私が依存型ジャイアンをジャイアン本流から一亜系に分離したのは、「(合理的な)自己突っ込みが無い」というADHD本体とも異なる大きな特徴からだった。
「主に非言語的なウラの表現と手段ばかり使い、合理的な思考をしない」ために自己突っ込みが生じない。
その結果「その場その場で場当たり的に周囲をコントロールして、自分の考えは無い」という見掛けを呈する。これは受動型ASと非常に良く似ているので、区別が難しい面がある。
このタイプは結果としては「境界性人格障害(ボーダー)」様という見掛けになる。このタイプを「ボーダー型」と呼ぶことにしよう。
対して、動作性IQの低いケースなどで、「合理的に考えないだけで、実は非言語的な操作は大して使えないのに、極端な行動化や脅しなどの強引で異常な方法で周囲をコントロールしようとする」という別のタイプもいる。
このタイプは不器用なので見かけは「ボーダー」っぽくは無い。思考も断片的なので自己突っ込みがあっても「自分の思い通りにならなくて切れているだけ」、「単発的で衝動的」という形になっている。このタイプを「丸投げ型」と呼ぶことにしよう。
非言語的な周囲の「操作」が巧みであるか否かの違いによって外見は大きく違って来るが、この二者は「合理的に考えない」「責任転嫁」という大きな特徴で共通する。
合理的に考えないから他者からきちんと一見不利な表現で重要な「本当の」指摘をされてもその意味が理解できず、最初は懐柔しようと下手に出て同情を買いに行くが、それが通じないと激しく「逆切れ」して相手を攻撃する。
自分の責任をきちんと自覚しないから、周囲の人の批判ばかりに終始し、自分の問題に直面することから逃げ続ける。
断片的な中心志向、エゴからの自己突っ込みはあったとしても、本当に必要な「合理的な自己突っ込み」は機能しないので、「同情を買いに擦り寄る→無責任さを指摘される→逆切れして相手を攻撃する」ことを延々と繰り返す。
根本的な問題は繰り返しになるが「合理的に考えられない」ことだ。合理的な自己突っ込みに身をさらすことは非常に辛いが、それがあってこそジャイアンは人に迷惑をかけないで生きていける。
合理的に考えても人に迷惑をかける醜い存在であることは打ち消せないが、合理的な自己突っ込みがあることでまだしも減らす努力は続けられる。悲しいがこれが「本当のこと」であるのだ。
>合理的な自己突っ込みに身をさらすことは非常に辛いが、それがあってこそジャイアンは人に迷惑をかけないで生きていける。
先生のこのことば、心に染みます。
前回のテーマの解離について、考えてみましたが、
時々何かの瞬間に、空から自分を見ている自分がいるような感覚に陥ったり、
運転中に気付くと実家に向かってしまっていたり・・・
不可解な体験を、すごく不快?というか、気持ちが悪く思っていました。
解離とはこういったことなのでしょうか?
>自己突っ込みに耐えながら、醜い自己中心的な脳とそれなりに付き合って行くスタイルを確立し、努力して現実的にある程度の実績を積み重ねれば、解離は不要となり影をひそめて行くだろうと想像している。
私にある自己突っ込みは、どの道とても苦しく辛いものなんですね。
しかし、本来人を必要としない私は、いくら一見楽そうであっても、依存に走ってしまうことは避けたい。
共依存に陥って身体症状が出て、自分が崩壊するより、
自己突っ込みし続けるほうが、きっと私(ADHD)らしく生きられるんでしょうね。
依存もなく、自己突っ込みもなく、無条件に楽しい瞬間(過集中時?)はとても短いけれど、私にとって、最高に心地良い瞬間。
その瞬間のために、今日も生きています。
しかし…
>合理的に考えても人に迷惑をかける醜い存在であることは打ち消せないが、~
・・・この一言、心に突き刺さり痛い。
はじめてコメントします。
先日、YANBARU先生にメール差し上げましたがゴンベエといいます。
記事を読んで思ったのですが、私は明らかに「丸投げ型」のような気がします。
特定の誰かに依存して共依存になるというよりは、誰でもいいので「責任を丸投げ」
できる相手を常に探しているといった行動パターンのような気はします。
>その場その場で場当たり的に周囲をコントロールして、自分の考えは無い
ということに関して、まず「自分の考え」っていうのが、まったくないです。
ピンチになったり、自分より強いものの意見によって、それまで「自分の考え」と
思っていたことが、でコロっと180度変わることが非常に多くあります。
※特に日常生活において、食欲や性欲など以外のことに関して、自分の意志で何かを
したいと思ったことは、これまでの人生でほぼまったくありません(常に誰かしら
からの働きかけでした)。
そのくせ、その依存相手(=責任をとってくれそうな人)から得た知恵をあたかも自分で
考えたかのようにマネしようとします。
また、「エゴからの自己突っ込み」というのも思い当たります。
自分の場合、特にピンチ・問題が発生すると「自力では何もできず、何もかもが怖い」と
いう根源的な不安感(考えてみれば幼少期からですが)が劇的に意識され、ピンチの感覚が
なくても動きづらい体がさらに動かなくなり(=イメージは普段の状態だと何とか生活を
できている過集中状態すらなくなる)、常に自分を責めて抑うつ的な状態になりますが、
これこそ「エゴからの自己突っ込み」のような気がします。
なので、「合理的な自己突っ込み」というのが正直わかりません。
私がACになった原因・・・ ・母のため息
・母の心無い私への攻撃の言葉
・母から父親の悪口をいつも聞
かされていた
・母からの寄生(依存)
私がACから脱せられた・・・ ・母には私より重い脳の障害
理由 があるとはっきり思えたか ら
・母と私は違う人間だと
思えたから
私が私でいるためには、以上のことがとても大切な事だったと改めて思いました。
生まれてきて何十年もの間、抗体を持っていなかった私への母ウィルスは、相当な威力でしたが・・・
やんばる先生にワクチンを打ってもらったようです。
私が良くなってきたせいか、なぜか夫や息子にも良い影響が出てきたような・・・
>合理的な自己突っ込みに身をさらすことは非常に辛いが、それがあってこそジャイアンは人に迷惑をかけないで生きていける。
今までの自分は、相当、自己中な観念を持っていたと思いますが、その観念から開放できてきたように思います。
・・・よって、夫、息子に精神的迷惑をかける事が少なくなり、 それが、良い方向に向かってきているのかな、と思います。
YANBARU先生、いつも合理的なご指摘ありがとうございます…。私は、この「丸投げ」タイプかと思われます。
幼少期から、カウンセラーに思考を「丸投げ」していて、自分で決めることはおろか、リアルミーティングでは、「頭がいい(?)から、状況分析は出来るが、自分の感情が全く出てこない」と言われました。カウンセラーに、感情を引き出してもらっていたんだと思います。
(ついでに言うと、性欲すらアラフォーまで余りありませんでした。)
時折、「思い付きで行動する」と、主治医にも言われますが、書きたいと言うこと以外に、あまり自発的行動欲がいまだになかったです。
中心志向や自己突っ込みが断片的なのは、乖離のせいなのか、丸投げのせいなのかよく分かりません。
(続きます)
特に受動型ASに対しては。非言語的コントロールが上手く出来ない→何でもかんでも「はい、さいですか」と服従する(「丸投げ」、)→フラストレーションがたまる→ある日逆ギレする、この繰り返しの気がします。
(積極奇異型ASの場合は、なぜだか向こうがあまりコントロールしようとせず、また「逆ギレ」を上手くよけるので、この問題はあまり起きないです。)
援助職慣れしている(?)私の場合、向こうが受動型ASだとヒサンな結末になります。
・・・それはともかく。(更に続きます、すいません)
「合理的自己突っ込み」が出来るようになるには、どうしたらいいのか。
以前、「貴女には自分の箱がない」と言われたことがあります。(もちろん、例えです。)「自分で決断して行動して、その結果それなりの自分の考えを作る」とでも言ったらいいのか。
現在、内省というより、実行動で「箱」を作ろうとしてます・・・自分の意志で、料理なり洗濯なり、あるいは人付き合いなりをして、その上で、(AS~多数派もですが、に頼らずに)自分なりの結論を出すというか。
自分の人生を、自分で作ると言う事を、この年になってやっと始めた感じです。
エゴから来る自己突込みとは、例えば、他人から自分の都合の悪い事を言われたら、
それは私のせいではなくてアノ人がこういったから私はこのような事をしたまでです・・・とか
又は、その時はそのような状況で、私は本当はそうしたっかったんだけどできなかっただけです・・・とか、言い訳をして、
なぜ、そのような事に及んでしまったのか元の原因を考えず、本題を考えようとせず、又、考えたとしても見当はずれで、合理的な人から見れば、そんな事言ってるのではなくてそれは、違うと言っても、又全然違う事を持ち出してきたりして、そして、最後は逆切れという形で終わってしまうのでしょうか。
合理的突っ込みとは、その人の真の経験から学び取ったものなので、逆にエゴから来る自己突っ込みの人から見たら、
そんな理想論語ってんじゃねえよ、
俺は俺で一生懸命やってんだよ、それなのにつべこべ言うんじゃねえよ・・・って思うのでしょうか。
エゴから来る自己突っ込みの人も、合理的自己突っ込みの人も、素直で、又ジャイアンは、家族以外の人から見ると、人当たりが良く、うまくやってる・・・と言う気持ちはあるが、
それが他人から見ると、自分の事しか考えられない人と思われていたり、変な人と思われていて・・・
でも、エゴから来る人は、それにも気がつかず・・・
合理的な人は、それにすごく気がついているから、
自分に対しても他人に対しても謙虚に接するが、かえってその謙虚過ぎる姿勢が又他人から馬鹿にされたように感じる・・・
というか・・・(きっとその他人もそのようなつもりで言っているのではないのかも知れないが)
それが、かえって惨めに思えてきたりして、又自己突っ込み・・・と言う形になるのでしょうか。ってこれってAS的考え?
>他人から自分の都合の悪い事を言われたら、
それは私のせいではなくてアノ人がこういったから私はこのような事をしたまでです・・・とか
又は、その時はそのような状況で、私は本当はそうしたっかったんだけどできなかっただけです・・・とか、言い訳をして、
なぜ、そのような事に及んでしまったのか元の原因を考えず、本題を考えようとせず、又、考えたとしても見当はずれで、合理的な人から見れば、そんな事言ってるのではなくてそれは、違うと言っても、又全然違う事を持ち出してきたりして、そして、最後は逆切れという形で終わってしまうのでしょうか。
>そんな理想論語ってんじゃねえよ、
俺は俺で一生懸命やってんだよ、それなのにつべこべ言うんじゃねえよ・・・って思うのでしょうか。
あははは、私はまさにこれです。(馬鹿ですね~。)
要するに、本質的原因(「本題」)とは、この年まで実家(父)にしがみついているのがよろしくないと。
PS;「共依存」関係だか何だかよく分かりませんが、男友達出来ました!・・・では失礼。
前のコメントの男言葉はウチの夫からのそのままの言葉です。
私は女です。(友達から考え方男見たいって言われますが)
要するに、私自身自分で合理的突込みが出来ているつもり・・・あくまでも、つもりです。
しかし、ウチの母も夫も、同じ部類というか、エゴから来る自己突っ込みなのです。私からみると・・・
私の言う事一応は、頭では理解してくれているようですが、ホントに頭だけって感じです。
私自身は、母や夫の言い分を理解したいとは思ってましたが、
でも今では、無理なのだと思ってきました。
だっていくら話しても、あるところまではつながってきてもそこからは、ずっーと平行線です。
結局は、私と二人は脳の作りが違うのです。
二人を見ていると、ホントに幸せな脳の作りだなぁと思います。
でも二人は、私の事を言いたい事言ってしたい事をして、
幸せだねェと言います。
(幸せの意味は、両方で違いますが・・・)
でも、向こうから見ると、私のほうがエゴから来てるのでしょうか?
上の続きです。
それとも、私も夫も母も、皆、エゴから来ているのか、
それともこんなこと考える私は、ASなのか・・・?
人の事はよく見えるのに、自分のことは全然見えていません。
うちの母親は明らかにジャイアンなのですが、私から見るとADHDの特徴とされている「自己突っ込み」が無いように見えて、そこが引っかかっていました。
でも、この記事を読んで「母親はこのタイプのジャイアンだな」と気付きました。
ASの私とは、話し合いを試みてもいつも平行線でしたね・・・。
ところで、この記事とは関係ない話になるのですが、やんばる先生の「偏屈者宣言」を改めて読んで、潔くて素晴らしいと思いました。
私はADHDではなくASですが、「変わり者な自分」を受け入れたつもりでも、まだどこかで「普通」になろうとして苦しんでいたんですね。
でも、どんなに頑張っても「普通」にはなれないし、そんなことをしても自分が苦しくなるだけだとわかり、私も「潔く普通になることを諦めよう」と思いました。
今の自分にとってはすごく的を得た言葉ばかりでした。
ありがとうございます。
むーんさん、こうして時々コメントをドリル問題集のようにしてしまい、うるさくてすみませんね。
>援助職慣れしている(?)私の場合、向こうが受動型ASだとヒサンな結末になります。
私の場合、若い頃にヒサンな援助をしてしまった側だと思っているのですが・・・(恥)
受け取る側がヒサンだと感じるぐだぐだなケース?とはどういうものなのでしょうね?
いや、言葉にして答えられないものでしたら、難しいことを聞いた私のせいですので、スルーして結構です。
私の“ぐだぐだ状態”の状況認識だと・・・
○歯に衣着せぬ物言いでハイテンポで仕切って欲しかったのに、ぴよよは冷静すぎてとろかった。だから欲求不満で腹が立って失望した。
○ぴよよはゆったり話すから言う前から色々見抜いて母性不足を埋めてくれると思ったのに、甘えたら正論ばかり繰り返す。だから欲求不満で腹が立って失望した。
○嫌なことを忘れられるくらい上手な雑談で遊んでくれたら問題行動を我慢できるかもしれなかったけど、忘れさせてくれなかったので責任転嫁のスケープゴートとして「ぴよよのせい」と言って利用した。遊び相手として理想化していたのに鈍くて裏切ったので、欲求不満で腹が立って失望した。
・・・というのが今までの印象的な一部の失敗の、私なりの分析なのですが、果たして有りなのでしょうかね。
いや、差し障りない表現で、フラッシュバックしない程度でいいんですけどね。
失敗を反省したつもりでも、視点がとんちんかんだったら、悪いと思うので。相手の子達に。
私が弱いのは、始めから共依存するつもりで“理想通りか裏切り者か”の姿勢で挑んでくるタイプだと思います。
いかに始めのコンタクトで“何か”を壊すか?と分かりかけてきてるのですが、コツをつかむのは難しいですね。
>始めから共依存するつもりで、“理想通りか裏切り者か”の姿勢で挑んで来るタイプだと思います。
あ~ありますありますこれ。依存性の強いジャイアン(と、言うより女性一般?!)にある。自分の思い通りの「王子様」夢見るタイプ。(いやはや私もそうなんですが。)
多数派だったら、こういうタイプは相手にしないか、弄んでポイ捨てなのかな~。と、勝手に想像したり。
(受動型ASと言うのは、考えようによっては「親切」なんですかね?ジャイアンの妄想に少なくとも、最初は付き合うと言うのは。ちなみに私は、女性の受動型ASで、散々親切にされた挙げ句、向こうが男性と結婚(推定)した途端、バッタリ連絡切られた思い出がありますが。)
>多数派だったら、こういうタイプは相手にしないか、弄んでポイ捨てなのかな
恋愛なら飽きたら捨てればいいんですよ。
でも私は仕事だから逃げられない。
男女関係のように埋め合わせできるもの~お洒落とか金銭の奢りとかフェロモン攻撃できるアイテムとか~が使えない環境ですし。
プロレスの金網の箱の中に入るような精神状態に持っていってでも会わねばならないときもありましたから。(いやな表現だな~。)
でも、こういう“逃げないから!”という姿勢を、未熟さゆえに見透かされるのが失敗の一つだったのかな。隙になったのかもしれないですね。
演技してでも、精神的には自由そうなそぶりをするのが望ましいのかもしれませんね。
今までお会いした精神科医などは、自由そうで元気はつらつそうなかたほど人気があったようですし。元気な相手にこそ、伝えたい!とまっとうなクライアントは思うものなのかもしれませんね。
しかし過去にはまっとうでない私がまっとうでない者を相手していたわけですが・・・。
やはりそこには“うまく言えなくても心のもやもやを分かって欲しかった。”という、ASにするには最も現実的でない期待が存在するような気がしてならないのです。
そこで始めに壊す“何か”こそ、ヤンバル先生の姿勢がヒントになるのかもしれないですね。
甘え、ほぼ丸無視。共感、同情を要求するサイン、ほぼ丸無視。相手を本来の道へ戻す言葉だけ言う。
子どもにこの全ては通用しませんが、これで壊されているもの、これで出る効果が、私の技術に足りないものでしょう。
これからも、記事はもちろん特にコメントの中に挟まれる先生のコメントに、勝手に注目していきます。
>男友達出来ました!
むーんさん、ごめんなさい。てっきり私の事を男だと勘違いなさってるのだと・・・
こんな、早とちりの自分・・・
又、最近、やんばる先生のエントリーから、ホントに自分は何者だろうと、
又、学習障害の可能性も十分あるので、
でも今強迫神経症と不眠で通ってる心療内科の先生には、あなたは発達障害などではないと言い放たれた事があり、信頼できず
近所の発達障害の子供を持つママ友達から教えてもらった、近所の精神科に問い合わせて、「すみません。大人の発達障害の検査もやっていただけますか?」と問い合わせたところ、
とんとん拍子に今日予約を入れることが出来ました。しかし・・・
病院に予約時間に行ったのは良かったものの、な、なんと、
保険証がないのに気づき・・・
今日は諦めました・・・
トホホ・・・
来週月曜日になりました。
私はうっかり『マタタビ』を投げないようにしないといけない。頭の隅には置いてあっても、リアルタイムにはなかなか難しいです。
私は言葉(特に情緒的な言葉)に引きずられやすいようです。
「母さんが悪かったのね」「傷ついてたのね」といった言葉を聞くと、「私が言いたいことが通じたのかな?」「反省しているのかな?」と思い、「わかってもらえたならいいや」「悪気がなかったならしょうがないか」と、あっさり引き下がってしまいます。
その割に、しばらく経つとまた同じことが繰り返されるので「この間の反省は何だったんだ」「学習できない人なのか?」と、混乱します。
私はあまり相手の言葉を信用してはいけないのかもしれません。信用というより、言葉に重きを置き過ぎてはいけない。
母は特にそうなのかもしれないけど、その場の態度や言葉は、その場を収めるためだけに発せられたものなのかも。
やはり、私は敢えて人から距離を取った方がよく見えます。(これは他者が近すぎるという私個人の問題でしょう)
プリプリ怒ったり態度で不機嫌を表明している人からは、直接相手をせずに離れて、何を狙っているのかを見た方がよくわかります。
私から見ていて、「依存型ジャイアン共通の特徴かな?」と思うのは、相手や場の雰囲気を左右しようとするところです。
(続く)
(続き)
彼女たち(このタイプは明らかに女性が多い)には、自分の言葉や態度が相手や場の雰囲気にどう影響を与えているのかを感じ取り、悦に入る特徴があると思います。
自分が使った単語を相手が使ったり、相手が黙り込んでしまったり、場が自分の望んだ方向に流れていくとき、「私が○○って言ったから(この流れになった)」という発言がよく見られます。
私から見る限り、彼女たちの発言は全く関係なさそうなときにもその言葉が出てくるので、「それ、誇大妄想じゃないのかな?」と思うときもあります。
周りが気を使って、彼女たちの意を汲むときも、とても嬉しそうです。
彼女たちが『権力者』(や『常識』)にぶら下がるときも、同じです。
権力者に好まれる(であろうと彼女たちが勝手に想像している)方法を掲げて、「これに従わないのは悪いやつ」というレッテルを貼って回ります。
彼女たちは、彼女たちの貼るレッテルを気にする(従う)人々を見て、悦に入っているように思います。
私には、彼女たちは権力者に「いい子いい子」してもらいたいのであり、そのために周りの人間を駒にしているように見えます。(他人を自己実現の道具にしている)
彼女たちには、明確な意志(他人を操作する意図・悪意・権力者にぶら下がるつもり)は自覚されていないのかもしれません。
しかし、私(外側)から見る限り、彼女たちは周囲への自分の影響力を確認し、満足しているように見えます。
古い記事にコメントしてすいません。
「丸投げ」はジャイアンに多いと書かれていますが、
一部の積極奇異型ASDの方にも時々見受けられるような気がします。
例えば、ASDの方は、自己突込みがない分、自分の不得意なこと、苦手なことの克服にはこだわらず、
自分の不得意なこと(例えば高齢のASDの方だと複雑なパソコンなどの機械の操作など)をやらなければならないときに、
すぐにそばにいる使えそうな人(自分の身内だったり、親切そうなのび太だったり受動型だったり)を、
アゴで使おうとするような態度に出ることがあり、
ジャイアン型である私としては、かなり「イラ」っとくることがあります。
ADHDもいろいろと不器用で、苦手なことがあるのですが、
まだ、自力で克服しようと努力するケースが多いように思います。
もちろん、今言ったケースは、すべての積極奇異型の方に充てはまるわけではないと思うので、
積極奇異型の方はどうか、腹を立てないでください。
現在、合理的なADHDを目指して奮闘中ですが、ついつい依存型っぽくなってしまうのが、辛いですね。
回復が難しいので、ついつい、ジャイアンと依存型ジャイアンは最初から別物なのではないかと疑ってしまいます。