AC、人格障害関連

ジャイアンの成育⑥稀な理想的環境

 これまで発達障害ジャイアン型ADHDの能力と親の環境によるさまざまな経過について考えてきた。実は非常に稀ながら、ジャイアンACにも強迫的にもならず、「自分の納得や満足に関してのみ合理的」に育つ可能性が考えられる。その可能性を説明してみよう。

 「無関心と放任」の「道楽者一族」のような環境では、前記のいずれでもない、「自分が好きに生きる奔放なジャイアン」というスタイルが生じる可能性が考えられる。

 この環境では、ジャイアンの中心志向からくる強迫性の二つの要求「一番の優位」と「みんなからの注目」のいずれもが満たされない。

 この意味では前記のAC環境と共通するが、逆に「他者が優位になることもなく、他者が自分よりも注目を集めることも無い」点に意味がある。

 それぞれが自分本位に自分の満足だけを追い求め、ジャイアンの子供を含む周囲の誰にも関心を払わない。

 だからこの空間では「誰も優位に立たない」「誰も特に注目されない」という特殊な状況が出現し、その中で「中心志向がインストールされない」ことが可能性としてはありうる。

 見本としてインストールするモデルはいずれも「自分だけが満足して他者は関係ない」というスタイルであり、この生き方に滑り込むことが出来れば、ジャイアンは前記の(中心志向の強迫性に由来する)いずれも厳しい人生の経過から脱することが可能となるのだ。

 この環境は、実は後天的にも可能ではある。「表面的な優位」が完全に否定され、「注目」も無意味となるような一種非日常の環境のなかでは、幸運に「中心志向」から脱するケースがあり得る。

 異文化の環境の中や、その他の非日常、中でも社会の底辺と言われるホームレス、精神科病院入院、警察に身柄拘束されるなど、表面的には責任転嫁や正当化不可能、ジャイアンの表面上の中心志向の「見栄」が完全に破壊される環境がこの作用を持つ。

 この意味では、ジャイアンの成育には、「足蹴にされるどん底の苦労」は決定的に有益、例外的に幸運な生き方を可能とすることがあるのだ。

 私は今、この後天的な中心志向からの脱出の環境を治療の中で演出することが出来ないか考え続けている。


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コメント

    • 匿名
    • 2009年 2月 26日

    小生は貧乏な母子家庭で育ったとか、その後も一時恵まれたことがあったけど再度貧乏を経験したとか、あるいは高校受験大学受験に失敗したとか、辛いことはいくつかありましたが、今考えてみるとそれらすべてが生きる原動力となった可能性は十分に考えられます。
    YANBARU先生のブログもそうかもしれません。自分の醜さを指摘されるだけでなく、対処法まで教えていただけますので大変感謝しております。

    • けろけろ
    • 2009年 2月 26日

    このエントリーは自分の育って来た家庭を思い出させます。
    まず母親が兄弟の役割を押し付けずに平等に扱い、自主性を尊重といえば聞こえは良いですがまあ放任で、おまけに貧乏でした。
    その中で自分を納得させて生きて来ました。
    なので自分が納得できれば世間体とか関係なく思う様になりました。
    確かに今の自分にとってその時の状況はプラスになっているなあと思います。

    • ネコ
    • 2009年 2月 26日

     「足蹴にされるどん底の苦労」…必要ですね。責任転嫁できない事と併せて、どん底生活者同士の本音だけの係わりは、直面化を否応なくさせてくれます。
     後天的に中心志向が外れた様にみえても、やはり、中心志向は残る様に感じます。ただ、中心を何とするかにより、強迫的にならずに済む事が可能と感じます。この辺りが、今後の課題と思い、分析したいです。

    • 匿名
    • 2009年 2月 26日

    やんばる先生 この見解は素晴らしい 久しぶりに完全了解させられました ブラボーです ありがとうございました。

    • パパイヤ
    • 2009年 2月 27日

    >「無関心と放任」の「道楽者一族」
    私もこんな環境で育ちたかったですよ!!!ほんとに!!
    何でヒッピーやジプシーの親に生まれなかったのかと。。
    靴下の右と左が違ってても放っておいてくれるような親だったら全く違う人生が歩めただろうに。。(もちろんいい意味で。)
    コメントを見て思いましたが、この記事のような親は、親自身がジャイアンと正反対な人なんですね。(高収入、高学歴、見栄をはる、、と無縁の生活、子供にもそれを求めない。)なのでその子供もそのようになるのかな。
    今、私の子供はある意味そういう環境で育っているのかも。いいことか悪いことか分かりませんが。別に普通の子なのでジャイアンではなさそうだし。こんな環境で育つ必要があるのかどうか。
    それに、一般常識的、保育園の先生的には「最近の親は困ったもんだ」と言われるようなよくない家庭の見本かと。それがジャイアンには理想の子育てとは。常識はあてになりませんね。
    >「足蹴にされるどん底の苦労」
    私もしてると思いますが・・。中心指向はなくなったんでしょうか。分かりません。
    中心でないから不幸だとは思わなくなりましたが(中心と幸せは別というか)、ゲームに参加したいという意味で中心を目指したいという気持ちはまだ残ってるような。(高収入の人に会ったら、くそっ、私もあのくらい稼いでやるぜ、と今も思います。)

    • クインテット
    • 2009年 2月 27日

    今回の記事、夫に当てはまると思います。
    夫は、A2「言語的器用非言語的不器用」「超合理的強迫的ジャイアン」を含んだ「自分が好きに生きる奔放なジャイアン」だと思います。
    私が見るに、夫の父親は強迫的潔癖性の多数派or積極奇異型AS、夫の母親は合理的ADHDです。
    夫は子ども時代、「自分を育てるのが面倒くさいんだろうな」と思いながら育ったそうです。
    夫の父親は「うちは貧乏」「働きもせずに飯を食うな」「役立たず」と子どもだった夫に言っていたそうです。
    ほしいおもちゃは一年間主張し続けてようやく買ってもらうことができたそうです。
    にもかかわらず、夫の母親は「うちのお父さんは子どもが好きで、扱うのがとても上手だった」と私に話してくれたことがあります。
    散らかし放題、片付けられない、物をなくす、子どもが生まれてからも自分勝手、好きなことしかやらない・できない、察しない、人に対する関心がない、ふらっと遠くへ行きたがる、常識が通じない、父親として夫として当たり前のことをしない・・・。
    私は長い間、夫が理解できず、苦しんでいました。
    当初、自己愛性人格障害を疑っていましたが、1年程前に先生のHPにたどり着き「ジャイアン」だと確信しました。
    昨夏、いつものように暗い顔をして会社から帰って来て愚痴を言いまくる夫に、私は耐えかねて「あんたはADHD」と伝えて先生のHPを見せました。
    始め、夫は性格診断のたぐいと思っていたみたいですが、発達障害だと知って驚いていました。
    それでも、自分に当てはまるところが多いと言い、今ではジャイアンはともかくADHDを認めています。
    続きます。

    • クインテット
    • 2009年 2月 27日

    続きです。
    夫は「自己突っ込みと中心志向の意味がよく分からない、ボクにはないかも」と言っています。
    夫は会社で空気を読むことなく自分の考えを主張して、上司や周囲とぶつかってばかりいるようです。
    それでいて会社での評価=昇級しないことを気にしています。
    「多数派は問題の本質を見ようとしない」「ヘラヘラ笑いあって波風立てないようにすることが彼らの仕事」「会社にいる時間、自分は死んでいる」「自分は社会不適応」と言います。
    37歳の夫は今も「自己実現をするため」に転職活動を続けています。
    「自分のやりたいことをするためには実力をつけなくては」と言い、平日でも明け方近くまで勉強していることがあります。そのかわり休日は夕方まで寝ています。本人はそれを「過集中と虚脱」だといいます。
    「自分が好きに生きる奔放なジャイアン」も、強迫的かつ中心志向が残っていると、職場などの「環境」によほど恵まれない限り、修行僧のような苦しい人生を歩み続けなければならないように見えます。
    もちろん、家族も否応ながらそれに巻き込まれた生活になります。
    ちなみに、夫が実家でインストールした「貧乏生活」は現在の生活にしっかり持ち込まれています。

    • pal
    • 2009年 2月 27日

    多数派に近づく行動様式を身につけられないジャイアンが、中心志向を持たなくなる、というのは私的には不可能に見えます。
    自分でコントロールして多数派に合わせる事ができないくらい、一番の座を、みんなからの注目を無意識のうちに求めてしまう傾向が強いのがジャイアンなのですよね?
    可能なのは、中心志向を持つが、一番の座を脅かす相手を攻撃しないパターンを上手に教え込む事か、あるいは多様な価値観があるため一番の座が明確に序列化されない環境(たとえばアート系とか芸能人とか)に身を置き、一番である事とない事のどちらにも言い訳ができる状態にいる事、そのどちらかではないかと思うのですが。。。
    だからノルマがはっきり数字化する勉強や仕事、順位がはっきりついてしまうスポーツなどは、一番を狙えるくらい才能がない限り、向いていなさそう。
    でも学生時代はそれがほとんどだから、勉強は捨てる覚悟でもないとACにならないで子供時代をすごすわけにはいかないような気がして。
    もし実際そうするなら、勉学にうるさくない学校にいってもらい、(または楽に上位にいられるようランクを落とした学校にいき)、多数派と交われないから孤立しながらも、勉強(あるいはスポーツも)せず気分よく自分の趣味だけに没頭してなんとか卒業だけはさせてもらう・・・こんな感じに甘んじるしかないのでしょうか。
    ただ少しばかり勉強して鬱になるより、将来生活に困っても気分よくすごせる様になる方が幸せかもしれない。
    親はそれが現状と受け止めるべき、ということなのでしょうか。
    でも貧乏になったらなったで何もしてくれなかった親のせいだとか言いそうで。

    • エイト
    • 2009年 2月 27日

    >自分本位に自分の満足だけを追い求め
    今の私がそうです。
    他者との比較ではなく、自分の理想を満たすための中心志向というのが永遠にあります。
    結果が吉ならば向上心があって良しとなり、結果が悪ければ何かに依存するか鬱的になり立ち直るのに苦労します。
    それがわかっていても追い求めてしまう自分がほんとうに嫌になります。
    私の場合、求める前にそれが客観的にみて自分に可能かどうか考える力が弱いのだと思います。

    • クインテット
    • 2009年 2月 27日

    既述のコメントの続きを書かせていただきます。
    夫はもともとは、今回先生がお書きになった「稀な理想的環境」で育つことのできた幸運なジャイアンだったのだと思います。
    小中学校時代、夫は授業さえ聞いていれば特に勉強しなくても成績優秀、地元進学校でもそれなりにやっていれば上位に食い込めていたそうです。この頃は『勉強は特に好きではなかった』そうです。
    大学は夫の父親が「国公立のみ」「自宅通学のみ」という条件を出していたので、受かった大学の中で偏差値の高かった地元の国立大学の理系へ進学。
    そこでも授業にまじめに取り組み成績優秀で卒業したそうです。
    次に夫は『就職を有利にするため』という理由で旧帝大の大学院に進学しました。
    その際、今まで専攻していた分野に『興味がなくなった』『将来性を感じなくなった』ため、畑違いの分野に進学したそうです。
    そこで夫は、他の学生との基礎知識の差、学問に対する情熱の差を思い知らされ、さんざん打ちのめされて、『自分を作り替える程の努力』をして、3年かかって修士課程を修了したそうです。
    彼は大学院時代に「努力家」のインストールを行い、「超合理的」「強迫的」「中心志向」という元々の資質を後天的に開花させてしまったように思います。
    一般企業に就職してからも、研究職のような仕事のしかたにこだわり、上司や同僚のいわゆる多数派的仕事のやり方に大きなストレスを感じ、『うつ状態』になっているようです。
    「努力家」のスタイルは、今や夫のアイデンティティとなり、分離不可能になってしまった感があります。
    このスタイルを貫いて成功すれば、本人は幸せになれるのでしょうが、現状は、本人を苦しめているように、私には見えます。
    ※ 『二重括弧』はすべて夫自身の言葉です。

    • ドロシー
    • 2009年 3月 02日

    私はこれかもしれません。
    今までも「中心志向」が今ひとつピンとこなかったのですが
    ジャイアンスペクトラムの薄い方なのか、AC気味なのかと自己分析
    してました。
    4歳までは親子3人で暮らしで、父からは溺愛母からは常識的に
    育てられていたらしいですが、わがままな子のようでした。
    それが祖父母と親戚家族の大所帯と同居とすることになり、
    両親は家業で多忙になりまさに放任。子供は4人で誰が誰だか。
    活気のある商店街でしたから、ガヤガヤでうるさい。
    癇癪おこしても相手にしてもらえない。
    もうホントそれぞれでした。でも、とやかく言われず楽だった気がする。
    貧乏だったので、早くからバイトし進路も自分で決めました。
    兄弟も自立早かったし、今でもいい距離感で接してます。
    ただ、今は3人家族。子ジャイアンと優位争いしています。。

    • kcotan
    • 2009年 3月 07日

    私は自分が発達障害かもしれないと思いつつ、その割には困ってないなあ、やっぱり違うのかなあという感じがあります。
    でも先生の書かれたことを読んで、これなのかなあという気がしました。
    父と母と兄と私という環境で育ちましたが
    父と母が早い時期から相当険悪で、そちらの問題が中心の家庭でした。
    家族全員で過ごすのは食事どきくらいで、そのときも、いつ父と母がモメ始めるかと緊張感漲ってました。
    (殺し合いそうなほど、まずい仲でしたので)
    兄は友達の多い人でしたが、私とは遊んでくれませんでした。(いつも私がゲームに負けて、キチガイみたいに怒ってたせいだと思います)
    私は学校でも気がつけば浮いた存在でしたので、もっぱら話し相手は夕陽と月と人形でした。
    小学校中学年のとき、社会の授業で「真理」という言葉を知って「これだ」と思い、もっぱら夕陽に向かって「世の中の真理」を探してました。
    あと「自由」にこだわりがあり、「自由を獲得する要件、それは誰にも借りをつくらないこと、つまり迷惑をかけないこと、誰にも頼らないこと」などと考えてました。
    あの頃は、激しく孤独で何も面白くなかったけど、逃げてもどうにもならず、年月の経過の遅さにひたすらジリジリ耐えていました。
    でも、ああいう孤立時間は重要なものだったんですね。

    • ぴよよ
    • 2009年 3月 17日

    皆さんお忙しいのか・・・最近私のコメントがかさむのがちょっと心苦しいのですが。
    ASの理想的成育環境が知りたいな・・・と、この記事を読んでからずっと思っていました。
    手を掛けないと周りを見ずKYで、ジャイアンのように社会生活を自分で獲得していく力はなく、居心地のいい趣味だけに自動的に頭が没頭してゆきがちで・・・。
    手を掛けて口を出し『こうあるべきなのよ。皆こうしているのよ。あなたができていないのよ。』とファンタジーの逃避先を無くし、気にしていないことを気にするようにしないと今まで当たり前だったことも制限が付く、既得権の剥奪(予定が変わるというASにとっての爆弾です。)を行なうと、空気を読む努力をする代わりに努力するときの不安を発散できずに全部溜め込み、受動はボーダー、その他はAC等の認知障害や心因症。
    就労できたとしても主に人間関係と恋愛でつまづき、男性は贈り物をケチり過ぎか高価にし過ぎ等でKY、女性は強い理解欲求と独りになりたい欲求の狭間で際限なく苦しみます。
    私も十分知っているとは言えませんが、特別支援を深く知らない人にとっては更に、手を掛けても掛けなくても青年期から人生ボロボロになる可能性しか見えないですよね。
    ヤンバル先生は、他のAS研究をしている医師の見解をお待ちかもしれません。
    私も思いは同じですが、鶴の恩返しの与ひょうの環境を思い出しました。
    母親が物理的に動けない。自分が動かないと自分たち二人の生命の危険があり、ファンタジーを肥大させる暇も情報も無い。そして母親が賢く精神的に自立しているので、可能な限り外部の悪意から守り、例え口だけでも息子の精神を温厚で安定させたまま育てられた。
    (与ひょうは軽度の知的障害もある気がするのですがね。)
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 3月 17日

    続きます。
    AS傾向の子を見ていて、集団生活で摩擦を最小限にできている子を見ると、内容は別にしてとりあえず家庭で一生懸命かまってくれている子が多いかな?という気がします。
    AS傾向がトラブルを起こすおおまかな原因は、人との近づきすぎではないかと思っています。それが好き嫌い抜きで勉強や仕事で協力体制を取らねばならない時としても。
    その反省をする時に、話が伝わりやすい感じはします。
    納得するしないは別として。
    話が伝われば、三歩歩いて忘れて逃げることなく、後で独りになって考えられます。
    上げ膳据え膳で手を掛けるのと、会話で刺激してヒントを出すのとでは違います。
    そこで思いついたのが、定期的に親が留守にする環境で、思考がしっかりしている身動きが不自由なお年寄りと留守番をするスタイルです。
    発達障害児の養育は後始末が沢山出てくると思うので、後始末をするのは両親にして、お年寄りは“放置できない人”“言うことを聞かなければならない人”“褒めてくれる人”“精神的なこと等教えてくれる人”として存在します。
    すると将来、対人の態度が、言うことを聞ける人、荒れて聞けない人に二極化する可能性も出てきますが、荒れてしまう相手を遮断して私のように孤立したとしても、頭の中には常にお年寄りの言い残した言葉を自動再生させればいいし、身動き不自由なお年寄りならいきなり自分のプライベートスペースに入ってくる可能性もないので、近づかれすぎの再燃も過剰適応による過剰な寂しさも無く、頭の中を平穏に保てるかもしれないと思いました。
    そして両親が家にいるときはよくかまい、会話すれば就労の場でも拒否感は減らせて、これは前から思っていたことですが美術芸術作品を見せて情操教育もすれば、他人の感情の存在を認める訓練にもなるのでは?
    感情面の発達がかなり遅いASだからこそ、面倒な二段階、三段階の受け皿を用意するわけです。将来自分にコピーするわけですから、とにかく教養と品性があり、思考がしっかりして自立した柔軟な人ばかりを配置する贅沢さがあります。
    ジャイアンが常識はずれに雑なのに対し、とても面倒な理想的環境です。

    • さーこ(AS)
    • 2012年 11月 01日

    先生、私今、こういう人と文通しているのかもしれません。
    ACのようではありますが、ご自分で自身の精神状態の揺れ幅を小さくする努力をしていたり、人との間合いを工夫しているようです。
    芸術、を数十年続け、本当に職業にしているそうです。
    (なぜか私を「尊敬しています」と言っていました…。なんでだ!)

    • jet
    • 2013年 2月 06日

    ジャイアン出身ADHDの生育環境について
    道楽者の一族です。両親は当人が小学生時からバラバラで中学生ぐらいで離婚しました。
    当人は父について行き、父と暮らそうにも帰って来ないのでご飯を求めて母の所へ行くが、給食代が払えないので「忘れたと言え」と母に言われていたそうです。
    また何故か400ccのバイクがあったので中学校にバイク通学していたそうです。シンナーの売人をして小遣いを稼ぐが釣り道具につぎ込んでしまう。道楽者の血は争えません。
    友達はみな進学校へ進学したそうです。
    少年院から脱走してきた子を家に泊めると「あらいらっしゃい」とお茶を出すKYなお母さん。
    事件で死亡者が出るなどして新聞に載ったりしましたが、当人はいつも悪気は全く無かったそうです。
    自己ツッコミはずっと有り、20歳前に「自分の心配に飽きた」そうです。しかし今でも150m以上先にいる刑事が分るのに何故魚が釣れないんでしょうか。今は会社員で課長をやっています。
    しかしこれを診察室で再現するのは大変だと思いますぞ。
    長い間私のほうの理由で先延ばししてきましたが、今は当人と一緒に暮らしています。利用は「利用できてうれしい」と口に出しあからさまです。

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