ある学童期のケースは、同じ小学校に在籍する兄が激しい行動障害があり、その影響でAC的に極端に「普通」を志向して何とか自分の衝動をコントロールしていた。
当然の結果として小学校低学年から「楽しいことは一つも無い」「いつもイライラする」と訴えていた。
ところがある時友達関係のちょっとした破綻から「ACがぶち切れてしまい」大人も呼び捨てにする「俺様」状態になった。
その「俺様」だったケースが、新学期で担任が換わると、嘘のように落ち着き、素直になり、冷静に話も出来るようになった。
私とチームを共にするその担任の話を聞いて私はさすがと感心した。
担任は、本人が立ち歩けば教室の別の側に身を置いて本人に注目が集まらないように配慮し、クラスの他の児童に一般論として障害の理解を呼びかけ、結果として本人が「浮かない」ことをケアの目標としている。
直接本人に「障害としてみんなと違う」ことを直面化させることは回避して、徹底して周囲の理解を高めるという方針だ。
私はこの担任の話を聞いて、何よりもその担任の先生の「心意気」が重要なのだと感じた。
「この子は異常ではないんだ」「このままでOKなんだ」という担任自身の信念が、行動を通して他の児童に伝わり、本人が過ごしやすいクラスの雰囲気を形成しているのだろう。
外来の面接で私は「これは思春期前の学童期に限って使える方針だ」ということだけを確認した。
思春期以降は周りも許してくれなくなり、また本人自身も自分を誤魔化し切れなくなる。その段階では本人にきちんと告知(実は低学年から告知は済んでいる)して、本人に「発達障害の脳の働きが多数派と違う」という事実に直面化させる必要がある。
この前提の上で学童期の間(おおむね小学校4年まで)は上記の「徹底した周囲からの理解」の方針でOKなのだ。
チームの役割分担は、主治医である私は再びぶち切れた場面に備えて厳しく直面化する準備を続け、担任は徹底してサポートに回ってもらう。耳の痛いことは主治医が責任を負い、家族や教育関係者はサポートに回るのがベストの方法だ。
私の場合は、私自身の当事者としての立場を生かして私のHPの「偏屈者宣言」を読み上げるだけで良いので、ギリギリのところで告知と理解を成立させる可能性をイメージ出来ている。
ところで上記のケースは、思春期前だが偏屈者宣言を試みに読み上げてみたところ、「俺様」状態の最中にも「あの発達障害の医者のことか!」と言っており、「おお正しく理解している」と感心したものだった。
チームでサポートするところが良いですね。
担任の心意気!!上質の教員ですね。
本日も中学校に呼び出し。学習態度、風紀の乱れ、性的発言とセクハラまがいの行動…(うち何点かは誤解と噂によるものでしたが)の指摘に加え、スクールカウンセラーから、ADHDの診断を勧められました。幼稚園、小学校…呼び出しは数知れず。診断の勧めも小学3年生以来2度目となります。
最近は貫禄が出てきて 息子とはお互いを尊重し合った意見交換が少しは出来ているように感じていたのですが…
警察沙汰2回経験済みのいわゆる不良中学生です。勉強もペケ。怒られ慣れている割には 人間が大好きで学校に行きたくないと過去に一度も言ったことがありません。
長くなりましたが 参加させてください。これからも頑張ろうとあらためて奮起しました^^
まだまだ不十分なのでしょうが、私の子供のころとは隔世の感があります。
知ることは力だと痛感します。
ネットも影響も大きいと思います。
これからも情報発信お願いします。