AS(アスペルガー)関連

郭公の雛

 今回もASについて言及しますが、(これも当たり前ですが)特定の誰かを批判する目的はなく、十人十色のASの一部にこういう人も居るという意味で述べていると理解してください。

 ジャイアンはもしも自分が大変図々しいこと厚かましいことずるいことをしているとすれば、他者がそうしている場合と同じく自分自身にも必ず突っ込むので、表面上認めないにしても、「本当のことであれば(都合の悪いことでも)いつかは通じる、理解する」という見通しが持てると私は考える。

 だからもしもジャイアンが郭公の雛のような立場に居たとすると、一生涯自分を責め続けることになる。

 対して受動型ASの人は「自分が無い」ので、根本的に責任を取るという発想が無い。責任を取るためには自分自身の決意とか、自分の決意に基づく行動などがどうしても必要だが、相手に合わせているだけなので責任の取りようが無い。

 郭公の雛が、「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前だ」と主張して威張っているようなものだ。

 私が受動型ASの人と接して感じる「無責任さ」「本当のことが通じない空しさ」を譬えて言えば、上記の「居直った郭公の雛」を見ているような感じだ。

 依存型ジャイアンは自分を誤魔化して誰かに依存して結果的に郭公の雛になっていることは多いが、意識に上らなくても自分が郭公の雛状態になっていることを感じて自分を責める。身体症状などの形をとって「自分は何でこんな立場に居るんだ」ということへの潜在的な苛立ちが存在する。

 だがこれがあるからこそ救われうる。本人が回復を望み、私が治すために手がかりとしうる。本当のことに直面化する状況を演出することで潜在的にでもこの自己突っ込みがあることが回復への可能性の大きな根拠となる。

 この意味で私は受動型ASの人をどう救ったらいいのだろうと途方に暮れることが多い。「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前だろう。何で世話してくれないんだ!」と要求し続けること、脳の特徴から来ている根本的な依存性自体を治すことが根本的に困難であるからだ。


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コメント

    • すばる
    • 2008年 3月 14日

    >郭公の雛が、「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前だ」と主張して威張っているようなものだ。
    >私が受動型ASの人と接して感じる「無責任さ」「本当のことが通じない空しさ」を譬えて言えば、上記の「居直った郭公の雛」を見ているような感じだ。
    「世話するのは当たり前だ」と「無責任」が合わさった方に関わってしまうと、その方は本当に人使いがメチャクチャなご主人様で、こちらは人として扱われない召使いとなります。実際に私はそのような方に出会って、精神的にボロボロになりました。
    >「本当のことが通じない空しさ」を譬えて言えば、上記の「居直った郭公の雛」を見ているような感じだ。
    「本当のことが通じない空しさ」は感じていました。
    その人に、「貴方の断定的な決め付け言葉に何度も傷付いた」ことは直接言えませんでした。
    「気持ちが通じそうな人」には、こちらの気持ちも正直に言えますが、「気持ちが通じない方」には言うのには空しさを覚悟して言わなくてはいけないので、これ以上の空しさを私はもう感じたく無かったので言わなかった。
    気持ちを話して通じるASの方も、もちろんいます。
    YANBARU先生もブログで書いていますが、本人なりに苦労もあり努力している人達です。苦労したASの人は、本人も心傷付く経験をしてるので、心の痛みを実感としてわかってるんです。
    (気持ちが通じない)上記の方は、苦労も殆どしてない上流育ちのお嬢様がわりにいます。まさに裸の王様で、(人の気持ちの無視が多いので)多くの人が彼女はASだよね・・と思っても、彼女本人に直接言える人が居なかった。(私が個人的に感じる自己愛の強いAS傾向の方は、苦労の殆ど無いお嬢様育ちが多いです)
    (多くのASの方の事ではなく、私が個人的に知ってる自己愛の強いAS傾向の方との事です)

    • エイト
    • 2008年 3月 14日

    主人が私に、「頭はいいんだろうけど、電気製品でいえば回路が少ないんだよな」と言われ、YANBARU先生の過去のテーマのなかに「ADHDはASより障害が重いと思う」という言葉を見つけては落ち込み、自分の自己突っ込みの底なし沼にはまってはもがき、それでも変わりたい自分を時々褒めながら、いつも前向きでいられることに、先生に、周囲の方々に大変感謝しています。
    自分を変えるということは、ジャイアンである私にとっては、辛いけれど自分の弱点を認識し、その部分について自分なりに模索して改める(再インストール)ということです。でもそれは結果的に、自分を外から丸ごと全体的にみつめたときに、「今までの自分は一体何だったんだ!」と恥ずかしくなるくらい衝撃的なことであり、人生や世の中の価値観でさえ今までとは違ってみえるほどのことなのです。
    それはそれ、これはこれの大雑把な私だからこそ、自分の一部分を変えることは、「それはそれ」で終わらず、「やっぱり今までの私ってほんとうにダメ人間だ!!」と思うのです。
    だから、その部分こそ声を大にして叫びたい。「私はほんとうにダメ人間だ!!」それで自分が良い方向に変われるなら、いつまでも叫んでいたい!(これこそ、先生の仰る「低い自己評価エイトジャイアン版」です)。
    こういう気持ち、「脳の違い」だから、わかってもらえないのだろうな、と思うと残念です。

    • エイト
    • 2008年 3月 14日

    1ヶ所、間違っていました。私が主人に「頭の回路が少ない」と言われます。
    先生のブログのおかげで最近とっても賢くなった、脳の神経細胞のシナプスが正常に働いている、ゆるんだ頭のネジがきちんとハマッタと自惚れていたのに、日本語を間違えるなんて!やっぱりジャイアンだ~!

    • らーら
    • 2008年 3月 14日

     郭公のお話しはとても解りやすかったです。
     
     “「無責任さ」「本当のことが通じない空しさ」” …、本当に実感しています。
     どんなに真剣に話をしても、何時間かけて話し合っても、最終的にには「よくわかりません」 とひと言で片付けられてしまい、その時には怒りとも悲しみとも言えない気持ちになります。
     
    >(気持ちが通じない)上記の方は、苦労も殆どしてない上流育ちのお嬢様がわりにいます。
    という、すばるさんが書かれた内容が、わたしの知っているASの方達にも共通しています。
     解雇になっても職がなくても、ご実家の援助があるので、全く困っていないように見えます。
     お金の援助があるので生活には困りませんし、「自分は間違っていない」 という思いがあるので、本人の責任で問題が起きたんだと言うこと説明しても、解ってもらえないことが多くあります。
     いろいろと…、難しいですね。
    (わたしも、個人的に知っているASの方達との事を書かせていただいております。)

    • みみ
    • 2008年 3月 14日

    はい、全くそのとおりです。物事の本質を知りたいと思っていない、こちらが説明しても、言葉どおりの意味しか捉えない。だから全く応用が効かない。むなしすぎます。思いやりがないわけではないが、方法論を持っていない。もしくは、全くの独りよがり。なので、意思の疎通という、日常的に必要なプロセスが、全くなされない日常をこちら側は強要されることになってしまいます。それでも腹が立ったり、情けなく思うこちらの感情はとめることが出来ない。無理なのだからしょうがない、そう思っても、やはり無視するよりは、判らないかもしれないけど、こちらの感情を一個一個説明していくしかない。その途方もなさに、最近は愕然としています。

    • 砂子
    • 2008年 3月 14日

    m2さん、私の感じたことを聞いてもらえますか。お願いします。
    >「ジャイアンと接している時の」受動型ASとしっかり補足を入れて
    >ジャイアン側からの一方的な見方をすると
    これは、もうすでに書かれてありますよ、補足されていますよ。
    YANBARU先生は自分をジャイアンだと公表し、自論を自分のブログで表しているのですから、m2さんの求められた上記のことをまさに実行中です。
    そして「見る角度によって物はいろいろに見えます。その一つの見え方について言っているだけで、AS全体について言っているかのように誤解されることの無いようにくれぐれもよろしくお願いいたします。(一部抜粋)」や「今回もASについて言及しますが、(これも当たり前ですが)特定の誰かを批判する目的はなく、十人十色のASの一部にこういう人も居るという意味で述べていると理解してください。」という言葉で補足されています。
    まえに私が書いたコメント、架け橋という言葉を使いました。このような例えの表現がわかりにくかったとしたらごめんなさい。いちいち細かく書くと角が立つと思って、このように問いかけをしました。
    この場の大前提を誤解すると、意見の交換がすれちがってしまいます。私はm2さんの今回のコメントはすれちがっている内容だと感じます。
    ASやADHDの世界を知りたいと私はいつも思っています。他の皆さんも立場は様々でも、似たような経緯でこちらを訪れているのではないでしょうか。
    そんな時、m2さんの書かれたものはASを理解しようとするのにとても参考になります。
    ですから、m2さんのコメントの内容を否定しているのではなく、すれちがったまま書かれた内容は的確さ(正確さではありません)を欠いてしまう、ということを言いたいのです。
    間違っているか当たっているかを追い求めるというのは、十人十色のものごとにおいては、永遠に無理です。永遠に無理なことがあっても無理だとわかっていても、集っているのが私たちです。

    • まーちんAS
    • 2008年 3月 15日

    私は、自分が一般的にちょっと変わってる
    らしい(何が変わってるのか自分でよくわかりません)ので、あまり人のご面倒にならないように、
    トラブルがないように、目立たないように
    そして謙虚に生きているつもりなのですが・・
    今回の内容が、よく理解できませんでした。
    文字通りの意味は理解できるのですが、どんなケースが
    それなのか思いつきません。
    私には、受動型の要素が多分にあるのかも。
    具体的に書いていただけると嬉しく思います。

    • naleringar
    • 2008年 3月 15日

    私の個人的な視点から見た個人的な意見で、特定の誰かを意図するものではありません。
    —-
    記事内ASさんの主張「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前」は、読み替えれば、
    【全ての親は子を育てなければならない】
    というロジックに基づいているように思われます。その部分だけを見れば、社会的にも当然のことです。
    ただし、そのロジックは単品では完全じゃなく、
    【子は、常に、親に負担をかけてきたことを理解し、親に育てて貰えてることを感謝し、親を助け、協力しあい、相互理解に努めなけれならない。それが親子というものである】
    という方向のロジックと対になって初めて「本当のこと」に近づける……のではないでしょうか?
    上記の理由から、記事内ASさんが「あなたの論理展開は【このような理由】で不足している(誤っている)ので、補正すべきだ」と指摘を受けたとき、どのように受け取られるのか、興味深いです。
    「このような理由(=なぜ?)」は、
    矛盾があってはならず穴がなく合理的なもの(MECE)※、(可能なら)公益に基づくもの、公平なものの必要があります。
    そうじゃないと、論理の穴部分からまた別の主張が出てくると思うからです。
    毎度毎度、論理で「なぜ?」を組み立てるのはとてもとても大変ですけれど、
    心情的にもしんどいものだと想像します。
    でも、
    「本当のこと」を正しく説かれ、行動にMECEを求められた結果、
    「(相手に望まれているから)MECEを目指す」という受け身行動は、可能性としてはありえるのでしょうか…?
    ※MECE(ミッシーorミーシー)論理の内容が、矛盾も重複も漏れも例外もなく、目的を満たす状態
    —-
    上記のように論理で組むと、「いわゆる気持ちというもの」までデジタルに組み込まれてしまいますが、それはたぶん悲しいことですが、もし、自分(@デジタル認知系)が記事内ASさんなら、こんな流れであれば問題を認識できるかなぁと思って、思い切って投稿します。お目汚しすみません。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 15日

    切ない記事でした・・・・。(大人ですのである程度セルフコントロールはしてるから大丈夫です)
    家族を含めた他人は全て、自分に指示する内容を的確に分かっていて当たり前、私に言いたいことが既に出来上がっていて当たり前、言わないのは私への意地悪か試練、そんな風に考えていた頃を痛いほど思い出します。
    ジャイアンASは次々と自分の要求を叶えていきますが、おそらく、受動型ASの一部は、幼児期の私のように、自分の要求が叶えられる想像だけをむなしく繰り替えし続けるのでしょうか。
    私は医師から「受動型」と診断されたことがないので、このブログを読んで自分に近いのはこれだろうと自己診断してコメントしています。
    ・・・だとすると、該当する受動型ASにとって想像以外の生活活動は何なのでしょう。
    食べる、呼吸する、寝る、痛く感じる原因から逃げる、恐怖を感じる状況から逃げる、不快の原因(風呂に入る、風邪を治す注射のため腕を出す、薬を飲む、関わりたい人に接近する、興味のある物を所有するための動作をする)を解決するための行動をする、など。
    これらは、悲しい思いで仕方なくする、生命維持行動だと考えると、私の今までの人生の説明が付く気がするのです。
    これが、もっとスペクトラムが進むと、カナーレベルの自閉傾向になっていくのでしょうか。
    続きますね。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 15日

    続けますね。
    掃除なんて、部屋が勝手に汚れるからしたくもないのにさせられている、と言えるものなら言いたい。
    時間が勝手に過ぎていくことにも正直、腹が立ちます。時計に向かって地団駄踏みたくなったこと数知れずです。
    歯磨きも・・・・空想の中でできたらどんなにいいか。「この歳にして素晴らしい歯茎ですね!」と言われるシーンを、たまにうかつに愚かに空想します。現実は正反対です・・・。
    人と関わりながらこれら掃除や歯磨きを行うことに、喜べる人はすごいです。疲れてとてもとても、手が回らない。
    でも、人と関わることで自分の思考回路が広がる経験をもうしてしまったので、後戻りは出来ないので、そこで人への要求も存在します。
    私の思考はスキャンするかのように見える。私が最も言って欲しいことを完璧なタイミングで、私の自尊心も完璧に満たし、私の理解範囲にストライクで言ってもらえる、いい子にすればご褒美として言ってもらえる・・・そしてこの空想は、満たされませんでした。
    学校生活でも、社会でも、他の人間関係でも、自分と向き合っても、「いい子でいなかった罰」を、ADHD、ASの言葉と出会うまで私は受け続けました。
    この「私がいい子にしていなかったから」という認識が、幼児の私が子供なりに一生懸命考えた、他の人間に対する認識なのでしょうか?
    理想はパスワードさえ打ち込めば私の都合のままに動いてくれる他の人間?
    それなら、かくゆう私も本当はパスワード付きの人なのかもしれません。何桁もある膨大なパスワードですが・・・・。
    そんなパスワードを日々打ち込み続けてくれる人はいませんよね。いたら、それこそ悪魔です。
    「パスワードは待たない!自分で決める!」と言える人が、私のコーチになれる人なのかもしれません。やっぱりコーチとリタリンがないと、決められない、動けないのも私ですので。

    • すばる
    • 2008年 3月 15日

    >ASの人は「自分が無い」ので、根本的に責任を取るという発想が無い。
    私が個人的に感じた事は、ASの方自身の考えた事や経験を通じた話がどうして少ないのだろうという事でした。
    私の知っている(AS)方の話や考えや意見は、どこかの偉い○○先生や、その方(AS)の愛着の対象の人が言った事、感じた事をその方が自分の中に取り込んでから話すと言った感じです。
    その方自身の個人の経験や感じた事を、その方から率先して話してくる事は少ないんです。
    (率先して話さない事は、ご主人がASという方が、似たような話を前にコメントされた方いましたよね)
    ADHDは、率先して自分の経験を通した思いなどを話出す印象ですが、
    私の知っている(AS)の方が、自分から率先して話す時というのは、何かの情報や得た知識についてであり、ご自身から率先して自分の経験を通した思いはあまり話しません。
    誰かの意見や考えが出てから話し出すか、またはいくつかの皆の意見を取りしきり、まとめるのが好きなのかなぁ・・と言った印象です。
    自分の経験を通した話をそんなにしている訳でも無い・・。皆と話してるように見えて、実は皆の話をただまとめてるだけ・・というか。皆の話をまとめるたがるのだけど、それぞれの方の考えは違う所もあるけれど、それぞれの人の思いなんだという共感力で話を聞いていない印象です。
    とても自己流にまとめたがるので、(エイトさんの言葉を借りれば)エゴに敏感な私などは、自己突っ込み出来ないのであれば、私が突っ込んでやろうという思いがぐっと出てきます。
    実際に親しくなったASの方には、私が突っ込んでいた事もありました。私の突っ込みを受けてくれるのは、苦労と努力のASの方。
    苦労と努力をしなくても済んでいるASの方に、私が突っ込んだところで、馬耳東風ならまだしも、こちらが想像つかないような冷ややかな冷たい言葉が返ってくる事で、ACの私には、フラッシュバックを思い起し、私の方が常にノックアウトされてました。
    自分が無くても、倒す力は絶大です。
    (ねねさん、らーらさん、砂子さん、コメントへのメッセージ読みました。宜しく願います)

    • すばる
    • 2008年 3月 15日

    以前、m2さんのコメントで
    「受動型ASは、ADHD相手だと文字通り解釈しますし、AS相手、多数派相手、とそれなりの解釈をします。これがカウンセラーに向くと言われる所以でしょう」とコメントに対し
    それを読んだ私は
    「私もカウンセラーの方の中には、受動型ASに近い感じの方をお見受けします。受動型AS的なカウンセラーを崇拝に近い感じになっている積極奇異ASの方や受動型ASの方も多くいられるよう個人的には感じます」とコメントした事があります。
    今でも、カウンセラーの方の中には、ASに近い感じの方いるという考えはもちろん変わっていません。ただ、私が個人的に思うASのカウンセラーというのは、気持ちに共感しないからこそ、ある意味向いてるのでしょうね・・という考えから来るものです。
    私が個人的に思うASのカウンセラーさんというのは、心のことうんぬんよりも、あくまでも情報提供的なアドバイザーとしてとても向いてるのでしょうねと。
    共感力があると、関わる相手の感情を一緒に共有したり、理解をする努力をするので、精神がとても疲れたりします。自分(の気持ち)をそこに持たなければ、つまり自分が無いほうが、ある意味疲れなくてすみます。
    相談者との距離を常に取れてる、あくまでも情報提供的に徹する事が出来る、知識情報の豊富なアドバイザーとしてのカウンセラーさんの中には、AS的な方いますね・・と、これは決めつけた感想でもなく、あくまでも私個人の感じた印象です。

    • みみ
    • 2008年 3月 16日

    すばるさんの言うとおり、自分がないので、自分の経験、感覚が薄いんです。瞬時に自分の意見や感覚をまとめられないみたいです(主人がAS)。もちろん感覚はあります。傷つきもします。嬉しい時は嬉しいのです。
    ぴよよさんの言うとおり、「想像」に甘えているように見えてしまう。いつもファンタジーの中に居て、現実が判らないからか、認知にズレがある、という認識さえない。相手の反応を見て初めて「ズレていた」と判る。でも対処の方法論を持っていない。なぜなら相手の言いたいこと、本質が判らない、状況判断が完璧に出来ないからです。
    ADHD(私も)は、脳が150~200%ほど定型より回りすぎる気がする。だからこそ、常に「本質」を現象として分析し続けている気がします。でも定型でもADHDでも、本質はひとつ。その分だけ、定型とADHDは意見の合致は多い気がします。逆を言えば、ASは孤独だろうな~と、思うことも多いです。でも、ADHDの孤独を埋めるのはASだったりします。

    • 匿名
    • 2008年 3月 16日

    ぴよよ様
     コメントありがとうございます。「本当のことが通じない」というのはぴよよ様に対しては撤回します。ごめんなさいね。(コメントは全部は掲載していないのですが否認の非常に強いASの方がいるのでどうしてもこんな書き方になってしまいました。最近私はこの強硬な方は実は積極奇異なのかなとも思っています)
     ぴよよ様のように率直になれれば、相手が「ACを経た苦労人のジャイアン」で「面倒みたい衝動」で関わる場合に、比較的良い関係になれるケースを私は知っています。ご一緒に考えていきましょう。
     率直なコメントありがとうございました。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 16日

    やんばる先生、私こそコメントありがとうございます。
    いいえ!いいえ!いいえ! 謝って頂くなんてもったいない。
    じかに医師と面談しても、ここまでの話はできませんでしたし、これからもできないような気がします。ここまで引き出してくださったのはやんばる先生だからですよ。
    ASやADHD独自の悩みを相談する医師を何年も捜してきましたが、今だ見つからなくて寂しいのです。
    「率直に」と評価して頂きましたが、これらの表現は悩む年月の中時間を掛けて空想を深めたからできたものでして、きっと日々、無理してやることをちゃんとなさっているASの人達には、言葉に起こすのは苦しいのではないかと思います。成果と呼ぶなら、私が作ってきた心の壁の成果でして、本来なら「変なこと」や「恥ずかしいこと」に該当するのではないかと思っています。
    「本当のことが通じない」ことは、身を守るためなら私もその振りをするだろうと思います。(読み飛ばしてください)私と直接関われる人間は、歯槽膿漏の痛さをぐちったとしたらたぶん全員が歯医者へ行けと言うでしょうが、私は確信が持てなくても持論を通すことに寂しく慣れてしまったので、このまま自家療法で大丈夫な振りを続けるでしょう。
    心の壁を作る作業は、自分から自分の心身を人間社会から引き離すような気がするものです。思い悩みに時間は食うし、外の安全圏が少々増えるだけで、全然楽しみがありません。私のように不注意優性型ADHDも入って鈍くなければ、自傷などとてもいけないこともしたい衝動に駆られるでしょう。だから正直、人には勧めたくありません。
    それよりは、子どものうちはズバリ的確なパスワードを言える支援者やコーチが付いて、ASも告知してしまって、成人にかけて外していく形がいいのではと思います。子供の頃のコーチの思い出をインストールして、野生動物(かっこう?)が巣立ちしたら巣穴と完全に決別するように、大人の淡泊な社会に適応していくのはいかがでしょう。
    こうすることで、より本人も周囲も完結できる適応が増えるような気がするのですが・・・・完結しすぎても、問題を(例えば歯医者・・・身体や金銭のトラブルとか)抱え込みするかもしれませんけどね。

    • エイト
    • 2008年 3月 16日

    私が勝手に妄想しているだけなのですが、YANBARU先生みたいにコンピューターに例えると・・・
    ASの人の脳はinputが得意な脳なんだと思うのです。とにかく情報を取り込み続けて、だからoutputしようとすると、取り込んだものしかでてこない・・・
    感情のような微妙なものは取りこぼしやすいけど、事実に関する記憶は万能としかいいようがない・・・
    もし機能不全な部分が見つかったときは、先生が仰るADHDのような「再インストール」では対処できず、初期化からやり直す覚悟がいる・・・
    (苦労してない)ASの人自身には、その機能不全は感じない、コンピューターと向き合った他者にしか、機能不全はわからないし、直せない・・・
    記憶力と容量は抜群なのですから、また1からinput可能だと思うのです・・・
    でも、誰が直すのか?、このコンピューターでなければいけない理由をどう探すのか・・・
    「頭の回路が少ない」、「健忘症」の脳を持つ私にとってはASの人の脳は羨ましいし、脳の違いはとても不思議です。そして私からASの人をみると、上記のような感じでイメージします(あくまでも私の個人的な主観です・批判ではありません)。
    私はこういうふうにASの人を把握すると、これからの長い人生で関わるかもしれないASの人とのすれ違いも、誤解も、無責任さも、私が納得できる気がするのです。
    YANBARU先生、適切でない場合は削除してください。

    • ゆう
    • 2008年 3月 16日

    (私は、自分を定型と思っているのですが、私の言ってる事がジャイアンのようでしたら、指摘して下さい。)
    息子が不登校気味になって2年が過ぎ、今年の1月後半からは数回しか通っておらず、卒業式も出ませんでした。その間、様々な事がありましたが「AS傾向」と診断もあり、その為の対応も勉強し、考えながら、悩みながら、相談しながら、試行錯誤しながらやってきました。
    「不登校」で、息子のASを知ってから、夫に相談したり、悩みを言ったりする事が増えるにつれ、「自分が無い」「自分自身の決意とか、自分の決意に基づく行動などがどうしても必要だが、相手に合わせているだけ(体は従うが、頭では納得していない)」が目立ち始め、夫にも苦しみを感じ、先月、私は体調不良で、数日寝込みました。
    すばるさんが言うように、夫も、当たり障りの無い話や、興味のある話、知識等を話しても、「自身の話を感情を交えて話す」事がないです。そして「息子」の話になると、「人の心」や「感情、共有」を理解しなければならない話になるので、夫の協力を求める為には、「感情とは何か」「心のケアとは何か」「なぜ、ケアの必要があるのか」「ケア後の結果はどうでも、親の努力は必要」「努力とは○○したり・・」等と、どんどん話が後退して行き、「人と人が、上手くやっていく為には、どうすればいいのか」とスタート地点まで戻って話をしても「じゃぁ、どうすればいいの?」とか「俺には出来ない」で、毎回終わります。
    「脳の特徴から来ている根本的な依存性自体を治すことが根本的に困難であるからだ。」
    この事は、日々身を持って体験していますが「もう、無理なんだ」と、あきらめるしかないのかな・・・。

    • ゆう
    • 2008年 3月 16日

    続きです。
    夫は「福祉」の仕事をしています。仕事上、様々な勉強会を受けたり、講演会を聞いたりして、生活保護を受けているような人たちの手助けをしているのですが、担当するケースの20~30代の女性達から「嫌われている」と夫が言いました。「担当を替えて欲しい」と直接言われても「あなたに、そんな権利は無い」と答えたそうです。
    その答えは、間違ってはいませんが、「建前を言ってでも、相手の事を気遣った言葉」は出ない、思いもしなのです。心身ともに疲れている人を相手に、夫は事務的な対応で接しているから、反感を持たれ、更に嫌われていると思いますが、その事に気づかず、自分は正しいと思っています。
    職場内でも「上司に対して、同僚相手と同じ言葉使いで話し、指摘を受けた」と言うので、私が「家庭で、時々、変な所で敬語を使うけど、同僚や後輩に対しても。そうなの?」と聞くと、「うん」
    夫にとって、それが定着しており、指摘されても直せず、直す努力を求めると「いちいち、考えながら話してたら、疲れる」と言います。
    先生のおっしゃる「この意味で私は受動型ASの人をどう救ったらいいのだろうと途方に暮れることが多い」と、私も同感なのですが、意味合いが違うかしら。でも、せめて、息子は救いたいのです。

    • エイト
    • 2008年 3月 16日

    (私は実際に、身近にASの人がいて困っているわけではないのに、コメントをしてすみません。先生、適切でなければ削除してください)
    ひとつ疑問があります。
    受動型ASの人は、ACになるくらいの辛い苦労を経験しても、脳の根本的な依存性は変わらないのでしょうか。
    積極奇異型ASの人は苦労を経験すると、気持ちが通じる、それは、ジャイアン・ACは苦労しているので純粋ジャイアンほど横暴ではない、ということと同じような状態だとわかるのですが。
    YANBARU先生が「反抗挑戦性障害の合併」のテーマで、同じADHDでも脳がはじめから違っていて、虐待されるようなひどい環境でもジャイアン・ACにはならずに、ノビ太・ACになるADHDがある、と仰っていました。
    それは同様に、同じASでも受動型ASの人は厳しい環境で苦労しても、気持ちが通じることはない?根本的依存性は変わらない?とつながってしまうのでしょうか。
    もし、つながらずに、積極奇異型やジャイアン同様、受動型ASの人も厳しい苦労をすることで、依存性が少しでも改善するのならば、希望が持てると思います。
    私がいかにしてACになったのか、説明したいところですが、記憶の奥深くに閉じ込めている(忘れている?)ので、出せませんし、出すつもりもない(たぶん全てを紙に書き出したらうつになると思います)ので、申し訳ありません。大雑把に言って、厳しかったことは事実です。
    ADHD同様ASも悩みはとても深いのだと、みなさんのコメントを読んで切なくなりました。ASの人を傷つけるつもりは全くありませんが、私特有の自分本位なことを言っているかもしれません、すみません。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 16日

    みなさんのコメントを読ませて頂き、私なりに幼児期からの自分の想念を思い返すと、受動型ASにとっての精一杯の適応の努力は、体は動かさずに自分の思想や想念だけを作り上げることなのかと思いました。
    「いい子」の想念が出来て「いい子」の性格になれば、「いい子」らしい言動が出来るようになって、私の一挙一動に困っている人達を安心させてあげられるかもしれない・・・。
    両親の苦労も報われるし、学校の人達も私とお友だちになって私としゃべりたくなるかもしれない・・・・。
    つまり支援無き、愛情と常識だけのごく平凡な環境で、私は一人で認知の歪みを大きく進めていた、そうして命を長らえてきたと言えるのでしょうか。
    成長する中、外からの情報として、人は信じるべきだとか、いつか運命の人に会えるとかが普通に耳に入ってくると、それらは私の中でさまざまな解釈をされました。学校へ行くと、当たり前に個性のバラバラな人間がたくさんいました。「いい子」にすることで必要な物を手に入れようと、頭の中でシミュレーションしていると、ある日、それがとんでもなく非現実的なことに気が付きました。私の努力では、運命の人は無理! そして私は親に申し訳なく思いながら将来の結婚は諦めたのです。
    シミュレーションを諦めなかったことが、もしかすると私の身を守ったのでしょうか?
    続きますね。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 16日

    続けますね。
    『嫌われ松子の一生』で、松子さんは思い続けます。(お父さん私を見て!私を褒めて!笑って!)・・・子どものうちにパスワードはちゃんと打ち込んであげないと、大人になっても愛のパスワードを求めて人はさまよってしまうと思います。松子さんは最後まで松子さんでしたが、現実はもっと悲惨な末路があってもいいでしょう。
    しかしその前に大人になってからでも「私はお父さんが笑うのを待っていた。でも我が侭だと思われたくないからそう言わなかった。私を心配したくないなら一緒に暮らすのはもう無意味!」と本当は啖呵を切ってもいい立場なのだと思います。親からの自立前に決別の覚悟もできるようにならないと、大人の恋愛は乗り切っていけないのではないでしょうか。
    そういう意味では、ADHDも持っている私は物理的に人に迷惑を掛ける身なので、決別は大きな負担です。
    先生の元にはいい形にまとまったケースがあるそうですが、私はもういろいろ価値観を組み立て直すのにはもう年ですし、コーチは欲しいですが情で繋がるパートナーはもう、諦めます。若い人達が成功していって欲しいですね。

    • エイト
    • 2008年 3月 17日

    ぴよよさん、私も「嫌われ松子の一生」をレンタル期間中に何回も見てしまいました。惹きつけられるものがありますね。ここでハズさなければ人生うまくいくのに!という場面でことごとくハズしてしまう、もったいない!と思いました。でも松子さんの、ハズレのほうを選んでしまう衝動や思い込みの強さなど自分に近いものがあり、松子さんに愛おしささえ感じます。
    (先生のテーマとは関係ないです、申し訳ありません。)

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