以前から積極奇異型ASDの人の「愛着」について書かなければと思っていた。発達障害の最大の不条理のひとつだ。
積極奇異型ASDの人は、本人の生き様を見る限り「立派な人」である。向上心が強く、非常に根性があり努力家で、時には自分自身の限界を超えて努力もする。
管理能力に優れ、細やかな気配りも出来、正直で何よりも責任感が強い。仕事上の関係者としてはもっとも信頼できる相手と言える。
ただこの積極奇異型ASDの同じ人が、こと愛着の相手に対しては「ベタベタに甘い」「断れない」「ひたすら尽くすして依存させてしまう」という結果になることが多く、「本人は非のうちどころのない立派な人なのに家族やパートナーには最悪の甘やかし対応をする」という不条理としか言いようのない真実が存在するのだ。
社会に対しては「オレ流」で自分の主義を貫き、自分の言葉を決して違えない責任感と行動が見られ、対決を恐れない同じ人が、愛着の相手に対しては、相手がひどい嘘つきでも、無責任でも、さんざん馬鹿にされていても、「でも相手は***だから」と変にかばう発想しか出てこない。
「私のどこがいけなかったの」「何でもするから許して」など演歌に出てくる未練たらたらのキャラになってしまう。「あなたはそういうキャラじゃないはず」と突っ込みたくなることが非常に多い。
面白いのは、「じゃあ世間にあなたと相手とまったく同じカップルがいたとして、その同性側からあなたが相談されたら何て助言する?」と聞くと、「今すぐ別れなさいと言うに決まってます」と即断するのに、こと自分のこととなると「まったく別」な結論になることだ。
この行動傾向は本人も自覚でき、また言葉で指摘されれば問題点も自覚可能であるのだが、実際の行動を変えるのはかなり困難なようだ。
これも自閉症スペクトラム独特の脳から来る行動であると私は理解している。
この「甘やかし対応」はジャイアン型ADHDと受動型ASDとは最悪の相性になる。
たとえば親が積極奇異型ASD、ジャイアンの子供が愛着の対象である場合、子供は「丸投げ依存」という非常に刹那的な行動パターンとなる可能性が高く、思春期以降に無責任、超場当たり的で言動がコロコロ変わるといった行動の問題で表面化することが多い。
このメカニズムは、「ジャイアン子供がどんなに無責任なことをしても最後には積極奇異型ASD親が責任を取るだろう」という丸投げ依存が生じてしまうという仕組みだ。
親が積極奇異型ASD、子供が受動型ASDだとさらに不幸な経過になる。受動型ASD子供は100パーセント尽くすことを要求し、積極奇異型ASD親は100パーセント尽くそうとする。
しかし積極奇異型ASD親が尽くせば尽くすほど、受動型ASD子供の要求はどんどん上がり続け、終いには「積極奇異型ASD親の嫌がることを親が精神的につぶれるまでし続ける」
という経過になる。
ASD同士は非言語的に意思が通じることも多く、受動型ASDは「積極奇異型ASD親は当然のこととして自分のことが言葉で言わなくても100パーセント分かるはず」と思い込むので、「分かっているのに何で自分の思い通りにしないんだ」「嫌がらせか」という思考が当然の帰結として生じることになる。
どちらのケースも、積極奇異型ASD親のほうを変えるのもかなり困難なので、私は「物理的に離れるしかない」と考えている。
発達障害の最大の不条理のひとつである。
先生元気になったっぽいですね
Ldでジャイアンのパートナーは積極奇異ぽい部下の人に対し、俺はあいつを少し信じてしまっている・・・と言っていました。(それがいけないかのように)
亡くなったジャイアン社長と対峙する時はその部下の人を連れて行ってました。
まず自分が意見を言い、すると部下の人は同じ内容でもっとずと細かく、長く言ってくれるそうです。連携プレー
長文になります。
「最大の不条理」なんですか…これが。
私個人としては、「自分の人生においては、よくある事」だと思っているので、不条理だと思った事は一度もありませんでした。ただし私が子どもだった頃、「不条理ギャグ」の漫画が好きでしたが。。
それにしても、「私が悪いんだ、と、私自身に思わせるような発言をしつつ、実は私自身を通して自分のつらさを私に主張する人たち」には、もう辟易しておりますが。
以前に書いた、統合失調症の男性(受動型ASDっぽい人)のストーカー行為は、地域活動の施設長に、直接私自身の事情を話し、また何か具体的な行為があったら迅速に対応していただく旨の話を取り付け、
男性への対応としては、「環境的変化を自然な形で演出する(私としては、これしかやりようがない)」という方向で、私個人は地域活動から物理的に離れ、
男性個人が感じる、体感的時間の流れの状況に合わせた形で、少しずつ物理的に精神的距離を取る(←表現がおかしいですが…)、
(ただしすぐ100%完全に離れるのではなく、80%→ 60%→ 40%→ 20%→ 10% のような感じで段階的に減らしていく)という、非常に手間暇のかかる事をやっていたりしていました…。
受動型さんへの対応は、個人的には大体つかめたと思っています。
>「積極奇異型ASD親は当然のこととして自分のことが言葉で言わなくても100パーセント分かるはず」と思い込むので
受動型の人に限らなくても、何か強く思い込まれたまま(強固な前提がすでにできあがってしまっている状態で)関わられると、非常に対応に苦しみますね。
>「あなたはそういうキャラじゃないはず」と突っ込みたくなることが非常に多い。
この言葉を読んだ瞬間、思わず吹き出してしまいました。
今の私は、「自分がこれまで、どれだけのダメージを受けてきているのか、指摘されてもわからない状態」から、「人生がとてもしんどすぎて、早死したい」というところまでランクアップしているので、
>「私のどこがいけなかったの」「何でもするから許して」 なんていう訴えの方が発想外でした。おそらく10年ほど昔は、私の中にもこういう発想があったと思いますが…。
今の私の場合、自分の心身にやさしい事をゆっくりする事が、大体の日常ですね。
おそらく回復した際には、常日頃から念仏のように「私には私の人生、相手には相手の人生」と唱え続け、精神的距離、物理的距離を、日常的に保つ努力が要るのではないかな、と、ふっ、と思っています。
今のところ結婚する気はゼロですが、受動型さんが外れた後も、それぞれ別のところから2~3人アプローチをかけられているような気がします。。理由がよくわからないんですが。。
私の気が向いた時だけ、私の気にかかる時だけ、(←このセリフだけだと、どれだけ女王様なんだという突っ込みが入りますが…。今の私は積極的に生きたいという意欲に欠けているので、実際は少しうつ的な気持ちです)、礼儀を外れない程度に対応していますが、これからも自分の人生がしんどすぎて早死したくならない程度に対応したいですね。
初めまして失礼します。先生のブログはとても現実的かつ鋭くわかりやすく、いつもお世話になっております。
先生が積極奇異型ASDについて省察されている文章を始めて拝読しました。
(過去ログを検索したところ、ブログを始められる前に省察はほとんど済んでしまっていたのかな、と思いました)
過去のコメントに参加されていた方を振り返ってみますと、
・別居中の奥様が思い通りにならないことに憤りつつも買い物に付き合ってらしたのが積極奇異型のmarioさん(愛着はお子さんに移った模様)で、
・ジャイアンADHDを表面的には褒め殺しつつ、ASDの必要存在価値を説いてらしたのが受動型のm2さんなんですよね。
こうしてみると、前者の積極奇異型の方が愛着対象に対しては甘やかしになりやすく
後者の受動型の方が愛着対象に対して被害者意識を持ちやすい、というのはイメージできるような気がしました。
>面白いのは、「じゃあ世間にあなたと相手とまったく同じカップルがいたとして、その同性側からあなたが相談されたら何て助言する?」と聞くと、「今すぐ別れなさいと言うに決まってます」と即断するのに、こと自分のこととなると「まったく別」な結論になることだ。
そうか…私はこの「まったく別」を、ADHDの「あれはあれ、これはこれ」だと勘違いしてた訳ですね。
>この行動傾向は本人も自覚でき、また言葉で指摘されれば問題点も自覚可能であるのだが、実際の行動を変えるのはかなり困難なようだ。
数ヶ月前なら自覚できなかったと思いますが、最近になって「客観的に事実関係のみを振り返る」よう意識し出したためか、「自分は積極奇異型ASDかも」と自然に考えられます(おそらく数ヶ月前にこの記事を見ても「やっぱり自分は、積極奇異祖母に甘やかされて育ったジャイアンなのだろうか?」と見当違いな見方をしていたでしょう)。
積極奇異型ASDは「自身を振り返って、自分の問題や責任を自覚すること」は可能なんですね。
正直、そこに一番驚きました。
自分の特性を考えると、自分で自分を変えることはまず無理でしょうが…この記事には感謝しています。
(続きです)
ただ、よく分からないのは「愛着」と「中心志向」です。
情緒障害で愛着を諦めていたことは確実なので、まだAC的な認知が残っている可能性も高いですね。
もう少し自身の振り返りを続けてみます。
>愛着の相手に対しては、相手がひどい嘘つきでも、無責任でも、さんざん馬鹿にされていても、「でも相手は***だから」と変にかばう発想しか出てこない。
まさにその通りです(笑)
私自身は「かばっている」自覚は全く無く、「相手を悪者にする」という発想自体「根拠の無い思い込みだから」と、直ぐに可能性から外されてしまいます。
それで相手の責任を追及することを諦めてしまいますが、これは外モードでもそうです。
なので「内・外に関わらず、他者の言いなりになりがち」ですね。
外モードでも「(ゼロ百思考故)相手は悪くないイコール自分が悪い」と思い込ませ、こだわりを主張せずに相手の言いなりになっていたこともストレスの原因では?と考えてますが、外なら自分で改善できるかも。
あと、私がASDである以上、相手のASDに言語的な理解を求めることが困難であることはよく分かりました。
元カレと別れて正解だったようです。
>相手がひどい嘘つきでも、無責任でも、さんざん馬鹿にされていても、「でも相手は***だから」と変にかばう発想しか出てこない。
むしろ私は、その「変にかばう」人から諭され説教され、都合よく「自分のツラさ」とやらを主張され、自分の「かばう」行いを正当化され、私を「悪口を言う人」認定し、そして個人的にも集団的にも追い出す(私の事を、平気で悪口を言う「かわいそうな人」扱いし、その事に私が激怒したことも拒否し、結果、私が集団から出ていくという選択しかなくなる)、という経過と立場に回ることが多いのですが…。
その後の経過は、受けたトラウマから、私自身の自己評価が下がりまくり、記憶が一部飛ぶ(自分でわからなくなる)、自分の感情が一部飛ぶ(自分でわからなくなる)、相手の問題なのに相手自信に受け止めてもらえなかった(堂々と責任転嫁され、「あなたのせいでこういう事になったのよ」という非言語メッセージを受け取った)というショックで人間不信におちいる、という感じです。
私の感じる怒りと悲しみは、集団の中の誰にもわかりません。
「最大の不条理」と言うなら、私はこういう事だと思っています。
なるほど、四十代のあの人は、積極奇異型の人(疑い)だったのか。
そう考えれば腑に落ちる。
二十代半ばの、もういい歳になった友人ジャイアン女性がしでかした、金銭が絡む社会的行動の責任についての正当化感情の丸投げを、誰も頼んでもないのに自分で引き受け、私に対してはそのジャイアン女性を「変にかばう」発想と「私を諭しながらの説教」で対処しようとしたからなぁ。
この人にこそ、「あなたはそういうキャラじゃないはず」と私は言いたかったのですがね…。
仕事では、男性の仕事ぶりを一刀両断に評価する、実力派のキャリアウーマンですが、私が見ている限りでは、同性の友人関係となると必要以上に「調和」を保とうとして、あれやこれやと苦心したり画策したりしているようです。
同性の友人たちがメンバーのお茶会を企画をする時には、呼ぼうとしているメンバーの人間関係を把握した上で、あの人はこの人と仲が良いけど、ある人とは相性が合わないから、その人は最初からメンバーには呼ばない、と私に豪語していましたね…。
八方美人さん(信用できない人)ではなくて、本人の愛着から来る問題だったのですね…。おそらく愛着対象は、積極奇異型の私、だったと。
事の顛末を書けば、私のメッセージ自体は、先に四十代女性側にブロックされましたが、ブロックした行為自体は彼女の本意ではなかったように見えました。ですが、彼女が自分から私を拒否した事実は残るので、本意であるかないかに関わらず、自分で取った行動の責任は自分で取ってくださいという感じですね。私は、診断を受けてから、どんな時も自分の行動にはいつだって自分で責任を取ってきましたので。
何度も連投して申し訳ありませんでした。
後藤先生、ありがとうございました。
初投稿します。
「あなたは、そういうキャラでないはず」
娘に振り回されている私を見て、私の母、妹、30年来の友人に言われました。
娘は中学二年生の9月から過食嘔吐し始めました。
娘が2.3歳の頃、母は私に「もっと叱りなさい」父は「簡単に褒めるな。」また、母は夫に「○○さん(夫の名前)は、父親というより下僕みたいね。」笑って受け流したツケが回ってきました。
娘の状態に対し、今、母は「あなたたちの育て方が悪かった。苦労するけど、もう放っといた方がいい。自分で失敗しなきゃ、わからない子だよ。」このブログを読んで、そうする決心がつきました。
今、娘が散らかしていれば、「片付けなさい。」手伝ったのに感謝してくれてない、と言われたので、「感謝してる。でも、手伝いより大事なのは、ひとの仕事をふやさないこと」と、切り返しました。
もし「なら、死んだ方がいいじゃん」などと言われたら、「人の役に立とうという気はないのか」と突っ込む予定でした。「立つ気はない」といわれれば、「母に捧げるバラード」のように「死ね」と言うつもりでした。
ヤンバル先生のホームやブログを拝見し、両親への尊敬と、子離れする勇気が芽生えました。
ありがとうございます。
2年ほど前におつきあいしていた方が、積極奇異ASさんだったのかと思います。
サラリーマンとしては、パリッとしていてとても有能な方だったのかと思います。
デートは全くできずに彷徨うばかりで、私があれこれ覚えてくれるよう、さりげなく手ほどきしましたら、あっという間に覚えて、その速さにビックリしました。
なんでいままで、できなかったのと・・・。スパコンみたいな人でしたね。
私の事が一目で大好きになったみたいで、私の返事を待たずにガンガンデートに誘い・・・。本人は幸せそうでした。私も幸せだったけど・・・。それ以上に疲れてしまいました。
でも、男性らしい男性に、それまでそんなに求められたことがなかったから、嬉しかったんです。
また、全体的に(外見・雰囲気・全体的な性格など)が、私の好みにピッタリで、神様が私のために作ったような男性に見えたのです。
私にデレデレして甘やかして、騙されやすい人なんじゃないかと逆に心配になり、いつも心で手綱を話せない日々でした・・・。ジェットコースターのようでした。
最初のころは、あれこれ心配で、気が付くと無意識に歯ぎしりしていたものです。
結婚を見据えたおつきあいだったのですが、プロポーズされてしばらくしてから、彼が自分を出し始めたのか・・・。
こだわり、ですかね。プライドとかコンプレックス、生活習慣、などなど。
それに触れると、一瞬で別人のように表情が険しくなり、人を見下すキツイ事を言う人だなということがわかってきました。でも、場が凍っている自覚なし・・・。
いつもの「アハハハ~大好き~楽しい~(///▽///)」っていうデレデレと、そういったモラハラぎみ?なことが、同じ日に起きていたとしても、本人には違和感ないみたいで・・・。私は二重人格かと思い、心労で寝込みました。
それでデートを一週間お休みすると、出るまでじゃんじゃん電話がかかってきました・・・。
あと、会話が微妙に噛みあわなかったり、いつまでも人間の内面とか深みにせまっていかなかったりで、延々と軽い世間話をしている感じでしたね。
また、彼の話す論理は、どこかが物足りない感じでした。他人の気持ち、という視点が欠けていた為、片手落ちになっていたと思われます。
結局、好きでしたが、距離が取れないのに相容れない、という精神的・肉体的疲労があり、たまにきついことを言われた心が一部解凍できず・・・(アナと雪の女王みたいですね)。
私が何度か別れ話的なものを持ち出しても、彼の選択肢に私と別れるという事は無く、常に前向きに解決されてしまいました・・・(別れ話と認識していなかったのかも)。
続けられず、思いきってお別れをすると、想定外のようで、パニックになってしまいました。理由をあれこれ説明しても、彼がどこまで本当に理解してくれたのか、わかりません。
数か月、メールや着信がありました。「君以外考えられない」「やり直してくれ」「あの時言われたことが頭から離れなくてどうしようもない・・・(※軽く言った一言でした)」
出たいという気持ちはありましたが、出て話し合いができる人ではなかったし、ますます連絡が増えそうな気がして・・・。
今でも懐かしく思い返します。好きでしたが、疲れすぎてしまいました。その後、心残りは多い日々でしたが、彼はそのあと、あっという間にほかの人と結婚してしまったと聞きました。幸せそうな笑顔だったようです。(ショックで寝込みました)
二度と会えないのはつらいことですが、彼が独身でも、私は会うことはできなかったかもしれない。
また、ジェットコースターに飲み込まれ、離してもらえず、苦しむのが怖かったのです。
今でも毎日思い出します。いまは奥さんと幸せにやっているでしょうか。切なくて泣く日々があります。
積極奇異型に関するエントリは珍しいですね。
自分に照らしても、わかるような気がします。ただ私の場合、「付き合い切れない」と思ったらあっさり放り投げたりするので、愛着の範囲がよくわかりません。
私は、相手に尽くした結果、積極奇異がつぶれるのは自業自得だと思うんです。本人がやりたくてやったわけだし、問題の本質を見抜いて行動できなかった積極奇異の実力不足とも言える。ここ(意志と選択を重視する態度)は、ジャイアンと似ていると思います。おまけに、一度決めたら方針転換には結構精神力を使う(不可能ではない)。
相手から一方的に貪り尽くされたとしても、傷つきはすれど後悔はないです。(このときの感想は「尽くして損した」というより「自分がバカだった」)
これが回復が難しいほど深手を負っても気づかない(動けない)理由のように思います。
他罰的な人達にしてみれば、カモでしょう。代わりに責任を負ってくれるのだから。
私は「自分を許してほしい」とは思わないけど、「自分の何が悪かったのか知りたい」とは思います。次に生かしたいから。自分が不備であるのを知っているので。
よく言えば向上心、悪く言えば強迫的な完璧主義(理解し尽くしたい衝動)。その態度を「しつこく迫ってくる」「怖い」と感じる人もいるでしょう。
「あの人は○○だからしょうがない」という発言も、「これがあの人の限界(精一杯)なんだろうな」と思うと、そういう発言になります。
積極奇異が痛手を負うことは、積極奇異が手を引く理由にはならないので、粘り強く客観的な説明をするしかないと思います。
でも共依存という概念自体が難しいし、それは意志を伴わないため自覚しにくい。そして自覚しても難しいです。
父から「『Fが実家に寄り付かないのは父さんのせい』と母さんに責められた」という内容のメールが送られてきた件について、
→娘からの『父さんが原因じゃないよ』的な言葉が欲しかったのであろう
→女々しい
と思ったのですが、残念ながら、その場ではわかりませんでした。
「マタタビを投げないぞ」と漠然と気を付けていても、非言語的アピールが見抜けないです。(裏が読めない・相手がわざとやっていると思わない・本当に傷ついていると思う)
だから、「父さんだけが原因じゃないよ」とあっさりマタタビを投げてしまいました。気づいたのは3週間後です。
父だけが原因じゃないのは事実だし、それで誰かが傷つくわけじゃないからいいんだけど、「またやっちゃったよ(バカじゃないの自分)」「何かしてやられた」感はあります。
頭で学習できても、実践は難しいです。
私には上記の積極奇異?の方が「周囲の人をこのエントリーの『積極奇異型ASD』に当てはめ、遠回しに私を攻撃している」ように思えました。
この受け取り方が、ACの過剰反応ではなく「ASDのままでAC的なのだ」ということがよく理解できました。
「攻撃と受け取ってしまったこと」は、私の勝手な判断であり、ASDの深読みによる過剰反応であるため、今後は「コメントに対する反応」はなるべく控えようと思います。
私のこのコメントが「非言語的に何かを強要している・押し付けようとしている」と被害的に受け取られてしまうのであれば、そう受け取った人の責任であると考えます(私自身は「自分の話」をしているのであり、例えば、誰かのコメントを非難する場合は「何とでも受け取られるような曖昧な言い方」はせず、はっきり言いますので)。
フラッシュバックは私も何度も経験があり、何度も不機嫌になり落ち込みましたが、それを思い起こさせた人に責任を取って貰おうと、相手を責め立てたことはありません。
「もっと強くならなければ」と思いながらも、同じことを繰り返す自分が情けなくなるだけです。
そんな自分を受け止められるのは、自分しかいませんので。
>「私のどこがいけなかったの」「何でもするから許して」など演歌に出てくる未練たらたらのキャラになってしまう。「あなたはそういうキャラじゃないはず」と突っ込みたくなることが非常に多い。
これについては本当自覚が無いです(思春期頃にはあったかもしれませんが)。
ただ、思い返してみると、言語的に否定しながら結局は手を差し伸べてしまっていた「言いなり」状態は多いと思います。
自分ではそう思わないのに、(内・外に関わらず)他者から「優しい」と言われることが不思議でなりませんでしたが…相手に「言行不一致」を見抜かれていたからなんですね。
原因が分かったのに自分では対処しようが無いというのは、情けないと言うかもどかしいと言うか…どこか「納得できない」気持ちを抱えながらも諦めるしかないのだろうか?というのが本心です。
職場では堂々と仕切れるような立場ではなく、常に受け身で縮こまっているような状態ですが、「細か過ぎる程の気配り」と「要領が悪いながらもきちんと仕上げる」部分を評価して貰ってるので、あとは自分の努力次第で仕切れる立場まで登り詰めるしかないかなと。
あと、もう少し自信を持って良さそうです♪
自分の家族は、ジャイアンの父親、積極奇異型の母、依存型ジャイアンの姉、受動型の自分と、このエントリーに登場する家族そのもので、母親はここに書かれているような、ある意味「立派な人」だと認識しています。姉は「最悪の甘やかし対応」で、思春期以降に無責任、超場当たり的で言動がコロコロ変わるといった行動の問題が表面化して周囲を振り回し、「誰にも負けたくない」と、偉そうなことばかり言います。
自分は「積極奇異型ASD親の嫌がることを親が精神的につぶれるまでし続ける」ということはやっていました。「高校を卒業したら親の世話になりたくない」と考え、当時は高卒の就職が恵まれていたこともあって、まずは卒業後の進路を「就職」にしたけれど、姉には「私の弟が高卒なんて恥ずかしくて人に言えない」と言われ、家族全員に反対されて「進学」に変更。「新聞奨学生」で専門学校に行こうとすると母親と大喧嘩になり、最後には泣かれ、父親に怒鳴られ、仕方なくあきらめました。
行きたかった分野の専門学校も否定され、情報処理か工業技術かの二択となり(後で分かったが、父親が大手企業へのコネ入社を画策していたため)、情報処理を選んだわけです。親に言われて受験した地元の公立専門学校(当時は大学より倍率が高かった)には行きたくなかったので、受験勉強もせずに予定通り落ちて、東京の専門学校に行きました。そして、卒業後は母親も勧めたコネ入社を拒否し、両親の反対を押し切って今の会社に入社しました。父親は就職後も別のコネを持ってきたり、母親は事あるごとに会社を辞めろと言い出しました。
一人暮らしを始める時はひと騒動で、母親は「絶対に許さない」の一点張りで大喧嘩となり、父親が怒って「今すぐ家を出ていけ」と言ってくれたので、その日のうちに不動産屋で賃貸契約を結び、無事、一人暮らしを始めることができました。母親から見たら、自分の全ての行動が嫌がらせをしているんじゃないかと思ったことでしょう。母親は自分が考える理想的な子育てを実践し、理想の子ども像を自分に押しつけて、子どもの意見を無視していることが問題で、自分から母親を見れば「余計なことばかりする」という感じです。
母親は、「姉の中心志向に共鳴して支援している」「自分の中心志向が見られない姿勢が許せないので介入している」のではないかと思います。
「発達障害の最大の不条理」
個人的に「自分がASDである為に、身近な人への『言語的な理解』を諦めなければならない」ことの方が不条理だったりします。
ただ、これは私にも非があり、今振り返ってみれば「言語で相手を否定すれば、何でもやって貰えることが当たり前だとは思われないはず」という、受動型の人とは違う意味での「甘え」もあったでしょう。
そこが「甘やかし対応」に当たるのだと思いました。
とりあえず、自分には「逃げる」という選択肢が必要であることだけは、よく分かりました。
以下は「フラッシュバック」についてもう少し。
例え自分が何かしらの被害を受けても、その時に自分が何の対応もせず、相手の責任を追及することを怠ったのならば、それを後からフラッシュバックで思い出した時に、相手を一方的に悪者扱いすることはできません。
「お前はその時、相手に何かしたか(言ったか)?」
「相手のされるがままだったんじゃないか?」
「何か他の対応をしていたら事態は変わっていたかもしれないのに、それをしなかったのはお前の責任だろう?」
いつもそう言い聞かせてますし、それ自体は言いなりではなく本当の事だと思っています。
この際ですからはっきり言わせていただきます。
>相手の問題なのに相手自信に受け止めてもらえなかった(堂々と責任転嫁され、「あなたのせいでこういう事になったのよ」という非言語メッセージを受け取った)というショックで人間不信におちいる、という感じです。
「羨ましい」と思いました。
私にはこんな発想出てきませんし、とても責任を自覚できる積極奇異の考え方だとは思えません。
「自分を責めることが正しいこと」だとは思いませんが、「私はか弱い存在だから丁重に扱われて当然」と言わんばかりに「自分の言う通りにしない人達を加害者に見立て、遠回しに恨み言を言うことで攻撃している」ように思えます。
当然、受け取る側からすれば「自分が加害者(悪者)に仕立てられるのを避けるために、腫れ物に触るような対応をせざるを得なくなる」為、(内・外・愛着に関わらず)八方美人で優しい人間にならざるを得ない。
ただ、その結果「偽善者」「信用できない」と言われ、自分が嫌な思いをする羽目になっても、それは自分の行動の結果、自業自得であり相手のせいにできません。
他者に当たり散らして気を済ませる人の気持ちが分かりません。
姉と母親の関係を見ると、姉が大変な状況をあからさまに母親に見せつけ、「どうしよう」と相談することで、文句を言いつつも母親が勝手に援助をしている感じで、結果的に姉の要望に全て応える下僕状態にあります。姉は夫が浮気した上に勝手に転職して退職金を持って家出し、離婚を突き付けられたのに「離婚はしない」と固辞し、調停をばっくれて実家に帰り約10年がたちます。年に一度、子どもを連れて会いに行っています。夫は生活費を一円もいれず、昨年、脳出血で倒れて仕事ができなくなり、無職。自己破産して生活保護を受ける両親、痴呆症の祖母と同居しています。姉は最近、仕事を辞めて、現在、職業訓練校に通っているくせに、二人の子どもを市内トップの高校に入れるためにと、親の年金を教育費につぎ込んでいます。
自分の場合は基本的に介入されるのが嫌いなので、困ったことを母親に相談することはないです。母親が勝手にした善意を妻が悪意と捉えて反応し、不適応行動の原因になってしまうので、妻の特徴を説明してやめるように言っているんだけど、「そんな女とは離婚しろ」と言って、全く妻の特徴を理解することはなく、お世話行動を続けます。愛着のない相手には冷酷です。妻は、母親がよく料理を作って家に持ってくる、しかも連絡もなしで突然来ることが許せず、「私の料理がまずいからか」と、勝手に嫌がらせだと受け取って怒り心頭で、絶対に食べません。
父親は若いころは衝動が激しく、すぐに怒鳴ってテーブルをひっくり返し、手に何かを持っている時に怒らせると、手に持っているものがそのまま勢いよく飛んでくるため、母親には「刃物を持っている時には絶対に怒らせるな」と言われました。味噌汁の入ったお椀やご飯茶碗が食卓を飛ぶのは日常的光景です(笑)姉と父親はいつも喧嘩ばかりで、父親が辞書を持っている時に姉が怒らせて、投げた辞書が顔面にぶつかり、姉の鼻が折れたこともありました。そんな父親も50歳を過ぎた頃から衝動が小さくなり、父親と母親の立場が逆転。今では父親が母親にガミガミ言われて、父親は怒鳴った後に拗ねるという行動に変化し、以前のように手は出さなくなりました。
ど~も私はストーカー体質のようで・・気になる誰かにとりつく傾向あって申し訳ない。m(__)m
そして、貴重な休みをブログ読みで浪費したあげく、さらにコメントを時間を割くという情けなさ・(T_T)
わかっているけどコメントしないと夕飯の買い物に行けそうそうにもないので・・(自分の都合かっ!)
(前置き終了)
某コメント氏さまはとっとと弁護士に相談したらど~でしょうか。借金を借金で返したあげく、新しいカードで嗜好品を買うなんて、カード破産に向かっての王道をあるいているとしか思えない。そんなのお前に言われなくてもわかっているよと言われそうですけど・・案外わかってなかったりする。不倫カップルみたいに自分だけは特別な例外だと思い込んで、結局あるある状態で、平凡な経過をたどって終わる。
「借金で困ったら弁護士に相談」って陳腐なアドバイスだけど、「病気になったら医者に相談」っていう程度に有効だとおもうよ。
買い物に行ったらどういうわけか、旧いじめ母ボスとすれ違ってしまった。
(こういうのって、シンクロニシティーとでもいうのかな)
彼女は、はやりの無地で紺のロングスカート、腰までのロングヘアーで買い物をしていた。
なんだろう・・・鬼婆みたいだったのに、清楚で綺麗になっているんだけど(@_@;)
私はどうかな?
ショートヘアでノーメークで、Tシャツにジーンズなんですけど(せめてメイクだけでもしとくんだった・・)
・・スポーツと特養介護職員のたまごとして体を作っている私は、彼女にどう見えただろう。
>「でも相手は***だから」と変にかばう発想しか出てこない。
後藤先生、それは「相手をかばっている」のではないんですよ。
「ほぼ無自覚のうちに、自分の心の均衡を取りたくて、つい衝動的に、自分の中ではバランスが取れていると思われる言動(この場合だと、「でも相手は***だから」という発言)をしてしまう」んですね。
私が日頃から考えているのは、「自分の休養と養生をどう確保するか」ですが、「他者に当たり散らして気を済ませる人の気持ちが分かりません」と評価され、リアルの周囲がその言葉を受け取り、それぞれがそれぞれに思った事を言葉にしたり、私に対して行動した際、私はとてもじゃないけど休めない状況(空気)に追い込まれます。
現実世界では、私は最終場面になるまで沈黙を貫き、「自分に関する説明」を忍耐強く丁寧にするという事をしてきているので、誰よりも先に私に対するコンタクトを断ち切り、「とんずら」して逃げた人が出た場合、私の中での解決策は一つしかありません。
それは、私の人間関係の中で少しでもPTSDを連想させる関係を末端まですべて断ち切るという方法です。
そうすれば、時間の経過と共にいくらかマシな状態になれるであろうことが分かっているから。
しかしこの方法は、代わりに私を苦悩におとしいれます。
少し前の話になりますが、私のリアルの状態を知った文通相手から「あまり無理をしないでね」と言われてしまいました。正直ちょっと涙が出ました。
先生、話を聞いてくださって、ありがとうございました。
>「借金で困ったら弁護士に相談」って陳腐なアドバイスだけど、「病気になったら医者に相談」っていう程度に有効だとおもうよ。
個人的に、何故別記事でちひろさんが謝っているのか、さっぱり意味が分かりませんが…(汗)
「何も知らず、何の知識もない」からこそ、(弁護士等の)専門機関に相談した方が良いだろうという、その助言自体は間違ってないと思いました(ただ、上記のコメント者様に対しては「積極奇異のお母様の愚痴(悪口)を言いたかっただけで、身内の問題に介入するつもり等無さそう」なので、「放って置けば良い」と思いましたが)。
元々上記のコメント者様のことを言っていたのに、勝手に話に乗っかってきた人に対して謝るのって、「何だかおかしいよなぁ」と思いました。
「他者の問題に首を突っ込むこと」と「その他者とは別の人に論破されてしまった」ことは別問題だと、私自身は考えています。
こんな風に細かく「自分の問題と他者の問題を区別する」作業を続けていかないと、気付かないうちに余計な責任まで背負い込んでしまいそうだ…(-_-)
厄介な脳だけど、上手く付き合っていけるよう「他者との妥協点」を探し続けようと思います。
言葉で責任をとるとは、まさかあなたのファンタジーの既成事実に対してか?
(ー_ー)???
わたしは・・182さんにストーカー行為を謝っただけで、さーこさんは視界に入ってないんですが・・(@_@;)
嫌いだから無視しているっていうのではなくて、手帳を持っている方なので・・。
ああ・・わかった。
私は自分がターゲットにしていない「事」は切り離されているので、完全スルーなんです。ざっと読んで・・ん?なんか引っかかるけどま~い~かで終わる。
・・でも、ロックオンしたら大変なことになる。
車のローンもカードローンもなく家じゅうのカード集めるとショッピング枠は200万ぐらい空いてる、そんな私が
カード破産の記事を読み、ブログを読み、法テラスのウェブを覗き、買い物依存症を調べ・・そしてよけいな説教たれて自爆する。いったいなにをやってんでしょ~かね(;一_一)アホデスネ
さーこさんの母親と私とを一緒にされても困りますが、でもそれがいかに迷惑かということは意識しておこうと思います。
あと・・
論破され・・って書いたのは182さんのパラドックスがうまいと感じたからです。
ジャイアン様って言葉で勝つためには結果を選ばないってところがあるので、「結果のおかしさ」を指摘しても絶対に認めないきがする。
滝壺に向かってまっすぐオールを漕ぐジャイアン様を止めることをできるのは、滝壺だけなんだと思う。
私はただ、他者との対人的距離を保ちたくて訴えているのに、
高校時代の同級生は、勝手に思い込んだ「言いがかり」をつけてくる子でした。
要するに、私に対して「一方的な妥協点」をつけたかったのでしょう。
下記は、私に対して散々押し付けてきた手紙の中での、印象的な言葉(フレーズ)です。
「どこまで行っても平行線」
「私はあなたがうらやましい」
「私は私の人生を生きる」
生き霊、怨霊のように、うらめしく、自分の事を忘れないでと願うのに、それにしては勝手な事ばかり言う、と、私は内心ずっと思っていました。
おぉ、そうか。突然気がついた。
「本音を言ってもいい」んだ。
私が、リアルで沈黙をしている理由の一つに、
「私の周りで何が起こっているのか全くわからず、パニックになりそうになっているから(周囲の状況や状態を見極めなければ、自分で言葉を発する事や選択することすらできない)」という、切実な事情があるけれど、
とあるタイプの人種は、私がそういう行為をとる事によって、「私への修正が可能である」と思うのか、混乱に拍車がかかる私に向かって、なぜか残酷にも言葉を重ね続けるらしい。
「距離が近すぎて苦痛だから、対人的距離を取りたい、という私の切実な訴え」が、相手には「意味不明」となり、「自分は正しい解釈をしている」とばかりに強引に話を進め、私の体感的に言えば、「私を無自覚に叩きのめす(←タチが悪い)」という事になる以上、ここはやはり、冷たく白い目で視線をやりつつ、「私はあなたと一切関わりたくない」と、バッサリ切り捨てた方が良かったんだなぁ。
私の意図をシンプルに、かつ、直球ど真ん中のストレートで表さないと、気付かないうちに「余計な問題(注:余計な責任、では無い)まで背負い込んでしまう」からなぁ。
そういう意味では、限定的ではあるが、何のしがらみもない私自身になれる場面があるというものだ。
「論破」だなんて、能天気な解釈もいいところ。
ちなみにジャイアン母は、孤立型AS弟の事を長い間弁護し、代弁する形で、事あるごとに私に対して説教していましたね。
ここまで回復するのに、約13年。
まぁ私にも、自己診断では積極奇異という問題があるにはあるが、私の場合は主に「他者から愛着を持たれる障害(「自分の問題と他者の問題を区別する」という課題を抱えた人から、愛着を持たれた場合に生じる障害)」だったんですね。
だって、私の場合の人生のパワーバランスで言えば、
明らかに「自分で自覚する自分の愛着<<<他人から受ける愛着(執着)」なんですもの。
可笑しな人生すぎる。どうりで不条理ギャグが好きなわけだわ。
(後藤先生、生意気な事を申しました。本当にありがとうございました。ありがたくも図々しく長い間コメントさせて頂いて、何と言っていいかわからないけれど、ここで得た日々の事は一生忘れません。お体、くれぐれもご自愛くださいね。)
(追記です)
もう少し具体的に説明させてください。
元々はちひろさんのコメントがきっかけだったかもしれないけど、勝手に乗っかってきて「弁護士より精神科医に相談すべき」と間接的に介入し、自分の経験談を披露したのはその人自身。
別にちひろさんが言わせた訳では無いし、そもそも上記のコメント者様の身内に、その人の経験談が当てはまるかどうかなんて分からない(なのでその発言自体は無責任だと思いました)。
私もよくやってしまい、後で反省することがありますが…「他者の無責任な言動まで、『自分のせいだから』と背負い込む必要は無い」と思いました。
仮にその人が責任を自覚できない脳で、無自覚のうちに他者を攻撃し続けたとしても、他の人がその人の肩代わりをすることは双方にとって良くないことですから。
…ただ、それは「責任を自覚できる」人間の考え方であり、そうでは無い人(自分が無い人)にこの考え方を押し付けるつもりはありません。
私の場合は「しっかりとした自分の立ち位置」が存在するからこういった考え方ができるだけであり、「(他者の言動に対し)自分はどうすべきか?」という発想が当たり前なのでしょう。
すみません、誤解でしたね。
私の言う「上記のコメント者様」というのは「ぬまおさん」のことです(はっきりHNで呼べば良かった)。
そうか、別記事では全く違う理由で謝っていたのですね。
大変失礼致しましたm(__)m
(以下は独り言です)
「AS同士は非言語的に通じる」について。
そうか、私からすれば「(この記事の)ちひろさんのすぐ上のコメント者はぬまおさん」になるけれど、ちひろさんからすれば「私のすぐ上のコメント者はさーこさん」になる。
全く話が通じてなくても、そのやり取り自体は何かしら「意味がある」可能性が高いことは頭の片隅に置いておかねばなと思いました。
>ジャイアン様って言葉で勝つためには結果を選ばないってところがあるので、「結果のおかしさ」を指摘しても絶対に認めないきがする。
文章だけだと「口だけ」「プロセス重視」等、色々な受け取り方ができ断定できませんが…私なりの解釈で。
結局は「(助言ではなく)相手を言い負かすことが目的なのでは?」と思いました(それに気付いた時は「こちらから折れた方が早い」と思ってしまう)。
助言自体は「相手を納得させること」が目的ではなく、「こういう考え方もある」という意味でしますが、受け取り方は人それぞれですから。
「強要されている」と言われれば、今後は余計な事は口にしないよう気を付けるしかなくなりますね(もちろん「自業自得の自己責任」を突き付ける意味もありますが)。
私は最初から、自分の実体験を自分のために、自分の人生を切り開いていくために「自分に向けて書いていただけ」ですが、最近のコメント欄には、ほとほと、どうしたら良いのか困惑し、たいへん驚かされました。
そもそも、名指しをしたり、コメントの引用をして問いかけたりするのは厳禁という基本的なルールが、ここにはあるはず。
(自己突込みが入りますが、誰も記さないので、ため息をつきつつ記します)
説明のため、コメントを残しますが、
私にはリアル医師とのやり取りがあり、障害者手帳に至っては、次回の約2年後の更新は難しいだろうと言い渡されています。
障害者手帳が更新できなくなっても社会で生きることが「あなたならできる、と考えています」と数年前にリアル医師から言われた際には目が点になりましたが、成人の発達障害を診る医師は全国的に少ないため、現在も診療方針に従って模索中です。
現実は過酷ですが、私は、今までも、これからも、自分の可能性に挑戦しています。
「わたしのツラさをわかって」という弱弱しい訴えで書いているワケ、ないでしょうよ。馬鹿馬鹿しい。
私の事を「弱い、従順な」という、ナメた目線で見ているであろう一部の人がいる事はリアルでも感じます。
私にとって重要なのは、自分の理屈をインターネット上で証明したり立証したりすることではありません。リアルの現実世界で生き生きとしていける事にたどり着ければ、自然とこのブログにお世話になる事は少なくなるはずだと考えています。
(先生、失礼致しました)
(…まさか、「後藤先生本人が止めに入らない」から、「名指しやコメント引用してもOKなのだ」と、勝手に自分ルールを作って解釈し、納得していたりして…。)
(たとえ制止する人がいなくても「自分の行動はこれで良いのか」と問う自己突込みが行動の都度毎回入らないとは…怖ろしすぎますね…。なんて怖いところだインターネット(;゚Д゚)ガクブル)
ルールの件、どこに書いてあるのかと過去記事を遡ったら発見できました。そういう空気なのは何となく感じていたので(空気を読んだわけではなく、自分にとって害になる出来事や感情があるのかも知れないという被害的な受け取りで、様子を見ていた状態ですが)得心が行きました。
「あるある」「そうそう」と思う文面につい反応してしまうので今後気をつけます。逆に理解不能だと思ったら、自分は全く近づきもしないし、そういう書き込みは読まない事にしているので結果的にうまいことスルーしていた場面もあったのかも知れません。
自分もそうなのですが、わかっていても出来ない脳(これは記事からの引用のつもりです)とは如何ともし難いものなのだと、実感します。
先生 初めまして
私は、AS疑いがあります。 人間関係が難しいです。
当事者の集まり、同級生などと仲が良かった友人でも電話で無くメールになり、さらに酷くなるとブログ&ツィッター&フェイスブックなどになってぞっとします。 AS同士が合わない、トラブルになる、現実からリアルになって不安になります。仲間はずれされて辛いです。
AS友人などもネット依存症、アルコール依存症になってしまって怖くなりました。最終的に攻撃性&ストーカー行為なります。
かなりの留意点です。 社会、ネットなどのトラブルを考えなければならないです。
以下は私の個人的な意見です。
「無理矢理先生の記事の定義に自分を当てはめる事が病的」について。
私自身は自己分析が好きで、また、先生の記事の内容は理解しやすいのでコメントさせていただいてますが、私からすれば、「一生懸命自己分析する奴が病的」だと言う人の方が「おかしい」…と言うか、「押し付けがましい」と思いました。
ちなみに、「他者がこういう空気を醸し出すからコメントしづらい」と言うのも、被害的な発想になると私は考えてます(その人を無視すれば良いと思うので)。
人のする事を「病的」だと言って非難し、「そのせいでコメントしづらい」と(表向きには被害を訴えながらも)非難することは、他者を一方的に攻撃する「魔女狩り」と何ら変わらないのでは?と思いました(きっと「そいつは頭がおかしいから真似するな」と、他の方達に言いたかったのかもしれませんが)。
話は変わりますが、ここ最近の私のコメントが先生の提示したルールを守って書いていなかった事は自覚しております(自分がASDだと気付いてから、つい深読み&過剰反応しながらコメントしていました)。
それ自体は私が悪いと思っています。
申し訳ありませんでした。
もう一つ「認知が被害的だからと言って発言が被害的だとは限らない」について。
私は「言葉で『自分は被害的な発言はしない』と、周囲にアピールする事に意味を見出だせない」人間ですし、「周囲の人間が『された!された!』と言わせないよう強要している」という発想にはなりません。
「周囲の人間が『これだから受動型は!』と言うから〜」という発言自体は、たとえ言い方を変えたところで「被害的になっている」ことと何ら変わりはないと思いました。
私(を含むこのブログで自己診断する人達)のことを「病的だ」と言い、自己正当化して自分の思うようにコントロールしたいのかもしれませんが、自分がそれだけの事をしていると自覚した上で言って欲しいとは思いました。
私ならそう自覚した上で発言しますし、それを「攻撃」「いじめ」と他者に言われてもその通りとしか思えないので。
「言い方さえ変えれば、他者を攻撃・非難しても良い」という話では無いし、「相手が病的だから(自分がまともな人間だから)何を言っても良い」という発想は、結局「(他者のせいにして)被害的になっているのと変わらない」と考えています。
>話は変わりますが、ここ最近の私のコメントが先生の提示したルールを守って書いていなかった事は自覚しております(自分がASDだと気付いてから、つい深読み&過剰反応しながらコメントしていました)。
何故か書いておきたくなったので、書き記しておきます。
私は上記のコメントを書く際、「『ルールを守っていない人がいる』と指摘されたご本人がルールを守ってコメントしていない」ことを分かった上で謝りました。
たとえその人がルールを守らずにコメントしてたとしても、自分のしたことに何も変わりはないからです。
別記事で「私も思春期の頃は被害的だった」と書きましたが、「被害妄想的な部分はASDに共通する特性であっても、ものの捉え方・考え方等が『全く違う』のだ」と思いました。
「結局周囲(や社会)が変わるのを望んで待ち続ける事しかできないなら、それで良いだろうに」と思ってます。
先生には、「ASD以外の人から見たASD」について細かくブログに書き記していただいたこと、とても感謝しております。
正直言うと、(首尾一貫性や細かいこだわり以外は)まだ実感が無い部分も多く、積極奇異か孤立で迷いますが…本当に参考になりました。
私の中に、自分に向かって「ルールを守ってコメントしていないことを承知の上で書くお前こそ何様だ」という自己突込みが走りまくっているは、充分自覚しており承知でしたが、あえて書かせていただきました。
シンプルに「大事なものがそれぞれまったく違う、他者というのはそういうものである」、という、「人間としての尊重」と、「それぞれの境界、という分断の終わり」で、やっと、スッキリできそうです。
先生がどう思っていらっしゃるかは私にはわかりませんが、私は生来、「言葉(論理)だけを扱うのは困難であり、向いていない」事が明らかです。ですので、先生のルールのうち厳密な部分は守りきることができませんでした。ですが、ここまで書かせていただけたこと、感謝しています。
孤立型疑いの人には、「”あなたと同じように厳密に私が言葉を扱うこと”を、”当然と思わないでほしかった”」。その事を私が訴えるのには、どうしても「言葉しかない」。そこに私の限界があり、苦悩の歴史があります。
しいて言えば、孤立型の人には、現実にて本人の行動と言葉が矛盾しているという決定的な場面があるのに、あえて言葉自体に自分を統一しているという誇りのようなものがあるのでしょうか…とてもついて行けない部分があり、私は引きずられてしまって、かえって自分自身がわからなくなる、混乱する時が、現実にて多々あります。ですので、これからも現実にて孤立型の人とは距離を取り続けると思います。私の人生の課題の一つです。
自分の人生はそう捨てたもんじゃないな、って、今はそう思っています。
>私(を含むこのブログで自己診断する人達)のことを「病的だ」と言い、自己正当化して自分の思うようにコントロールしたいのかもしれませんが
え、マジ? 「病的」「コントロールしたい」だなんて、いつ誰が言った?しかもぜんぜんそう思ってないが。。
大体、きちんと診断を受けて「発達障害の概念図」を提示されて、思考経過を経てきていれば、そういう発言や思考、発想にはならない。
>「相手が病的だから(自分がまともな人間だから)何を言っても良い」という発想は
わたし、そんな発想してないけれど…。
「まともな人間?」 それどころか「ASD(自閉症スペクトラム)自閉症連続体」ということで、「私は失敗もするし、間違いもする、立派な人間ですらない」のに?
まあ私がそういったところで、他者が被害妄想(言語だけの思考)が繰り広げられるのは止められやしないのだが…。
しかし、止める言葉が少しだけありそうだ。
「世間の人間はお前一人に構っていられる程暇じゃない。」「自惚れるな。」「勘違いが広がるから、正直、迷惑です」
ていうか、「ASD(自閉症スペクトラム)以外の人から見たASD」についてブログに書き記していることは「ふつうのこと」。ここ、そういうブログなんだから。
この記事を読んで気付きましたが、どうやら受動弟の嫁さんは積極奇異型ASDのようです。
以前は世話好きな依存型ジャイアンだと思ってましたが、ジャイアンにしては落ち着いていて、無責任&被害的な発言が目立たないので(受動弟が彼女のことを「何でもやってくれる」と言っていたのが印象的でした。ちなみに、甥っ子は超刹那的な依存型ジャイアンだと思います)。
とてもしっかりしていて頼り甲斐がある上、周囲への細やかな気配りも怠らないため、本当に「できた人」という印象ですが…私が彼女と同じだなんておそれ多くて言えません(唯一「正直ではっきりとした物言いをする」点だけは同じですが)。
愚痴や弱音を全く吐かず、周囲に「私にできることがあれば何でもしますので、遠慮無く言ってくださいね!」と言って実際にやり遂げ、私が「大丈夫?無理しなくて良いよ」と言うと「体を動かすのが好きなので大丈夫です!」と返します。
内モード(家)では受動弟とよく喧嘩するそうですが、その話をする際、弟をフォローしながら(庇いながら)話していました。
…と、ここまで書いてみてやっぱり私とは違うと思ったので、多分「孤立型ASD」で落ち着きそうですm(__)m
以下↓は積極奇異型ASD弟の話です。
以前、仲の良かった友人から恐喝され、抵抗した際に殴られて鼻の骨を折る大怪我を負い、結局お金は盗られてしまったのですが、弟は友人の事を一切悪く言いませんでした。
「愚痴も恨み言も何一つとして言わなかった」です。
家族一同「警察に被害届を出そう」と言いましたが、それも頑なに拒んでいました(結局、本人の意思を尊重して出しませんでした)。
当時は「人が良いにも程がある」と思ってましたが、これは自閉症スペクトラムの脳からくるもので、友人を庇っていたのでしょうね(…とは言え、もし私が弟の立場だったら「自業自得だから仕方無い」と相手を庇ってしまうのではないか?とも思います)。
私は、弟や義妹のように「誰にも自分の辛さや弱味を打ち明けず、自分一人で抱え込もうとする人」に対しては同情的になり、手を差し伸べてあげたいと思う節がありますが、そこに漬け込み「(自分の要求を受け入れるまで)威圧的な言動を取り続ける人」に対しては「断固拒否」の姿勢を貫きます。
「中途半端に生易しい態度を取り、隙を見せた自分が悪い」ので相手を責めることはしませんが、受け入れることもしません。
以前「AS同士は妥協できない」の記事でもコメントしましたが、私の場合、その場にASDしかいない状況では「両極端な発想になりやすい」です。
例えば、勝つか負けるか、白か黒か、殺るか殺られるか…と言った感じですね。
なので(特に)内モードの愛着やこだわりの相手に対しては「支配or服従」の「服従」になりやすいのだと思います。
これは以前から自覚してましたが、「相手を支配できなければ、自分が相手に服従しなければならなくなる」「殺らなければ殺られる」と言う「強迫性」が自分の中にあります(もちろん、その発想が「馬鹿げている」ことは頭では分かりますので、口にすることはほとんどありませんが)。
この強迫的な発想は、その場にADHDが居れば和らぎます。
「非言語的なやり取りが通じない」と言う理由もありそうですが、私の場合は「一度相手の要求を受け入れてしまうと、その後も(パターン化して)同じ要求をされ続けるのでは」と言う不安や、「(白がダメなら即黒と言った)両極端な発想」からくる強迫性が元になっているような気がします。
ちなみに、こういった認知を修正してくださるADHDの人に対し、基本的に「利用」と言う見方しかしません。
(続きです)
失礼しました。
「利用」は違いますね(^_^;)
私が「孤立型ASD」だと思った理由に「こだわりの相手からは必要とされたいが、自分自身は相手を必要としないから」と言うのがあり、私の場合、(身内や彼、職場の人等)誰に対しても「利用は借り」として残ります。
それはADHDの「こいつは便利だから使おう」と言う意味の「利用」はもちろん、他者から優しくされたり親切にされたり…と言った非言語的なフォロー等も含みます(←この辺りは深読み&過剰反応も多く、勘違いも多いので、最近はADHD的な利用にしか反応しないようにしてます)。
例えば誰かにおごって貰ったりすると、「できるだけ早く私も返さなければ」と言う気持ちになり落ち着かないのですが、基本的に誰に対してもそうですね(相手が望まなければ、「おごる」以外の方法で返すこともあります)。
積極奇異弟も義妹も「相手に頼み事をするのは平気」みたいで、愛着相手に対して頼み事をしてやって貰うこともありますが、愛着相手からの要求にも直ぐ様対応するので、この辺りは「(誰に対しても)臨機応変な対応が苦手」な私とかなり違うなぁと感じました(愛着以外への対応の仕方は似てますが)。
最近、ジャイアン母の使う非言語とASDの非言語と(感覚的に)どう違うのか考えてましたが、何となく掴めてきました。
やはり上記にコメントした通り、相手がASDの場合は「一度非言語的な要求を受け入れてしまうと、今後もパターン化して同じ要求をされ続けるのでは?」と不安になることですね。
相手がジャイアンの場合はパターン化できませんから(たまに非言語的に要求してくるジャイアンがいますが、あっさりスルーできます…といっても、言語的な要求がほとんどですが)。
母も甥っ子もそうですが、ため息や強調した言い方、嫌味等の非言語表現が「(ほとんど利用に近い)その場だけの要求」なので、気が楽なのかもしれません。
基本的に(相手が誰であれ)非言語表現は分からないのでスルーするため、相手がASDだと「無視」と受け取られ、やり返されるのだと思いますが、私自身は「用があるなら言語で要求すれば良い」と考え、実行しています(これが「首尾一貫したこだわり」だということが理解できました。多分「責任」とは異なります)。
ASDも多数派も「本音と建前の生き物」なので、「相手と自分は違う」と割り切ることがほとんどですね。
では、この辺で…< (_ _*)>
そろそろ良いかな。
しばらくの間、冷静に自身の行動パターンを観察し、振り返っていたのですが、やはり「弄くられたのび太」で間違い無いようです(^_^;)
感情移入も、相手の立場になって考えることもできますし、何より「内・外が無く、誰に対しても正直」なので(このタイプののび太はジャイアンやASDに似ていると他記事にありましたよね。「積極奇異は合理的な助言が理解でき、自身の問題点も自覚できる」とあったので、早とちりして決め付けてしまったようです)。
あと、情緒障害のACだったこと・注意欠陥があること等をすっかり忘れてました。
「現実的必要の再インストール」に向け、日々精進致します。
何となく「自分に対し性的悪戯をした父を庇っていたのかも」という気持ちはあったのですが、(義妹や弟のように)「自分の気持ちに嘘を付いてまで父を庇うことはしなかった」です。
やったことはやったこととして認めて欲しいと思いましたし、それよりも「私自身が(父に対し)抵抗しなかったこと」の方が納得できなかったので。
やはり義妹や弟とは根本的に違います(最近、一緒にパーティーの場に参加して、自分は他者を感じないのだと思い知りました)。
(続きです)
以下は最新記事を読んで感じたことです。
ジャイアンADHD母の影響で「人より上」が当たり前になっているのだろうか?とも考えましたが、まぁ…責任を自覚できる時点で違いますよね(結果的に「言いなり」になることがあっても、親しい人に高圧的になることは無いので)。
「努力して結果を得る」という考え方は、(特に強迫的という訳では無く)「当然のこと」と納得していますが、私の場合は「面倒」という気持ちとの戦いですね(多分、この気持ちから「人からの要請」スタイルになり、丸投げして他者に甘えてしまうのだろうと思いますが)。
そう言えば、先程「相手の立場になって考えることはできる」と書きましたが、それで相手に対し同情的になり、相手のペースに流されて手を差し伸べてしまうことは良くないと考えます。
なので私に対し高圧的になる人には、やはり「断固拒否」の姿勢になりますし、誰に対しても、余計な手出しをしないよう「自身のコントロールが可能である」ということは自覚できるので、自閉症スペクトラムでは無いと思います(やっぱり、直後に自己突っ込みから「情けない」「卑怯だ」と自分を責めることの方が辛いですから)。
>愛着の相手に対しては、相手がひどい嘘つきでも、無責任でも、さんざん馬鹿にされていても、「でも相手は***だから」と変にかばう発想しか出てこない。
これは私にも当てはまるのですが、基本的に誰に対してもこういう発想ですね。
(別記事にもコメントしましたが)その時は「馬鹿にされている」と気付かなくても、離れてみて振り返った時「確か以前も同じ様なことがあったし、(他の人への対応と比べてみた時)もしかして私のことを見下しているのかも」と思うことはあります。
基本的に「言語的なやり取りしかできないKY」であることに変わり無く、人の近さも当てはまりませんでした。
「庇う」というより、「分からないし、断定できないからスルー」と言った方が近いです(ちなみに「今の発言は嫌味ですか?」と責任を明確にして相手に問い詰めたところで答えないだろうなというのは経験上理解しているので、言わなくなっています…というより、問い詰めるのも面倒です)。
やはり「かけがえの無さ」というのが理解できず、結局他者に対しては「話しさえ聞いて貰えれば誰でも良いのだろうな」と、自身を振り返ってみて思います。
「他者に無関心」なんですね。
(続きです)
あと「強迫的に努力することに対し、納得している」と書きましたが、やはりこれが自分に合ったスタイルだと自覚しています。
地道に努力していかないと、結局「何もできない」し、何より自分自身が「納得できない」ですから。
(私の場合は)待ち続けても「KY」故、チャンスが巡ってきても気付くことができませんし、自分が動きたい時に動けない方がストレスであることがよく分かりました。
もちろん、自分が動きたい時に動くのですから、他者に迷惑をかけぬよう「全て自己責任で」という発想になり、面倒なことは増えますが、それ以上に「自分の好きなようにできる」楽しみも増すし、総体的なストレスは少ないと感じます。
基本的に「自分から頼み事をするのが苦手」な部分は変わりませんが、これは「利用が苦手」なのではなく、「他者に頼むのが面倒で、できることなら自己流でさっさとやってしまいたいだけ」なんですね(苦笑)
今でもたまに「待つ姿勢(人からの要請)」になってしまい、楽をしてしまうことも多いですが…最低限、地道な努力を続けていこうと思います。
※この考え方を「脳の働きの違う方達」に押し付けるつもりはありません。
先生、「物理的に離れる」しかない事への重要性が分かりました。
「高圧的にされる」←→「断固拒否」
他にもいくつか数回繰り返して書いてある言葉があるところを見ると、これ以上の柔軟な発想が無く、本人の中で、思考がある領域でループまたは頭打ちになっているようですね。
私の妹は、のび太型ACのADHDだと個人的に思っています。
私の生活を直に見て聞いた感想が、ボソッと一言、「…料理作れよ…」でしたが、私が「…え?何て言った?」と聞き直すと「何でもない」と真顔で言っていました。(妹の一言を聞いてしまったので、やはりこのままでは駄目だと思い、「なるべく料理を作るようにしないとね(言葉だけの人にはなりたくないなぁ、という気持ちを込めて)」と前向きな事を私が言ったら、「そうしてくれると嬉しいわ」と言っていました。)
ASに見られるような「人の近さ」はありません。
以前電話で話した時に、自分の顔そのものについて、何か暗いものを抱えているようで、コスプレをするきっかけについて妹がうっかり自分からもらしてしまって、私もうっかり「え?妹の顔は、(某オリンピックで金メダルを取ったアスリートみたいに)クールビューティーじゃん」と、会話を続けてしまったため、妹は突然あわて出し、「そのことはね、話すとなると、昔の事から話さないといけない…」と急にゴニョゴニョし始め、「とにかく!私の顔はそういう事にしといて…!」「え?あ…うん」という風に話を押し切られました。
妹は実家の帰省時に、自分の将来の仕事について、あれやこれやと理屈をゴニョゴニョとしていましたが、先に妹が自分の暮らしのある県外に帰っていった後で、弟(孤立型AS)と、兄(受動型AS)と、私とで話したところ、弟の見解と大まかには一致していました。私の見解は、「自分がどんな風になりたいか、という事そのものが、自分自身でよく分からない」という事だろうなと思っていましたが。
弟は、「何か力になれたらと思ったんだけど、あれはだめだ」と言い、私は「うん…」と相槌をうち、兄は「え…?そうなの?」と言っていました。
妹は、「自分が○○しなければならない理由」をよく言葉にします。しかし、人の近さはないので、理屈をこねていてもあっさりドライ目な感じですね。
※以下も「私自身」のことを書いた内容です。
以前「自分にも被害的な発想があった」とコメントしましたが、これも少し違っていて、「被害妄想的な部分はあるけど、それが『妄想であり、根拠が無い』ことは理解できる」と言った方が正しいです。
なので、「自分の発想が間違っている可能性がある」と、直ぐ様自身を疑います。
元々「他者を動かすより自分を動かす方が楽」という考え方だからか、自分を疑ってみることはごく自然なことです(なので、自分が積極奇異だと思っていた時「愛着に対して甘やかしてしまうのは脳の働きが原因なら、自分で何とかしようと思うのは止めて、物理的に距離をおいた方が良いだろう」と思ってました)。
考えてみれば、元々KYで言語的なやり取りしかできないのだから、非言語の飛び交う環境下で「殺らなければ殺られる」という発想になっても不思議ではないですよね。
以前は「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」という不安が当たり前でしたから。
最近、身近なジャイアンや受動型ASDの愚痴を聞きながら被害的な認知について考えていたのですが、先生の最新記事で大分理解が深まりました。
(続きです)
私自身は「自分がされて嫌なことを人にしている時点で、偉そうに他者を責める資格が無い」という意味で自己突っ込みをしているのですが、どうも被害的な人達からすると、それが「見栄っ張り」「良い子ぶっている」と見えるようです。
それは相手が「自身の言動を振り返れないから」だけでは無く「平気で下に行けるから」という理由もありそうですね。
私自身は「何が普通か・上か下か」という基準が無く、「人それぞれ」なので、「他者を責める前に、自分に至らない点が無かったか?もしくは改善できる点が無いか?」その都度考えるしかないのですが(ちなみに、この発想が発端となり「甘やかし対応」をしてしまうことが多いですね)。
「立場が違う相手に対して、『自分が正しい』と主張しながら相手を責めることができる」のも、「平気で下に行けるから」なのだろうと思いました。
元彼の話になりますが、彼が障害を盾に、私に対して脅すようなことを言ってきた時「何故普段は『自分が正しい(普通だ)』と主張できるのに、都合の良い時だけ『自分は弱者だから』と相手に配慮を求めるような発言ができるのか?」不思議でした。
では、失礼致します。
「実家暮らしの未婚の義理姉」がいるという事は、「弟夫婦さんにいじられても仕方がない」どころか、「自分が実家を出て一人暮らしの生活をしないと、対等にはものも言えない立場になる」という事なんだけど、インターネットで大層なコメントを書き散らしているだけで、現実には引きこもりで自分表明する事にだけ力を使っているところに気がつかないところは、素で厚顔無恥なんだろうな。
私はこんな、口先だけで行動を伴わない、恥を知らない人にはなりたくないですね。
>以前「自分にも被害的な発想があった」とコメントしましたが、これも少し違っていて、「被害妄想的な部分はあるけど、それが『妄想であり、根拠が無い』ことは理解できる」と言った方が正しいです。
おぅ、妄想が理解できるようになったんだね!
過去を捻じ曲げるということはつまり正当化ですからやめましょう。
>考えてみれば、元々KYで言語的なやり取りしかできないのだから、非言語の飛び交う環境下で「殺らなければ殺られる」という発想になっても不思議ではないですよね。
以前は「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」という不安が当たり前でしたから。
これがなあ、どうして不思議ではないと思うのかわかりません。ASD環境でなくても、多数派だとしても、いつでもどこでも非言語の飛び交う環境ではありますよね。人間は六割から八割?九割?非言語でなんかしてるていうし。
過去記事に「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」という不安を持っている情緒障害依存型ジャイアンの子の話がありましたが、自分だけの有利不利感覚に敏くなければ、こういう発想出てこないんじゃないかと思うんですけど・・・
私はこれらの発想は、意識的に拒否するのでなく、考えても難しくて難しくてできないんです。わかってあげられなくてごめんね。
※念のために書き記しておきますが、私は上記↑のコメント者さんのコメントは見ておりません。
なので仮にその方が「引用して書いている」と言い掛かりをつけてきても、それはその方が「勝手に深読み&過剰反応」し、そう判断しただけであり、私に非はありません。
以下↓は訂正です。
元彼の発言についてですが、これは「平気で下に行けるから」では無く「外モードを見失っていた状態だったから」かもしれません(当時の彼は求職中で、家に閉じこもりがちな生活でした。彼の脅しには「非言語的な操作」の意味があったのかもしれませんが、当時の私には意味が分からず「何も言わなくても察しろって言いたいの?ストレートに言ってはいけないの?」等と返してましたが)。
「平気で下に行ける」とは「出世欲が無く、現状に満足できる」といった意味であり、自己突っ込みが無いのとは関係ありませんよね。
失礼致しましたm(__)m
ちなみに、私の周囲には「母親がジャイアン」の受動型ASDが多く、世間体重視の発言をよく耳にします。
中には(元彼もそうですが)鬱っぽかったり、何かしら身体症状が出ていて通院中の人もおり、職場で頑張り過ぎる傾向があるようです。
そうか・・?
もしも私の息子が結婚して、嫁と一緒に私の家に寄生してきたら、「嫁」が対等な口を利く権利なんかね~とおもうよ。
「家」の生計を維持するってことはガキが考えるほど簡単じゃない。私が四苦八苦して維持した「家」を、若いだけの女に好き勝手にされたくなはないね。まして大切に育てているわが子(未婚娘)を嫁がバカにするなんて、許されない。かっこうの雛のようなことをするんじゃね~よ。
厚顔無恥で立場を知らないのは・・・お前の方だよっ!
(追伸)
ちひろ嫁モードはまた別にあります(;一_一)
う~ん(ーー゛)
嫁モード、姑モードにはなれるけれど、義理姉モードになれない。
嫁はともかく、赤ん坊には健全な家≒健全な母がが不可欠なわけで・・・。嫁はともかく、赤ん坊と子供の地位を争うなんてみっともなくてやってられんと・・・もう潮時だと・・巣立つのかな?
単純に弟夫婦うざい。親もうざい。赤ん坊うるさい。面倒みたくない。もう家でるっ!!!が健全な義理姉モードかな?
(続きです)
以前は「ADHDが合理的思考をインストールする」ように、受動型ASDが自身を変えるのは困難だろうと考えてましたが、最新記事を読むと「思い込みの修正」や「不穏になったら愛着から離れる」等、自身で修正可能な部分があり、その為に「自身の脳の働きを理解する必要がある」ことがよく分かりました。
この前パーティーの場に参加した時「自分はASDかも」と疑っていたので、身内や初対面の人とのやり取りを注意深く観察してました(普段職場の人や家族等の身内が同じ場所に居る状況はまず無いので、良い機会でした)。
基本的にあまり変わらなかったですが、私と同じ「KYの人」とはよく話してました(あとはジャイアン甥っ子の世話をしてましたが)。
そこには受動型ASDの身内も数人居たのですが、皆当たり障りの無い話をする中で、私だけやたら(余計なことまで)話すので「よく喋るなぁ」「浮いてたぞ」等と指摘されました。
これが「依存(AC)から回復するということ」なんですね。
明らかに「人からの要請」だった頃の方が周囲のウケが良く、今の方が変人に見られるのですが「別にそれでも良い♪」と思えます。
あとは(大変ですが)持続させるだけですね。
そういえば・・
私の夫は嫁姑問題は全面的に私の見方をする。
「嫁の味方」以上終了みたいなかんじ。
姑訪問前後の私の行動が普通じゃなったからかな(;一_一)
姑が帰宅したら2、3日は寝込んでたからな。
耐え難い疲労感と睡魔とつめはぎ。姑会ったストレスで、私の足の爪をじぶんで剥いでぼろぼろにしていた。
私にとって「姑」という存在は私の許可なく境界を超えてくるカオスのような存在なのかもしれない。
私が姑に愛着をもつなんてことは絶対に起こりえないのに、私の内なる空間に入ってきたカオナシのような存在。
61㎡しかないというのに、長女が彼氏を連れてきて、長男が彼女を連れてきて、部屋を占拠し、部活からヘロヘロで帰ってきた次男が部屋に入れず、キッチンのほうに来て、所在無げにスマホをいじっていたりする。
もしも、長女の彼氏、長男の彼女が、次男にむかって「対等に物言う権利はない」とか「引きこもりで厚顔無恥、恥をしらない」とか言おうものなら、「勘違いも、いところだっ!!おまいらこそ出ていけっ!!!」って思う。(←現在の私)
・・でも・・
長男夫婦が孫を連れて家に来たら・・・
出ていくのは社会人の子供たちの方になるだろうなあ・・。
なぜなら孫を大切に思うから。(嫁は孫の母として孫にとって大切だとおもう)
もしもの時に、成人した子が孫と依存争いをするような幼稚な姿を見せられると、成人した子の健康状態にもよるけれど、一般的には失望するだろうな。
人生のさまざまなポイントで親(≒環境)からの自立のチャンス(圧力)があるだろけれど「兄妹が赤ん坊を連れて家に入った」もその大きなひとつだとおもう。
私の場合の話ですが、義理姉というのは、なにかと大変ですね。
嫁いできたばかりで土地勘のない義理妹に対して、初めての地域を簡単に案内することから始まり、旦那である私の兄からは、何かにつけて「嫁のことをよろしく頼むよ」と言われ、義理妹の体調などの様子に気を配る日々。義理妹(嫁)から見て姑になる私の母からは、嫁の至らないところの愚痴を、(最近ようやく嫁と母は言いたいことを言い合える仲になりつつあるところだけれども、)最初の頃は嫁本人に言わないかわりに娘の私に言う、、という。何この三方向からの板挟みは…と何度思ったことやら。
しかも私が一人暮らしをする際に、家電製品の選び方から、借りた物件へ家具の運び入れなどの、最初の各配置を、何もわからない私の代わりの戦力として義理妹にも手伝ってもらったので、、、私の方からは誰に対しても強く言えない、、、という。
最近は夫婦間で赤ちゃんを授かったことがわかり、「やっぱりあの時家を出てよかった…!!」という気持ちのほうが強いですね。
私は兄夫婦に子供ができた先まで同居したくないです。そこまで自分の人生を明け渡したくないよ、って思っています。
私は自分の自立のチャンス(圧力)を逃さなかったんだなぁ。よかったよかった。
兄夫婦は、結婚して私の母と同居することによって、家のローンを負ったり、世帯主(表札を新しくした)のことや、母の死後のことを話し合うなどの、数々の「責任」を、「実際の行動により」負って暮らしているわけです。
私は、家を出て一人暮らしという、世帯主としての「責任」を負っているので、私のことは、私の兄も、その嫁さんも、私の母も、そして私の弟と妹も認めているようです。
先日妹から電話が来て、なぜか私に向かってまた将来の不安を吐露していました。ちょっと強迫的になっていたような感じだったので、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないよ」と話のお茶をにごしておきました。
家族旅行の件でどこに行くかという話では、妹からは、お母さん(の要望)に合わせてばかりいるよね、と指摘され、私はもっと自分のやってみたいことを言ってもいいのか…と霧が晴れたような気持ちになったことにちょっとびっくりでした。
母と私と妹の、3人で旅行ではなくて、私と妹の2人だったらどこに遊びに行けるかという話になり、互いの行ってみたいところを出し合って、ちょっと盛り上がりました。
楽しかったです。
昨年度には父方の祖父の遺産分与の件で私にも知らせが来たので、一族の孫としての「責任」が、初めて目に見えた形となりました。ですので、成人したいい歳の大人が、自分の兄の子供と依存争いをするなんて選択肢は、私には存在しなかったです。
父方の一族から私が失望されるということは、一族の中での私の信用を失うという事でもあるので、私のジャイアン母は、いろいろなことを鑑み、私の健康状態の回復と、私が社会に出て自立する事へについての金銭的後押しは(渋りながら)してくれましたが、私が実家に引きこもり続けることだけは、決して許してはくれませんでした。(それは駄目だよ、とか、うらむんじゃないよ、と言われましたね。)
(私の母からは他に、「一族の中での私の父の立場」をひっそりと教えてもらいました。というのも、私は遺産分与の件について、なぜ私にも同等に知らせが来るのか、法律以外の部分で少し疑問に思っていたところだったので、その事を母にたずねたところ、教えてもらえたというところだったのですが、私の兄は特に疑問にも思わなかったようで、それ以上の事については考えなかったようでした…。)
私が現在やる事は、いかに自分の健康状態を保つかのバリエーションを、実際の行動により増やしていくという事です。それに伴って、できる事が少しずつ増えていくのを感じています。
>過去記事に「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」という不安を持っている情緒障害依存型ジャイアンの子の話がありましたが、自分だけの有利不利感覚に敏くなければ、こういう発想出てこないんじゃないか
確かに「殺らなければ殺られる」という強迫性は、ジャイアンの攻撃性とも受け取れますね。
おそらく、私の場合はのび太型で自己評価が下がりやすく、思い込みの激しい性格故「ASD環境の影響を受けやすかったのだろう」と考えています。
基本的に他者に関心がないので、人に対し「努力しろ」と言うことはありませんが、相手の要求を飲むことが当たり前になりパターン化してきた時は上記のように強迫的な発想になり、「断固拒否」することになります。
きっと「人からの要請」で待つ姿勢が当たり前になり、自分の頭で考えて自ら行動せず、周囲からの指示を待ち続けることでストレスになるのだろうと考えますが、ADHDは(現実的・合理的思考の再インストールにより)自身で修正可能ですから、地道に努力していこうと私自身は考えています。
>私はこれらの発想は、意識的に拒否するのでなく、考えても難しくて難しくてできないんです。
(続きます)
(続きです)
多分「自己突っ込みが無いから」だと思いますが、特に受動型ASDの人は無いのが普通ですから、それで良いと思います。
(私もそうですが)依存的なADHDや責任を自覚できる積極奇異型ASDは、例えば「被害妄想的な発言をした後、自己突っ込みが入って自分を責めるので、いずれ自分の発言が被害妄想的であったと気付かされる」のですが、自己突っ込みの無い人は自分の無責任な言動に気付かないまま「他者がおかしい」と責め続けることになるのだろうと想像します。
でも、受動型ASDの場合はそれが自然な脳の働きであり、矯正すればかえってストレスになるでしょうから、(最新記事のような事例を除けば)そのままで良いのだと捉えています。
「『殺らなければ殺られる』という発想は、損得に敏感なジャイアン型ADHDの発想ではないのか?」と、直接はっきりとご指摘していただいたこと、嬉しく思いました。
ありがとうございます。
※ついでに言うと、最新記事を読んだ時「自分が受動型ASDなら楽をすることができる」等と甘ったれた気持ちになりましたが、「そんなわけ無いだろうが!」と後から自己突っ込みが入りました。
ナサケナイデスネ…ヽ(~〜~ )ノ
「健全な義理姉モード」について。
義妹はうちに寄生しているわけではないのですが、隣町なのでいつでも家に来れます。
私は結婚も子育ての経験も無いので、義妹に対しそういったアドバイスをすることはできません。
また、私はジャイアン甥っ子の母親ではないので、「(親として)責任を持って彼を育てる立場に無い」です。
なので義理姉として義妹にできることと言えば…彼女が忙しい時に甥っ子の面倒を見たり遊び相手になることぐらいかな。
「責任を取れる立場に置かれてないのに、やたら他者のことに介入し、言いがかりをつけようとするならば、それは『依存的』である」と捉えます。
その時はこれで良いんじゃないかな↓
「かっこうの雛のようなことをするんじゃね〜よ。
厚顔無恥で立場を知らないのは・・・お前の方だよっ!」
ついでに言うと…私達コメント者は「匿名性が高く、言いたいことだけ言っていつでも逃げ出せる立場にある」ので、そもそも責任を取れる立場にありません。
なのでブログ内での揉め事は、必然的に「管理人であるやんばる先生の責任」になってしまいます。
相手の挑発に乗って叩くのは程々にした方が良いと、最近気付きました。
(続きです)
結局は「喧嘩両成敗(酷い時は責任転嫁される)」という羽目になってしまうので、下手に介入しない方が良い、「相手に悪気は無いのだから」と庇ったところで、何も良いことが無いどころか、気付かないうちに「共依存の片割れ」になってしまう…「人を認識できない」というのは恐ろしいものだと、最近よく感じます(ジャイアン甥っ子は特に一緒に住まない方が良いなって思います。気は楽ですが「漬け込まれている」ことに気付かず、知らぬ間に言いなりになっていることが多いです)。
個人的に「学校(部活)に通っている」なら、それは引きこもりでも何でも無いので、(仮に息子さんの立場でも)「相手の言いがかりでしょ?」と思います。
私自身は働いていて家に(最低限)お金も入れてますが、受動型ASDのような「常に受け身」の行動パターンに問題があるのだろうなと。
自発的に動かず周囲からの要請を待つスタイルですので、(特にASDの多い仕事場では)気に入られ易く、私も周囲の期待に応え(注意欠陥の部分を隠し)予定調和の依存的な行動パターンでしか動かないように身体が出来上がっている。
「現実的必要の再インストール」は根気のいる作業ですね(-_-)
私は先のコメントで、「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」という発想は状況察知能力の非対称がもたらすものではないか、ということを書いたわけです。自己診断に必要なのは基本的能力を見ることですので、自己突っ込みや攻撃性は二次的なものだと思うので、とりあえず自己診断には関係無い。
私は自分の状況のわからなさについて考えていて、私自身には非対称性は無いと思ったので、「ジャイアン能力についてわかれない(私自身の基本的能力ではわかることはできない)」ということです。つまり私は断固拒否したとしても「(人とは)いつ襲ってくるか分からない生き物」と言うことはできないのです。能力が無いので脳内に想起されないのです。
ところで私はASDとしては診断域にいないADDですので受動型ASDではありません。
私は本来状況察知能力は、たとえ非対称であっても有るほうが良いと思ってます。
ジャイアンと周囲にばれているのに、本人だけは否認しているところは馬鹿みたいに見えて、私はつかれちゃう。それも状況察知能力の非対称性がもたらす副作用なんですよね。近頃疲れるんですよね・・・ため息が出るようになりました。薬効でしょうか。
このブログで否認をする必要があるんだろうか?そんならこのブログは必要無いんじゃないのかしら。無意味な気がしちゃう。がっかりだよ~
先生の記事を読んで、ああ、私のことなんだと思いました。私自身は未診断ですが、受動型ASDの子がおり、その子に対する対応の仕方がまるで記事に書いてある通りだったんです。記事を読む前から自分は積極奇異くさいとは思っておりましたが・・・。なるほど子が悪くなるはずです。すこーしずつ本人に、それとは気付かせないように、いろんなことをさせるように・・・。こうでなければだめだとか思わないように。我慢、我慢、我慢。
先生、皆様、お久しぶりです。
mario (AS) です。
久しぶりにやって来てみたらサイトが移っていて、更にコメントに自分の名前が(しかも愛着の代表例として)出て来ててビックリです。やんばる先生がADHDに特化すると宣言したのでここを離れていましたが、再びASも対象にして頂けたのかな?
私は、ここを離れた頃からシングルパパ数年、その後知り合ったシングルママさんと再婚しました。
何と結婚3回目です。娘にも恵まれ、楽しくも大変な日々を送っております。
こちらで勉強したこと、皆さんに叱咤されたこと、当時はまだ分かっていませんでしたが、今の嫁さん(合理的ADHD系か?)は一旦キレた後(以前ならそのまま終わってたような場面)に少し間を置いてからでも必ず気持ち等を言語化してぶつかってくるので、何だか凄く良く状況が分かるようになってきました。
そうして得た知識を使って、頭をフル回転して状況分析して、対応している毎日です。
しばらくは嘘つきになった自分に苦しみましたが、世の中(多数派は)そんなもんだと達観しました。
社会の人に対しての色々な対応も(AS的には嘘つきですが)ずっと上手になりました、たぶん。
この状態が、積極奇異型ASの一つの解なんだろうなぁと思ったりしています。
ちょっと偉そうなコメントですが、世の中の見え方が当時と全然異なりますから。
最近は、思春期に突入した息子(たぶんADHD系)と嫁さんとのバトルの仲介に手一杯の毎日です。
ここでの知識である程度の状況判断が出来るのですが、まぁ対処は簡単ではないです…
また時々、閲覧メインですが、お邪魔させて頂きます。では。
前夫の親子関係が全く同じでびっくりしています。
と言われれば、前夫は受動型のASDかと思われます。ジャイアンかと思っていたのですが…
私と、父との関係に一瞬似ているとも感じましたが、そんなに依存していない…仲良しドライな独立タイプですので、父が積極寄異型ASDだとして(立派な仕事をしてました)私も積極かと匂わせつつ孤立型だから、その辺の兼ね合いでしょうか…
前夫とは、常に解決の見えない平行線の言い争いが絶えず、終了しました。
そうであれば、今の旦那様は受動型ASDと思いきや、友達が非常に少なく、増やそうともしません。。私と同じタイプな気がして来ました。。孤立型ASDカップルってことになるのかと…
私の過集中をそっと見守り、問題にしない点が、自由を感じさせてくれます。