精神疾患に見えない発達障害シリーズ①
--- うつ状態なのにうつに見えないADHD
ADHDにもうつ状態はある。意欲が低下し、自己評価が下がり、イライラして、何もやる気が起こらない。しかしADHDは「うつ病」と診断されない。なぜか?
ひとつは「強弁できる」ことにある。一生懸命に訴える。「私はうつなんです」と強く言う人は多数派の世界の見方では「うつ」とは見てくれない。いわゆるうつ病の人は、そのことを訴える元気もないからだ。この点は実はASにも共通する。
だから「抑うつ神経症」と言われることが多くなる。
もうひとつは、「うつ状態の真っ最中でも特に好きなことには熱中できたりする」ことだろう。ある年配のADHDの御婦人は、うつの真っ最中で寝込んでいるのに、好きな大正琴の練習だけはばっちり3時間集中する。「これが出来るのに」うつだと言っても多数派の世界で理解されるのは難しいのは容易に想像できる。
他にも、「ひどいうつが直ちに治ったりする」とか、いろいろな特徴があり、一般的なうつの状態とは違うので、うつにあること自体が分かってもらえない結果になる。
治療法で言えば、「好きなことが見つかったら直ちに全力で突っ走りなさい」というのがADHDのうつの直し方。刺激があるほうが回復が早い。何年待っても安静にしていては治らないことがある。治療法も正反対だ。
いろいろな判別方法があるのですね…。
大正琴は…ちょっと私には…賑やか過ぎて…合わないように思います。
集中する時は、私は音が無い方が良いです。
だから、よくラジオを聴きながら勉強したという人を、凄いなぁと思います。
でも、私も主治医から「趣味を持ちなさい」と言われてました。
なかなか取り掛かれなかったけど、やってみたら、凄くハマりました。
今は…ブログにハマっていて(冬から)まだ、続いています。
でも、いつか、ここから卒業して、磨けば光る石になりたいです。
今回もよく理解できます。
最近ある程度睡眠をとっても気力が低下しており、自分はうつとちゃうかと周囲の人に言うと皆大笑いしながら否定します。
でも好きなことは毎日続けています。
僕は初めて心療内科にかかった時抑圧性神経症と診断を受けました。その時は好きな楽器を練習する気も起こらなかったですが。
今も気分が落ち込んだり、ストレスが多かったりしますが、楽器の練習をすることで元気を取り戻しているようです。
今の医師には集中しすぎるのが問題なので普通の人並みに集中を複数の行動に分散させて下さいと言われていますが、それは難し過ぎてなかなかできません。
かろうじて楽器の練習で癒しを得ています。
趣味と聞かれても無いのですが、動いてる間は何かをしているのですが、その間は時間を忘れて十数時間でも一日していても、苦痛ではないのですが、手を止めたりひと休みしてしまうと、刃物を見たりすると「これで切ったら血がでるだろうな」とか、高い所に立って下を見ると「飛び込んだら?」と考えている自分がいます。家で一日寝てるだけですが、心療内科も精神科の先生も、ストレスも無いし、気分的なもの、性格だからといいます。話していてもキリがなく、「全然見えないから大丈夫です。」と言われてしまいます。夜、眠れないので、違う科で睡眠薬を貰って呑んでますが、効きません。
好きなことが見つかったから、直ちに全力で突っ走ってみようか!
試してみます。
欝にならない体質だと思ってました
欝だと思ってなかったので、欝だと強弁しませんが...
>意欲が低下し、
>自己評価が下がり、
>イライラして、何もやる気が起こらない。
そう、
TVも観られない
人の話も耳を通り抜けてる...
そうかぁ...これ、欝なんだ...?
>意欲が低下し、
>自己評価が下がり、
>イライラして、何もやる気が起こらない。
それ、私もそれをいつも感じていて(わけもない苛立ちは、加味帰脾湯を飲むとスッと消えるようになって助かってます)。
生活を回すための義務というか、特に掃除洗濯炊事等には全く意欲がわかず、レッドカードスレスレ(モノが腐るとか、カビが生えるとか)でしかできないくせに、自分の好きなことだけは過集中でこなすというか、それにぶら下がるようにして日々を生きてきた気がします。
自分は必死に過集中にぶら下がって生き長らえてるつもりなので、家族への義務を果たすことを最優先事項に掲げた生活じゃなくても、勘弁して欲しいと言ってきてる気がします。それって傍から見れば、凄く自分本位にうつってると思うし、今思えば、実際に自分本位なんだと思います。
また、「好きなこと」に熱中する前に、こっちへもエネルギーを配れ、でないと生活が破綻するぞというのもよく言われることでした(振り絞ってるやる気を削がれるので、凄く困るのですが)。そして好きなことの「それ(仕事に関する片づけ)」ができていて「これ(家の片づけ等)」ができないというのは、許されないことのようでもありました。
それから、自分の好きなことすら集中できない、取り掛かることもできないという、どん底のような時期が今までに三度ほどありました。今思うと、気乗りしないことをできるようにしようと努力すると、それがやってきていたようでした(脳をうまく騙せない?)。10代半ばの数年間、20代後半〜数年間、30代半ば〜後半にかけて数年間。脱力と過集中を繰り返すというのも、そういう長いスパンのものと、もっと短いスパンの二タイプあって、いつもそれを繰り返してきたような気がします(食事性低血圧の類いに、ちょっとプロセスが似てる感じです)。