AC、人格障害関連

合理的な思考②

 ジャイアンと積極奇異型ASは独特の「中心志向」を持ち、「自分が仕切りたい」という発想があるので、当然の結果として「自分の理解が絶対的に正しい」と独断的になりやすい。

 また、積極奇異型ASは常に、ジャイアンの場合は過集中時に「関連付け思考」が激しくなり、あること無いこと全部関連付けて自分勝手に理解してしまう。これも独断の大きな原因となる。

 また逆に「ADHDのAC」は周囲に合わせなければならないと思い込む余りに、見当外れに周囲の人の態度から「嫌われている」等の勝手な解釈を繰り返すことも多い。

 その結果、発達障害は全体的に「思い込みが激しい」「独断的」ということになる。

 だから合理的な思考へのポイントの第二は、「自分が正しいとは限らない」と認識することだ。

 「自分に分かることは部分的でしかない」「自分に出来ることは少ししか無い」「自分が世界の中心であるはずが無い」というようなことは「当たり前」のはずだが、ジャイアンにも積極奇異型ASにも、このことを頭に置き続けることは「努力を要する」ことだ。

 ジャイアンは何も努力をしなければ、自分に都合の良い自己正当化の中で「裸の王様」になり、積極奇異型ASは努力しなければ、「井戸の中の正義」になってしまう。

 私は最初の大学の教養課程で「現象学」を学んだが、安易に理論や概念を無批判に「構成」することを避けつつ、可能な限りナマの経験に近付いていこうという考え方は、独断に陥ることを回避するのに役に立つ。

 「偉そうに主張出来る」ことの根拠は何か? そもそも自分自身は世間と自分についてそれほどちゃんと分かっていたのか? 自分の主張を他人に強制して良いのか? などを自分自身に問う努力が無条件に必要なのだ。

 自分に見えているのは世界の一面でしかない。自分には必要以上にいろいろなことを関連付けして断定してしまう悪い傾向がある。思い込みで行動すると失敗する可能性が非常に大きい。特に過集中で思路が狭くなっている時は前が見えないで突っ走っているようなものだ。ということを自分に言い聞かせ続ける努力が必要だ。

 これが発達障害の合理的な思考への第二のポイントである。


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コメント

    • サエコ
    • 2008年 12月 16日

    先生はここまで突き詰めて、周りとの協調を図ろうとしてこられたのだな、と思いました。
    多分、ここまで自虐的なまでに自分を突き詰めて考えると、普通は「人生不可解」という境地になってしまうのではないかと思います。
    そこまでしてユニゾン(すみません、日本語でどう表現するのか忘れました)をしたい具体的な対象があるとないとでは違うような気がします。
    ASのパートナーが、数年前にこのような事を言っていましたが、私には意味が取れませんでした。
    本日、なんとなくわかったような気がします。

    • 匿名
    • 2008年 12月 16日

    > 「自分に分かることは部分的でしかない」「自分に出来ることは少ししか無い」「自分が世界の中心であるはずが無い」というようなことは「当たり前」のはずだが、ジャイアンにも積極奇異型ASにも、このことを頭に置き続けることは「努力を要する」ことだ。<
    >自分に見えているのは世界の一面でしかない。自分には必要以上にいろいろなことを関連付けして断定してしまう悪い傾向がある。思い込みで行動すると失敗する可能性が非常に大きい。特に過集中で思路が狭くなっている時は前が見えないで突っ走っているようなものだ。ということを自分に言い聞かせ続ける努力が必要だ。<
     これっていわゆる多数派の人たちにとっては当たり前のことなんでしょうか。
     誰でもつい知らず知らずそうなってしまう時があると思うのですが、多数派の人たちはすぐに頭が切り替えられるのでしょうか?

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2008年 12月 16日

    YANNBARU先生は、現象学ですか。
    私は、選択盲、分離脳、扁桃核の暴走です。
    組み立てた言語的に現実模写した理論的モデルの妥当性を常に検証していく方法、現実からのフィールドバックを担保する思考回路を、私の中にビルトインすることが課題です。
    選択盲
    オスロの心理学者ペッター・ヨハンセンが行った心理実験。
     その心理実験は、男性には女性の、女性には男性のポートレート・顔写真を二枚を見せ、どちらか魅力的に感じる好きな方を選んでもらいます。一旦写真を返してもらい、もう一度写真を渡して、何故そのほうが魅力的と感じたのか尋ねると「あごの形がよい」「黒髪だから」などと答えてくれます。しかし、写真は選んだ人ではないのです。
     実験ではヨハンセンが、写真を巧妙にすり替え、選んでいない写真を「あなたが選んだのはこちらでしたよね」と言いながら差し出してます。当然「いえ、別の方です」と言うと思いきや、ほとんどの人が入れ替えに気付かず、得々と例えば「髪が長いから」「イヤリングが素敵だから」など語ってくれるのです。本当はその人を選んでいないのですから、そんな理由100%嘘。でもそう言う。間違えに気付かないだけではなく、間違えた前提でその場で理由をひねくり出す。その上、嘘の理由を言っているということすら気付かず、選んでいない人の方が気に入ってると思っている。これを「チョイス・ブラインドネス、選択盲」というそうです。
    つづく

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2008年 12月 16日

    続きます
    分離脳
    ASは右脳と左脳をつなぐ脳梁が細いといわれます。脳梁が切断された分離脳の人に、その右脳(情動脳)にのみ「歩く」という指示を出します。すると患者は立ち上がって歩き出しました。左脳(言語脳)に何故歩き出したか尋ねると「コークを取りにいったのだ」と答えたそうです。脳梁が切断された分離脳ですから、左脳は右脳に「歩く」という指示があったことは知りません。左脳が指示とは別の勝手な理由を作りだしたのです。分離脳患者の研究から、左脳には、我々の自己イメージや信念体系と合う様に、自己の状態や環境から受け取る情報を解釈して適当な話を組み立てる部位があると見られています。
    扁桃核の暴走
    意思決定の仕組みの研究で、人間には脳の扁桃核に依存する神経システムが司る目先の結果(もう一膳、もう一口で満腹快感を味わえる)でみる衝動システムと大脳の前頭前野に依存する神経システムが司る長期の結果(もう一膳、もう一口で太る)で評価する熟慮システムの二つがあり、その相互作用によって意思決定(もう一口食べるか我慢するか)されるとされています。アル中など薬物依存症では脳の扁桃核の衝動システムが暴走し熟慮システムが働かない。ダイエット失敗などでは、大脳の熟慮システムが歪んで言い訳システムになり下がっていますが、我々はそれに気付かない。
    引きこもりの理論のエントリーにあった>現実からのフィードバックの非常に乏しい「引きこもりの理論」の完成である。実にさまざまな理屈がこの引きこもりの正当化に利用されるのは驚きだ。<にならないようにする、>立派な理論<に自縄自縛されないようにすることが課題です。

    • 匿名
    • 2008年 12月 16日

    Paul Carpenter様
     私も多数派ではないので、本当のところは分かりませんが、観察したり聞いたりして見たところでは、発達障害と同じような独断にはなりにくいと思います。
     その理由は、多数派の認識は、「個人としての見解だけでなく、他者の意見などが初めから取り込まれている」、「いろいろな極端な見解の間を取ったような考え方をする」というような形になっていることが多いからです。多数派の中での独断は回避しようとすると思います。
     ただし、少数派に対するときは少し違う面もありますね。多数派であるというだけで絶対と思い込んでいて少数派の違う意見を想定出来ないという意味での不寛容はありますね。
     別の見方をすると、「正しい」ということへのこだわり加減が発達障害と比べるとあいまいなので、ここまで独断に至らないということもあるとも思います。

    • 匿名
    • 2008年 12月 17日

    >「正しい」ということへのこだわり加減が発達障害と比べるとあいまいなので、ここまで独断に至らないということもあるとも思います。<
    YANBARU先生へ、上記表現は大変わかりやすいです。
    逆に考えると、そのこだわりが自己突っ込みを超えて前進させる(良くも悪くも)原動力になっているような気もします。
    ありがとうございました。

    • 2008年 12月 17日

    >「自分が正しいとは限らない」と認識することだ・・・
    この事、よそ様やら息子に接する時は、常に考えられるようになってきました。
    夫に対するときも、口ではひどいことを言ってても、
    時々、私自身「自分の考えがすべてではない」
    >「自分が世界の中心であるはずが無い」・・・と心の中では思えるようになってきました。(でも、夫には口では絶対に本心は言いませんが)
    でも、母に対しては、絶対に私自身「自分の方が正しい」という思いは消えません。
    そして、最近では母を言い負かしてついに、母は、「あんたの方が正しい」ような事を言ってきましたが、
    母は心からそのような事を言ってるのではなく、
    「とりあえずそう言っておけば、その時の私の興奮状態が治まるだろう」と言ってる事と私は理解してしまいます・・・
    たぶん向こうとしては、「どうすれば、私(母自身)の気持ちを理解してくれるのかしら」と、常に根底にあるような気がします。
    前から言葉の端々で私が感じてるのは母はきっと娘のみならず父にも又、赤の他人でさえ、自分の考えが一番正しい、自分に服従させたい、人なのです。
    そして「誰だって、そんなところアルよ」と言います。
    自ら自分で発達障害だは思ってもない人なので、たぶん、皆そうなんだ・・・と思ってるらしいのですが。
    そんな環境の中、今までそれが普通だと思ってましたが、
    やんばる先生のブログにたどり着き・・・
    ナンだか、何が言いたいのかわからなくなってしまいました。
    ・・・が、母同様、発達障害の私・・・
    母に関しては、怒りの感情飛び越えて、今では、観察の対象ですが・・・

    • 2008年 12月 17日

    続きです。
    上記のように強がってますが、私自身もきっと母には理解してもらいたい、なぜ娘の本当の気持ちがわかってくれないの?・・・と思ってる事も事実です。
    母は、私の気持ちすべてわかってると思い込んでいるいるようですが・・・
    これって、私が母に愛着を持ってるからでしょうか?
    それとも依存?

    • 2008年 12月 18日

    昨日息子友達のママから聞いた話なのですが・・・
    そのA君は今反抗期真っ盛りだそうで、そもそもそのママはA君が幼少の頃から病気がちでいつもAには我慢させてしまい申し訳ない・・・などと言ってました。
    小さい頃から我慢させられていたと思ってたA君は自分のそのような気持ちに気づき、最近一気にママに向かって爆発させたらしいのです。
    でもそのママは偉く「ママはそうやって自分の気持ちを出せるAの方が大好きなんだよ」と涙ながらに言ったというのです。

    • さざなみ
    • 2008年 12月 18日

    YANBARU先生はじめまして。NHKのテレビをたまたま見ていて、先生がご夫婦で出ていらして、ネットで探してみました。
    ずっとここはあのテレビ以来、拝見しております。
    量が膨大なので、すべてのブログの内容を読んではいませんが、わたしは多数派に属するような気がします。
    もう既に退職してしまった同僚なのですが、この女性が「中心志向」を持ち、「常に自分が仕切りたい」「自分の理解が絶対的に正しい」あること無いこと全部関連付けて自分勝手に理解してしまう、という人でした。
    パートなのに社員気取りで、自分よりも後に入社した「正社員」をまるで部下のように扱っていました。
    本人的には「わたしはデキる女」と思い込んでいたフシがあったようですが、チームワークの必要なデスクワークだったのにもかかわらず、社員が作ったマニュアルにない「マイルール」を勝手に作って、それに従わない私などを攻撃していました。
    「自分が正しいとは限らない」
     「自分に分かることは部分的でしかない」
    「自分に出来ることは少ししか無い」
    「自分が世界の中心であるはずが無い」
    というのは、わたしとしては色々な職場を経験していくうちに理解できていますし、こういう事は中学、高校の授業の流れで理解できていました。
    このくだんの女性は
    「自分が正しいとは限らない」
     「自分に分かることは部分的でしかない」
    「自分に出来ることは少ししか無い」
    「自分が世界の中心であるはずが無い」ということを《認める》ことが「負け」みたいに思っていたのかもしれません。とにかく、根拠の全くない万能感を常にちらつかせていたように感じます。
    ミスを繰り返しますが、ミスを指摘されても決して謝らない人でした。
    仕事ができるわけではなく、のろく(本人はそんな自覚はない)、小さな規則はとにかく破ってばかりいました。
    とても不思議な存在の女性でしたが、ある意味かわいそうだな、とは思いました。
    会話をしたことがあるのですが、私には関心がないので、わたしにはまったく質問はしません。
    話すのは一方的で、自分の自慢話ばかりでした。
    私がたまに話をすると、話の腰をことごく折り、自分の話したい方向へと向けさせます。ちっともつまらない会話でした。
    辞めてから本当に平和な職場になっています。

    • 2008年 12月 18日

    すみません。私の朝二つのコメント、今見ると違うエントリーに投稿してしまってました。

    • neko
    • 2008年 12月 19日

    私ADHDは、「本当のことだったら目をつぶれない」思考のために人の首も自分の首も絞めたくなります。
    でも合理的思考を維持するためには「本当のことに目をつぶるべきではない」のですよね‥
    でも自分が見えている「本当のこと」はあくまでも部分的なものでほんの一面に過ぎないかもしれない。
    だからそんな少しの情報を根拠に物事の正否を主張するのは浅はかで僭越である。
    これを土台に据えておけば、裸の女王様にならずに済みそうです。あと、余分なエネルギーも使わなくて済みそうです。
    「合理」‥「理に適ったこと」に執着するあまりにかえって非合理的で効率の悪い思考パターンになっていたことを理解できました。
    でもこれも「本当のこと」とはいえ、自分なりに「正しいこと、本当のこと」を追い求めて一生けんめい生きてきたつもりなので、感情的にはつらいです。障害者の持つハンデを痛感します。

    • ぴよよ
    • 2008年 12月 19日

    全部ではありませんが、“底付き”に関する記事を探して読み返していました。
    底付きはジャイアンのために先生が考え出した言葉ですが(そういえばASもなかなか困り切らないな・・・。)と思わされているので。
    何故なら、困難の理由は自分独自の内面世界を持ってるので、そこの価値観で自給自足できているのですよね。
    自給自足、我ながら嫌な表現です。
    無意識にそんな態度を取っているから、人の手、それもジャイアンでなく冷静な多数派か合理的ADHD傾向の手を借りたいときにも、助け呼べないのです。短い言葉で伝わらない。
    長い説明はAS傾向にしか伝わらず、それ以外には引かれる。引かれると悔しさで再燃するので、我慢。
    話を戻して、ASの底尽きは自発性が望ましいのかもしれない、と、ふと思いました。
    ジャイアンは不適切な過集中で依存や迷惑行為をしてるときは放置で底尽きするのが近道でしょう。
    しかしASはこの通りなので、例え孤立しても過集中をやめない。
    自身の過去を振り返っても、井戸のような思い込みから出るときには、自虐を覚悟した気がします。
    脳の仕組みでのろいことを、悪意の怠けとして扱う周りの価値観に合わせ、詫びるための自虐。自分を罪人として扱わせ、それを依存の攻撃以外は拒否しないという、技術的に難しい、誰も教えてくれない選択。
    だからリタリンにはどんなに助けられたでしょう。
    どんなに外から見えない負担が軽減されたことでしょう。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2008年 12月 19日

    続きます。
    ヤンバル先生がよくASの例に使ってらっしゃる、発展途上国で井戸掘り、日本から抜け出せるという意味でも妥当かもしれません。
    例えまやかしでも、豊かな日本には言葉が通じる人がいること自体が誘惑であり、自分に出来ないことを勝手にやってる嫉妬とマイナス刺激の対象なのですから。
    例え心情的な価値はカボチャやジャガイモ並みでも、放っておくと、勝手に変化して、知らないこと知り、価値観を変えていて話しが合わなくなって、自立や結婚などしたりして、平穏にしておきたい視界と、想念の世界を小動物のようにちょろちょろ動き回ります。
    (多数派が少しずつ人生に成功してる中、ADHD傾向などの欠陥組は失敗したりしてドラマチックに愚痴っているので、親近感を感じる機会があるのです。だから一度嫉妬の対象になっても、私の好感度の名誉挽回?する能力があるのです。他のASは分かりませんが。)
    ASは一度何か当てにしたら動かしたくないのに、世話をし
    てくれたり勝手にやめたがったりします。そして劣等感とかを置き土産に置いて行きます。
    そういう意味では邪魔くさいのが、普通の多数派の人々。
    つまりあの例は、会話しなくていい世界、コミュニケーションに責任を置かないけど、人の役に立てる世界へ行く一つの確実な方法ですね。
    確かに、国内で生産活動せず、犯罪にならなくても深い思慮無しの迷惑な条件反射や、依存行為に溺れているよりは、ずっと有意義ですよね。
    憧れはできませんが、なるほどと納得は出来ます。
    自分で読み返してみて・・・今日のコメントはちょっと伝わりづらくなりました。ごめんなさい。

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