AC、人格障害関連

すべての山に

 日曜に何気なく衛星放送を見ていたらサウンド・オブ・ミュージックの映画を放送していて、毎度のことだが見入ってしまった。

 主人公の修道女マリアはどう見ても私にはADHDに見える。
 そのマリアが修道院に逃げ帰ってきたときに院長が助言したのがこの歌だ。

Climb ev’ry mountain     
すべての山に登り
Search high and low     
高き低きをたずね
Follow ev’ry by-way      
あなたが知っているすべての脇道と
Every path you know     
すべての小道を辿りなさい

Climb ev’ry mountain     
すべての山に登り
Ford ev’ry stream       
すべての川を渡り
Follow ev’ry rainbow     
すべての虹を追いなさい
‘Till you find your dream    
あなたの夢を見つけるまで

 歌詞を読めば読むほど、「ADHDに最適の助言である」と私は思う。誰が何を言おうと、結局自分が納得するしかない。
 「すべての山に登ってみる」しかないのだ。
 
 すべての脇道や小道まで全部行けと言うあたりが、「中途半端に逃げるのは許さない」というこれまたジャイアン向けの助言になっている。

 何度見てもADHDとして感動する映画だ。


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コメント

    • はすのはな
    • 2011年 7月 30日

    なんでしょう、この記事を読んでものすごい爽快感がありました。
    私はYANBARU先生やADHDの当事者の方に「決してあきらめない」
    ということを学ばせていただいている気がしています。
    対峙するということは、なかなか孤独な作業でもあって時々投げ出
    したくなることがあります。「一生かかっても」という言葉が虚し
    く感じてしまうことも。それは自分と向き合うときも、他人と向き
    あうときも同じなんだと思います。
    ただの偶然ですが、秋のサウンド・オブ・ミュージックのチケット
    を購入したところでした。面白いタイミングでした。

    • ちひろ
    • 2011年 7月 31日

    なんか・・
    「もぐらうざっ!!!ごちゃごちゃいうな、穴に引っ込んでろっ!!!」と、ハンマー落とされた気分です。当たらないんですけど・・。
    ADHDのアドバイスは「すべての山に登れ」でも
    ASは「あ~。ご愁傷様です・・」ってなるのでしょうか(>_< ) 最近がんばって穴からでて「B5」3枚のメモ持って精神科クリニックにいってみました。穴からでる勇気がでたのは、やんばる先生のこのブログおかげなのです。元気になったから外にでることができた。ありがとうございました。 予約して約一ヶ月後の初診は、先生のお昼休み潰して1時間。再診も30分でした。また来ていもいいよと言われたのですが、大丈夫ですと断り、私の冒険は終了しました。 なんて表現していいのかわからないのですが、 初診の時の先生の「質問」そして私の「答え」が、 痛くないナイフのように、心に入っていました。 受診後、数日してから、3日も高熱をだし、「電波」としか表現できない音が頭に流れ続けたり、自分の行動の記憶がとんだりして・・・。また、診察室でのやりとりの私の支離滅裂さに気づいたりして・・。 『先生。治さないでください。病気になるから・・』 っていうのが、受診した結果の率直な感想です(>_<) 2回目の時は 「まあ健康。今度、日常生活に困ったらまた来てね」という内容の話に・・、 ここに来るだけで大変でしょ?→「YES!(なんでわかったんだっ!)」 薬欲しい?→「いらない」 次回予約する?→「しない」と 次の予約の患者待たせて・・最後はこんな会話になってしまいました。 適応障害としか言われなかったのですが、なんか・・怖いくらいキレ味のある先生でした。(ASの特徴はあります・・ともいわれましたが・・) やんばる先生のブログやHPで、他者との違いに気付き、自分の限界に気付き、環境調整の重要性に気づきました。環境調整したのに、こころが穴のそとを見るのにさらに1年かかりました。 結局、偏屈者宣言に始まり、それに終わるんですが、とにかくまた一歩進む事ができました。

    • もな
    • 2011年 8月 04日

    はじめまして。私個人の意見ですが、韓国映画の『猟奇的な彼女』の主人公(女の子)はADHDかと思われます。
    劇中で、ボーイフレンドが、主人公のお見合い相手の男性に「彼女には、こうしてあげてください。」と付き合い方をアドバイスします。それが『ADHDとの付き合い方』として、的をえていると思うのです。
    日本でも同名でドラマ化されましたが、それとはまた別ですね。
    『カノン』を、主人公が演奏するシーンがあるのですが、『カノン』の意味は『繰り返し』なんだそうです。『カノン』は『繰り返し』部分が多い曲なんだそうです。←これは、ピアノの先生に聞いた話です。
    悲しい過去が忘れられず失敗を繰り返してしまう主人公がADHD的で、せつないのです。

    • 2011年 8月 04日

     私はおそらく、「サウンド・オブ・ミュージック」を学齢期にテレビかなにかで見た気がしますが、全く記憶しておりません。ですが、このように先生が発言したことで、「サウンド・オブ・ミュージック」を見てみたい気がしてきました。
     
     私はまず、このエントリーを読んで泣きました。そのとおりに生きようとし、その途中に生きていることを自覚するゆえに、感情を揺さぶられました。ほっと温かな気持ちになりました。
     私はこの前に、「スピリチュアルペイン」という言葉を書きました。この「スピリチュアルペイン」は、生きる目的や意味を喪失する時においての苦しみです。
     
     私がなぜ「スピリチュアルペイン」という言葉を発したか、おそらく先生は深いところで受け止めてくださったのではないかと思います。
    自身が「発達障害である」と受容するとき、「ADHD」とも「多数派」とも、その概念を知らずに生きていた頃の生き方を「喪失」することになります。精神のありようだけでなく、実際生活にも影響を与え、変革を余儀なくされます。これは、がん患者が闘病生活に直面するとともに「死と生」への直面化、休職、退職、再就職の困難と直面し、金銭的な問題と家族の中での役割交代と関係の変化に直面し、さまざまな苦悩を抱えることになることと似たような状態に陥ることです。
    ただ、大きな違いがあるのは身体的な「死」の距離で、ADHDと自覚することには身体的に死に直面してはいない、むしろ、それ以降の「生」が長いことでしょう。つまり、「どう生きるか」が重要であるということです。
    がんで「スピリチュアルペイン」に直面し受容・悟りを開きながらも、日々のさまざまな苦痛に打ちのめされてしまうことだってあります。これは「仏でも神でもない人間」だから当然です。
    このようなときに、「ユーモア」が必要なのです。「ユーモア」とは、お笑いをさすのではありません。「サウンド・オブ・ミュージック」の「逃げ帰ってきた」修道女マリアへの助言の歌をのせた先生、私はさすがだと思いました。「視点を変える」あるいは「見方の転換」を提供する「ユーモア」を、私は身に付けたいと思います。

    • sky
    • 2011年 8月 06日

    サウンド・オブ・ミュージックは、中学校時代に2~3回も見ましたよ。感動します。音楽の授業でも学びました。
    エンゼールワースの曲が大好きです。また、見たいです。
    多くの人に見てほしい作品です。

    • にこ
    • 2011年 8月 07日

    小学生の時はお上品で裕福な人々で閉鎖的な社会に適応できずにいつも切なかった。
    中学生の時は初めて論理的に考える事を憶え、また成績も伸び楽しかったが、初めて信頼した人々に裏切られるという事を感じ辛かった。
    高校生の時、ストレスで太り、自分が居たことのない環境でまた一から全てをやり直しで本当に身を削る思いだった。
    大学生の時、伺うような人々の目が辛かった。
    そして、現在就職を前にして愛する人を失い、また一からの選択を迫られている。
    「全ての山に登りなさい」
    ADHDにとってはこの上なく残酷で美しい言葉だ、定型発達者からみて奇異であったり滑稽であるのに、それでも頂点をめざして一生続くかもしれない歩みを止める事はできないのだ。
    まるで、アルプスの様な山景に煌めく白日を目指して。

    • はすのはな
    • 2011年 10月 12日

    人には登るべき山がそれぞれ与えられているように感じます。
    例えば自分がものすごく裾野の広い山にいて、まだまだその
    中腹にも到達していないように感じられる時、隣の山では誰
    かが頂上を目指して歩いている。もちろん与えられた山の大
    きさは大小さまざまなので比較の対象にはならないとわかっ
    ていても、つい焦ってしまう。
    最近「自立」というテーマを考え続けています。
    ここには苦しんている人々が多くいます。先生の呼びかけに
    対してコメントというカタチで分かち合い、考え合い、時に
    は意見を言い合い、ある人はある人の優位性を感じたり、そ
    れでもおさまるところにおさまったり。
    苦しみを抱えこむのではなく、共にわかちあうことによって
    そこにある垣根が外れ、安心感もうまれたりするのではない
    かと私は考えます。自立というのはその前提で現れてくるも
    のかもしれないと。
    隣で同じ様に山に登っている姿が観える。(ああ、おなじだ)
    と少し感じて、再び自分の足下を観る。険しく、どこまでも
    続くようなうんざりする道かもしれません。それでも歩み続
    けなければならない。
    決して同じ山に登ることはできなくても、そこに同じ様に登
    っている存在を感じるだけで(頑張ろう)と思えるような姿
    を、ここに来ると見いだせる気がしています。
    私も、ひたすら歩み続けようと思います。

    • アメジスト
    • 2013年 7月 06日

    (その1)
    「すべての山に登れ」がADHDのためのテーマソングだとしたらAS向きのテーマソングは何かなと考えてみました。
    ネットで一つおもしろい詩を見つけました。ある動画サイトに「般若心経ロック」という曲が投稿されたら、それに匿名ユーザーがコメントとして現代語訳を投稿したものらしいのですが、なかなか気が利いています。AS向きだなあと私は思いました。
    ★ 般若心経 新訳
    超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
    誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
    もっと力を抜いて楽になるんだ。
    苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
    この世は空しいモンだ、
    痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
    この世は変わり行くモンだ。
    苦を楽に変える事だって出来る。
    汚れることもありゃ背負い込む事だってある
    だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
    この世がどれだけいい加減か分ったか?
    苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
    見えてるものにこだわるな。
    聞こえるものにしがみつくな。
    味や香りなんて人それぞれだろ?
    何のアテにもなりゃしない。
    揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
    それが『無』ってやつさ。
    生きてりゃ色々あるさ。
    辛いモノを見ないようにするのは難しい。
    でも、そんなもんその場に置いていけよ。

    • アメジスト
    • 2013年 7月 06日

    (その2)
    先の事は誰にも見えねぇ。
    無理して照らそうとしなくていいのさ。
    見えない事を愉しめばいいだろ。
    それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
    正しく生きるのは確かに難しいかもな。
    でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
    菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
    愉しんで生きる菩薩になれよ。
    全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
    適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
    勘違いするなよ。
    非情になれって言ってるんじゃねえ。
    夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
    それができりゃ涅槃はどこにだってある。
    生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
    心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
    この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
    意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
    苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
    嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
    今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
    でも、これだけは覚えとけ。
    気が向いたら呟いてみろ。
    心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
    いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
    『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
    『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
    心配すんな。大丈夫だ。

    • アメジスト
    • 2013年 7月 07日

    ASの皆さん
    昨日、私が引用した詩はASの皆さんにとっては、ちょっと「矯正」がかったメッセージで、重苦しかったかもしれませんね。申し訳ありませんでした。
    私はこのブログでは、基本的には自分の体験談のみを書くことが多いですが、今回はよけいなことをしちゃったような気がします。ごめんなさい。スルーしてくださいね。

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