受動型ASは「非言語的フォロー」というジャイアン猫が飛びつくマタタビを持ち、小出しに出されるとジャイアン猫は簡単にマタタビ依存症にかかる。
ただここに大きなジレンマがある。「必要」がはっきりした後はマタタビは無くなるのだ。
「釣った魚に餌をやらない」という表現は受動型ASの行動を非常に良く表している。受動型ASからすれば、「相手(ジャイアン)からの自分の必要」が保証されるまでは非常にやさしく(非言語的なマタタビいっぱいの)サービスをするが、いざ結婚するなりを期に「必要」が保証されれば、今度は受動型ASの側が依存できるわけで、サービスはぱったりしなくなる。
しかもこの依存は「面倒を見てやっている」「自分のおかげで生きていられるだろう」という共依存なので、思い切り偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度に「豹変する」という結果が必然的に起こる。
ジャイアンから見てこれが腹に据えかねることは説明の必要もないだろう。このまま我慢しているとAS被影響症候群や治り難いうつ状態になる。
ジャイアンは浅はかな生き物だ。最初にマタタビをちらつかせられるとほいほいと誘惑に乗ってしまい、その後の豹変に苦しむ。
ただマタタビに飛びついてしまう背後には、ジャイアン自身の依存性があることは確かだ。非言語的なフォローがあっても、厳しい自分の中の自己突っ込みから逃れることは出来ない。厳しい自己突っ込みに耐える以外の甘い逃げ道は全て病的な結果に終わると私は考える。
もっともらしいことを言う相手に対する「丸投げ」にせよ、非言語的なフォローに対する「依存」にせよ、自分で全ての責任を負わないこと自体、最後に自分で自己突っ込みすることになるというのがこのジレンマの背後にある「本当のこと」だ。
実はこれが、一番コワいです…。
次のパートナーが、受動型ASだとまじ困る。(((゜д゜;)))
まずは、自分の生活の自立(自律?)です…。
PS;AS父の実際は。どうも、最近老け役の多くなって来た柄本明ではないかと。…でも、母には最後の最後まで、よく我慢して尽くしていました。だからといって、どうだと言うこともないのですが。ヾ(≧∇≦*)ゝ
(続きます)
…AS父が、母に一見尽くしていたかに見えたは、あるいは母が動作性IQの高い「ボーダー」タイプだったからでしょうか??
それはともかく、私も立派に「依存型」に入る事が分かった今、最悪のカップルを作り上げないようにしなければ。
やはり、合理的突っ込みを「真の経験値」から編み出すしかないのでしょうか。
私が恋愛したとしたら?・・・想像するにも貧しい材料しかありませんが、私はどんな非言語的フォローをするのでしょうね・・・。
恐らく、必死でフォローしている間は、猫ちゃんの笑顔を作れるのが嬉しくて、自己主張を苦痛をこらえて我慢している状態なのかもしれませんね。
猫ちゃんが「ぴよよも楽しいんじゃなかったの!?」と面食らわせるほどに、実は、猫ちゃんの喜ぶツボを押さえるために、相当な我慢をしていたとか。
嫌いな目元メイクをしたり、鼻をかむのに場所を選んだり、かむのに音を立てないように努力して立てたら自分を責めたり、腰が痛かったのにまるで元気一杯で暇だったように見えるように振る舞ったり、猫ちゃんの“理想的な彼女像”を読みとったらその通りを自分に強制して、こだわった通りにいかなかったら自分を責めて、最後はその努力を読みとって褒めろと相手に要求する・・・?
(良くないことでしょうが)こうして頭でシミュレーションすると、非言語的フォローとは、建前として楽しくするものではなく、我慢であり努力である、ということなのでしょうか。(きっと本音は楽しいんですよ。必要とされながら相手の好みに応じるって。)
男性の受動ASは、その辺どう自分の価値観の中で位置づけているのでしょうね。
お聞きしたいですね。
男女の恋愛の中では言葉にしてはいけない部分がある、とは本でよく見た、理解不能なルールの一つでした。
どうやら、しらけるらしいですが。
しかし発達障害にも適用すると不便でしょうがない気がします。私はしゃべりたいし、しゃべって欲しいです。
何を言葉にしなければならなくて、何ならわざわざ言わなくても問題ないのか、そこまでルール化を研究してくれる研究家が現れたら面白そうですね。でも実践しませんが。
>きっと本音は楽しいんですよ。必要とされながら、相手の好みに応じるって。
なるへそ。これは、ピアメロディの著作で習った、「回避依存症」の方々と通じるものがある気が致します。
それはそれとして。積極奇異型ASって、おっちょこちょい(!?)ですよね~。こういう事を割と平気で相手に暴露してしまう(傾向があるよな)気がする。
「俺こうなると楽しいんだよ~」みたいな正直さ。
全ての積極奇異型ASがマストだとは言いませんが。ジャイアンにとって、距離さえ置いていれば、まだしも楽な相手です…。
AS夫とはその通りでした。
私はジャイアン傾向だとは思うのですが、実はこの夫との結婚は気がすすみませんでした。
苦労するのが容易に予想出来たからです。
しかし、母親は賛成しますし、当時まだ人生経験も少ない自分の感覚に自信がなかったもので、周りの大人たちに意見を求めたところ、良縁だと言われました。
現在の私は状態が悪いので役所の福祉課に相談に行ったところ、家を出たら生活保護や援助を受けられるそうです。出て行けて生活の保証がある、普通の人には計算高いと嫌悪されるだろうと思いますが、嗜癖もある夫とこれ以上病的な関係に陥らないためには、その安心も必要だと思っています。
背水の陣を敷くよりは逃げ場を確保しつつのほうが良い場合もあるのだと考えています。ASの夫とは向き合いません。
視線を合わせず、ながらの片手間くらいの感覚で対応するくらいが、お互いの領域を侵さずに平和でいられます。
たまにキツイと思うのは、気が休まらないからです。気を許すと依存のつけ入る隙なので、ボーっとしつつ内心では気を張っています。
積極奇異型ASを自認していますが、ここに書かれているような行動は自分にもあるように思います。
AS側からの説明としては、関係を作る時と、関係を維持する時で行動が変わってしまうと言うか…適切な例が思い浮かばないのですが、例えば「愛している」という言葉は気持ちが盛り上がりつつある時には言えるものの、愛している気持ちが安定したら 以前も今も愛している→状態に変化はない→新たにそれを言ってはいけない(言うと後ろめたい状態があったように思われそう)と言った感覚があります。同じことが、まるで「またたび」を出さなくなったような行動として現れている気がします。
その変化は、物事を表面的にしか捉えられない(らしい)ジャイアンに厳しいのですよね。この溝を解消しよう(緩和しよう)と思うと、ASは相手の受け取り方を常に念頭に置く必要があるし、ジャイアンはASの表現の向こうにあるものを見る必要がありそうだ。
私は今、相手の受け取り方を常に念頭においていますが、嘘吐きになってしまった自分に苦しんでいます。これは、世間では嘘ではない、ADHDにとっては真実だ、と考えてその苦しさを我慢しています。
ジャイアンは何をすれば良いんだろう?マタタビをちゃんと認識して、その中毒にならない?もちろん、マタタビを持ったASに近づかないっていうのも答えのひとつでしょうね。
またたびを与え続けるAS…ってのは無理かな~
うーむ、耳が痛いですねー。
ところで、
>しかもこの依存は「面倒を見てやっている」「自分のおかげで生きていられるだろう」という共依存なので、思い切り偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度に「豹変する」という結果が必然的に起こる。
こんな偉そうにしてて、「お前なんかいなくても生きていけるんだよ!」と逆切れされるという可能性は考えないんでしょうか。それが驚きです。
ところでぴよよさんが書かれてますがAS元夫もそんな感じです。というか、本心はそうだったのか!と思いました。
本心を隠して相手が喜ぶことをして、とか私から見たら金目当てのホストと同じに見えます。(ぴよよさんを責めている訳ではありません。気を悪くされないでくださいね。ぴよよさんも悩まれてるのですよね。)
目当ては相手の自分に対する依存だったのかぁ。そりゃぁそんな無理してたら反動も来ますよね。そんなのに喜んでたなんて、自分はなんて浅はかだったのかと思います。
ここから言い訳です。
ほんと、自分はADHDだなと思いますが、マイルールとして、「○○はだめ!」と決めてあるのですが(無意識に)、それにちょっとでも外れると頭が働かなくてわからないんですよね。
たとえば、金を貢がせる男はだめ!とか暴力はだめ!というのは分かっても、共依存相手を求めてる男はだめ!とは応用できない。(今はマイルールに追加されたから大丈夫ですが)
もやもやと「なんかまずい気がする~」と思っても、マイルールと照らし合わせて該当する項目がなかったら、それ以上考えられないんですよね。臨機応変に調整して判断するのが苦手かもしれないです。
ジャイアンです。
が、マタタビを持っていたような気がするのです。
相手が自分から離れないだろう(実際はそんな事は無いのに)という実感を得られたらそれまでのサービスは低下します。
それまで頑張ってやってきたことの半分位は自分には過負担な事だったので永久に持続する事は到底無理な事。
フルタイムどころかパートタイムでさえ、
労働が難しい時期もあります。
その分のしわ寄せがパートナーに回ります。
するとパートナーは自然に、
「面倒を見てやっている」
「自分のおかげで生きていられるだろう」
という感覚を覚えるのはわたしには自然な事のように思えるのです。
人並みの生活を自分自身で維持できるような自立が、
パートナーのどちらかが困難な場合でも、
心の面で対等に、自律し合って共存していくことは可能なのでしょうか?
例えば、努力すれば、
自分を卑下するクセや歪んだ認知を正せれば可能な事だと希望を持っていたいのです。
> 「釣った魚に餌をやらない」
・・・似たような感覚に(自分が)なったことは多々あります。相手もそう感じていたらしい発言も、過去、何度か遠回しに聞いた覚えもある、、ような・・(笑)。
でも、私の中では「餌」をあげた気がない。。
というのも、
>必要とされながら、相手の好みに応じる
・・・っていうことが無かった・・。
自分がやりたい喜ばせ方でしか、相手を喜ばそうとしなかった・・かなり自己中!
よくよく考えて、言葉にしようとすると、
釣った後、興味の対象が移る(別のカタチに変わる??)
それが、相手に対する態度として表れてしまう・・。
「嫌いになった」とか「愛していない」とかではないにしても、それまでの関心の強さが、何か他と分散されたてしまったり、移ることが相手には耐え難い、、、のかと・・・。
いろいろなカラクリが見えてくると、私が喜ぶことをしてくれて「嬉しい!!」って気持ちが、素直に感じられなくなって、やや寂しい気もしますが。
がしかし、かなり単純なんでホントに嬉しい時はモロ全開で表にでてしまうんですけどね。。
親子間での依存のパターンが、そっくりそのまま恋人・夫婦関係に持ち越されているように見えて、でもどこかで反転しているようでもあって、奥が深い!!
まだまだ、、って感じですね。
ここまでひととおり読んだ感想ですが、自分一人で自分の心身を完結させられない人間が、別個の人間を求めてもどだいうまくいかないですね・・・。
でも、人の面倒を見られるくらい完結、完成している人間て、どこにもいないですよね・・・!
marioさん、男性の言葉を言える貴重な代表ですね。
>言うと後ろめたい状態があったように思われそう
そうですね。私の父は人をそこまで勘ぐりはしませんが、過去には似たようなことを考えていたようです。「なんでそこまで言わなきゃならん?」
母は大した不満もなく済みましたが、私の成人男性のパーソナリティの理解が大きく遅れました。さらに弟からインストールした情報の比重が大きくなり、一時は“世話をされたがっている男性”以外のパーソナリティがさっぱり分かっていない時期がありました。精神的に自立している男性が本当に存在していることを、実感を伴って解ってきたのは就職してからでしたね。
>またたびを与え続けるAS…ってのは無理かな~
若い頃、真面目に考えたことがありましたよ。
私はASですが、わからんちんは同様なので、安心させるサインを与え続ける男性は存在しないのかと。
そこで、ずっと前の記事で目に留まった“別居婚”を思い出しました。
同居すればどんな組み合わせでも“必要探し”“逆ギレ”を繰り返す気がするんですよ。
しかし、物理的に離れればまた相手が大事に思える時って来ると思うんですよね。過去にインターネットで発達障害当事者を観察してきて思いました。だいたい距離を置いても戻るんですよ。他の人も、私も(今は戻ってない)。
試して欲しいですね・・・他のどなたかが。
続きます。
>(ぴよよさんを責めている訳ではありません。気を悪くされないでくださいね。ぴよよさんも悩まれてるのですよね。)
ご丁寧に気を使って頂いてすみません。パパイヤさん。
私もなのかもしれませんが、男性はどうして自身が態度を変えるとき、理想的な暗黙の了解に頼って、言葉に出さなくて平気なのでしょうかね。日本の文化を自分のいいように取っているのでしょうかね。
欧米のダンスパーティのように日本の教育期間の間も、修行のためにいっそ男女交際を奨励したほうがいいのでしょうかね。
楽しみや依存のためじゃない、修行のために!
・・・やりたくないです!
いや、大人になってからこりごりして恋愛したくなくなる発達障害者が増えて・・・ある意味いいのかな・・・・でも嫌!
>ちょっとでも外れると頭が働かなくてわからないんですよね。
>金を貢がせる男はだめ!とか暴力はだめ!というのは分かっても、共依存相手を求めてる男はだめ!とは応用できない。
>もやもやと「なんかまずい気がする~」と思っても、マイルールと照らし合わせて該当する項目がなかったら、それ以上考えられない
よーく、よーく分かります!
私、ADDも持ってますので単純です。融通が利かないです。自分の欠陥が、恐いです。
発達障害を知る前は、この思慮足りなさを恐がることを恥ずかしいこととも思っていましたが、知ってから、堂々と恐がれるようになりました。
私はのび太だと思うのですが、
>またたびを与え続けるAS…ってのは無理かな~
私はAS夫からまたたび与え続けてもらってると思います。
なぜなら、またたびをくれる間は私は夫の言うことを大人しく聞くけれど
くれなくなったら、サッサと居なくなる準備を怠っていないから
それを夫もどこかで気がついているから、
だと思っています。これは共依存でしょうか・・・
これには切欠がありました。(これ以前は「釣った魚に餌をやらない」人で、威圧的なだけだった)
私が依存しそうになっていたジャイアン友人(今思えばジャイアンだったんだなと思っています)に、
「迷惑だから、もう会う事はない」と言い切ったときでした(そして二度と会っていません)
私が自分の弱さに付け込ませたのでしょう。
このジャイアン友人にはさんざん振り回されて、いい様に使われる結果となってしまいました。
苦しむ私に、唐突に夫が意味不明なことを言い出したんです。
揉め事に夫は一切関係ないのに、
「俺の事も何時か切るのか?」夫はそればかり気にしてました。
なぜ、そこで自分(夫)を持ち出すのか、当時は夫の言動が全く意味不明でした・・
AS男性が駄目女に目がくらむという話が以前にあったかと思うのですが
まさに夫はこの状態です。
私に夫が必要だと言わせることが大満足の様子。
夫自身がジャイアンでは適わないと思うのか、
強いADHDタイプを異常に嫌って避けたがります(私の周りはジャイアンばっかりなのに・・)
夫にとって、のび太はこの上ないご馳走なのではないかなと最近思うことがあります。
AS夫を安心させる為に、私はのび太を誇張して演技している部分があるかもしれません。
またたびを貰う為でしょうか? 解りません。
私としては喧嘩ばかりするより、円満にと願ってのことですが、いけないことでしょうか・・
私はまたたびを貰って、せっせと頑張りますが、頑張ると言っても、
冷静に計算していて、お手柄はやっぱり自分の物です。
夫のお手柄を奪うような事はしません。
これで良いのか解らないのですが。
今のところ問題は起きていないです
これって、共依存なのでしょうか・・
>心の面で対等に、自律し合って共存していくことは可能なのでしょうか?~可能な事だと希望を持っていたいのです。
・・・自分も希望を持っていたいです・・。
あちらこちらにシワ、寄せながらでないと、生きていけそうもない人間なので・・。
例えはちょっと違うと思いますが、介護する側、される側の関係でも、精神的自立が困難になり易いと聞いたことがあります。
どうしても、される側は「してもらっている」という気持ちから、別の場面で自分の気持ちや要求を出せないでいたり、
する側も自分のしたいことを優先するのが、「いけないこと」のように感じてしまって出来なくなってしまったり・・。
そういう時は、する側の人に全く相手のことを考えない時間を、1日に1回作ってもらうようにするんだとか・・・。
そのまま応用できないかもしれませんが、ぴよよさんがおっしゃる「別居婚」はこの原理のような感じで、いいかもしれませんね。
距離を置いても戻る・・・となると、戻ったなりに距離を置く??とか(笑)、、難しそう・・?!
労働を含めて自立できない部分は部分としてきっちり認めて、精神的な自律は少しづつでもしていけるような、そんな方向で進めていきたいとは思うんですけどね・・。
「釣った魚に餌をやらない」ウチの夫は、結婚後新婚旅行から帰ってきて始めての日曜日にちょっと遊びに行ってくる・・・と言い、1人でパチンコに行きました。
そんなのが2年ほど続き、その後夫の変な趣味が私に見つかり・・・そして、ここ最近夫の決定的な性癖がわかりました。(この事は、以前にも書きましたが)
ここ、13年ずっとセックスレス夫婦です。
私のほうが拒否し続けてます。
この間主人は、「お前、誰から食わしてもらってると思ってんだ」と言う言葉から始まり、子供に向かっては、「お前のためにいくら教育費がかかってると思ってるんだ」など、
ひどい言葉をたくさん浴びつけてきました。
結局私は、産後、鬱になりその時は、それが鬱だとは、気づかずに・・・そして今に至ってます。
夫の決定的性癖がわかり、その後立場は夫と私で逆転で、今では私の方が、表面上は強くなり夫をいつも言い負かしてますが、でも私の気持ちは、トラウマとでも言うのでしょうか・・・夫の変な性癖道具を見るたびに(夫が部屋のどこかに隠してるため、片付けるときなどにヒョイと出てくる)ナンとも言えずイヤーな気分になり、又、鬱再発です。
それでも、夫は変な言い訳を繰り返し、挙句の果てには寝たフリ。
そして、今でも私や子供の誕生日などなりますにプレゼントも一切なし。
結局今では夫は、私の金づる、だと思い我慢しています。
独身のときは、本当に紙ではなく、プラスチック製の箱入り娘で又、男を見る目がなく、世間知らずで、周りが全然見えてなく、そして母に進められるがままに結婚してしまったというのが・・・今になって、大後悔です。
>しかもこの依存は「面倒を見てやっている」「自分のおかげで生きていられるだろう」という共依存なので、思い切り偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度に「豹変する」という結果が必然的に起こる。
>このまま我慢しているとAS被影響症候群や治り難いうつ状態になる。
・・・何で、家から歩いて20分の作業所(しかも、基本的に居心地のいいところ)に、週3回しか行く元気が出ないのか、ヘンだヘンだと思っていましたが。
今日、やっと気がついた。(あほ。)作業所のチーフの女性が、多数派とばかり思っていたけど、恐らくは受動型ASなのです・・・(@_@。
今、かなり陰険ないじめに遭ってます。抑うつ状態になる訳だ・・・市役所の支援センターの女性にも、「状況を打開せねば」とゆわれた。どうすべ。
続きです
紙の箱だと、燃やしてもOKですが、プラスチックだと、燃やすと毒物が発生して大変です。
結局私は、ダイオキシンなのか?
>しかもこの依存は「面倒を見てやっている」「自分のおかげで生きていられるだろう」という共依存なので、思い切り偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度に「豹変する」という結果が必然的に起こる。
先生の言われる通りのことが起き、その瞬間から、私は離婚する日のことしか考えなくなりました。
私としては「またたび」に引っかかってしまったとはいえ、
とりあえず『結婚』が出来たわけだし、『子どもは3人』欲しいと考えていたわけだし、
仕事は本当に辞めたくなかったけど、子育てにも専念したい気持ちもあって、それが叶うだけの収入がある人だったので、
そのための利用価値は十分あったわけです。
食卓テーブルが床の木目とズレていた位でキレるような、「顔見てわからんか?」と抽象的な表現で不機嫌さを表すような・・・
そんな旦那に耐えながら(依存しながら)、十分に利用させていただき、
その結果鬱状態のような身体症状に苦しむことになり、
やっと、合理的自己突っ込みが復活したその時、離婚を口にしました。
結婚した時からこの日が来ることは分かっていた(決めていた、と言ってもいいかも…)。
旦那の『偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度』に耐えながら、
私は、(オレ様の目の前から消える日を夢見ながら)美味しい物を食べ、欲しいものを買い、行きたい所に行き、子育てを楽しませていただきました。
>もっともらしいことを言う相手に対する「丸投げ」にせよ、非言語的なフォローに対する「依存」にせよ、自分で全ての責任を負わないこと自体、最後に自分で自己突っ込みすることになるというのがこのジレンマの背後にある「本当のこと」だ。
・・・本当のことだと、私にも分かります。
自分で起こしたことの責任を自分で取りました。
自分で決め、自分で実行し、自分で責任を取るのは、気持ちがいいです。
ジャイアンなわたし、その夫は、程度の軽い受動型ASと思われます。
いろんなタイプの男性と付き合いましたが、たしかに受動型ASってこっちもラクなんですよねー。「ダメなまま」でいるほうが喜ぶので、どんどんダメになっちゃいます。
でも、ダメ人間は、しょせんダメ人間。自分を「女として」成長させてくれたのは、受動型AS以外の男性の方々でした。
以前別のASの人と付き合ったとき、自分の浮気がきっかけで、途中から「立場逆転、相手の言いなり」になってしまいました。最後の頃はもう、一緒にいて楽しいというよりは、ただ「かつて自分が相手にひどいことをしてしまったから」という気持ちしかなかったように思います。「いいなり」のなかには、「彼の想定するわたし=かわいいダメ人間ちゃんを演じる」ことも含まれていました。
彼は、「彼の手のひらにいる限り」好きなようにしていいよ、という態度で、傍から見れば、理想の彼なのに何がいやなの、と言われましたが、やっぱりだめでした。
一方で、彼の自分への愛着がなみなみならないということは知っていて、後日、新しい彼女ができたと知ったときは、ものすごい衝撃でした。自分は彼とは付き合えないのに、彼の愛着の対象じゃなくなったことがショックだなんて、ものすごい自分勝手な話ですが。まあジャイアンなもんで。
(続きます)
(続きです)
今の夫と出会ったときすぐ、「これは彼の再来だ」と直感しました。
でも幸いなことに、昔のAS彼と別れた後いろんなタイプの男性と付き合って、自分がこういう男性の何に惹かれるのか、逆にこういう男性がなぜ自分のような女を好むのか、は大体理解していました。
さらに、昔と違って、今は自分には仕事があり、仕事の中で自己実現をしていきたいという気持ちがあります。
そのためには、夫のような人間が「パートナー」として、最適だと思っています。…つまりはYANBARU先生のいう「利用」ってことですかね。
やはり先生の言うとおり、ジャイアンには「自立」って本当に大事だと思います。
自己突っ込みと向き合って、ひとつひとつ前に進んでいくこと。
その自覚を持てば、ADHDにとってASはパートナーとしていい存在になりうるのかも…(AS側がどんな人間かにもよりますが)
ここまで書いて、「のだめカンタービレ」思い出しました。
うちの夫も千秋様ぐらいかっこよくて才能があって家事が得意だったらいうことなしなんですが…
夫は、私の金づる、だと思い我慢しています。
(こう思うまで、何回も離婚しようと夫にも話し、又、家庭裁判所にも相談に行きました。)
そして、私がこのような心境になるまでに、ずいぶん時間がかかりました。
夫を利用しても仕方ないのだ、向こうは向こうで私に依存してるのだし又利用してるのだから・・・
でも、結局今はあくまでもただそのような心境になっただけで、きっと自分自身では納得していないのだなぁと、痛感しました。
このままいくと、私は母の二の舞になってしまう・・・
母はべったり父に依存しています。いつも夫婦喧嘩をするので、子供の頃こんなに喧嘩するのなら、離婚すればいいんじゃないと母に言ってました。母は、子供の幼い疑問に、「そんな事をしたら、あんた達を育てていけない。お母さんは、あんた達のために我慢してるのよ」と言われてました。
そして今の私は、今主人と離婚してしまうと、子供を大学まで出してやる事はたぶん無理でしょう。
母に言われた心無い言葉を、私は子供に言った事はありませんが・・・
母は、私達が巣立ってもうずいぶんたちますが、
今も父に依存しています。そして、「お父さんより先に死んじゃうと、お父さんがかわいそうなので、私は先には死ねない」と、言ってます。
でも、たぶん母が先に死ぬと、父自身は羽が伸ばせるのだと思いますが。そして、真の自分自身やりたい事が追求出来るのではと思います。
しかし、もし父が先に死ぬと今度は母の依存先がなくなり、その後大変な事になるのでは・・・?
まぁどっちが先に逝くかは、神にしかわからない事ですが、
でも、両親は、私のなりたくない見本です。
息子も私のような気持ちなのだろうか・・・と考えてしまいます。
すみません。
さっきのコメント書いた後に先生の前のエントリーを読み直し、又そのときに書いた私のコメントを読み直し、私は自分で自分を合理自己突っ込みだと思ってましたが、実はこれが、先生のエントリーの言葉から私が私なりに解釈していたエゴから来る自己突っ込みなのだった・・・と、思い知りました。
・・・このような状況だったからこのような事をしたまでです・・・的考え。
っていうか、さっきのは、このような状況になりそうだから、このように考えてる・・・という・・・
>自分で全ての責任を負わないこと自体、最後に自分で自己突っ込みすることになるというのがこのジレンマの背後にある「本当のこと」だ
本当の真のジャイアンには、結局最後はすべての事が、自分に返ってくるのですね。
それに逃げていてはだめだと言う事ですね。