ジャイアンのうつ状態や身体症状は難治性の経過となることが多い。最近私はこういうケースを攻撃性の発散との関連で考えるようになった。
ODや自傷、摂食障害もあるボーダー型依存型ジャイアンの女性ケースは、不思議なことに攻撃性を自覚しない。明らかに腹が立つ場面で、「悲しくなる」と言う。
それで居て、激しい不安、「悲しい気分」、「自分が悪い」という自傷衝動、希死念慮は、決まって怒りが生じるべき場面で悪化する。
ボーダー型依存型ジャイアンは状況察知能力の高い「空気が読める」ジャイアンが、多くはAS親からの支配溺愛の環境で生育して出来上がる。
「自分を溺愛する力を持った親さえゲットしておけば何でも思い通りになる」という環境で、その親に対してはジャイアン特有の攻撃性を出さないことで依存を継続するスタイルを身に着ける。
自分の衝動のコントロールは「この親に見捨てられないために」であり、幼少期にこのスタイルが確立した場合、ACに類似した「(依存する相手に対してのみ)自分が悪いから」自分の攻撃性を中心とした衝動を抑えるシステムが無意識に出来上がり、依存相手に対しては攻撃衝動自体が「自覚されない」という結果になる。
「何であんたにこんなことを言われなければならないか」「あんたからは言われたくない」「あんたのようなやつは女性と付き合う資格が無い」「あんたは最低の男だ」というような言葉を当然吐くべき場面で、(不思議なことに自分のことで無いと想定すれば本人も想起できる)ただ「自分が悪い」「悲しい」と自覚することが難治性のうつ状態や不安、身体症状、自傷への衝動、要するに病気全体の原因であると私は考える。
解決は当然、上記のような言語的な自覚のトレーニングを本人の中の根強い抵抗を相手に続けていくことにある。
攻撃性を表面化させること、身近な不合理に突っ込みまくり、周囲から恐れられるようなジャイアンの姿に戻ることが回復に他ならないのだ。
“言語的な自覚のトレーニングを本人の中の根強い抵抗を相手に続けていくこと”
これ興味深いです。
怒りは自分を守るために必要な大切な感情。
以前僕も怒っていい場所で悲しくなっていました。
怒れるようになった今と何が違うのか、自分なりに考えたら
「自我」かなと思いました。
支配されてる間は、恐ろしく自我がありませんでした。
今も自我はつぼみ程度ですが少しずつ自分をとりもだしつつあります。それに伴い徐々に色んな感情が出てきてます。
悲しくなる衝動、親に感情を抑圧され自我を破壊された結果じゃないんでしょうか。
どうもありがとうございました。
この時期にこの記事。
天の助けです!
ここ何日も私は泣いて引きこもっていました。
うつ状態に戻り、またこれが続くと尿量が減って死にそうになるのかしらと不安でたまりませんでした。
実は在籍していた学校が廃校になり、急に放り出されてしまいました。
本当なら怒らないといけないくらい冷たい対応だったのですが、そこに入学して心身ともに癒され元気になりました。代替医療の学校で、いろいろお世話になったのです。
それで命の恩人と感じていて、
次々訪れる理不尽な対応にも、怒りを感じると罪悪感を感じ不安になりました。
ただ悲しくて辛くて切なくて・・・。
独りで泣いてばかりいました。
無気力になるし食欲はないし・・・・。
でも先生の記事を読ませていただいて、
今の自分の状態がはっきりわかりました。
どうせ人に迷惑をかけないので、
罵倒して怒ってみます。
なんか元気になれそうです。
他にも生きていく道は一杯ありますものね。
攻撃性を表面化させたジャイアンに戻ります。(^^ゞ
どうもありがとうございました!!!
夫や息子その1がジャイアンだと言うけども、どーも先生の記事を読んでいると自分もジャイ子なんじゃないか?と思う事がしばしばです。自分では息子その2と同じ高機能広範性発達障害(神経が細かすぎ色々気づいてしまって神経・精神が疲れて生活が困難になり参ってしまう人)なんじゃないか?と思ってるんですが、、。
「お前が悪い!」と育てられたから「自分が悪い」と思うようになったのか?と思っていたのですが、、。
そういえば、昔「怒りの蛍光灯」と呼ばれていました。
あとになって腹が立つという、、、。
成人発達障害者は攻撃性があります。改善してほしい。
子供の発達障害者の支援に力を入れてほしいが大人の発達障害者の支援にももっと、強化してほしい。
「これでも出来ないのか?」、「どけ」、「アホ」などを言われて学校に行ったが欠課が多かったり、引きこもったり、勉強も出来ませんでした。やる気を失っていました。
先生・生徒などのパワーハラスメントでPTSDを受けたりしている。
YANBARU先生、今日の地元新聞(沖縄タイムス)で佐賀県では、県立高校が発達障害者を受け入れる。生徒枠です。
佐賀県の太良町の佐賀県立太良高校です。発達障害者、中大、不登校経験者も受け入れる。全県募集が40枠です。
発達障害者、自閉症などは特別学校、私立学校、通信大学に行く人が多い。一般の大学に行っても人間関係・攻撃性・環境・授業についけいけなくて大変でした。
佐賀県では、発達障害者の理解・支援について前進した。
残念ながら佐賀県の発達障害者支援センター長は、「高校での直接支援、相談に乗る仕組みが不十分です。」と言っていた。経過を見守りたい。
通信大学は、発達障害者支援にやっている。また、全国の発達障害者支援センターは通信大学、就労支援、相談、高校に向けての支援が不十分です。中には、成人発達障害の嘱託医を置かない発達障害者支援センターもあります。自分で問い合わせて下さいだけです。どうにか、やってほしい。先生から国・県に行ってほしいです。
成人の発達障害者支援センターなどは間隔があいたり、時間が短い。 45~50分のみ。 真剣に考えてほしい。
成人の発達障害者について真剣に考えてほしい。
たしかに、自分の正しい(?)攻撃性が見えなくなるときが多々あります。
後になって考えてみると、相手に人格を蹂躙されていたことに気が付き、愕然とすることも。
ひどいときには深いトラウマや傷となって何度も怒りと共にフラッシュバックします。
そして、なぜ怒れなかったのかと、ひどく自分を責めてしまいます。
こういうことが続いたので、電車や人ごみなど、自分の生活に直接関わらない場所では、後悔するのが嫌で無理に攻撃性を自覚しようとしてる気がします。なかば強迫的に。
コンビニの店員の愛想のなさが過剰に気になります。電車内で鞄が当たっているだけでひどいストレスになります。
そんなとき、自分の中から声が聞こえるのです。
「今怒らなければまたひどく後悔する」
その結果、電車内で異常な大喧嘩をしてしまったり、反社会的な行動を取ってしまいます。
こちらは、後になって考えてみれば、たいして怒ることではなかった、と後悔することばかりです。
それでスッキリすることなどありません。
自分は気が狂っているのではないかと恐ろしくなります。
それなのにまだ日常接する人からの人格蹂躙に、自分の攻撃性を(その場ですぐに正確に)自覚することができないのです・・・。
結局、直面してる真に重要な現実に攻撃性を向けることを異常に怖れてしまっているから故、なのでしょうね・・・。
逃げることを辞めなければいけないのに、逃げてしまう。
>難治性のうつ状態や不安、身体症状、自傷への衝動、< と >周囲から恐れられるようなジャイアンの姿< はトレード・オフですか? では、今しばらく耐えなければならないということか! 次のステップは?
このブログを読ませてもらい、心が叫びました。
「私はジャイ子じゃい!!!だって!!先生聞いて!!今まで私は・・・・子供のころは「大人しく、でも芯は強い子」とか「我慢強い」とか言われてきったし、今だって、我慢、我慢、我慢の・・・」
と、同時に先生にHPに書いてあった内容がチラつきました。
「ジャイ子は自分こそが被害者だと言う」と・・。
・・・私はジャイ子・・・
今、はっきりわかりました。
依存者に対しての「怒りの抑圧」が身体症状となって現れるという内容に心当たりがありすぎて怖いくらいです。
自分がハマっているスポーツの練習中、
納得のいかないことで、リーダーから罵声を浴びていました。
そんな時は、川上未映子のいじめをテーマにした小説、「ヘブン」の登場人物で、いじめられていたコジマの様に、「神の試練」だととらえていました。
そしてコジマの様に向こう岸に片足かけていました。
自分がジャイ子だときづかず殉教者の気分でした。
骨の髄までの上目線・・・浅原彰子だったのです。
・・今やっと自分に問題があると気付きました。
・・今・・やっと・・
ジャイ子を自覚して少しはマシな人間になれるかもです。
・・よ~く、よ~く考えると・・
私はどんなに罵られても、
ゲームの中では無言のままチームの支配者になれたのです。
だからこのスポーツを愛しているのかもしれません。
いまはミックスとはいえ、男性率約9割のチームでやっているのでついていくのに必死です。
チームを移って
いろんな意味で本当に良かったと思っています。
もう、いじめられるのはたくさんです。
はじめまして。
私は、8年前にADHDの診断を受けた30代の女です。
この内容をみて、私にまさに当てはまると驚きました。
他人に何か言われた時、理不尽と思われることでも、
怒るという感情より、最初に悲しいという感情が出ます。
そして、できない自分を責め、どうして分かってもらえないのだろうと落ち込んでしまいます。
それだけではなく、他人の行動にイライラするする人をよくみますが、私はあまり感じません。
けれど、当たり前のことができない自分には、
苛立ちを感じることが多いです。
私は、もしかすると他人に興味がないのか、
誰も好きではないのではないかと疑問を持った時に
この記事を読んで、ここにそれを知る鍵があるのではないかと思いました。
投薬も6年続けたけれど(今は止めてしまいました)
まだ、自分を救い出す術を見つけられていません。
仕事中に急に話しかけられたり、
いろんなことを要求されるとフリーズします。
いろいろと考えて、解決する方法を模索しましたが、
自分を変えていく方法は見つからないですし、
全く分かりません。
コーチングでよい方向へ向かうのでしたら、
ぜひ詳しく教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
自分の怒りを出すようになってから、同居の母を処罰したい衝動が止まりません。
自分のためにならない、将来のことに目を向けなくては、と思います。
母に怒りをぶつけても、復讐されるだけ。
でも今は、どうしようもなくて、
自分の中の処罰感情に振り回されてしまってます。
苦しいです。
怒るべきところで悲しくなる、自分を責める、希死念慮?死にたくなることが私もずっと、ありました。自分は幸せ恐怖症だのアダルト・チャイルドだのという自覚があったので、夫とうまくいかないのは、自分が不幸を引き寄せているのだと、悲しくなりました。母親の育て方が悪かったので、私はこうなのだと思いました。しかし、あるとき、無性に腹が立って、夜中に家出しました。寝ている夫を「おい」と呼び起こしました。いつも夫から「おい」と呼ばれていました。それから、車で海に向かって走りました。夫があわてている姿を窓越しに見ました。あと半分で海に着くころ、夫から携帯電話に着信がありました。私は携帯電話をちゃんと持って、でかけたのです。何回か、鳴らせておいて、ゆっくり車を路肩に止めて、電話に出ました。それから、私は言いたいことを夫に向かって言いました。
「あんたが悪い。私のせいじゃない。ママのせいでもない。」
それは、皮肉にも、私の幸せ恐怖症やアダルト・チャイルドとしての心の傷を知っている夫が何年かかけて、私の心を満たしてくれた結果でもありました。短気を起こさないときの彼は優しく、理解のある夫です。そのおかげで、私は自尊心を取り戻したのでしょう。
今は、短気を起こすことも少なくなった夫と、幼い子供二人と幸せに暮らしています。私が家事や事務的なことが苦手だということを呑み込んだ夫は、もうあまりうるさく言わなくなりました。できるだけ私に好きなことや得意なこと(絵や文章を書くこと)をさせてくれます。
私のような妻をもらってやっていけるのは、この夫しかいないと思い、感謝しています。
夫は登山が好きです。登山が困難であればあるほど、楽しく感じると言います。「だから、私との結婚生活も楽しいのね」と言うと「お前、わかってるのか」と夫も言って、二人で笑い合っています。
ありがとうございます。
初めまして。いつもお疲れ様です。記事読ませていただきました。
診断は頂いておりませんが、自分の人生で起きていた事、けれど自分では一言も説明出来なかったことがすべて書かれてあり、疑いようもない発達障害+AC(依存ボーダー型?)なのだなと自覚しております。
もっと早く、適切な治療が受けられたら、あるいはもっと別の環境で育成されていたら・・・と30代になった現在しみじみと考えてしまいます。
就いている職種もあるかと思いますが、今までは怒るべきところでまるっと飲み込んで、それでもニッコリ、という対応が身についてしまっており、どんよりした気分になることが多かったですね。
結婚⇒離婚と環境が変わる間、離人症を自覚していました。
自分が自分でないようになくなってしまうので、旧姓と新姓の苗字毎に、役割や振る舞い方を紐付て設定して、できることできないことを整理していました。
元旦那と話し合いで、怒りたかったのですが、ヒステリックだった母親を嫌悪していたという事と、
健全な怒り方?(どこまでやったらいいのか)も思いつかず、もういいや、となってしまいます。
離婚後は2か月ほど妄想染みた考えが抜けずまた自己認識もかなりあいまいで記憶が飛んでしまう事もありました。
現在約10か月経って2か所職場を変えています、どちらも人間関係で、相手かまわず依存相手を探してしまいます。明らかに自分の行動が常軌を逸していることが自覚できるので、自分と向き合い、本当に自分を癒すということを考えねばならないのかもしれません。
診断のきっかけを与えて頂きありがとうございます。