3.対人関係において「状況理解の非対称性」を特徴とする
ジャイアンの中には「空気を読む」能力、周囲の人の表情や口ぶりなどの非言語的な情報から感情などを読み取る状況察知能力の非常に高いグループも居る。しかしこのグループでさえ、不思議なことだが「自分の有利不利は直感的に非常に敏感に察知できても、逆に自分の行動が他者に与える影響についてはほとんど読めない」という状況理解能力の非対称性が見られることだ。
だからジャイアンには、「自分の有利不利だけは非常に鋭く察知できるのに自分の行動の結果については空気が読めないで失敗する」グループと、「自分に向けられた遠回しな表現などの状況理解も出来ず、同様に自分の行動の結果も読めない」グループの2種類が居る。
この状況察知能力については、大雑把に言えば、「動作性IQ」に相関するだろうと想像している。WAISなどの下位項目では、「配列」と「理解」だけが高いジャイアンは実に多い。
この点もASとの大きな違いである。ASは「自分なりの理解で多数派とはズレるが、自分に向けられた状況も自分の行動の結果の状況も同様に読めはする」という意味で、(両方空気が読めないグループは結果的に非常に似ているが)、空気が読めるジャイアンとは本質的に大きく異なる。
特筆するべきは、この非対称性、周囲から見れば不器用さが、「本当に悪者と見られない」という結果的な本人には有利な作用となることが多いことだ。
4.認知が基本的に表面的である。
ジャイアンの思考は大人も子供も非常に表面的という特徴を持つ。見えない「意味」よりも目先の「利益」が重要で、その結果異常に表面的な価値観が形成される。
世代により多様であるが、「公務員志向」「テレビはNHKのみ」「お笑いは馬鹿馬鹿しい」「極端な学歴志向」などが実に特徴的である。その結果おだてられると簡単にだまされ、いい気になって大金を騙し取られたりする。「見えない背後の意図」はジャイアンにはよほどコントロールしない限り読むことは難しいと私は思う。
長男の(その人の人格)ではなく、「直系の長男を偏重する」という不思議な特徴もあるが、これも表面的な認知の結果であろうと私は想像している。
5.養育環境によってさまざまなスタイルへと特化する。「どう衝動をコントロールするか?」「どう我慢するか?」。
ジャイアンは別図のように、養育環境によって一見同じグループにはとても見えない多様な成長発達の経過をたどる。ある者はいじめっ子暴君の文字通りの「ジャイアン」であり、強迫的にトップを目指して走り続ける努力家、合理的思考を放棄して周囲の状況を読みながら場当たり的に生き抜くギャンブラー、AC的になると表面上はノビ太様にもなり、また周囲の人を操作する「境界性人格障害」の様相、人を人とも思わない「精神病質」「自己愛性人格障害」のような経過も見られる。
二次的なアルコールや薬物依存、女性では過食や拒食の摂食障害、買い物依存症などになるケースも多い。
これらの結果としてのスタイルは実に様々であるが、私の考えでは「異常な衝動コントロールのパターンを身に着けた」という説明で共通する。下記に各論的に説明する。
6.注意欠陥と多動、自閉性は多様である。
特にASとの鑑別に重要であるが、感覚過敏、こだわりなどの自閉的な症状はジャイアンにも見られる。特に強迫的なジャイアンの場合、片付けもむしろ極端にきれいに出来、また並外れた集中力を発揮して高度な管理能力を持つ人も居る。
その意味では通常のADHDの定義にも当てはめにくいが、よく見ればASの強迫的な特徴が「皮膚感覚の延長上」であるのに対し、ジャイアンは「抽象的」という違いが存在する。例えば強迫症状の場合でも、ASでは「自分の体に何かの汚れや穢れが付着しているので洗い落とす」というタイプが多く、ジャイアンは「車で何かを轢いた気がして引き返す、ガスを消したかの確認」など、感覚の延長上というよりも「観念」上の強迫性が特徴的である。
もしも自閉性を基準にジャイアンをASに含めるとすると、ASの中に他者への無関心さを特徴とするグループを含めることになり、臨床的には私は非常に分類上不適当であると考える。(成人例ではASの不適応は対人関係の近さ、愛着から生じていることが非常に多いため)。
>もしも自閉性を基準にジャイアンをASに含めるとすると、ASの中に他者への無関心さを特徴とするグループを含めることになり、臨床的には私は非常に分類上不適当であると考える
ここの部分はすごく興味深いです。
周りの合理的adhdの人と自分を比較した時、一番大きな点は
「より人の気持ちをわかっていない」点だと思います。
だからやっぱりその点でASも入ってるのかな?と思う時は時々あります。ジャイアンってadhdとASの中間なのかな??
僕(ジャイアン)の場合、ウィスクラー検査(?)ではグレーゾーンでした。
そして主治医にはASではない、そうであったとしても本当に薄いといわれています。
>テレビはNHKのみ<
亡き父がそうでした。小生も完全に引き継いでいます。
余分なCMや変な媚がないので合理的だと思っていますが。あと受信料も払っているし。
公務員、NHK、お笑い嫌い、学歴志向そして長男偏重…
どうしてそんなにぴったりなのかと思うほど、
私の母とその父である祖父に当てはまります。
そして夫は、場当たり的なギャンブラーです。
彼らのような人々が、他にも存在するのかと思うと身震いしますが。
では自分自身はどうなのか…
結果はなんとなく予測できるが、
わかってはいてもコントロールは全く出来ないのが
自分の行動パターンです。
総括されると、なるほど、良くわかります。
>ジャイアンの思考は大人も子供も非常に表面的という特徴を持つ。見えない「意味」よりも
僕の解釈が間違っていなければ、先生の言う「意味」というのは、「動機」のことですよね?なぜその言葉を言ったのか
なぜその行動をしたのか。
ACは調べていくうちに愛情ある母親というのは、「子供の気持ちを汲み取れる母親」だということを知りました。
子供が嘘をいった、じゃあなんで嘘を言ったのかその動機を考えてくれる母親、子供が泣いた、なんで泣いたのか動機を考えてくれる母親、そういう母親が愛情ある母親です。
その点で、ジャイアンの母親をもった子供は、ジャイアンであれASであれ多数派であれ、心に「母なるもの」を持たない厳しい人生を歩むことになるんですよね。
実際兄(多数派)は中学時代自殺するところまで行き高校時代は激しく暴れました、姉(合理的adhd)はジャイアン母親が相手の家柄に不満を持ち無理やり婚約破棄させられ鬱になりました。そして僕(ジャイアン)は感情がわからなくなるまで、
感情を搾取されました。
ジャイアン母親をもつと、誰であれ心はネグレクトされた状態で育つことになるんですよね。なぜなら子供の心がみえないから。
そうそう。ジャイアンな母親を持つと、温かみを知らないで育ちます。わが母の場合は、子どもが心底困っても、少しでも自分が面倒だと思われる事(たとえば学校の先生に相談の電話するなど)は絶対にしてくれません。
本当は自分の考えに自信がなかったり、他人と渡り合うのを避けているんですが、表面的には「そんな弱い事でどうする!」などと巧妙に自分の弱さを隠し、かつ自分の支配が継続できるように振舞います。なにしろ支配。どうあっても君臨。それしか興味がないように見えました、、、。
自分が母親になった時、どこからか「温かいお母さん」の情報を引っ張ってインストールしないとわからないのです。
それがまた間違ったのを真似してみたり、色々回り道して大変です。結局今も「こんなんでいいのかな?」状態でよくわかりません。
またさらに悪いことに、身の回りにジャイアンを引き寄せてしまうのです。夫も結婚してフタを開けてみたら依存型ジャイアンで、それが遺伝した長男も派手なジャイアンというのが最近医師に見てもらってわかったばかりです。それと気づいてみるとジャイアン的な人が周囲に結構います。エネルギーを搾取されまくり。
地獄とはこのことなんだなぁ、、、と。抜けよう、、、。
のび太にはきつすぎます、、、。でもこのブログで勉強させてもらったので、今ではある程度、ジャイアンを判別できます。きつい事を書いてしまってごめんなさい。やんばる先生。ブログ感謝しています。
>その点で、ジャイアンの母親をもった子供は、ジャイアンであれASであれ多数派であれ、心に「母なるもの」を持たない厳しい人生を歩むことになるんですよね。
>そうそう。ジャイアンな母親を持つと、温かみを知らないで育ちます。わが母の場合は、子どもが心底困っても、少しでも自分が面倒だと思われる事(たとえば学校の先生に相談の電話するなど)は絶対にしてくれません。
>自分が母親になった時、どこからか「温かいお母さん」の情報を引っ張ってインストールしないとわからないのです。
そのとおりだと思います。お手本のない心もとなさ、苦しみはなんともいえないものがあります。
ただ、私の場合はジャイアンACと思われるので、ACがとれたら、私もジャイアン丸出しになるのかと思うと、恐怖です。
ジャイアン母に心の中に土足で踏み込まれ、みごとに感情移入して、母の憎むものを同じように憎みました。憎むものはとてもたくさんあって、・・・地獄でした。
結局、洗脳だったと気づきましたが、「母親とは子どものためを思うものではない」という確固たる信念が心の中に根付いてしまい、良い母親になりたいと思うと、AC的な自己突っ込み「私は親になれない。消えてなくなりたい」などが入り、子育てを楽しいと思うことはできませんでした。子どもの存在が自分を否定しているように感じていました。
YANBARU先生のブログにたどり着いて、すこしずつですが、母も私もともに脳の障害を持っていることを、理解しはじめています。
以前は母への怒りを支えに生きていたようなところがありましたが、今は自信のない、みじめな自分を認められるようになってきました。とても不思議なのですが、以前より、混乱した言動はむしろおさまってきたように思います。
子どもの頃から「変わっている」とよく言われ、それを個性だと途中からは思うようになっていたのですが、それがことごとく、発達障害の症状らしいとわかってきて、私は自分が何なのかわからなくなってきました。あんなに「自分は~」ということにこだわりがあったのに、「私って中身空っぽだなあ、まあいいか」と思える自分が不思議です。