ここのところ、私が自身のジャイアン的攻撃性をこの場で隠さないで曝していることに反応するジャイアン諸氏が多いのに驚いた。
私のジャイアン母は、屁理屈を言いまくり、弟を残忍にいじめるかつてのジャイアン子の私に対して、「無視する」という方法を取った。弟だけと話し、私が何を訴えようが全く無視し続け、小学校に入る前に私は情緒障害(離人症)となった。
母親も自分もジャイアンであることが分かった今、私は母を咎めようとは思わない。なぜならジャイアン親の取るべき(取りうる)方法は、「子供を突き落とす」か「共依存に持ち込む」の二つしか無いだろうことが分かってきたからだ。
突き落として子ジャイアンの自己評価を地に落とし、ACにして親ジャイアンの優位を確立する。子ジャイアンのACは(普通のACとはかなり違うものではあるが)実に3、4歳でも形成される。
私の母は突き落とす方法を(屁理屈で反論出来ないように)非常に巧妙に行ったということになる。
重要なのは、その後の子ジャイアンの生育に大きな影響があることだ。突き落とされた子ジャイアンは「自業自得の砂漠のライオン」として生きて行く。ジャイアンの攻撃性は抑圧されることは無い。
さて親のとるもう一つの方法は、親自身のあからさまな不安や不幸を見せ付けることで、子ジャイアンに同情、憐れみを求め共依存に引っ張り込む道だ。
この場合に子ジャイアンに形成されるのが、「見下す」「かわいそう」というパターンなのではないか? と私は想像している。弱みを見せている親に対して当然生じるべき(親としての責任を果たさないことに対しての)怒りを、「かわいそう」と考えることで押さえつけてその後生きていくのではないか?
このタイプのジャイアンは攻撃性を抑圧し、共依存を対人関係の基本モデルとして成長するため、大人になって依存性の矛盾から身体症状や抑うつなどの病的反応が出てきても、なかなか自分の中の依存性を断ち切れない。
私は私の母に共依存に引き込まれなかったことを感謝するべきなのかもしれない。私自身の中に共依存の病的なパターンを(がん細胞のように)植えつけられることだけは回避できたからだ。
初めまして。昨年末に AC&ジャイアン診断を受けたものです。
このブログを読んで 子供の頃の 最初の記憶が 泣いているジャイアン母を見て “かわいそう”と思った事。あれから 母を守らねばと 共依存の道 まっしぐら。
母を”かわいそう”と思わなくなったのは、親の反対を押し切り 親の軽蔑する仕事に転職した頃と 重なります。
私自身 “かわいそう”という言葉に 拒否反応があり 今 振り返ってみれば “かわいそう”と思ったのは ジャイアン母一人 かもしれません。
“かわいそう”に拒否反応を示すのは 共依存の危険から 逃げようとしているのかもしれません。
しかし “かわいそう”と感じなくても 共依存の傾向は 取れてないような〜恐るべしガン細胞。
母はけして私を褒めることなくいつも怒ってばかりいました。自己評価が下がりつづけること100%です。
そんな母の人間的未熟さをかわいそうと感じ、対人関係で悩む母の相談相手を小さな頃からつとめていました。
そんな母が亡くなって9年近く経ちました。私の人生に残された母の影響ははかりしれません。どうして今の自分が形成されたのか先生の説明は実に明快でした。まるで過去の自分の解説書を読んでいるようでした。
これはビシバシ来ますねぇ~。まさに私の事ですから。
思えば、私が3才の頃から母は、「弟が病気で不安なの」と私にぶつけていました・・・「父がいじめる」とも。そういう母の、宝塚的男役をやりながら、私は大きくなったような気がします・・・
(当然、AS父は、ちっとも色気づかない私に徐々に興味を無くして、愛着の対象から外れて行きました。)
AS彼と出会うまで、言いにくいんですが、私は母が不安がると添い寝までしていた。AS彼と、同棲したくて家を出て行こうとしたら、母が止めたので、私が母に手をあげようとしたら、母が警察を呼び、逆に母自身が「おかしい」という事で入院させられてしまったんです・・・
だから、私の恋愛の基本トーンが「共依存」にあることは間違いないと思います。(もっとも、親が預けっぱなしだった援助職相手ONLYですが、今の所までは。)
ここから、抜け出すのがエラく難しいです。一生かかっても無理なんじゃないかと思うほどです。
前にも、カキコしましたが、私の場合、相互依存関係が保てているのは、実の弟のみです・・・あと多少のよき友人かな。恋愛したりカウンセリングにかかると駄目ですね。そういう意味では「恋愛依存症」というのもか~な~り言えてるのかも。
この場の主人公たるジャイアンの人が誰も反応しないうちに・・・・ (汗)
YAMBARU先生、なんだか妙に感動しました。
だから私はあなたを敬愛して止まないんだな。
手傷を負いつつ、前へ前へと進む意思。
止まない意思。
もしそれを塞がれたら魂が死ぬだろう。
吠えていい。
荒れ狂ってもいい。
大した事じゃない。
地球ははそんな些細な事にかまわずその軌道を転りゆく。
すんません、思わずヘボ詩人になってしまいました。(こんなもん晒したがるってこれは自虐?一回書いちゃうと消したくなくなるんだけどこれって何かなのかな。)
依存は駄目ですよ。自分の命をかけてでも言うけど、依存は全然駄目。
私、10代の頃に仲間内の議論で言った事があります。シングルマザーの出産権利肯定(要するに私生児の差別撤廃)の立場で。「生まれた環境が悪くて、生まれてからその子がどんな苦労するとしても、生まれられないよりましじゃないか。生まれて来なかったら『苦しい』も『楽しい』自分で判断つかないんだよ。それを体験して判断する権利さえ初めから奪うの?」と。
自分が生まれてきた事を苦行だとしか思えない人(私の判断でです。本人がそう表現する事もありましたが。)って、大方が「育つ過程で差別されたり経済的に苦労するから、生んだら子供が可哀相。」って言ってましたね。
自分が生まれてきた事を苦行としか思えないって何故?(ハハ、幸せな子供。でも、子供は皆幸せであるべきじゃないかい?)って私はそれ以来答えを探しています、今でも。
そして最近の答えの一つは「少なくとも、親との共依存関係を強いられてきた子供は、親の背負うべき苦悩を代わりに背負わされて、自らの生きる喜びを体験する事さえなく、自分の活力を削られていく。従って、かられにとっては『生きれば生きるほど苦しみも増す』ってことで、生きる事=『苦行』になるしかない。」です。
続く
続き
その子供が定型であれ発達障害であれ、「自分が自立している」って感覚、「自分は自由で、ゆえに自分の事は自分ですべて決められる。そして自明の事としてそれに伴う責任を負うものだ」と自覚できる事が、人間の大人として生きるために何より大切なことだと、深く深〜く感じ入っています。
だから、共依存に堕ちる(子供に罪はないのに〜(泣))より猛獣として遠巻きにされている方が遥かに自然で健康的で幸せで、遥かに『まし』な結果だと思いますよ。
*****
共依存は私の経験じゃないし、(そりゃ私も猛獣ですが(虎です))砂漠のライオンという訳でもないのに、厚顔にもここにコメントするのは正直ためらわれますが、どうしても言いたかった。
体験した事じゃなくても私はその痛みを感じています。今回特にズキズキ痛いです。自分の内蔵が痛むみたいに。だからこれ見下しじゃないです、上から目線でもない。自分の脇腹に(例え錯覚であれ)痛みを感じているときにその脇腹を「可哀相」と思ったり「見下し」たりなんかしません。
という訳で、どうか当事者の方ご容赦を。 m(_ _)m
そうかもしれません
私の母は父(AS)に依存し、私には突き落とし作戦できたものの
たまに同性として不安な時は私のとこに
かまってよ、ごろにゃー
ときますね
まずは弟が頭を切って大量出血した時。(たいしたことなかったですが、頭切るとピューと出血します)
母は動転し、救いを求められた小学校高学年だった私が救急車をよびました。
父はASで私に愛着してましたし、中学入って周りをみながら
うちはマズイ
過保護かつ、厳しすぎ。中庸というのがない
このまま甘えて行くと私は駄目になる
と私から親を切り離しにかかってよかった
今、高齢になった親はかなり私に依存したいモード全開できてますが、相変わらず全面的に無視です(やんばる先生の母状態)
テルモさん
テルモさんはよくまとめていらっしゃいます。自分が言いたかったことを書いていましたよ!
母に反抗するため、毎日のように怒られ家から出させられたりお尻を叩かれたりと突き落とされ続けるのに、なぜかとても幼い母の母代わりのような立場で苦悩を背負わされる。その二面性で絶えず振り回された子供はこれが普通ではないと感じつつも親からは離れられず。
実際人生の決定でさえ・・高校進学すら母がかってに進学する高校を担任と決めたときにはもうあきらめて抵抗するのも力つきました。母が亡くなってもその母の考えた(母の望む)人生の航路どうり歩いている自分が存在しました。そうです。全く自分の人生の自由や生きる目標を持たない人間となっていました。それではいけないと判っても「じゃああなたは何をしたいの」と問われれば「ただ今死なずに生きるだけ」としか答えられない。やはりACの治療は受けるべきだと思うこのごろです。
PS:YANBAL先生
突き落としと共依存両方で母親から接せられた子供はどちらの特徴も兼ね備えるのでしょうか?それともまた別な特徴が出現するのでしょうか。教えていただけたら嬉しいです。
「ただ今死なずに生きるだけ」
これは私もそうですね・・・(書きたい、何でもいいからいつも)という事を除けば。
別に有名にならなくても構わない、こうやってここにダラダラと駄文を書き連ねて、ダメになったらまた他探す、みたいな三流吟遊詩人でいい、とすら最近は思うようになってます。(もっと欲を持て、と言われるんだけれども。)
人生の自由と生きる目的を持ってる、X1ヘルパーさんと暮らして、エラい勉強になるけど、それって端的に言えばまず「自分の稼ぐ金ありき、そして野心ありき」って事ですね。それは、やっぱりACサバイバーの逞しさだと思うけど、時々ついていけないのも事実。神経が太くないと出来ない事だから。ま、言い訳かも知れないけど。
AS彼に、「ACは親を恨み、人を振り回すが、ある人は幸福な結婚をし、ある人は価値ある仕事に就き、ある人は自分を苦しめた共依存症者との和解を果たした」というアラノンの序文を読まされて、「私には全部無理だから、文章を書くスキルを伸ばしたい」と言ったら、メッチャ怒って「君の自由です」ゆうてたけど。
科学的メスが入っていなくても良い対策が取られた事例と言えるのでしょうか?
十数年前に子の親に対する非常に強い依存心を言葉でもって見せつけられたことがあります。
非常に頑固で手がつけられませんでした。
幼いうちの方が依存から抜けるのは簡単なのでしょうか?
すいません、前言撤回します・・・
>このタイプのジャイアンは攻撃性を抑圧し、共依存を対人関係の基本モデルとして成長するため、大人になって依存性の矛盾から身体症状や抑うつなどの病的反応が出てきても、なかなか自分の中の依存性を断ち切れない。
普段の私は、確かにここではあまり考えにくい程に、攻撃性抑圧してますね・・・(それでも、一度AS元彼にヒステリー起こしたから、彼は1日欠勤したけど。)
共依存恋愛の爪あとはオソロシイもので、1ヶ月経ちましたが、最低限の家事はやってますが、午後4時以降にならないと外に出られません・・・(この暑さのせいもあるが。)
私は、彼を「かわいそう」って思ったのかなぁ。組織の中で浮いてて、井戸の中で目が見えない状態で、私が手助けしてやれば、もっともっと彼が’上昇’出来そうに思えたのは事実ですね・・・そこに結婚願望がひっからまって、訳の分からない事になってしまった。
と、言っても現在やっと「相互依存」の人間関係を、ヘルパーさんとの間で1から学んでいるところです・・・
PS;AS父に関しては、最近少し呆けてきたので「哀れだな」とは思うけど、「尊敬」はすっかり薄れました・・・人生きついっす。(~_~;)
私が幼い頃、私は常に母の顔色を伺っていました。
しかり方も、しかるタイミングも全て母の気分次第でした。
おばあちゃんっ子で、おしゃべりな私は、ある時、祖母も共に囲んだ夕食の席で、大好きな祖母に話しかける事に興奮し、夢中になり、母の度重なる注意も全く耳に入らず、とうとう、食事を取り上げられ、家の裏に連れ出され、痕が残る程何度もひどく叩かれ、締め出されました。小学校1年の春でした。
正座して2~3時間の説教やビンタはざらでしたし、ひどい時はハエ叩きの柄の部分で叩かれて、太もも全体がみみずばれでまっかに腫上った事もあります。全て小学校低学年までの話です。
小学校高学年になって弟が生まれ、中学1年で妹が生まれ、
母は『私は子育てに大変なんだ』オーラ全開で私に助けを求めだしました。『母が大変だから、私が手伝わないと』と言う気持ちも『私はお手伝いさんじゃない』と言う気持ちも両方ありましたが、結局手伝っていました。それでも機嫌によっては、手伝い方が気に入らないと文句を言って無視されていました。
気分が悪くて寝ていても『どうせ仮病なんでしょ』と言われ、やる様に言われた事をしようと起き上がると、体で『しなくて良い』とさえぎり無視。後になって40℃を超える熱があった事を知ると、慌てて取り繕い始めていました。
高校生くらいになると家のお金や父の事などの相談を私にし始めましたが、友達と遊びに行く前は必ず手伝いがいくつか増えていました。学校以外で『自分の自由』をあまり感じられませんでした。
就職し、社会人になるともっぱらお金の事、父の事、親戚の事の相談や愚痴が増え始めました。『相談出来るのはあんたしかいない』と弱々しいが健気に頑張っている母を、やっぱり私は『今母の支えになるのは私しか居ない』と思い、金銭的な事も含めて支えて来たつもりでした。
しかし、最近ある事件をきっかけに私は母に私の考えや気持ちを全て否定され、母だけでなく、実家との連絡を断ち切りました。『トカゲのしっぽ切り』で言う所の『しっぽ』の様に私の心はくるくる苦しそうにのた打ち回っています。『しっぽ』がピクリともしなくなる頃、私の心はどうなっているのでしょう?
今は悔しさでいっぱいです。
続投します・・・
母に『トカゲのしっぽ切り』をされてもなお、こんなに苦しんでいるのは、母との思い出があるからです。
一度だけだったけど、2人で映画を観に行ったり、夜からお散歩して喫茶店でお茶したり、私の修学旅行の為に欲しくて仕方なかったワンピース(ウチの家計的にはかなり厳しかったと思う)を買ってもらったり(いずれも小学生の時)、中学2年生になって初めて授業参観(それまでは来て貰えなかった)に来てくれたり。
数は少ないけど、厳しかったからこそ(余計に)鮮明に『優しい母』が私の記憶に残っています。
しかしながら、こうなってしまった以上、母や、妹との関係を修復する事は難しいと思いますし、今の所、修復するつもりも無く、このまま縁を切ってしまうつもりです。血縁関係にある分難しい事も、その間、私自身がグチャグチャになってしまうであろう事も承知の上で。
気持ちにきちんと整理が付くのが先か、私が壊れるのが先かの勝負だと思いますが。
母が生きている時はいつも母との戦いでした。たまに見せてくれる自分への愛情に決裂を思いとどまっていました。
しかし母が亡くなると自分はそんな母でも深く愛していたんだと痛感させられました。人の命はいつどうなるか判りません。もしちぃさんがお母さんが本当にいなくなった時いまの決定で後悔しないのならかまいませんが、生きているからこそお互い好き勝手なことを言い合えますし、怒ることも無視することもできるんです。まだ迷っているなら、和解や他者の援助を受ける機会を作れるよ・・と一人勝手に思ってしまいました。余計なことを書いたかもしれません。
先生不適切でしたら削除をお願いします。
わたしはあまり賛成しないな・・・
今のままでは、また会うにせよ会わないにせよ、ちぃさんの一生はお母様への恨みつらみ&愛情の相克、で終わってしまうような気がします。
私も、母親が恋しいなと思いながら寝ることはよくあります。しかし、母がいなくなって、世界はもっと自分が思っていたより広くて深い事が分かった。・・・父や母が、私をある意味騙していたことも分かった。友人との電話も増えました。
ちぃさんのお母様に向けた愛情は素晴らしいと思います・・・ですが、何も、お母様ひとりに拘らなくても、ちぃさんを愛してくれる人は世界に沢山いますよ。
わたしは共依存に引っ張り込まれたタイプです。
高校までは実家にいたので、それまでは母と折り合いが悪く小学校高学年ぐらいから反抗ばかりしていました。その頃は母親もあまりわたしを頼るようなことはなかったのと、仕事をしていてあまり家に居ませんでした。ちゃんと母に反抗して依存もされていなかったからそれ以外の場面でもわたしなりにうまくやれていたのかな、と今になって思います。
その後、離婚騒動や父が倒れたときなどに母はすごく動揺して、わたしに頼ってくるようになりました。わたしは母と違い、非常時などに冷静なタイプなので、それをみて「娘を頼りにすれば安心」と思ったのか、それ以降共依存に引っ張り込もうとする方向に変えたようです。
わたしは何かがあって母に手を貸す度に、かなりの疲労感と「なんでわたしが?」という疑問が残るばかりでした。
確かに、母親に対して「見下す」「かわいそう」というようなものが発生していると思います。なのでわたしがどうにか発達障害を理解してお互いがうまく関係を続けていけないか、と奮起していたところもありますが、わたしばかりが理解してもまったく伝わらない無力さを感じています。
ちぃさんが書かれているように、わたしにも少なからず「優しい母」の思い出があるので、それを全否定して絶縁するのがなかなか難しいです。そして意図して突き落としや共依存に引っ張り込んでいるのではないというのが憎みきれないところだったりします。
最近また両親と一悶着あり、しばらく会ったり連絡をとるのをやめようと思っていますが、Cooさんが書かれているように絶縁状態のままでは後悔するのではないか、という気持ちもあります。。。
が、断ち切らなければならないですね。内省しないで押し付けばかりになってきた両親とよい関係を保とうなんて、わたしには荷が重過ぎる。
すいません、私の書き込みがまずかったかも知れない・・・
確かに、いい大人なんだから、「絶縁」よりは「和解」の方がいい方向性ではあるような気がします。
(家の場合、ドクターのみならずセラピスト、および警察(!)にまで止められてるから駄目なんですが。・・・しかし時々、近くのアパートでいいから連絡取れたらと思うことはあります。)
ただ、「和解」と「理解」は違うから、自分の苦しみを伝えようと思ってもあるいは無理かも知れない・・・(というか私の場合ははっきり”無理だ”と感じています。)
私の場合・・徹底的に合理的というか・・
ジャイアン親子の亀裂は避けて通れないと割り切っています。
うちの親は、病院に行くとか先生のブログで勉強しない限り、死ぬまで子への支配と突き落としをすると思うので、歩み寄りなんて無理だと思う。
過去も未来も理想を求めて現実に打ちのめされるのはこちらです。
無駄なことは最初からしない。
この親子の亀裂に疑問をもつなら親が自ら行動するべきかと。
親への幻想と期待は”きれいさっぱり”ありません。
私はASなんですが、祖父母に溺愛された結果、
相手を かわいそう と思うことが
小さい頃からあり、しかし、他では通用せず、
両親などほかの人には怒られ続けていました。
他人が可哀そうとしか思えず、
必要以上に他人の前で自分を弱く見せて(無意識に)
しまう。
これは、共依存なんですね!
年を増すごとになくなりましたが、
勉強になりました。
すみません、関係ないコメントで申し訳ありません。
多数派ヘルパーさんを母親代わりにして1ヶ月。で、思った事には・・・
結局、子供を共依存に引っ張り込まない(ACにしない)親と言うものは、別に明るく強くたくましく、と言う点が急所なのではなく(それもあるけど)
良くも悪くも(古い言葉ですが)「水っぽい」んですね・・・
「私がいなければこの子は確かに飢えるだろうが、しかし親戚もいるし世間もあるし、何とか生きていくだろう」というくらいにドライに構えてる、だから子供も親に無茶な期待をしない(当然他人にも)という点が急所であるように思えます・・・
「共依存」の母親なるものは、そういう意味では常に”過剰に”「優しい」んですよ・・・普通の母親はもっと「親身」であっても”冷たい”です。
PS;もちろん、これは今私が「精神的里子」状態にあるから思うのかも知れないけど、大抵の親子の「和解」なるものは、たまたま家を飛び出してしまったのが戻ってきて、一緒に鰻を食べる、程度のものだと感じますよ。・・・墓に入っちゃったら「はいそれまでよ」てなもんだと最近思う。(極端かも知れない想像ですが。)
>この場合に子ジャイアンに形成されるのが、「見下す」「かわいそう」というパターンなのではないか? と私は想像している。弱みを見せている親に対して当然生じるべき(親としての責任を果たさないことに対しての)怒りを、「かわいそう」と考えることで押さえつけてその後生きていくのではないか?
わたしはそうでしたね、YANBARU先生。
自分で一粒の米を買うために働くこともなく、ただ「病気」と言う岩山の上に落ち着いて、親が買った奇麗な服を着て、食べたい時にそこにあるものを食べ、お風呂に入りたい時に入り、「生きるためのスキル」を何一つ教えない親のカウンセラー役を、それでいて常にこなして来たのが20年来の私であったと思う・・・
(親から見離されてた、発病以前は、むしろ今思うとノビ太タイプに近かったような気がします・・・いじめにあってもぼーっとしていて、社会人になってからむしろ不適応を起こしました・・・)
結局親の責任とは、子供をやたらとカウンセラーに預けず、親のいない社会で生きる術を教える事ですね・・・今、これをヘルパーさんとの関係性から、0から再インストールしています。