ASのsaltさんから頂いた具体的な場面を考えてみます。
1.想像力のなさ故:話をしていて、相手の質問に答えるのだが、それを話し終えると、二の句をつなげられない、妙な間ができ、その後会話が途切れる。(関心、興味、想像)
2.想像力のなさ故:あることを依頼して相手は承諾したにも関わらず、約束の内容に手を着けないでいると、腹が立ってくる。(後でやるのだろうが)
3.平等性故:仕事を平等に分担し、業務をしているのにも係らず、自分の仕事を懸命に務めていると、他者は平気で「手伝え」と言ってくる、腹が立つ。
1は「文化の違い」の問題ですね。私は無理に多数派流にスムーズに会話できなくても良いと思います。結局その程度しか関心を持てなかった話題であったということですから。
2、3は「多数派の認知がASの人に比べて時間とともに変化する」ということのために起こると考えます。例えば「相手が早く終わっていればその段階では相手の仕事が少ないから」等。だからASの人は多数派の言葉や行動を「今は」「とりあえずの」という風に受け取っておいた方がぶつかることが少ないと思います。私は「自分の分が終わったから帰る」と行動してしまって、「この人はそういう人だ」と思われてしまう方法もあると思います。
4.考え方、効率的故:出来そうにも無いことを、無駄に議論し、無理に通し決定し、いざ始まってみると、直ぐに諦め、継続しない人間、腹が立つ。
5.会話、コミュニケーション(将に自閉の本態性):私以外の数人が話していると、そこへ皆が集まり、仕事を止め、他人の話し、噂が気になったりするらしい、自分は呼ばれないことには行かない。興味も湧かない。
4、5 多数派の人は、ASの人から見れば「無意味」な会話が多いですね。「さして意味のないやり取りをしながら、お互いの感情的な交流を楽しんでいる」と私は想像しています。これも「無理をして加わる必要もない」と私は思います。
6・脳の機能、聴覚障害故:話をしていて話に興味がなかったり、自分が批判される状態になると、相手の声が聞こえなくなる。
7.共感の無さ故:他人と話している途中、話が詰まり、気分が悪くなる。あまりに興味がなく詰まらない話が続くと相手の頭を叩きたくなる。(他人への関心が薄い)(自分の話をしない)(共感が分からない)
6,7 「共感」というのは非常に難しいですね。私は「自分には分からないけれど何か多数派には非常に重要なやり取りなんだろう」と想像して自分は加わらず観察だけしています。
8.考え方故:言っていることと、やっていることが違う人間を、見ていると気分が悪くなってくる、腹が立ってくる。(和、相手の考え方)
9.和を考えない故:自分の意見を持っている筈なのに、他人の意見に合わせ切り、自分の意見や本音を話さない人間を見ると腹が立ってくる。本音を話していることが馬鹿馬鹿しく思え、悲しくなってくる。
8,9 これも「文化の違い」です。相手の文化では「和」が重要なのだろうという理解までは必要と思いますが、実際の行動としては多数派を観察はしても同じように行動する必要はないと思います。
「多数派はこんな風に生きているんだ」と冷静に観察してデータを蓄積していきましょう。
ASの人も、多数派の中では大変な思いをしていらっしゃるんですね・・・。そういう事実は『理解』しようと思っています。
ちなみに私も、共感(を示す)って苦手なほうです。本当にそう思えるならともかく、そう思えないときは共感を示すのが苦しいです。相手の頭を叩きたくなる、というよりは、どうしていいか分からず苦しい・・・という実感ですね。
1のような状態になったとき、以前は話題探しに必死でしたが、最近は開き直って静にしてます。どうせ取り繕っても、じき、ばれますから。
2と3は、本当に頭にきます。
真面目にやってる自分が馬鹿に見えてきます。
OL時代に、5時に帰るのを目標にせっせと仕事をしたのに、上司から他の人が仕事が終わってないから手伝ってと言われて、5時に帰れなくなってしまいました。仕事のできない同僚が憎くなりました。
その同僚の仕事は、その後私に流れてくるようになり、若かった私は書類をデスクに叩き付けたことがあります。
「きっと、生理前だ」と上司に言われて益々、ムカつきました。
4と5は多数派らしさだと思います。
6は、私はありません。
7は、私にとっても、相手にとっても、どうでもよいことを熱心に語られると、その人への評価が下がります。しばらく、会わなくていいと思います。
8は、これまた頭にきます。
本当は問いただしたいくらいですが、大人の部分が抑えます。
9は、自己防衛のためにはこの手段も持ち合わせた方が楽だと思います。ただ、第三者のその姿は、やはり、やきもきするかもしれません。
1の時、以前は沈黙状態に我慢が出来ず、話題探しにも苦しい思いをしましたが、最近は話題を作る事にも、沈黙状態をよしとする事にもすっかり慣れました。まぁ、合わない相手として、コミュニケーションの機会は自然に減りますが。
現在の職種の関係で、2や3を感じる事は余りありません。多分、私も自分の勝手にやってます。
4は良く感じますし、腹も立ちますが、まぁそんなもんだとかダメな人たちだとか思って諦めます。実は職場の同部署内の人たちはAS傾向が強いので(研究職)、そこでは効率的に議論され、決定が遂行されています(^^;
5には、近頃は積極的に参加するようにしています。無意味な会話だと思いながらも、会話を楽しんでます(疲れる事もありますが)。
6は余りありませんが、会話中に気になるニュースなどが耳に入ると、目の前の会話を保つのに苦労する事はあります。
7は、その場では何とか話を合わせますが、単に話の合わない相手として、普段のコミュニケーションの対象外にしてしまいます。
8や9は、これまでダメな人間だと解釈していました。そして世の中にはダメな人間が多いと!「和」を重視している結果だと言う視点は、とても参考になりました。
1相手に対する情報が不足している場合に起きやすい。
その場限りや限定された期間の相手であれば、逆に情報が無くても良く、会話の途切れも気にならない。
2これは、やばいくらいある。
特に旦那は「○○して」と頼んでも絶対直ぐにやらないので、腹が立つ。逆に自分は頼まれた=直ぐにやってしまう。
だからもし、自分が集中してやっている事がある場合、何かを頼まれても「今直ぐにできないから」という理由で、依頼主に対して怒る。
旦那に「頼まれても直ぐにする必要はない。」と言われて、頭では「その通りだよね~確かにな~。」と理解するが、生理的にこういう反応をしてしまっている。
3立場が同じ又は上の人が、できないといけない能力が無いと腹が立つ。(これは普通なのでしょうか?)
4のような場合は「それは無駄だ」と言ってしまいます。
5は「入らない」興味が湧かない。
聞いてしまったときは、最後に「私はそういうことをその人から直接された経験が無い」と必ず言ってしまう。
6は物凄くある。
話に興味がないと、とたんに全然違うことを考えてしまうし、耳に入ってこない。「は?今何を話してたんだろう?」と思うことが多い。
自分でもこの癖があるのは重々分かっているので、注意しなければ・・・と思って参加するのだが、毎回同じ状態になる。
7興味のない話に付き合うときは、「自動操縦」のようになる。そういう会話をする人を演じる。記憶にある「そういった会話編」のようなマニュアルの蓄積を垂れ流すかんじ。
心が入らず、相手にも悪いと思うし、自分は本当に変わった人間だと自覚する瞬間でもあり、悲しくなる。
8これもある。
この頃はこれは自分の「支配欲」の様に感じる。
9本音を言うのを避けているという場にいると、「本音」はこうだよね、と言ってしまう。相手によっては以後連絡が無くなる場合がある。
9 に当たるのでしょうが。
また、実際のコーチング上でもご指摘をいただいていますが。
どうしても、公官庁や、マンションなどを管理する立場の相手に対して、自分の「こうあるべき」を通したくて仕方がなくなります。
しかし、全てがクレーマー扱いにされ、ますます腹立たしくなります。
しかるべき方法をとっても、文章にしても、それに対する答えは私の元へは届きません。
正論なのです。法律に従っているのです。しかし多数派の社会の中では正論のみを押し通しては生きられないのです。
得意の「まあ、まあ、まあ」です。
それを飲み込む事は、私にとっては非常に屈辱に思えます。
文化の違いと思うようには心がけていますが、譲って損ばかりしているとしか思えません。
まさに、「正直者ほど、損をする」状態でいつも苦汁を飲み込んでいます。
1.昔は自分と他人に接点があるように思っていたのでそれを探そうと興味を持っていたのですが、最近は誰とも交われない気がして、誰にも興味ないし話しも聞いてないし聞く気がなくなっています。そのくせ執着している彼女の話に共感しようとすると「関連づけるな」と怒られます。共感したい気持ちが強すぎて本当の彼女を見れてない気がします。
2.執着の相手以外には頼み事も期待するのも避けています。関わるのも気にするのも面倒でしかないのでそのぐらいなら一人でやってしまった方がいい。
3.おそらく自分は一見ピリピリと忙しそうにしているようにも見えたりすると思うので周囲の人間は言いにくいだろうと思います。
4.確かにそういう人間に腹が立つのですが、これは自分自身もそうだと思います。何事も継続して努力する事がまずありません。
5.そうですね。興味がわかないです。
6.批判を「聞いてはいけない・理解してはいけない」と防衛が働いてると思います。
7.第三者の立場で聞いてると叩きたくなる事が多いですが、直接話すとなると沈黙するか自分の話しかしないかどちらかですね。
8、9.これは本当に気持ちが悪い。「本音」よりも「和」。共感できない感覚です。
それにしても痛感しますのはASの特異性です。
たとえば、次のコメントどうしたらいいかと、悩んでしまう。躊躇する。不安になる。
気軽、気安く、素直、率直がないんです。
文章の書き方も堅く、ぎこちない。また自分の周囲への思いとその文句の多いこと(実際には心の中で思い、嫌な思いをしているだけ)、生活をしていて周囲に不満が本当に多く感じていますこと。
(自身の身勝手も理解してきましたが)
ASを知り、診断を受け、さまざまなことを受け入れていこうとしていますが、あまりにも多数派が簡単に平然と普通に行っていることが、自分にはどうにもならず、やるとなると大変であることを、理解するに従い自分の苦悩が深まります。
きっと無理なんでしょうが、共感を感じ、周囲に安心をもち、気軽に会話を楽しめたらどれだけ楽しいものなのだろうと想像しています。
ともかく、多数派の観察を続けます。
下手にでる、これが大切かなと感じています。
9番について、自己防衛の為の手段として持ち合わせた方が楽だと書きましたが、実際のところ、身体症状に出ますから、やっぱりお薦めするのやめます。