AC、人格障害関連

鬼母

 ジャイアンの子供を普通に育てる方法は無い。これは非常に重要な事実で、2歳頃には出来れば診断をつけて(極端なケースはこの時点ではっきり鑑別できる。親がジャイアンであることも参考になる)親にケア上の助言が必要になる。

 何故ならジャイアンの子供は3歳でも親よりも優位に立とうとする場合があり、それをつぶすために親が威圧して養育すると非常にケアの難しい超場当たり的な「依存型ジャイアン」に育ってしまうからだ。

 このプロセスについては昨年2月から何度か触れてきたが、言語的、非言語的にジャイアンの子供は「泣き続ける等の異常なゴリ押し」や「感心するような屁理屈」の方法で自分の思い通りにしおうとする。

 多数派の子供と違い、「空気」から「この辺で引っ込めよう」と引き下がることも出来ず、また叱られた後に「よしよし」と非言語的にフォローでもしようものなら、ジャイアンの子供本人からすると「叱られた不利な事実は消失した」ということになってしまう。
 
 「駄目なものは駄目」と徹底的にやらないと、少しでも「例外」があろうものなら、その例外を実現しようと異常なエネルギーを発揮して執拗にゴリ押しなどを続ける。

 「徹底的に駄目」と分かって諦めてからは、やっとある程度自制が出来るようになるが、この瞬間も実は大人になった時に重大な違いが生じるポイントがある。

 2歳から3歳にかけて体得する「自分の衝動のコントロール」のパターンが、「合理的」になれば、自分にも他人にも異常に厳しい合理的強迫的ジャイアンに成育し、逆に「人が抑えるから」になれば、「その人だけをコントロールしさえすれば何でも思い通りになる」という依存型ジャイアンへ成育する。

 依存型ジャイアンの人は大人になっても自分の衝動が自分でコントロールできず、買い物依存症になったりする。表面的には周囲に合わせるのでむしろ不適応は目立たないが、配偶者や子供などの形で近くかかわるとその一貫性の無さに家族はボロボロになる。

 中間は無い。中間のケアをすれば屁理屈かゴリ押しかのどちらかの極端な行動で親がコントロールされる破目になるだけだ。

 ジャイアンの実際のケースの母に、通常であれば鬼のように厳しい「自己責任」を強いる母親が居ることが多い。普通には考えられない「自業自得」の厳しさで育てる母親、「自分の子供を谷底に突き落とすライオン」のような厳しい自己責任の養育だ。

 私はこの「鬼母」こそジャイアン養育の唯一の正解であると説明している。筋を通して徹底的に説明し、例外なく子供が誤れば叱責し、一切フォローはしない。幼児期から情け容赦ない育て方になるが、このやり方で合理的強迫的ジャイアンにいったん育てるしかないのだ。


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コメント

    • nori
    • 2010年 3月 06日

    確かにそうだと思いました。
    合理的強迫的なジャイアン母親は、おそらくASであろう祖母
    にもの凄く厳しく育てられたと聞きます。まさしく鬼母であったと思います。
    それが功を奏したのか母親は今まで精神的な病気になったり依存症になることなくここまできてます。
    一方でジャイアンである僕はその母に押さえつけれたわりに甘やかされ依存型にまっしぐらでした。精神的な病気になったり依存に走ったりしました。
    ジャイアンに生まれた以上暖かい母親像というのは求められないんですね。う~ん大変な脳だ。

    • YK
    • 2010年 3月 06日

    読ませていただいていて、思い出しました。
    おもちゃ屋さんの前で「あれがほしい!」と思い、思いだしたら止まらなくて、「買って!買って!」を繰り返し道端にしゃがみ込みました。
    母は怒り、そのうち無視して、弟の乳母車を押してどんどん遠ざかっていきました。
    私は心の中で「どうしよう。お母ちゃんが怒ってる。でもほしいのが止まらない!どうしよう!どうしよう!おかあちゃんが私を捨てていく。ああどうしよう!でもほしい!ほしい!ほしいよ~!」
    苦しくて苦しくて、息ができないくらいでした。
    そして私は何も欲しがらない、何を望まない、何も感じない、何も考えないことを覚えました。
    母は亡くなる前に私に「育てやすい子だった。」と言いました。
    お尻を物差しで叩かれ、物差しが折れたり、ミミズバレになったり、畳に押し付けられ馬乗りになってお灸をすえられ、失神したり・・・。
    でも痛くもなんともありませんでした。
    人ごとみたいに見てました。
    でもこの適応方法は間違いでした。
    30歳すぎてからウツになり、20年ほど繰り返しました。
    感情も思考も勝手に止まるようになっていました。
    間違いですがこれしかありませんでした。
    そんなことを思い出しました。

    • nori
    • 2010年 3月 06日

    ただ
    (先生には親がモラハラ母親で自分がACであることを確信させてくれたので感謝しています)
    ACを治している段階のジャイアン氏にとっては先生のこの記事は少々厳しい記事だと思いました。
    なぜならACは「子供時代に親にされたことは親が悪い」と認識する必要があるのに、この記事の内容だとどうしても「自分はジャイアンだったから親にされたことはしょうがないんじゃないのか?」と思ってしまうからです。
    なのでAC段階の人はこの記事に書いてある自分のことは一旦目をつぶってACをまず治したほうがいいのかなとは思います。
    でもこの記事はジャイアンを子に持ってる親にとっては非常に有用な記事だなとは思いました。

    • 林檎姫
    • 2010年 3月 07日

    うーん・・・
    確かにそうかもしれないですが、
    はたして、幼い我が子がジャイアンかどうかなどとわかる親が何人いるのでしょうか?
    何が普通で、何が普通でないのか、
    またわからなくなってしまいました;

    • エイト
    • 2010年 3月 07日

    「徹底的に駄目」、フォローもしない、威圧もしない、自分で考えさせる、失敗する権利を認める・・
    今からでも遅くないと信じて頑張ります。
    >依存型ジャイアンの人は大人になっても自分の衝動が自分でコントロールできず、買い物依存症になったりする。表面的には周囲に合わせるのでむしろ不適応は目立たないが、配偶者や子供などの形で近くかかわるとその一貫性の無さに家族はボロボロになる
    依存型ジャイアンの恐ろしさ、骨身にしみています。
    実家のジャイアン達にとって、結婚してコントロールできない私は攻撃の対象でしかないです。
    こちらは絶縁していも理由を見つけて絡んできます。
    私はストレスで疲労困憊なのに、彼らはいたって健康そのもの。
    ジャイアン相手に感情で反応すると自分が病んでしまう。
    ジャイアン子供の場合、感情で反応すると虐待してしまう。
    だから自分の感情はいったん抹殺して、冷静に合理的に対処するしかない。
    それが唯一自分の身を守る方法。
    依存型ジャイアンの一番の被害者はやっぱり家族だと思う。

    • あまがえる
    • 2010年 3月 07日

    興味深いです。
    対処の態度に自身が持てまする。

    • 匿名
    • 2010年 3月 07日

    鬼母、というタイトルに異論があります。ここで先生が書かれた母の姿が特段、鬼とは思えないからです。うまく表現できる自信がないので、対極にある(優しい?普通の?)「母」像を提示します。
    ———–
    大罪を犯して死刑になる男の元に、老いた母が最後の別れに訪れた。
    「なにかしてあげられることはないかい、お前のためなら何でもするよ」という老母に、死刑囚である子は「もう一度、赤ん坊だった頃のようにお母さんの乳房を吸わせて欲しい」と告げた。
    願いを聞いて乳房をとりだした老いた母の乳首を、死刑囚は口にくわえるなり噛み切って言った。
    「こんな馬鹿げた願いを叶えるような親に育てられたから、俺は大罪を犯して死刑になるんだ」と。
    ———–
    子に甘すぎる母親を戒める話と聞いています。(中国だったかな?)
    ダメなものはダメ、決して許されない事柄もあることを母が子に教えるのは当然のことです。
    そのために筋を通して毅然とした姿勢を保つ母は「鬼」でもなんでもなく、母としての正常な、子への愛情を持った姿と考えます。

    • piano
    • 2010年 3月 09日

    はじめて投稿します。
    こちらのブログ、生活する上でも自分自身を考える上でも
    大変参考になります。
    >何故ならジャイアンの子供は3歳でも親よりも優位に立とうとする場合があり、それをつぶすために親が威圧して養育すると非常にケアの難しい超場当たり的な「依存型ジャイアン」に育ってしまうからだ。
    威圧するというか、育児放棄した場合も依存型ジャイアンに育つのでしょう・・・。
    >このプロセスについては昨年2月から何度か触れてきたが、言語的、非言語的にジャイアンの子供は「泣き続ける等の異常なゴリ押し」や「感心するような屁理屈」の方法で自分の思い通りにしおうとする。
    これはまさしく幼児期の自閉症の特徴であるように思えます。
    ASの子どもはまさしくこのような特徴を示すのではないでしょうか?
    ASとジャイアンの判別が難しくなってきました。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 3月 10日

    >2歳から3歳にかけて体得する「自分の衝動のコントロール」のパターンが、・・「人が抑えるから」(親が威圧するから)になれば、「その人だけをコントロールしさえすれば何でも思い通りになる」という依存型ジャイアンへ成育する。
    >幼児期から、筋を通して徹底的に説明し、例外なく子供が誤れば叱責し、叱った後に「よしよし」と非言語的なフォローなど一切フォローはしない。普通には考えられない「自業自得」の情け容赦ない育て方こそジャイアン養育の唯一の正解
    これは、親も大変だ。甘やかし一切なしは、親も親業の楽しみが無いじゃないですか。徹底的に筋を通して説明、これも、根気が要りますよね。非言語的に威圧する方が簡単だ。
    ところで、母親が依存型風味で、姉はしっかり依存性が強いのですけど、一回り離れた妹は、そんな親と姉を見て、散々振り回されて「ああは成るまい」と思ったらしく合理的に育ったらしい知り合いがいます。私の見立て違いかな?

    • エイト
    • 2010年 3月 10日

    やっと体力が回復してきました。
    テーマ「ADHDは楽をしてはいけない」の時も思いましたが、今回のテーマも全く先生の仰るとうりだと思いました。
    >言語的、非言語的にジャイアンの子供は「泣き続ける等の異常なゴリ押し」や「感心するような屁理屈」の方法で自分の思い通りにしようとする。
    > 「駄目なものは駄目」と徹底的にやらないと、少しでも「例外」があろうものなら、その例外を実現しようと異常なエネルギーを発揮して執拗にゴリ押しなどを続ける。
    「泣き続ける等の異常なごり押し」が下の子で、「関心するような屁理屈」が上の子、例外の実現に執拗なのは両方ともでした。
    「駄目」と言っても、上は屁理屈、下は非言語的に拒否するだけ。
    3回注意すれば直るなんて絶対あり得ない。
    そのうえ私も注意力散漫だから見逃すことも多い。
    「駄目」の内容もひとつだけとは限らない。
    何かの課題みたいに”次に会うときにはできるようになってね”で別れるならいいけれど、親子だから同じ空間にいるしかない。
    「駄目」には「拒否」しか返ってこない、毎日、毎日、いや一日に何回も、同じことの繰り返し。
    手をあげれば後で後悔して甘くなり・・「駄目」がわかるまでは”完全無視”も息苦しくて続かない・・
    子ジャイアンをそだてるには、やっぱり鬼というか、尋常じゃない忍耐力と強靭な精神力がなければ難しいのだろうと思います。

    • エイト
    • 2010年 3月 10日

    >「その人だけをコントロールしさえすれば何でも思い通りになる」という依存型ジャイアンへ成育する。
    今まで姉のことを説明する適当な表現が見つからなかったのですが、先生のこの一行が姉そのものです。
    小さい頃、病気がち(といっても扁桃腺炎、気管支炎くらい)なことを母が心配したものだから、大人、いや”おばさん”になった今でも、(母に対して)都合が悪くなると体調不良、病気を口実にして逃げます。
    普段は上手に母の愚痴の聞き役に徹し、スネはしっかりかじります。
    人に物をあげることが好きで(買い物依存症あり)、常にまわりに人がいないと不安で(人間関係依存症)、お金のためなら何でもするし、その瞬間の損得しか考えられない、場当たり的で計画性ゼロ。
    コントロールできると見込んだ人には、最初は優しいけれど要求はどんどんきつくなる。(見込まれる人にも問題あり)
    指摘されると逆切れし、状況理解力に乏しく反省しない・・ああ、もう立派な依存型ですね。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 3月 11日

    ジャイアン養育は、鬼手仏心ということなのでしょうか?
    ★ 多動・不注意傾向が遺伝的に高い子の場合、親のネガティヴな養育行動が教諭運環境(共有環境の誤植?)としての引き金となって子どもの問題行動をもたしていることが示された。★
    「脳科学と教育」タイプⅡ RISTEX(社会技術研究開発センター)の「双生児法による乳児・幼児の発育縦断研究」(安藤寿康)
    の研究終了報告の予稿集より(入手は下記より)
    http://www.ristex.jp/eventinfo/pasrelative/brain_20091209.html
    心身の発育に及ぼす遺伝要因と環境要因が、実際にどのように働いているか・・これを明らかにすることができるのが、双生児法による発育の縦断研究である。すべての遺伝子を共有する一卵性双生児と、生育環境は一卵性と等しいにもかかわらず遺伝的には50%しか共有しない二卵性双生児の類似性を比較すると、心身の発達に及ぼす遺伝の影響、家族が共有する環境の影響(共有環境)、そして一人一人に固有な環境の影響(非共有環境)がそれぞれどの程度関与しているかがわかる。それのみならず、双生児の発育データを長期間にわたって組織的に収集し続けることによって、成長とともに遺伝要因と環境要因の影響がどのように変化するか、また環境要因が遺伝要因の発現をどのように変化させるかを知ることができる。
     「首都圏ふたごプロジェクト(ToTCoP)」では、1600組を超す乳児双生児の縦断研究を2005年から4年半にわたって行ってきた。これは双生児研究としてわが国でこれまでで最大規模であるのみならず、乳児・幼児の縦断コホート研究としても比類のない規模の研究である。
    (つづく)

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 3月 11日

    続きです。
    (生後) 36ケ月から48ケ月にかけての、問題行動の一側面である「情緒的問題」(SDQにより測定)の変化量と、親の養育態度との関係をみると、親が冷たい態度や強い身体的・心理的統制や厳しいしつけなど、ネガティヴな養育行動をとるほど、情緒的問題におよぼす遺伝的影響の個人差が大きく反映されることが示された。
     逆に、暖かく柔軟なポジティヴな養育行動のもとでは、情緒的問題の遺伝分散は小さく、その結果、個人差も余り大きくない。トルストイが『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭で表した「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしている」の様相を遺伝的に呈しているかのようである。このことは、厳しすぎるしつけが、ある種の遺伝的な傾向を待つ子ども(eg.引っ込み思案だったり不安傾向が高かったりする子ども)に対しては必ずしも有効ではないことを示唆する。
     子どもの問題行動と親の養育態度との関連は、子ども自身の多動・不注意傾向とも関連があることが指摘されている。すなわち多動・不注意な子どもは親から厳しい態度でしつけられ、そのために問題行動を引き起こすというような関連である。しかし、もともと問題行動を引き起こす遺伝的傾向がある子どもは、多動・不注意傾向とは無関係に、そもそも親から厳しいしつけを受けやすいのかもしれない。
    ここで、およそ6歳の時点での親を対象とした調査から、子ども自身の多動・不注意傾向(SDQにより測定)の遺伝的な差異が親のネガティブな養育行動と子どもの問題行動(やはりSDQにより測定)との間の因果関係にどのような影響を及ぼしているかを調べた。
    その結果、多動・不注意傾向が遺伝的に低い子の場合、子どもの問題行動の遺伝的性向が親のネガティブな養育行動を引き出しているのに対して、
    多動・不注意傾向が遺伝的に高い子の場合、親のネガティヴな養育行動が教諭運環境(共有環境の誤植?)としての引き金となって子どもの問題行動をもたしていることが示された。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 3月 11日

     初めに述べたように、人間の心身の発育・成長に及ぼす影響は、単純に遺伝か環境かと二分できるものではないことが、これらの研究から具体的に明らかになってきたであろう。その様相は多様性に富み、ダイナミックで複雑である。私たちが明らかにしていることは、それぞれが育児や教育への実践的示唆を待つものである。しかしそれらはこの複雑で多様な自然の有様の前では、群盲撫象にすぎないかもしれない。従って、ここに安易な一般化やモデル化をすることを敢えて避け、複雑なものを複雑なまま素直に受け止めることにとどまる勇気を持たなければならない。ここで示した現象も、年齢が変わると変化してしまうかもしれず、ましてや異なる文化、異なる社会では異なる様相を呈するかもしれないのである。
     このように、遺伝要因と環境要因の発達に及ぼす影響のあり方はしばしばたいへん複雑である。それは行動の種類によっても、環境条件によっても、また性別や発達段階によっても異なり、そして何よりも遺伝的な固有な存在である人ごとに異なる。遺伝要因を考慮せず、単純な環境神話に則った安易な一般化や法則化による育児方針・教育政策の設計が、現実から遊離してしまう危険性に気づかねばならないだろう。
     とはいえ、遺伝要因と環境要因が、このように時間とともにダイナミックに変化し、互いに交互作用し、しかもそのなかで環境要因が独白の効果を持って、子どもの心身の形成に寄与している様子を具体的に知ることは、子どもの健やかな成長のための教育環境の設計に対し、ある意味で謙虚に、そしてまたある意味で大胆に、取り組むための科学的根拠を与えてくれることになるだろう。
    以上 要約

    • むずかしい
    • 2010年 3月 11日

    私の親は鬼母系でした。
    私は鬼母系ですが夫など周りに顰蹙を買います。
    むずかしいですね・・・。
    うちの子の場合はADDと診断されているのですが
    これは依存型と言うことでしょうか?
    私はADHDだと思いますが社会や周りには
    うまく適応しています。
    自己ツッコミは厳しいです。
    ただし中毒性があるのと鬱傾向がひどい、
    気が散漫で集中力が好きなことでしか発揮できず、
    最近生きているのが微妙に辛いです。
    それでも鬼母がいいのかな?
    考えどころですね。
    依存型ジャイアントいうのが気になります。
    うちの子がADDなのか依存型なのか
    いまだに良くわかりません。

    • けろけろ
    • 2010年 3月 12日

    うちの母はドライでした。これって外から見たら鬼母になるのでしょうか?
    ダメなものはダメ。仕方が無い事はあきらめろ。
    意思は尊重する。自由にやってもいいが、失敗も自分の責任。
    もう小さい時から一貫してた気がします。
    母自身も子沢山の中間子として「自分の事は自分で」なので甘やかされた記憶が無いみたいです。
    私自身はこの環境はとても過ごしやすかった。合理的ADHDに必要な「納得」が手に入るから。
    しかし多数派であろう妹は幼少期はとても寂しかったそうです。そのへんは難しいですね。

    • nori
    • 2010年 3月 12日

    自分の母親がモラハラな母親であり自分がACであることがわかって以降、自分の子供時代に失ったものは何なのかを理解するために、どういう母親が「いい母親」なのかずっと考えてきました。
    ずっと考えた結果、自分が出した答えは
    「子供の気持ちに共感し受け止めることができ、子供の気持ちを尊重し見守る母親」でした。
    これさえあれば、いくら厳しくても甘やかしても子供の心は健康に育つと思います。

    • 黒すりごま(AS)
    • 2010年 3月 14日

    迫力のある記事でした。YANBARU先生ならではのご提案だと思いました。
    ジャイアンのお子さんの傾向をすべてしっかりと理解した上で、お子さんの将来のために徹底的に理性的にこの「鬼母」の態度を貫く・・・すごい世界ですね。身が引き締まる思いがします。

    • 2010年 5月 13日

    わー。我が家は夫と長男がジャイアンです。夫は特に依存が強いです。長男は生まれる前も色々暴れていましたが、生れ落ちてからはさらにパワーアップ。抱かれると背をそらすのに、ずっと抱いてないと泣く。寝ても抱いてないとすぐに察知して泣く、。
    歩けないうちからハイハイでそこらじゅう破壊してまわり、そのスピードとパワーは驚異的。ベビーガードなんて何の役にも立たない、、、。という子でした。
    印象的だったのは1歳台でまだ足がおぼつかない頃。「あれとってこれとって」とジェスチュアやはっきりしない言葉で次々に私に指図し、私がくるくる動くのを見て、「母親の使い方」を研究しているような感じがした事です。
    それ以来「自分でとりなさい」と伝えたのですが、今度は
    自分の手の届かない高いところのものを取ってくれ、とこれまた矢継ぎ早に要求。それもしつこく泣いたり、怒ったり。「なんて恐ろしい子!」と思いましたね、、、。母親を愛着の対象とみるよりも、便利な道具、と見ている感があったのです。現在長男は家でのみ、要求を通すのにしつこく食い下がるのと多少手加減した暴力を使います。そろそろ洒落にならない力をつけつつあるので、ちゃんとトレーニングしないといけませんね。この記事はとても参考になります。
    ちなみに夫ジャイアンは、そんな長男が少し成長して、しっかり動けるようになると「あれとって、これとって、これ置いてきて、捨ててきて」と長男をリモコンのように使用。みかねて注意すると逆切れ。
    もっともらしく語る主張には、常に一貫性がなく、そこに突っ込むと、逆切れ。それでもこちらが引かないと今度は筋骨隆々の体を寄せて「殺すぞ」という空気感をだして脅してきます。この手の不毛な繰り返しにこちらがあきれて、相手にせず、見限ったような態度をとると、今度は結婚前のように
    快活で優しい仮面をかぶって、こちらを魅了しようと必死。
    でも長続きしないんですけどね。家族構成員の半分がジャイアンだと実に疲れます。。ひとり減らす予定です。

    • やい
    • 2012年 2月 07日

    先生は精神科医なのになーにもわかってない。
    厳しさはそこに愛があるから意味が出てくる。
    ただ心の冷たい親が厳しくしてもそれはただの虐待。

    • r.
    • 2015年 3月 10日

    先日のコメント欄でのやり取りを読み、そこから感じたことを書きます。

    まずは、自分にはつくづく、過剰反応や うのみ にする面があるな
    ということ。
    自己生産した「思いのバブル」に翻弄されて、ようやく
    やれやれ の視点が得られる。

    次に。
    私は先ごろまで実母のことを、「よくわからないけどASDに近い多数派」
    のように思っていたけれど・・・
    実母には、ASDさんから伝わる まとわりつくような感じ
                    からめとられるような感じ
    が なかったです。高校時代に強く反発したころから、
    「そう。じゃ もう何も言わない」的(不機嫌&諦めオーラ)な感じでした。

    実は、ジャイアンだったのかな。

    何はともあれ、手放してくれた(?)ことに感謝します。

    母親は 子どもを支配してはいけない。
    子どもの人生を乗っ取らないでほしい。

    3番目におもったこと。
    ジャイアンは、人の言うことを鵜呑みにするにはするのだが、
    飲み込んだ違和感を吐き出す力は(たぶん誰でも)持っているということ。

    特に自分は、吐き出し方は不器用だと思う。
    それでも 吐き出す力があることは ありがたいこと。
    (コメント欄も利用させていただいてます。感謝!)

    今、孤立型的ASD(に見える)パートナーが、仕事上の人間関係に
    苦労している様子が感じられます。
    なぜ言語化しないのだろう と思っていましたけれど、
    言語化するのが、苦手なのかな。

    生来の性格なのか 養育環境により表現できない大人に育ったのか
    そこのところはわかりませんが・・・
    ASDさんは、上手に吐き出せる人と、吐き出す術を持たない人がいるように見えます。

    自分の思いは 自己責任で、適切と思える処理をする   

    それが 案外難しい。 

    • amethyst
    • 2015年 3月 10日

    先生、ちょっとルール違反になるかもしれません、すみません。

    >先日のコメント欄でのやり取りを読み、そこから感じたことを書きます。

    (私の心の声)
    この「コメント欄でのやり取り」というのはアメジストとADHDさんとのやり取りのことらしいな。
    ということは以下全部の文章がアメジスト宛てと言うことなのかな。
    だとするといくつか違和感を感じる部分があるな。ピンと来ないっていうか。
    まとわりつく?からめとられる?
    子どもを支配?子どもの人生を乗っ取る?
    う~ん、自覚がない・・・
    ただ、私のコメントに「事なかれ主義(紛争を回避し、平穏無事であることを
    なにより優先する態度)」を感じて、歯がゆかった可能性はあるかも。

    〔本文〕

    私はこういったブログなどの公共の場では極力、穏やかに、荒れないように心がけます。
    議論も好みません。自分も疲れるし、読む人も心がざわざわするだろうと思うからです。

    でも、1対1のメールなどの個人的なやり取りで、だいぶ信頼関係ができた相手とは
    「建設的なボクシング(言葉の殴り合い)」を本気でやることがあります。その時は真剣
    勝負で、言葉も過激です。でもあくまでも建設的な結果を生むためのボクシングです。

    ボクシングの後は結構相手が風邪をひいて熱を出すことが多いです。そして最後は
    前向きな「訣別」でお別れします。でもおたがいにどことなく爽やかになります。
    ま、こういうことはすごくエネルギーを消耗するので、ここぞという場面でしかやりません。

    変なコメントを書いてすみませんでした。

    • amethyst
    • 2015年 3月 11日

    追記

    >まとわりつく?からめとられる?
    子どもを支配?子どもの人生を乗っ取る?
    う~ん、自覚がない・・・

    「自覚がない」という言葉では弱かったので、はっきり言いますね。
    リアルの私を見て頂ければ、これらの言葉の正反対の人間だと
    おわかりになると思います。

    私はある意味、ADHDさんよりドライで、依存を嫌います。
    支配も嫌います。

    子育ては支配と放置の両極端しかないと思いがちですが
    その途中に「臨機応変」という絶妙な場所があります。
    それを身に着けると、私の経験から特にASDの子どもには
    バッチリと合います。子どもが伸び伸び生き生きと自分らしさ
    を発揮します。

    お邪魔しました。

    • 182
    • 2015年 3月 11日

    > ということは以下全部の文章がアメジスト宛てと言うことなのかな。
    > だとするといくつか違和感を感じる部分があるな。ピンと来ないっていうか。

    「違和感を感じる」「ピンと来ない」=「この文章は私宛ではないのだろう」とはならないんですね。

    > 実母には、ASDさんから伝わる まとわりつくような感じ からめとられるような感じ が なかったです。

    って、文字通り実母(&孤立型夫)の話をされてるんだろうな、という認識で、まさかここでASD当事者さんが怒り出すとは想像できませんでした。

    確かに私は他者の感情に配慮する様な想像力が貧困で結構失敗が多いです。
    人の感情ってわっかんないな〜。マジで。
    「ピンとこない」=「自分には関係無い」「大した問題ではない」と安易に考えてスルーして失敗することも多いです。

    いやはや、実は何かと行く末が心配なASD長男が、クラスメートをボコボコに蹴ったらしく、その対応をこの2〜3日引きずってしまったのですが、何で長引かせてしまったかって言うと、「先生たちは誰も見ていないのですが、どうも息子さんがお友達を蹴ってしまった様です。」との報告を軽く考えてしまったのです。

    多数派独特のコミュニケーションで、報告がある時点で「深刻」なんですよね。どんなに笑顔で話していても。迂闊でした。

    こっちは、文字通り「誰も見ていない」「蹴った『様です』」という言葉、それと先生の照れたような笑顔から3歳児にはよくあるいつもの喧嘩くらいにしか考えませんでした。
    が、いつもの喧嘩ならわざわざ報告はしない。いつもより酷かったから報告したんですよね。
    そこがね〜。わかんなかったよ。

    とは言え、多数派独特のコミュニケーションを私がうまく感知できずに失敗する良いケーススタディーになりました。
    今後は、「深刻な事態であれば、深刻な言葉と表情で話すもの」と思わずに、報告があった時点で「深刻な事態」と想定して動こうと思います。

    似たようなコメントを前にもした様な気もするが・・・。成長してないのかな。

    察知に失敗するなら、ある程度認知の修正で変われそうな気もするが、感知での失敗だもんね〜。ハードル高いと自覚しよう。
    あとまぁ、セーフティネットとして受動型的認知が有効なんだけど、、、マタタビが。。。

    • amethyst
    • 2015年 3月 11日

    国語の勉強みたいなものですね。

    もとのコメントがとてもしっかりとした書き方になっているわけです。
    優秀な方ですから。

    ・まず最初にテーマを示している。
    ・それについての感想が①、②、③と順番に書かれている。
    ・つまり①も②も③もテーマと関連した内容なわけです。
    ・そのテーマで登場するASDはアメジストしかいないのです。

    その文脈から私のことを書いていらっしゃるのだと読み取りました。

    これだけしっかりした構成の文章だとすると
    ピンと来ない=私のことではない
    とは思えないわけです。

    第一、ASDとADHDさんの感覚ってお互い全部ピンと来ないくらい
    違ってましたよね。

    後、私、別に怒ってはおりませ~ん。わかり易いようにはっきりと
    書いただけでございます。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 12日

    うーん私は
    >先日のコメント欄でのやり取り
    これがまずどのやり取りを指すのかわかりませんので、それに関してはそこから一歩も進めませんでした。
    ご本人が登場したやり取りだったのか、そうでないのかも私にはわかりません~
    先日っていつだろう?
    書いてないし。どうやって特定したのだろう?
    また内容は完全に振り返りだけだと思いました。特定の誰かへのメッセージとは思いませんでした。
    なので、これが過剰反応というものかな?などと考えていました。別れで終わるとはどういうことなのだろうとか。

    思うんですが、まず、私のことですか?と聞いたらどうでしょうか。。。

    • amethyst
    • 2015年 3月 12日

    コメントありがとうございます。
    何だかお騒がせしてごめんなさいね。
    「私のことですか?」と聞くのはそれこそ
    「コメントに対するコメント禁止」ルールぶち破り
    なので、しません。
    どちらにしろ私はルール破ってますけどね。

    前に「私が書いたコメント」に過剰反応で誤解して
    何か言ってきた他の方がありましたが、その方に対しては、
    私は大急ぎで「あなた宛てではありません」と書きました。

    違っていればふつう否定してくるかなとは
    思います。だって誤解されたままでは気分
    悪いでしょうから。

    後、別れで終わるというのは、このコメント欄とは
    無関係の話なんです。
    個人的にメールのやり取りをした相手と、ある時期
    に必要があれば「禅問答」みたいな言葉のボクシング
    をして、最後はお別れすることが多かったというだけ
    の話なんですよ。前向きなお別れですけど。

    何でこの話を持ち出したかというと、私がこのコメント
    欄ではいつも「事なかれ主義」で、必要な議論も避けて
    いるみたいなことが相手の人は歯がゆいのかなと
    ちょっと感じて、プライベートでは、「事なかれ主義」
    ではないこともあるんですよという例を紹介しただけ
    のことです。

    最後に「先日のコメント欄のやり取り」というのは
    たぶん「『石が悪い』という発想」の記事のコメント欄
    で、ジュースを蹴っ飛ばした人はどうのこうのという
    やり取りだと思いました。

    最近、ADHDさんとASDのやり取りってあれしか
    なかったように思うので。もともとコメント者同士の
    やり取りが禁止されているブログですから。

    この件に関してはもうこのへんで終わりでいい
    のではないかしらと思います。

    相手の方から、「全く誤解です。あなたの過剰反応です」
    と言われたら、「そうでしたか。それは失礼しました。
    私の読み取り方が間違っていたわけですね。」
    と謝りますよ。

    コメントに対するコメント禁止というルールのある
    場所でのコメント者同士のコミュニケーションって
    難しくて当然ですよね。
    禁止しないと喧嘩ばかりになりがちなブログなので
    (みんな思ったことをストレートに言う人の集まり
    だから)こういうルールが出来上がったわけですしね。

    でも生身の人間だから、ちょっと横レスしちゃったりも
    するわけですね。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 12日

    私は関係ないのについ横レスしてしまってすみませんでした。

      • tukatantikatan
      • 2015年 3月 12日

      私は質問は受け付けていますので、わかる範囲でお答えします。

    • amethyst
    • 2015年 3月 12日

    独り言です。

    私はだいぶ昔にネットで、
    「ブログなどで、コメント者が、ブログ主に対してではなく、他のコメント者に話しかけることを
    『横レス』といいます。」という記述を見た記憶があり、そう覚え込んでしまったものですから
    このブログでも、「コメントに対するコメント」のことを「横レス」と書いて来ましたが、
    本来の意味は
    「電子掲示板などで特定の人がやりとりしている中へ別の人が横から入って、行う発言のこと。」
    として使われているようですね。
    まぎらわしくてすみませんでした。今後は「横レス」という言葉は使用せず、
    「コメントに対するコメント」とか「コメント者同士のやり取り」という言い方をすることにします。

    • 182
    • 2015年 3月 13日

    ASD長男がクラスメイトをボコボコにした事件は何やら若干形成逆転の様相です。

    と言うのも、相手の母親があまりに「うるさい」「しつこい」ので「182さんも面倒な人にあたって災難でしたね」的な雰囲気になってきました。

    この辺だけチャッカリ読み違えないのはジャイアンの真骨頂であります。

    長男の担任だけでなく、被害者の担任までも「長男クンが何もないのにいきなり友達をボコボコに蹴るなんて信じられません。」と言い、男性教諭にいたっては「あちらは一人っ子で大事大事で育ててるから、、、」とまで言う始末。

    恐らく多数派的な直感が働いているものと思われますが、こうなるとむしろ私は相手の母親が気の毒になってきます。

    こんな風に色眼鏡で見られたらそりゃ怒りは倍増だろうなって。
    それでも空気からの抑制が効かずに「正当な主張」を止められないのは、この人も私と同じ様に病気なのかな?って。

    でも、そう思われるのも勘弁ならないでしょうね。
    何しろ自分は「正当な主張」をしているのに過ぎないんですから。

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