自己正当化型ADHDが立ち直れるかどうかは、結局単純なことだが「自業自得」を認められるかどうかにある。
自己正当化型ADHDはACでなくても、殊に自分に対する評価に関することで、「何でも自分に関連しているように受け取る」ところがある。この点では非常に統合失調症に近いと感じることも多い。これは「自意識過剰」と呼べるような特徴だ。
ところが事不利なこと、自分に都合の悪いことになると、「相手のせい」で、「自分は与り知らない」という発想になるのが不思議だ。何でも自分に関係があると思っていたくせに、「責任」はまったく自覚しない。
言ってみれば自己正当化型ADHDは「世界にただ一人」という感じで、最初から最後まで人が見えていない。ことごとくが「一人相撲」で、傍から見れば「自己中心的な思い込みの中で生きている」という見かけになる。
相手から態度や言葉ではっきりと反論や抗議を示されても、それが「自分の行動の結果として起こった」と認識できないために、「ただ相手が勝手に怒っているだけ」ということになり、その結果「なだめるか、恫喝する」ということになる。物を与えて機嫌を取ろうとすることも多い。
だから自己正当化型ADHDの自覚としては、「もともと自分に関係ないことは世の中にたくさんあるが、周囲の人から言われたことは自業自得として認識する必要がある」ということだ。
この「認識する」ということは、「自らの責任を自覚して、自分にはそういう問題点がありつづけていることを意識しつづける」ことだ。幼児的に「ごめんなさい」で済ませようとする自己正当化型も多いけれど、それでは不足で、謝っても物をあげても帳消しには出来ない。
結局本当に自分の問題を意識しつづけているかどうかは、「その後の本人の実際の行動が変わったか否か」で判断するしかない。行動を変えられない場合には自業自得の自覚とは言えない。
一日24時間「自分は自己中な人間で、その結果人傷つける可能性が高いので言動に気をつけつづけなければならない」と意識しつづけるしかない。AC的な思い込みとの違いは、厳然たる「事実」の客観的な理解の結果としての認識であるということだ。
自分や他の自己正当化型の人を見ると
相手に怒られる(or不機嫌になられる)のが嫌
→相手が怒ると自分も嫌な気分になる
→自分の行動は自分から見ると間違っていない
→相手が怒るのは自分のせいじゃない(相手のせい、ADHDのせい)
という心の動きがあるように思います。
相手が怒るのをどうにかして避けたいというあまり、自分が相手に迷惑をかけているかもしれないことに考えが及ばない、といった感じです。
ここまで分かりましたが、その一方で「ああ野麦峠みたいに倒れるまでやれって言うの?」と思ってしまうこともあります。自分は実力がなくてできないのに周囲からはさぼってる、自己中と思われるのが困ります。迷惑をかけていることを認識して、開き直らずに、(苦手なことを頑張ってする努力じゃなく)相手の迷惑を減らす努力をする、その上で無理なことは「迷惑だけどごめんなさい」と言えばいいのかな。要領よさそうで元気そうに見えるので理解されにくいです。
自己正当化型についての記事は面白いので続けて頂きたいです。
自己正当型モラハラ夫は、本当に,徹底的に一人ですから.夫婦喧嘩にもなりません.(私はそのつもりでも)夫は,あんたが,勝手にぎゃーぎゃーいっているだけ,と言います.原因が自分にあることを,絶対に認めません.逆に,私に謝らせます.AS受動型の私は,服従でした.
本人は,何にも困っていない様なので,結局私が合わせるしかないのでしょうか?彼との距離が近すぎるせいで,人格障害様の症状がでたのだと思い,私のイメージの中で,距離を作る様にはしています.それでもやっぱり,辛い,キツいことが多いので,なんとか,その言動,態度によって,私が傷ついていることを分かってもらいたいです.
自分の好きな様に生きると宣言している彼に,自業自得を自覚させるのは,無理だと思います.実際,浮気したり.飲んで未明に帰宅したり,休みの日,自分の部屋からでて来なかったり.とにかく,自分,です.自己正当型の彼に,家庭とはどういうものか考えさせることさえ,無理な気がしてきました.夫自身が追い込まれる状況になるまで,待つしかないのでしょうか?
私は,夫に,どういう態度で接したら良いのでしょうか?
私のパートナーもこのタイプの人間です。
前の奥さん方も、これに苦しんでましたし、苦しんでます。
本人もなぜここまで問題がこじれてしまうのかわからず苦しんでいます。
自己正当化型の人(パートナー)に悪気はないのはわかるのですが。。。。
紫さんの書き込み、拝見し、こんな人、私のパートナーだけじゃないんだ、と、思いました。
私の姉が見事にこのタイプに入るので驚きました。もう50近いですが、彼女の自己中心的な行動、言動を怒鳴ってみたり、皮肉交じりにいさめたり、論理で説いてみたり(彼女は成績が良く、自分以外の事になると論理的な思考のできる人です)しましたが、いつも「何で私が非難されるのかわからない」という感じで、こちらが激昂すれば激昂し、リクツをいえばリクツで返す(もちろん自分が正しいという所が出発点なので、破綻しているのですが認めようとはしません)ので、堂々巡りで、最近は疲れ果てて何かを言う気力もなくなっております。それが原因かどうかはわかりませんが、勤める会社でよく社員や酷い時は社長とトラブっては辞めています。何かがあると常に誰かによって自分が陥れられた、貶められたと、他人に責任を擦り付けます。自分が他人に何かを要求したら、それは絶対受け入れてもらえて当たり前と思っているらしく、以前そのような状況で、私が拒否の態度を示すと、物凄い声でわめきちらし、冗談抜きで命の危険を感じました。当然病的であるという自覚はないですから、どうにもならないです。
とりあえずこちらの気分が荒れない程度に距離を置きたいのですが、いろいろ事情があってそういうわけにもいかず、私自身がイライラしないためのハウツー本を買う羽目になっております。大きな心で見守る度量が必要なんでしょうが・・・
>>自己正当化型ADHDはACでなくても、殊に自分に対する評価に関することで、「何でも自分に関連しているように受け取る」ところがある。この点では非常に統合失調症に近いと感じることも多い。これは「自意識過剰」と呼べるような特徴だ。
まさにこの通りでございます。
自分が先生のいう所の◯◯型ADHDなのか、はたまたASなのか不明ですが、
以前はAC&自己正当化やジャイアン、のび太 ADHD全開で生きておりました。二次障害的になりやっと色々気付きこのブログに巡り会えました。
自意識過剰、中心思考、関連付け思考、、色々な要素が混ざり合い上記の様なシチュエーションが日々起こってる次第であります。
きっと空気を読むこと 人の気持ちを汲むこと が不得手なのでしょう。(最近まで自分は空気が読めてると思ってた)
自業自得の自覚とブログの反芻に心掛けたいと思う。