ADHD関連

利他と尊厳②

 前のスレッドで気になるコメントがあり、説明を追加しておくことが必要と考えた。

  「あなたの自由意志で私に尽くしなさい」というのは理解から程遠い大変な誤解で、正反対の意味に受け取られるのは非常に残念だ。

 上記の台詞はジャイアンとは全く逆の受動型ASのシンボルのような表現で、結局「共依存的なベタベタした責任のあいまいな関係しか出来ないところを、さらに自分では責任が取れない」という意味になる。

 もともとのジャイアンの立場は、「関係自体が自発的でなければ不要」ということで、「自分は出かけたいがあなたは出かけるか?」と聞かれて、「行かない」と応えたら当然相手はそのまま一人で出かけなければならない。

 反対に言えばジャイアンに対して相手から自発的に一緒に居たいと言われても断れる可能性が必要で、それが自由意志の保証だ。

 両者が自発的に一緒に居たい意志があり、選択している状態ではじめて一緒に居るということが可能となり、それが無いときは一緒に居ないほうが良いということだ。

 このスタイルが上記の受動型ASとどれほど違うかは少し考えれば分かるだろう。一緒に居ることは結果であって、前提でもなんでもないのだ。

 もっとも依存型ジャイアンは「自分で責任を負わないで相手を最大限利用したい」というために表面上「自発的に自分に尽くせ」というような非言語的なメッセージを出す(様に見える)ことはあるが、(本性はジャイアンであるので)、結局それも本質は「利用のための要求」でしかなく、それ以上の何かがあるを期待すると相手は痛い目に遭うという結果になる。

 つまり、「利用」したいことを表面上隠して非言語的に表現しているだけで、非言語的なあいまいさの中で「利用」以上の何かである可能性を相手は勘違いする可能性はあっても、ジャイアンは露骨なので、そのうち相手も「ただ利用されていただけだ」と気づくことになる。

 ただ「利用で何が悪いか?」と私は考えるのだが。「尊厳」のレベルではそのほうがよっぽど動物的で正直で清清しい。     


関連記事

  1. 現実感とは
  2. 直面化と自己評価
  3. ジャイアンの教育ママ
  4. 戦力外通告
  5. 受動型のASの人の特徴
  6. AS-ADHDカップル
  7. 不適応と合理的思考①
  8. 通院の皆様へ告知平成23年12月9日

コメント

    • むーん
    • 2008年 10月 12日


    私は、いつもAS元彼の言動が「あなたの自由意志で私に尽くしなさい」って聞こえていたのが、(と、言う事は積極奇異型じゃなくて受動型だったのかな??)
    marioさんがそれに気づいて、「成程ASの言動はジャイアンにしてみればそう聞こえるのか」と気づいて下さったのかなと思ってたんですが・・・!?
    (説明不足でしたでしょうか。)
    私自身は、ASに「あなたの意思で私に尽くせ」とは言わないなぁ・・・そういう希望も持ちませんし。だって尽くされたら、後が面倒だもん。

    • kei_
    • 2008年 10月 12日

    >あなたの自由意志で尽くしなさい
    ・・・お互いに精神的に独立した間柄なら(多数派さん同士なら??)、「協力」とか「サポート」という言葉になって、「尽くす」という表現にはならないんじゃないかと思います。
    これぞまさしく、共依存の関係なんだろうな・・・と読んだ時に感じました。
    「丸投げ」を「依頼」に変えるプロセスの中で、度々遭遇して進めなくなるのは、「本当はそうしたくない(協力or尽くす??)なら、やってもらいたくない!」という感情でした。
    これも多数派さんに言わせれば、「本心はどうであれ、やってくれるんならお言葉に甘えてやってもらえばいいじゃん!!」・・・でした(笑)。
    個として独立し合っていれば、相手の自由意志でやるorやらないが決定されているのが前提(基本)なわけで、そこから先は踏み込まないし、踏み込もうともしない・・・。
    だから私も、丸投げから依頼に変えたのなら、相手が引き受けてくれたなら「ありがとう」、
    引き受けられないなら折り合って合意点を見つける、なりの方向へ進めたいのですが、
    以前にも「ナンギ」のエントリで書いたように、相手に「罪悪感」や「義務感」(他にもあるかもしれませんが今はまだ見えてこない)などがあると、うまくいかなくてナンギ!!
    丸投げを受け取ってもらえなくて怒りのツボにはまるということはほとんどなかったけれど、(全部受けてもらっていた?? 笑)
    むしろこういう時は、いかに自分が「要求」や「期待」を持っているのかが露わになって、打ちのめされそう・・いや、なっていた感じです。「こんなんじゃ、ラチ開かん!!」の出発点はこの「自分」だったかもしれません。
    今は上記のナンギに手こずることしばしば・・・という状況が多いです。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 12日

    ジャイアンの意図が「あなたの意思で私に尽くせ」では無い事は分かります。そう言わない事も分かってます。ただジャイアンの行動をちょっと離れてから見れば、(結果的には)“そう見える”と言う事です。私がイメージするのが依存型ジャイアンだから、その印象が強いのかも知れません。
    で、利用であっても構いませんが(ASは利用されている事に気が付かないようにも思うけど)、ずっと気になっているのはジャイアンには“持ちつ持たれつ”と言う考え方はないのでしょうか?「これだけの事をしてもらってるから、自分もそれなりに返さなければならない」とか。私にはあります。多数派には、より重要なスタンスではないかと想像してます。記憶違いでなければ、以前ジャイアンには“感謝がない”とも書いてあったように思うので、“持ちつ持たれつ”は無いという事になるのかな?(してもらう、してもらったと言う考え方自体がない?)

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 12日

    入れ違いになりましたが、私の疑問への答えの一部がkei_さんのコメント中にありますね!
    「本当はそうしたくないなら、やってもらいたくない!」のであれば、こちらが何かをした結果に対しても「あなたが本当にそうしたいから、それをしたんでしょ!」となる。
    生活の場面などは協力・分担の嵐だと思うんですが、どちらもやりたくない事も沢山あると思うんですけど、う~ん、ジャイアンと上手く協力する方法は無いんだろうか?

    • 匿名
    • 2008年 10月 12日

    mario様 
     やはりASの人には「尊厳」ということ自体が理解出来ないようですね。あなたはおそらく、本人がどんなに延命治療を拒否していても、あなたの勝手な意志で(本人の意志を裏切って)延命などの治療を希望するでしょう。
     「相手は一切何もしてほしくない」「関わってさえほしくない」という可能性を想定できないで人と接すると、どう転んでも相手の自己決定権を大きく毀損する「支配的」もしく相手の人権を踏みにじる「独善的」な行動を帰結することは回避できないですね。
     子供も思春期になると、(本当はその前から)「尊厳」を大事にして育てないとACになります。
     「相手の全部を分かっている、知りうるという」間違った前提を何度指摘したらあなたは理解しますか? いい加減学習してください。

    • ウェンディ
    • 2008年 10月 12日

    今回は、私(ジャイアン)と夫(AS)の今までのトラブルの集大成のようです。ここが双方が乗り越えられない溝だったような気がします。
    やんばる先生の説明は理解できますが、反面、mario(AS)さんの仰っていることも分かります。
    >やはりASの人には「尊厳」ということ自体が理解出来ないようですね。あなたはおそらく、本人がどんなに延命治療を拒否していても、あなたの勝手な意志で(本人の意志を裏切って)延命などの治療を希望するでしょう。
    多分、夫もそうするでしょう。年老いた夫の両親への対応もまさにそうです。両親の意向はほとんど頭にない。
     「相手は一切何もしてほしくない」「関わってさえほしくない」という可能性を想定できないで人と接すると、どう転んでも相手の自己決定権を大きく毀損する「支配的」もしく相手の人権を踏みにじる「独善的」な行動を帰結することは回避できないですね。
    これがAS独特な自己中心性ではないでしょうか。そして、その為に独特な行動を取る。(夫の場合です)
    独特な行動の元にあるのは、これもASの特徴である<変化に対応出来ないためにパニックになる>為ではないでしょうか。
    やんばる先生、
    何となく私と夫の問題の輪郭が見え始めています。
    この話題、もう少し進めて頂けると嬉しいです。
    marioさん、
    ASとジャイアン、きっと共存の可能性はありますよ。
    共に頑張って考えましょうね。

    • くらら
    • 2008年 10月 13日

    私はAS父に
    「ほっといて!」
    と言ったことがあります。
    にもかかわらず
    父は「ほっとけない」
    という。
    父のエゴで私にはほっておかれる自由もなかった。
    MARIOさんが考えうるどんな協力よりも何よりもジャイアン
    がほしいのは「自由」です。
    失敗する「自由」、試行錯誤する「自由」
    そこで見てられないと勝手な「協力」をされては困ります。
    ノーベル賞受賞ラッシュしましたが
    失敗が成功の母だったりするはずです。
    そこから自分の力で試行錯誤する力を
    次世代に残してくださいね。
    父と暮らしていると
    かごの中の鳥の気分になります。
    どんなに立派なかごでも、
    どんなにおいしい餌でも
    飛べないことに変わりない。
    こういえばわかりますか?
    そして餌を与えてやったといわれても
    とべない鳥は満足してないのです。
    飛んでいっても必ず帰ってくることを信じて
    かごから出すことが「協力」だと思います
    白か黒かはっきりしたがらASには
    そんな見えない絆で結ばれた関係は不安定極まりないかもしれないですね。

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 13日

    鴨の大きなお世話で恐縮ですが、marioさん、先生の言いたいことと言うのは、私のつたない解釈で言うと「相手(元奥様)にAS語を理解するつもりはないから、まともなコミュニケーションは無理。」ということではないでしょうか。
    日本に来ても自国語ばかり話して、日本語を覚える気がない外人がいたら、と私は想像しました。
    私がどんな美しい言葉遣いを選び、洗練された会話を心がけてコミュニケーションを働きかけ、美味しい料理、選りすぐりの温泉でもてなしても、ふんぞり返って接待を受け取るばかりの反応しかなかったら、永遠に(だから日本語も覚えてもらって相互でコミュニケーションを努力したいんだけど!)という願いは伝わらないわけで。
    元奥様との和解は無理だよ、というはっきりとした言葉は、先生は同性として酷すぎて言えないとしたら・・・いやそれは、無い(失礼いたしました。)かもしれませんが。
    (他にも男性読者はいらっしゃるのにどなたか・・・というのも、ご無理なことでしたか? 本当に男性心理が解らなくてすみません。)
    ちなみにこのコメント自体もヒントになればいいのですが。
    たぶん、marioさんが(チッ大きなお世話だ)ぐらいに思うところを、ジャイアン男性ならきっと烈火のごとく怒ると思います。これは失礼ながら、同情、助け船の類ですから。
    自分に子どもがいない分、子ども養育の仕事を引き受けたmarioさんが模索していることは何とか分かりますので、つい。
    続けるものでもないのでしょうが、続けます。

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 13日

    バカな鴨を許してください。続けます。
    本来なら、元奥様も観念して、息子さんが関わる範囲の話では“母親”として責任ある言動をするべきなのですが、ジャイアン語しかお話しにならないため、一個人としての我が侭を整理しないまま、“母親”も“女”もごちゃまぜにして応答してくるということではないでしょうか。
    ちぐはぐな応答を(marioさんの今までの文からこう読みとれるのですが。)しながら、実は肝心なことは黙ってるのではないでしょうか。「丸投げした責任は取らない。利用はするけど“母親”は続ける。“母親の”体裁も確保するけど恋も自由も欲しいから我慢しない。自分は間違ってない。」
    私はとても言いすぎですが、元奥様の間違いは“母親”の尊厳と息子さんからの愛着と尊敬も、このままでもずっと手に入るとお思いのところだと思うのですが。
    「あなたのことは可愛いのよ。ただ、たまたまご飯はお父さんが作っていた、それだけなのよ。」とテレパシーだけで愛や関心を送っても、生身の子どもには伝わらないのに。
    つまり・・・もう話して分かる相手じゃないんだから、とそういう・・・宣告?を、辛いけど読みとってもいいのでは、と私は感じました。
    私も、発達障害を深く知る前は、ASの誇り?みたいなものにかけて、社会人としてあらゆる特徴を持った人に合わせられるようになろう、わけへだてなく懐こう、好かれよう、自分を開ける人だと思われよう、柔軟だと思われよう、でも自立もしようと理想を高く持ちました。
    誰かを外国人や宇宙人レベルで認識するのは、悲しかった。
    私が宇宙人扱いされても、他人をそうするのは悲しかった。
    そう感じる自分が正しいと思っていました。
    でも、そういう自分の感性や価値観にこだわったら、生きていけなくなりました。
    今でも“AS感性”を曲げるのは悲しいです。苦しいです。
    しかし、曲げる必要のある人相手には、時には曲げることを、ここで学ばせてもらいました。
    もうこの先は・・・AS独り者には書きづらいです。うるさくしてすみません。
    辛いですね。“親業”とは。

    • むーん
    • 2008年 10月 13日

    >「丸投げした責任は取らない。利用はするけど“母親”は続ける。“母親の”体裁も確保するけど恋も自由も欲しいから我慢しない。自分は間違ってない。」
    これは、家の母と全く同じだなぁ。そうだと思うよmarioさん。(悲しいかな。)
    PS;ちなみに家の父は、「放っときっぱなし」でしたが・・・ASの愛着が未だに依存型ジャイアンの母に向いてるらしい。最近、一言二言話しかけてくれるようになりましたがね。

    • kei_
    • 2008年 10月 13日

    やんばる先生からキビシイ書き込みがありますが、私はmarioさんのおっしゃりたい事が何となく伝わってきていると思っています。
    >「あなたが本当にそうしたいから、それをしたんでしょ!」となる。
    そういう風に思いたいですし、思えたらいいな(ラクだな)と思います。
    しかし、「私、丸投げする人」VS「あなた、受け取る人」が固定化してしまった関係からでは、よしんばそこから脱出しかけの状態では、必ずしもそうではないのでナンギしてしまうのです。
    >生活の場面などは協力・分担の嵐だと思うんですが、どちらもやりたくない事も沢山あると思うんですけど、
    ・・まったくそうで、どちらもやりたくないので先延ばしの嵐です!(笑)
    とは言うものの延ばせないことが目白押し・・というのが日常なわけで。
    共依存=私、投げ・あなた、受け=がメインの頃は、一見すると受け取ってもらって物事が処理されていたように思うのですが、
    (実際、生活のほとんどがつつがなく進んでいたと思うのですが)、
    実は、一番優先して手を付けなければならないことは、常に置き去りで見て見ぬフリを、お互いにしていたようにも思うんです。
    数日前に書いた「自身の内面の葛藤は自分で処理しましょう(できるだけ)」というのもその一つです。
    どちらもやりたくないことも、突っ込んでみると「あれをやるくらいならこれのほうがいい」という場合があるので、その時はマシな方をお互いがやります。
    一つの事柄を細分化して、出来ること、やってもいいことをそれぞれがチョイスして、それでもどうしてもやりたくない部分が残ったらジャイアンならきっとやっぱり丸投げなんでしょうね(笑)。
    でも、現状では細分化すればするほど(細かく分ければ分けるほど)、なんとか成し遂げられているような感じがします。
    続きます・・・

    • kei_
    • 2008年 10月 13日

    「持ちつ持たれつ」についてですが・・・。
    先生が次のエントリで、こうした言葉の使い方について述べられていますが、
    私はおのおのそれぞれの認識で、ただ、メンヘルに難ありやAS,ADHDは、とある方向の偏りがある場合が多い・・・という風に解釈しています。
    例えば私の、とある方向の偏りは・・・と言うと(爆)
    >これだけの事をしてもらってるから、自分もそれなりに返さなければならない
    というスタンスでの「持ちつ持たれつ」はないんじゃないかと思います。
    あなたはあなたの意思でこれをやって、私は私の意志でそれをやって結果、全体から見てあなたがこっちを持って、私がそっちを持って「持ちつ持たれつ」??というニュアンスならあるとは思いますが・・・。(笑)
    何か「お返し」をするというのは、世間一般での外的関係においては考えて行動していますが、身近な人にはあまり考えないでお付き合いしたいタチです。
    言葉にするとしたら、やはり「お返しをしたいからお返しをする」になると思います。
    「依頼」も「協力・分担」も、先生がいう「無償の愛」や「義務」etcもなんとなくそれらしきもの(ムード)は醸し出せますが、
    尽くす・尽くされるの関係の中ではたぶん、所詮らしきもの止まりでその先が無い・・・拡がらない感覚、があります。
    個としての独立を進めながら、癒着していなければ「協力・分担」は少しづつでもできるような気が、今はしています。とは言うものの、
    私はまだ、100ある丸投げのうち1つか2つしか、変化させてはいないとは思いますが・・・。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 13日

    私が見てない間に思いがけず話が盛り上がってますが…
    YANBARU先生
    少し勘違いされた様に思うのですが(それ位に逆にASが理解し辛い?)、「相手は一切何もしてほしくない」「関わってさえほしくない」と言う事は了解してますし、元妻とはそれを理解した上で関わってます。彼女の生活には一切干渉していませんし、私との今後の何かを期待してもいません。完全に息子の成長の事だけ、上手く協力する方法を模索しています。(今のところ、月に一度程度、情報交換をする場を持って、息子の成長や性格について、私の気付かない点の指摘をもらっています。息子のAS的なところが凄く気になるらしい…)。
    一方で私は、ジャイアントは何か?を理解したい。理解不能だと言われても、少しでも良いから知りたい。自分の身に起こった事をちゃんと納得したい。それを探る上で、どうしても元妻や身近なジャイアンを想定するしかなく、ジャイアンを悪者に仕立てたような書き込みになってしまいます。正直言って悪者にするしかない印象も持っていますが(それがASの独善によるものとも理解しています)、それをジャイアン自身による説明で否定して欲しいと思っています。
     :
    余談ですが、ジャイアンの自由を想像してきた副次的作用として、自分の自由を自覚するようになって来ました。ジャイアンから見ると極僅かかも知れませんが、“しなければならない”→“したい”へのシフトを実践しています。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 13日

    ひよよさん
    何だか、素晴らしくまとめられてしまいました…
    >「相手(元奥様)にAS語を理解するつもりはないから、まともなコミュニケーションは無理。」
    はい、私自身そう思っています。夫婦としての和解は今後も無理だと私も思っています。もう切り捨ててしまっても良い元パートナーですが、息子の親同士という関係でのコミュニケーションを続ける努力をしています。
    >「丸投げした責任は取らない。利用はするけど“母親”は続ける。“母親の”体裁も確保するけど恋も自由も欲しいから我慢しない。自分は間違ってない。」
    元妻はそう思っている事をひしひしと感じています。
    >「あなたのことは可愛いのよ。ただ、たまたまご飯はお父さんが作っていた、それだけなのよ。」
    将来、これが息子に伝わらないだろう事を一番憂いています。私が少しでも元妻を(ジャイアンを)理解できれば、将来の息子の問いかけに答えることが出来るかも知れません。それすらジャイアンには余計なお世話かも知れませんが、AS的な部分の見える息子に分かるように説明できるのは私だけだとも思いますから。

    • まり
    • 2008年 10月 14日

    だんだんと、弟はやはり「依存型ジャイアン」かなと確信に近づき始めてます。
    尊厳や決定権は多数派にとっても大切です。「やってあげたのに…(感謝しなさい)」と押し付けられると嫌な気分になります。また、利用もします。人を利用し自分も利用されるのは当たり前と思っています。ただ、自分が利用したいときに利用できるかは別で、相手の都合が多くの場合優先的に尊重されます。責任の所在としては、やってあげると言った方の責任、任せた方の責任の両方があります。だから「やらなきゃ良かった」も自分の責任、「任せなきゃ良かったも自分の責任です。
    丸投げを引き受けてもらえず不機嫌になっている弟は、その瞬間は『相手の尊厳』が見えていないということなのでしょうか?決定権は手放さず、責任だけ0にしたいという風に見えるんです。それはいいとして、断られて怒るのが最近最も困っている点です…今のところその場を立ち去る事しか対処方法が見出せていません。

    • まり
    • 2008年 10月 14日

    >「本当はそうしたくない(協力or尽くす??)なら、やってもらいたくない!」という感情でした。
    Keiさんのこのコメントで思いだしました。以前我慢できなくなって「分かったわよ!(やればいいんでしょ)」というような事を言ったら、「だったらやらなくていい、不愉快だ!」と逆切れされました(こっちも不愉快です)。
    確かにこれは、見方によっては「あなたの自由意志で私に尽くせ」に取れなくもないですね。。。

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 14日

    marioさん、その
    >素晴らしくまとめられて
    という言葉が、おふざけであることを願います。
    深さのある話になると、話し言葉でしか書けないのが、私の教養の低さです。いい言葉を知らないのです。
    >副次的作用
    などという単語は初めて見ましたよ!
    インターネットを介していなければ、本来は、私はmarioさんには恐れ多くて、率直に言いたいことを言えないはずの田舎者かもしれないと思います。
    さて、今後もコメントをお読みになるときは、ぴよよはmarioさんよりも基礎学力が低いことを前提にしていただけるとありがたいのてすが・・・。
    まず私の感じたことですが、marioさんは、父親として正しいことを目指していると思いました。
    AS(息子さん)が、元奥様との関係で最後に知りたい結論を答える準備をしようとしてらっしゃるのですね?
    「結局僕ってお母さんの何?」(何のために必要な息子だったの?)
    これは身内以外には答えられる人はなかなか見つからない。
    息子さんが将来、ASの当事者サークルなどに入ったと仮定して、余程似た経験をして克服してきた同志を見つけないとかなり無理ですが、そんな貴重な人を見つけたら次は接近しすぎの心配をしなくてはならなくなりますね。
    医師でも(ヤンバル先生は例外として。)難しい。
    カウンセラーも難しい。
    教師なんて論外です。そんなプライバシーに入りすぎた質問にうっかり真面目に答えたら、聞かれたから答えただけでもプライバシー配慮不足の責任を問われかねません。危なくてしょうがないです。
    だから父親しかいないと・・・。ASらしい・・・。
    ごめんなさい。続けます。

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 14日

    続きます。
    しかしここまで書かせて頂いてなんなのですが
    「僕ってお母さんの何?」
    この問いが仮にあったとして、marioさんは今のところ、どういう答えを用意していますか?(いや、お答えがあったとしても無理して書かなくていいですよ。)
    元奥様に本物の“愛情”や“責任感”があることを前提にした、または一部に盛り込んだ内容になっていませんか?
    つまり・・・私は書きづらいな・・・できればAS男性に補足説明を・・・いけませんか。いけませんね。
    例文は省きますが、どんな文を考えたとて、ASもジャイアンもまやかしの名手なのですから、息子さんはそれを答えと感じるでしょうか? いや、お父さんの誠意や努力には感謝する可能性がありますよ。答えは答え、努力は努力で、分けて認識できるなら。
    可哀想なのですが「お父さんもうまく答えられなくてごめんな。」と謙遜して見せて、その代わり情操教育をたんまりして、自分で答えの一端を見つける手だてを考えるのも、尊厳の尊重のひとつなのではないでしょうか。
    子ASとしては、「すぐ正解を教えてよ!」と望む気持ちも、痛いほど分かります。
    すでに産んでしまってから我が子を育てられなくなった女性の気持ちというのは、経験がありません。ジャイアンの心理はなおさら解りません。想像だけです。
    私はたぶん・・・後悔にひたひたと浸りながら前へ進めなくなる自分を想像できます。
    しかしジャイアン女性は、後悔丸ごとしたくないのですよね。
    だったら元奥様が(平静を装っていたとしても)本音では喜ぶ、息子さんの言動とはなんでしょう。
    想像したくないです・・・。
    仮に息子さんが、将来お母さんを求めて、めでたくお母さんのストライクゾーンが分かったとしても、息子さんはその答えに逆らう自由もあると思います。その自由に気づくまでが葛藤で、私は大きなお世話ながら、それが痛ましいのです。葛藤中こそ、長話に付き合い、よしよしして支えるのもまた大物のお父さんだと思うのですが。寝不足になりますけど。
    marioさん、無理して説明や答えを用意すると、私はとても残酷なものになるような気がしてなりません。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 14日

    ぴよよさん
    本当にありがとう!
    確かに気を付けないと、私は結論を用意してしまいそうです。でも今の自分のつもりとしては、結論を用意するのではなく将来息子に自分で考えてもらうつもりです。息子と母の関係ではなく、母と父(私)のことについて聞かれた時にちゃんと答えられるよになりたい。(今は未だ上手く答えられません。でも、答えられない事自体が答えなのかも知れませんね。)
    しかし、ジャイアンの愛とは、ASの愛とは何なのでしょう?今のところ、YANBARU先生の説明に納得していません。多数派の愛が、正しい愛だとも思いません。何とこの歳になって「愛とは何か?」を真剣に考え続けている毎日です。

    • むーん
    • 2008年 10月 15日

    ・・・ミーティング帰りで、ガンガンする頭で書き込んでいるので、私としては滅多にない率直な意見になりますが。
    mario(AS)さん、こんなところでぴよよさんと二人で盛り上がってる場合じゃないです・・・
    息子さんの将来の答えとやらを、カウンセラー任せにするなど論外です。
    元奥さんの「丸投げ」を引き受けて、毎日ダシまで取ってるのは他でもないmarioさん自身です。今すぐ、元奥さんに「君の態度は、僕に対する丸投げだ。無責任だ。もっと母親の自覚を持ってもらいたい」と、marioさんが白黒はっきり言わなければいけない。
    それが言えるのは、父親であるmarioさんだけなのだから。

    • エム
    • 2008年 10月 15日

    marioさん・・
    テレビのニュース特番でシングルパパの子育て(11才と13才の男児、離婚は9年前との事)奮闘記をやっていました。
    とてもよく出来たお父様で、正直シングルパパはとても想像できなかったのですが、あぁ可能なんだと感動してしまいました。おそらくmarioさんはこの番組をご覧になっておられないと思いますが、同様な生活をされている(しかもAS同士?)と勝手に想像しとても立派だと思います。子育てをサポートしてくれる人はどなたかいらっしゃるのですか?
    普通なら子供と生活する事に必死で、「愛(なんたら?)」を考えるどころではないと思います。 それなのに・・・、だから(元奥を?)共依存に引っ張り込もうとしているように誤解してしまうんですよ。

    • kei_
    • 2008年 10月 15日

    >だから「やらなきゃ良かった」も自分の責任、「任せなきゃ良かったも自分の責任です。
    こうして言葉(文章)にしてもらうと、自分が「こんなんじゃ、ラチ開かん!」へ向った道筋が見えてくる感じがします。
    確かにその瞬間、内向きにベクトルが向ったんだと思います。
    個としての独立が不十分なままでは、したくないことはしたくない、できないことはできないと言ってもらわないと、その先に進めないんです。
    攻撃的に喧嘩腰に言われるとたぶん問題が別の方へ逸れると思うので(笑)、とりあえずはひとまず友好的に言ってもらって、
    じゃどうならできるの?、今は無理でも明日はOK!?とか、どうしたって無理だ!!とか。
    後者の場合は、それでも成し遂げたいなら自分でする、誰かべつの人に頼むなど・・。
    自分でするなら、ここまではできそうだけど、ここからは頼めるの?とか。
    ジャイアンなら自分ではやりたくないのだから(依存型なら自分ではできないと思っているので)、他の人を探すのだろうけれど、共依存の中にいれば、閉鎖的でカゴの鳥状態(精神的に)なはずなので、無に近い感覚(だれもいない)になるんじゃないかと思います(自分もそういう風に感じていた時期があるので)。
    でも、実際はそうじゃないんだけれど・・・。
    お互い境界の保持ができる間柄なら少々喧嘩腰でも渋々でも、前にも書いた「んじゃ、お言葉に甘えてやってもらおう!」になるんでしょうが。
    丸投げの対応にキレる、というのはボーダーさんの心理に似てるのかも・・・ですね。
    見捨てられ不安・・・自分は愛されていない、大切にされていない、という。。。
    この気持ちを、「丸投げを受けてもらうこと」で満たしている・・・つまり「代償行為」。
    本来、丸投げを断わったからといっても、見捨てたわけでもないのに、そこが刺激されるから「のけ者にされた!」発言につながっていくのかなぁ・・・?!と。(自分のことでないのであくまでも憶測です。)
    つづく・・・

    • kei_
    • 2008年 10月 15日

    最終的に、「丸投げ」も「引き受け(共依存の場合の)」も、それ単独の行為なら、「依頼」や「優しさ・思いやり」の範疇なのだけれど、
    秘められた欲求や願望を満たすために使われると、不具合が起きてくるんでしょうね。
    喉が渇いてカラカラだから、代わりに水を飲んで!と丸投げして、飲んでもらったところで渇きは治まらず・・・
    でも自身の依存心と向き合うのはカラカラなところにさらにまた、炎天下の砂漠を旅するような気分・・・・
    でも、そこには前の旅人が残していったガイドブックがあるかもしれないし、ひょっとしてラクダなんぞもいるかもしれない?!(笑)
    お金を出せば、現地の地理に詳しいガイドに同行をお願いすることも可・・・なんだとは思うのですが・・・。
    自身の旅もまだまだ、続くと思います。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 15日

    ちょっと私信っぽい内容で…ごめんなさい。
    >むーんさん
    カウンセラー任せにやら、しませんよ!
    必要な情報は与えるけど、本人に自分で考えてもらうから。
    「丸投げ」を引き起こした原因の一端は私にあるし、親権を譲らなかったのも私。(本人は認識できてないと思うけど)「丸投げ」に苦しんでいるようだから、僕に対する無責任はもう言及しなくても良いんじゃないかなーと。子にとっての母親の責任は適度に促してます!?
    >エムさん
    TVは見てませんが、自分の場合、想像ではとても出来ない気がするけど、やってみればまぁ可能だったと言うか…自然にその状況になったと言うか…
    大変だけど楽しめてますよー > 子育て

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 15日

    marioさんこんばんは。鴨が鳴いていると思ってくださいまし。
    >確かに気を付けないと、私は結論を用意してしまいそうです。
    私がとんでもなく見当違いなことを書いたのではないことが分かって良かったです。
    >息子と母の関係ではなく、
    >母と父(私)のことについて聞かれた時にちゃんと答えられるよになりたい。
    離婚したことがないので実感というレベルでは分かりませんが、「息子さんと元奥様の関係(僕ってお母さんの何?)」よりは、「両親の関係」のほうが答えを用意しやすいような気がするのですが。
    「両親の生きざま」という言い方もありですかね。
    もっと掘り下げると、「お父さんはこういうところがお母さんに対して悪かった。お母さんはこういうところがお前に対して悪かった。」などと、悪かったところ、悪かったところを全面的に出さないと、AS(息子さん)には分かりづらいと思いますよ。
    私の両親も“ふつう”ゆえにある特徴ですが、「こんなこと努力した。お前のためにこんなこと我慢した。」だけ言うと、だから恩には報いなきゃならないのか?と、それで頭がいっぱいになります。
    面倒ですが、ASには特に、両方言って欲しいときがあります。片方しか言われず言葉足らずで混乱し、自らも人間関係でトラブルメーカーになったり、苦しんでいる子がたくさんいます。
    >しかし、ジャイアンの愛とは、ASの愛とは何なのでしょう?今のところ、YANBARU先生の説明に納得していません。多数派の愛が、正しい愛だとも思いません。
    失礼ながら、何かと何かを混同しているような気がしてならないのですが・・・。
    でも、私も分かっているかと問われればそうでもないです。

    • you
    • 2008年 10月 16日

    次のエントリでもコメントしたのですが、
    「父親の責任」は(本質的ではないにせよ)金銭で補って果たしたつもりになれても、丸投げしたジャイアン女性の「母親の責任」は、どうしたらよいのでしょうね・・・。
    おそらく、子どもが一番悲しく不満に感じるのって、「他のことがしたくて、本当はやりたくないのに僕の世話を溜め息つきながらイヤイヤやってるんだ」「お母さんは私と一緒にいても喜びや幸せを感じてないみたい・・・」というところなのかな、と想像します。(多数派だってもちろんそういう母親状態に陥ること多いです)
    やりたくないのに義務だからやっている、とか、本当に求めている愛情や情緒の核心的交流は叶わず周辺部分ばかりな感じ、というのは子どもは鋭いから直感しますよね。
    これが原因で、離婚や養育から離れるのであれば、離れたままにしておいた方が、子どもの傷が深まらないで済むのかも、なんて思ったりもしました。「母親の責任」は結局ムリなのですから。
    父親は金銭で子育てを丸投げできる(実際そういう形態の家族は多いですよね)ものの、それでは本来は済まないはずだぞ、と当然思います。「お父さんは、お前が大好きなんだ、だから困らないだけの充分なお金をあげてきたよ。ただ、ご飯をつくったり、一緒に遊んだり、人生のありようを示したり、大人としてのモデルを見せたりするのは、たまたまお母さんだけだったんだよ」、で終わらせられるのは、何かが間違っている・・・。無論うまく子どもが育たないケースも多いし。
    やがて20数年後、息子の結婚式の最後で、「新郎父より挨拶」なんて格好良く偉そうに、涙を流して家族愛などスピーチされたら、張り飛ばしますね、きっと。尊厳なんてくそ食らえ!が、正直な感想でしょうね(笑)

    • ぴよよ
    • 2008年 10月 16日

    なんだか分かってきました。
    何の言葉が足りなくてmarioさんにうまく伝わってなかったか。
    というか、始めからはっきり書くのは酷すぎて失礼すぎて濁していたわけなのですが。
    私にもすごく言えることですが、強いASには誰かがプライバシー踏み込みすぎをしないと核心が全然伝わらないことがあります。リスクが多い・・・私にもですが。
    >私はとても言いすぎですが、元奥様の間違いは“母親”の尊厳と息子さんからの愛着と尊敬も、このままでもずっと手に入るとお思いのところだと思うのですが。
    ・・・自分の文章ですが・・・。
    ・・・だから、母親の自尊心も満たす手伝いをしてどうしますか。
    息子さんの身になると、お父さんが何か悪かろうと外部の誰がお母さんに働きかけようと、家を出る決断をしたのは最後はお母さんなのです。お母さん自身の言葉で決断の理由を聞きたくなるときがいつか来るかもしれない。それを早まらせないようにストップかけたり、発達具合を見て頃合いを判断するのはmarioさんの仕事でしょうが、代わりに伝えてしまおうとするところだったのです。思いとどまって頂けたようでよかったですが。
    傷つき続けるのはお母さんの仕事です。
    息子さんが仮にお母さんをシャットアウトすると決めたとしても、その現実に向き合うのもお母さんの仕事です。
    >「あなたのことは可愛いのよ。ただ、たまたまご飯はお父さんが作っていた、それだけなのよ。」とテレパシーだけで愛や関心を送っても、生身の子どもには伝わらないのに。
    これは腹を立てるところです。肯定すべきでないのです。
    息子さんにとっては、特にASにとってはお母さんが側にいる、いないはオールオァナッシングと言ってもよいくらい、明らかな結論なのです。(女の子だともっとこれは強いです。)
    仮に「~」が当たっているとしたら、大変勝手です。
    ちなみにmarioさんに何か反省や後悔があったとしても、息子さんにとってはあずかり知らぬことです。
    やっぱり私、コメントが下手だな・・・。
    失礼しました。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 16日

    ぴよよさん
    色々と心配して下さってありがとうございます。ただ、ここの主題から外れて、親子の話なので、一応打ち止めにしたいと思います。
    この話、もっとシンプルに考えましょう。両親が一緒に生活できなくなった。子はどちらかの親と暮らすしかない。父が共に暮らす事を強く望み、(細かな理由はともかく)その方が幸せかも知れないと母が思った。それだけです。私はそのうち息子に、私から見た両親の両方の立場を話して聞かせるつもりです。同時に母から見た同じ事も母から聞きなさいと言います。その結果はどうであれ、母(元妻)が受け止めなければなりません(私が口を挟むところではありません)、あるいは私も何かを受け止める事になるかも知れません。
    私は元妻の母親としての心(自尊心?)を少しでも満たすように働きかけています。例えば、運動会に誘いました(来ましたよ!)。息子が遠足で掘って来た芋を分けました。息子の成長について相談もします。それは、その方が母子の交流が上手く行くと思うからです。出来るだけ息子が母のそばに居られるように、その愛を感じられるように調整しています。ここに書けない難しい問題も沢山抱えてて食事が喉を通らない日もあったりしますが、息子が少しでも幸せで居られるように頑張れる範囲で頑張ってます。
    ここで、ASについて、ジャイアンについて、それらから起こる問題について知らなければ、慰謝料請求やらの泥沼の争いをしていたと思います。結果として息子はどちらかの親を失っていたかも知れません。それに比べれば、現状は息子にとってかなり幸せです。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 16日

    youさん
    金銭では親の責任を果たせませんが、少しでも責任を持っている事の証明にはなりませんか? 私はその目的で養育費の調停を起こし、泣いて嫌がった元妻から僅かですが養育費を頂いています。全て貯金して進学時にでも全額息子に渡す事にしています。母子の交流が上手く行かなくなったときの為の保険のようなものです。
    それと片親と離れたままの方が良いかもって話ですが、結果として親恋しい心を表に出せない結果、色々とトラブル(トラウマ?)を抱えそうだと思います。離婚大国アメリカでは離婚後に関して大規模な疫学的調査が行われていて、確か“どんな親であれ会っていた方がその後の生活の状態が良好である”とかの結果が得られています。不完全な親の姿でさえ、成長に有用みたいです(会っていない親を心の中で理想化し、それを異性に投影してしまうなど)。

    • むーん
    • 2008年 10月 16日

    mario(AS)さん・・・
    どこからどう勘違いを解いたらいいのかもう分からない・・・
    奥さんは、あなたと息子さんが「邪魔」なんですよ。その事実を、あなたが否認するのはともかく、息子さんにまで「否認」させてどうしますか。苦しいだけでしょう。
    こうなったら、「慰謝料請求やらの泥沼の争いをしていた」結果、奥さんとすっぱり切れていた方がましだったとすら思います・・・
    もっと息子さんに対して、「想像力」を持って下さい。(「思いやり」という曖昧な多数派用語を使っても、分からないと心底思うので。)

    • エム
    • 2008年 10月 16日

    marioさん・・私もしつこくて、すみません。
    我が家も夫と息子(共に受動型AS)の父子家庭を真剣に考えたことがあります。私と息子の衝突(私がASを知らなかったのです)がキッカケで、夫婦関係が一挙に崩壊しました(後に夫が受動型ASと分かり、すべて納得できましたが・・)。
    あくまで別居(離婚)を主張する夫に対して、(夫の場合、生活能力が著しく欠けている為、どう考えても息子の養育までは無理に思えたので)私が折れた形(自尊心ボロボロ!)で、一応現在も家庭を維持しています。
    正直、AS男性の詰め(自分の事は棚に上げての、責任の取らせ方?)は、とても厳しすぎる様に思います。 一度は好きになった女性でしょう? 愛する息子を産んだ人ですよ。
    元奥の息子さんへのあり方は彼女に任せてあげるわけにはいきませんか? 今は、marioさんが仕切っているわけですよね。例えば、妻に慰謝料請求なんて、切なすぎます・・。

    • パパイヤ
    • 2008年 10月 16日

    mario氏への反論、意見が殺到していますが(marioさんは打ち止めにするとのことですが)、marioさんと元奥さんとの間に何か特定のトラブルが起こり、その内容を具体的に明らかにせず(別に明らかにしてほしくないですけど)「ジャイアンとは?」と一般化して解決しようとしても、このブログへの参加者はどんなトラブルなのか知らないし、雲をつかむような話で、各自が自分自身の話に引き付けて、ああでもないこうでもないと言っても解決するには無理があるよなあ、というのが個人的な感想です。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 16日

    私もちょっと書き過ぎましたかね…
    パパイヤさんの言う通り、私に起こった事の極一部しか書いていませんし、ここは(元)夫婦問題相談サイト(?)ではないので、これ以上書く事もしません。
    ジャイアントは何か、ASとは何かを論じた後は、それがどの位自分達に参考になるのか、するのか、は私の問題です。
    それでも何かコメントしたいようでしたら、mario.as.x2 @ gmail.com にメール下さい(ワザと全角使ったりスペースを入れています)。この直前のコメントへの返事も個別に致します。まー、ここではし難い単なる雑談をしようとか、メル友になろう!とかのメールでも良いですよ~(笑)

    • you
    • 2008年 10月 17日

    marioさん、
    自分自身のケースに引き付けて考えて書いてしまうので、あまり気になさらないで下さい。あくまでも私の独り言みたいなものです・・・。
    私は、夫自身が「父親の役目なんて、金を稼いで生活支えるくらいしか結局ないと思う。俺は働くだけで精一杯だから、勘弁してくれ」というし、それ以上ジャイアンに求めても、どこにも行き着かないな、と諦めました。
    marioさんの奥様は、泣いて嫌がったものの、養育費を出してるんですね。それは、ひとつの在り方ですから、私はいいと思います。泣いて嫌がったのは、自分が責められてる感じが耐えられなかったのか、責任を突きつけられてジャイアン特有の拒否反応だったのか。息子さんが将来、預金通帳の数字の印字をみて、これが母の愛の一部であると、思えるかもしれません。
    >不完全な親の姿でさえ、成長に有用みたいです
    ここが、私は悩ましいところで・・・
    この前なんて、大きな子ども館のような、一日遊べるところへ息子を連れて3人で出かけたのですが、「タバコ吸ってくる」(これまた親子でいると頻繁にタバコを理由にフラッといなくなってしまうので、いつも息子がパパどこ?と探すはめになるのですが)と、出てったと思ったら、いつまで経っても戻ってこなくて、しばらくしたら、施設前にあるパチンコ屋から「ちょっとのつもりが、出ちゃったんだ、あとはよろしく」・・・ほんとにこの人ビョーキなんだな、と怒りというより諦めというか、何が楽しくて生きてるのかな?と真剣に心配してしまいました。
    親の後姿を見て子は育つと言いますが、ほとんど家にいない(在宅のときはほとんど寝てる)母子家庭のような状態で、父の後姿といえば、実態は、エリート社員だけどギャンブル依存と女遊びと風俗通い・・・これを息子に勘付かせないように、うまくマシな後姿を演出しなければ・・・それとも実態をいつかは知らせたほうがいいのか?・・・頭が痛いです。
    ジャイアン男性が、風采が良くて女にモテてしまって、仕事もできて収入が良いと、どうなってしまうのか・・・わかりやすいケーススタディになってしまってますね。

    • you
    • 2008年 10月 17日

    さきほどコメント送ったのですが、最後のmarioさんのコメントに気付かないで、コメント入れてしまいました。すみません。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 17日

    youさん、少しだけ…
    最近思うようになって来たのは、ジャイアンであれASであれ多数派であれ、人に何かを期待するのが間違っていると…いや、期待しても良いんだけど(それを伝えても良いんだけど)結果は求めないって言うか…(あれ、先生が言ってたそのままじゃん)
    母子家庭のようでも収入を入れてくれているから充分だと思って現状を肯定してみる(父子家庭になってシングル親子との交流が多くなってて…養育費を貰ってない母子家庭はとても大変そうですよ)。それでも現状が辛くて我慢できなければ、どうするかはyouさんの自由ですし。息子さんにはそのうち、父がエリート社員なところもギャンブル依存などのところも両方見えるようになるでしょう。それをどう評価するかは息子さんの選択なので、全部をそのまま見せれば良いんじゃないかなー。反面教師になるって場合もありますよ!
    私も「調整している」なんて偉そうに書いてしまいましたが、単にAS的に持ってしまいそうな「普通はこう」などの枠を持たないように努力してるって事に過ぎない気がします。息子にとっての母との交流を妨げない、自分で連絡が出来ない今だけは代わりに連絡している程度の話です。

    • あおいよる。
    • 2013年 8月 13日

    > ただ「利用で何が悪いか?」と私は考えるのだが。「尊厳」のレベルではそのほうがよっぽど動物的で正直で清清しい。
    エントリー「ナンギ」にもコメントを考えていますが先にこちらに。
    相手の意思を(意志を)尊重すること。
    果たして自分はできているか。
    …このエントリーを拝読して改めて自問自答しました。
    結論、否、おそらくは。小学校低学年時代の「相手が何かを選択すること自体自分の脳内に存在しない」→いじめられ出してからの「相手の選択結果は絶対であり決定であり自分には選択なぞあるわけがない」までが一番ヒドかったんだなー、と省みています。
    相手すら存在しえなかった時期は論外、けれど
    それ以降の自分も
    相手の「選択結果が決定事項」だと言いながら『尊厳』はしていなかった。…そう今は分析(再認識、言語化)しています。
    今も(そういう脳だからスーッとそういった認知が現れちゃうのだけれども)
    戒め的に『お前は相手の意向を尊重しているか?そこには自分の考えは混ざっていないか?自分は本当はどうして欲しかったんだ?』と…自他を客観視することを忘れないように…繰り返し繰り返し脳内でつぶやいています。
    (無論(?)尊厳のソの字もなってなかったと自省&相手に謝罪することもあります。)

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP