「外」で自閉性を出さないで周囲に合わせることはASにとっては大きなストレスとなり、病的な二次障害をきたしうることは間違いないと考えている。
しかし一方、今「親」として関わっている成人ASの人々に子供のころを聞いてみると、意外に「普通でした」ということが多い。この人たちは、(結局成人に至る間にうつなどで心療内科受診となっていたのだが) 診断されることもなく引きこもることもなくよく結婚して子供を生むところまで生きてこられたと思う。
このことの説明として、私なりの仮説は以下のようだ。「積極奇異の人は現実の世界でとにかく頑張って、超人的に努力して、それなりの評価をゲットして積極奇異的な評価の代償でストレスを相殺してきた」 と私は想像している。
その頑張りが成就しなくなった段階で病的な状態となり心療内科に受診する。家事も全くできなくなり、ずっと起きられないようなうつ状態となったり、動悸やふらつきなどでほとんど動けなくなるような身体症状に悩まされる。
子供のケアを通じて大人になってやっと診断をつけ、私は「あなたはASだからASらしく生きるしかない」と告げる。その後は立派なAS氏となっていく。(例えばクレーマーになったり)
そこまで考えて遡ってみると、やはり「思春期前にASと診断して、自閉的な適度に部分を出しながら周囲に受け入れられる」体験をすることが一番精神的に健康に生きられる経過であると思う。
目立つこと、頑張って評価されることで適応のストレスを代償することは可能だ。しかしそれをずっと続けることは実際上困難であり、必ずどこかの段階で頑張りきれなくなって病気になる。
何とか違う形で、大人になる途中でも適度にサポートしてくれる環境の中で自閉性を出して受け入れられるか、違う形の何らかの安定した評価(ADHDの配偶者には可能?)によって気分的に安定できればいいのだが。
子供の頃から、当たり前に振る舞ってきたつもりなので、超人的に努力したつもりはないのですが(^_^;
全てが自分に当てはまります。
なんとなく自分で気づいていたことが客観的に見てもそうだったらしいとわかって、ほっとしました。周囲から<変わってる変わってる>、と言われ続けてきた私のこの判断は、一般的見ても正しかったとわかって嬉しいです。
(私にはこれがすごく大切なことです・・)
超人的な努力をするので、極端な判断や行動に出てしまうんですね。
私の場合、この超人的な行動は、自分の快感でもあって、おまけに道徳的であると思っていたので、なかなかやめられなかった気がします。
学生時代~結婚するにあたって、うまく生きられない原因を考えるようと思い立ち、●自分がよくつまづく行動、●周囲への不満、●なぜそうしたくなるかをとことん追求、●周囲の反応等を思いつく限り紙に書き出し、グループ化したり、行動と原因と結果を図式、毎日書き直して悩みました。
その結果が、自分ぽくないな・・?と思いつつも、100%全力投球するのは控えることに落ち着き、今は比較的楽に生きています。
ただ、たまに怠けているような気がして、少し罪悪感?感じますが。 たまに暴走したくなる時は、思い切り体を動かします。
専業主婦で、ウチに1人でいると鬱々とすることがわかったので、パートを選びました(正職では精神的に荷が重すぎ)。
職場は、道徳的な環境かどうかがポイントです。
今は子供の教育現場です。正義がまかり通る世界なので、私が一番安堵できる世界ですね。子供達の中には毎年ASの子がいるので、上司は扱いに馴れてますから、直感的に私のこともわかってもらえているようです(恥ずかしながら)。安心できる場です(^_^;
それから、子供達の中には自分と同じような子がいっぱいいますので、それを客観的に眺めて考える機会が増えるし、発見も多い。これは副産物でした。子供は嫌いだったのですが、扱いにも馴れてきたし、なんかラッキーな仕事を選んだ気がします。
もちろん、たまに悩むことがあるんですが、その時は紙に
図を書いたりして、ぼんやりしています(^_^; 旦那は変なことしてると思ってるでしょうね。
ずっと100%全力投球しない人のことを奇異だと思ってきました。
ずっと、ある程度の評価を得てきて
あるとき破綻してからは
やはり、ここにあったように
自分を見つめ直す機会となりました。
ASっぽくいきるといっても、なかなかいきてく事自体が
難しかったりするので
自分を乗りこなすのは大変ですね。
でも、自分を知ることは大切で
知らないモノには乗れないので
色々と行動パターンや認知パターン、またある程度の適応行動リストを
頭に入れてその上で無理なく
過ごしてゆくような調整ができるようになればと思います。
中学時代は超人的努力でした。
そうやって受け入れられたと思っていたのですね。
高校時代は高度な社交性についていけず、神経症になり、中退しました。
今でも超人的努力をしていると思います。
そうして集中している時が癒される時でもあります。
SSRIを服用していますが、ぶっ飛んだ判断、過度の集中は相変わらずです。
休憩をとる時には、口を開くのが辛い位固まってます。
私の場合は、勉強で努力をしたのは、短大時代だけのような気がします。
子供時代は、勉強嫌いで、自分から率先して勉強をした覚えは殆どありません。
短大時代の頑張りが利き、就職で自信を付けることができました。社会に認められたということで、ようやく世間の評価をゲットしたと思います。
採用になったからには、頑張りました。期待に応えようと努力しました。
期待が負担に変わり、数年後、結婚を理由に退社しました。
ところが、結婚して環境が大きく変わった途端、自分の異変に気が付きました。当時は「この若さで燃え尽き症候群?」と、思っていました。きっと、仕事で燃え尽きたんだ・・と、思っていました。
子供を産んでからも、更に大変な日々でした。自分の時間が全く持てないのは、ASにはキツイかもしれませんね。子供がお昼寝をしている時間が、ホッとする時間でした。
寝ているうちに、自転車で買い物に行くのですが、「起きて泣いているんじゃないだろうか・・?」と、ゆっくり買い物をすることもできず、メモに書いた物を、そそくさと買って、結局は帰ってしまうのでした。
その上、子供がいると、どうしてもご近所さんと仲良くしなければならないことが多いです。これがまた、ストレスでした。本当に、自分の性格が悪いのだと思っていましたが、人に合わせることがとてもストレスで、寝ないとやってられないくらいでした。
自分を振り返ってみても、よくここまで生きてこられたなと思うくらい、節目節目?に限界を感じてきました。
今は、やはり薬でコントロールできているのかもしれません。
長男がアスペです。
小1のときは「半年で登校拒否になるだろう」と担当医師(小児心療科)言われるほど教室で暴れていました。あまりにも周囲に迷惑をかけるので、程なく周囲にカミングアウトしました。そのおかげか、学校、友達、保護者の理解を得られ のびのびアスペぶりを発揮しました。
思春期までに、アスペを公開したことで、本人の心の安定を得たのか、「半年で登校拒否になると思ったのに、告知できるよになるとは・・・」と感心していただきました。・・・・思春期前にASと診断して、「自閉的な部分を適度に出しながら周囲に受け入れられる」体験をすることが一番精神的に健康に生きられる経過であると思う。・・・問いいう部分に納得しています。まさしく長男がそうですから。
私の場合は、あまりにも他人と違いすぎたので、小学校時代には、人とは違うという認識がありました。
よって、外でも自閉傾向を出していたと思います。
周りも理解できるレベルのAS症状だったので、そんなに人間関係は悪くならなかったです。
それでも、今振り返ってみると、ストレスは体の弱さ(カゼをひきやすかったり、疲れやすかったり)という形で出ていたように思えます。
だから、ASという精神的な苦痛を感じていないという意味で「普通」であり、実際は身体的症状となって現れた(普通はASとは無関係と思う)という例が多いのではないかと推測します。
>目立つこと、頑張って評価されることで適応のストレスを
>代償することは可能だ。しかしそれをずっと続けることは
>実際上困難であり、必ずどこかの段階で頑張りきれなくな
>って病気になる。
超人的な努力はずっと続けています。
ま、とりあえず65歳まではそうしようと思います。
そのほうがずっと楽です。
全部の時間を自分の学問の為に使って、それなりに
結果を出し続ければ上司に捨てられることもないからです。
あと5年とかで自分で科研費でも何でも取れれるような立場になれるように頑張ろうと思います。
そうなればボスの態度に一喜一憂することもなくなるからです。
「全員に大嫌い」と思われているならば楽なのですが、
中には「わたしを今嫌いではない」ひとがいる。
「わたしを今嫌いではない」ひとに気づいてしまうと、とても苦痛です。「いつか嫌われるかもしれない」から。
「いっそのこと今から大嫌いになってくれたほうがいい」
そういうことを考えること自体が馬鹿馬鹿しく時間が無駄なので、本当の意味での成果主義が欲しいと思いますが人間社会は難しいです。
社会にもいつもテストがあったらいいのに。
そういった意味でも論文で評価の決まる研究はいい場所なんですが。
「ASの内と外」①と②を通して読みましたが…私はこれですね。以前は読んでも意味が全くよく分からなかったです。
まぁ時代が時代なので、個人的に、思春期前の「環境調整」を今望むのは馬鹿げていると思っています。
過ぎ去った時間は返ってこない。AC的な人たちの少数集団につかまっては、最終的には各個人個人から別々の理由でキレながら説教される(集団でありながらも話の一貫性など全くないという、ゲシュタルト崩壊のような)状況の中で、誰一人、何一つも私の辛苦を信じてもらえなかった私の体験を、無かった事にはできませんから。
私よりも前に書かれたコメントの存在が、私に「1人じゃない」と教えてくれます。少しだけ、冷静になれました。