ADHD関連

ASに似たADHD③過集中

 ADHDは過集中している状況では、他者に要求することが非常に厳しくなる。例えば私は以前の病院勤務のときに、治療が難しい重症な入院患者さんの治療で、看護師さんをフォローできずに病棟で孤立したことがあった。

 ADHDはもともと「責任」や「プロ意識」に厳しく、「困っている人が居る以上、ベストを尽くすのは当たり前」 と考えるために、「普通の仕事以上」に看護師さんたちが「熱心に治療する私に特別に協力した」ことの意味が分からず、「給料もらっているのならそれくらい当たり前」くらい口を滑らせて私はよく失敗した。

 これは過集中の状況のなかで思考のゆとりを失い、認知と思考の視野が非常に狭くなった結果、「周囲の人が自分と同じ程度に集中していないと腹が立つ」という思考と感情のパターンとなっていると考える。

 この状態では、周囲の人が過集中している自分と同じ程度に熱心に取り組んでいないと言うだけで、「私がこんなに一生懸命やっているのに」とぶち切れて、攻撃したり、極端な行動に出たりする。表面上はACのときの疎外感とも似ており、また腹が立つ程度はASの予定が違ったときに近いと想像する。

 その結果、「非常に思い込みが激しく、周囲の人に過度の要求を強制し、思い通りにならないと激怒する」というパターンとなり、いつもは合理的で情に絡まないADHDが豹変するという印象を与えさえする。

 鑑別は容易で、「過集中しているかどうか」で分かる。その他のことで同じパターンがあるかどうかを見ればわかる。

 私は上記の考察の結果、「過集中は自分自身は一時的に気持ちが良いが、結局チームプレイを破壊する」ので、チームでの取り組みを要する仕事では、「過集中にならないテンションで、周囲をフォローするゆとりが残るくらいで動くのがベスト」と考えるようにしている。ADHDのコーチングの上級編である。     


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コメント

    • HIKARI
    • 2007年 2月 28日

    私も同じことをしてます。
    以前に勤めていた会社で、お客様からのある要望があり、市役所に行かなくてはならなくなりました。しかも夕方までという期限つきです。早速、市役所を担当している営業マンに連絡を取ったところ、一旦は了解してもらったのですが、その営業マンにしてみれば何の得にもならないボランティアで、「やっぱり断って」と電話がきました。
    私は一回りも年上の営業マンに怒りをぶつけ、「自分の利益だけを考えている、お客様の要望に応える気はないの?」と、やりあいました。二人とも怒り心頭で、事務所に戻って来ても険悪ムードでした。
    実はその営業マンは、前に書いた「奇妙な3人組」の一人で、今ではそんな私の仕事への取り組み方を評価してくれてます。今もあの頃の熱きバトルを語りながら酒を酌み交わしています。「お前のような熱意のある奴はいなくなった」と言われます。
    あの日は、全国各地から観光客が集まるお祭りで、私の会社はそのお祭りと大きく関わっていたので、どうしても電話の応対が普段以上で、しかもイメージダウンはしたくないという「プロ意識」は確実にありました。
    仕事に対する「責任感」は負けないつもりです。

    • 月の草
    • 2007年 2月 28日

    先生:「周囲の人が自分と同じ程度に集中していないと腹が立つ」
    はーい、それ今、私思いっきりやってしまってます……
    先日、見知らぬ人に腹を立てたことがありました。腹を立てたのは実はその人の発言内容ではなくて態度でした。「こんなこともちゃんとできないなんて(○○で学んでるのに)」____私はもっと○○している、という苛立ちでした。
    一瞬、夫その他の影響下で、常に私はちゃんとしないといけない、私はちゃんとするべき、あなたもちゃんとしなさい、になってたんだと思って自己嫌悪に陥ってました。昔はもっと人に対して寛容で怒ったことなんかなかったのに。自分を維持できないなんて等。過集中というのもあるんですね。人のせいにばかりしないで、気をつけないといけませんね…….
    また、確かに大勢で共同作業している時など、自分を含めてコアメンバーだけが働いているような感じで、苛立つことがあります。これはずいぶん失敗が多かったので、この頃はメインで動かずに、一定の距離を置いてサポートに回るようにしています。でも、自分がすごくやりたい仕事だと、どうやって誘惑を打ち消すか、これが難しいです。自分がメインで表現できる場を確保すれば、共同作業の時には譲れることがわかりましたが……今しかない仕事や、一期一会の感覚、悪く言えばその日暮らしの感覚を持っているため、次回の可能性を想像できないのが辛いところです。
    ありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 2月 28日

    >「過集中にならないテンションで、周囲をフォローするゆとりが残るくらいで動く
    肝に銘じたいと思います。勢いで今回部長を引き受けて、過去と同じ失敗をしないように。
    ・・・・
    ADHDコーチングの上級編が出たところで、私も自分なりの『区切り』をつける時期がきたように感じています。先日パパイヤさんが『卒業宣言』されましたが、少しそれに近いニュアンスを込めています。
    最近、自分の力にやや限界を感じつつあります。
    私はASの人に『人には自由意思がある』ということを伝えたくて自分なりに言葉を尽くして語ってきました。
    これをASの人が理解するのは、並大抵のことではなく、たくさんの時間が必要なのかもしれませんし、永遠に理解不可能なことなのかもしれません。
    でも、『人には自由意思がある』ということは、恐らく、AS以外の人は当たり前に了解している事実で、これが人とコミュニケーションを上手く取り、人間関係を維持していくための鍵でもあると私は考えています。
    今以上に、私は発達障害に関してたくさんのことを知りたいと思っています。発達障害者と、それに関わる人達が、うまく共存していくための方法を見つける為に、もっといろいろなことを知る必要があるのではないかと考えています。
    でも、私は卒業します、とは言いません。場当たりで気まぐれなADHDは、そういう宣言をしないほうがいいと思っています。
     
    もしも、こう言っておきながら明日また書くと、『卒業って言ったじゃない』とASの人をまた、混乱させてしまうでしょうから。でも、人というのは、自分なりに一区切りということで、何かしら、しるしを残しておきたい、意思表明しておきたいと、考えるものだと思っています。その意思は実に曖昧で不確実です。
    『その根拠を厳密に詳しく説明してください』、なんて言われると骨が折れる作業ですが、思いのほか、世間一般的には『そんな程度』で、なんとか回っているものなんだということです。
    ASの人ほど、みんなは、厳密に細密なデジタル世界に住んではいないのですから。
    ・・・スレッドの話題からそれてしまって、申し訳ありません
    m(__)m

    • あひる
    • 2007年 2月 28日

    これは私のことですね。
    先生...みてたんだなぁ...って思いました。
    私は(はっきり書きます)月の草さんにプロであることを
    厳しく要求してたんだと思いました。
    にしても過集中状態だったんですね私は。
    気がつきませんでした。
    2日前から過集中の原因が家にいないので
    (毎日顔は合わせるのですが)
    確かにちょっとクールダウンしています。
    >過集中にならないテンションで、周囲をフォローするゆとりが残るくらいで動く
    上級者への道はまだまだ遠いですね...

    • yurin
    • 2007年 3月 04日

    過集中になっていたかも…?なんて今更です。まさに天然ボケ。
    しかしプロというのはどういう定義があるんでしょうか?
    資格があるからでしょうか?それともお金を貰ってその仕事をしているからでしょうか?
    何もないのに、熱っぽく過集中になってしまう私って一体…?

    • あひる
    • 2007年 3月 04日

    yurinさん
    >しかしプロというのはどういう定義があるんでしょうか?
    私の場合は上記の先生の文章
    >ADHDはもともと「責任」や「プロ意識」に厳しく、「困っている人が居る以上、ベストを尽くすのは当たり前」 と考えるために~
    の「プロ意識」から引用させてもらいました。
    お金を貰ってとか資格とかではなくてはなくてね。
    上手く言葉が探せなかったし(どれもシックリこない気が...)
    >何もないのに、熱っぽく過集中になってしまう私って一体…?
    そうですか...最近の私は無意識に過集中だったみたいです
    (気が付いてないのでタチが悪いです)

    • HIKARI
    • 2007年 3月 04日

    この記事の内容とは意味あいが違いますが、今、このブログに「過集中」で困っています。
    どうにもとめられなくて、気になって、生活の「第一優先」になってます。
    確か去年は「和の家」に過集中でカタログを見ては欲しがっていました。今は、「何であんなに欲しかったのかな?」と不思議です。
    去年の暮れは「絵」に夢中で、道具を全部買い揃え、「家事」をする時間も惜しんでいました。
    このように、「興味」の対象「過集中」の対象が変わります。これは何なのでしょうか?
    一旦スィッチが入ると、止まらない「脳」のようです。

    • けい
    • 2011年 4月 02日

    はじめまして。小学校教員歴22年の、多分けいです。努力していても「空気を読めない」「気持が伝わらず煙たがられる」「孤立する」自分のことに気づいてはいましたが、結婚して人間的にしごくまともな主人とその家族に接するうちに、自分の支離滅裂なコミュニケーションが周りを混乱させることがはっきりわかりました。差別を許さないアスペルガーの

    • カズちゃん
    • 2011年 9月 09日

    双極性感情障害とADHDを持つものです。
    過集中であると言われていまして、確かに何かに
    集中していると、周りから声をかけられても
    気が付かないときが多いです。
    でも、そうでないと特許申請の書類など
    かけません。
    私は攻撃的になったり、人に過度な要求は
    しませんけど。
    長島茂雄さんとか坂本竜馬さんがADHDと
    世間では知られていますが、そんなに酷い人では
    ありませんよね。
    ここでのコメントは全ての人に言えることでは
    無いと思います。
    もう少し幅広く調べてからコメントされては
    如何でしょうか。

    • 2011年 9月 11日

     ここの所、過集中が続いていていました。でも以前とは違う形の過集中です。ちょうどカズちゃんさんがコメントしたことから、先生のこの考察を読み、ちょっと私の過去の振り返りをしようと思います。
     私も病院勤めのときに先生と同じような状況を展開し、看護師長を通じて後輩たちが怖がっていることを知らされました。それによって私は何をどうしてよいか混乱し、疎外感を強めていました。
     その当時、労働者派遣法の改正により看護師という職にも「派遣労働」が可能になり、経営者が経営方針を変えたことでおよそ半数の正規看護師が辞職しました(このときは何が起こっていたか知りませんでした)。先輩や同僚看護師が次々辞職し、残ったのは私と後輩看護師でした。私は「入院している患者さんの命を保障しなければならない」と必死でした。狭心症や心筋梗塞、心不全等、看護師の日々の観察や判断、ケアが命に直結する病棟でしたので、責任感が強い私は何とかしなければと思ったのです。しかし、循環器病棟での経験が浅く、先輩として指導するには不十分な力量でしたので、不安を抱えながらの毎日でした。
     急変時には、自分が処置にかかわりながらも、誰が何をしたらよいかクリアに把握することができ、指示を出すことができました。過集中ゆえにできたことです。しかし、病棟看護はチームワークを必要とします。それがその当時の私には理解できていませんでした。
     急変時の医療は、直接的には医師、看護師が主ですが、間接的に各検査科や薬剤科等がかかわっており、チームワークが必要ですが、患者さんの命に直結するために協力せざるを得ません。各職種の人の人間性にかかわらない「職責」によるチームワークです。
     看護は、その看護師の独自の人間性と看護知識技術を用いて、対象となる人の医療と生活両面へ介入することです。ですから、他の看護師の人間性や今ある看護知識技術を尊重し、なおも伸びゆく芽を育まなければならなかったのです。それに気付けなかったのです。
     チームでの取り組みを必要とする職業においてのADHDの過集中は、ただでさえ他者を意識することができない性質がより強固な形で現れます。後に、後輩から「本当は優しい人だと思っていた」と言われ、ボロボロに泣きました。ごねんね。後輩たち。

    • 2011年 9月 11日

    この過集中をした後、私は混乱していました。何をどうしたら生きていけるか彷徨いました。ホスピスで出会った先輩看護師の幾人かが大学の通信制で学んでいたり、大学院に通っていることから、それをヒントに大学の通信課程で心理や教育を学ぼうと決心しました。
    このときははっきり認識していなかったのですが、心理は自分とは、教育は後輩指導に必要なのは、という自身の問題解決のために必要としていたのでした。
    大学での学習は、一冊の教科書から理解することは難しく(大学でも幾つかの参考書を読むようにとのことでした)、一科目につき数冊の参考書を読み、原稿用紙8枚にまとめる作業を繰り返しました。私には、わからないことがわかるようになるこの時間が楽しいと感じました。最終的には社会人学生としては好成績でした。
     おそらく、大学での学習の間、過集中だったろうと思います。不器用を自覚する私は、仕事の時間の短縮と賃金の半減、職に対する責任を負わない(これは私にとって苦痛でした)という状況下に自分を置き、勉学に励みました。添削されて返ってくるレポートに書かれた先生の言葉に一喜一憂しながらでしたが、私は学ぶ、考えることの楽しさを改めて感じていました。
     今にして思うと、自分がどんな特性をもち、どんなところでそれを活かせるのか、早い段階で見出せることが、自分の人生をキャリアデザインする上で重要な鍵を握っているのでしょう。

    • 2011年 9月 11日

     残念ながら、私は生育過程において家庭の混乱に巻き込まれて自分の特性に気づくこともできずにいました。高校進学の時、父は「競艇の選手になれ」といい、このままでは自分の人生は親のために捧げることに費やすことになると思い、無理やり「やりたいこと」をひねり出したのです。父の死後も、私はそれに束縛されていました。
     ACを生きることは、自分を生きることを断念していることです。何故にこの世に生を受けたかに行き着かなければ、自分を生きることなどできません。早い段階でそのことに気づかされる場面を経験することが望ましいと考えます。

    • さーこ
    • 2013年 8月 25日

    新たな職場に就いてから9か月が過ぎましたが、今、初めて仕事が「楽しい」と思えるような心境になっています。
    以前は、「過集中を使わないと頑張って働いている事にはならない」といった、自分の中での強固な思い込みがあった気がします。
    私の仕事は、器具の洗浄、消毒、滅菌、というものが主なのですが、雑用も多岐に渡ります。滅菌袋の作成や、バーの補充から始まり、印象剤を外してトレーを洗浄薬液に浸け、ある程度の時間が経過した後に水と洗剤で洗浄し、超音波洗浄後に滅菌、という1サイクルが出来上がります。現場の状況によっては、滅菌綿や滅菌ガーゼ等の作成も追加されます。器具と備品と薬液の補充をし、備品や薬液の追加の注文を他の職員に伝えたりするのも、半分はパート職員の私の仕事です。
    半年以上の間、先輩や院長の動向を見ていて興味深い事に気づきました。それは、細かで量の要る作業(滅菌袋作り、咬合紙作り)について、「面倒だけどね」とか「イライラするけどね」といった言葉があった事です。私はむしろ、「焦りはするけれども落ち着いて作業をすれば大丈夫である事が多い」という印象なのですが、「…おお、こういうところに私の収まる場があったか」という内心の感想です。
    現在の私は、「過集中にならないテンションで、周囲の職員との必要な伝達事項を、ほんの少しゆとりを作りながら」働いています。
    時々、院長や他の年配の職員が時事の雑談を持ちかけてくるので、あえて自分の中でゆとりを作り出しつつ言葉を交わしています。
    一見して役に立たないだろうと今まで思っていたコミュニケーションも、日々他の職員たちと交わしていく事で、「裏の仕事を私が日々こなす事で、わたしたち他の職員(衛生士、歯科助手)は現場の仕事に集中できる」という有難い事実の話も頂く事ができました。「…おお、そうだったのか! そうだったのか!!」です。
    院長は私を障害者雇用として雇っている以上、突発的に無茶な事は要求して来ないので、(必要以上に現場の状況について考えすぎてしまう私に対して、必ず事前に「相談」があります)、非常に有難く、また本当に助かっています。

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