AC、人格障害関連

平成26年年頭

 昨年の年末年始は九州厚生局からの呼び出しが新年早々にあったが、今年もあるトラブルで頭が痛い。相手のあることなのでどうにもならないが、私はこれまで沖縄県で築き上げてきた多くの発達障害の当事者のサポートを継続する体制を守るために、また家族と自分の安全を確保するためには打てる手は全部既に打っており、また相手の出方によっては今後も打つ予定でいる。(再度この話題をここに書くことにならないことを切に願っているが)。

 平成25年は平成24年のストラテラ錠成人への発売に続き、年末になったがストラテラ液とコンサータの成人への新規処方が認められ、またDSMⅤでADHDの診断が少し広くなったことなど、日本の発達障害をめぐる環境は徐々に進んでいる。
 沖縄県では平成25年3月の高校入試では「別室」などの配慮は通ったが、今年は「試験時間1.3倍」が可能になるかもしれない。

 沖縄県の成人発達障害の支援の体制は私に分かる限りまだまだであるが、小児については徐々に診断の体制は整いつつあると思う。思春期以降については、那覇少年鑑別所の診察と知的障害者の更正(旧法)施設の嘱託医の業務も頻度は少ないが私の活動の重点の一つだ。
 
 平成25年は「衝動統制の障害」としての「のび太とジャイアン」の考察(平成24年)の延長上で、「のび太」について考える機会が多かった。「いじくられたのび太」は一見ジャイアンやASD(今年から「自閉症スペクトラム」としてこちらの略語を使っていこうと思う)のように見えることがあること。のび太には何よりも「放っておかれる自己責任の環境」が大事であることをさまざまな世代のケースを通じてはっきり確認した。

 ASDについては、受動型ASの二面性について考える機会が多く、やっと「外モードを成長させる」「内モードの問題行動に対しては物理的な自立しかない」というケアの基本原則をまとめることが出来た。

 発達障害当事者に対しての「理解と配慮」についても最近このブログに記したが、これまでは私自身がきちんと整理できておらず、結果的に相手を依存させてきたことが分かり、最近は「出来ないことは出来ない」と努めてはっきり言うようになった。これについても「理解の努力は最大限続けるが実際の配慮は(個人的努力でなく)社会システムの上で」というある程度の基本的な指針を見出した。

 今後もネット相談から導入する県内(時々県外の人も来られる)での成人発達障害のケアを中心とする方針だが、成人例でのコンサータとストラテラの使い分け、ストラテラ液の活用方法なども細かく当事者の皆さんとともに工夫する努力を続けようと思う。

 平成26年年頭 YANBARU 


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コメント

    • 道産娘
    • 2014年 1月 02日

    YANBARU先生、明けましておめでとうございます。(以前「HNを変えてコメントする」と言いましたが、「ASの人達に弄くられる・茶々を入れられるのが嫌なら、他者のコメントを見なければ済む」話であり、また、面倒でもあるのでやめました…コロコロ変えてすみません!)
    昨年の「ジャイアン・のび太関連の記事」は、自己認識の過程でとても参考になりました。
    「のび太と依存2」の記事を読むまでは、自分はジャイアンだと思い込んでましたが、今は「ジャイアンやASのような被害的な発想が目立たず、自分を責める『合理的な自己突っ込み』が健在する」ことから、「自分がのび太型ADHDである」と確信しています。(もちろん自己診断)
    ただ、弄くられたのび太はジャイアン型のように「人を見ている」気もしますね。
    私自身がそうで、このブログ内でも他者のコメントを言葉通り受け取り「真面目に答えて損をした」と感じることがよくありました。
    ドライなのび太はASの非言語に振り回されないので「損をした」とは感じないでしょうし、ジャイアンなら損得に敏感なので損をする前に気付くだろうと思います。
    私は損をした後で気付くことが多いです(汗)

    • 道産娘
    • 2014年 1月 02日

    (続きです)
    もうASの人に弄くり回されるのは懲り懲りなので、記事が更新された時だけ(他の方のコメントは見ずに)コメントしようと思います(^_^;)
    これは実生活でもそうですが「受動型ASは、ADHDのように言語的に理解し合うことができず、ただ相手の言動に合わせているだけである」と知ってしまった以上、私の方がはっきり「できないものはできない」と「言語的」に意思表示しなければならないと感じました。(相手には責任の観念・ちょっかいをかけて弄くり回している自覚が無いため、私のせいにするのだと理解しています。悪気は無いのでしょう)
    ところで、この記事の先生のご説明通り、私の内面はのび太型というより「合理的強迫的ジャイアン」に近く、人からは「積極奇異、もしくは孤立型AS」に見られています!
    のび太ACとの区別がしづらいので「弄くられたのび太」の具体的な説明も「のび太とジャイアンの図」の中に入れて貰えるとありがたいですね。
    今年もYANBARU先生にとって充実した素晴らしい一年になるよう、心よりお祈り申し上げます。(何だか実生活が大変そうですが…体調管理にはくれぐれも気を付けてくださいね)

    • ravi
    • 2014年 1月 02日

    HN改名しました!今年もこのブログが大事な心の支えです。
    今年の私の目標は「1日10分・一生リハビリ」としました!
     ADHD(+AS+自称元AC)とうつ病エピソード(こちらはほぼ回復)の診断を契機に、自分の状態を自分なりに定義してみました。
     『私は、多分遺伝的に、神経伝達物質(ドーパミン・ノルアドレナリン)の伝達異常かアンバランスから前頭前野の機能不全があって、衝動抑制や実行機能などに障害があり、注意散漫、気分易変、先延ばし、時間認識の歪みetc…の症状から仕事や人間関係で不適応を起こしやすく、二次障害(物質依存・ウツ・不安障害etc…)も併発しやすい。』
     こう定義すると、「人格より障害の問題」だけど「障害も個性の一部」という認識になり、「どう生きるかの選択は自己責任」という当たり前の現実に突き当たって、再びブログの『ADHDは楽してはいけない』に帰結しました。
     生きることは障害に関わらず最初から誰にとっても常に「面倒」だから逃げ続けたくても逃げ切れない。「いい加減に観念しろ。」と諭された感じです。
     
     そうは言っても、どんな障害であれ、悪化させるような負荷をかけるべきではない。ADHDにとって「無理」は「無駄」だと何かで読みました。
     だから、職場環境や人間関係で、自分にとって何が「無駄」な「無理」なのか、多数派の考え方と違っても、それが私の「精一杯」だと説明して、「耐えない・逃げない・切れない・でも避ける」対応を選択する練習をしたいと思う。また挫折と紆余曲折を繰り返しても、織り込み済みなら仕方ないと思えるかもしれない。
     それで、「面倒だと思ったら10分だけリハビリだと思ってやる」ことにして、治療薬と自立支援制度を補助具に使って、遅くても概ね前に進んでいる感覚を持つことを目標にしました。
     多数派が「1パーセントの改善を365日続けると1年で37.8倍になる」ところ、自分は「3歩進んで2歩戻る」ペースで、このブログに元気をいただきながら、1年で3倍位マシになれたらラッキーです!

    • 道産娘
    • 2014年 1月 03日

    それと、「理解と配慮」についてですが…私自身もASの人を依存させてきたことに最近気付きました。(ちなみに、相手がジャイアンの場合「結果的に」依存させてきたのかもしれませんが、ほとんど自覚がありません)
    と言うのも、ASの「理解イコール即受け入れる」の認知が自分の中に染み付いていて、「一度受け入れてしまうと、今後も同じことを要求される」ことを分かっているので、「始めから拒絶する」or「一度引き受けたらその後も同じことをし続ける」という姿勢が当たり前になっているのだなぁ…と。(他の人にこの姿勢を求めることはありませんが)
    私の場合、他のタイプのADHDや受動型の外モードのように「場当たり的・刹那的」な面が無く、「首尾一貫してストイック・臨機応変な対応ができない」という風に人から見られますが、こう言った行動パターンに合理性を見出だして(その場では)納得してしまっているので、中々自分を変えるのは難しく、日々失敗の連続ですね(汗)
    地道に頑張ろうと思います。
    それでは今度こそ、失礼致しますm(__)m
    先生の問題が無事解決されることを、私も陰ながら祈っております。

    • あたし の名前はchikakoですので
    • 2014年 1月 03日

    昨年は大変お世話になりありがとうございました。
    先生は何があったんでしょうか。
    なんとなく、黒子のバスケ脅迫事件を思い出しましたが。
    。。。。。
    私は関係無いですが、なんか関西弁がでちゃうから気を付けようとか、掲載されないからHNでなくてよいだろうとか思いました。コメント内容というのはほんとのことだから各方面に対して躊躇するわけで。
    先生の少年鑑別所の診察の仕事などはとても意義あることであろうなと思います。私は刑務所出所者支援のNPOに寄付だけしてます。行って話を聞くボランティアがありましたが、私は泣いてできないだろうと思い。
    ADHDの診断は広くなったんですね。私の診断でPDDでADDというのはほんとは言い方としてはASDで不注意表現形のADHDとでも言うんですかね。クリニックの主治医というか担当の先生はまだ若そうなんですがASは否定しながらPDDって言うんですよね。ニュアンスが違うのかなと思っとります。ADDっていうのも、短くていいですし。調べて見るとADDの子って学校で漏らす子がけっこういるんですね。私も漏らしてから尿意に気付く子でした。(今でも、気付いてから限界まではわりとすぐで)そしてコンサータが効いているときは漏らす前にトイレに行けるらしい。ううむ。ADDの子のお母さんが言ってましたが、その人は多動のある子と分かりやすく区別するためにADDと言うのですが、ADHDとADDの違いは症状が外に向かうか内に向かうかだと言っておりました。ふうん。

    • chikako
    • 2014年 1月 03日

    それでもって暮れから正月にかけて実家に帰省しました。私は最近ふなっしーが好きで見たかったんですが、ふなっしーッ!!母はお笑い嫌いなタイプでクラシック番組ばかり見ています。後期高齢者になって、生活の始末について計画しており、人付き合いも自分ひとりで出来る範囲に狭めています。孫に年賀状を書いてもらっている知人に対し、自分で出来ないなら止めるべきだと。また近所にサービス付き高齢者向け住宅が出来るので家を捨てそこへ入るのを待っています。まるでこれで家族から脱出できると思っているかのような話ぶりです。まあ父が死んだ時に家族を解散しようとしたので分かってはいます。ちょっとさびしいです。だが、生きているうちに全て自分で始末しておきたい気持ちは理解の努力はできます。母はジャイアン出身なんだなーと思うんです。後期高齢者当事者であるし、気が済むようにすればよいと思う。(配慮?)「東京オリンピック?知らないわよ。もう私はいないわ」などと言っていますが、健康や食生活にすごく気を使っている姿を見ていると、高齢者向け住宅のTVを見ながら「この子はもうだめね」と上からダメ出しをしている姿が浮かんだりします。

    • 道産娘
    • 2014年 1月 04日

    (すみません、追記です)
    念のため書き記しておきます。
    私は、昨年「HNを変えてコメントする」と言ってから、(この記事にコメントするまで)一度もHNを変えてコメントしたことはありません。
    これからも、(私に関連のある)記事が更新されるまでコメントするつもりはありませんし、HNも変えるつもりはありません。
    以上です。

    • chikako
    • 2014年 1月 04日

    おや掲載されていますね。大丈夫なんでしょうか?

    • hana
    • 2014年 1月 07日

    YANBARU先生、明けましておめでとうございます。
    昨年はこのブログと出会い、本当に悩んだ年でした。
    先生にもメール相談でご面倒おかけしてすみませんでした。
    実はこういったコメントをするのは初めてなのですが、
    YANBARU先生が管理されているので、安心なサイトだろうと思い
    書き込んでみました。
    先生のブログや皆さんのコメントを読むととてもよく分析されていて、
    整理されているといつも感じます。
    私は、いつも頭の中がぐちゃぐちゃしていて目の前の事だけをこなすのが精一杯です。
    最近、メガネを作って頂いて、少し混乱が落着くのではないかと期待しているんですが…ムリかなぁ。
    両眼視検査をして頂けるメガネ屋さんにて検査してもらい、片目でしかみていなかった自分の目の状態を知りました。
    両眼でモノが見れるようになると、もちろん視界も広がりましたし、立体視も経験し、人が近くに感じます。
    やはりADHDには目のズレなども多いのでしょうか?
    自分も、周りも全く気付きませんでした。

    • chikako
    • 2014年 1月 24日

    私はコンサータはもらえませんでした。ストラテラは約2ヵ月半でだいぶ慣れてきて50ミリグラムになったとこで、ちびちびやってます。ストラテラの忌避に緑内障があります。近視の人は緑内障になりやすいという。私は副作用が眼にきた
    こともあり、近視で乱視であり、円孔もありますので精神科と眼科に同時に通院してます。私はもう少し薬をのんでいたい。。。
    両眼視はできていないだろうとは思ってました。また以前は自分の眼はこれ性格がでてるんじゃないのかな。脳が近視で乱視なんじゃないのかなーと思ってました。私は左が利き目でそれで見ている。片目だけつぶることが左はできないんですよねぇ。
    でも今現在ストラテラで積極的に改善中であるし、それには状態を把握することが必要なので、視覚認知検査を申し込んでみました。4ヶ月待ちだそうですが。。。
    自身のADDの部分が改善されるとしても、PDDやLDの部分はそうじゃないだろうし、それがどういう風になってるのか知りたいのです。
    根本的なところでは「見たくない」「見なくてもかまわない」と思っている。KYで鉄面皮でありながら過敏なところがあるのです。
    パートナーは顕著なLDとADHDがあるが、両眼視できて視力もあるし、肉眼より見えないと気が済まないと言い、顕微鏡から反射望遠鏡まで取り揃えているのです。摩訶不思議。

    • 匿名
    • 2014年 2月 04日

    拝読しました。
    外モード、内モードの記述がどうにも理解できないというか、単純に、わかりません。具体的に教えていただけると助かります!

    • amethyst
    • 2014年 12月 16日

    今年も後、残り2週間となりました。今年の年頭にはいろいろとご心配をかかえていらっしゃる様子でしたが、無事に1年を終えることができそうで何よりですね。

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