AC、人格障害関連

ACの自己中心性

 AC(アダルトチルドレン)は表面上はいかにも「人のため」という形であるが、実は非常に自己中心的な心理だ。その証拠に、世話する人が居なくなると、すぐ次を探したりする。

 自己中心性は、もともとACが共依存であることから考えても分かる。「この人のため」「私が居なければこの人は生きていけない」と言いながらその人の人生を仕切る自分の役割に自分の存在価値を依存する。

 この自己中心性が一番良く現れるのは、子育てにもよくある場面だが、「本人のために自分で責任を取らせる必要がある場合」だ。突き放して、本人が自分の力で問題を乗り切る力を身につけさせなければならない場面で、ACは相手を突き放しきれない。

 相手が境界例である場合、私が本当にその境界例の人を治したい場合には、周囲で世話を焼くACは非常に有害となる。ACは境界例や自己愛等の人格障害の人の問題を尻拭いし続けることで覆い隠し、本人がそれに気付くことを妨げ、根本的な解決を遠くする。

 http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/acetc.htm


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コメント

    • HIKARI
    • 2007年 1月 27日

    以前にもこの記事を読んで、「私だ…」とゾッとしました。
    子供を突き放すことができずに、つい救いの手を差し伸べてしまうのは『愛情』ゆえだと思っていましたが、自分が救われたかったという自己中心的な思いこみによるものだったと反省します。
    そして、必要とされたときは「手を差し伸べる」心の広さは保ち続けたいです。
    この姿勢で大丈夫でしょうか?

    • yurin
    • 2007年 1月 28日

    私が以前よく考えていた『人の役に立ちたい』というのも実は、似たような心理があるのかなと思いました。
    つまり『誰かの役に立っていると思いこむことで自分の存在価値を見出す』ために、役にたっていないと感じると不安になって、極端な話、自分の存在価値さえなくなるような錯覚を起こしてしまう。
    子育てでも、『自分がいなければ』と思ってやることは少なかったけれど、でも『子どもに見捨てられるのがどこか怖くて』思いきって本当のことが言えなかったことはありました。
    自分の人生や生き方を他者(それがたとえ子どもや配偶者であっても)に依存するのは、本来無理なこと。
    苦しさや不安の中でもがいていても『自分の人生は自分のためにこそあり、それ以外の意味は持たない』という答えにたどりつけることが、最終的には一番自分が救われることであると私は考えます。

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