ジャイアン型ADHDは「衝動統制の障害」である。「我慢が出来ない」ところが出発点で、3歳前後の幼児期に我慢するためのスタイル(適応型)を二次的に身につけ、それを「一つ覚え」で生きていくため、思春期以降に二次的な不適応を起こす。
昨年の7月に私は6分類(下記)を考えてHPに掲載したが、最近「ジャイアンの躁うつ病」をこれと同じように説明できるのではないかと思いついた。
つまり、上記の幼少期に「調達する」適応型のスタイルは、「理由があるから我慢する」、「ほめられるからその代わりに我慢する」、「依存相手を怒らせないように我慢する」などの我慢するための自分なりのシステムなのだが、「躁うつ病」自体がそのシステムの一つではないかということだ。
躁うつ病の特徴は、「厳しい現実の否認」であると私は考えている。
躁状態のときは、誇大的、病的な万能感になっているので「現実が厳しいことは見えなくなる」。
うつ状態のときは、脳が減速して「何も考え切れません」ということになって、結局どちらでも厳しい現実は「見なくて済む」わけだ。
甘やかされ、尻拭いされて、いったん「我慢しない」という衝動統制を身に着け、子供のうちは尻拭いしてくれる親族をかさに着て他の人には横暴を働き続ける。
ところが思春期にかかり、どうしても「思い通りに出来ない事態」になって、親族の尻拭いも限界になると、(ここから見た目に走って摂食障害になったり、ヤンキー集団に依存して非行に走ったり、いろいろに分かれるが)、「都合の悪いことはうつで出来ない」という上記の適応型を身に着けるという考え方が出来るのだ。
衝動統制のメカニズムとしては、「何も我慢しない。都合の悪いことはうつで出来ない」ということになるか。
こう考えてみると実にうまく出来ている。「我慢しない」というスタイルを思春期以降も続けて、困らないための「適応型」が躁うつ病なのだ。
最近、以前なら「自分勝手な人」と言われていた人や境界性人格障害と言われた人が「躁うつ病」と診断される流れになっている。
例えば職場のストレスによる「うつ」状態で休職したとして、休み中は逆に元気で、時には海外旅行に行ったりする。復職直前になるとまた「うつ」が再燃して結局復職がうまく行かないで何度も繰り返す、というようなケースが典型的だ。
上司から注意されたりすると、「パワハラ」だと言って訴えたり、そのせいでうつになったとPTSD(心的外傷後ストレス障害)であると診断を希望したりする。
こういうケースを抗うつ薬で治そうということだと思うが、そうすると、「望みどおり躁状態にキープし続ける」ということになるのだろうか?
根本的には、「衝動統制の障害を持つ発達障害」と診断して、とりあえず「理由が
あるから我慢する」という合理的衝動コントロールのところまでトレーニングして新しい適応型にリセットするしかないように私は思う。
大学受験のときに、他にいろいろな辛いことが重なったこともあってうつ状態となり、毎日親や社会や他人の所為にしていたことを思い出します。
内科医院に自分で受診し、マイナートランキライザーの眠剤を処方されましたが眠くなるだけなので自己中断。
勉強は手に付かず、ファンタジーの世界に逃避する毎日。
2狼して「もう予備校に行かせる余裕はない。こんど失敗したら働け」と親に追い込まれ、死に物狂いで勉強してなんとか合格しました。
もちろん調子の悪いときや弱気になったときは、あっさりファンタジーの世界に逃げ込んでいました。
自殺を考えたこともありましたが、自殺する度胸もありませんでした。
大学生になってサークルの幹部をやらされたり、社会人になっていきなり過酷な世界に放り込まれたり、この頃から自分でなんとかせにゃあいかん、という姿勢が身についてきたように思います。それもほとんど無理やり。
だから今でもときどきうつ状態になります。
でも今はどうしてそうなるのかがはっきりとわかっているので、自分なりに脱出する方法を模索できます。
もちろんYANBARU先生やコメントされる皆さんのおかげです。
私は最愛の人を亡くした時に、すべての感覚を失ったような時期が
ありました。呼吸は浅くなり、食べ物の味がしなくなり、何よりも
人との交流で何かを感じるということがものすごく希薄になったよ
うな気がします。
事実として彼の死因には過労や重なった医療ミスもあったのですが
感覚を失っていた私には、会社や医者を責める事は出来ませんでし
た。
「忘れる」という事は悪い事のように思われがちですが、私が一つ
の能力であるとも考えます。なぜならそうやって記憶が薄れていか
ない限り、苦しみは続いただろうからです。
去年、ジャイアンの当事者の方との出会いがありました。最初に私
が感じたのは激しい「怒り」でした。その時、久しぶりに感情をむ
き出しにできたのだと思います。それからは泣いたり笑ったり、自
分の心と素直に向き合えている気がします。彼には本当に感謝をし
ています。
その人は「PCでいうとウィンドウズのまどが開きっぱなしで、実行
しているものだけ前面に出ている感じ。どこかぼーっとしている。」
という話をしてくれたことがありました。
Paul Carpenterさんのお話を伺っても、記憶というのはどこまでも
鮮明で、私のように忘れてしまうのではなく、過去の辛い事を何回
も何回も考え直しては克服してこられた様子がうかがえます。無理
矢理とおっしゃってはいますが、努力を重ねてこられたのですね。
私もこのブログと皆さんのコメントに感謝しています。
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はじめまして、くろうさぎです
アスペルガーとADHDと鬱病の当事者であり、今はフリーターとして近所の古着屋で勤務しており、お金に困ったら親戚に頼って生きています
生まれ育った家庭環境が普通に比べてかなり酷いものでしたので(父子家庭+貧乏で生活保護世帯だった+虐待を受けていた+亡き父が世間知らず+両親が多分発達障害)もしかしたらACもあるかも知れません
近況としては、友人と障害の認識について喧嘩になり、不和が続いております
YANBARU先生のHPとブログを見て、長年の自分とは何か、どのような生き方をすれば良いのか、という疑問が少しずつ氷解していっています
健常者を目指すのではなく、発達障害者として生きるという言葉に感銘を受け、また支えにしています
YANBARU先生のHPとブログを見て、疑問に思ったこと、自分の発達障害に対する認識を述べたいと思います
ブログのコメントに投稿という形をとらせていただいたのは、このブログの閲覧者に見ていただきたいと思ったからです
また「ジャイアンの躁うつ病」という記事に共感したからでもあります
確かに躁鬱病は、ジャイアン型に取ってはとても優れた現実逃避方法だと思います
私はジャイアン型ではないですが、そうなりたいという願望はあります
周囲の迷惑を顧みず、自分勝手に大いばり出来たらどれだけ楽に生きられるのだろう、と
実際はそんなことをしたら誰も私を援助してくれなくなって四面楚歌になるので、その願望を殺しているのですが
また、そういったジャイアンの躁鬱病の記事は私にも当てはまり、軽い病状のはずなのにそれを大げさに、自分の中で拡大解釈をして表現して楽をして嫌なことから逃げてきました
かかりつけの病院ではそんなことしても自分のためにならないので正直に症状と軽重を主治医に伝えていますが
YANBARU先生の書かれた、YANBARU先生から見た発達障害の実態を見て、自分の正体を少しずつ知ることが出来てとても感謝しています
続きます
コメント(2/3)
YANBARU先生のHPを見て、疑問に思ったことを述べたいと思います
YANBARU先生の書かれたADHDやアスペルガーの実態を見ると、どうもADHDとアスペルガーの合併という実態をあまり視野に入れていないんじゃないかと感じます
もし違っていて、まだ書いていないだけでしたら申し訳ありません
私の特徴をざっと述べますと、
・注意散漫である(カクテルパーティ効果+注意フィルター説が私には普段ないが、過集中の時は極端に作用する)
・衝動的である
・時折、情報を情報として把握出来ず、音だったら雑音にしか聞こえず、文章であればただの文字の羅列になり、最悪の場合、視界や耳に入っても認識ができない
(例を挙げれば視界に入っている目覚まし時計を探し回っている状態、または人の声はするが自分は全く聞こえない状態)
・他動(外見も内面も。常に動き回っていて、頭の中もいろんな思考がぐるぐるとスライドショーのように変化している)
・短期記憶が弱い(数秒前にやろうとしたことを忘れる)
・記憶をすることはある程度できるが、適切な時間、場所、場合に引き出すことが出来ない(例えば、用事の数分前に用事を思い出せず、用事の期限が過ぎた頃に思い出す)
・それぞれの情報を関連づけることが苦手(パソコンに例えると、ファイルをダブルクリックしたときにそれに適したソフトが立ち上がらない)
・状況把握が正しくできず、事象が済んでからその事象の適した対応を思いついて後悔する
・状況変化が苦手で、たまのイレギュラーで軽くパニックを起こして普段出来ていることが出来なくなる
・感覚過敏(青臭い食べ物は見るだけで吐き気を催すほど嫌悪する、金属音が苦手、怒鳴り声が苦手)
・文章を内面まで正しく理解できない
続きます
コメント(3/3)(申し訳ありません、文字数を勘違いしていて区切りを間違えました。まだ続きます)
頭の中が常に他動であることと、状況変化が苦手であることは矛盾しているように思いますが、実際に私が自覚していることであり、私も疑問に思っています
ADHDの症状もありますし、アスペルガーの症状もあります
またWAIS-Ⅲの結果は、IQ/群指数が、言語性が114で、動作性が92です
内訳は、
言語性尺度の言語理解(単語14、類似11、知識10)、理解14、作動記憶(算数7、数唱7、語音5)、
動作性尺度の配列8、知覚統合(完成9、積木6、行列8)、処理速度(符号4、記号9)、組合5、
です
言語理解と理解以外は全て平均の10未満です
時間がありましたら、アスペルガーとADHDの合併についてどう思っているのか記事にしていただけるとありがたいです
続きます
コメント(1/3)
余談として、YANBARU先生の意見に異議を唱えたいと思います
YANBARU先生は発達障害を少数民族と定義していましたが、私は違うと思います
というのも、中国の歴史を紐解きますと、いくつかの少数民族が多数派の民族、つまり漢民族に併合して今日まで生きている実態があるからです
他民族が漢民族に融合することを中国化(または漢化)と言いますが、歴史を紐解くと、この事例が結構多いのです
百年前までは清を統治していた満州族は、今や、満州語が消滅の危機に瀕する言語の1つになっていることからも少数民族が多数派民族に融合していったことがわかります
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%8C%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%AD%8F
がわかりやすいので、百聞は一見に如かず、見ていただけたらと思います
二つ目は参考資料も載っていますので、もし興味がございましたら一読をおすすめします
医学の専門であるYANBARU先生なら今更だと思いますが、何か学問をするのであれば、一次資料に最も近い文献か一次資料を見るべきだと私は考えております
つまり何が言いたいのかというと、少数民族も多数派になることができ、多数派として生活が問題なく出来るのです
ですので、どうあがいても健常者、つまり多数派になれない発達障害者=少数民族という定義は私の中では成り立ちません
続きます
コメント(2/3)
話を変えまして、私自身の発達障害に対する認識ですが、
私は発達障害者は極端なまでにシングルタスクしか出来ない人、と定義します
たとえばアスペルガーはコミュニケーションを苦手としていますが、これも先ほどの定義で説明がつきます
まず、コミュニケーションで一番身近なのは会話です
会話の行動を発達障害者仕様に分解しますと、
会話=(相手の話を元に、またはその時の状況を踏まえて)自分の考えをまとめる+それを元に自分が言語を発する+(話したい相手を探す)+他人の言葉を聞く+相手の話を理解する+相手の話から何を言いたいのかほぼ完全に把握する(相手の口調を見る+相手の表情を見る+相手の行動を見る+それらを元に相手が何を言いたいのか考える)
になります
先ほどの定義を引っ張り出すと、発達障害者はシングルタスクしかできないので、アスペルガー、発達障害者にとって会話はとても難しいことなのです
だからコミュニケーションに支障が出るのだと考えます
基本的に発達障害者は原始的な行動を元に世の中を見ていると思います
先ほどの会話の例を挙げますと、簡単に言えば、会話=考える+自分が話す+相手の言葉を聞く+相手の言葉を理解する…
となって、健常者が一つの行動だと思っていることが、発達障害者にとって複数の行動の集大成だととらえていると思います
アスペルガーとADHDのシングルタスクを比較しますと、
アスペルガーはシングルタスクしかできず、それに固執する状態、
ADHDは大量のシングルタスクが頭を行ったり来たりしている状態、
だと思います
また発達障害者が周囲の複数の事象を見聞きし、情報を仕入れることが苦手な理由に、シングルタスクしかできないことが挙げられると思います
目的地に向かうことや、空想にのめり込んで外の情報をシャットダウンしてしまうのです
私の場合、目的地に着いたとき、相手に聞かれても目的地に向かっている最中を説明することが苦手です
精神年齢の発達が健常者に比べて遅れる理由の一つだと思います
発達障害者の精神年齢の遅滞についてはまだわからないところもありますので、そのことについてYANBARU先生の見解をお聞きしたいと思っております
続きます
コメント(3/3)(これで終わりです)
長文で、コメントを連続投稿して申し訳ありませんが、YANBARU先生の文章を読み、YANBARU先生が私の心の支えになっているが故に、自分の考えがある程度固まり、それをYANBARU先生に伝えたかったのです
少しずつでも良いので一読していただき、返事をしていただけたらこれに勝る喜びはありません
返事はブランクが空いてもかまいません
また私のコメントが承認すべきものでないと判断された場合はそれでもかまいません
では失礼します
「心の貧しいものは救われる」
キリスト教の言葉。どんだけ成長しようともがいても、自律しようともがいても自分勝手なままでしか生きられないジャイアンの救いの言葉のように感じます。
夜と霧の著者である精神科医フランクルは次のように言ってます。
人間に最も深遠なる意味を人生に与えるのは,自らの運命に率直に苦悩することである。
ジャイアンである僕。自分という運命に真正面から逃げずにぶつかっていこうと思います。
あの・・。
↓↓↓が最高に意味不明なんですけど(;一_一)
私は発達障害者は極端なまでにシングルタスクしか出来ない人、と定義します→ → →
ADHDは大量のシングルタスクが頭を行ったり来たりしている状態・・・・(?)
・・大量のシングルタスク(??????)
>らいむさん
>>シングルタスク
マルチタスクの反対語です
同時に一つのタスク(作業、学業、仕事)しか実行できない方式をシングルタスクと言います
簡単に言えば同時作業が出来ず、一つ一つ順にしか出来ないととらえていただければと思います
シングルタスクで改めて調べたらIT用語なんですね
あまり日常に馴染みのない言葉を、説明なしに使ってしまって申し訳ありません
大量のシングルタスクというのは、例えば「メモを書く」「本を読む」「目覚まし時計を探す」のようなタスク、または大量の画像や音楽がスライドショーのように絶えず動き回っている様子のことです
コンピューターで言えば、窓が立ち上がっては閉じて、立ち上がっては閉じて…という風にループしている状態だと思います
言い回しがわかりづらくて申し訳ありませんでした
ADHDの二次障害として、躁うつ病は多いですよね。その躁うつ病に対し、適応型のスタイルとして捉えようとしていますね。私も、ベースに発達障害があるならば、社会適応のために独自に身に着けたスタイルとして考えてもよいのではないかと思いました。
先生は、躁うつ病の特徴を「厳しい現実の否認」と考えています。確かに、厳しい現実に直面した時、人は直視することから逃れることで精神のバランスを取ろうとするものです。躁うつ病に至る前にも、周囲の人につっかかったり、怒りをぶつけたり、かたくなになったり、別の対象に打ち込んだり、などしますね。
私の亡き父は、おそらくADHDだったであろうアルコール依存症(二次障害だろう)で、躁うつを繰り返していました。思い返すと、現実否認が強く、適応不全に陥っていることへの否認のためにアルコールを用い、直面化を避け続けていたように思います。
父の血を受け継いでしまった私は、知らず知らずのうちに同じ道を歩いてきたように思います。しかし、子どもは親を越えていく存在です。ACやPTSDの問題を解決しようと努めているうちに、仕事でバーンアウト状態となり、不適応を起こしそうになりつつも、転職して仕事をつづけました。そこで、死に直面している人々の苦悩に出会い、他人のケアをしている場合ではないことに気づきました。今度はカウンセラーに「ADHDかADD」かもしれないといわれ、このときは資格取得の勉強に打ち込むことで直面化を避けましたが、自然に導かれて発達障害の子どもたちと接することになり、直面化することになりました。
自分の特性を合理的な説明によって理解しようとすること、言語化することは、必死に適応しようとして努力している姿かもしれませんね。
>くろうさぎさんへ
説明ありがとうございます。凄い説明です。
>みさま
参りました。
退散します⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ピクピク
我慢するための理由づけ・・・。
いま一番の私の問題はネット依存再発です(T_T)
だからまた先生に約束です。
「コメントしばらく辞めます」
(先生に約束したから我慢する)
そういや、私、裏切った夫にこう言い放った事があります。
『私があなたを裏切らないのは「裏切らない」と神様に約束したからだ。あなたに約束したんじゃない!!!』と。
先生・・・。あれは躁転だったのでしょうか。
気分は十字架の前に立つイエスキリスト。甘美な場所。
神様の懐に抱かれてこのまま消えてしまいたい。
・・私は薬がなくてもラリッていられる・・・
・・もしかしてこれが悟り?・・私は努力しなくて悟ることができるすげ~人間なんだっ!!!!
・・・と・・・あのころ・・・考えたりしていました・・。
(実はまだある・・恥ずかしくて書けない・・・)
とりあえず今は、やっぱあの頃変だったと思えるぐらいはまともになりました。
いえ・・この文もなんか変でまともじゃないような・・。
気持ちのままに書いたらこうなってしまいました。
先生。ちょっと聞いてくれて(いえ・・かまってもらった気分にさせていただいて・・)ありがとうございました。
私は、らいむさん(らいとさん、ちひろさん)に対し、かなり酷な言葉を投げました。感情に任せてコメントしたのではないのですが、適切であったかどうかを今後考えていかなければと思います。(先生が私のコメントを掲載した理由も含めて)
そして、静観してくださった方々に感謝いたします。
私は以前、「今はトンネルの中にいるけれど、出口の光が差し込んでいる」ということを、信頼した他者に伝えたことがあります。その後、あがきの過程を経て、トンネルを抜けたように思います。というのも、ファンタジーと現実の間をさまよい、現実に生きる決心をし、必死に現実を追いかけたからです。
これを可能にしてくれたのは、50代乳がん女性で頸部の骨転移によって寝たままの生活を余儀なくされた方の、あきらめの境地から生きたい(家庭に帰りたい)という気持ちの表出にありました。私はその取っ掛かりにかかわっただけで辞職してしましましたが、彼女はその後、看護スタッフの支援により自宅に帰られて数月の日々を過ごされたようです。
私は職を去るとき、彼女の部屋で泣きました。このとき、感情に溺れて看護になっていないという理由から一般病棟への移動を言い渡された直後だったからです。それでも彼女と約束をしました。「お互いに自分の人生を生き切る」と。
彼女はその約束に生きました。私は、命が尽きるまで、この約束を破るわけにはいきません。
人はそれぞれ、かかわった人に影響されて生きており、かかわる人に影響を与えて生きています。それをどのように解釈し、生きていくかは、その人、個人です。
このブログを読んで、思うのは、率直に自分の醜い部分をみつめてる人が多いなって感じました。
自分を善意な人間にしたてようと思えばいくらでもできるんです。ボランティアにしたって綺麗事を言うにしたって、いくらでも、自分の中の醜悪の部分を覆い隠すことなんてできる。
最近だと偽ボランティア医師問題。本人は善意でと言ってるけども、被災者にとっては迷惑な話で、そして、なにかしらの醜悪な部分を隠してるんだと思います。
善意を装うくらいなら、醜悪な分を醜いと認めてる人間の方が清々しい。
ジァイアンは外にも明らかに醜い部分を開示してしまうので、醜い部分を抑圧してる人間の批判の対象になってよく喧嘩になるんだと、自分を観察して思います。
私はこのブログにコメントをしながら(奇麗事言ってるよなあ〜、私)
と落ち込んだ時がありました。
赤裸裸に自分の過去を話すコメントを拝見しながら、そうやって自分
の傷と向き合っているんだなと感じます。それが風さんのおっしゃる
醜い部分の開示ということでしょうか。それが出来るジャイアンは確
かに潔く、正直で、強い方々のような気がします。
ADHDは命が尽きるとき、きっと「良くも悪くも精一杯生きた」と満足するのではないかな。
風さんのコメントの中で、キリスト教の言葉「心(霊が極貧という意)の貧しいものは救われる」、また、フランクルの言葉「人間に最も深遠なる意味を人生に与えるのは、自らの運命に率直に苦悩することである」を紹介してくれていますね。
多くの人は、死を目前にして苦悩します(理屈の上でなく、実際に多い)。それほど苦悩することなく生きてきた人々にとっては絶望という壁(心理学者エリクソンの発達課題では、統合対絶望)です。人生の途中で多くの苦悩を経験した者は、苦悩することが少なかった人よりも深く悟ることができるでしょう。私は以前、生まれついた環境が選択できないことや障害という不遇を抱えた人々は、発達課題が逆転するのではないか、と思ったことがあります。
それにしても、「すべての山に」の歌詞、素敵ですね。気に入りました。
躁鬱とは関係ないのですが、先ほどふとac母とジャイアンの私が母が私のある作業への駄目出しとある意味の作業への強行で、過集中から途切れた私はやっと8割型出来た作業を台無しにしてしまうミスをしてしまいます。
いつもの事ながらAlways,you make my emotion to the botomme!と叫びました(笑)ジャイアンは大げさですね
この私の状態は思春期の女児の肉親、特に母親に対する不信感、けがわらしい様な身体の血が湧きあがる様な嫌悪感。
思春期はホルモンバランスが不安定な時期です。女ジャイアンは発達障害者が心身ともに発達が遅いという風に言われているだけでは無く、実際激しい自己っ突っ込みの代償に女性ホルモンが慢性的に不足しているのかもしれません。
結果として、少女の様な老成した人間の様な死ぬまでアンバランスな精神状況をもたらしているのかもしれません。
ジャイアンツと躁鬱は発達障害者にとって大きな問題です。私も同じ経験で苦しんでいる。自分が思っていることが他の人に伝わずに悩みます。他の病院などに行くが発達障害者の気持ちを言えづらい。歯医者、耳鼻科、内科などです。
ps:歯医者などの先生が大人・成人の発達障害者を理解、医療機関の先生が一番に取り組んでほしい。歯医者では発達障害者を理解されず一般の歯医者に行って先生に伝わらない。耳鼻科、デイナイトケア、内科などです。もっと、行政、民間、発達障害者支援センターなどが動いてほしい。
沖縄県などが成人・大人の発達障害者を理解する耳鼻科、デイナイトケア、内科、歯医者などが理解されず先生と口論なったり、スタッフから嫌われなどで悩んでいる。最悪の場合は雑な治療、イジメが多い。
ぜひ、先生から歯医者などの関係者にブログなどで取り上げてほしい。
中には、歯医者の先生は言葉遣いの悪さもあります。答えない、聞かず一方に治療して残念です。歯医者の先生などに言ってほしい。一般の歯医者に行っても理解されない。分かってくれない。動いてほしい。真剣に考えてほしい。行政、発達障害者支援センター、NPO法人(大人・成人の発達障害者)です。
最後に違った話しをしてすいません。YANBARU先生が読んでほしい。
adhd的にタイトルと全く関係ないコメントばかりですいません。
ジャイアンにとって生きていく生命線は生命力なんじゃないかなって思います。僕自身も、死んでもおかしくないような環境でずっと育ってきました。先生と同じように一時期離人症にもなりました。離人症はヤバいです。死なないために生きてるっていう感じで生きてた記憶があります。でも、そんな時でも、離人症の人が集まる掲示板で、死んでたまるかって吠えていました。現に離人症の時、大学の単位を全てパスしました。(それ以外の学期では結構落とした)
ジャイアンの親は、この生命力を奪わないようにすることが必要なんだと思います。つまり、庇護しない。自業自得の世界に放り投げることが、ジャイアンの生命力を奪わないことになるんだと僕は思います。
通りがかりやさんの仰ることは多少はわかる気もしますが、もう少し具体例を挙げないとYANBARU先生もお困りだと思いますよ。小生も歯医者耳鼻科は大嫌いですが。治療内容が痛くて怖くて苦しいので。でも諦めていました。
>ジャイアンの親は、この生命力を奪わないようにすることが必要なんだと思います。つまり、庇護しない。自業自得の世界に放り投げることが、ジャイアンの生命力を奪わないことになるんだと<
風さんのコメントには大いに同感です。小生も庇護されている間は自分自身がいるのかいないのかよくわからない状態でした。いじめにあっても自分が他人がいじめらているような。歯医者耳鼻科で拷問にあっても結局は他人事のような。
中学高校浪人大学社会人と、庇護から離れていく程度が大きくなればなるほど本来の生命力を取り戻したような気がします。その甲斐があり?今は庇護されそうな場面があると徹底抗戦します。
通りがかりやさんに一つ提案です。まず、障害者を受け入れている各科(歯科、耳鼻科、内科など)の診療所(クリニック)を探してみることをおすすめします。
私の住んでいる地域には障害者を受け入れている歯科医さんがいます。その方は障害者への歯科診療の取組みについて、講演をしたり論文などで発表しているようです。
数は少ないでしょうが、探して受診されるといいのではと思います。
また、養護学校の学校医さん(春に健康診断をしたお医者さんのこと)の診療所や、ネット上の情報を活用されることもよいと思います。
私がこのように提案するのは、「自分の体の故障部分を治すこと」に集中してほしいからです。治療しなければ、痛かったりつらかったりするのは自分だからです。
歯医者などに行っても
先生に歯が痛い、耳が痛いなどで伝えるが話すのうまく伝わらない。受付の人に行くが対人が苦手です。
先生の言葉遣い悪さ
「開けてください。」、「閉じてください」と言うがキツメで「開けて」、「閉じて」など言う。言葉遣いの悪さ
先生に質問しても「分からない」、「出来ない」などと言われると納得がしない。答えられない。話を聞いてくれない。
歯も抜かれる。
冷たく対応もあります。責任逃れです。
あくまでもご意見です。
通りがかりやさんへ。対人関係が苦手であることを理解しました。
(自分)言いたいことが伝わらない→(相手)わからない→(相手)言葉がきつくなる→(自分)言いたいことが伝わらない→(相手)わからない→(相手)何とかわかったができない→(自分)責任逃れと思った
きっかけは、自分が伝えたいことが伝わらないこと→どうしたらいい?→自分の伝えたいことを伝えられること
まず、「歯が痛い」と伝えた後、「どこが痛いか」を伝える。言葉で伝えるのがたいへんだったら「絵」で伝える。
つぎに、「どうしてほしいか」を伝える。言葉で伝えるのがたいへんだったら「絵」や「書いて」伝える。
できれば、お医者さんから「絵」を書いて説明してもらう。
歯医者さんに「開けてください」といわれて、口を開けなかったら、次は「開けて」といわれます。これは、治療しに来た人が口を開けることは自然にすることです。
あなたは、口を開けて歯を見せることに、なぜ?と思うでしょうか。理由が必要でしょうか。
自分が「伝えられること」、相手のいうことが「理解できる」ことが、この問題の解決でしょう。
そして、治療には「痛いこと」や「つらいこと」がつきものですので、「がまん」しなければならないことがあります。
さて、ADHDに関して本質な問いをしたくろうさぎさんのコメントに対し、考えています。私は重度から中等度の発達障害の子どもを見て、自閉症とPDD、HFA、ASの人々とADHDの顕著な違いを目の当たりにして、ADHDとASが混在することがあるかどうか、疑問に思うことはあります。ただ、ASとADHDのカップルがいる以上、それを掛け合わせた子どもの遺伝子レベルでは、どちらが優性遺伝するかなど研究を待つより他ないと思っています。
また、にこさんのコメントにある通り、性ホルモンに与える影響は少なからずあると思っています。ADHDにおいても、躁鬱についても、脳内の神経伝達物質およびホルモンの不足や過多が研究で明らかになってきています。それらが性ホルモンに影響を与えていないとはいえないと思います。ただ、一生影響を受け続けるという考えには否定的です。女性に関して言えば、閉経による女性ホルモンの減少があり、更年期に不安定になることはあるが、一生続くわけではないことからです。
>みさん
みさんのポジティブシンキングには本当にびっくりします。(嫌みじゃなくて)
中年女性(つまりみさん&私)は、閉経後、アンバランスな精神状態が一部解消され、良好な状態になるかもしれないと考えているのですか?
「女と喧嘩しても絶対勝てない。なぜなら理屈が無いからだ!」by遠藤周作(狸狐庵先生)と、
みさんのコメント読みながら思っていましたが、
にこさんやみさんの意見は、今まで考えた事がなかったので、情けない話です。
そういえばボーダと言われる人たちも中年になったら落ちつくと聞きますし・・。
・・もし・・
・・・もしも私が本物なら、薬に対し普通とは違う反応になる。中絶→ピル→浮気の結果レス→ピル中断→そのままレス→(この先は聞かないでっ(>_<))は・・。ピルも吐き気しまくりだったし・・。 あのありえない変調の発端はピルだったの?・・わかりません・・。 (そうそう・蛇足・・) やっぱり私とみさんはま逆ですけどそっくりです。 みさんに合理性は無く、私にスピリチュアル(愛とか・・)は無い。大上段で厚顔無恥に語る事ができるのは、それがごっそり欠けていて、普通に判断する能力がないからと私は考えます。 つまり、私は「歪んだ愛」を捨て、みさんは「歪んだ論理」を捨てればコミュニケーショントラブルは減ると思うのです。 ・・・少なくとも私は、自分自身を苦しめるものを、救うものだと信じて握りしめていました。
ん?
女性の体で生理が起こるのは、性腺刺激ホルモンの分泌と女性ホルモンの分泌によるので、閉経後はこのホルモンの働きがなくなる。これは主観でなく、人間の体のこと。
それに誰だよ、「知りたい」といったのは。
社会生活を営んでいる身としては、通常語ることはしない。だが、上からモノ言っているんじゃ云々といわれたから、それに応えたまでだ。それを厚顔無恥に語るとされては、何のためにさらしたかわからない。知りたいといわれて率直に答えたことが非合理であり、普通に判断する能力がないと評価するのだね。
もちろん、そのとき書くべきか悩んだ。ここで自分の醜態をさらすことは非合理である。だが、自分の発言に影響を受けた人がいて、コメントされたことに責任を感じずにはいられなかった。書いている間中、思い出して涙をこぼしていたのだよ。 AD
HDの特性に気づかずに生きていたときのことを振り返ることは、ことのほか辛いものだ。だが、知りたいといわれた以上、ばっくれたり嘘をつくことはしないでおこうと考えた。この「場」、管理者のあり方も考慮してのことだ。ただし、仕事に関する事項は書かないことにした。これは自分が明らかにするところと明らかにしないところを選択する権限を持っているという自覚があるからだ。
私は、世間でいうスピリチュアルに興味はない。医療臨床で、特に死とかかわる分野において扱われるスピリチュアルペインとスピリチュアルケアを学び、現実から思いを馳せた結果として発言しているに過ぎない。
仕事をしていると、嫌でも論理的思考は要求され、他者の言動や組織の考え方に合わせなければならなくなる。ADHDにとっては、負荷をかけるような環境が必要だと思える。
追加説明
ADHDと女性ホルモンの関係はアメリカで研究されており、エストロゲンが低下する生理前、産後、更年期にADHD症状が悪化することがわかっている。また、更年期以降にADHDの特徴が顕著になることもあるようだ。
私は月内での女性ホルモンによるADHD症状の軽重があることを感じている。仕事をしていれば、その月内の変動にかかわらず職責を果たさなければならない。閉経後はADHDの特徴が前面に出ると思うが、月内の変動よりも安定するだろう。そのころにはADHDという乗り物の扱い方も上手くなっていることだろう(人間は生涯発達していく存在である)。また、定年後には責任を負うことが少なくなる。よって、今現在の女性ホルモンによる変動に振り回される苦痛よりも、老年期のほうが楽ではないかと考える。
こういうトラップに簡単に引っ掛かって転ぶところが、みさんが合理性に欠けている証拠です。
A≠Bなら
A=Bはなりたちません。
ところで、がまんできないさんは、私との共通性、異質性を見つけて何をしたいのでしょうか。
ADHD当事者の他人に対し、論理的につじつまが合わないところや説明が不足しているところにつっこんでいるが、自ら説明をしようとしたり、調べたり、考えをまとめたりすることはあまりみられない。
私と比較をするのでなく、自分のことに取り組んでいただきたいと思う。
また負けたっ!!!!!
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
私は初めから勝負してはいない。よって、負けたも勝ったもない。
もし、対人関係において、トラップを仕掛け勝ち負けを競う傾向にあるのなら、周囲はその態度に嫌気がさし、立ち去るか攻撃するであろう。自分の傾向性に着目せず、他者のせいにして自分の問題として引き受けることを避けるなら、この「ジャイアンと躁うつ病」でやんばる先生が言いたかったことを理解していないのであろう。
もしかして・・みさんって、やんばる先生の一番弟子になりたいの?
だから、一生懸命勉強して、発達障害者のケアをする仕事にもついて、この場所で、先生のお手伝いをしているの?
だとしたら私のやった事は間違っていました。
ぐちゃぐちゃに絡んだコードをほぐしたら、みさんの場合は「愛」につながっているのですね。優しい人なんだ。
そんな方は合理性を追求してもいい事無いと思います。
その先にあるのは砂漠の砂嵐のような気がするので。
感情におぼれて看護になっていないと、移動を命令されてしまう、その心の種をうまく育てればいいのに。
さて、今日もODDを呈している子どもと接していて、どのように指導したらよいかを考えていた。
ときどき意図して手伝いを頼むと素直にやってくれるかわいい子だが、ことさら指示されることには逆らう。
今は高校生で周囲が尻拭いしてくれるけれども、すぐに社会に出なければならない子だ。こちらは指導しなければならない身だ。
らいむさん、どうしたらいい?
さてさて、私はヤンバル先生の弟子になりたくて一所懸命に勉強しているのではないことを説明しなければならないか。前にも言ったぞ。
「ACやPTSDの問題を解決しようと努めているうちに、…今度はカウンセラーに「ADHDかADD」かもしれないといわれ、…自然に導かれて発達障害の子どもたちと接することになり、直面化することになりました。」と。
私は、私自身の生について探求し続けている。その探求の途中で「ADDかも」と言われたことがあり、調べているうちにここに辿り着いた。ADHD当事者の精神科医であるヤンバル先生の考察は、当事者であるゆえに見えることを含めているために興味を持った。
私はヤンバル先生の弟子になろうとは思っていない。また、先生の手伝いをしているわけでもない。自分が思い、考えたことを発言している。ただ、ヤンバル先生の見方考え方に自らの見方考え方と照らし合わせている。
感情移入してできることと、困難にするところがある。本人はその人に対して真剣に受け止めたつもりであるけれど、人の生死と周囲の家族を巻き込んでしまい、残された家族にとっての苦悩を考えれば、感情移入することがいかに愚かなことか。
みさんのロジカル節は攻撃性の表現みたいですが、
わざわざ攻撃的な文章にする理由は?
なんで普通に書けないの?
周囲にことさらに攻撃性をアピールしても、いいことないと思うんですが・・。
それがジャイアンさまの宿命ですか?
みさんだって「ADHD」という診断を、攻撃性の免罪符にするつもりはないはずです。
それとも、私が会話ができないように、みさんも文章でコミュニケ-ションを取るのが苦手なんですか?
あ。ちなみに私の高校生の息子はわたしの指示などこれっぽちもきかないので(;一_一)私に聞いても参考になりません。
やっと自分がみさんに言いたかった事が言葉にできた。
みさんは学んでいるという・・何を?
攻撃性を誰かれ構わず、垂れ流して・・・。
なにを学んだと言うの?
コメント消してほしいと抗議をもらいながら、ケアをしていると言いきる。
『あなたは何を学んだの?』
ねえ・・。
「攻撃性」の隠れ蓑にしないで。
これで本当に最後です。
先生。ごめんなさい。
らいむさん、以前に「ピコピコハンマー云々」「太らせるんじゃない!」と、Skyさんのコメントに便乗して攻撃しましたね。太らせるんじゃないというのは、つけあがらせるなということでしょう。私はこの件で、自分は偉いんだと誇示する姿勢にはありませんでしたから、便乗して攻撃するらいむさんを不快に思いました。
その後、「知りたいです。みさんが顔から火が出るほど愚かな事をした出来事を」というので率直に書きましたが、勝手に私像を作り上げて、なおもおちゃらけたように書かれたので、また不快に思いました。
さらに、別の話題に移っていたところに、らいむさんが「『女と喧嘩しても絶対勝てない。なぜなら理屈が無いからだ!』by遠藤周作(狸狐庵先生)と、みさんのコメント読みながら思っていましたが、」と、その話題の内容についてよりも私に対するコメントをされました。また、「真逆ですけどそっくり」と自分と私を比較していました。またさらには、「みさんに合理性は無く」と評価されました。ついでに今回は「みさんのロジカル節は攻撃性の表現みたい」と評価されました。
らいむさんが私を評価なさったことをまとめると、まず、理屈(物事の筋道)がない、合理性(道理にかなった性質・論理の法則にかなった性質)がない、ということです。つまり、らいむさんはずっと私に「物事の筋道がない」「道理や論理にかなっていない」と攻撃していたのです。そして最終的にはロジカル(論理的であるさま)節は攻撃性の表現みたい、ということです。つまり、論理的に書こうとすると今度は「攻撃性の表現みたい」と攻撃しています。
そもそもらいむさんは、Skyさんに対する私のコメントから傲慢なやつと判断し、ことあるごとに言葉巧みに持ち上げて突き落すことでやり込めたかったのではないでしょうか。私はそのことに途中で気づき、論理的に説明することで一貫性を保つようにしました。
他人に対し、勝手に人間像を作り上げたり、理屈や合理性がないと評価するようなあり方はよくありません。ですから、私は最後まで対応すると決めたのです。
私は完全部外者ですが、
「み」さんは降りかかる火の粉を降り払ってるようにしか見えません。そして、どこで誤解をしているのか?相手は何を意図して何を隠そうとしているのか?を正確に把握しようとしてるだけに思えます。
私は、話に関係ないダミーの言いがかりで時間稼ぎする父親を持ち、彼を完全論破するためにみさんのように論理的にすべて説明する手法を用います。言いがかりを「違うよ」と説明するのは攻撃でもなんでもないですよね?
完全にやりこんでしまうと恥かくのは相手なのですが、
可哀そうだからと自分の身の潔白を手加減してしまうと、勝手に私が悪い事になってしまうので、とても気を使います。
冷静になって読み返してみれば、書くべきことは攻撃を隠れ蓑にする事ではなくて「ごめんなさい」なんじゃないかなぁ?らいむさん…。
部外者なのにすみません。
マルクさん、理解していただきありがとうございます。彼女には適切な治療を受けていただくことを切に願っています。
私の父も現実に対する認知が歪んでいて、さまざまな言いがかりをつけていました。言っている内容は道理が通らないことが多く、ごり押し、要求が通らないと威嚇するといった状態(素面でも)でした。私が父をおそらくADHDだっただろうとしているのは、このようなことからです。
小学生の高学年頃くらいから、父の道理の通らないことを他者に要求する場面に遭遇するたび、羞恥心を感じていました。暴力をふるう人だったため論破することはなかったのですが、学校で学んだ論理的な考えを少しずつ「こうだよ」「こうだよ」と伝えていたように思います。しかし、母にはしっかり反抗していましたから、母からはよく「屁理屈だ」と言われていました。
私は数年前まで、このような対応はできませんでした。やんばる先生が以前に書かれた「ジャイアンACの崩れ型回復」の通りだったからです。でも、どうやらこの回復過程を経て、自己評価を上げられたようです。そして教育に携わるようになり、注意深く感情と認知のモニタリングをし、修正してきた結果、相手の感情的な言葉に揺らぎ、反射的に返すことが逆効果であることを学んだのだと思います。
マルクさんの「とても気を使います」という気持ち、本当にそうですね。親がこのような特性をもっていると、子どもは気を使わざるを得ないですよね。そして、エネルギーも使う。
マルクさん、ありがとうございます。少しエネルギーの補充ができました!
やっとこのコメントを読む勇気ができました。
そのとおりです。
ごめんなさい。みさん。
先生・・・みなさんごめんなさい。
そしてありがとうございます。
私の現実はうそみたいに良好で、
あの「過去」が嘘みたいにゆるやかな日々になるにつれ、
逆に本当の現実の問題が見えてくる。
健康であったのなら得られた日々を失ったことに気づいて愕然としてます。寝てた4年、外にでてボロボロだった2年、そしてここで1年長い長い時間が消えてしまい・・
当然いろいろ滞っているのです。
で、ここで暴れて逃げてました。すみませんでした。
冷静になって考えると、私はいろんな人に助けられ、迷惑をかけました。今もそうですが・・。
私はひとりじゃなかった。
子供たちもいたし。コーチだっていろいろ心配させて、ただなんとなく傍にいてくれた時もあったような・・気のせいかもしれないけれど・・(>_<) もうひとり。 伝えたいのに伝えられない人がいます。 私にフットサルを最初に教えてくれた人。 一番大切なものをプレゼントしてもらったのに、あの時の約束が守れないままです。 別れ際、私が説明しようとして言葉につまると、さらっと言いなおしてくれて、 「今度、試合会場で会った時、あいさつしろよ。シカトすんなよ」と言った人。そして果たせないまま・・。 大切なことを忘れていました。
らいむさん、どうもありがとうございます。
私も「ジャイアンACの崩れ型回復」の通り、ADHD特性があることを知りつつも存在そのものを肯定してくれた人(専門家ではない一市民。ある意味で先輩か)に散々つっこみ、関係を破綻させたことがあります。そのときは、コップの水があふれ出すかのように全く自己コントロールが不能な状態でした。
その状態を経て、自分が必死だった外的な刺激への反応とコントロール(自己および外的環境)を、自分の内的な気質や性格傾向に注意を向けることが可能になりました。可能になった、このことは、自己アイデンティティの確立のスタートラインに立ったということです。
外的な刺激に反応して生きている間は、自己に関する情報へのアクセスが難しいものです。通常ならば、思春期の後期には自己アイデンティティの確立がなされ、外的な刺激に翻弄されることなく生活を営むことができますが、ADHDの場合は外的な刺激に反応しているかぎり、自分に関係する身近な社会への適応が優先課題となり、自己アイデンティティの確立が先延ばしされるのでしょう。
外的な刺激に反応してしまうのは前頭葉の働きの鈍さなのでしょうが、いったん立ち止まり、外的な刺激を極力減らし自分の内的な気質や性格傾向に注意を向けることができると、自分が今まで何に振り回されてきたかがわかるようになります。そして、自分が何をコントロールしていく必要があるかがわかるようになります。
さて、私はここを利用してADHDの特性を生かした生き方を模索していました。今はまだキャリア形成の途上にあります。今ちょうどキャリアの交差点に差し掛かっています。私は「すべての山に」登ろうと思います。私は看護という山の中腹まで登って降りて、川を渡って、教育という山の中腹まで登って、そこから発達障害という脇道に入り、また川を渡りました。目の前にはまた山が見えています。今まで登った山が合わさったような形をしています。今はその山を登るための準備をしています。今度は頂上を目指します。虹を追いかけて。障壁にぶつかりながらも前進していきたい。
マルクです。実は私は「アスペルガー」で検索して此処に来ました。そして、ADHDの「み」さんを見て、なるほどと思った事があります。
私は精神科で親との悩みを相談しました。
私が若干論理的であること、話が細かい事、具体的な数字に拘る事等からアスペルガー障害を疑われました。
でも、アスペルガーのように見える振舞いは、全部理由がある。話を振り回し誤魔化す父に適応しながら論破したり、「誤解するなよ、こうだからな」って注意してるにも関わらずあっさり誤診をくれる病院側への対策だったり。
アスペルガーかと思われるそれらの徹底した対策が無かったら、「アスペルガーちゃうわ!」と反論する事もできませんでした。皮肉ですよね。
理不尽な状況に「適応」した手法を用いた。
その結果、私のやり方はみさんのそれにとても酷似している。
みさんがアスペルガー(ADHD?よくわかりません)であるなら、私をアスペルガーと誤診するのも無理はない(でも私はちがうよ。)と思いました。
逆に。詳しい事は解りませんが、み さんも適応し過ぎて発達し過ぎた「ふつうの人」の可能性は無いだろうか?なんて。
ちなみに私は理屈が無いはずの女性性です(・∀・)
マルクです。自分の方はひと段落し、
遠慮される立場の馬鹿どもに正論ぶっこいてやりました。
なんというか、らいむさん、みさんに対する文章を読んだんですが相当酷いですね。相手が分からないだろうとタカをくくってらっしゃるのでしょうか。
悩みここを訪れる人が全員卑屈なほど自己検証に明け暮れてるのを見越して言ってるんでしょうか。
webは誰もが読める開かれた空間であることを忘れないで下さい。
現実逃避して都合良い事実をでっちあげてるとしたら
発達障害は全く違うと思います。
言い訳と誤魔化しに慣れてしまうと
自分で自分を認知症にでもしない限り救われなくなってしまいます。
それを望んでるならば病院の良いお客さんになるのはとめませんが
あまり関わりたい、助けたいとは思われないでしょう、
という、この当時思ったことを記しておきます。
Σ(・∀・|||)ゲッ!!
みさんとはちゃんと仲直りしたもんっ。
゚ヽ(゚`Д´゚)ノ゚。ウァァァン
よくよく考えるまでもなく、たしかにみさん&先生にご迷惑をおかけしました。改めてお詫びしますm(_ _;)m
私は2ちゃんねるからネットをはじめたせいかもしれませんが、ここを社会空間と見てませんでした。
ネットを現実逃避、真贋不明な空間として捉えない人たちが最近増えていることに、注意を払わなければいけないと反省してます。
マルクさんの言うとおり、
わたしは本当に自分を誤魔化して生きてきました。
子が親の愛を疑わないがために世界を歪めて捉えるように、
夫の愛を疑うくらいなら、世界を歪めました。
それを疑うわけにはいかなかったから、
「自尊心」の声も「体」の声も無視して、痛みを逃す方法ばかり上手くなっていきました。
でも・・。
私が4人目の子供を中絶した後、セックスレス。なのに突然パイプカット。ある日、浮気の証拠を探して財布漁っていた私が見つけたのは、今まで無かったのに突然入っていた2年前のパイプカット領収証。
その時、もう言い訳することができなり、私の世界は壊れていきました。
その後、私を踏みつける人は大勢いたけれど、助けてくれ人はいませんでした。
それはもちろん私自身に問題があったからです。
そんな暗闇の中で先生のブログをみつけたのです。
私のとってこの場所は
「罪を話しなさい、そうすれば赦される」そんな懺悔室のような場所でした。
みなさんを巻き込んで本当にご迷惑をおかけしました。
そして先生。ありがとうございます。
マルクさん
こんばんは。みです。あれから1年過ぎ、自身の特性理解が進んだ今思うことは、あのころはまだまだ青かったな、ということです。私がらいむさんのピコピコハンマーの意味をわかろうとせず、真意を確認せず、対立姿勢をとったからこうなってしまったのです。
私にもらいむさんにも、おそらくマルクさんにも、これまでのなかで周囲から受け入れられなかった経験から自己評価が下がっていたり、上から押し付けられることに不満を持っていたりして、少々やさぐれてしまっている部分があるのです。それが、本音を出せるこのような場で衝突する。私は衝突してもよいと思っています。それをきっかけに自分を振り返ることも、そして相手を理解することも、できればよいのです。
この件以来、らいむさんの書き込みを読み、らいむさんもまた実生活上でさまざまな困難があるのだなと思いました。私もまた、実生活上でさまざまな困難にぶち当たっています。性格特徴も特性の発現のしかたも異なるけれども、マイノリティとして同じ国で同じ時間に生きている同志である、そのことに思い至った時、らいむさんをいとおしいと思いました。(この場合、恋愛感情でなく人間愛のほうね (^_-) )
私はらいむさんから影響を受けて顔文字を使うようになりましたし、らいむさんは私の要求から今は一貫してちひろさんとして登場してくれています。たまにはこんな関係の作り方もありかと思っています。
(また古い記事にコメント失礼します)
やっぱり父は積極奇異型ではなく受動型で、私は溺愛されて育った訳ではありませんでした。
どちらかと言えば両親は「放任」で、私には無関心だったと思います。
躁うつ病に関しては、躁状態が自分でもよく分かりません。
先延ばしの鬱状態は把握できるので、先延ばししてる事に取り組めばそのうち気分が楽になるのですが、この「気分が楽になった時」が唯一躁状態に近いかもしれません。
>衝動統制のメカニズムとしては、「何も我慢しない。都合の悪いことはうつで出来ない」ということになるか。
自分では我慢強い方だと思ってるので、「何も我慢しない」というのは違うような…
「都合の良いことも悪いことも我慢してしまう(諦めてしまう?)」ことが多いです。
端から見れば「徹底的に受け身」で、受動型AS以上に動かないといった感じですね(苦笑)
>ジャイアン型ADHDは「衝動統制の障害」である。「我慢が出来ない」ところが出発点で、3歳前後の幼児期に我慢するためのスタイル(適応型)を二次的に身につけ、それを「一つ覚え」で生きていくため、思春期以降に二次的な不適応を起こす。
私が2歳の頃に亡くなった父方の祖母が積極奇異だったかもしれません。
母の話だと、私のことをとても可愛がっていたそうですが、当然私にはその頃の記憶はありません。
ただ、母子手帳を見ても3歳前後はほとんど「問題なし」で、ADHDを伺わせる内容はどこにも書かれていませんでした。(唯一「一人遊びが多い」というASっぽい特徴があったものの、診断はされませんでした)
なので「赤ちゃんの時から周りを見ていて賢い」という特徴は当てはまりそうですが、祖母が亡くなりこの「適応型」はすぐに通用しなくなったので、幼少期から不適応を起こしてたってことでしょうか。
さすがに2歳頃なら別の「適応型」に移行できる気がしますが…
私の場合、(依存型なら)ジャイアン母の影響が強いと思ってましたが、ASっぽく見られる性格は祖母の影響からかもしれませんね。