AC、人格障害関連

ASのAC

 ASとACの関係は複雑で微妙だ。積極奇異型も受動型もどちらも「表面的には」AC的で、「ASのAC」というと、このもともとAC的なところと、二次障害として変わってACになったところとの区別が非常に難しくてかえって話が分かりにくくなるので、私は最近はあえてこの言葉を使わなかった。

 それが、ASの「型」について考える際に、よく「途中である型から別の型へ変わった」と言われる人が多いところで、やはりASのACを考えるべきだと思えてきた。

 私の相談に乗っているASの人の多くは、積極奇異型は積極奇異型、受動型は受動型で、私が見る限り「はじめから脳が違う」ように思える。とても相互に移行するようには見えない。

 ただし、いくつか状況による行動の変化はある。例えば、「積極奇異型ASが、愛着の相手には尽くす形で非常に受動的になる」ということや、「受動型ASは受動型なので、もともと相手や環境によりいくつかの顔を使い分けている」「特に受動型ASは依存できそうな愛着の相手にはかなり絶対的な要求を突きつけ、出来ないと追窮する」(世間に対してと愛着の対象に対しての態度が積極奇異型と受動型で対照的)など。

 だから「場面によって違う」「(親に対して等)相手によって違う」ことは普通にあるとして、本当にこれらを超えた「型」自体の移行があるのかどうかが根本的な問題だ。例えば中心志向の有無などははっきり違うように思える。

 この問題を考える時、「積極奇異型ASがACになっていたのが、ACの部分が回復した」という風にACを考慮して考えたほうが説明として分かりやすいのではないかと思う。

 上記の、「親に対して」とか、「愛着の対象に対して」という状況による態度の変化を除外して、それでも残る「型の移行」に見える現象は、結局「環境のために後天的にACになっていたのが回復した」と説明できるのかどうかを考えている。

 例えば積極奇異型ASの人がボーダー(境界例)的になった場合、「行きずりの関係で不安を解消する」というもともとの積極奇異型にはあり得ない様な(受動型なら当たり前の)行動が、ASのACとして説明出来るように思う。

 ASの方、ASの関係者の方の意見を聞きたいので、よろしくお願いします。


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コメント

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 14日

    まず始めに、残念ながら私はASとADHDまでは診断されましたが、ASの何タイプであるかとACや人格障害はあるか無いかは診断ついてません。診断を求めて行った先でも白黒付きません。「付けてくれるまで帰らない」と粘れば付くものでもありません。
    (自分は○○だから・・・)と一度認識すると(○○○で仕方ないのだから、○○○に関してはこう解釈して、○に相談するまではあと○ヶ月だから、自己努力としてこういう方向に○○しよう)などと、トラブルに直面しても、頭の中で間もなく次の対処が組み立てられます。ですが、私の障碍の肩書き(?)も、相談相手も決まってていない今の現状では、全てを仮定で考えるしかなくなっています。
    自分のことなのに、(私はたぶん○○だから○○○に感じているのであって、誰々から見たらこう見えているかもしれないけどそうとは限らなくて、○な見え方をしている可能性もあって・・・)と、延々と仮説を立て続けるのが日課になっています。
    AC症状が解決すれば、仮説も仮定も立て過ぎずに、自分で自信を持って自分の機嫌や意見を決めることが出来るのかもしれないと考えることもあります。
    しかし、考え事の場所の一つは運転中なので、結論が出るまで集中して考えると危ないので、打ち切っています。
    仕事以外の場所ではなるべく考え事に浸りきっていないと、仕事中にささいなきっかけやキーワードで、途切れ途切れで思いついていた想念が一気に筋を通して繋がって湧いてきて、誰からも刺激されていないのに苦しむことがあります。これも不注意や忘れ物の元です。組み立てていた仕事の優先順位を、将棋倒しのようにケロッと忘れそうで、リタリンの無い今とても危ないのです。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 14日

    続きます。
    自信を持って自分の意見を持つことを誰にも許されていないように感じていますし、思いつきを通り越してフラッシュバックに悪化する不安も、パキシルを飲みたくないので医師に言えません。仕事のクオリティ(?)を落とすことは、昔のように一時しのぎ的に許されても、ずっとは許されません。
    あらゆる人が私に、不注意障碍を持っていると口にしてもいけない、抱え込んでもいけない、私という人間の全てを許さない、と言いたいように思えます。
    実際に、ACを克服したことのある人の体験をお聞きしたいですね。
    共存、だと当事者誰にでも適用できそうなエピソードになる気がして、中途半端さを感じそうです。
    克服をした人の実感や実体験をお聞きしたいですね。

    • m2
    • 2008年 5月 14日

    私も、人生の途中で型が変わるということはありえないと考えます。
    ACのケースと成長のケースで別の型の特徴で、元の型が上書きされていると考える方が自然です。
    まずは、受動型ASの場合。
    こちらは自分のことなので、比較的わかります。
    1. 積極奇異型に見える場合
     社会に出ると、「受身」というのは、あまりいいようには受け止められません。
     「受身」を否定され、「能動」がよいこと、という価値観があります。
     また、積極奇異型ASは影響力が強く、ASという自分と似た特徴もあるので、自分の価値観に影響を受けるということは良くあると思います。
     実力があって、積極奇異型以上に積極的に振舞って専制的になってしまう人もいるかもしれません。
     大抵は実力がついてこずに、精神か身体を病んでしまうと思われます。
     2.孤立型に見える場合
     発達障害の中では、比較的社会対応はできる型ですが、変わり者であることには間違いないので、村八分になる危険性があります。
     また、非常に打たれ弱いので、ある程度以上のダメージを受けると、自己防衛として引きこもることになります。
     自分が見るに、受動型ASが受動型そのままとして生活している例は非常に少なく思えます。
     受動型ASネイティブで生きている人は、たぶんほとんどいません。
    有名人には、結構受動型ASそのものと思われる人もいますが、ある程度以上の実力が無い限り、上のどちらかの形で生きざるを得ないのではないかと考えています。
     それだけ、普通に生活していて自分と似ていると思う人に会うことはありません。
     ただ、ここでASについて勉強していると、「ああ、この人の本質は受動型ASっぽいな」と思う人が時々出てくるようになりました。
     ただ、仕事関係で出会う人の場合、まず間違いなく1.ですね。
     2.のケースだと、良くてフリーター、普通はニートですから。
     そして、ニートの告白に対して、非常に共感が持てるのも否定できません。おそらく、ニートに受動型ASは非常に多いはずです。

    • m2
    • 2008年 5月 14日

    一方、積極奇異型ASについてですが、私が見る限り以下の3パターンがあると思われます。
    1.才能があって、出世最優先の積極奇異型むき出し
     良くも悪くも○○ワールドを作る人たちですね。
     本当の実力があると、最高の箱庭を作り上げます。
     実力が足りないと、自分の権力を脅かす人を虐げる専制型になります。
    2.才能が足りず、実力者の腰巾着で出世(普通)を目指す
     男の場合は、権力者にごまをすったり、派閥に所属したりして、自分も権力を目指すタイプになりがちで、女の場合(男もいる)は、結局権力を得るには、控えてほかの人を立てるのが近道であるということを理解して、受動型ASのような行動を取るようになる。
     ということで、このケースは、ACではなく、成長だと思います。
     たぶん、積極奇異型ASから受動型ASに変わったという人はこのケースで、社会でうまくやるやり方を身に着けたということと思います。
    3.孤立型に見えるケース
    私の弟がこれですが、一見出世欲も無く、自己主張も激しくありません。人付き合いもあまりありません。
    なんとなく、子供の頃から、私と比較されて・・ ということでACになった感じがします。
    でも、酒を飲むとわかります。
    積極奇異型AS丸出しになります。
    これは、ACとしか考えられません。
    一般的には、出るくいをたたかれた後で孤立型的に変わるのでしょう。
    2.のケースは、受動型的な振る舞いが処世術として身についてしまっているので、おそらく酒を飲んでも変わらないだろうと思います。
    私の知る限りの人は、だいたいこれで型が変化したように見えることに対する説明ができます。
     本文には孤立型が出てきませんが、私も孤立型はACを説明したものに思えてなりません。
     孤立型に判断される方も、中心志向のある・なしで受動か積極奇異かのどちらかの本質を持っていると思います。

    • みお
    • 2008年 5月 15日

    久しぶりに書き込みします。私は、受動型ASのACです。(「受動型AS」というのは医師から診断されましたし、あとACの自助グループにも通っていますが、他のACの人たちの言っていることがとてもよくわかるので、これは確実だと思います。)
    確かに、やんばる先生のおっしゃる通り、受動型ASは見た目にはACであろうがなかろうが、それほど違いはないかもしれませんね。
    しかし、AS(少数派)としての生きづらさとAC特有の自己評価の低さという生きづらさの両方を抱えている本人は、とてつもなくしんどい思いをしながら生きています。
    ASは生まれつきのものだから変えることはできませんが、ACは克服が可能だということで、今の私はAC回復の為に努力をしている最中です。まだまだ回復途上ですが。
    そして、「型の移行」については、私の意見としては「起こりえない」と思っています。
    私はAC回復に取り組んできて、以前より「自分の意見に自信を持てるようになった」「少しずつ自己主張ができるようになった」などの変化を自分自身で実感しています。
    しかし、自分がACから回復した姿を想像しても、やはり受け身な部分は残るだろうなと思うし、どう考えても「積極奇異型」にはならないだろうと思います。
    自分が積極的にどんどん人の輪に入っていったり、リーダーとして多くの人を引っ張っていったりするのは、全く想像できないですね。
    私は積極奇異型ASの人は、テレビでしかお目にかかったことがないのですが、明らかに「自分とはタイプが違う」という印象でしたね。
    同じASとはいえ、やんばる先生のおっしゃる通り、元々「脳が違う」のではないかと思います。
    ASとACは、私にとっての人生の2大テーマなので思わず書き込みをしてしまいましたが、現在薬の影響であまり頭が働いていないので、もし論点がずれていたらすみません。

    • フラワー
    • 2008年 5月 15日

    ヤンバル先生の質問は難しくてちょっといい答えが見つかりません。
    ただASが移行するのではなくて、ACのダメージでそれぞれのAS的思考が壊れるんじゃないですかね。
    前に先生や心理士さんとも話しましたが。
    ASがACになると多数派っぽくなるみたいですね。
    積極奇異のASのACだと診断されました。
    ACのせいでASの発見が遅れたみたいな話をしました。
    大人の発達障害はしばらく見ていたり、少し話すと発達障害だとわかるようになってきたのですが、長年うつ病で苦しんでいる公私ともに仲の良い後輩がやっと最近になってASのACじゃないかと気がつきました。
    多数派のこでもこんなに長引くのかと考えていて、後輩には愛着と過集中だけはあったのでASの可能性を感じたのですが、話すと多数派の考え方でその他の重要なAS的特徴が無い矛盾で悩んでました。
    もしかしたらと思い遠回しに母親との関係を聞いたら、見事にACになるように育てられていました。
    基本的にACって治るのかなと思っています。
    良くはなると思いますが…。
    ACは治ったと思っていたのですが、ACは未だに僕の中に潜んでいます。
    自己評価もいっこうに上がらないし。
    ACは治っても、そのACの後遺症は一生続くのではと最近は本気で思っています。
    余談ですが、うつ病やパニックで病院に通っている知り合いに、原因じゃないかって思うことに気がついても言えないのは本当に辛いですね。
    責任を持てる立場でないうえに、助言のつもりがかえって医療現場を混乱させるかもしれなし…でも潰れていくのを指をくわえて見ているのが辛いです。
    あぁ、治療している人はマジで気がついてあげて…。

    • さーこ
    • 2008年 5月 15日

    YANBARU先生の質問がとてもハイレベル(難易度が難しい)なので、うまく答えが返せないのですが、ACはたぶん私の中にあると思います。
    ただ、自覚は今のところ完全に薄れてしまっているので何とも言えないのですが…(数年前に自分のACの可能性に気づいたけれど、周りに理解されなかったため、自分でも考えなくなってしまった為)。
    今は親からもパートナーからも「幼い」と言われていますし、障害者職業センターで、エゴグラムだとは明かされずに受けた一問一答選択式の質問の結果では、ダントツでACが一番高かったですので(汗)
    しかし、ACであるという可能性は推理できても、自分は受動型のACなのか、積極奇異型のACなのかが、イマイチ分かりません…。
    今の私の段階で考えるには、難しすぎます。
    私は今現在の傾向としては、受動型の特徴ばかりを中心に考えてしまっているので、積極奇異型の特徴とACの特徴についてを、より詳しく考えていく必要がありそうです。

    • かぜ
    • 2008年 5月 15日

    私も「型が変わる」ということは無いと思っています。
    自分のことで言えば、生まれたときから行動パターンが受動的です。
    あまりに「自分の意思」と「自分のやりたいこと」が自分でも分からないために自分で「これではダメだ」と時々自分を変えようとしました。そんな時の私は自己暗示によってテンションを上げるべく努力と、別人格を憑依させるような無理を強いることになるので長続きしません。
    受動型なので誰かからの働きかけには余程のことが無い限り流されてしまいます。本に流されることもあります。書いてあることを100パーセント信じて杓子定規のように考えてしまったり。(みんないろんなパターンがあるのに)
    本当の自分というものが弱い形であるが存在するので、それを自覚できているのが私で、その軟弱な自分の限界を本当は知っています。
    その限界を超えなければならないとき、「自分を棄てる」か或いは「自分を忘れる」ような感覚に襲われるのです。
    今まで自分と旦那の関係を考えてきましたが、どうも私が『受動型AS』で、旦那が『積極奇異型AS』であるように思いました。旦那にはACがあり、その部分が私はとても不快に感じてしまうのですが。(私まで旦那の親に支配されてる感覚)それを切り捨てたいと私はもがいていたのだと思いました。

    • mario (AS)
    • 2008年 5月 15日

    難しくて余り整理できません。
    ので、自分に関してのみ…
    自分は積極奇異型だと思ってますが、自分の価値を信じているので、逆に世の中に要求を出しません!世の中の評価も必要ありません。そして自分のコアの部分を守れれば良いので、かなり世の中に迎合できます。小学生時代には担任の先生から「協調性がない」とずっと言われて来ましたが、さほどトラブルも経験せずに大人になりました。中心性も自分の中の価値観にしたがって、自分の価値を高めるので、余り外に出てません。
    愛着の対象に関しては、非常に受動的だと思います。
    愛着の対象を失うと、自分でも不思議な位に異性にだらしなくなります。行きずりとまでは行きませんが、自分を受け入れてくれる相手に受け入れてもらってしまいます。浮気は一切しない性質ですが、キチンと決めない状態で複数人と付き合ってしまったりしてました(そして、そんな状態の時は変にモテたりします)。
    もし、自分に完全に自信を失うと、人前に出ることが出来ず、引きこもると思います。

    • さーこ
    • 2008年 5月 15日

    記事にコメントした後、YANBARU先生のHPの方に行って、ACの文献を読んできました。
    結果、あまりにも自分自身に当てはまることばかりで、びっくりしました。
    どうやら私は、【「攻撃的言動」を持つ『思春期破綻型』のAC】のようです。
    明確に、極端な行動を取った(爆発した)のは、今から4年ほど前でしょうか。
    正直、少し涙しました。
    が、私は数年前に一度、自分のACについて気づいているので、抵抗反応を自分である程度コントロールする事ができ、冷静を保つことができています。
    先生の書かれた、「言語化」する事を具体的に目指していけばいいのだな、と、ようやく背中を押してもらえた気持ち(安心して歩いていってもいいのだな、という確信の気持ち)です。
    私は受動型のACなのか、積極奇異型ACなのか、まだよく分かっていませんが、ACを焦点に当てる事で見えてくるものが私にはありました。
    先生、ありがとうございます。

    • まーちんAS
    • 2008年 5月 16日

    私は受動型かな?と思いました。
    型が変わるのではなく、
    受動型→奇異型の切り替えは、
    経験から活性化された何かのスイッチ(おそらく複数の)が入った時に起きるのかな?
    想像ですが、いろんなパタンのスイッチを誰もが持っていて、しかし人によっては不活性化されているので、たまたま何かを経験をすることで活性化の準備が起きたり、活性化されたり、何かのスイッチがきっかけで他のスイッチも連動したりと、まぁ遺伝子発現みたいに切り替わっている感じかなぁと考えています。

    • Whisky
    • 2008年 5月 16日

    こんにちは。
     自分は自分自身で積極奇異型のASだと思っていますが、少し前までACを持っていたと思います。だいぶ改善したと思っていますが。どうやって、改善したかと言えば、ACに関する本を読みまくって、それから、自分の過去の事などを知人に話し、書いて、整理した事によって自分の過去を再構成した事からだと思っています。
     さて、自分のその経験に限って言えば、ASはACでない素の状態では、基本的に他人の評価を気にしない。他人の自分を比べてどうこうという考えが基本的にあまりないように思います。要は自分がどう考えるかが大事ですから。
     それで、ACになると、自分に自信がない状態となって、どうも、周りと自分を比較するようになったり、従属的になったり、一段下がるというか、積極奇異だと受動的になったり、もっと、強いと孤立型のように引き込もって見えたり、そういうふうになると思います。ただ、これは周囲からの見た目がそうだというだけだと思いますが。
     次にASが素の状態でどうなっていくかですが、おそらくですが、ASの中身自体は変わらないと思います。積極奇異、受動、孤立型、大きく分けるとそういうことなんでしょうけど。
     ただ、長らく周囲と関わっていく上で、だんだん、ごく限られた人々、同程度のASや、おそらく合理的なADHDのような人としか、本当の意味で自分の言いたい事が通じない、あるいは聞こうとしないということに気づくんじゃないかなと思います。こちらが理解しようと試みるたびに相手は全くこちらを理解しようとはしないんだなという事を思い知らされる。
     そうなると、だんだん、交友も少なくなって、ADHD側や、まあ、いわゆる定型の人から見るとだんだん、周囲との関わりを少なくしていくように見えるんじゃんないかなって思います。
     積極奇異→受動→孤立という具合に。
    それは見た目であって、AS的には中身は変わらない。興味の合うAS同士で話をすれば、中身が変わらないのはわかるんじゃないかなと思います。
     以上自分の知識と経験からの個人的な意見です。

    • m2
    • 2008年 5月 18日

    ACについても、ジャイアン・受動型ASと積極奇異型ASと合理型ADHDに分けて考えた方がいいような気がしてきました。
    後者は、自分を否定して弱めてしまうと、ほとんど多数派と同じに見える行動がとれる。
    だから、ACになりやすいし、目立たない。
    積極奇異型ACの人が自分を受動型や孤立型と思ってしまうのも無理は無く、そう大きな問題にはならない。
    実は、この2つは、あまり深く考えなくてもよいのかと。
    ジャイアンの場合は、他のACと同じように、自分を否定して弱めるけど、どんなに頑張っても多数派と同じにはなれない。
    そういう状態は、周りから見ると滑稽だけど、ジャイアンがジャイアンとして生きるためには、時として自分の過剰な欲求を抑える必要があるため、ACとしての経験が後に生きてくる。
    やっぱり、受動型AS以外の3パターンのACについては、意味もメカニズムもわかりやすい。

    • m2
    • 2008年 5月 18日

    問題は、受動型ASのACをどう考えるか?に尽きると思います。
    私の場合、エゴグラムで極端にACが低い形になります。
    受動型ASの場合、このパターンが多いと思います。
    自分と多数派とが違うことが自分でも回りから見ても明らかで、自分と他人とが違うという考えになりやすい。
    そして、多数派とあわせることを考えた場合、他の型のように、自分を弱めて他人に合わせる形ではなく、他人がどう考えているのかを理解することにより、自分がだったらこう考えるが、普通の人ならこう考える、と毎回二重に考えることになる。(だから反応が鈍いし、年を取るにつれ「普通の人」の考えが正しくなっていくので、晩成になる)
    ACと正反対の形で、多数派に適応していくのが受動型ASであろう。
    例外的に、子供の頃に家族関係に問題があって、本当の意味で、受動型ASのACになるケースがあると思う。
    昨日たまたまジョン=レノンの経歴を見てきたのだが、受動型ASのACってこんな感じなのかな? と思った。
     たぶん、受動型ASの場合、保護が無く生存本能を脅かされるAC状況になった場合のみ、早く成長する。
     だから、受動型ASに限っていえば、ACとして子供の頃に苦労するのは、若いうちに限っていえば+要因となる。
     もっとも、成功した後にACを自覚した後にきつくなる。
     どんどん理想主義が強くなり、社会との違いを感じるようになり、愛着対象への思いが強くなり、自分の疲れを自覚するようになり、結局社会不適合の変人になってしまう。
     この人生が幸せか? と問われたら、幸せだったろうとは思うので、受動型ASの場合も、ACの方がいいと言えるでしょう。
     ジャイアンと違って、受動型ASをACにするのには、相当凄惨な環境が必要になると思いますが。

    • みお
    • 2008年 5月 18日

    >m2さんへ
    m2さんのコメントを読んで、思ったことがあったので再び書かせていただきます。
    ↑でも書いたように、私は受動型ASのACです。
    ちなみにエゴグラムはいつやってもACが満点か、ほぼ満点に近い点数でした。
    最近はやっていないのでわからないのですが。
    受動型ASはACにはなりにくいのですか?
    私は、孤立型(たぶん)ASでアルコール依存症の父親と、ジャイアンのACの母親に育てられました。
    特にジャイアン母との相性が悪く、母親からは徹底的に人格を否定されながら育ちました。
    自分でも、m2さんが書かれているように「相当凄惨な環境」だったと思います。
    そして、現在はm2さんのおっしゃるように、ひどい鬱状態で働けていないので、「社会不適合の変人」というのも当たってますね。
    >この人生が幸せか? と問われたら、幸せだったろうとは思うので、受動型ASの場合も、ACの方がいいと言えるでしょう。
    私はこれまでの人生を振り返って、幸せだったとはとても思えません。
    なので、一概にACのほうがいいと言えるかどうかは疑問ですね。
    まぁ、私の場合元々がかなり重度のACだったので、程度の問題もあるかもしれませんね。
    あ、別にm2さんを攻撃するつもりで書いたわけではないですよ。
    受動型ASのAC当事者の一人としての意見を書いただけなので。
    あくまで一つの意見として受け止めていただけると嬉しいです。
    以前はACが酷すぎて、こうして自分の意見を述べるということさえできませんでした。(相手からどんな反応が返ってくるか怖くて)
    でも、今はこうして書けるようになったということは、少しずつでもACから回復しつつあるのかなぁと自分では思っています。

    • Whisky
    • 2008年 5月 19日

     発達障害でも、いわゆる定型発達者と呼ばれる人でも、ACになって幸せだったと言える事は絶対に無いと思います。
     親またはそれに該当する人にきちんと愛されなかったと認識を持つ事が本人に取っていいわけがありません。
     誰でも愛されて育つべきです。
     社会の中での適応などそれに比べたら意味があることのように思えません。極端にいえば、愛されて育ったという認識を持てさえすれば社会的地位がどうあれ、幸せだと思います。

    • エム
    • 2008年 5月 19日

    受動型ASって、「愛」の観念が希薄なのかもしれない・・。
    自分のお世話をしてくれる者に、いつのまにか依存してしまう様な気がする。(それが、最初はたまたま親って事で、別に親でなくても、生存の危機にさらされない限り、誰にでもそれなりに順応しそう・・)
    例えば、私の夫は、親に勘当されたのか?何年も会っていないけど、別に寂しくもないし、恨んでもないし、何にも感じていないみたい。まさに、失感情症・・そして、強い現状肯定主義。

    • Whisky
    • 2008年 5月 19日

    なるほど。感情ですか。
    わかる気がします。自分は積極奇異型のASだと思っていますが、こと、感情の量というかそういうことに関してはADHD系の人に勝てないなという気がします。
     僕から見ると、ADHD系の人はすべての人を愛そうとしているように見えるし、それにACがあると、時に可愛さ余って憎さ100倍みたいにいくように見えます。とにかく感情の量が多い感じがします。
     AS的には孤立型に向かうにしたがって感情の量が少ないというか、自分の気持がわかりにくい。決して感情がないわけじゃないけど、気づきにくい気がします。
     自分でさえ、たとえば誰かを好きとかいう場合、本当に好きなのか考え、好きであれば何かの相手のためになる行動をすべきだし、それをしてとてもいい気分になると、ああ、やっぱり好きなんだ。って思ったりします。
     思うに、ASの人は感情が年月とともに育っていくというか、脳の感情をつかさどる部分が少しずつ成長していくのではないかと思います。それには、愛を少しずつくれる人が必要な気がします。最低一人でいいんです。別に誰でもいいというわけではないと思います。
     ただ、基本的に男女の出会いなどは、偶然が支配しているし、出会った人を好きになるわけで、それを偶然と考えるか、運命的と考えるか。それも、普通はいくつかの出会いから選んでいるんですよね。
     表面にでないだけで、内部では、まあ、役に立つという意味では役に立たず、下手の考え休むに似たりなんでしょけうけど、そうとう、頭が疲れるぐらい考えていると思います。
     それから、感情が少ない分、人を嫌いにならないと思います。受動、孤立に行くにしたがってよほどの事がない限り人を許さないとかは無いと思います。現状肯定はこの辺からだと思います。
     その代わり、愛着の対象との関係を邪魔するものはすさまじく敵対するでしょうけど。その時は感情が噴き出るかな。
     ふだん静かな人がおこると怖いパターン。
     受動型の人もパートナーがいて、そのパートナーに愛着を持っていれば、いざとなれば、死ぬ気で守るでしょう。愛が少ないわけじゃないけど、出にくいだけかな。多分。
     

    • みお
    • 2008年 5月 19日

    前回の私のコメントのすぐ下に書かれているWhiskyさんのコメント、私も全く同感です!
    私は自助グループでたくさんのACの方の話を聞いていますが、皆、親から愛されなかったことで自己肯定ができずに苦しんでいます。
    そういう姿を見ていると、「この世から機能不全家族をなくしたい!」と本気で思ってしまいます。
    これはASゆえの極端な考え方(理想論)なのかもしれませんが・・・。
    >社会の中での適応などそれに比べたら意味があることのように思えません。極端にいえば、愛されて育ったという認識を持てさえすれば社会的地位がどうあれ、幸せだと思います。
    ほんと、私もそう思います。
    そして、自分の感情がわかりにくいのはACのせいだと思ってたけど、これはASの特徴でもあるのかなぁ。
    >それから、感情が少ない分、人を嫌いにならないと思います。受動、孤立に行くにしたがってよほどの事がない限り人を許さないとかは無いと思います。
    これは、なんかわかる気がします。
    まぁ、私の場合ACがあるので、今は両親に対しては「許せない」という気持ちがありますが、それ以外の人にはあんまりそういう風には思わないですね。
    あと、最近気付いたんだけど、私の場合自分にひどいことをした人に対して「敵意」を持つことはあっても、基本的に他人に「悪意」を持つことはないんですよね。
    これはASの特徴なのか、それとは関係なく単に私の性格の問題なのかはわからないけど。
    なんだか本題からずれたコメントになってしまってすみません。

    • Whisky
    • 2008年 5月 20日

    こんにちは。 みおさん。同様に感じる人が居るとおもうとなんかうれしいです。
    >まぁ、私の場合ACがあるので、今は両親に対しては「許せない」という気持ちがありますが、それ以外の人にはあんまりそういう風には思わないですね。
    自分も両親に対しては同様の感情を持っていましたが、ACの改善に伴って大分良くなってきました。みおさんもACが改善してくればある程度許せるようになると思います。頑張ってください。
    >あと、最近気付いたんだけど、私の場合自分にひどいことをした人に対して「敵意」を持つことはあっても、基本的に他人に「悪意」を持つことはないんですよね。
    この部分は同感です。他人に悪意を持つのはなにかとても嫌です。ASの特徴の一つだと思います。
    上杉謙信が敵に塩を送ったというのはこういう感覚じゃないかと思います。ちょと変な例えですいません。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 20日

    ここまでのコメントを黙ってずっと読ませて頂いて思うに、ジャイアンASにも受動ASにも、ACになる可能性のあるような“負荷”のかかった状態が“ある程度効果的”であることは、残念ながら実証されていると思いました。
    かくゆう私も何故今仕事が続けられているか、何故身の安全と健康を最低限守れているかを振り返ったときに、その生活力は負荷(持病とか貧乏とか)から身につけさせて貰えたと思っています。
    しかし、その負荷のインストール力は、親に子育てに対する信念があったからであるとも思います。
    考えてみると、貧乏にしてもその現実から私が目を逸らす方法はいくらでもあっただろうし、ASであるからには私には目を逸らす能力はもともと備わっていたでしょう。他の兄弟達と私を仮に“分け隔て”すれば、私には望むものは何でも与えられたのでしょう。私が思いつかなかっただけで。
    そして逆に“分け隔て”によって私が虐待されたとすれば、私は自分の欲しい物を歪んだ方法で手に入れることに今でも執着したでしょう。
    とりあえず働いて生きるという、身の丈に合ったまっとうな方法を取れているのは、親の姿があったからであると言えます。
    これで、就労先が災害で消滅とかして働けなくなったときは、心身が元気なら役所へ行って然るべき次の手続きを取らなければいけないことも知っています。私の能力でできることなのにしないで、黙ってお膳立てされるのを待つことはしないような気がします。
    話を戻して、“負荷”をかけることを一般化するにはどうしたらよいのでしょうか。
    虐待がやはり人の道に外れた方法である以上、“負荷”を、説明付けのあるまっとうな教育と位置づける“能力”のある人がするとするなら、と考えたときに、医療が舵取りをして教育者が動く形が見えてくるのではと思いました。
    将来その形ができてきたとき、万一にも誤解した者が受動の子にジャイアンや病んだ者をあてがうことは無くなるし、家庭の虐待からも子ども同士のイジメからも、ジャイアンや受動の子を救う理由が作れます。誰にでも分かる理由作りと一緒に一般化すれば、実用的になると思いました。
    どこまで具体的に作れば実用的と言えるのかというと、全国の発達障害者とその関係者が、ACを廃した平等な目で見て納得できる内容になったときであると思います。

    • みお
    • 2008年 5月 21日

    Whiskyさん、レスありがとうございます。
    そうか、「他人に悪意を持たない」のもASの特徴の一つなんですね。勉強になりました!
    でも、実際はストレートな物言いをしてしまうことが多いせいもあって、周りからは「悪意を持ってる」と誤解されることが多いのが切ないですね・・・。
    「全然悪意はないんです~!」って言ってみることもあるけど、なかなか伝わらない。
    これは少数派ゆえの悩みかなぁ。
    ところで、今回のテーマはASとACの両方で悩んでいる私にとってはとても勉強になりました。
    ご自身がADHDであるやんばる先生からは、ASのACというのはなかなか理解しがたいのかもしれませんが、たぶん両方で悩んでいる人は結構いると思うので、是非またこのテーマを取り上げていただきたいです。

    • エイト
    • 2008年 5月 22日

    ぴよよさんへ
    ぴよよさんが教育に携わるお仕事をされていると分かったときから、ぴよよさんの「子ども」と「仕事」についてのコメントを読ませていただくと私はよく理解できます。
    私は4代ジャイアン家族、子ジャイアンの学校問題、自分自身の問題といつも壁にぶち当たっていますが、ぴよよさんのコメントに共感する部分がかなりあります。(私が勝手に解釈していて不愉快に感じたら申し訳ありません)
    ぴよよさんのように考える教育関係者が居られると思うだけで私はとても救われます。
    >医療が舵取りをして教育者が動く形
    私もこの形が理想です。次男には間に合わなくても、日本の子どもたちのために、現実に機能する日がいつか来ることを願います。
    現状では、こだわりを持つ子どうしの喧嘩やいじめ、親からの不当な扱い、学校の無理解、など防ぐことのできる二次障害が多すぎると思います。

    • Whisky
    • 2008年 5月 22日

    >みおさん
    気になるとついレスしたくなってしまいます。もし、気に障ったら申し訳ありません。
    >ストレートな物言いをしてしまうことが多いせいもあって、周りからは「悪意を持ってる」と誤解されることが多い
    ということに関してですが、自分の考えを書かせて下さい。
    いわゆる定型発達者と思われる人の多くは比較して考えるのが好きで、物事を善か悪か、(社会的序列が)上か下か、損か得かというように考えている事が多そうです。
     それで、AS的にはそういうことをあんまり考えないように自分は思います。
     だから、ASとしては、何か良くないことがあれば、それは、指摘する事によって相手または全体の利益になるわけで、純粋にそういう気持ちでストレートな物言いをしていると思いますし、自分はそうです。
     ところが、いわゆる定型発達者と思われる人の多くはそういう解釈をしないように思います。
     何か言われた場合、それは、なにか発言した人にとって何かの意図があるだろうと思っていて、それは善悪や、損得、その場での上下関係を決める発言と取っているようです。
     ストレートに発言したASにとっては自分のメリットは何も考えていないのに、受け取る側としては、何か自分に言うからにはAS側にとっての意図や損得があるだろうと思うようです。でも、論理的に考えると、ストレートな発言内容がAS側にはメリットがなく、そうなると、攻撃されたと取るようで、「悪意がある」となるようです。
     これは、どうも、脳の作りが違う事に起因していると思います。
     まあ、自分の経験から、何故ストレートな発言が嫌われるのかという事に関する考えです。あくまで個人的な考えなので、合っているか断言はできませんが、そう考えるとつじつまが合います。
     定型発達者といわれる人の中にもASと同様な考えを持つ人も時折見受けられる気がします。ひょっとしたらASかもしれません。そういう人にならストレートな発言も受け入れられると思うんですけど、見極めが難しいところです。

    • みお
    • 2008年 5月 23日

    コメント書きすぎかな~と思いつつ、気になったので書かせていただきます。
    >Whiskyさん
    またまたレスありがとうございます!
    > 何か言われた場合、それは、なにか発言した人にとって何かの意図があるだろうと思っていて、それは善悪や、損得、その場での上下関係を決める発言と取っているようです。
    定型発達者はそういう風に考えているんですね!
    自分にはそんな発想は全くなかったので、びっくりです。
    私は純粋に自分の思ったことを言ってるだけなのに~っていつも思ってました。
    つまり、ストレートな発言が嫌われる理由が全くわかってなかったんですね。(自分はかなり重症のASなのかも・・・)
    気に障ったなんてことは全然ないので、大丈夫ですよ☆
    それどころか、まだまだ勉強不足の私にとって、Whisky さんのコメントはすごく参考になりました。(ACを改善されたということも含めて)
    どうもありがとうございます!
    それにしても、ASって「オブラートに包む」ことも苦手だし、遠まわしな表現を理解するのも苦手で、良くも悪くも直球勝負な人生だなぁと我ながら思います。
    いちいち「言葉のウラ」とかを考える定型発達者からするとわかりにくい相手なんだろうけど、「ストレートな表現」を好む人から見ると、すごくわかりやすい相手じゃないかと思います。
    「合う人」と「合わない人」がはっきり分かれるのも、この辺の事情が関係してるのは確かですね。

    • まーちんAS(AC含むかも)
    • 2008年 5月 24日

    >例えば積極奇異型ASの人がボーダー(境界例)的になった場合、「行きずりの関係で不安を解消する」というもともとの積極奇異型にはあり得ない様な(受動型なら当たり前の)行動が、ASのACとして説明出来るように思う。
    行きずりでその場をしのぐって、私にはよくわかりません。
    ASの方のコメント、聞いてみたいです。
    私は<行きずり>のつもりはないけれども、過去の異性関係は一般的に見たら多いと思います。
    永遠に愛着を求めることができる相性のいい相手は、なかなか見つからないものです。自分のこだわりを捨ててみたり、強く押し出してみたり、いろいろ試してみてはダメ、相手を変えてみてはやっぱりダメ。
    試さないとわからないので、見つかるまで徹底的に?何度も繰り返していました。
    私は本気でいろんな方と交際したつもりですが、(そんなの当事者にしかわからないことですから)傍から見たら行きずりの関係って思われてたかな?と今更ながら思い返しています。

    • Whisky
    • 2008年 5月 25日

    こんにちは。
    経験からいくらか言えると思うので。
    >例えば積極奇異型ASの人がボーダー(境界例)的になった場合、「行きずりの関係で不安を解消する」というもともとの積極奇異型にはあり得ない様な(受動型なら当たり前の)行動が、ASのACとして説明出来るように思う。
    これはまさにその通りだと思います。
    ACが何かが問題だとは思いますが、親との愛着関係が作れなったのがASの場合はそれで、(つまり、愛されたと感じられなかった)それに変わる愛着対象が無いと、それはそれは不安です。
     そのうえで、エネルギーがあって、経済的余裕や時間的余裕があれば、愛着対象を探す行動に出るんでしょうね。
     自分の行動を振り返るとそういう事のようです。
     それぞれに本気ですよ。そう思った相手には。
     本気に思った相手と別れるときは身を切られるようにつらいです。そのたびに心が削れて行くようだ。
     行きずりの関係ね、まあ、そうとしか見えない人にとってはそう見えると思います。

    • まーちんAS
    • 2008年 6月 21日

    先生に質問というか、報告のコメントです
    シンギングボールhttp://passionexpress.hp.infoseek.co.jp/Singingbowl-movie.html
    のCDを聞く機会があったのですが、その時に
    なんとも言えない魂が抜けていくような感覚になり、
    意識がどこかにもって行かれそうになるのを堪えて、
    CDを止めてもらい気を落ち着かせたら、軽く別人が入ってくるような感覚を覚えました。
    受動型⇔奇異型に意識が変わる気がする時と、よく似ています。瞑想CDとか言われるぐらいなので、なにかあるんですよね? この波長は私に何をしているんでしょう?
    一緒に聞いていた人5人のうち3人は全然何も感じないようでしたが、私ともう一人は、身震いがしたり妙な気分になったので、波長への反応って随分個人差があるもんだなと思いました。

    • さーこ(AS)
    • 2012年 10月 29日

    ※この記事にコメントしている さーこと、私(さーこ(AS))は、同一人物です※
    YANBARU先生、ごめんなさい。どうしても、これだけ書かせてください。
    自己評価の低下について。(状態の悪い人は読まない方が良いと思います。)
    ****
    私は、この家の中で、このまま精神的に死ぬのかと直観していました。
    家族の中での私の評価は地に落ち、家族の誰からも理解されず、自らの積極奇異性も削られていき、私が(妄想的に夢のように)望む、あたたかな情緒的愛情は、決してもらうことができず、一生叶うことはないのです。
    私が価値とするのは、基本的に精神的価値のみなので(池田晶子さんの本を読もうと思えた訳ですね)、時に狂いそうになる認識をギリギリでこらえ、精神的に善くあろうとする個人的意思の力のみで生き延びたのだと、今はそう思います。
    しかし、心が平穏な時は一時も無く(情緒不安定が常の状態)、とうとう半分寝たきりになりました。
    嗅覚錯誤(おそらく)になり、飲物はかろうじて摂取可能でしたが、ご飯などがほぼ完全に食べられなくなり(1口、2口でアウト)、睡眠時間が異常に増え、いつ眠っていつ起きているのかも分からなくなりました。
    そのうち筋力が衰え、日光を見ただけで頭がふらつき、栄養障害からか、足の爪に白い横線の筋ができました。
    ジャイアン母(看護師)はさすがに危ないと感じたのか、苦い生搾り野菜ジュースを作って私に渡し、飲むように促しました。母からは身体の生存は許されましたが、精神的生存の許可や保護は置き去りにされました。
    私は、まだ20代だというのに、体は老衰するばかり、という表現を用いる精神的状態に陥りました。
    (続く)

    • さーこ(AS)
    • 2012年 10月 29日

    (続き)
    AS父は今から約15年前に没になっているので、一家の大黒柱はジャイアン母です。
    他のAS兄弟は、(どんなマジックを用いたのか)ジャイアン母からの経済的支援を次々と獲得して、この家を出て大学進学など勉強に邁進しているのに、私は自分の通院費を、自分の稼いだアルバイト代から全額出していました。しかし、対人トラブルの連発で、私は自分がよく分からなくなりました。
    ゼロ百思考がふくれあがり、そのうち、自分の体を壊すために働きに出て当たり前かも…と倒錯した思い込みが始まりました。自分の稼いだお金が無くなれば、当然医療機関には出向けません。出向く為の体力も、徐々に底を尽きて行きました。
    家族からの私への経済的支援は、今から4年前まで一切ありませんでした。当時、あんまりだ!とは思いましたが、ジャイアン母や他のAS兄弟に、自分の気持ちを訴える気力はほとんど残されていませんでした。
    ぎりぎりに追い詰められた私は、自分の精神性をいかに保ったまま生き延びるかに、焦点をあてました。
    そのために、あえてこの家に居残りました。
    自分の中の精神性をなるべく拮抗した状態で保ち、情緒的な渇望を抱えたまま、日常の生存生活にひたすら耐え続けました。
    私の場合、情緒的なフォローはこの家では得られなかったので、医療機関で補ってもらおうという発想が、そのうち鈍い頭にひらめきました。
    私の嫌いな「利用」という事になるかもしれないが、プロの人に、発達の段階で家庭で得る事ができなかった情緒的フォローを代替していただこう(本物は決して得る事ができないのだから、おそらく、利用というものですらないのだけれども)。その代わり、精神療法を自分勝手に突然終了するようなことは決してするまい、医療機関の人を混乱させるような事はするまい、と、かたく誓ったのです。
    (続く)

    • さーこ(AS)
    • 2012年 10月 29日

    (続き)
    私が一番懸念したのは、その後AS兄が結婚し、嫁を連れて里帰りする事が決まった2年ほど前の事です。
    正直なところ、「兄嫁と同居できるくらいになれるほど、私は間に合うのか…?(この時点では兄嫁が多数派とはまだ知らない)」と思いました。
    しかし私には、何年もの間ずっと、この家とこの土地に住み続けた結果がありました。月日が経ち、新たな施設(地域活動支援センター(I型))が運営を開始したり、ご近所さんの私に対する評価が「苦労しているみたいだけどまじめで良い子」となっていた事も幸いでした。
    今は、ギリギリで間に合った事に、ホッとしています。
    ****

    • あおいよる。
    • 2013年 10月 04日

    久しぶりにコメントさせていただきます。
    (前回自分で(勝手ながら)宣言した「一次障害とニ次障害」へのコメントは
    まだ全コメント読解できていないので文章化(自分なりに脳内へ格納して思考して言語化する)がまだです、
    でもいつかコメントしたい思いは変わらずあります。)
    >「環境のために後天的にACになっていたのが回復した」と説明できるのかどうか
    上記の「一次障害とニ次障害」につながる(と捉えています)のですが
    職場では職場内での人間関係や上司と部下という関係等、
    他者との関係性を「組織を乱さぬように適切な組織員として立ち振る舞いながら」適切に保つことが最重要課題になってしまっていたりします。
    それには非常に大きなエネルギーが必要です。
    素のAS脳による言動はそれの保持とは拮抗してしまいますから出せません。
    出したいけれど「また失敗するぞ!」「組織だぞ!」などとブレーキかけつつな日々です。
    関係性がうまくいってないと感じると
    ACチックな自分が前面に出ます、わかっていながらも抑えられない場面もありますし
    あとでの(日課ともいえる)脳内記憶整理の時に気付きます。
    そもそもその「うまくいってない」かどうかのアンテナ自体ACですよね…(ため息。)
    けれど
    ここ最近職場環境が自分にとって良くなったのか(エネルギーが必要なのは変わってませんけれども)
    ASチックな自分が全開になることが先日ありました。
    その時の、自分の脳内の自由奔放さといったら。(あとでもちろん自己反省&卑下でしたが。)
    あれがACが取れた瞬間なのだろうかな、などと考えています。
    その反面
    自宅は独り身なので(かつ友人付き合いや家族交流はゼロなので)
    ある種のAS脳全開かなぁと感じます。(好き勝手しすぎて、もう、ね。)

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