孤立型ASDについての理解は時間とともに深まっている。
今回第二段をまとめてみる。
この人たちの特徴を一言で言えば、「イヤなことをしないことに一切罪悪感を感じない」と 言い表せるだろう。
ある思春期の小学5年生は、本人のこだわりで一部しか授業に出ないことに対して、「クラスメートからずるいと言われることを気にすることは無いの?」との質問に、「実際に言われているけれどもそれが何か?」と涼しい顔をしている。
このブレなさ加減が孤立型ASDの真骨頂とも言うべきところだ。
ノビ太型ADHDは嫌なことをしなかったら「自分は逃げていて良くないのではないか?」と 必ず考えて、そうこうしているうちに結局嫌なことをする羽目になる。
ジャイアン型ADHDは逃げていると人から指摘されたら大変なのでとても平気ではいられない。
受動型ASDも外モードでは周囲に合わせるのでこれほどオレ流にはなり切れず、元祖オレ流の積極奇異型ASDはそもそも「逃げる」など自分にも周囲の人にも絶対に許さない。
(自分のこだわりに当たらないところの)欲の無さは受動型ASDに近く、「高校受験で少し頑張れば一つ上の高校に行ける場合に頑張って上のレベルに行くか?」という質問に対して、「今行けるところに行く」と欲の無い回答をする。
ジャイアンや積極奇異型のように欲深ではない。
ASDの中では、人への愛着が自分のこだわりのはっきり下位に来ることが特徴だろう。
「自分のこだわり1」、「自分のこだわり2」、「自分のこだわり3」、「人への愛着」といった順序、価値観の優先順位になっている。
二番目以降のこだわりなどについては、「自分の中で優先、と言うことになって順位を細かく入れ替える」という自己調節で結構柔軟に対応できる。
上記の「平気で逃げる」ところと合わせて見ると、「結構器用」という印象になり、逆に発達障害っぽく見えないことも多い。
唯一の弱点は、「こだわりの一番はコントロール出来ない」ということだ。
時間もお金も 自分のこだわりの一番にはセーブ出来ない。
たとえば「翌日用があっても本を読むのをストップ出来ない」等、本人も悩むがコントロール困難となる。
私はジャイアンであるが、ジャイアンから見るとそのブレ無さ加減が清清しいほどに「カッコ良い」。
ジャイアンは実は小心者でブレまくりなので、うらやましいと思う。
不思議なことに、すっぱり思い切り良くイヤなことをしないでブレないと、多数派も仕方なく受け入れてしまうようだ。
「とりつくしまが無い」というのに一部共通するか?
yanbaru先生、ブログでは初めまして。
>私はジャイアンであるが、ジャイアンから見るとそのブレ無さ加減が清清しいほどに「カッコ良い」。
これは、私もジャイアンADHDなのでやっぱり共感しますねー。
ASの「外と内の境界を少しずつぼかしていく」というのは環境調整でいうとどのようなことになるのか具体例をお聞かせ願えればありがたいです。物理的に外と内がつながっているということでもよいのでしょうか。
ぶれるのは地球上ではふつうなんです。地球が自転してるのは軸がぶれることから証明されたんだもの。だから、ぶれるのは私はなんともないです。重力の影響の受けなさ度で、受けない人ほどぶれずに高く飛べるでしょう。宇宙人であることはわかるけど、地球人かどうかがわからないと、数学のできる子が言っていました。かっこいいですねえ。
先生のところで検査をしてもらえないでしょうか?私の子供は、弱視で、何かの本かネットで弱視の子は発達障害の子が多いとあったのですが、中学になりましたが、やはりそうなのかもと思う場面は多々あります。時間管理かまできない、宿題はしない、毎日同じ事で怒られてます。学校でも話を聞かない、マイペースなのか心ここにあらずという感じで先生を怒らせて学校の席も先生の横等に座るのが当たり前な感じです。今の感情を優先して物事を進めている感じがします。あまり友達はいませんでしたが、中学からは部活に入り、楽しく過ごそうと頑張ってます。ただ難儀だから行かない等サボる時があるので、そろそろ部活も居心地が悪いものになってきている気がします。暗記力は抜群、本が大好きです。彼の状況を明確にして大人までにできないところについて、改善するか対策するか考えていきたいのです。どうぞご検討下さい。よろしくお願い致します。
先生はたたかいの真っ最中でお忙しくされているのか、
ご更新がないようですがこちらのブログの強力なファンのひとりとして気長にしております。
過去の記事を読み直し納得する日々です。ご掲載の分類表も貴重な資料であやふやだったものが、膝をうち確信に変わることがあり、感謝しております。とにかく一度お礼を申し上げたくてコメントいたしました。
父は、孤立型が近い気がするのですが
身内の葬式に出ませんでした。
葬式に出ない。
もう決めたから出る必要はない。
建前とか、人の顔色伺ってニコニコして愛想ふりまく意味がわからない。
出ないと言ってるんだからそれでもう答えは出てる。話し合うことなんてどこにもない。と、結局出ませんでした。
全て白か黒です。白か黒が極端すぎて周りが戸惑っても、人からどう見られるかも気にしません。自分が決めたことは、多分ぶれない気がします。
私が先生の孤立型asdの考察を拝見していて一番驚いたのは愛着の優先度が下位に来るということです。
ところで先生は以前、asdの対人認識の考察”http://dryanbaru.xyz/?p=549″で以下のように仰っていました。
>つまり、愛着の対象に対しては「個体認識」だけとなり、>それ以外の相手には「理科実験的」になるということだ。>一人の相手に対して両方の捉え方が共存することがない
愛着の優先度が低いので、他のasdと比べても個体認識の部分が目立たず、その部分でも見かけはADHDと似ているのでは無いのでしょうか。
ブログご更新はなかなかのようですが、
ご自身が思うまま真っ直ぐおすすみください。
先生の記事は常に目から鱗です。
先生の記事のおかげで助かっている者が
たくさんいることを
忘れないでください。