、
自分では気付かないレベルで、いい子的なモードになっている気がします。
AC者は度を越した正義感や超純粋気質だったりするらしいですが、そこに行き着くまでに、
「罪悪感」と向き合う作業があって、これまたやっかいな代物だったりします。
>本音が本当なら建前は嘘・・
と認識していると、仮に関係性を維持しようと本音を抑えればそれは相手に対して正直さに欠ける行為・・・。
でも、関係性に焦点を合わさずにいると、
(ひょっとして言っていること、内容は相手からすると、前とたいして変わってないかも)でも、
正直さに欠けている・・というようには、自分サイドでは感じていない。。。というような(すでに微妙 笑)。
が、この「感じていない」と言う部分が、どうも相手に、もしくは関係性に大きく影響を(好い意味で)及ぼしている様子!!
未だ、お試し期間中ではありますが、以外と今はgoodな感じかな・・・と思っています。