AC、人格障害関連

2012年頭

謹賀新年

 2012年の年頭所感

 面接に長時間を要する診療スタイルがいよいよ限界に来て、一年の間に3度も異動することになった。
 3月まではノーブルメディカルセンターで医師数が少ないための外来や当直、指定医不足などの過重負担で自分から契約を切り上げた。
 4月から勤務するはずだったまるクリニックが一年目の集団的個別指導で致命的な指摘を受けたことで急遽閉院になり、新規開院まではモモクリニックで3ヶ月勤務、7月にまえはら心療内科で外来を再スタートした。モモクリニックもまえはら心療内科もモモクリニック院長と「会長」なる人が仕切っていて人事などは院長もコントロール不能の状態であった。
 精神科訪問看護で無料の弁当をサービスで持参したり、訪問看護で看護師がプラセンタの注射を無料で打ったりするという「会長」様の「経営」方針に従わなかったために、早くも8月に契約時からクリニックの上に借りていた部屋に関係する強引な「追い出し」が始まり、部屋の件の話が突然モモクリニック院長から「経営をどうするか」という質問が来て、結果として帳尻を合わせる計画を提示、それが達成できなければ私が退任するという約束をする羽目になった。
 その段階では3月までは勤務するつもりで居たが、もっと早く異動するようにという「圧力」もあり、私自身もこの「会長」さんとやって行く自信がなくなったので求職活動をしていると、以前勤務していたうるま記念病院で精神科医が急死されたという話で急遽1月より異動、正月休みも引越しでつぶれる結果になった。
 結局「偏屈に生きているので居場所が無くなる」という発達障害の必然的な経過を自らなぞることになっている。
 「医師不足につけ込んで自分の好き勝手をやり続けているので、良質な環境に巡り会える訳が無い」という目新しくも無い事実を繰り返しているだけである。
 まあ最初から保険診療で成り立たないことを確信犯でやっていることなので仕方が無い。
 年末は29日に自殺企図を繰り返している発達障害の中学生がやっと母への依存が限界となって「児童相談所に行ってみる」と言い出したので県の児童相談所と交渉、警察に本人を保護してもらい児童相談所に通告する方法で何とか深夜23時を過ぎて一時保護になった。
 警察でも一時保護所についてからも何度も自傷や自殺企図が続き、結局処方を持参した30日も昼から夕方まで一時保護所で過ごし、出勤した児童相談所の所長と処遇を協議した。自殺企図があるために精神科病院に移すことを検討したが、一時保護は切れてしまい、中学生では親権が強いために虐待している(と本人が言う)親が同意しないと入院も治療も出来ない。
 結局児童相談所の所長の涙が出るほどありがたい配慮で引き続き児童相談所で看ることになり、それで私はいつでも一時保護所に向かえる体制で正月休みを過ごすことになった。
 年末30日と31日がこのケースの関係でほとんどつぶれたために単身赴任の居室と診察室の機材の引越しが間に合わず、正月は開けたが3日まで休みなしになりそうな状況。
 
 今年は休みを減らすことにした。
 こんな立場で「自分の時間」を要求するのは明らかに分不相応で、仕事が続けられるだけでありがたい立場なので、二つの大きな知的障害の嘱託医の業務と、那覇少年鑑別所の診察は休みだった月曜に回した。
 もうローンが終わるまでのあと数年は、休みは身体的な最低限の休養と、家族のために過ごすだけにして、その残りは「全部働き続ける」モードで行こうと今は考えている。
 
 うるま記念病院(火水木金)は午前が病棟と入院時診察、認知症の外来など。午後が発達障害などの外来。土曜は那覇市のクリニックでどうしてもうるま市まで来られない生活保護世帯の7、8名を「一日2人は外来を診させていただく、残りは関連施設の認知症のケアをする」条件で非常勤勤務。
 
 うるま記念病院も6月までの契約(更新は出来るというが)、那覇市のクリニックも1月は「試用」の状態で、まだまだ安心はとても出来ない。

 と言うわけで、土曜に来院されていた学生さんなどには大変申し訳ない。平日は午前の診察も出来ません。新患は那覇市は枠が決まっているのでうるま記念病院のみ。これまでと同じく私にメールで相談の概要を伝えてもらい私自身が「振り分け」を行います。

 メールの方法は、下記の私のHPの「メール相談」をクリックするとメールソフトが開きます。ここに書き込んでも、誰か分からないので、診察希望の方は必ずメールで名前を書いて下さい。
 また携帯から書く人は、「パソコンからの返事が届かない」ことが良くありますので、必ず「返事が届く」設定にして下さい。(返事が届かない人は設定のせいのことがあります)。

 まあこんな風に私は生きています。これから先も綱渡りで行けるところまで行きます。
 
 本年もよろしく。


関連記事

  1. 発達障害の根本問題
  2. 「説明」の意味
  3. 今後のこのブログへの書き込みについて
  4. バランスと制御
  5. 合理的な思考②
  6. ASと多重人格
  7. 「事実」と「意志」
  8. ACとジャイアンと受動型AS③

コメント

    • H(エイチ)
    • 2012年 1月 01日

    新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。後藤ドクターはすでに偏屈者宣言をされているので、そのまま偏屈者でいいのではないでしょうか。しかし、失礼ながら、もうお若くはないのですから、どうぞご自愛ください。

    • あまがえる
    • 2012年 1月 02日

    やんばる先生の働きっぷりには、感服です。よくぞすべてを投げ出して、逃避しないものだと思います。

    • N.H
    • 2012年 1月 04日

    先生、いろいろとお世話になっております。
    私の方は、なんとかWワークで生計を立てておりますので余裕はありませんが、元気は取り戻せました。
    これも先生の丁寧な診察のおかげです。本当にありがとうございます。
    同じ発達障害者として、痛いほどお気持ち分かる部分もあり、あえて申し上げますが、先生、どうかご無理なさらないで下さい。私は先生には右手となる助手、もしくは支援者が必要だと思います。
    どうか、お一人で抱え込まないでください。
    時にはクライアントである私たちも先生の
    お役に立ちたいと思うときもあります。
    どうか、ご無理なさらずに。

    • 匿名
    • 2012年 1月 05日

    明けましておめでとうございます。
    いつもながら同じジャイアン勤務医として感服いたしております。YANBARU先生の壮絶な生き方には足元にも及びませんが。
    ここ数年、日本の20-30代の若者の死因の第1位は自殺であると年末ネットのニュースで見ました。事故死でも病死でもなく。先進国で唯一であると。
    偽構造改革でグローバル金融資本に雇用と富を奪われた日本人共通の問題ですが、特に影響の大きい20-30代の若者には致命的であることは間違いありません。そしてその中には、おそらく多くの発達障害の人たちが含まれているであろうと。
    年末にも書きましたが、TPPで米国金融資本の完全植民地化が実現したら、と考えると恐ろしくてなりません。すべての年齢層、すべての職種に襲い掛かるわけですから。
    小生もそうであったように、一人でも多くの発達障害の方たちがこのブログを契機にして自分の本質と向き合い、目覚め、自立自活しながら自分にあった生き方をできるようになることを願ってやみません。

    • 双極性障害の教師
    • 2012年 1月 13日

    はじめまして。特別支援コーディネーターを務める高校の教師です。
    何をやっているかというと何もしていない状況です。また他の機関との相談によるその子の年間指導計画を立てるべきなのですが、それは「寝た子を起こす」ことになりかねないと言われ、ためらっている状況でもあります。
    心の病と発達障害がどのようにかみ合っているのか。それは高校の現場では大きな悩みとなっています。名称が異なるだけで、実は対応の仕方がカウンセラーとコーディネーターでは別であり、コーディネーターは、医療関係のソーシャルワーカーと考えましたが、それは間違いでしょうか。
    また自分としては他人の役に立つことが生き甲斐だと考えています。しかし自分は双極性障害(Ⅱ型)と診断され、現在も通院しております。そんな自分がコーディネーターとしてやっていけるのか。いや、やるにふさわしいのかを自問自答しています。
    私のような人間がコーディネーターを務めるにふさわしいのでしょうか。アドバイスをお願いします。
    今日これから医学的な研修をわずか1時間余ですが聴講します。

    • 2012年 1月 14日

     私が答えてよろしいものか、疑問に思いつつ書いていきます。
     私は養護教諭を臨任で高校に勤め、そのあと特別支援(知的)学校に勤めました。計3年のことです。
     特別支援コーディネーターを務める高校の教師とのこと、とてもご苦労なさっているものと思います。
     私は医療界(看護師として)から教育界に転身し、また医療界に転身したばかりの者です。ですから、業界によりものの見方や考え方が180度くらい視点が異なることを知っています。そして、その間をつなぐ職の重要性を理解しています。
     「寝た子を起こす」ということは、おそらく適応上において適応してきた事柄の根底を崩されることを懸念したのだろうと思います。診断名をラベルすることによるマイナスの部分を、どう克服していくかといった本人側の思いとこの先ぶつかるであろうと思われる課題への思いが交錯しているものと思います。
     年間計画を立てるというところの悩みは、もしかしたら他の業界人が理解しえないことかもしれません。業界をまたいで仕事をする人が必要となった現在(社会側の要請)で、どのような苦悩があるかなどを理解する者は「偏屈」と呼ばれかねないのですから、理解されずとも致し方がないことがあるのではないかと思います。
     実は、私は教育の目的である「社会の形成者」とは誰かについて疑問に思っています。日本社会を形成するのは日本に住んでいる人々であり、けして勝ち組だけが形成しているものではないでしょう。
     それが見えなくなった日本という現在、おそらく「切り捨て」「見殺し」という暗黒の時代をしばらく経験すると思います。社会変動という流れにどれだけ生き残れるのか、といった争いをしている現代において、「教育」の大切さにどれだけ立ち止まれる人がいるのかと思います。
     私は、あなたが考える「教育」について実践できることを願っています。

    • はすのはな
    • 2012年 1月 15日

    私も現在は教育界の人間です。
    企業の研修を担当しながら、なぜこんなにも日本人は従順なんだろうという疑問をもつことがしばしばあります。「暗黒の時代」を迎えたとしても、感覚が麻痺して疑問をもたないような人々が多いのではないかと危惧しています。
    子供達の環境も、ごく狭い価値観にとらわれた親が躍起になって我が子を勝ち組ステージにあげようとしているか、もしくはネグレクトするかという二極化が進んでいるように感じます。こうしてしまった大人としての責任を感じつつ、我が息子達には自分の足でしっかりと歩む道を模索してほしいと願っています。
    社会的な弱者、マイノリティーが切り捨てられる社会は健全ではありません。
    私はハンセン氏病を患って未成年の頃から病院に収容された男性と20年以上文通したことがあります。故人である彼は「自分は石垣の間の砂利だ」とよく自分の境遇を表現していました。大きく立派な石ばかり組み合わせても、間に砂利をつめなければガラガラと崩れやすくなるんだと。コメントを拝見しながら思い出しました。
    遅くなりましたが今年もよろしくお願いいたします。この場が開かれている事にいつも感謝しています。

    • 匿名
    • 2012年 1月 22日

    お久しぶりです^^
    私は7月の骨折以来、3か月寝たきりになってしまったので、パート仕事を全部辞めて(正確には週11個だけ残りましたが)リンク先のお仕事をしています。精神神経学会も退会しましたし、精神科専門医も放棄して、精神保健指定医だけになってしまいました^^
    勤務先のご苦労、大変だと思います。
    先生くらいの知力、体力あれば、心療内科ということなので、自宅開業してもいいのではないか、、、とも思いますが、、、
    診察のスピードも、勤務先に迷惑をかけないためには大事ですね;;私の今の勤務先は1時間10人デューティ、15人は診るコンビニクリニックですが、週に1回なので何とか持ってます^^;

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP