ADHD関連

ADHDの意味

 最近「コンサータ」を処方するようになって、劇的に効くケースを目の当たりにして思うことは、「小学校低学年からコンサータをずっと使ったとしたら、思春期時点で成長発達の経過が変わるのではないか」ということだ。

 「注意欠陥」およびその結果としての「多動」はコンサータで劇的に良くなる。実際に処方してみて、比較的大きな子供たちからの説明によると、「些細な刺激に過剰に反応して、混乱ないしは気が散ってしまい集中力が安定しない」というのが改善することがコンサータの主な効果で、「23時まで宿題に取り掛かれなかった子が7月中に夏休みの宿題を終えられる」という風に効く。

 コンサータの裏返しをADHDと考えれば、注意欠陥の本質はこの刺激への過剰な反応性であり、多動はむしろこの反応性の結果として起こってくるものだとわかる。

 さて問題は、「ADHD」とはコンサータで改善されるところの「過剰な反応性による注意欠陥と多動」と同じものと考えて良いのかどうかということだ。

 例えば「場当たり的な発想」や、「対人関係での状況理解の困難」といった特徴、および、「本音が本当なら建前は嘘」という過剰な正直さなどの価値観の違いをどう考えるべきかということが重要だ。

 なぜなら特に成人例のADHDの「生き辛さ」は主にこの対人関係などの部分に起因することが多いからである。

 例えば5歳からコンサータをずっと飲み続けたとしたら、多数派と同じように「空気が読める」ように成長するのか? これは実際に症例を追って見ないと分からないが、今のところ私は懐疑的だ。

 もしもこの注意欠陥以外の部分が、ただの注意欠陥の「結果」の「派生的特徴」ではなく、ADHDというひとつの症候群としての障害の部分であるとすれば、ADHDを上記の「コンサータが効く注意欠陥と多動」と同一視することは出来ないことになる。

 私がASとの違いにこだわるのはこの点からだ。この意味では、「注意欠陥を伴うAS」とは根本的に違うADHDの概念を考える必要があることになるからだ。

 


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コメント

    • ひまわり
    • 2008年 9月 15日

    >例えば5歳からコンサータをずっと飲み続けたとしたら、多数派と同じように「空気が読める」ように成長するのか?
    療育的に言えば、
    『空気が読める』ようになることは望んではいません。
    ADHDなのか、注意欠陥を伴うASなのかは、わかりづらいことは確かですが、
    どちらにも共通である、多動であったり注意欠陥であったりすることで、
    周りからの誤解により、子どもは叱られることばかりで、自己評価がどんどん下がり、
    二次障害としてACになり得る。
    それを避けたいと考えます。
    その為に、薬が有効であれば、ぜひ用いて、子どもの言動・行動を押さえることで、
    周りとの関係が良くなるキッカケとなればいいなーと思います。
    認められる経験、褒められる経験こそが、自己肯定感を高められるのです。(・・・と、信じたい)
    将来、自分に自信を持ち、他人に思いやりを持ちながら、自分を価値あるものと誇れる気持ちが育っていくことを、期待したいものです。

    • ぴよよ
    • 2008年 9月 16日

    場違いですみません。脳波が遅い「注意欠陥を伴うAS」です。だから、純粋な多動ADHDの経験はないのを前提にして書きます。
    確かに、現在発達障害と投薬の世界で足りないのは、投薬することでどんな意味が発生し、何が改善して何がしないのか、だと思います。
    リタリンの失敗もそこにあるのではないでしょうか。いや、これは誰に何か言いたいわけでなく(言い出すと止まらなくなって生活に差し障るので。)私が勝手に思っているのですが。
    目的と意味がはっきりしないと、処方の際に家族に注意事項を適切に言うこともできないし、処方された家族も(教育者も)おのおのが既に悩んで煮詰まっている状態で、さまざまな理想的な効き目を勝手に想像してしまうかもしれません。
    その想像を元に、周りが子ども当人にてんでバラバラなことを言ってしまうのは望ましくありませんね。
    リタリンではそれが暴走し、さまざまな理想的な効き目を信じた者が失望して、処方者と使用者の中に極端になる者が発生して、『本来はどうあらねばならなかったのか』が明解にならないまま、社会からシャットアウトされてしまいました。
    医師にかかるのは後ろめたいことをしてるわけではないのに、周囲にも個人レベルの説明は通じず、リタリンがあっても無くても(経済状態が変わるだけで)結局、孤立は変わらない人も多いらしいです。私だって、今だ寂しい。
    インターネットでいくらリタリン白黒論争になっても、今だ決着は付きませんし、付ける気も無くしているのが私達大人の現状ですね。
    子どもで同じ混乱は起こさないであげたいです。
    この件ではASに応援できることが無いのが悔しいですが、せめて患者の一人として薬の目的と意味は気に掛ける習慣を忘れないように、意識し続けていきます。

    • ねね
    • 2008年 9月 16日

    ちょっと疑問におもったのですが、
    「注意欠陥を伴うAS」がコンサータを飲んだらどうなるんでしょう?
    大人のADHDには効果はないのでしょうか?
    先生の疑問を検証するにはきっと膨大なデータが必要になるのでしょうね。
    >注意欠陥の本質はこの刺激への過剰な反応性
    は大人になると経験上対処しやすくなるだけで
    過剰な反応自体はかわらず起こっている気がします。
    それがADHDの本質なら 当然のことですよね。
     この過剰反応がなくなれば それだけでも空気を読めない状況がずっと減るのではないでしょうか。

    • ドロシー
    • 2008年 9月 17日

    うまく言えませんが、この場合での薬物は不足あるいは過剰になっている
    脳内物質(ADHDなら主にドーパミンやノルアドレナリンでしょうか)を
    並レベルに補正してくれる、対症的なものと私は認識しています。
    ですからコンサータで周囲からの過剰な反応が抑えられ(情報に優先順位を
    つけられるようになる)集中力が増し多動が落ち着くことで、衝動性も
    ある程度コントロールできるようになり、結果「普通の子」(或はそれ以上の)レベルになり、周囲の人から怒られたり馬鹿にされたりが、激減すると思います。
    我が子が服用していた時期は、嘘のように注意する事がなくなりました。
    幼児期からの苦労はなんだったの?という位の衝撃でした。
    ひまわりさんのおっしゃるように、二次障害を防ぐ意味でもかなり価値があると思います。
    で本題ですが、コンサータを飲み続けてもADHDの遺伝子レベルのもの
    (新奇性追求的な気質とか)を治す事はできないので、根本は変わらないと
    思います。ただ、表面上の適応パターンを合理的に覚えられるようになる
    印象です。
    ちなみにジャイアン息子はコンサータをしばらく飲んでいたら、不安が
    強くなりましてダメでした。(見えていないから突っ走れていたのが、
    見えすぎてブレーキ?)
    あとは量も多すぎた様です。少ないタイプも製造してほしい!!

    • たか
    • 2008年 9月 17日

    注意欠陥を伴うASと思われる子どもにコンサータを何度か飲ませたことがあります。
    小6の子どもは、「いつもなら動きたくなるのを止められているように感じる。
    薬の効果が切れてきたら、抑えられていた衝動が、一気に出てしまう。
    薬で我慢させられているから、薬を飲みたくない。」といっています。
    薬の効果は確かにあると、親からは思いますが、そんなに大変ならと、本人が飲んで行かなければいけないと思う場面(修学旅行や遠足など)に限っています。
    医師は、そのようにいう子はあまりいないといわれています。
    ADHDと注意欠陥を伴うASでは、どこか違うのでしょうか?
    ひまわりさんへ、
    初めてひまわりさんの記事を読んだときは、状況が私ととてもよく似てびっくりしました。そうそう!といつもうなづきながら読ませていただいています。私ひとりではないんだと、いつも勇気をいただいています。
    >認められる経験、褒められる経験こそが、自己肯定感を高められるのです。(・・・と、信じたい)
    私も信じてます。

    • まり
    • 2008年 9月 17日

    義弟が診断を受けたとき医師は、「ADHDです」ではなく「ADHD『がある』ね」という言い方をされたので、他にも何かあるのかなと連想しました。
    注意欠陥・衝動の他にコミュニケーションや社会性の問題などの話もあり、「自閉」は特に指摘されませんでしたが、広汎性発達障害の可能性もあるのかな(色々な特徴が混在しているのがそれだと認識していたので)とそのときは思いました。
    多動を伴うASとADHDの違いは、「自閉傾向」の有無だと思っていたのですが、違うのでしょうか。
    因みに義弟の事故は、注意欠陥・衝動に起因する部分が大きかったように思います。

    • rid
    • 2008年 9月 17日

    表面的には同じ「注意欠陥」でも、
    ADHDは些細な刺激に興味関心を持ち、ASは些細な変化に不安になる
    という違いがあるような気がします。
    だからADHDにはリタリン・コンサータ、注意欠陥ASにはSSRI等を処方することが多いのかなと。。
    私は、両者の情報処理の方法は、
    ADHD=整理分類=「ツリー構造のフォルダ」
    AS=現状保存=「大容量HDD」
    と、全く異なるものだと思っています。
    欠点として
    ADHDは、セーブ時に細かい部分を失うことがある。
    ASは、ロードに長時間かかることがある。
    という感じでしょうか。
    >「対人関係での状況理解の困難」
    SAMの欠損は、ADHDとAS共通の課題だと私は思います。
    >「本音が本当なら建前は嘘」という過剰な正直さ
    白黒ハッキリ思考ゆえにこうなるKY(空気読まない)なASも、少なくないと思うのですが…。

    • むーん
    • 2008年 9月 17日

    ・・・コンサータって何だか全然分かっていないのですが、そんな夢のような薬があるとは!!
    これがあれば、引きこもりがいきなり団地妻になることも可能だっただろうか!?(いやそりゃ無理だろう・・・)
    ところでひまわりさん、せっかく「頑張って」と言ってくださったのに、「頑張れは禁句だ」などと失礼しました・・・
    (なんかひまわりさんにはあやまってばかりです。
    全然励まされなくても、やっぱ行けなくなっちゃうんですよね・・・いや本当情けない。
    明日は、学童保育のマドレーヌの配達作業です。「将来、自分に自信を持ち、他人に思いやりを持ちながら、自分を価値あるものと誇れる気持ちが育っていくことを、期待したいものです。」とゆうひまわりさんのお言葉を、母とも思い、やっていきたいものであったりします。

    • アールグレイ
    • 2008年 9月 18日

    お久しぶりです。アールグレイです。
    私の子供達は10年前の4年生と2年生からリタリンを飲んでいます。そして、娘は17歳で主治医からADHDで診療をすることはない、もう卒業してよいといわれました。現在19歳です。
    下の子は高2ですがルーランを飲みながら、コンサータを頓服として利用している状態です。
    子供達がリタリンを初めて飲んだ時、色がはっきり見える、人の話が聞こえると言ったのをおぼえています。雑然と見聞きしていたのが、聞きたいもの、見たいものに焦点を合わせることが出来た初めての経験だったのだと思います。
    その後3,4年生になり他人との違いに気付くようになりうつ状態になりながらも、自分は何でできないのだろうと試行錯誤し、中学で共依存も経験し、自分のKYさ、注意欠陥(ワーキングメモリーのなさ)を受け入れることにより、人とは違うけれどそれを補うにはどうしたらよいかを考えることを常に念頭に置くと言う対処法をソーシャルトレーングなどを通して合理的方法、適応方法を身につけたように思います。
    出来ない自分も出来る自分も全部自分と素直に受け入れられたところから落着いたようにに思います。
    ですので、コンサータ等でKYが治るとは思わないです。KYだと自分を理解した前提で物事を進めることが出来るようになると言うことではないでしょうか。
    息子はルーランで衝動性をおさえた状態を覚えることにより、衝動性が出たときにまずいと感じることが出来てコントロールが出来るようになってきています。
    また、ワーキングメモリーのトレーニングを受けたことにより、集中の仕方(集中と過集中の違い)と、物事を覚えるために違う回路が出来たことにより前よりずっと過ごし易くなったといっています。

    • アールグレー
    • 2008年 9月 18日

    つづきです。
    ADHDの場合向精神薬を少量与えることでずいぶん行動が落着くと言うことでしたので、うちの子供はそのことをあらわしていると思います。
    薬が切れたときのリバウンドや副作用との兼ね合いもあると思いますが、薬が効いている間にどれだけ合理的ジャイアンをインストールできるかが薬を飲む、飲まないの基準ではないかと思います。
    また、日本人はコンサータはりタリンより少量で効く子どもが多いと病院でも先生が言っていました。
    家の子も基準では27mgが妥当な量なのですが、18mgで十分効いています。うちの子は13時間ぐらい効いています。
    その間、食欲はあるのですが、味を感じないらしく、薬が効いている時間に夕飯がかかるのを嫌がりますが、13時間効いているので飲んだ時の夕飯の設定が難しいです。また、頓服としての使用なので慣れがないため、飲むといつも集中しすぎるような気がする。時間のたち方がはっきり自覚できすぎると言うようなことを言っていました。
    逆から言えば、集中が難しく、時間の観念が薄い状態でいつもいるということが分るのですが・・・。
    出来れば4時間で切れるリタリンも使えた方が使い勝手としてはよかったと感じています

    • エイト
    • 2008年 9月 18日

    親身になって指導してくれる次男の通級の先生の体験談と考えを参考にして、薬拒否派から方向転換しました。
    コンサータ、昨日から飲んでおります。
    次男の感想は、「イライラとか、面倒くさい気持ちとかは前と変わらないけど、今日は1日席についていられた。集中して絵が書ける。」そうです。
    「学校の先生には薬のことを言わないで」と次男が言うので学校には何も連絡しなかったのですが、支援で週3日ついてくれている先生が、(いつもは特に連絡をくれないのですが)「今日はとても頑張って勉強していました。○○君は漢方薬を飲んだから大丈夫と言っていました。これからも続けてください。」という内容の手紙をくれました。勘のいい人なら、もしかしたらわかっているのかもしれません。
    お腹が空かないとか、効きすぎるとか、頭痛とか、副作用はまだないのですが慎重に観察していこうと思います。
    ちなみに体型はメタボです・・
    次男には「無理して飲まなくてもいいよ。飲んでいたら困ることのほうが多ければやめていいよ。」と言っています。
    私が思うのは、長時間過ごす学校という場所が今までのように”無駄な空間”ではなく、コンサータによって”有意義な空間”になってくれたらと・・
    このまま飲み続けて、大人になったらいつのまにか多数派のようになることはあり得ないというか、とても想像できないですし、期待も望んでもいません。

    • Tama
    • 2008年 9月 20日

    子どもがいないので、自分の体験話で失礼します。
    >「23時まで宿題に取り掛かれなかった子が7月中に夏休みの宿題を終えられる」
    リタリンは「焦点を無理やり一つに合わせ、そこに過集中させる」という効果があったと実感するのですが、そこには副作用として「衝動買い」「ギャンブルに快感を覚える」があったように思います。
    また、無理やりに焦点を合わせているので、結果として「場当たり的な選択を、より素早く行えるようになっただけ」だとも思っています。
    対するコンサータは「一つ一つの物事が混ざらないように整理させる」という効き目なのでしょうか?
    だとすると、かなりいい薬のように思えます。
    リタリンはガツンと効くかわりに、かなりエネルギーを消耗しましたから。
    もう薬に頼らずに生きていくので、飲むことはないと思いますが、脳内の整理の仕方の練習として「コンサータを飲んだ自分」を想像して演じてみようと思います。
    (演じるうちに、それも自分の一部になってくれる気がします)
    現在の自分が「雑音が入りそうになったら、わざと何かに過集中する」「常に、何をしていいかわからない時用のリストを作っておく」「食事や掃除などは、メニュー・手順を固定することで作業を簡易化する」なので、もう少し人間らしく生きたいと思うんですよね。
    何とか生きていけてますが、相変わらず、一切の過去は「ただの過去」というものすごい割り切りがあります。
    昨日まで一緒に夢を語り合っていようとも、今日は今日であり、昨日とは別物なんです。
    持続性の関係は、なかなか持てないですね。
    本題からズレた書き込みですみません。

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