AC、人格障害関連

ローレンツ「攻撃」より3.抑制システム

 多数派の衝動統制がどのようになされているかを考えてローレンツを繰り返し読んでいるが、最も参考になるのが「攻撃の抑制システム」だ。

 七面鳥の母鳥は耳が聞こえないと生まれた雛をつつき殺してしまう。それは雛の鳴き声が母鳥の攻撃衝動を抑制するシステムになっているからだ。

 ある種のヘビはメスをにおいで識別する。オスの色に塗られたメスを近づける実験で、飛び掛ったオスががにおいで寸でのところで攻撃をストップし、その後においを注意深く確かめなおしたという。

 オオカミはメスや子供を決して噛まないという。犬は相手が腹を見せると攻撃を止める。(メスは従順の姿勢をとる)。

 同じ文脈でアメリカインディアンでは、族長同士が対面してタバコをふかした以降は攻撃は全員に禁止されることが述べられている。

 ローレンツはこれらの抑制システムが本能のレベルで「儀式化」のプロセスなどにより同種間の攻撃衝動を抑制する形で「集団的に」進化してきたと考えている。

 私は多数派が「総合的に」などと偉そうに自らの衝動統制を説明しても、実際は上記の動物たちと同じレベルの大きな抑制システムの「範囲内」でのことだろうと想像している。

 「相手が大怪我するか死ぬまでは攻撃しない」とか、「相手から攻撃されるような態度自体を最初から回避するように行動する」という多数派の行動様式は、動物の場合と同じく、「集団的に」出来上がっており、まさに「空気」の問題なのだ。

 逆に言えば、我々発達障害の障害の重さは、「この抑制システムが生まれつきの状態ではうまく機能しない」という非常に厳しい状況にあると私は考えている。
 
 「相手が死にそうになっている」ことを直感的に知覚して果たして自分の攻撃が自動的に停止するか? と考えると少なくともジャイアン型ADHDの私の場合にはそういう形ではストップしないだろうと思う。

 (ASの人は別の形のそれこそオオカミ的な独自の抑制システムを持っているかもしれない)。


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コメント

    • エイト
    • 2010年 11月 21日

    友達の家で飼っていた雄猫がその近所の家で新しく飼われた子猫を噛み殺したことがありました。
    その雄猫は元野良ですが友達一家にとても愛されて飼われていました・・
    その風貌はいつ見ても「俺様になんか文句あるのか?」とふてぶてしくて、その事件のあとも「邪魔だから殺しただけなんだよ、うるせーな。」とでも言いたげでした。
    先生がジャイアンのことを自己中な野良猫と例えたことがありましたが。。
    私はその雄猫に違和感を覚えないです。。
    同種の集団とか繋がりとか必要だと思えない。。
    それとは全く違う次元で生きている感じです。

    • あまがえる
    • 2010年 11月 21日

    僕自身は論理性を重視するあまり攻撃的に受け取られる言動をすることがあります。
    それを回避するか否か選択する余裕はあるときとないときがあります。
    自分を社会的に不利な立場に追い込もうとする人を攻撃しなければならないと思うことはあります。それは相手の死をもって止まると想像しています。実行は法的に自分を不利にするのでしていません。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 11月 21日

    裁判員裁判で初の死刑判決について、新 恭 (あらた きょう)さんのコメント(下に引用)ですが、これを読むと生得の攻撃抑制システムだけでなく、文化的なものもあり、習得が難しいと思います。
    私は甘えることも、甘えられることも不得手です。我が子の甘えはようやく受け入れられるようになりましたが、基本的に苦手です。日本の社会でのお詫び、謝罪が、相手への「甘える」要素が含まれるのなら、それが一般的ならば、甘える事が苦手な私の謝罪が相手に受け入れられないは、当然の帰結なのでしょう。
    以下引用
    筆者はこの異例な「控訴」説諭と、裁判員の一人の「涙を流した」という報道に接したとき、土居健郎氏の名著「『甘え』の構造」に紹介された、ある光景を思い出した。
    それは、ラフカディオ・ハーンの随筆「停車場で」に綴られたつぎのような物語である。
    強盗をしてつかまり、巡査を殺して脱走した犯人が再び逮捕されて熊本に帰ってきた。駅頭に群衆がつめかけ、巡査の未亡人がその場にいた。背中には小さな男の子が負ぶさっている。
    護送してきた警部がその子に「これがお父さんを殺した男だよ」と告げ、男の子は泣き出したが、その瞬間、犯人が次のように語りだした。
    「堪忍しておくんなせえ。堪忍しておくんなせえ。・・・あっしゃァ、坊ちゃんに、なんとも申し訳のねえ、大それたことをしちめえました。ですが、こうやって今、うぬの犯した罪のかどで、これから死ににいくところでござんす。あっしゃァ死にてえんです。よろこんで死にます。だから坊ちゃん、・・・どうか可哀そうな野郎だとお思いなすって、堪忍してやっておくんなせえまし。お願いでござんす・・・」
    やがて警部は犯人を連れてその場を立ち去ったが、するとそれまで静まり返っていた群衆が俄かにしくしく啜り泣きをはじめ、そればかりか警部の目にも涙が光っていたというのである。
    ラフカディオ・ハーンは以上の光景に接して「どんな日本人もその精神のうちの大部分を占めている、我が子に対するこの潜在的な愛情」に深く感銘したようだが、精神医学者である著者の土居氏は、そこからさらに深く踏み込んで解釈を進める。
    つづく

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 11月 21日

    続き
    この場合犯人は子供を可哀そうと思うと同時に、自分も実はこの子供と同じくみじめであると悟ったといえないだろうか。・・・日本では謝罪に際し相手に対し幼児のごとく懇願する態度をとり、しかもそのような態度は常に相手に共感を呼び起こすので、あたかもお詫びが魔術的な効果を持つように、外国人には見えるのであろう。見物の群衆がすすり泣いたのも、ただ子供のためばかりでなく、改悛している犯人のためでもあったといって過言ではない。
    お詫び、謝罪があれば日本人は相手を許す性向がある。それは日本人の美点でもあるが、情に流されやすい脆さもはらむ。
    西洋人も、中国人も謝ることを嫌うところをみると、他国と海を隔て、黒船来航まで他国から侵略される心配をほとんどしなかった日本人のDNAは、よほど謝る人の善意を信じるようにできているのだろう。
    裁判員裁判の被告の「改悛」が本物だったかどうかは知る由もないが、「可哀そうな野郎だとお思いなすって、堪忍してやっておくんなせえまし」と、自らのこれからの運命を哀れんで声を震わせた「停車場で」の犯人のように、いまだに裁判員たちに「哀れんでもらいたい」という、「甘え」の精神構造が被告になかったと言い切れるだろうか。
    http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10709959803.html

    • YK
    • 2010年 11月 21日

    私は人に謝られるのが嫌です。
    謝られると許さないといけないと思い、
    でもどうにも言葉だけでは許せないからです。
    許せない自分を責めて苦しむので、
    人に謝られるのが嫌です。
    謝って済むか!という憤りを感じます。
    よけいイライラします。
    私は人の理不尽な行為をずっと根に持ちます。
    事あるごとにそれが浮上して、
    その怒りを気づかれないように抑制します。
    抑制することが多くなりすぎて、
    人と関わっていけなくなります。
    もっとナチュラルな衝動統制ができたら楽なんでしょうけれど、
    本当にねじ伏せ、力ずくで押さえ込まないといけないので、
    とてもとても疲れます。
    それがエンドレスに続くので、
    関係を断ち切ったら爽快感さえ感じ楽になります。
    どうした謝られたら許せるんでしょう?
    どうして根に持たないで水に流せるんでしょう?
    フシギです。

    • mican
    • 2010年 11月 21日

    そもそも、多数の動物にとっての抑制システムが生育過程で獲得するものではなくて
    「生まれつき」持っているのであれば
    やはり、それは生物にとって必要なシステムということでしょうか
    あったほうが有利であるとか。
    何に対して有利なのかとも考えますが・・
    ADHDは先生の仰るとおり
    >「この抑制システムが生まれつきの状態ではうまく機能しない」
    であると確かに思えます
    私にはADHDの攻撃の”初期時”むしろ、仕掛けている本人には
    「自分は被害者」だという、強い思い込みがあるように感じます
    その危機感を無意識であっても、口実にしているのではないのかとも思いますが
    その攻撃が有利と踏めばあらゆる考えが冷静にあふれ出るのも感じますから。
    でも、カッとした瞬間や攻撃の初めは攻撃自体を楽しんでいたり、計算高いようには思えません
    危機感を過度に感じたサルがひたすらに興奮しているように私には見えます。
    うまく機能しないこの制御システム・・。
    先生はどうしたら・・と思われていますか?

    • 黒すりごま
    • 2010年 11月 22日

    先生の記事も、コメント欄の方々のコメントもすべて大変勉強になります。とても大事なテーマだと思います。深く深く考えさせられます。

    • ももこ
    • 2010年 11月 22日

    人間の場合は七面鳥より複雑だろうから色んな本能が絡み合って「総合的」でもいいのかなと思いますが、
    それを『偉そう』と取るのはやはり『単純』なジャイアンのひがみなのでしょうか。
    ジャイアンは言葉の受け取り方にも制御が効かないのではという気がしてきました。
    こっちが空気と感じてることを多数派がどう感じてるのか興味深いのですが、
    それが理解できないからこそ私はKYなわけで、
    同じ様に感じられるはずもないんですよね。
    と同時に、先生もまた偉そうに多数派の空気を解説できるのが不思議です。

    • ももこ
    • 2010年 11月 22日

    こうして「先生だって偉そうだ」とコメントせずにはいられない所も衝動統制の問題かと再認識しつつ続投です。
    物忘れが激しいとか片付けられないとか落ち着きないとか、
    そういうことは理解されやすいです。
    しかし「攻撃性」を理解し受け入れろというのは無理難題で。
    攻撃性の弱いADHDが身近にいたりすると余計『性格』と言われてもどうしようもなく。
    自分もゼミA君とは同類にされたくないと思ってる以上、
    きっと攻撃性弱のADHDに私も汚名を着せてるんじゃなかろうかと思っては凹みます。
    だから攻撃抑制障害って独立した診断名がほしいぐらいです。
    スパイラルである以上、、、
    注意欠陥多動と攻撃抑制は果たして同じ脳の部位で起きてるのか、
    それともホルモンとか分泌物とか、体質・気質的な別のことなのか、
    (と書きつつ既に、またおまえは『障害』を免罪符で逃げる気か!と自己突っ込み入り中です)
    多数派でも切れやすい人はいるし、、、
    でもやっぱり原因はどおあれ、「抑制能力」はほしいというところに行き着くだけなのですが。

    • YOHKO
    • 2010年 11月 22日

    長女(大学生19才)の説明書かと思いました。
    長女は、親・教師の暴力を誘い出すかのような言動をします。現に被虐待の痕跡ありと心理判定されていました。
     彼女は「ここら辺で矛先を収めなければヤバイ」ということを感じないからです。
     考えてみると、それは2歳過ぎには顕著だったので、「攻撃の抑制」は経験的に習得するものではなく、本能に組み込まれていることは納得。
     その「攻撃性、矛先を絶対収めない」ことを、当時通っていた児童心理カウンセラーに相談すると、「お母さんが、ゆずって負けて見せてあげることですよ。モデルになって」と指導を受けました。

    • のら
    • 2010年 11月 22日

    私の場合、攻撃的になるパターンがあって、
    人から受け入れられなかったとき。
    自分がしなければ、と思ってることをうまくできずに自分に厳しくなってるとき。
    過去のトラウマにふれるような行動を相手がしたとき。
    これが自分が我を忘れるくらい攻撃的になるポイントみたいです。
    それで攻撃的になったときはさっと一人になれる場所に行きます。
    そして対象にぐーっとフォーカスしてる意識をカメラのピントをさーっと広げるようなイメージを頭の中でします。
    それから「そもそも自分も受け入れてない自分を人に受け入れてほしいって甘えでは?まず自分がダメな自分も受け入れないと。」
    「人にはそれぞれ考え方があって、自分に厳しく生きる生き方も、自分に甘く生きる生き方もある。私が勝手に自分に厳しく生きてるからって、人に強要できない。」
    「私のどこにトラウマがあるかなんて他の人は知らない。知らないからふれられても仕方ない。私も人のトラウマにふれても許されてきたのかも‥?」
    とかって自己突っ込みします。そうしてると最初のぐわーっとした怒りがちょっとおさまります。。
    ぐーっと対象にフォーカスしてる怒りの意識を、客観的に広げてほぐすと自分がちょっと楽になる気がしました。そんな口で言うほど簡単じゃないけど。。昔よりはよくなりました。

    • のら
    • 2010年 11月 22日

    あ!そういえば最近思ったのですが、多数派の人達は自分が受け入れてもらいたいから相手の人に受け入れてもらいやすいように、いい面だけみせようとするんですね。
    私は親しくなりたいと思ったら、なるべく素の自分をみてもらいたいし、相手の人の素もみたいからそこも違うかなって思いました。多数派の人達の攻撃性は自分で判断するんじゃなくて周りの人もそうだから自分も安心して攻撃的になるというところが、自分で判断してなくてずるいと思いました。
    でも多数派の人もそれぞれですっごく優しく人もいるから。
    相手の真意が私にはわからなくてよく混乱してます。
    長くなってすみません。

    • nori
    • 2010年 11月 22日

    抑制システムが「無い」のであれば
    先生がいう「合理的な自己突っ込み」がより重要になってきますね。
    ADHDの衝動性は年齢が増すごとに弱くなってくる
    とADHDの本で読んだことがあります。
    これは合理的ADHDの人にあてはまることなんじゃないか?
    と個人的には思います。
    周囲の年配のジャイアン型ADHDの人の感じを見ると
    弱くなってるとは微塵も感じないからです。
    ADHDでも合理型とジャイアン型で大きな隔たりを感じます。

    • milky-fanky
    • 2010年 11月 22日

    夫がジャイアンです。長年彼の真意がわからず悩んできましたが、先生のおかげで私なりにずいぶん理解する事が出来、このところ本当に平和に日々を過ごす事ができています。ありがとうございます。
    夫の攻撃性ですが、彼を見ていると、怒りの原因より、怒りを爆発させる事そのものが目的では?と思ってしまう事がよくあります。理由は実はなんでもいいのじゃないか?と。
    私は自分の怒りや攻撃性を表現するととても疲れてしまい、そんなに疲れてまで求める程の事ではないなあ、と経験でわかっているので、よっぽどの事がなければ怒りを表現しませんが、彼は怒りを爆発させると、むしろイキイキスッキリつやつやという感じで・・・(苦笑)
    怒りの理由があって、それを現実的に解決する為に表現する、というより、怒っている状態からエネルギーを得ているように見えます。
    私としては、こちらのサイトのおかげで、彼がどんなに怒っていても、暴言を吐いても、「今そういう気分なだけで、言葉通にしている程私という人間を決定的に嫌っている訳ではない」ということがちょっとわかってきたので、救われています。

    • 匿名
    • 2010年 11月 23日

    ももこ様
     これは重要なことなのでコメントしておきます。
     こういうコメントは今後も大歓迎ですが、匿名の立場からするのは非常に卑怯ではないですか?
     私は実名を公表して出ていますので、今後こういうコメントはあなたの実名を公表してやってください。

    • ちひろ
    • 2010年 11月 23日

    私は今でも自分の攻撃性を感じることができません。
    いじめられっ子は常にスケープゴートで神聖な存在というジャイアンファンタジー認知を卒業できない。
    おかしい。
    いじめられたのなら、いじめられて当然の嫌な奴と思われたからです。やつらは私の痛みを嘲笑い続けたはずです。
    最近また方向を間違えかけました。
    どうせ歪んだ認知です。
    考えれば考えるほど違う方向に行く。
    「もう人間なんて信じるかっ!」
    金髪にして入れ墨入れて蹴っ飛ばしながら歩いた方が、回復の道なのに・・・。

    • 黒すりごま
    • 2010年 11月 24日

    統合失調症の症状を例に出すのは、この場合不適切かもしれませんが、娘が陽性症状で入院した時の主治医が、「彼女の場合、統合失調症には間違いないが、発達障害をベースにした統合失調症だという感じがする」との話でした。
    陽性症状がある時は、幻聴で「自分の目をつつけ」「自分の頭を台の角にぶつけろ」「窓から飛び降りろ」などの命令があり、それを本気にして実行しかけるので、ベッドに拘束されていました。何かの抑制がはずれて攻撃性が自分に向かってしまった状態だと思います。
    陽性症状が治まり、退院して抗精神病薬に加えて「ナイアシン」の摂取と「高濃度ビタミンC点滴療法」などを併用してようやく現在は安定した状態を保てています。
    そんな状態で、毎日「妄想画像」や「幻聴」にどんなものがあったか「聞き取り調査」をしていますが、程度は弱いにしろ、いろいろなものがあります。
    娘の脳にはすごくいろいろな引き出しがあり、それらが全部開いた状態で、その中から本能的なものがポンポン飛び出してくる感じです。一言で言うと、「エロ・グロ・ナンセンス」プラス「攻撃性」という感じです。初めは聞いていてこちらが嫌な気分になることが多かったのですが、最近は慣れてきました。きっと人間の脳には誰にでもこういう引き出しは存在して、奥深くにしまわれていて、きちっと閉まっているんだろうなと思うようになってきました。私の中にもちゃんとあって、たまたま閉まっていて表面に出てこないので、あまり経験していないだけなんだろうと思います。娘にも
    「お母さんは上品ぶってるけど、あなたと同じ引き出しをきっと持っているんだろうね。」と話したら本人も安心していました。
    今回の動物の行動生態学のお話を聞き、改めて人間はやはり動物なんだという思いを強くしました。

    • ももこ
    • 2010年 11月 24日

    Yanbaru先生、
    確認したいのですが、
    「こういうコメントは今後も大歓迎ですが」の「こういう」は何を指しているのでしょうか。
    『先生も偉そうである』の部分ですか?
    それとも、ゼミAくんなど他人のことですか?
    私は単純に感想を述べただけですが、
    (他人の上に立ちたいジャイアンが他人を偉そうと受け取ることや、でも傍から見ると一番偉そうに見えるというのはジャイアンの特徴でもあるし)
    その際に先生のブログでは個人情報を公開するというルールならします。
    居住地なども書けば良いのでしょうか?

    • mario (AS)
    • 2010年 11月 24日

    最近思うようになったのですが、ADHD者が怒っている時には、パートナーのASは素直に喧嘩の相手をすると良いのかなぁと…
    今のパートナー(多分、合理的ADHD+ジャイアン少々)とは、一旦喧嘩をすると、その後素直になって話が出来ます。攻撃性を発揮すると(エネルギーを発散すると)、その後合理的になると言うか自己突っ込みに入るみたいな感じです。
    ASが変に我慢すると非言語的に変なメッセージが出るみたいでしたので、その点からも気持ちや意見をハッキリと言語化するのは良さそうです。言いたい事をハッキリと言う。喧嘩する。で、その後しばらくしてから、相手が不満に思ってた事や言い過ぎた事などを謝る。言語化するのも謝るのも、ASには少しばかり努力(訓練)が必要ですけどね…

    • エイト
    • 2010年 11月 24日

    私が、ただ単純に感想を言いますと。。
    「先生が実名で書いた記事」に対して
    「どこの誰だかわからないももこさん」が「偉そうに多数派のことを解説している」と書くのは、やはり失礼なことだと思います。
    土俵が違う(実名と匿名の違いがある)のに、いちいち相手を批評するようなことを書くのは卑怯である。
    単純にそういうことです。
    同じ土俵(実名VS実名)で書くならまだ許せます。
    要するに責任の問題。
    相手に「偉そうに!」と言う前に、まずは自分も相手と同じ責任を持ちましょう、ということです。

    • 匿名
    • 2010年 11月 24日

     匿名のネット上での攻撃は「反撃されることの無い物陰から吹き矢で相手を攻撃する」ようなものでこれが卑怯であることが分からないのはKY(空気が読めない)重症も程があると思います。
     ジャイアンでもない。重症の依存型ジャイアンで、こういう人は気付かないで周囲のたくさんの人をひどい目にあわせながら自覚していない、大変迷惑な人である可能性が高いですね。
     正々堂々とするならば、(話題に出しているA君も閲覧できる)御自分のブログ等を公開していただき、我々がそこにコメントできる機会を作るべきですね。
     「立派なことをおっしゃる人間がどういう行動をしているか」を確認できるようにする必要がジャイアンなら何故理解できない?   書いておられる一番迷惑で問題の多い発達障害の人よりさらにひどい状況にあることを勧告したいですね。

    • のりまき
    • 2010年 11月 25日

    これは私の疑問なのですが、adhdは交感神経が過剰に反応しやすいということはありますか?交感神経の過剰反応は攻撃性と関係はあるのでしょうか?
    私もそうですし、母、祖母もそうなのですが、常に手先が奮えています。極度に緊張すると書痙という症状がとても強くなり、悩んでいます。また、サスペンスなどを見ると必要以上に動悸が激しくなり、とても見ていられません。私たち三人は皆adhdの傾向がかなり強いので、もしかしたらADHDは交感神経が過剰に反応する傾向があるんじゃないかなと。
    これからは人前に立たなくてはいけないことも増えそうなので、呼吸法などとりいれながら震えを緩和できないかなと試行錯誤をしています。もし交感神経の過剰がADHDと何か関連がある場合は、その解決法なども含めて何かの折に取り上げていただければ幸いです。

    • ぴの
    • 2010年 11月 25日

    今回のももこさんとやんばる先生のやりとりに関して、私が感じたことを書かせてください。
    私(定型です)は、ももこさんのコメントを読んでも、やんばる先生に対する攻撃性を感じていなかったので、やんばる先生が、感情的ともとれる様子の書き込みをされたのをみて、びっくりしました。
    私から見たら、やんばる先生はお医者さまなので、色んな知識や経験や考えから文章を書いておられるだろうし、実際「偉い人」という認識があります。
    なので、ももこさんの感じた「偉そう」という感覚は、ニュアンスの違いはありますが、そう感じる人もいるだろうなとおもいます。
    すみません、続きます

    • ぴの
    • 2010年 11月 25日

    ADHDの方は自己突っ込みが激しい、と皆さんおっしゃっていますが、ももこさんもそれを強く自覚していて、特に
    ・自分が「この人偉そうだな」という気持ちが、相手に伝わって不愉快にさせてしまうことや、
    ・自分の何気ない言動が、相手に「この人偉そうだな」と感じさせることに、ものすごく注意を払っていて、
    単純に、「やんばる先生はそう感じないのかな、自分はこういうふうに自己突っ込みしてしまうんだけど、皆さんはどうなんだろう」と思った上でのコメントかな、と、私は思いました。
    やんばる先生は、不特定多数の方にブログを公開しているから、ある程度の反論はあって当然だと私は思いますし、ももこさんの書き込みが誹謗中傷にあたるとも思えません。
    それに対して、先生が、ももこさんのことを、コメントを見ただけで「重症」とまで言ってしまうのは、あまりにも重い反撃です。先生はお医者さまなのですから、軽々しくそんなことを言ってはいけないのではないでしょうか。

    • のら
    • 2010年 11月 25日

    私の攻撃性のもとになっているのは黒か白か‥の発想と、異常な完璧主義のような気がします。
    私はあの時、こう考えて行動したから私は間違ってない!だから相手が悪い!‥って結論をだすことが多いけど、そもそも相手の人の立場にたってみることができてないから、どこまでいっても一方通行なんでしょうね。。あと人の気持ちって黒か白かでなんてわけられないし。
    私の場合は、ふだんみんなと共通の認識を共有できてないって思いがあるから、ちょっとした相手の言葉とか表情とかで判断するしかなく、ささいな刺激も大きく受け止めてしまってるように思います。(相手の人の立場から自分がみえたら驚くようなこと、きっと私たくさんしてきたんだろうな。。)
    だけど自分の人間性と、自分が発達障害で人と認知がちがうから人から浮いたり注意されたりしやすい‥っていうのは分けて考えるようにしてます。
    私は人と同じような行動をとるようになることだけが自分の人生の目標じゃないからです。そこだけに注目してたら、どんどん自分を大事にできなくなって、人を敵みたいな目でみるようになってたからです。
    なかなか難しいけど、いつかは自分の中でバランスとれるようになれますかね〜(>_<)

    • nori
    • 2010年 11月 25日

    後藤先生
    僕の勘違いだったら失礼だとは思うんですが。
    先生、「相手をねじ伏せたい為」に「診断」を乱用してませんか?
    もしそうであったら凄く怖いと思ったのでコメントしました。
    先生が怒る気持ちは理解できます。ただ、先生は社会的に影響力のある、医師であり精神科医であることを忘れないでください。そして、このブログは発達障害の人だけではなく「マスコミ」の関係者も見てることも。
    はっきり言うジャイアンとしてコメントしました。
    ももこさん
    ゼミのジャイアンは自己の投影である可能性はないですか?
    そして、そのジャイアンを憎み嫌ってるということは、自分を憎み嫌ってることになると僕は思うんです。
    先生の「こういうコメントは大歓迎」というコメントは
    僕は、先生は自分のジャイアン性をある程度自分で受け入れているからももこさんのジャイアン性も大歓迎だと言ってるんではないかと、勝手な想像をしているんですが。
    結局、発達障害の人の大きな問題点として
    どうしたら人に対する負の影響を減らすことができるかとともに、どうしたら、自分自身を受け入れることができるか
    自己肯定ができるようになるか、という2点が挙げられる
    気がします。

    • ももこ
    • 2010年 11月 25日

    実名で記入しようと思いましたが、ブログを持ってもいないのに本名だけ名乗っても意味がないと思ったのでそのままのHNで書き込みます。
    正直に書きます。
    私が「先生も偉そう」と書いたことに攻撃の意図はなく、『多数派が「総合的に」などと偉そうに自らの衝動統制を説明しても~』という先生の発言に対して率直に思った「感想」でした。
    今回の「多数派の空気と本能」に関する記述は先生の研究結果によるものではなく、ある本を読んで先生が得た感想に過ぎないと私は判断していました。医学的根拠ではない一感想を元に『多数派の行動様式は~まさに「空気」の問題なのだ。』と言い切るのは、「偉そう(医者という肩書きがあるから)」だと感じました。

    • ももこ
    • 2010年 11月 25日

    しかしその後の先生の書き込みには怒りを覚えました。同じ条件でブログを公開しなければ先生の意見に疑問を感じるような書き込みをしてはならないというのは正直読み取れませんでしたので「先生の定める空気(掟)を破って叩かれた」感じがしています。正直多数派の空気より難解です。
    ここで匿名で身近な多数派を批判している人は大勢いるのですが、ゼミA君を批判した私だけ卑怯と言われるのは批判対象が多数派じゃないからなんでしょうか。
    多数派に対する誤った偏見を招きかねない一意見を「医者というステータスを盾に」ごり押しするのはおかしいと思いました。また、意見が気に食わないからと診てもいない人を重症と診断したのは医師ではなく発達障害としての発言だと理解しましたが、職権乱用的な要素を含んでることは否定できないと思います。
    私の表現が無礼だった可能性は認めますが、それ以上に先生の「上に立ちたい」願望が私を悪者にした部分も多くあり、医師という立場を利用して十分に反撃されたと判断しましたので、謝罪はしません(する気になれない)。

    • ちひろ
    • 2010年 11月 25日

    違うかもしれなせんが・・。
    ももこさんの下記の部分
    それを『偉そう』と取るのはやはり『単純』なジャイアンのひがみなのでしょうか。
    ジャイアンは言葉の受け取り方にも制御が効かないのではという気がしてきました。
    が次のように読み取れるのです。
    (先生が)それを『偉そう』と取るのはやはり『単純』なジャイアン(先生)のひがみなのでしょうか。
    ジャイアン(先生)は言葉の受け取り方にも制御が効かないのではという気がしてきました。
    でもきっとももこさんは
    (ももこが)それを『偉そう』と取るのはやはり『単純』なジャイアン(ももこ)のひがみなのでしょうか。
    ジャイアン(ももこ)は言葉の受け取り方にも制御が効かないのではという気がしてきました。
    と言いたかった。。。(と、思いたい)
    私は依存型なので、正直言って(上目線荒らし投稿の多い)ももこさんの自分棚上げっぷりは、近親憎悪的不快感を感じるのですが、今回ばかりは誤解もあった気がします。
    依存型の自己棚上げは最強ですから、たまに「自己つっこみ」していても、他人事のように言ったり(書いたり)して、
    「自分のことを棚に上げて何を言うんだボケ!!!(怒×100)」
    とムカつかれることが多々ある気がします。

    • ももこ
    • 2010年 11月 25日

    noriさん、ありがとうございます。
    ご指摘の通り、投影はあります。自覚はしています。ただ同じように自分を嫌ってるわけではなりません。もちろん自分の腹立たしい部分は多々ありますが。「私は散々自己つこっみして多数派に理解してもらえるようになったのに、なぜお前は自己突っ込みしない!?」という感じです。
    発達障害なら何をしてもいいのかとか、
    生まれつきならば許されるのかとか、
    性格の悪さまで脳のせいにするのかとか、
    免罪符か?とか、
    数々の自己突込みをしてきました。
    自己突っ込みせずに偉そうに他人を悪く言う彼に腹が立つのです。
    彼を見ていると、「発達障害が嫌われてもしょうがない」というのが納得できてしまうのです。自分も発達障害のくせして、、、ですよね。
    ただ、そういう出会いもあって、多数派も少数派も区切りがどこか分からないほど色んな人がいるんだと学べたのですが。。。

    • 黒すりごま
    • 2010年 11月 26日

    細かいことは一切わかりませんから触れません。
    YANBARU先生とはネット上だけのお付き合いですが、結構長くなります。
    先生のHPにありますが、先生のスタート地点は「偏屈者宣言」です。ですから私は先生に「人格者」を望んではいません。
    先生は確かに激しくておっかないところもあります。でも不思議にどこかピカッと光るものを私は感じてきました。それはたぶん発達障害の人生をとことん生きる「真剣さ」だと思います。
    そして先生ご自身がいつも激しい自己突っ込みと戦いながら、結果的には自分と関わる人を「依存」から「自立」の方向へ向かわせてくれる力を持っていらっしゃることは確かです。(たとえケンカのようになったとしても)

    • ももこ
    • 2010年 11月 26日

    昨夜書き込みをしたのですが掲載されませんでした。
    私が感じたことを正直に書いたのですが、残念です。
    noriさんにもお返事を書いたのですが、掲載されませんでしので、改めて書く事は控えます。

    • エイト
    • 2010年 11月 26日

    自分から先制攻撃を仕掛けて相手を蹴落とす。。
    ほんの一瞬の自分の心の安定のために。。
    それがどんなに醜くて愚かなことか。。。
    表面上は器用で口の達者なADHDほど陥りやすいと思います。
    私の姉のことです。
    私も現実の世界では周囲に迷惑をかけっぱなしです。
    でも今より少しはまともな人間になりたいと思うのでいつも自分のジャイアン性について考えています。
    ここはジャイアン当事者が本音で語ることができる貴重な場所ですよね。
    (ASの人は書くなという意味ではありません)
    せめてこの場所では相手に対して敬意と尊重と配慮の気持ちを持つべきではないでしょうか?
    自分がジャイアンなら相手から何をされたら嫌なのか?
    そのダメージがどのくらいのものなのか?
    当然わかりますよね。
    これを理解できないならコメントする資格ないと思います。

    • nori
    • 2010年 11月 26日

    黒ごますりさんのコメントを読んで僕も書きたいと思ったので書かせてください。
    僕には尊敬する人が心の中に3人います。
    その一人が会ったことも、喋ったこともないけど後藤先生です。先生の生き様は、本当に尊敬できます。
    そして僕に「勇気」と「希望」を与えてくれてます。
    自分の母には「愛」は無かったと過酷な現実を突き付けて
    くれたのも、自分の人生は人の何倍も厳しいものになる
    という現実を突きつけてくれたのも先生です。
    このブログと出会っていなかったら、まだ母に対する未練も
    あったかもしれない、自分の人生に対して「甘い」考えをまだ持っていたかもしれない。
    障害を持って生れるかどうか、どういう親の元に生まれるかのかどうか、どういう環境で育つかどうか、
    すべて運命です。福沢諭吉だったかどうか忘れたけども「人間皆生まれながらにして平等」といった人がいました。
    そんなもの綺麗事でしかなく嘘です。
    そしてその運命を背負って前進してる先生を見て僕は勇気をもらってます。本当に。
    僕の気持ちのまま書いてみました。

    • リサ
    • 2010年 11月 26日

    初めて書き込みさせていただきます。
    私は定形ですが、障害児の支援に当たる仕事をしており、
    勉強のためにこのブログを訪れている者です。
    今回の先生とももこさんのやり取りについて、感じたことを書かせてください。
    ブログ管理者である先生はおそらくコメントを選んでから掲載することができると思いますので、
    ここに出ていない内容もあるかもしれないのと、
    言葉の受け取り方には人それぞれありますから、
    「感情の問題」については推測を避けます。
    ですが、偏屈者宣言されていらっしゃることを差し引いても、
    医師という看板を立てて一般公開しているブログである以上、
    >書いておられる一番迷惑で問題の多い発達障害の人よりさらにひどい状況にあることを勧告したいですね。
    とお医者様が言い放つのは、怖いことだと思いました。
    表情や声が見聞きできないためネットは現実よりも一層誤解を招きやすい危険地帯であり、
    また一個人ならぬ一医師の言葉ですから、重みもあります。
    (もちろんブログのオーナーが自由に書く事は当然の権利ではあるのですが)
    発達障害の個人差も含めて世に理解を訴えていらっしゃる先生が、
    ももこさんに上記のように返答されたことは、
    別の立場から障害者を支援する一個人として、悲しく感じました。

    • ちひろ
    • 2010年 11月 26日

    リサさん
    言ってることと、やってることが違います。
    障害者を支援していらっしゃるなら、何故、障害者である先生の支援をしないんですか?
    それに、物かけがら吹きやを飛ばすにしても、二三本刺さって動けなくなった相手を、落ちてある矢を拾って狙ったりしないでください。
    せめて武器ぐらい自分で調達したらどうですか?

    • mican
    • 2010年 12月 04日

    mario さん
    以前(かなり前ですが・・)、AS夫の言動が理解できずに困り果てていたときに
    「シャッターを下ろす感じではないか」と mario さんに教えていただきました。
    marioさんの言葉にハっとしました。
    あのときの私は勘違いだらけに気がついたばかりで、
    それまでの考え全てが崩壊していました。
    AS夫にも、しつこい質問を繰り返してしまい、
    夫の全ての行動や返答に対して全背景を言葉で教えてほしいと一々迫りました。
    「どうして?なんで?そう言ってるの?
     それはどんな気持ちなの?
     どこからその気持ちはくるの?
     その感じはどんな感じ?」
    ASの方はこの矢継ぎ早な質問を苦痛に思うと思います。
    でも、あのときの私は何も理解していませんでした。
    案の定、夫を理解したくて続けた質問から争いは勃発。
    悩んでこちらのサイトで呟いたときmarioさんから教えていただいたことでした。
    ASの人が感情を言葉でいちいち説明することが、とても苦痛なのだと知りました。
    夫側からすればそもそも愛着の対象?の私が理解していないことにイライラが募るので無意識にもヒートアップしてしまうようです。
    私は相手を感じる力が弱いので、今一瞬何を考えているのか全行動を教えてもらわないと判らなくなります。
    さっきまで理解していたと思ったのに一瞬過ぎると暗闇に放り投げられる感じです。
    理解したいと私は思うので全行動の理由を言葉にしてもらえるなら、すごく助かります。
    でも、ASの方には苦痛な作業なのだとも思うので、せめてほんの少しでもヒント貰えると良いのになぁって思うんです。
    黙られてしまうとホトホト弱ってしまいます。
    夫の意思を出来ることなら尊重したいですし、出来ないことなら話し合いたいと思うのです。ところが、自分の意思に反することを夫が言い出すと無意識に攻撃しているみたいで、夫に指摘されます。反省の日々です。
    「パートナーのASは素直に喧嘩の相手をすると良いのかなぁと…」
    私は夫となんとかこの喧嘩で、意思疎通を計っているつもりで・・夫が投げ出さないで相手をしてもらえると助かります

    • ちひろ
    • 2010年 12月 05日

    marioじゃないですが、
    私の気持ちは参考になるかもしれません。
    (役にはたたないと思いますが・・)
    『本当の気持ちを言うと怒るくせに、理解したいなんて嘘をつくな!!』
    これです。つまり・・
    「愛してる?」
    「愛してない(本心)」
    「なんでっ!!(怒)」
    「愛してるよ(嘘)」
    「私も(笑顔)」
    と、こんな感じで、いろんなところで繰り返していって最後の最後で切れる。
    「いいかげんにしろ!私の心は私ぶのものだ!支配するな!(怒)」
    ・・・根本的になにかが欠損してます。ブラックホールです。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 19日

    「参加者のみなさんへお願い」のコメントへの意見です。(そちらにコメントできないので…過去記事なので見て貰えるか不安ですが)
    ちひろさんへ
    何故ちひろさんが謝るのですか?
    あなたの「みさんとももこさんが同一人物だ」というご指摘、正しいと思いますよ。
    何故なら「参加者のみなさんへお願い」のみさんのコメントに、「ももこさんとは自分である」と自ら発言されていたからです。
    この部分です→「written by み / 2013.02.25 22:20」
    これは隣のエントリー「最近のコメントに関して」をコピーしたものであり、この時YANBARU先生が苦言を呈した「M氏」とは、このエントリーのコメント者「ももこさん」のことですよね。
    決してちひろさんの思い違いではありませんので、あなたが謝る必要は無いと思います。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 19日

    それと、ちひろさんの長嶋茂雄と草野球親父の例え話、笑ってしまいました!
    私も一つ、例え話を考えました。
    Aントニオ猪木が「バカヤロー!」と叫びながらビンタするのは、気合いを入れるための「闘魂注入」であるけど、それを見てマネしたいと思った男子中学生が、ある生徒を集中攻撃してビンタしたらそれは「いじめ」ですよね。
    猪木は格闘家で「加減の仕方」を知っているので、素人相手でも「怪我をさせずに殴る」事ができる。
    また、自分が格闘家であり有名人でもあるが故、万が一素人相手に怪我をさせれば、直ぐ様世間を騒がせることとなり、それだけ重い「責任」を背負わされることとなるが、男子中学生は「猪木のマネして遊んでただけ」とだけ言えば、表面上は「おふざけの延長」で済ませられ、いじめは発覚しないかもしれない。
    このエントリーのYANBARU先生のコメントを読んでいたら、こんな例え話が頭に思い浮かびました。

    • 2013年 3月 19日

    道産娘さん
    「ちひろさん
    「意味不明な人々」と「私はつい最近まで、自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来ていました」の二つで検索にかけたら出てきましたよ!
    これは『多数派が発達障害を攻撃する理由』のももこさんのコメントだ。ももこ / 2010.10.29 15:13
    もしかして、ちひろさんのなかの私は、さまざまな人と合体した想像上の人物になってしまっているのかな?
    written by み / 2013.03.18 12:31」
    これのどこに、私がももこさんだと書いていますか?

    • 2013年 3月 19日

    追加
    「M氏」とは、このエントリーのコメント者「ももこさん」のことですよね。
    違いますよ。別人です。私は「み」でしかコメントしていません。私はインターネット上で別のニックネームでなりすますような卑怯なことはしません。

    • 2013年 3月 19日

    これでは道産娘さんにはわからないと思い、もうひとつ追加
    『最近のコメントに関して』で、先生は「実は掲載していないM氏のコメントが3つあり、」と書いています。つまり、掲載されていないから読むことができません。
    道産娘さんにお願いがあります。よく読むことで思い込みを減らすことができます。本当は、道産娘さん自身が読み返して訂正してくださるとありがたいのです。道産娘さんは不注意が多いのではありませんか? 私は不注意を改善するために、注意深く点検する、確認することをしています。それでも不注意で失敗することもしばしばです。でも、それでも不注意を減らそうとして努力しているのです。
    よろしくお願いいたします。

    • アメジスト
    • 2013年 3月 19日

    みさん、横入りごめんね。アメジストです。
    以前に一つ勘違いなさって文章を書いてらしたところがあるようなので、確認させてくださいね。
    道産娘さんが引用している「参加者のみなさんへお願い」の2013年2月25日22:20のみさんのコメントでは
    「私は先生にこっぴどく叱られた。その中には先生の「思い込み」もある。だが、読んでほしい。
    『最近のコメントに関して』である。原文ママ。
    『前スレッドのM氏(これは私のこと)のコメントに私は手厳しく指摘をさせていただきました。云々』
    上記のように、みさんがやんばる先生の文章を引用していましたが、M氏(これは私のこと)と書いてあるのを見て、私は非常にびっくりしたのです。
    ここで書かれている「M氏」は明らかにももこさんのことだと当時の状況も覚えているので、「えー!みさんってももこさんと同一人物だったの?でも全然イメージが違う別人格に思えるけどなあ。みさんが勘違いしているんじゃないかしら」とその時は思いました。
    というわけでこれはごく単純な勘違いであり、誰も悪くはないと思います。何事もシンプルに行こうね、シンプルに。
    ももこさん、今頃に何度もお名前を出してしまってごめんなさい!

    • tori
    • 2013年 3月 19日

    こうやって古いエントリーに辿り着くと、興味が沸いて読む気になるので有難いもんですね。
    数年分のログと、先生やコメントされた方々の意見などを把握するまでに時間がかかってます。
    自分が傍観者から参加者に移行しつつあるのは、その作業が進んでいる表れでもあるのかと。
    ここでのテーマ「攻撃」「衝動の抑制」ですが、
    自分は小さい頃から短気で、自分の思い通りに行かないと物に当たったり、ふくれっ面でいじけたりしてました。
    体が小さくて腕力で勝てないために直接攻撃することができなかったからだと思います。
    他人に意図的に物理攻撃を加えた中で一番古い記憶は、小学校二年で同級生に対してでした。
    仲が良かったのに自分の秘密をクラスで喋りだしたので鉛筆で手の甲を刺したのです。
    その痕はしばらく残ってたようで、それを時々見せては「危ない奴だ」と笑いながら言われてました。
    目が笑ってなかったので、反撃する手立てがあることを知ったのもこの時なのではないか、と今は感じてます。
    中一の時には同じく同級生に、やってない落書きを自分のせいにされて、シャーペンを頭頂部に突き刺しました。
    ギャーと叫んでうずくまったのでスッキリしてその場を立ち去ったのを覚えてます。
    その件だけは告げ口されなかったのでよっぽど効いたんだと思いますが、これが最後の記憶です。
    その頃から自分が押さえが利かない時もある事を認識し、気をつけるようになった気がします。
    でも「攻撃」されても我慢しないで「反撃」すると言うやり方もストレスを溜めない方法なんですよね。
    子供のケンカに親が口を出すようになってから、キレる子供が増えたと言われる様になったのかな?
    人それぞれスイッチの入るきっかけは違うと思いますが、今の自分は他者との比較だったりするので、
    「人は人、自分は自分」を意識して、外乱に惑わされないようにしてます。
    今はどちらかというと自分との戦いで精一杯ですんで^^;

    • ちひろ
    • 2013年 3月 19日

    >アメジストさん
    あ・・良かったです。とりあえず、私の読解力がなかったわけではなかったみたいで。
    「シンプルに」これで全然おkですo(^▽^)oシンプルシンプル
    >ホックさん、道産娘さん
    長嶋茂雄さまと草野球親父の例えが、思いのほかウケたみたいなのでうれしいです。ありがとうございますo(*゚▽゚*)o
    道産娘さんの例えも同じ考えです。
    発言の重さがちがうのは、持っている技術も、責任の重さも、桁違いに違うからだと思います。

    • 2013年 3月 19日

    アメジストさん
    そうでしたか。
    だとしたら、ももこさんをみだと思っている方が多くいらっしゃるということですね。これはももこさんに失礼ですね。ももこさん、こちらを見られているかどうかわからないけれども、本当に申し訳ありません。ここで皆様にしっかりとお伝え申し上げます。
    ここをご覧になられている皆さま、ももこさんは M氏ではありませんので、ご記憶の訂正をお願いいたします。
    それと、私は「み」で一貫してコメントしています。私はインターネット上で別のニックネームになりすますような卑怯なことはしません。やってしまったことはやってしまったことで認めております。否認する、また謝罪しない暴君とは今は違います。
    私がこうして認めているのも、先生ご自身が率直に木に登っていたなど、認めていることからです。自分の非を認めないままの暴君ジャイアンではいたくない、父と同じであってはならないと自戒しております。
    なりすましは某掲示板からはじまっていますよね。私は掲示板には書き込むことをしません。匿名であることから「死ね」などと下劣な言葉を投げることは私にはできない。生徒や学生との関わりから実態把握のために掲示板を覗くことはありますが、誹謗中傷を読むたび非常に情けなくなります。
    私が「み」で一貫してコメントしているのは、自分の責任を明確にしているからです。インターネット上では匿名で言いたいことを言えるけれども、発言に責任を負わなくても済んでしまうという欠点があります。発言により発生する責任を回避することによりもたらされるもの、それは自分の発言に無責任な人格を作り上げてしまうことです。
    ここでは、先生が率直に書いている以上、率直な意見交換がなされる場としてあります。率直に書いたことに責任を負うこと、そういう場です。

    • 2013年 3月 19日

    先生、コメントを載せるのは待って。

    • 2013年 3月 19日

    先生、私が書きます。責任を取るために。
    私はあの当時、コメント者のコメントを読まず先生を攻撃しました。それが、先生は最初、ももこさんの攻撃だと思ってしまった。混乱はそこからです。混乱させてしまったのは私です。
    私は先生のコメントを読まず、先生を攻撃し続けた。なぜか、上から目線だからだった。先生から指摘されるのは当前なのだ。それが理解できなかった、その当時。
    あの時の私は所構わず突っ込む状態だった。ずっとずっと抑制していた感情が溢れ出すような状態だった。思春期の怒涛の疾風を初めて30代前半で経験したのだ。だからホルモンがどうのと言っていたのだ。その通りの脳の機能の変化があっただろうと思う。(海馬が発達するように、その活動によるさまざまな脳の機能の発達を意識した時であった)
    それからしばらくは、コメントを掲載してはいただけなかった。その間、私は攻撃のコメントを書き続けた。しぶとい、しつこいのです。養育環境の愛着不全および個人の中心志向と合わさった状態の「理解」を要求する態度でした。
    当初、聞く耳をもたなかった私が、聞く耳をもち始めたのは、あの件があった何か月後か『ジャイアンに戻る』 だった。変わらずの先生の攻撃に、少しずつ理解することを含めて書いていたのだと思う。2011年7月の『ADHDと他者』から再び掲載してもらっている。そして、掲載以前から先生は私に対してメッセージを送ってくれていた。その後もメッセージを送ってくれている。私はそれに応えたい。これだけしてくれる先生に出会えたことに感謝しています。
    あのときのM氏は、まぎれもなく私「み」です。ももこさん、こちらを見られているかどうかわからないけれども、本当に申し訳ありません。ここで皆様にしっかりとお伝え申し上げます。
    ここをご覧になられている皆さま、ももこさんは M氏ではありませんので、ご記憶の訂正をお願いいたします。

    • アメジスト
    • 2013年 3月 19日

    みさん
    予想外の展開でしたが、そうだったんですか。なんとなくわかってきました。
    みさんのコメントが掲載禁止から掲載OKになるまでの間にも先生はみさんにメッセージを送ってくださっていたんですね。
    みさんの微妙な変化に先生も気づかれていたわけですね。
    何だかダイナミックな関係で、すばらしいですね。

    • ちひろ(つ・・つい・・m(_ _;)m)
    • 2013年 3月 19日

    >掲載以前から先生は私に対してメッセージを送ってくれていた。その後もメッセージを送ってくれている。私はそれに応えたい。<
    エェ━━━━━( ゚Å゚;)━━━━━!!?
    S・・だったの?

    • ちひろ
    • 2013年 3月 20日

    すみません。
    おもしろい「煽り」が思いついて・・我慢できず投下してしまいました。・・人が嫌がることは・・やめないとっ(TT)
    あと・・そうですね。
    私がはじめて触ったPCはNECのPC9801VXです。そして、8インチのフロッピーディスクに1M1万のハードディスク、そんな時代です。夫はそれより一世代前で、8ビットマシンでベーシックでプロクラムつくって喜んでいました。ですから、そのへんの感覚が化石のように古いみたいです。
    その後に出てきた「ネット」には全く信頼性がありませんでした。ですから、個人を特定されないように振舞うのがあたりまえだったのです。つまり私はスラム育ちってことでしょうね。ステハンが卑怯だと罵しられて、ちょっとしたカルチャーショックを受けているところです。
    ちなみに、現在レンタルサーバーをつかった、世界に一人しかつかっていない個人プロバイダをつかってた匿名プロシキなので、管理人さんからみれば逆に個人が特定されやすい状態になっています。(メアドも統一してるし)
    そんなことを考えているうちに、「ASは人によって対応が全く変わる」という姿があらためて浮かび上がりました。
    みさんの追求は私自身の人間性を確かについてます。
    外はステハン対応だったのに、内は一般以上のコテコテのコテハン状態だったのです。
    楽しいですね・・自分がわかると。

    • ちひろ
    • 2013年 3月 20日

    ・・まちがった・・5インチFDでした・・
    8インチFDは旧遺産として学校にあったやつでした・・m(_ _;)m
    もう寝ようかと思ったのですが・・・。ついでだからこれも書きます。
    プリンターはドット式。紙は連続用紙。表計算ソフトとしてロータス123、ワープロソフトとして一太郎・・えとせとら・・。懐かしい・・。電源の付け方に始まってすべて父に教わりました。
    みさんがアル中の父に殴られながらも面倒を見ていた時に、私はまだ一般的ではなかったPCの使い方を父に教わっていた・・。
    みさんを批判する権利などなにひとつもっていないぐらい・・私は幸せだったんだな・・。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 20日

    アメジストさん
    このエントリーのYANBARU先生のコメント内容と、隣のエントリー「最近のコメントに関して」の内容がとてもよく似ていたため、「M氏」と「ももこさん」は「同一人物」だと思ってしまいました。
    アメジストさん、フォローありがとうございます< (_ _*)>
    ホックさん
    ちひろさんに私のコメントを教えようとして下さって、ありがとうございます♪
    ちひろさん
    >発言の重さがちがうのは、持っている技術も、責任の重さも、桁違いに違うからだと思います。
    先生は実名を公表することで「責任」を明確にしています。
    コメント者は(先生の顔見知りを除けば)「匿名」であり、逃げようと思えばいつでも逃げ出せるし、HNを変えることも可能です。
    なのでコメント者である以上、YANBARU先生と「対等な立場」になることはあり得ないし、まして「攻撃」するなんて恐れ多くてできませんよね。
    これがADHDの「自己突っ込み」かな?と考えてしまいました。

    • ちひろ
    • 2013年 3月 20日

    ↑あ。「みさんより幸せ( ̄▽ ̄)」と煽ったつもりじゃ・・なかったのですが・・なんかまた煽ったような文で終わったかもと思い、またコメントします。そんなつもりじゃなかったと・・・。
    それとこれ書くの忘れてたので
    ステハンすみませんでした。
    ・・・だいたい、某掲示板はIPアドレスが公開されてるし・・そのへんの考えがたりませんでした。
    お互いこの場所をステップにしてより良い世界を築けたらいいですよね。

    • ちひろ
    • 2013年 3月 20日

    Σ(゚Д゚|||)が~ん。
    プロシキじゃんくてプロキシです・・・・。
    >道産娘さん
    そうっすよっ( ̄^ ̄)/
    あの悪名高い掲示板ですら、どんなに荒れても、スレッドのテーマにたいしての批判レスは禁止事項です。
    初期値が「名無しさん」で、つりも、あおりも、(゚Д゚)<氏ね、麻薬売買もおk。それなのに・・です。
    ですから、スラム育ちの私からみて↑のコメントのみさんの印象は、マジで意味わかんない人なのです。
    多数派からみて・・私たちもそんな風に「意味わかない人」とおもわれているのでしょうかね・・ヽ( ̄▽ ̄;)ノ

    • 2013年 3月 20日

    ちひろさん
    ステハンの説明、ありがとうございます。コメントする「場」の違いでしょう。
    養育環境はその通り、ちひろさんは幸せだったのでしょうね。
    >お互いこの場所をステップにしてより良い世界を築けたらいいですよね。
    そうですね(^_-)
    アメジストさん
    ご理解いただき、ありがとうございます。

    • 2013年 3月 20日

    つぶやき
    思い出すとあの時、末期がんで試験開腹し、ICU入室した人工呼吸器装着の患者さんに、主治医が「頑張れ」「頑張れ」と繰り返していたことに、患者さんは一生懸命頑張っているのにさらに追い打ちをかけるように頑張れという医師が許せなかったのですよね。某宗教団体に入っていた医師の、人の気持ちのわからなさに腹立たしく思っていたのです。宗教は何を教えているのだとも思っていました。
    実は、自分の必死に頑張っていることを投影させていたのですね。あの時、派遣看護師の解禁で半数の人が辞め、派遣に切り替わった状況下で、正規看護師の業務量が増えて目一杯の状況だった。やってもやっても先が見えない状況だった。強迫的に努力していたのですね。それをもっと頑張れというかという怒り、もう我慢ならないといった状況だったと思います。
    今思うと、私はその当時から「合理的強迫的ジャイアン」で、精神的に追い詰められて強迫的に努力していたタガが外れ、暴君を働いた状態だったかもしれないなと思います。
    「このタイプは身体症状やうつ状態で心療内科を受診する。しかし医師を馬鹿にして治療が中断することが多い。合理性において自分よりも上で、本人を納得させられる理論を持っている相手だけに聞く耳を持つ。だが最終的には合理性のおかげで「不利なことでも認めるしかない」と理解することが可能だ。だから私はこのタイプは私を蹴飛ばして治療を離脱しても、その後さらに追い詰められて自分を見つめる時期が来て戻ってくるときは歓迎することにしている。」
    先生に攻撃したのはこの通りだったのですよね。そして、追い詰められて自分を見つめるようになり、掲載されるようになったのですよね。
    私はたしかに依存関係のなかで育ったけれど、ほとんど記憶していないけれども、母から合理的な説明があったのだろうと思います。それと、家庭内が混沌としていたため、幼稚園や学校の先生のいう理屈を覚えていったのでしょう。幼稚園の先生に、よく「先生だ~いすき」といっていたのを覚えています。親にはそんなことはいった記憶がない。私はいい先生方に出会い、育てられてきたのだと思います。「今も」ですね。

    • 2013年 3月 20日

    ん?
    でも、何だか読み返すと、ももこさんのことだなぁ。ということは、この2年、私がそう思い込んでいたということなのだろうか。全てコメントを消されたのはこの頃なので、てっきりM氏は私だと思い込んでしまったのかな。
    すみません。どうやら私の勘違いのようです。2年にも及ぶ勘違いをここで気づかせていただき、ありがとうございます。
    私のなかでちょっと整理しよう。私の中で何が起こっていたのか。

    • 2013年 3月 20日

    かなり大幅な自己認識の修正だ。
    医療現場では強迫的に頑張ってきた。だが、職場環境により強迫的に頑張っても報われない状況におかれ、精神が破綻寸前だった。この時は人にも自分にも厳しすぎた。スタッフとの情緒的な関わりはほとんどしなかった。そこでホスピスに転換。精神世界に飛び込んだ。ここでは患者さんの苦悩が自分のこれまでの苦悩と重なり、毎日帰りの車で泣いていた。幼い頃の解離を起こしていたときの感情の生起。体が思うように動かなくなっていた。動くと息切れもする。自分でこれがうつ状態なのだろうと意識していた。「ADD」という言葉に出会う。
    ホスピスを辞め、学校に職場を移す。発達障害に関する教員向けの講演に参加、大学の通信教育課程で学ぶ。理屈が通る世界が楽しかった。もともと理屈と屁理屈の世界で生きていたのだから、ジャイアンの自分を取り戻すことになったのだ。大学で学ぶことが社会認識につながっていった。専門畑で医療界しか知らなかった私の視野が広がった。広がったはいいが、今度はやたらと突っ込むようになった。周囲からは「思春期」「学生のようだ」と言われたりもした。理屈が通る楽しさが脳の変化をもたらしたのだろう。
    その状態でここ「意味不明な人々」と「偏屈者宣言」に辿り着いた。そのまま所構わず突っ込んだのだ。だから先生は削除したのだ。先生を蹴飛ばし、当たり散らす状態だったからだ。この時、異常な関連付け思考があっただろう。今の私にはあの頃の自分が理解できないほど異常な状態だった。その異常な関連付け思考によって、M氏を私だと思い込んでしまったようだ。今は異常な関連付けはしないが、その時の「忘れ物」が今頃になって出てきたということだろうな。「忘れ物」を届けてもらってありがとう。

    • 2013年 3月 20日

    道産娘さん
    >なのでコメント者である以上、YANBARU先生と「対等な立場」になることはあり得ないし、まして「攻撃」するなんて恐れ多くてできませんよね。
    >これがADHDの「自己突っ込み」かな?と考えてしまいました。
    『ジャイアンの中心志向』のエントリ抜粋
    「ジャイアンの中心志向と積極奇異型ASの中心志向が同じものであるかどうかについて最近考えている。「優位に立ちたい」「仕切りたい」「自分が決めたい」「一番でありたい」「勝ちたい」など、共通するところは多い。特に、ジャイアンの場合は、「何で自分はこんなパッとしない普通の状態にとどまっているんだ」という自己突っ込みがあるところが特徴だ。上に立っているのが当たり前で、それが無いだけで自己突っ込みしなければならなくなる。」
    医師だろうと教師だろうと、先生と呼ばれる人たちに反抗するのは「ジャイアンの中心志向」からです。道産娘さんも教師に逆らったでしょ。私はやんばる先生に逆らった。それが「中心志向」です。
    「自己突っ込み」は文字通り、自分に突っ込みを入れることです。先の『ジャイアンの中心志向』の中の自己突っ込みもあるし、「またやっちゃった・・・」もそうですね。
    道産娘さんがいうのは衝動統制ですね。社会通念上普通だから我慢する、といったことです。

    • 2013年 3月 20日

    追加
    私が先生に突っ込んだのは、病棟看護師として医師とともに働いてきたゆえに医師に対する上下関係を意識していなかったということと、対人個体認識の障害ゆえでしょう。
    『ADHDと他者』のエントリ
    <「無差別、平等、公平、偏見が無い」という特徴はADHDのむしろ良い面であるが、実はこれは「個体認識が出来ないから抽象的な人間対人間の関係になる」というまさに障害そのものの結果なのだ>
    私が理解を求めるのは、同エントリ
    <ADHD流の人との関わり方は、「お互いに自分の考えを述べ合って、かなり議論をして、その後『理解しあった』という実感を得る」という内容だ>
    ADHD流の人との関わり方そのものなのです。ASの方にはなぜ私が議論したがるのか意味不明かもしれませんが、こういったことなのです。

    • アメジスト
    • 2013年 3月 20日

    みさんの以下の文章(引用?)を読んで自分の大学時代の1コマを思い出しました。
    <ADHD流の人との関わり方は、「お互いに自分の考えを述べ合って、かなり議論をして、その後『理解しあった』という実感を得る」という内容だ>
    私の大学はアメリカの大学との交流が多く、交換留学生や帰国子女がたくさんいました。
    私の友人も高校時代にアメリカの高校に留学していました。アメリカの学生はまさにこの「ADHD流の人との関わり方」だと聞いていました。
    私は典型的な大人しいAS日本人だったので、大勢の学生が集まっても、一言も発言をせず、じっと聞いているのが精いっぱいでした。
    するとその友達に「アメリカでは何も言わないで黙っていると
    ちょっと知能が低いんじゃないかと思われるんだよ」と言われたので、びっくりして、『私は絶対アメリカにはなじめないな』と思ってしまいました。カルチャーショックでした。
    今でも議論とかディベートとかは好きではなく、必要最低限のことしかしゃべりません。「孤立型AS」という言葉に郷愁を抱くくらいだから、あたりまえかもしれませんね。
    ま、結論は、世の中いろいろな人がいて、成り立っているんだということでございました。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 21日

    みさん
    なら、そう思って下さって結構ですよ。

    • 2013年 3月 21日

    アメジストさん
    私も帰国子女のASの方に「アメリカンだ」と言われたことがあります。ADHDはアメリカなどの国に移住したほうが生きやすいだろうなと、その時思いました。でも英語ができない(T_T)
    ASさんにはカルチャーショックですよね。。。
    道産娘さん
    私は思いを述べたのではないのだけれど。
    道産娘さんにはADHD流の人との関わり方である「説明」と「理解」は困難なのですね。なるほど、わかりました。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 21日

    みさん
    いいえ。
    「あなた自身」の考え方が「理解」できないだけです。
    私はあなたとは違う考え方ですが、あなたに理解して貰おう等と思ってないので、「あなたがそう思うならそれで結構」と申し上げただけです。
    そうまでしてYANBARU先生に認めて貰いたいのですか?
    このブログに集う人達まで利用して…
    本当「可哀想な人」ですね。
    ちひろさん
    受動型の方は「自己突っ込み」を理解できるんですよね。
    ちひろさんを始めASの方達が、何故私がみさんに「揚げ足取り・オウム返し」と言ったのか、理解しようとしてくれてるのが伝わってきました。
    私のあんな短くて乱暴な言い方でよく理解できたなぁ…と、正直ビックリしてしまいましたf(^_^;
    なるほど、ASの方は「短い言葉や表情等から、実に多くの情報を受け取る」と、YANBARU先生のどこかの記事にもありましたね。
    多数派(とADHD)にはマネできないですよ♪( ̄▽ ̄)b

    • m2
    • 2013年 3月 21日

    み さん
     >ASさんにはカルチャーショックですよね。。。
    そんなことは無い。
     私の場合は、アメリカよりはドイツの方が生きやすいだろうと思うが、日本が生きにくいことは同じだ。
     日本は積極奇異型ASの価値観が強すぎる国だと思う。
     実際、他の国と比較した場合、日本男性は積極奇異型AS傾向の人の数が多いのではないだろうか。
     ・みなが同じ価値観を持ち、同じような行動を要求する
     ・改善は得意だが、イノベーションは苦手である
     ・誰がみてもうまくいかない場合でも、破綻するまで仕組みは変わらない
     ・女性の権利が弱い
     などなど。
     これらは、積極奇異型ASと合理型ADHDについては都合の良い考え方だ。
     >「お互いに自分の考えを述べ合って、かなり議論をして、その後『理解しあった』という実感を得る」という
    私がそのように見えます? このような考えを持たなければ炎上なんてしませんよ。
     だから、受動型ASとジャイアンが一緒にいる場にしか炎上はおきないんです。
     炎上は全然問題じゃないんですよ。問題は、多数派が炎上を嫌うこと、なのです。 

    • 2013年 3月 21日

    道産娘さん
    私は、ここで使用する言葉の概念がお互いに違っていると話がかみ合わなくなるので、ご本人がADHDだという方には言葉の概念の摺り寄せを行うために「説明」します。
    つまり、「中心志向」とは何か、「自己突っ込み」とは何か、「衝動統制」とは何か、それぞれ共通の認識に立たなければ「理解」には辿り着かない。ADHDだと思っていた方がASであると、言葉の概念の共通認識ができないため、話はかみ合わなくなります。このことを、ASのFさんから学ばせていただきました。
    ASの方がADHDだと思い込んでしまうことはあるのです。ASの方がご自身をADHDという前提で話を進めていくと、お互いに混乱します。ですから、言葉の概念の共通認識が可能であるのかどうか、確認させてください。私には、どうも道産娘さんがASではないかと、この通じなさを通して思います。ADHDなら以下の言葉について共通認識が可能です。
    「中心志向」とはどのようなことだと理解していますか?
    「自己突っ込み」とはどのようなことだと理解していますか?
    「衝動統制」とはどのようなことだと理解していますか?

    • アメジスト
    • 2013年 3月 21日

    大学の前半と後半とでは、私はガラッと変わったことを今思い出しました。
    大学の前半はクラスやグループの人とくっついて歩いていないと不安でした。
    大学の後半は単独で行動するのが大好きになりました。授業を取るのも1人で勝手に選び、キャンパスを1人で楽しく闊歩し、食堂では堂々と1人でおいしいものを食べるのが快感だった。
    そうなってくると、アメリカナイズされた大学では単独行動を不思議に思われない自立した自由さがあるので、かなり居心地が良かったことを今頃思い出しました。
    むしろ、卒業後にOLになった時の方が窮屈だったなあ。
    自分にもいろいろな変化があるので、記憶が混ざってごちゃごちゃになってますねえ。年ですねえ。

    • 2013年 3月 21日

    道産娘さん
    >そうまでしてYANBARU先生に認めて貰いたいのですか?
    私は、共通する概念を用いて説明し、理解を得る、それだけで充分です。
    「認めて貰いたいのでは?」という発想こそが、ご自身のなかにある欲求なのではないかと思います。「投影」という言葉があります。「投影」とは、「自身の心理状態を他人や物に反映させること。または自身の性質をそれと知らず他人の中に見ること」です。
    この「投影」に気づけば、自分が何を欲しているのかがわかります。道産娘さんが欲しているのは「認めて貰うこと」ではないでしょうか。
    親がASの養育環境下において、ADHDである道産娘さんの望みはほとんどの場合認められなかった。AS親の愛着相手である子どもへの要求は、子どもの時分には耐えがたいものがあったでしょう。親ASの要求をいつもいつも満たし、ADHDである道産娘さんの望みはいつもいつも押し殺してきた。思春期以降、その抵抗として「揚げ足取り・オウム返し」ということで親ASの依存を振り払ってきたのでしょう。
    ここにきて、道産娘さんは私に対し「揚げ足取り・オウム返し」ということで振り払えなかった。なぜか、それは相手である私がASではなくADHDであるからです。ADHDは「説明」そして「理解」を求める人種です。対し方がわからない、そのような状況なのだと理解します。
    ADHDはADHDらしく、「揚げ足取り・オウム返し」と端的な言葉で攻撃せず、「説明」し「理解」を得ることをすればよいのです。

    • 道産娘
    • 2013年 3月 21日

    みさん
    じゃあそう思ってりゃいーじゃん(*´∀`)♪
    ぶっちゃけ面倒なんですよ、あなたの相手すんの。
    すみません。

    • 2013年 3月 22日

    m2さん
    今日は答えるのが無理だ。明日夕刻以降にまたコメントする。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 3月 22日

    道産娘さん
    私は、あなた自身のペースで良いと思いますよ。
    あなたの人生はあなたのものです。「無理せず、あせらず」ですね。

    • ちひろ
    • 2013年 3月 22日

    >みさん
    「投影」とは、「自身の心理状態を他人や物に反映させること。または自身の性質をそれと知らず他人の中に見ること」です。
    これが正しければ
    親がASの養育環境下において、ADHDである道産娘さんの望みはほとんどの場合認められなかった。AS親の愛着相手である子どもへの要求は、子どもの時分には耐えがたいものがあったでしょう。親ASの要求をいつもいつも満たし、ADHDである道産娘さんの望みはいつもいつも押し殺してきた。思春期以降、その抵抗として「揚げ足取り・オウム返し」ということで親ASの依存を振り払ってきたのでしょう。
    は、みさんの自己の投影ということですね。
    でしょ?

    • ちひろ
    • 2013年 3月 22日

    だって道産娘さんは
    みさんにむかって「揚げ足取り、オウム返し」と言ったのであって、みさんに「揚げ足取り、オウム返し」をしたわけではないじゃないか。
    違うか?

    • 道産娘
    • 2013年 3月 22日

    さーこ(AS)さん
    ありがとう。
    少しずつだけど前に進めそうな気がしてきたし、もっと人を信じて良いんだなって思えたよ。
    でも、みさんに利用されるのはごめんです。
    みさん
    間違えました。
    「先生に認めて貰いたい」のではなく、「ご自身の有能振りをアピールしたい」のですよね。(ちひろさんの言葉をお借りしました)
    失礼致しました。

    • アメジスト
    • 2013年 3月 22日

    何だか、同じことの繰り返しが多くて、読んでいて疲れてきてしまいました。だとすれば、しばらく閲覧をやめればいいのかもしれません。私はエネルギーが少ないもんですから。
    意味不明な人々・・・どことなくユーモラスで、とことん正直で、生きるのに真剣な人々。
    基本的に私はこのブログが好きです。
    また雰囲気が落ち着いたら、ROMさせて頂きます。

    • ちひろ
    • 2013年 3月 22日

    あ。しまった・・・。
    ミスった・・・。
    親に叱られて、揚げ足をとったりオウム返ししたりする子供の姿のイメージが先行して
    「言う」が漢字じゃなかったこともあって読むときに通り過ぎてしまったよ・・・。ヽ( ̄▽ ̄;)ノミジュクモノタ
    ↑は、な・し・で・お願いします。
    「揚げ足取り・オウム返し」ということで親ASの依存を振り払ってきたのでしょう
    なので、「揚げ足取り、オウム返し」と「言う」ことが親のASの依存をふりはらうことになるの否か、そのへんの検証から崩せるか・・・崩せないか?
    何の根拠もなく親がASであるという断定するとこはできないので以下の文は全く無効だっ!といくべきか否か・・・
    なんにしろ・・・今回は負けを認めるが・・
    首を洗って待ってろよっ!c(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ

    • 2013年 3月 22日

    つぶやき
    「揚げ足取り・オウム返し」ということに私が怒った理由が理解されていなかった。「揚げ足取り・オウム返し」と攻撃した自分を肯定し、ASの方に肯定してもらい、自分は悪くないということを示しているよう。きっと彼女の周囲にはYESマンしかいないでしょう。
    「揚げ足取り・オウム返し」に対して私が怒った理由が彼女に理解されていなかったことにムカついただけだ。私には自己突っ込みがあるから自分は悪くないと開き直ることができない。自分が悪かった部分を認めないとかえって自己突っ込みして苦しい思いをすることになる。自己突っ込みができない暴君型ジャイアン及び取り巻きには関わらないほうがよい。よし。
    私がここのブログに出会ってから2年、「揚げ足取り・オウム返し」といって攻撃したり、「そう思って下さって結構です」と投げ返したり、「可哀想な人」と相手を蔑んだりする人はいなかったように思う。皆さん、真摯にご自身の特性と向き合っていましたね。
    いつからでしょう。真摯に自分の特性と向き合わなくなり、自分の特性や型についてではなく、自分とは別の特性や型の分析をする場になったのは・・・。
    私は真摯に自分の特性と向き合うことに戻ろう。人の評価や攻撃はどうでも良い。動じる必要がない。

    • 2013年 3月 22日

    m2さん
    私はこの1年、日本とはどのような国か、学生の就職という観点から見てきました。日本は平等主義で、発達の差異が認められにくい国ですね。
    戦後の平等主義教育は「生まれによる格差」を徹底的に否定し、努力することを求めてきました。戦前の富国強兵の教育と同様に、追いつけ追い越せの経済成長を遂げるために平等主義教育を行いました。その平等主義教育を受けた人々が社会を構成しています。雇用に関して、これまでの企業の慣習を維持していくために金太郎飴(どこを切っても同じ=取り換え可能な人)になってもらえる人を採用したいのです。企業という村社会のコミュニケーション力が求められます。最近の採用活動では、採用者側は「この人と一緒に働きたいか」に着目しています。
    「属人的組織」、今年度は嫌というほど経験しました。馴染めないですね。私はこれまで専門畑で働いてきましたから、日本独特の「属人的組織」を知らずにきました。当たり障りのない会話で盛り上がり、その会話に参加できない者を排除する。好き嫌いに基づく判断がなされる。中高生の集団かと思うほど幼さを感じました。学生の手に渡る文書でも、文言の違いを指摘するとそれが排除の対象になってしまう。誰が発言したかで提案が通るかどうかなのです。下っ端が発言すべきではないという権威や肩書の世界。どちらを向いて仕事をしているのだと呆れました。
    「自由化」が人間関係形成にも影響しています。気に入った人としか話さない、違う傾向のある人とは無理に話す必要がないという「自由」、集団に馴染めない者は排除してもよい「自由」です。採用者側の「この人と一緒に働きたいか」に着目するのも「自由化」の影響です。グローバル化における多種多様な人達との交流ができる人間を輩出していかなければならない状況なのに、ナショナリズムを強化してきています。国力の考え方が内向きなのです。日本人の集団行動への執着は、責任を回避する依存性と情緒的なつながりがないと不安定になるという国民性ゆえでしょう。
    私は合理的思考が強く、何を目的にしているのか、何を目指すのか、何が問題でどうすれば解決が臨めるのかが常に頭にあります。相手がどのような学歴や肩書があろうと、その人の言うことが合理的でなければ聞く気にもなれません。

    • 2013年 3月 22日

    これまで属人的組織の企業の不祥事がどれだけあったでしょう。意思決定の主要な部分が会議外でなされ、組織的な隠蔽がなされる。本来複雑な思考で是々非々を判断する「属事的」判断ではなく、誰が提案したかといった単純な思考に依拠して判断される。全くもって理屈が通らないのですね。
    そのような日本風土の問題があり、発達障害者は率直であるゆえに生きづらい。この日本に積極奇異型ASが多いかはわかりませんが、多数派と思われている人々の中に、積極奇異型ASの傾向がある人も依存型ジャイアンの傾向がある人も多く存在しているでしょう。
    合理的ADHDは皆と同じことをしません。合理的判断に基づき動きます。そして皆同じであることを強要しません。人は人と考えるため集団内では孤立します。孤立しても淋しく思うことがありません。自分の尊厳が保たれ、自分の考えのもとに動くことができればそれでよいのです。
    イノベーションは、合理的ADHDにとっては合理的根拠があればよいと考えます。属人的思考に基づく判断は理屈が通りませんから、理屈が通るようにしていただければそれでよいのです。変化することに苦痛なのはASや依存ができなくなるジャイアンです。
    ものごとがうまくいかないのは、理屈でなく「人」を中心に判断するからです。判断の基準が間違って入れば破綻するのも当然です。
    女性の権利が弱いのは、家長制度や「男性は仕事、女性は家事」といった価値観が根底にあるからです。合理的ADHDはそのような価値観を共有しません。合理的ではないからです。仕事で能力が発揮できるなら発揮すればよいでしょう。「男性は仕事、女性家事」は無意味な議論です。
    それぞれの持てる能力が活かされないことこそ、国力の低下につながると考えます。発達障害者にしてもしかり。私には弱者は存在しません。社長、校長等管理職であっても、その職に就いているなら存分に自己の能力を活かせばよく、肩書にものをいわせるのは愚かな人間とみます。ステータスに酔っているのも愚かです。
    これが合理的ADHDの考え方です。どこかでm2さんの考えと重なる部分があるのではないかと思いますが。このような考え方をする女性がどれだけいるでしょうね。これでは普通の女性とはみられない。私はもともと普通を志向していません(^_-)

    • アメジスト
    • 2013年 3月 22日

    YANBARU先生、これは私から先生への個人的なメッセージなので、コメント欄には掲載なさらないでください。
    最近、このブログの参加者の人たちは、どのくらいこのブログに精神的に依存しているのかしらと、ふと考えてしまいました。
    これだけすごい数のコメントが集まると言うことは、ある意味でここでのコメントが生きがいになっている可能性があります。
    発達障碍者同士で理解を深め合うのはもちろんいいことなのですが、このブログの一番の目的は発達障碍者本人の「依存」から「自立」への道のりなのではないかと思われます。
    逆説的ですが、このブログから離れて実生活で充実した生活を送れる人が、時々このブログに立ち寄って自分を見直すのならば、とても効果的なブログ活用法ができる感じがします。
    つまりいつでもべったりとこのブログにひっついていないと落ち着かない状態は、このブログの目的と逆に離れてしまうように思うのです。
    皆さん、頭のいい人たちばかりですから、おっしゃっていることはすごく合理的なイメージがあります。でもこのブログとご自分の精神的な距離が適切かどうかということは案外盲点になっているのかもしれません。
    ブログと精神的な距離が近すぎるために、やたらと喧嘩も起こるのではないでしょうか。
    だから先生にどうしてほしいという希望は特にないのですが、
    一つの意見としてお心に止めていただけるとありがたいと思います。

    • m2
    • 2013年 3月 22日

    み さん
     根本的な考え方は大差ない。
     受動型AS男性とジャイアン女性は、意外と同じような問題を抱えて生きているんだ。
     理屈は正反対なんだけど、表面上は同じに見えることが多い。
     「権威主義」「前例主義」や悪平等という、積極奇異型AS傾向を持つ人に都合の良い社会は向かない。
     ただ、こういう高度経済成長モデルが行き詰っていることは間違いなく、大企業の社長でもジャイアンや受動型AS傾向の人が増えている。
     私の会社も親会社から受動型ASの社長が来たが、会社の空気が全く変わってしまい、人脈だけでやってきた人達が苦労しているのがよく見える。
     >ものごとがうまくいかないのは、理屈でなく「人」を中心に判断するからです。
    これは、そこまで極端じゃないな。
     たいていのことは人を中心に判断してもそうそう失敗はしない。
     ただ、理屈として絶対にうまくいかないケースを強行しようというケースもある。そのような場合はキレるよ。
     普段おとなしい人がキレれば、大抵は要求は通る。
     本当に大事なことを実現させるためには、常時理屈を述べているより、「人」の事情も理解してあげた方がいい。
     9意見を通してあげれば、本当に通したい1の意見は通る。
    >「男性は仕事、女性は家事」
    この考え自体は合理的だと思ってる。
     男性は仕事に向いている人の方が多いし、女性は家事に向いている人の方が多い。
     ただ、この言葉を傾向ではなく、絶対で使うのは間違いだ。
     多数派が、少数派を無視して、多数派の都合の良いことを絶対にしてしまうから、少数派に不具合が生じ、発達「障害」になってしまう。
     通常は発達障害といっても、単に少数派にすぎないだけ、と考えています。私の場合は、ASが強すぎて、身体にいろいろ障害は出ているのだけど。

    • 2013年 3月 23日

    m2さん
    >根本的な考え方は大差ない。
     受動型AS男性とジャイアン女性は、意外と同じような問題を抱えて生きているんだ。
     理屈は正反対なんだけど、表面上は同じに見えることが多い。
    理屈は正反対なのだということはよくわかります。ただ、共通する部分があることは確かだと思います。
    >ただ、こういう高度経済成長モデルが行き詰っていることは間違いなく、大企業の社長でもジャイアンや受動型AS傾向の人が増えている。
    >私の会社も親会社から受動型ASの社長が来たが、会社の空気が全く変わってしまい、人脈だけでやってきた人達が苦労しているのがよく見える。
    民間企業では変革の途中なのだと思います。けれども、公的機関や公的機関に近いところでは既得権益がものをいい変革ができない。
    合理的ADHDはご意見番になることが多いでしょう。受動型ASとは違った形で貢献しようとするでしょう。
    >男性は仕事に向いている人の方が多いし、女性は家事に向いている人の方が多い。
    生物学的な性差によるところがあるでしょうが、「観念」に縛られる必要はないでしょう。以前、合理的ADHDに「夜に爪を切ってはいけないという根拠はあるのか、ないだろう。観念に縛られるな」と助言をいただいたことがあり、そこから考えだしました。観念に囚われること=思考を止めること。考え抜くことの大事さを教わりました。やたらと突っ込むようになったのはその人の影響が大きかったからです。依存型ジャイアンが依存から抜け出すには合理的ADHDの影響を受けたほうがよい、と思います。ASさんには関係がないことを話しましたね。
    >私の場合は、ASが強すぎて、身体にいろいろ障害は出ているのだけど。
    m2さんのASの傾向が強いことは伝わります。私も強烈なADHDであるから。こればかりは生まれ持ったものとしてやっていくしかないのですけれどね(^_-)

    • m2
    • 2013年 3月 23日

    み さん
    >公的機関や公的機関に近いところでは既得権益がものをいい変革ができない
    そんなことはわかっていたから、最初から公務員の選択肢は捨てた。
     歴史を見ればわかるが、この国では外圧か革命以外じゃ変わらない。
     ただ、そろそろどちらかが起きてもおかしくないエネルギーは溜まりつつある。その時は我々の出番だ。
    >「観念」に縛られる必要はないでしょう
     みさんはもう少し常識や観念を勉強したほうがいい。
     これらの大半が少数派の我々には当てはまらないことは事実だが、多数派がどのように考えているのか? を知るには最高の材料だ。
     過去に縛られた経験から、近づくことに躊躇するのはわかるが、自分達だけでできることはそう多くない。
     多数派をどう使うか? を考えないといけない。
     多数派をうまく使えるようになれば、自分ができることの範囲は広がる。

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