発達障害理解に役に立つエピソード① AS男子喫煙事件
(これは全部事実ではありません。分かりやすく一部改変。)
ある県立高校で校内喫煙が見つかり、数名が停学自宅待機処分となった。その県立高校では通常停学中も生徒指導担当教師の定期的な面接と「反省文」を書かせることが通例となっていた。
一定期間の後、ほとんどの生徒は「反省文」を提出して復学となった。ところが、停学処分となった中にASの男子生徒がおり、AS氏は反省文が書けず、停学が延びていた。
反省文にはいろいろな文言が書かれ、AS氏は「意味が分からない」「こんなものに署名したらとんでも無いことになる」と不安になっている様子だった。
「反省しない生徒がいる」と保健所で相談を受けた私は、学校で本人などの話を聞き、(ASと診断の見立てをつけたが、その時は診断の話にはせず)理解のあるスクールカウンセラーにお願いして、「本人が納得する反省文を書かせる」ことを提案、本人は「卒業するまで喫煙しません」と反省文を書き、復学できた。
先生方とのカンファレンスで私は先生方に聞いた。
「反省文を書いた生徒たちが本気でタバコは害だと納得していると先生方は思われますか?」
「復学する為に嘘で反省文を書いている可能性は無いと言い切れますか?」
「この生徒は正直に悩み、正直に納得して居ないと口にしたり、反省文の意味が分からないと真剣に悩んでいるのに、この生徒だけが停学が伸びることにどんな教育的な意味がありますか?」
「ウソを平気で書ける生徒が復学し、正直に納得していないと言う生徒が復学出来ないことが正しい教育ですか?」
(発達障害の)この生徒を見ることは、教師の側の教育に対する意識の原点を振り返らせる意味がある。「教育とは一体なんなのか?」「学校とは何を教える場なのか?」、こういった根本問題を考え直す格好の機会であると説明し、前向きに捉えていただくよう先生方にお願いした。
校長先生は喜んでこの話を聞いておられた。
「この話は使える」とお考えになった場合は、「寓話」として自由にお使いください。
先生のような専門知識のある方が、第三者としての立場で生徒が不利にならないように学校に働きかけてくださることはとても有難いことです。
私が交渉下手なのかもしれませんが、学校に「体罰はしないで欲しい」と訴えれば ”子供にろくな躾もできないくせに我が子かわいさに何を言う”的態度であしらわれ・・
それなら体罰以外は何も学校に対して望まないと決めたら、何度も親を呼び出して子供に対する愚痴を言いたい放題・・
今は幸い通級の先生のおかげでこういう不毛なことは起こりません。嬉しいです。
親にも子供にも学校に通うならば、一番大事なのは理解ある第三者の先生の存在じゃないかと痛切に思います。
はじめまして。奥様からブログのことを聞きました。
いずれ先生にお会いして相談を受けることを希望しています。
気になるのは 4人兄弟の末っ子で小4の男子。
かわいいんだけど、ちょっとにくらしい・・・・
療育園で相談したところ LDのグレーだとの診断。
その後は特別な診断を受けることなく、現在にいたりますが、すべてが(運動・生活習慣・勉強等)幼稚で家族間でのトラブルが絶えません。
今朝は・・
朝食時に、お兄ちゃんが持ってきてくれたコップが気に入らないと言って文句を言う。
何度も確認した(口頭で)のに学校へ行く準備ができていなくて遅刻登校。
お兄ちゃんと母は、朝からプンプンです。
こんな事を毎朝繰り返しているのは 何が原因なのか どうすれば良いのか 教えて下さい。
4人の子育てをしていて 末っ子には個性としてかたづけられない何かを感じている毎日です。
5人の子育てを20年近く(長女19歳)しておりますが、高2の長男(AS)は本日終了式だったらしいのですが、家を出る寸前、遅刻だとわかると突然「熱を測る、マジきつい」(熱37.0度)どうするのかと尋ねると一応準備してあった教科書かばんと部活かばんを持って「行こうとしてたことは見せないと」と自転車で出かけましたが、「くそー学校に入れない。入試の発表で中学生がきていた。そういえば、昨日一緒に登校したらだめと言われていた。何で裏門が開いていない?(それは登校時間が過ぎているからです)」と20分ぐらいで帰ってきました。一応進級できるだけの単位と登校日数はクリアーしているので、私達親は「まーいいか」です。本当にひとつひとつの行動には自分なりの意味があって優先順位はつけられず(こだわり?)納得しないと次の行動に進みません。高校生になって学校の仕組みも世の中の対応もより複雑になってくたくた状態です。3年では無く5年ぐらいでカリキュラムを組んでくださるか、情報をもっと減らしていただけると少しは本人も楽かなと思い、学校側の先生と試行錯誤です。教育とは?本当にたいせつなことは?息子が訴えている事に耳を傾けると、納得出来ることは沢山あります。不器用で一生懸命な息子と家族で解りやすい生き方?を探しています。
三日間コメント考えていました。
私の職場は変わっていて、自宅待機処分がありません。(悪い問題行動が右肩上がりに増えているので、沢山の選択肢を作るためにありにしましょうよ、と上に願っているのですが。)
嘘で書かれた反省文だけでは反省したと認めない方針ですね。でも反省期間の区切りはどこかでつけますが。
そしてその内容は、悪い子を担当していない私達他の職員も皆でできるだけの共通理解します。職員一人が内容や方針や区切るタイミングの判断等抱え込むものではありません。
役に立っていない私が言うのは図ずうしいですが、この話し合いで職員が気を付けることは、意見を言っているつもりで(ここは例外)インターネットでありがちな批判指摘だけになってはまずいということですね。これを分かっていない職員が集まっている現場、不幸にして若者ばかりとか、認知や性格の偏った人ばかりが集まっている現場は、これがうまくいかないかもしれません。
この場合は幸運にもヤンバル先生が事態の収拾に介入しましたが、違う現場で仮にこの最後に残ったASの子が、正体は依存的ジャイアンタイプだったとしたら? と考えると、この子の納得できない気持ちを尊重することやすぐカウンセラーにかけることは果たして適切か? の落とし穴があるでしょう。
きちんと話を元に戻す人が必要で、喫煙してはいけないことを分かったのか分かっていないのかに焦点を当てて話し合わないと、先は見えないでしょうね。
ちなみに私自身も中学時代、掃除の手順が見えなくて気が散ることで、掃除チームの生徒に反省文を書かされました。
相手の意図が見えたので書きましたが、本心は私を好きでない人、私に褒め言葉のご褒美をくれなくて側で私の自尊心を尊重して、友達っぽく気さくに話しながらコーチ(当然当時はADDなんて知りませんが。)をしてくれない人の言うことなんて聞きたくないし、心からの反省もしたくありませんでした。“どうせ反省しても私をかまってくれないくせに。”と毒づいていました。
『人の言うことを心底から素直に受け入れる』と『周りが一切見えない位依存した過剰適応』は当時のイコールであり、『ぴよよを好き』と『ぴよよを解る』もどこまでもイコールでした。
彼女達と私はどこまでもどこまでも平行線でした。
初めまして。
この投稿を読んでいると、先日テレビで放送されていた「千原ジュニア14歳」を思い出しました。
本質を見抜いている子供達が、固定概念しかない大人達・進化を拒む社会に対してメッセージを送っている、と個人的には感じています。ADHDと診断されている方々(全員とは限りませんが)が、高い能力と使命をもって生まれてきた「インディゴチルドレン」(大人も含めて)として見直されていくことが必要な時代が今きているように感じます。
これはおもしろいっ!
学校での教育は”嘘をついて既存の社会に馴染め”ということを暗に強制するものだと思っています。
なんとばかばかしい事か。。。。。。