m3.comのドクターズブログβの閉鎖に伴いブログを移転しました。
これまで同様発達障害の当事者のみなさんとともに主に自己理解を深める場としていきたいと思います。
移転を機に再度約束事を確認しておきます。
1.コメントは基本的に自分自身のことを振り返る内容としてください。
2.コメントに対するコメントは禁止します。(個々人のHPやブログ等の場で行ってください)。
3.別のコメント者に勝手に診断をつけるようなことを絶対にしない。これは厳に慎んでください。
上記の約束の下に発達障害について考える場として続けて行きましょう。
平成26年12月7日 YANBARUこと後藤健治
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m3より移転しました
コメント
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開設おめでとうございます!
いやーwordpressって、自分のブラウザにはコメント表示されるのでクリップしとかなくてもいいんですねえ!これは便利ですねえ!先生は気が向いたらモデレートする、またはしない。コメント者は注意が転導せず自身の振り返りに専念できる。「聞いてもらえた気になれる」素晴らしい環境ですね!この場を作ってくださったことと参加させてもらえることに感謝いたします!!おっ「された」認知が発達してきたようですね・・・
いや「してくれた」認知だけかも。あくまでも他人事だし都合がいいですからね・・・
しかしtukatantikatanで登録したの失敗だった、たぶんここにはchikakoで登録できたんだろうなと後で思い・・・
なんかでも、コメントがm3とは違いますね。全部見てないけど・・・なんか可笑しい
m3のぶんを捨てるか捨てないか考えちうです
あっニックネームは変えられるんですね失礼しました
こういうことですよ、不注意力。のび太の人はこれで他者を疲れさせることを知っていてピクピクしているんですよ・・・
そしてまたダッシュボードで自分のコメントを時系列で確認できるのがいいですねえ!またとない環境整備で実に素晴らしいですね!
やっぱtukatantikatanでいいかということで
いろいろいじくってみてます
すいませんすいません
でもこののび太の人はこれで他者を疲れさせることを知っていてピクピクしているというのは、自身のADHD・ADDに気がついている人は全般そうだろうと思うけど、状況察知能力によってはそこに強迫的になったり。ただピクピクするだけでどうにもできなかったりするんだろうなと。
ん?最初の登録でなまえ変えられないってなっていたな?
ん?なんかこのサイトとwordpress本体との機能は違うてことですね?
ん?
新サイト開設おめでとうございます。
ふう~!やっとログインできました。結構むずかしいですね。旧ブログのアメジストですが、全角ではダメなようだったので、半角のamethystとして登録しました。パスワードを取得しますか?の欄から以前使っていたメアドを入力してクリックしたら、メアドに仮パスワードが送られてきました。その後にパスワード変更をできる欄があったので、覚えやすいパスワードに変更しました。そうこうしているうちにやっとコメント入力欄にたどりつきました。
これらをやる前にWordpressのダウンロードとインストールとかもいじってみたけど、あれは必要だったのかどうかよくわかりません。サイトの一番下にあるWordpressというところをクリックすると日本語での説明欄にたどりつきますので、そこで、試しにダウンロードしてみましたが、あれが必要だったのかどうか。
すでにコメントしていらっしゃる方もダウンロードとかなさいましたか?あれは必要なかったのかしらん。
ま、とにかく、先生、新しいブログ開設おめでとうございます。
ボランティアの皆様、お世話様でございます。
できればどこかの時点でまずログインのしかたを記載して頂けると有難く思います。
今、いろいろ準備中でお忙しいのでしょうね。お邪魔いたしました。
確かに、コメントを送信した後にそのコメントの文章が手元に残っていて、その文面の上に
YOUR COMMENT IS AWAITING MODERATION
という表示が出ているので、掲載・承認待ちコメントだということがわかりますね。
これなら自分がどんなコメントを投稿したかいつも自分で確認できるので便利ですね。
一度ログアウトしてみたら、未承認の自分のコメントは見えなくなりました。
再度ログインしたら、ユーザー名とパスワードは登録されていたので、入力不要ですぐにログインできました。
ログイン中はまた未承認のコメントが見えるようになります。ログインしっぱなしにもできるようですね。
といちいち実況中継しちゃいましたが、お邪魔しました。
たびたびすみません。新しいブログになった機会に、ルールを見直してみました。
前回の「最近の当ブログのコメントについて」から現在までのコメントの流れをずっと見てきて感じたことは、私たち「意味不明な人々」にとって、現実的には「コメントに対するコメントをしない」ことを守ることがかなり難しいことなのだなということです。
もちろんこのルールは大事なので、改めてここで見直す必要があると思っておりますが。
◎一つの例はAさんがBさんのコメントに対して何か批判的なことを言ってしまった。するとBさんはそのままでは不公平だという気持ちで一杯になり、BさんもAさんのコメントに対して何かの反論をしてしまう。そしてその繰り返しが続くというケース
◎Aさんが自分の家族・過去に出会った人・現在身近にいる人など「特定の人」について語ることが多いが、それが〇〇型の発達障害の人だとわかっている場合に「〇〇型はこうこうだ。」とか「〇〇型にこんなにひどい目にあった」などと〇〇型全般を指すような発言をしてしまうことがある。特定の人とブログの閲覧者は全く別の存在だということが曖昧になっていっしょくたになってしまいがちである。そうするとこのブログの閲覧者である〇〇型の人たちは間接的に自分たちを批判されているとか攻撃されているとか感じてしまい、しばらくはじっと我慢して「コメントに対するコメント」を控えているが、限界を超えると爆発してそのコメントに対して反撃してしまうケース
などがよくあるパターンだったと思います。
これらを全部、予防できたら素晴らしいとは思いますが、実際はなかなか難しそうですね。でも予防を目指したいものですね。
新ブログが軌道に乗るまで、勢いをつけるために、頻繁にコメントを書いていますが、ログインできて、コメントできる方が増えてきたら、私はだんだんコメントの間をあけるつもりです。(自分の過集中防止のためでもあるし、ブログやネットとの距離感を重視するために)
ログインできた皆さんはどうぞご遠慮なくどしどしコメントなさってくださいね。
新しい方は特に最初はご遠慮なさるかもしれないけれど、ご自分を振り返るいいチャンスになると思いますので、過去記事にでも新記事にでもご自由にコメントなさってください。なんて偉そうなことを言ってすみません!
今日、「本ブログについて」のページを見てみたら、ボランティアの方が改善した部分の報告を掲載してくださっていました。
閲覧者の方で、ログインできなかったり、コメント入力ができない場合は時々「本ブログについて」のページを覗かれるといいかもしれませんね。
だんだん機能が整ってくることでしょう。多くの方が参加できると嬉しく思います。
お節介コメント失礼しました。
診断から一年、ストラテラを使ってますますADHDらしくなんとか生きています。雪が降り朝起きても起動できない。タクシー必死で探してギリギリアウトだったり不都合な毎日はスムーズにはいかないけど、同じ人種を見付けて相乗りしたりして、なんとか生きている。診断受けてよかった。等身大の自分を自分でい受け入れて、ちょっとずつでもマシになればいいやと開き直ることができつつあります。きっかけをいただいた後藤先生、主治医のA病院M先生と看護師さんの方々に、家族と友人と愛しい老犬に心から感謝。行き詰まったらとにかく自分のペースで自己突っ込みしながら感謝を唱えて罪悪感はなるべくすぐ手放して、これからもヤットコサ生きていくこととしよう…。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください♪
息子が正月休みに帰省した時に、このブログのログイン方法を聞いてみたら、ダウンロードとかは全く関係ないことがわかりました。私のコメントであれこれ余計なことを書いてしまったので、念のため訂正しておきます。
皆さんはお若い方が多く、PCにお詳しいだろうから、初めからわかっていらっしゃったでしょうけど、PCオンチの私などはだいぶ戸惑ってしまったものですから。
手順としては、まず登録画面で、ユーザー名を半角英数で入力し、メアドを入力して登録ボタンを押す
⇒メアドに指定のパスワードが送られてくる⇒ユーザー名とそのパスワードを入力すると、このブログへの登録完了となる⇒パスワードを変更したい場合には変更できる⇒コメント入力欄にいける
という感じですね。
後のコメント入力に関しては、私の場合は特に問題ありませんでした。(windows7)
以上です。お邪魔しました。
ブログの開設&明けましておめでとうございます。
「平成27年年頭」のやんばる先生の昨年の反省文ですが、徹底した合理主義の考え方で、私自身「反省して軌道修正」する際の参考にしています。実際は合理的に考えて納得したものの、中々行動に移せなかったり、「自分を飼い慣らすための言い訳」にしかならないことも多く、結果的に「不合理や不条理を受け入れてしまっている」状況となり、日々自己突っ込み(を入れるもう一人の自分)との戦いです。ただ、おかげで「言い訳のスキル」は上達し、AC的に「自分が悪い」と思い込むことは減りました。
「必要最低限のことを地道に続ける努力」
これが結構難しく、気を抜くとすぐに忘れて依存に走ろうとしちゃうんですよね。
これからも、反省→軌道修正→また反省の繰り返しになるでしょうが、合理的に考えて納得し、実行することが一番ストレスが少なく「きっと私の人生、この繰り返しなんだな」等と思い始めています。
では、失礼致します。
すみません、もう少しだけ反省文を書かせて下さい。
「ベストを尽くす」という言葉ですが、私も好きで、以前からこの考え方には納得していました。ただ、落とし穴もあって「他者を動かすより自分が変わる方が楽だから」と、相手の責任を追求することを怠り、相手の問題に必要以上に介入し過ぎて「気付かないうちに相手を依存させてしまう」という難点もあります。介入し過ぎた後、依存状態に耐えられなくなり「(それまで平和的な関係だったのにも関わらず)突然打ちきれて相手を困惑させる」ことが多々あり、特に相手が「被害的で自分の言動に責任が取れない」人だと、一方的に責められ、「自分が悪い」と思い込むことで自己評価が低下することになり、状況が分からないまま相手に合わせ続け、依存状態から脱け出せなくなります。
この状態から脱するためには「相手の問題は相手の問題として考え、時には突き放し、自分のできることを精一杯行う」のが一番良いかなと。
自分がやってしまった方が早い&楽なので、こう考えるのは(本当は)面倒なんですが、相手がジャイアンだと「私自身が依存させ、相手を(身体症状等で)苦しめている可能性」があるので。
とは言え、元々は相手の発達障害の脳の問題でもあるので、(子供等を除き)相手に依存を治す意志が無い場合は、自分が相手に依存しないよう気を付ける程度で充分かなとも思います。
屁理屈炸裂の長文コメント、失礼致しました。おかげで納得して気分が晴れやかになりました。
それと「ノビ太と超能力」についてですが、これは自分と周囲の受動型ASDの人との関係を振り返って気付きましたが、確かに、しばらく相手の非言語(らしきもの)を無視し続けた後に打ちきれて「何が言いたいの?」「はっきり言いなよ」と(屁理屈含み)言い返すと、その後一変して、私に対し媚びへつらうような優しい態度になることが多いです。最初は私のことを怖がっているのかなと思ったのですが、それ以降は私に対して、言語での説明が細やかになるので、この記事の内容に当てはまるかもしれませんね。
「自分の方がおかしいから」「きっと言っても分からないから」と、不合理や不条理を我慢しないで、始めからはっきり言語で伝えれば良かったんだなと思いました。
先生、「不合理と不条理」についてコメントさせてください。
私の考える「不合理・不条理」は、かなり偏屈で屁理屈に近いと思いますが(思春期レベル)。
よく交通ルールを守らない人を見掛けますが、自分が守っているルールを他者が守らないことに対してはまだ寛容になれるのですが、「ルールを破るよう強要された時」は納得できないので言い返します。「それは暗黙の了解であり、皆がやっている普通のことだから」と言われても、「ルール違反が見つかれば、結局は罰せられるでしょ?」といった感じです。ルール違反をした自分が悪いのだから、罰せられても自業自得です。
個人的に、「ルールを破るよう強要する」人には、その人なりの考えがあることは理解できます。例えば、速度を守って走っていると、後ろからクラクションを鳴らされ、追い抜き際に睨み付けられることがあり、その時は腹が立っても後で考えると「(前の車との)車間距離があるのだからもっとスピードを出せば良い」という「暗黙のルール」が存在するのだと理解できる。でも、納得して自分も速度超過しようとは思わない。暗黙のルールは誰にでも「公平・平等」に与えられたものではなく、やはり交通ルールに勝るものではないから。結局は「クラクションを鳴らすことで、スピードを出させ、速度超過することを要求した」訳で、「不合理・不条理を強要された」ことに怒りを覚えたのでしょうが、もし警察署やパトカーの目の前でも堂々と前の車を速度超過して追い越して行ける度胸があるなら、ある意味許せるかもしれない…等と思いました(できるわけ無いですよね)。
要は「『暗黙のルール(了解)だから守る』という理由で我慢すれば、交通ルールなんて意味が無いし、必要無いよね」という結論に辿り着くのですが、世間では「不条理・不合理が当たり前」なので、すぐに壁にぶち当たります。
とりあえず今回のことは「相手のクラクションを無視して制限速度を守って走ったから、事故を起こすことも無かったし、自分が正しかったのだ」と考えることにしました(仮に捕まったとしても、「後ろの車が速く走れってうるさいから仕方無かったんだ!」なんて言い訳は通用しませんし、クラクションを鳴らした運転手が、代わりに責任を取って捕まってくれるわけでもないので)。
という訳で、「暗黙のルールは受け入れられない」という結論に達しました。これからも社会的なルールに従って行動していきます。
あと先生、「自分自身を振り返る場」を設けてくださってありがとうございます。おかげで「反省→軌道修正」するための合理的思考が身に付きやすいです!
交通ルールについて、学童期のことを思い出しました。
(まだACになる前の話ですが)歩行者用の信号機が赤で、いつもなら真面目に止まって青になるのを待っていたのですが、その時は何故か気持ちがウズウズして「信号機の無い場所だったら、赤信号を無視して渡っても問題無いよね」という屁理屈が頭に浮かび、横断歩道から少し離れた場所で渡ってしまったことがあります。それを何度か繰り返しているうちに車に轢かれ、それからは真面目に信号を守るようになりました。
思春期以降、他の人達が「赤信号を守らず、(車や他の歩行者の動き等)状況を見ながら渡っている」姿を目にすることが多々あり、「真面目に青になるまで待ち続けている自分がおかしいのだろうか?」と思うことがあります(←ACだったり、「人からの要請」による依存性からくる発想だと思いますが)。
いまだに赤信号を渡ることには抵抗がありますが、先程のような屁理屈の発想で「現実的な抜け道」を探して臨機応変に対応することは好きだったりします(たまに植木が邪魔して渡れなかったり…その時は真面目に信号待ちしますが)。なのでこの考え方で「暗黙のルールも受け入れられるかも」と思いましたが、ちゃんとした交通ルールが存在する以上、難しいですね(汗)
多数派や空気が読める発達障害者は「状況に応じて不合理や不条理を受け入れられるし、それをストレスにも感じないのだろう」と思いますが、私の場合は、こういった「屁理屈」があるからこそ、自分にも他者にも寛容になれると思っています。先程の屁理屈も「空気に代わるもの」であり、あった方が「自分もそれだけの人間である」と受け入れることが可能ですから。
「のび太と依存」にあった「現実状況だけを見て人を見ていない」についてです。
例えば「自身の辛さを訴えている」人を見ると、私は「現実的な解決策は何か無いだろうか?」と考え、自身の経験や知識を元にアドバイスしたり、自分ができることなら何か手伝おうかなと思ってしまう。
最近は少し成長したのか、「自身の辛さを訴えている」人を見ても、「もしかしたら、相手は現実的な解決策を求めているわけではなく、ただ愚痴を聞いて欲しいだけかもしれない」と考え「そうですか、大変ですね」とすんなり返すことが多くなりました。
これも一つの「不合理・不条理」かもしれません。
こちらは「辛い状況から脱け出したいなら、そのための方法を考えて動き出した方が良い」と思っていても、相手はそんな気等無く「ただ単に共感・同情して欲しい」だけかもしれない。
こればかりは「空気が読めない」ため、その場で気付くのは難しく、後から反省→修正の日々ですが、相手から「冷たい」と思われるぐらいの対応の方がちょうど良いなと、最近感覚として掴めてきたところです。
発達障害について真剣に考えて、自己理解を深める場はなかなかないので、このブログが存続してくれて有難かったなあとつくづく思います。
多くの方が参加し始めてくださって(ROMの方も含めて)、嬉しいことです。
あのぅ他の方のコメントへのコメントになる自覚がある場合は返信にすればいいのでしょうか??完全に返信とする、会話となる内容にして、返信機能を使えばいいのでしょうか。てことでしょうか。
以前の >〇〇さん という呼びかけを返信機能で行うのかなと思ったけど、、、、
「本ブログについて」のとこにコメント欄をもうければ問い合わせフォームとして使えるのではないかとか思いますがどうでしょうか、、、
先生、横レスが続いてしまって、すみませんでした。
ADHDさんとのやりとり、理解が深まりましたが
ルールに戻って、この辺で切り上げます。
元コメントからすっかり離れて、私の詭弁についての続きです。
私の詭弁は「悪意」の自覚は無く、目的達成のための手段以外の意味は無いのです。
この場合、その詭弁が余りに不合理、不条理の極みであれば、当然、目的を達成することが困難になります。「そんな無茶苦茶な論理が通用するか!」と抵抗されてしまうから。
なんで、詭弁を捻り出す能力が研ぎ澄まされていくのだろうと思うのです。
そこでは自身の目的達成が関心の全てで、「言われた側」がどう思うかについて、全く計算にないのです。アホですね。
で、なんでこっちの記事に引っ越してきたかと言うと、実はこのブログの約束事について詭弁を用いて理解していたのです。
約束事3には「厳に慎んでください。」と書いてある。しかし、約束事1、2にはその様に書いてない。
つまり約束事1、2は「厳に慎む」必要は無い。と。
なぜ、その詭弁が必要かと言うと、私がこのブログで他者のコメントにコメントしたいという衝動について、それを実行する論拠として必要なのです。
であって、この約束事を定めた先生に対する「悪意」は無いのですよ。欺こうとか、侮辱しようとか。
また、この説明自体を屁理屈と感じる方が大勢いらっしゃるであろう事も想像は可能です。一応。
で、この約束事の理解について私が詭弁を用いていたとなぜ自覚したかと言うと、そもそも他人に興味がないので約束事1と3については大して努力しなくても守れるのです。
でも約束事2については頻繁に逸脱してきた訳ですが、その様なコメントを続けていると、私が普通に守っている約束事1,3を破る人が出現するのです。
そうだよね。ここは発達障害者の集うブログだもの、みんな理解は自己流だよね。
どの約束事を守ってどの約束事を破るかは、全部その人の理解次第。
コメントの流れを見て、約束は反故になったらしいと思う人が現れても不思議じゃない。
ついでに言うと、約束事1について「基本的にA」なら「基本的でないならnot A」と詭弁を用いて理解する人が現れても不思議じゃない。
ああ、そうか、だから「厳に慎むべし」の約束事3以外に約束事1と約束事2も必要なんだって分かりました。
とりあえず「コラコラ、あなたの事じゃないよ。誤解しないで。」ってコメント見たら、それは誤解される書き方したほうの責任って事で、、、
反省。
なぬっ!
おまい、みんなで一緒に悪いことしていたのに、雲行きが悪くなったら真っ先にセンコーにチクルやつかよっ!!!!!
要するに「自分の衝動をコントロールできない理由に詭弁を使うな」と自覚したって話です。
・・・・わたしも、自分のはた迷惑ストーカー行為を反省してるところでありますm(__)m
「ロックオン」するなんだか外れなくなくなる。
私は関連付けている。
・・・あなたは私の父である・・・
父は理系的に頭が良くて、非合理的な人達を徹底的見下していた。
見下される代表者は母だった。
母の「家」に住む工場労働者のくせに・・・
それででも・・完全に父を嫌いになることはできないけどね。
子供のころの私は父の行ってることは正しく、非合理的なひとはバカなんだと思い込んでいたし・・。
正直私がこどものころは父を「孤高の天才」と思っていた。
ある日、出身高校の偏差値を検索すると60なくて本当に驚いた。偏差値60なんてようするに普通じゃん!中の上ってやつじゃんっ!頭がいい事を自慢するなら、最低でも65、正直言って70前後は欲しいところ・・・なのに・・・。裸の王様、井の中の蛙、そう思って目が覚めた。
けれど「孤高の天才」と一番思っていたのは父ではなく、母だったんじゃないだろうか・・・。
子供の私は「母の思い」を取り入れたのではないだろうか。
本家の一人娘として生まれて、選んだ夫は地元の有名私立高校を卒業し、名の通った企業に就職し男。ところが数年で失業し、国が用意した失業者専用アパートに移り住むことになる。そんな母を支えた幻想。
あ。そうだっ!
その当時、私は保育園の先生から嫌がらせをうけいた(←あとになって気づいたんだけど・・)
おやつの時間に並ぶと手を引っ張られ、あなたは一番最後だと後ろに並びなおされたりした。
ある日、保育時間中であるにもかかわらず、お昼ご飯前に家に帰れと外に放りだされた。とこ家に鍵がかかって入れず、仕方なく公園で時間を潰していたら2,3日寝込むほどの日射病になったのだっ!(水も飲んでなきゃ飯も食ってないし・・・)
マジ殺されるところだったヨ
保育園児にご飯を食べさせず、園から放りだした保育士のリクツは案外簡単に想像できる。
そして、そうやって大人になった子供たちの一部は、彼らのリクツで、社会に復讐するんだろう。
はじめて書き込ませて頂きます。
私はADHDのACと思っていて、こちらを見ているとASD・LDも当てはまりそうで
まだ診断も受けておらずはっきりしていませんが大変役立っています。
こちらのブログを数年前に見つけたときは用語など、お話が深くて理解できず、
最近また探して呼んでみると役立つことばかりで色々と読ませて頂いています。
ただ、新しく読み始めたのでどこからどう読もうか、
コメントはどう付けたら良いのか、けっこう戸惑うことがあります。
そこで、運営者さまへ届くかと思い
この場を借りてお願いを書かせて頂きます。
・古い記事から順に読んでいきたいので、年月別のアーカイブがあると助かります。
カテゴリ別に見ていると、「前回○○について書きましたが」といった記述があり
該当記事がどれなんだろう、と思うことがあります。
・コメントを利用する場合のルールがあるようですのでルールだけを掲載したカテゴリ
もしくはページがあると助かります。
どういう風に考えると良いのか?何度も書き込んで良いのか?etc
旧サイト・旧ブログからの流れがあるようですし、
常連の方に浸透しているであろうルールがひと目でわかる解説が
「一箇所」にまとまっていると、混乱しないので助かります。
以上ご検討頂けましたら幸いです。
ちなみに主にPCから閲覧しております。
既にそういった機能・該当ページがありましたらすみません。
ご指摘頂けると助かります。よろしくお願いいたします。
ご返信おそくなりました。
取り急ぎ、年月別のアーカイブのための改良をいたしました。
読みやすいサイトへ検討しておりますが、取り急ぎよろしくおねがいします。