AC、人格障害関連

self esteem とは

 「日本ADHD学会」午後のシンポジウムで、座長の齊藤万比古先生が「self esteemとは?」という質問を投げかけられ、大変鋭いポイントと感銘を受けた。

 シンポジストの先生の中では、早稲田大学・社団法人発達協会の湯汲先生(PSW)が「自己安定感」という表現をされたことに説得力を感じた。

 通常はこの問題については「二次障害で自己評価が低下するから、「大事にされている」感覚を持たせることが大事と説明されるが、例えば「反抗挑戦性障害」と呼ばれる(ここではジャイアン型の攻撃が前面に出たタイプだろうと思うが)一群では、むしろ偉そうにして、「前提のところでは」自己評価は下がっていると思えないところがあり、ASの場合はもっと「下がらない」印象があるので、私は通常の説明には当てはまらない現象があると感じていた。

 齊藤先生の質問の意図がどのようであるかは私には分からないが、実際問題不適応が存在する以上、ただ落ち込まないように表面上フォローしても本質的な意味は無いだろうと思う。

 このブログで展開してきた「衝動統制の障害としてのジャイアン型」という観点からすると、「傷つかないようにフォローしてもらえた」とすればこれ幸いと責任転嫁するだけの逃げ道を与えることになってしまい、ジャイアン本人の立場からすると本当に救いになっているのだろうか? と思う。

 私自身は、「大事にされる」といった情緒的なニュアンスはむしろ極力そぎ落として、ただ「理解された」「説明された」という感じで十分で無いかと考える。

 なぜなら、結局ADHDにとっては他者は利用する手段でしかない部分があり、ジャイアンにとっては大人でも子供でも自己決定権は一番重要なので、「理解」以上の情緒的フォローは責任転嫁や依存を招くだけで、「自己責任」の対極にある「甘さ」になってしまう可能性を想定するからだ。

 そういう意味で湯汲先生の取り組みは、比較的医学的でない独自の表現を使われながら、思春期にかかるジャイアンにとっての非常に大事なポイントを述べておられたと思う。特に同先生の「理由がいえない」「刹那的」「理解力の問題」というポイントへの言及は、私の「依存型ジャイアンは合理的思考が出来ない」という立論とかなり近いと感じて印象的だった。「ハードな現場からの発想」と言う意味で共通するのだと思う。


関連記事

  1. ASに似たADHDの状態①AS被影響症候群
  2. 精神疾患に見える発達障害シリーズ③
  3. 管理型共依存
  4. 一緒に仕事をしたい方求む
  5. マタタビ
  6. ジャイアンの回復とは
  7. 依存型ジャイアンの「弾ける」時
  8. ADHDは楽をしてはいけない

コメント

    • きんぢょう
    • 2010年 4月 06日

    ジャイアンです。
    「理解された」「説明された」ということが大事にされたということに繋がります。

    • あまがえる
    • 2010年 4月 07日

    医学学会に潜り込んで発表を聴きたいです。

    • YK
    • 2010年 4月 07日

    そうですね。
    私は留年した時、自分の話や気持ちを理解してほしかった。
    納得いく説明がほしかった。
    それがないので見捨てられた気がして、
    それに過激に反応してしまいました。
    でも仮にADHDを理解してくれフォローが始まったとしたら、
    「このままでいいんだぁ。」と何の努力もしないで、全て障害のせいにして、「私は特別な存在」と、その立場にプライドさえ感じていたかもしれません。
    その権利が自分にはあるんだと・・・。
    ものすごい衝撃と凹みと劣等感にさいなまれましたが、
    私にとってたった一人の留年はよかったのかな・・・。
    それにしてもADHDは、やっぱり悲しい・・・。
    どこまでいっても、私が、私が、になる。
    自己中とプライドの塊・・・。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 4月 12日

    一仏教徒、門徒としての感想です。他の宗教の方には、決して、他宗教を貶めるつもりはないことをお断りしておきます。
    自己安定感
    これ、自己愛的な安定感と「self-esteem」に基づく安定感があるように思います。
    「self-esteem」とは、>西洋文化ならではの「自己に対する尊厳」などの意味が含まれている<by田中道弘と理解しています。
    それは、自己は絶対神から神に似せて作られた被造物であり、神を敬うことは神の被造物である自己への敬い、尊敬「respect」を導き出すと思います。そのような尊敬を含んだself-esteemによる安定感は、
    ①神の顕れを自己にのなかに探る自己探求、自己理解
    ②同じ被造物である他者への尊敬「respect」
    この二つの態度を導き、それらが実践されることで自己確信的に神の被造物である自己への尊敬「respect」が深まり安定感が増し、他者への尊敬「respect」の深まりが対人トラブルを少なくすると思います。
    田中道弘さんのWeb
    http://homepage3.nifty.com/self-esteem/
    日本では、伝統的な「山川草木悉有仏性」という考え方、つまり全ての自然、人間を含めた自然の中に仏性(仏の心)が宿っているという考え方が、この役割を果たすと思います。ただ、これには日本的な問題点があると思います。
    つづく

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 4月 12日

    ASDは、多分に自己愛的パフォーマンスを示します。心理的対人距離が受動型は胎児期、積極奇異型は乳幼児期のまま、つまり最も自己愛性が強い時期のままということに由来する自己愛的パフォーマンスです。その一つの表れが、何の根拠も無いのに満ち溢れる自信という自己安定感です。
    ADHDは、その特性から一貫した自己像を形成し難いと思います。注意欠陥、他動と言う特性から、いわば砕け散った鏡に写る無数の断片的な時々の自己像であり、自己像を一貫した統一性のあるものにすることが困難だと思います。18-24ヶ月児の「現在自己 present self 」のままで、過去の自分・現在の自分・未来の自分と一貫した「固有自己 proper self 」の形成が難しいと思います。
    鬼母に自己責任を強要されるなど、衝動性、「現在自己 present self 」の満足をもとめる衝動性の自己コントロールを習得して、一貫した「固有自己 proper self 」を形成し、「固有自己」の満足を、その意味では合理的な満足を得るようになるのは大変だと思います。それでも、行動の基本は自己の満足の追求という自己中心性があると思います。現在自己のままの依存型ADHDは、乳幼児期のまま。このように、自己愛的パフォーマンスを示し、それでの自己安定感があるのではないかと思います。
    この両者が、強い自己愛性を根底に持つ境界性人格障害の外観を示すことはYANBARU先生が指摘しています。
    この自己愛的パフォーマンスの自己安定感は、self-esteemに基づく安定感と違い、他者への尊敬「respect」がなく、自己愛性的であるがゆえに他者は、自己を賛美してくれる人か自己の道具の人であり、そのため対人トラブルを招くと思います。
    ですから、self-esteemに基づく自己安定感への転換が求められるとおもいます。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP